第70話 届かない想い。

 「受けし者っ!」


 伸ばした手の先で、凶刃が振り下ろされる。


 恐怖に震えた彼女は、叫びも虚しく抜剣すら出来ていない。

 ただ、自らの命を断とうとしている魔人の姿を顔を強張らせて見ているだけだ。


 もう、どう足掻こうが間に合わない。


 今更、無意味だと分かっている。

 しかし俺は、諦める訳にはいかない。


 彼女だけは、守らなきゃいけない!


「やめんかぁああっ!!!」


 不意に背後から轟音が鳴り響いた。

 同時に背に受けた衝撃で息が詰まる。


 視界が、白く染まった。

 

「ぐ……っ!」


 気付けば俺は地に叩き付けられていた。


 な、なんだ? 今のは……?

 いや、今はそれどころじゃない。

 ミーアは? ミーアを助けないと!


 くそ、前がよく見えない。

 痛い……これは……血か。

 思い切り顔を打ったので額が割れたらしい。


 立ち上がる手間すら惜しい。

 地に擦った顔を上げ、袖で顔を拭ってミーアの居た場所を見た。


「え……っ? へっ? な、なに? 今の……?」


 視線の先には、ミーアがいた。

 彼女は、生きていた。


 あの黒い魔人のもうどこにもない。


 屋根の上で座り込んでいるミーアは、困惑し切った表情で自分のいる屋根の下と……赤髪の少女を交互に見ている。


 良かった……いや、まだ安心出来ない。


 ミーアを殺そうとしたあの黒い魔人はまだ、彼女の近くにいるはずだ。


「シラユキ、行けっ!」


「はいっ!!」


 少女に命じられた白髪の女魔人が、俺の横を駆けて行く。

 ……速い。凄まじい速さだ。

 あれ程足の速い人間を俺は他に見た事がない。


 だが……そうはさせない。

 捕らえる? そんな甘い事で許すかよ。


「我」


 殺す。

 あの黒い魔人だけは許せない。


「女神の祝福を」


 誰に手を出したのか。

 この手で思い知らせて……!


「ぐっ……」


 立ち上がった途端、身体に激痛が走った。

 視界が霞む……俯けば、手元には剣身が砕けた剣。


 限界……か。


 力が入らず、ガクガクと震える足。


「ぐ……うぅ。うっ!」


 俺は、歯を食い縛って足を前に蹴った。


 行かなきゃ。行かないと……!

 ミーアの、元へ。行かないと……!


「いてて……」


「こらクノーッ! やはり貴様かっ!」


「ぐ……ちっ。シラユキ、なんだ?」


「なんだ? ではないっ! 貴様、メルティア様の命じられた事を忘れたのかっ!? それとも、聞いてなかったのかっ!」


「うるさいな……お前も見てただろ。あいつが先に攻撃して来たんだ。俺はただ……」


「言い訳無用っ! ほら立てっ! メルティア様がお呼びだっ!」


 屋根上にミーアの立つ家の裏から、そんな言い争いが聞こえて来る。


 ……黒い魔人の言い分は最もだ。


 不意を突き、明確な殺意を持って矢を放ったミーアは、報復されても仕方がない。


 ……それでも。


「……ミーア。降りて来い」


 家の真下に到着した俺は、上を見上げた。

 

「シーナ? あんたなんで……ううん、駄目よ。今降りたら、折角取れてる射線が通せなくなるわ」


 二人の魔人を見下ろし、ミーアは矢筒へ手を伸ばす。

 だが途中で彼女は、自分の弓を取り落としている事に気付いたらしい。


 買い換えたばかりの弓は、俺の足元にある。


「あっ……シーナ。あんたの足元に私の弓が」


「いいから降りて来いっ!!!」


 自分でも驚く程の声量で、俺は怒鳴っていた。


 ビクッと肩を跳ねさせたミーアが、怯えたように顔を強張らせたのは一瞬だ。

 すぐに彼女は眉をキッと吊り上げ、俺を睨む。


「な……なによっ!! なんで怒ってるの? 私は、私だってっ! わ、私は、私はっ! あんたの為にやったのにっ!!」


 怒りの表情を浮かべているミーアは、震えた声で叫んだ。


「なんで私が怒鳴られないといけないのよっ! 元はと言えばあんたが悪いんでしょ!」


 あぁ……そうだ。

 彼女にこんな馬鹿な真似をさせたのは、俺だ。


 ミーアは俺に命を救われ、恩を感じている。

 俺は……彼女が抱いている想いを知っている。


「あんたが、私に一人で逃げろなんて言うから!」


 こいつは素直じゃないが、嘘は吐けない女だ。


「一人で戦うなんて言うからっ!」


 だから彼女は。こんな何もない辺境の小さな村にまでついて来た。

 それどころか、村の……俺の役に立とうと必死で働いていた。


「私はあんたの仲間でしょ! 私だって、冒険者でしょっ!」


 ミーアが今、ここにいる理由。

 この勝ち目のない戦いに巻き込んだのは? 

 危うく死にそうになったのは?


「なんでもかんでも一人で抱えこんでっ! 私には隠し事ばっかりじゃないっ!! 少しは、少しくらい……頼りなさいよっ!」


 ……俺のせいだ。

 分かっていたのに。


 ミーアが一人だけ逃げて助かるなんて。

 そんな選択が出来る、聞き分けの良い女でないことくらい……分かってるのに。


「お前の言い分は最もだ。でも、もういいから……もう、いいんだ。早く降りて来い。頼むから」


 もう一度懇願すると、ミーアは白髪の魔人に従って連れられて行く黒い魔人を見た。


 すると、違和感に気付いたらしい。

 困惑した表情で屋根から降りて来た。


 器用に屋根から降り、無事に地に足を着けた彼女は俺を睨みつけて。


「……どういうこと? 状況を説明して」


 怒鳴ってしまったからだろう。

 まだ警戒されているらしく、少し空けて言った。


 俺は、迷わず彼女に駆け寄った。


「え? ちょっ……んっ!?」


 力強く抱き締めた。

 ミーアの身体は、暖かかった。


「良かった……」


 生きている。

 ミーアが、生きている。


 それだけで俺には、充分だ。


「怪我は? どこか痛むところは?」


「ない……けど?」


「そうか。なら良いんだ」


 無事を告げた彼女の身体を強く強く抱きしめる。

 もう遠慮する必要はない。


「……あんたのほうこそ、怪我してるじゃない」


 俺の背に、ゆっくりと腕を回したミーアが呟く。


「悪い。服、汚しちゃうな」


 「そんな心配はしなくていいわよ、ばか……痛くない? 大丈夫?」


 見上げてきたミーアの瞳は、潤んでいた。

 不安げな表情だ。可哀想に……ごめん。


「大丈夫だ」


「嘘つき。もう限界な癖に」


「うん。限界だ。俺はもう、戦えないよ」


 全力で抱き締めたいのに、力が入らない。

 腕も膝もガクガクと震える。

 全身に激痛が走っている。

 凄まじい熱を発している。


 少しでも気を抜けば、気を失ってしまいそうだ。


「だから……」


 俺はミーアを抱きしめたまま、振り返った。

 見つめる先は、紅の髪を持つ少女だ。


「話は、明日にしてくれないか? 昼頃に使いを寄越してくれ。応じる」


 今回は、分かった。

 俺の口から発されている言葉が、今まで口にしていた言語でない事が。


 いつの間にか近くに立っていた少女は、赤い髪を揺らしながら応えた。


「……すまぬ。危うく、取り返しのつかん事になるところじゃった」


 申し訳無さそうな顔で謝罪を述べる少女は、ミーアの顔をチラリと見て。


「その娘はお主にとって、大切な存在なのじゃな」


「……あぁ。だから、約束してくれ。こいつは勿論。これ以上、他の皆には指一本触れない。触れさせないって」


 俺は息を吸って、覚悟を決めた。

 元より、他に選択肢はない。


 迷うことすら、許されてない。

 

 ……俺一人が犠牲になれば良いなら。


「俺で良ければ、好きにしろ。だが頼む。一晩、時間をくれ。今夜はもう、引いてくれ。皆、大切な人達なんだ……解放してくれ」


「……うむ。話し合いは明日、ちゃんとしよう」


 くるりと踵を返す少女。

 随分とあっさりした返事に拍子抜けした俺は、その小さな背中に問い掛けた。


「良いのか? 俺が言うのもなんだが、俺があんたの立場なら逃げるのではと疑う」


 すると少女は、手をひらひらと振りながら。


「そんな身体で逃げられると思うなら、やってみるが良い」


 最後にそう言い残して、去って行く少女。


 そんな彼女は、「今夜は撤収じゃーっ! 捕虜を解放しろーっ!!」と声を張っている。


 途端。身体から力が抜けた。


「シーナ、今。何を話して……シーナ?」


 崩れ落ちる俺の身体が抱き留められる。

 ミーアが居なければ、俺はまだ敵ばかりのこの場で無様な姿を晒す所だった。


 まだ、倒れては駄目だ。

 今はまだ、余力のある姿を見せておかないと。


「ぐ、ぅ……ぐぐっ……っ!」


「……いいのよ」


 必死に力み、自力で立とうとする。

 そんな俺の耳元で、ミーアは呟いた。


「そんな訳に、いくか。まだ、もう少しだけっ!」


「もう、この意地っ張り。限界なんでしょ? あとは私に任せなさい」


「駄目だ。まだ……」


 意地を張る俺の頭を、ミーアの手が撫でた。


「あんたは、もう充分頑張ったわよ。何を話してたかはさっぱりだけど……話はついたんでしょ?」


 縛られていた村の皆が解放されていく。

 その様を見て、ミーアは溜息を吐いた。


「さぁ、帰りましょ……私達の家に。今は少しでも休まないと。あんたに出来るのは、それだけよ」


「……せめて、あいつらが村を出るまでは」


「駄目よ。ほら、私の肩に捕まりなさい」


 俺の腕を肩に回したミーアに支えられ、俺はなんとか自分の足で立ち、歩き出した。


 情けない。

 そう思うと同時に、俺の脳裏に浮かんだのは……ユキナ。長い白銀の髪を持つ剣聖の姿だった。


「……なぁ、ミーア」


「なによ」


「なんで、俺じゃなかったんだろうな」


「えっ?」


 不思議そうな表情のミーア。

 俺の……守りたい、女の子。


「なんで俺は、こんなに弱いんだろうな……なんで俺が、剣聖じゃないんだろうな……」


 支えられて歩きながら、俺は思わず溢した。

 無様な姿を晒す度に、強く感じる劣等感を。


「俺に剣聖……英雄の力があれば。そしたら、お前の時も。今回だって、きっと」


「……はぁ?」


 すると、ミーアは思いっきり眉を寄せた。

 よく知る、俺を心底馬鹿にする時の表情だ。


 ……あれ?

 

「あんたそれ、本気で言ってる?」


「え? おぅ……」


「はぁ……? もうっ! あんたって、やっぱり。ホントーに、バカねっ!」


 耳元で怒鳴るように叫んだミーアは、真剣な顔で続けた。


「あんたが剣聖じゃなかったから、助かったんでしょ。私も、今もっ!」


「あ……そうか。そう、かもな」


 言われて気付く。

 確かに、馬鹿な事を言った。


 俺が剣聖だったら、ユキナは俺の代わりに村を出て冒険者になっただろうか?


 囚われたミーアを助けていただろうか?


 今の俺と同じく、魔人の言葉を介する力を持っていたとして、立ち向かう事が出来ただろうか?


 答えは、否。不可能だ。


 俺の知るユキナは、争いなんて無縁の優しい女の子だった。


「分かってるなら、もう二度と言わないで。次同じ事を言ったら本気で怒るわよ?」


「悪い……我ながら馬鹿な事を言ったよ」


「大体、そんな力が無くたって」


 顔を寄せてきたミーアは、俺の頬にちゅっと口付けして、


「私を救ってくれたのは、あんたでしょ。代わりなんていないわ。自信持ちなさい、シーナ。私は今回もきっと、あんたが上手くやるって信じてるから」


 気恥ずかしそうに微笑んだ。


 ……この天才様は、人の気も知らないで。


「俺は所詮、凡人だ。あまり期待するな」


 吐き捨てるように言うと、ミーアは「はいはい」と苦笑した。




    ◇





 それから数時間後。


「すぅ……すぅ……」


 二人で住む家の寝室。

 規則正しい寝息を立てるシーナの腕の中で……。

 ミーアは彼の温もりに包まれ、眠れずにいた。


 目を閉じれば、浮かんでしまう。

 つい先刻、感じた死の恐怖が。


 殺意に満ちた表情の黒い魔人。

 その手によって振り下ろされる刃の光景が。


 少しでも眠らなければという焦燥はある。


 明日、魔人達と話す。シーナはそう言っていた。

 勿論同行するつもりなので、睡眠不足で集中力を欠く訳にはいかない。

 

「すぅ……はぁ……」


 早々に落ち着き、眠らなければ……。

 ミーアは彼の胸に顔を押し付けて深呼吸をした。


 ミーアは、シーナの匂いが好きだ。


 自分の足で歩く事もままならない状態だった彼だが、家に連れ帰った後。ミーアが身体を拭き、着替えさせた。


 しかし、こうして。しっかり嗅げば……。


「んんぅ……」

「っ!」


 寝苦しそうな声に驚き、ミーアは顔を見上げた。


「シーナ? 起こしちゃった?」


 至近距離で問い掛けるが、応えはない。

 代わりに、また規則正しい寝息が聞こえてきて。


「あっ……!」


 頭を抱えられている頭上の手が、髪を梳き始めたのを感じたミーアは思わず声を上げた。


 彼が眠りに着く前まで、撫でてくれていた手だ。

 大好きな彼の、自身のものとは異なる男の手。


 すると。じわっと胸に広がる暖かな気持ち。

 不安、恐怖が、不思議と消えて無くなっていく。


「私……もしかして凄く大切にされてる?」


 唯一懸念されるのは、あまりに慣れたその仕草。


 剣聖ユキナ。

 幼馴染で恋人だったという彼女の存在が、今の彼を作り上げたと思うと腹立たしい。


「ふん……しっかり撫でなさい。もし今、昔の女の名前なんて口走ったら、叩き起こしてやるんだか」


「……ミーア」


 苛立ちを吐き出す途中、呟かれた自分の名前にミーアは歓喜した。

 かあぁぁっと、顔が一気に熱くなる。


「み……あ」


 ギュウッと強く抱き締められる。

 息苦しい……。

 しかし、振り解くという選択肢はない。


「へっ? あ……あぁあぁ……っ!」


 普段は全くそんな素振りを見せてくれない彼が、夢の中では素直に自分を求めてくれている……?


(もうっ! 素直じゃないのはどっちよっ!)


 堪らず、ミーアは自分より大きな背中に腕を回して抱き締めた。


「なによ……私の事大好きなんじゃない……♪」


 瞼をギュッと閉じれば、浮かぶのは先程受けたシーナからの抱擁。激しい戦闘で消耗した彼が漏らした本心。


 『良かった……』

 あの呟きは、どれ程彼が自分を想ってくれているのか強く伝えていた。


 身体を拭く時、シーナは見せないように隠したがっていたが、見てしまった。


 それは、剣で斬られた傷痕。


 あれは、彼が命懸けで自分を救う為に負ってくれたもの。

 囚われの身になった自分を連れ帰る為に戦ってくれた。その証に他ならない。


「……もう。シーナ……好き……♡ 好き……♡ 」


 きゅんきゅんと高鳴る胸の鼓動。

 吐き出す吐息が、熱い。


「私達、両想いなのよね? そう、なのよね?」


 この衝動を収める術を少女は知っている。

 だが、目の前に彼がいる今は叶わない。

 代わりにミーアは抱き付く腕に一層力を込め、胸に頬擦りし、内股を擦る事で我慢する。


 しかし。そうすると、高い対価を支払い新品を贈ってまで手に入れた古い外套などとは比べ物にならない鮮烈な彼の香りに当てられてしまって……。


 ……頭がクラクラした。


「はぁ……♡」


(……だめ。これだめ……むりぃ)


 無理だと思いつつも、離れる事はない。


(あぁ、もう……なんで今夜なのよ。せめて明日に来なさいよ、全く……空気読めない馬鹿魔人達のせいで、なんで私がこんなに苦しまなきゃいけないのよっ! これじゃ、全然眠れないじゃないっ! 本当なら、今頃……)


 突然の訪問者に折角の好機を潰された。

 腹を立てているのは勿論だが、それ以上に悶々とした感情を持て余しているミーアは、つい妄想してしまう。


 もし、魔人達が今夜。この村を訪れ、家の扉を叩いていなければ……今頃。

 この寝台の上で自分が、どうなっていたのかを。


「うぁ……うぅぅ……っ!」


 シーナに組み伏せられたまま、浅ましくも彼におねだりする。

 そんな情けない自分の姿を。


「う、うぅぅ……」


(あぁ……もう。また……っ! さっき下着、替えたばっかりなのに……っ!)


 最近は、彼に可愛がられている自分の姿を妄想してばかりのミーアだ。


 正直、自分でも気持ち悪いとは思っている。

 しかし、やめられない。

 何故なら、こうしている時。自分はとても幸せだから。


「はぁ……すぅ、はぁ」


(こんな気持ちになるなんて……私も結局、女だったって、事ね……)


 シーナの胸板に蕩けた顔を埋めながら思う。


 ずっと女に生まれた自分が嫌いだった。


 男に比べ、女の身体はあまりに非力だ。

 例え、いくら鍛えて筋力を付けて、身体を大きく逞しく出来たとしても……女である以上。男のように持て囃され評価される事はない。

 待っているのは寧ろ、非難や嘲笑の目だ。


 幾ら努力しても、女の子なのに……女の癖に。

 そう言われるのが分かっている。


 悔しかった。


 幼い頃、鍛錬で筋力を付けたい。

 だから、食事の量を増やして欲しい。

 そう頼み込んだ際に見た両親の顔、掛けられた言葉が忘れられない。


 ミーアは誰よりも強く自由に憧れた少女だった。


 誰にも縛られる事なく、自分の意思で行きたい場所に行き、食べたい物を食べる。

 ずっと、そんな生き方がしたかった。


 誰もが羨む存在になりたい。

 自分が憧れたように。誰かに、憧れを抱かせる生き方がしたいと夢見た。


 そんな彼女だからこそ……憧れた。


 数百年前。同じ女性でありながら、勇者と共に女神に選ばれ、魔を討ち滅ぼした三人の英雄。


 剣聖。弓帝。賢者。

 女神エリナに特別な力と素晴らしい容姿を与えられた女性達に。


 三百年振りの再来を聞いて、心が躍った。


 その一人。剣聖がまだ見つかっていないと聞いてからは、もしかしたら自分がそうなのかもしれないと淡い期待を抱きつつ、素振りを初めてみたりしてしまう程に。


 自由にはなれないかもしれない。

 しかし、誰もが憧れる特別……真の天才になりたかった。


(……もう、いい。私は、天才じゃなくて良い。誰もが認める特別……英雄になんて、なれなくて良い)


 でも今は違う。

 女に生まれて良かった、と。

 シーナを強く抱き締めながら、ミーアは思う。


 女でなければ、こうして彼の腕の中に収まる事は出来なかったから。


(誰にも憧れられなくて、良いから……)


 しかし、素直に喜ぶ事も出来ない。

 今夜の出来事で、少し前から抱いていた不安が、一際大きくなってしまったが故に。


(私は、あんたの特別になれればいいから……だから、傍に居て。傍に居なさいよ? シーナ……あんたの事が大好きで、好きで好きで……愛してる私を置いて、何処かに行くなんて……そんなの、許さないんだから)


 シーナ。

 この男は、自分とは違う。本物の天才だ。


 剣聖の幼馴染と言う出自にも驚かされたが、それ以上に彼はあまりにも強く女神の寵愛を受けているように感じる。


 その証拠に、彼は女神が新たに生み出した力。

 原典と呼ばれる剣士の祝福に加え、希少な魔法士の才覚をも持ち合わせている。


(シーナに、何をさせるつもりか知らないけど)


 極め付けは、魔人と対話が出来る事だ。


 本人は全く学んだ事がないと言った。

 ならば、考えられる要因は一つしかない。


(そんなの知らない。知らないっ! 知らない!)


 彼には、その能力が与えられている。

 誰に? そんなの、考えるまでもない。


(幾ら女神様の決めた運命だったとしても、行かせない……っ!)


 ミーアは念じる。強く、強く念じる。


(こいつは、私のだ。誰にも渡さないっ!)


 脳裏に浮かぶのは、先程会った赤い髪の少女。


 本来、人には備わっていない黒い角。黒い翼。蜥蜴のような尻尾を持つ人類の敵、魔人。


 幼くはあったが、まるで神の作った最高傑作の人形。そう言える程に整った顔をしていた彼女が、言葉の通じるシーナに何を求めているのか……容易に想像出来る。


(女神様……ごめんなさい)


 そして、それこそが恐らく。

 女神エリナが彼に与えた役割なのだろう。


 それでも……。


(こいつは。こいつだけは……シーナはっ! 絶対、行かせませんっ!!)


 ミーアは決意し、シーナのシャツを強く握った。


 彼を手に入れる。

 その為なら、神に背く事も厭わない。

 

















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