第66話 動き出す物語。
「もう、誰だよ? こんな夜中に……っ!?」
扉を開いた俺は、言葉を失った。
身体がまるで石のように硬直し、半開きのままになった口の中が凄い勢いで乾いていく。
見開いた目で見つめる先。
真夜中の来訪者は月明かりを浴び、長い銀髪を風に揺らしていた。
「嘘……だろ?」
ありえない、ありえない。
何故、お前がここに居る?
「シーナ」
その美しい顔に微笑を浮かべ、こちらを見つめているのは俺がよく知る女の子だった。
最後に見た、華奢な身体に豪華な鎧を纏った姿。
本当に良く知る声で、彼女は俺の名を呼んだ。
「ユキ……ナ?」
震える唇で名を呼んだ俺は、気付く。
彼女の大きな瞳から、宝石の様な輝きが失われている。
冷たく暗い、そんな印象を受ける瞳。
「お前、その目は……まさか」
お前も魔法薬を飲んだのか?
同じ虚ろな瞳の彼女は、ゆっくりと腕を上げた。
「……っ」
立てた人差し指を俺の鼻先に突き出して。
彼女は、その美しい顔に不気味な微笑みを浮かべたまま……小さな口を開く。
「次は、シーナの番」
「は……? なに?」
尋ね、瞬きをした途端……。
目の前に居たユキナの姿は、消えていた。
代わりに、見覚えのない三人が立っている。
その中央。俺の眼前に立っているのは、見上げなければならない程に高身長の男だった。
俺は油臭い鋼の胸鎧から視線を上げ、気付く。
「…………」
こいつは、俺と同じ人ではない。
見上げた先の男は、凶悪な印象ではあるが顔立ちは人だ。
しかし、その頭部が問題だった。
普通の人にはないものが生えているのだ。
獣のような耳。
左右を見れば、向かって右側の女も、左の俺より少し背が高い男にも形状こそ違うが生えている。
俺は、この獣のような耳を持つ存在を過去に見た事がある。
村を出た俺が、セリーヌの街に到着した日。
街路で奴隷として売られていた子供達と同じだ。
「魔人か」
口に出して中央の男を見上げ、鋭い瞳で睨む様に見下ろしている男を睨み返す。
気付けば、ミーアに欲情して取り戻していた感情は消えていた。
しかし、何故だ。何故魔人が、ここに居る?
ここは魔界のある東の海から、最も遠い大陸の最西端だぞ?
「……ふんっ」
見上げていた男が右へ顔を向けた。
それに倣い右を見ると、女の魔人が俺を見つめたまま、両手を後ろ腰に回し膝を地に着いた。
同じようにしろと命令している様子だな。
しかし、大人しく言いなりにはならない。
まずは対話を試みる。
「随分なご挨拶だな? 敵と認識して良いか?」
勝ち目があるとは思えない。
だが、降伏も死だ。
俺は虚勢を張り挑発した。
剣は寝室だが、魔法で呼べる。
ミーアだけでも、無事に逃さないと。
例え、この命に代えてでも。
「むっ!?」
「えっ!? 嘘……」
「っ! これは、驚きましたね……」
俺を見つめている三人の魔人達が、揃って目を丸くした。
理由は不明だが、折角出来た好機だ。
「ね……ねぇガイラーク。今、この人」
「うむ……」
「うむじゃねーよ。おい、ガイラーク。お前、この班の班長だろ? 試しに何か聞いて」
「我っ! 女神の祝福を受けし者っ!!」
この隙を逃す程、俺は間抜けじゃない。
『ブースト・アクセル』
問答無用で女神の祝福を発動。
幻覚を見たせいか、ユキナの声が頭に響くと同時、視界が遅くなる。
俺は、魔人達を睨みながら念じた。
速く、速くっ! 動け、俺の身体っ!!
敵は間違いなく、この三人だけじゃない。
その証拠に、普段は真っ暗な村の空は赤く染まっている。
宴の片付けで、篝火は全て消した筈だ。
この耳に、悲鳴が届く筈がないんだ!
「女神エリナよ、我が望むのは我が敵を貫く奇跡。貴方の子である我にその慈悲深い御手を貸し与え」
この後を考えれば、消耗は最小限に。
「その御手を汚す事をお許しください」
だからこそ。全力全開でっ!!
「貫け!」
対象は、寝室の剣。
目標は、俺の左手。
予め想定し、自分の剣には視界に映ってなくても飛ばせるよう法力を込めてある。
甲斐あって、背後から破砕音がした。
同時に振り返る。見えるのは、鞘に収まったまま寝室の古い扉を破壊して飛来してくる剣だ。
それを難なく掴んだ俺は、すぐに抜剣しようと柄を握って顔を上げ、気付く。
「……っ?」
魔人達三人が、皆。両手を向けている。
ん? 何だ? 迎え討つつもりなら、あまりにも粗末なこの動きは。
いや、それどころか……俺を宥めようとしている様にも見える。
一度。様子を見るか?
既に戦闘態勢は整えた。
固有スキルさえ解除しなければ、遅れは取らない。
「待て、待ってくれ。こちらに戦闘の意思はない。わ、我々は対話を望んでいるっ!」
「そうそうっ! だから、ねっ? 落ち着いてっ! こっちだって想定外なんだってばっ! あぁもうっ! コンシェルジェッ! あんたなんとかしなさいよっ!」
「無茶言うなっ!? な、何だよこいつっ!! 今の動きなにっ!? すげー速い! 絶対強いじゃんっ!! 無理無理っ! まじむりっ! ぼ、暴力反対っ!」
「は? 情けなっ! あんたそれでも騎士っ!?」
魔人達は、やはり俺を宥めようとしていた。
戦闘の意思はない?
こんな夜中に急にやって来て、問答無用で拘束しようとした癖に?
……舐めてんのか? こいつ等。
「ねぇシーナっ! 今のなにっ!? 何の騒ぎっ!? あ、あんたの剣が、なんか急に光って飛んで、扉を壊したんだけどっ!?」
「ミーア。来るなっ!」
背後から聞こえた声に、俺は叫んだ。
相手が戦闘の意思が無いと告げた以上、お望み通り対話に応じてやる。
だが、ミーアだけは隠さないと。
「え? なに?」
「いいから、奥に居ろ。騒がしくしたのは謝るが、心配するな。ちょっと面倒な客が来てるだけだ」
「騒がしいなんてもんじゃなかったわよっ? え、なに? その人達は」
背後を一瞥すると、ミーアは半裸のまま目を丸くしていた。
「いいから奥で待ってろ。あと肌は隠せ。俺のだ」
「あっ……ごめんなさい」
俺に言われ、下を見たミーアは顔を赤くして胸元を隠した。
どうやら自分の格好を思い出したらしい。
「早く引っ込め。絶対出てくるな」
「……分かった。でも、後で説明しなさいよ?」
「分かってる」
大人しく寝室に消えていくミーアを見送り、魔人達に向き直る。
これだけ隙を見せていたにも関わらず何もして来ない、か。
敵対の意思がないのは本当らしい。
「対話を望むというなら応えよう。こちらとしても、家を血で汚したくはない」
魔人達は、俺の言葉を聞いて互いに顔を見合わせ、安堵した様子を見せた。
「感謝する。まずは改めて謝罪しよう。この様な夜分遅くに訪問するなど、不躾にも程があると重々承知している。手荒に扉を叩いてしまった事も。知らなかったとは言え、全てこちらの落ち度である。申し訳ない」
中央の大男が、俺に頭を下げた。
「堅い堅い、堅いよガイラークっ! はぁー、こほんっ! その。お楽しみ中に邪魔して悪かったな」
「ちょっ! コンシェルジェッ! そう言うのは気付いても言わないのっ! 全く……っ!」
左の男が言った言葉に、女の魔人が慌てる。
あぁ、ホントにな。
これからミーアを可愛がる所だったのに。
こいつら、絶対許さない。
「お喋りはやめろ。代表はお前か?」
中央の大男を睨みながら、耳を澄ませる。
「あぁ」
聞こえる。それも、知った声ばかりだ。
村の皆が、悲鳴を上げている。
代表者の確認が取れたので、俺は尋ねた。
「随分と愉快な真似をしてくれてるようだな?」
「……っ! す、すまない。知らなかったのだ。まさか我々と会話が出来る者が存在するとは」
は?
そりゃいるだろ。馬鹿にしてんのか?
「は? 何を言って」
「メルティア様だって、あんたみたいな奴が居るって分かってたら、こんな手段取らなかったよっ! そ、それに安心してくれ。誰にも危害を加えるつもりはないんだっ! 俺達はただ、帰還するのに必要な物資とこの世界の知識が欲しいだけなんだっ!」
「そうですっ! 私達はただ、貴方達と……この世界の人間と話をしたいだけなんですっ!」
えっ。こいつら、何を言ってるんだ?
まるで、俺以外の人間は誰も魔人の言葉を理解出来ないような言い方だな。
「……ねぇ、シーナ」
不意に背後から名を呼ばれて、俺は振り返った。
すると服を着たミーアが、俺に信じられないと言った表情を向けていて。
「ミーア?」
「ねぇ……ねぇ、シーナ? 面倒な客って言ってたけど……そいつら。もしかして……魔人、よね?」
誤魔化しても仕方ないか。
正直に言って、さっさと退かせよう。
「あぁ、そうだ。でも心配すんな。ここは俺がなんとかするから、お前は」
「ねぇ、シーナ。なんで、あんた……魔人と同じ言葉を話してるの? なんで、話せるの? ねぇ……ねぇ……っ? シーナ」
取り乱したようなミーアの言葉に、俺は驚いた。
「あんた、今。なんて言ったの……?」
「え、いや。俺は普通に……」
「普通に、なに? 普通に魔人の言葉を話してたの?」
……え。 どういう事だ?
俺は、自分の知らない言語を話した覚えはない。
何が起こってるんだ?
「……おい」
「っ? あ、あぁ。なんだ?」
混乱しつつも、俺は一度ミーアから視線を外す。
「お前達の主。この馬鹿騒ぎを指揮している、そのメルティアとか言う奴に会わせろ」
「! あぁ。分かった。しかし、良いのか?」
「当たり前だ。所詮下っ端のお前達と話しても時間の無駄だ。直接文句を言ってやる」
「ひゅー、言ってくれるねぇ」
「ちょっと、茶化してるんじゃないわよ」
「茶化してなんかいねぇよ。所詮下っ端ってのは事実だしさ。でもな、あんた。多分ガイラークの言った良いのか? ってのは、そっちの彼女を放っておいて良いのかって意味だと思うぜ?」
「分かってる。行く前に、少し時間を貰いたい。待ってろ。奥で準備をして来る」
武装をして、ミーアに逃げるように伝える時間が必要だ。
「いや。悪いが、それは認められない」
大男に言われ、俺は目付きを鋭くした。
「何故だ? 外は冷えるだろ。こんな格好で出たら風邪を引くだろうが」
「お前が逃げないと言う保証が」
俺は、大男の首元に剣を振るった。
勿論、寸止めだ。
異能を発現した俺の剣は、常時の十倍は速い。
どうやら、目で追えなかった様子だ。
脅しにはなるだろう。
「そうか。なら殺し合うか? 今、ここで」
「……速い、な」
三人共、明らかに怯んだ様子だ。
口を開けずにいる。
「どうする? そっちも信用出来ない相手を拘束もせず、自分の主に会わせられないだろ?」
「……拘束するつもりはない。しかし」
「俺に武装されるのは困るか? でもな、こっちは生まれ故郷を人質に取られてるんだ。逆の立場になって考えてみろよ」
尋ねるが、大男は答えない。
代わりに口を開いたのは女の魔人だった。
「ガイラーク、良いじゃない。彼がそれで満足するなら、待ちましょう」
「……いや。しかし」
「大丈夫よ、信じましょう」
真剣な表情の女の魔人に言われ、大男は小さく息を吐いた。
「分かった、待たせて貰う。コンシェルジェは先に戻って報告して来い」
「えっ。俺も休憩したいんだけど」
「いいから戻れ。戻って、ジャスパーの馬鹿を見張っておけ」
「あー」
納得した様子で、若い男の魔人は俺を見た。
「分かった。折角、穏便に済みそうなんだ。台無しにはさせねぇよ」
「頼む」
会話の意図は分からないが、気には留めない。
俺はさっさと踵を返し寝室に向かった。
「余りに遅ければ声を掛けさせて貰うからな」
「必要ない。すぐに済む」
扉の壊れた寝室に入り、剣を壁に立て掛けてからシャツを脱ぎ捨てる。
「ねぇ、シーナ。どういう事? 何がどうなってるの? な、なんで魔人が……?」
近付いてきたミーアが不安気に言った。
俺は構わずズボンを脱ぎながら応える。
「ミーア、俺は今から奴等の主と話をしに行く」
「話って……まさか魔人と? 何人いるか分からない敵のど真ん中に、たった一人で行くつもりなの!?」
「煩い。ミーア。よく聞け」
「……っ! 嫌っ!」
一度手を止め、ミーアの目を見つめる。
すると、流石に察したらしいミーアは叫んだ。
だが、今回ばかりは我儘を聞くつもりはない。
「いいか、ミーア。俺が出たら、お前は馬まで走れ。逃げるんだ」
「嫌っ! そんなの絶対嫌っ!」
「頼む。今回だけは聞き分けてくれ」
「嫌よっ! あんたを置いて、見捨てて逃げるなんてっ! それなら私も行くわっ!」
とんでもない事を言い出したミーアを睨む。
「たまには言う事を聞けよ。街に行け。あとで迎えに行くから」
「うそつきっ! 無事で済む確証なんてない癖にっ!」
勢い良く抱きついてきたミーアを抱き留めると、彼女は俺の胸をポカポカと軽く殴り始めた。
何も着ていない俺の肌に、ミーアの体温が。
小さな拳の衝撃が直に伝わる。
「あんたはいつもそうっ! 私に隠し事ばっかりじゃないっ! なんで、なんで黙ってたのよっ!」
「何をだよ」
「だって、そうじゃないっ! あんた、魔人の言葉を話せるんでしょっ!? 今来てる魔人達の事、知ってるんでしょ!? に、逃げろって事は……あ、あんた、戦うつもりなんでしょっ!?」
「別に隠してない。俺だって知らなかったんだ」
「嘘! そんな訳ないじゃないっ!」
そんな訳ない、か。
俺も逆の立場だったら信じられないだろうな。
「本当だよ。俺には、魔人と話してる時も。お前とこうして話してる時も、同じ言語を王国共通語を使ってるつもりなんだ。だから、魔人と人の言語が異なるなんて、本当に知らなかった」
人と魔人の扱う言語が違う。
なんでそんな常識的な事すら、俺は知らなかったのだろう?
これでも結構、情報収集は頑張ってたつもりなんだけどな。
「嘘……じゃあ本当に、知らないの? なんで魔人が、ここに居るのか」
「知らない。だから、それを聞きに行く」
俺はミーアの両肩に手を置いて優しく引き離し、彼女の濡れた瞳を見つめた。
「……必ず、迎えに行くから。だから頼むよ、ミーア。逃げてくれ。俺、お前を失うのだけは耐えられそうにないから」
顔を近づけると、ミーアは察してくれたらしく目を瞑った。
俺はそんな彼女の唇に自分の唇を重ねる。
少しの間そうして、離した。
彼女が目を開いた瞬間。俺は微笑んで見せた。
「こんな俺を好きになってくれて、ありがとう。俺は……俺も、お前が好きだよ」
「へっ……?」
それはきっと、感情を捨てなければ既に出ていた筈の答え。
先程僅かな間だけ取り戻した俺は、ミーアを愛おしく感じていた。
嘘つき。そう呼ばれた俺だが……俺は一度もミーアに嘘を吐いた事はない。
「愛してるよ、ミーア。だから、逃げてくれ」
最後にそう言って、俺はミーアから離れた。
着替えを再開すると、ミーアは床に座り込む。
「なんで。なんで、今なのよ……卑怯者」
辛そうに告げられたその言葉に、俺は何も言い返す事が出来なかった。
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