第64話 認める気持ち

 気が付けば、俺は暗闇の中に居た。


 仰向けに寝転がっている。

 目が覚めたばかりなのに、目が冴えていた。


 大きく息を吸う。

 埃と木。酒の匂いがした。

 そして、甘い香り。


 手を動かし、甘い香りを放つ女の子に触れた。

 彼女は、生意気にも俺の腕を枕にして、安らかな寝息を立てている。

 その癖のある髪に指を絡め、頭を撫でる。


「ん……起きた? シーナ」


「あ。悪い、起こしたか?」


「大丈夫よ、起きてたから」


「そうか。もう寝ろ、俺も寝直す」


 闇の中で姿は見えないが、感じる熱は心地良いものだった。 

 酒も残っている。すぐに寝付けるだろう。


 目蓋を閉じると、そっと頰に熱が触れる。


 ……全く、仕方ない奴だ。

 まだ寝かせる気はないらしい。

 そんなに甘えたいなら、仕方ないだだだ。


「いだだだだだっ!?」


 頬を強い力で引っ張られて、閉じた目蓋を開く。

 すると頰に触れていた手が離れ、彼女が寝台から降りる気配がした。


「いてて……何するんだよ」


 尋ねるが、返事はない。

 代わりにマッチを擦る音が聞こえてきた。


 机上の蝋燭に火を灯した彼女は、明るくなった室内で振り返り、光を背にこちらをジッと見下ろしている。


 その瞳を。表情を見て、俺はすぐに悟る。


 ……随分とご立腹な様子だ。


「ミーア? どうした……?」


「私は怒ってるわ」


 静かな寝室に、凛とした声が響いた。


「見れば分かる。どうした?」


 尋ねると、ミーアは「ふん」と鼻を鳴らした。


「あんたは何もしてないわ。だから怒ってるのよ」


「はぁ? 意味が分から」


「でも勘違いしないで。私が怒ってるのは、あんたにじゃない。私自身によ」


 じゃあ何で俺の頬を引っ張ったんだ。

 理不尽だろ。


 普段通り喉まで出掛けた言葉を飲み込む。


「聞いてやるよ。何が不満だ?」


 尋ねると、ミーアは自分の腕を抱いて俯いた。

 暫くの間、黙り込む。


 俺はジッと、彼女を見つめていた。


 ミーアは、ポツリと漏らした。


「ここに来てから、私。あんたの事。何も知らないんだって、思い知らされちゃったのよ」


「なんだそれ、どういう……ぐっ!」


 突然。ミーアは、俺に飛びついて来た。

 俺の腹部を跨いで腰を下ろした彼女を、俺は見上げる格好になる。


「おい。何を……」


 顔の左右に両手を付いたミーアは、髪を垂らしながら顔を寄せて来た。

 彼女の髪に顔や首を擽られ、こそばゆい。


 ……綺麗な瞳だ。


 至近距離で見つ合う。

 彼女は、真剣な表情でジッと俺を見つめている。


「だから、今更だけど知ろうと思うの。私が、好きな人の事を」


 そんな前置きをしてから、ミーアは緊張をほぐす為か、一度。俺の唇を啄んだ。

 チュッと、唇が触れた音がした。


「ユキナって、誰?」


 ミーアは、照れた様子もなく。

 ただ、一言。静かな声で尋ねてきた。


 俺が、最も彼女に知られたくなかった名前を。


 わざわざ前置きをしたのは、逃げ道をなくす為だったのだろう。


「ユキナ、特に珍しい名前じゃないわね。よくある名前だわ」


「…………」


「あぁ、そう言えば。剣聖様の名前もユキナだったかしら。確か、剣聖様は平民。それも凄い辺境の小さな村の出だったわよね」


「そうだな」


「それも、彼女が成人の儀で女神様に選ばれたのは、この村から一番近い街であるセリーヌ……私ね、以前。一度貴方に聞こうと思っていたの。私だけじゃなくて、他の皆もよ。シーナ、貴方は剣聖様と同じ日に、同じ場所で成人の儀を受けた筈よね? だから貴方は、冒険者になった。剣士に憧れたんじゃないのかって」


「やめてくれ」


 ミーアから目を逸らし、俺は呟いた。

 もう、観念するしかなかった。


「いやよ、やめない。貴方が自分から話してくれるまで、私は待つわ」


「おじさん達から、全部聞いたんだろう?」


 宴会の最中。ミーアは、広場の隅にいた。

 ユキナの両親。あの二人に、何か吹き込まれたのは間違いない。


 ミーアは、追及をやめてくれなかった。


「私は、あんたから聞きたいのよ。見ず知らずの他人からじゃなくて、あんたの口から、あんたの事を」


 横を向いたままミーアを盗み見る。

 彼女は未だ真剣な表情のままだった。


 ……話すしか、ないよな。


「あの二人は、ユキナの両親だ。剣聖ユキナは、この村で生まれた」


「そう。それで? あんたは剣聖様とどんな関係だった訳?」


「幼馴染だよ。ずっと一緒に過ごして……俺は、あいつが」


 そこで言葉を一度切った。

 俺は、ミーアの瞳を見つめる。

 

 ちゃんと、言うべきだと思った。


「ずっと好きだった」


 その言葉を口にすると、ミーアの瞳が揺れた。

 互いに黙り込んだまま、俺達は見つめ合う。


 そのまま……長い時間が過ぎた。


「……そう」


 静寂を破ったのはミーアだ。

 彼女がそうしてくれるのを待っていた俺は、卑怯者だ。

 彼女は、少し俯いて。暗い表情に変わった。


「ごめんなさい、シーナ。私、全部聞いたのに。全部知ってるのに……嫌な奴ね、私」


「良いんだ。もう、何とも思ってないから。全部、終わった事なんだ」


 少しだけ微笑んで見せ、俺はミーアの頰へ手を伸ばした。

 すると彼女は、自分の頰に触れた俺の手をそっと両手で包んで。


「私ね。あんたが偶に辛そうな顔でボーッとしてるのか、ずっと気になってた。最近はそんなことも無くなったから忘れてたけど……ようやく分かったわ。剣聖様を想っていたからなのね」


「もう、その話はやめてくれないか。忘れたいんだ。やっと、区切りが付いた所なんだ」


「……分かった。あんたがそう言うなら、やめる」


 俺の願いに応えてくれたミーアは、申し訳なさそうな顔でそう言った。


 気を遣わせてしまったな。

 変に引き摺らせないように謝っておくか。


 ミーアは俺に恋をしてくれている。

 こんな話、知りたくなかった筈だ。


「ありがとう。それに、ごめんな」


 左腕を伸ばし、彼女の肩を掴んで抱き寄せる。

 ミーアは、抵抗しなかった。

 それどころか。倒れ込んだ途端。俺の胸に頰をすり寄せ、深呼吸をして……甘えた態度を見せた。


 暫く。互いに黙ったまま、時間が過ぎた。

 抱き寄せたミーアの頭を撫でて、甘やかす。


「ところで、シーナ」


 胸元から俺を見上げて来たミーアは、じっと俺を見つめて言った。


「なんだ?」


「あんたさ」


 俺は、彼女の頭を撫でながら言葉を待った。


 この際だ。もう何でも答えてやる。

 今後も、彼女に隠し事は無しにしよう。


 そう思っていた俺は、


「元カノと、私。どっちが可愛いと思う?」


 彼女の言葉に、言葉を失った。

 こいつ、なんてことを聞きやがる。


「…………」


「あぁ、そうそう。その元カノとは、どこまで経験したのかしら?」


 俺の手を頭に乗せたまま、ミーアは睨み付けてくる。

 光のない瞳が何を訴えているのか、分かってしまうのが辛い。


 こんな脅迫の仕方があったとは……。


「ま、どっちが可愛いかは悔しいけど負けにしといてあげる。剣聖様……ううん。あんたの元! 彼女は、誰もが一目見た途端、息を飲む程に美しい容姿をされているそうだからね。幾ら美少女の私でも流石に劣ってるんでしょ?」


 あ。良かった。

 なんか、勝手に折れてくれた。


 残念ながら、容姿はユキナの方が美しい。

 それは事実だ。言い辛かったから助かった。


「でも、そんな彼女……元! 彼女に。あんたがどんな粗相をしていたのかは気になるわ。道理で初めての癖に、キスが上手いと思った」


 なんか、やけに元を強調してくるな。

 ミーア的に、譲れないらしい。


「ちなみに、私は全部初めてよ。キスも、こうやって一緒に寝るのも。抱き締めて頭を撫でて貰うのも。家族を除けば、あんたが初めての男だわ。ね? 怒らないから、正直に言って。私はあんたを最初で最後の男にするつもりなんだから、それくらいの権利はあるでしょう?」


 瞳の訴えを言葉にした彼女は、俺のシャツの襟首をギュウと握った。

 苦しい……。


「ごほっ。別に、お前には関係ないだろ。もう過去の事だよ」


「嫌よ、気になるわ。だって悔しいじゃない。こんなに大好きで、必死に想いを伝えてるのに中々振り向いてくれない男が、実は昔は恋人が居て大事にしていたなんて聞かされたのよ?」


「それは」


 確かに、酷い話だと思った。

 俺は知らない間に、この子を傷付けていたらしい。


「だから、それ以上の事をさっさと済ませる為にもこれは必要な事なの」


 ……ん?

 流れ変わったな。


「いい? シーナ。あんたの一番は私。これからは、ずっと私だけじゃなきゃ駄目なんだから」


「……お前。今、すげー恥ずかしいこと言ってる自覚あるか?」


 尋ねると、ミーアは分かりやすく狼狽えた。

 しかし、目には確かな決意が浮かんでいる。


「っ! い、良いのよっ! あんたが私の彼氏になったら、もっと恥ずかしい事いっぱい言うし、するんだもん!」


「おい。なに言ってんだ、お前」


 やはり最近のミーアはおかしい。

 どうやら彼女は、初めての恋でおかしくなってしまったようだ。


「うぅ……! ん……ん……っ!」


 一応。自分で吐いた言葉が相当恥ずかしいものだと言う自覚はあるらしい。

 ミーアは、かぁぁ……と赤らめた顔を隠すように俺の胸に頬擦りした。


 ……どうしよう。可愛い。

 身体が火照ってきた。


 恥ずかしがっているミーアは、とても魅力的だ。

 元を知っているだけに、余計に……。

 凄く可愛いと思う。


 許されるなら、今すぐ彼女を組み伏せたい。

 そして、望み通りにしてやりたい。

 そう思うのは、男として普通の思考だろう。


 ……正直に、言おう。


「……手を繋いだだけだ」


「えっ? へっ?」


「あぁ。あと、お前と今。こうしているみたいに。一緒に寝ていたくらいか」


 最後にユキナと共に寝たのは、成人の儀の前日。


 帰って来たら、結婚しよう。

 そう言うと、彼女は嬉しそうに頷いて、


『帰って来たら……今まで我慢して来た事、沢山しようね』


 恥ずかしそうにしながら、そう言ってくれた。


 お陰で興奮して中々寝付けなくて、早く明日にならないかな。明日の夜は遂にユキナと……なんて考えて。


 でも、待ち望んだその時は永遠に訪れなくて。

 俺はそのまま、ユキナを失った。


「他には、膝枕をして貰ったり、とかはあった。後は互いに大人になるまで、我慢しようって約束してさ。だから、キスをした事はない。勿論、それ以上の事もだ」


「それって……じゃあ、つまり」


 至近距離で見つめてくるミーアの瞳は、期待で満ちていた。

 嫌でも、凄く喜んでいるのが分かる。


「うん。お前が初めてだ」


「そうなんだ……っ! えへへっ♡ しーなっ!」


 期待に応えてやると、ミーアは俺の名を呼んで唇を重ねてきた。


「ん……♡ ん……っ♡」


 更には、口の中に舌が侵入してきた。

 その舌は俺の口の中を容赦なく蹂躙してくる。


「んっ……ちゅっ……はっ。れろっ……んぁっ」


 仕方なく舌を絡めてやると、ミーアは俺の首に腕を回して力強く抱き締めてきた。

 もう離さない、そんな強い意志を感じる。


 ぴちゃ、ぴちゃ。

 静かな部屋に響く水音が、妙に生々しく感じた。


 ……やばい、気持ち良い。


 キスを始めた時は目を閉じたが、観念して俺は目を開けた。


「れろっ。んっ……はっ、ちゅっ……んはっ」


 至近距離で見るミーアの顔。

 彼女は目蓋をギュッと閉じたまま、必死で俺の口を貪っている。


 本当に健気で、可愛い女の子だ。

 こいつなら、良いのかもしれない。


 確かに今の俺は、彼女を愛せない。

 しかし、所詮は薬だ。いずれは治ると思う。

 実際、強い衝撃を受けると失った筈の感情を取り戻す時もある。


 その証拠に、今は……目の前の女が愛おしい。


「んんっ!?」


 もう認めよう。

 俺は、ミーアが好きだ。ずっと一緒に居たい。

 だから、共に旅をしようと言ったんだ。


「んっ……! ちゅ……はっ!」


 薬の効力さえちゃんと消えてくれていれば、俺はもっと早く自分の気持ちを認めていた。

 こんなにも俺を求めてくれる彼女を待たせずに済んだ。


 それどころか、とっくの昔に我慢出来なくなっていたに違いない。


 なら、もう良いじゃないか。

 彼女は傍に居てくれるだけで良い。

 傍に居たい。ミーアは、そう言ってくれてるんだから。


 つまらない意地を張って、後悔するのはもうやめよう。


 その証拠に。俺の身体は、こんなにも彼女を求めている。


「あっ……! きゃっ!」


 上に乗っていたミーアと身体を入れ替え、押し倒す。


 そんな俺のとある変化に触れた事に、彼女は気付いたらしい。


 唇を離すと、俺の顔をじっと見つめた彼女は、恐る恐るといった様子で俺の下腹部を見下ろした。


 俺の首に回していた腕を解いて、そこへ手を伸ばしたのだ。


「んはっ……!」


 触れられた感触は想像以上で、背筋にゾクッとした感覚を覚える。

 

 ぐ……この。淫乱女。


「馬鹿……なにするんだよ」


「……あっ。ごめんなさい。でも、嬉しい」


 眉を寄せ、苦言を言った俺の顔を見つめて、ミーアは真っ赤な顔をふにゃっと破顔させた。


 初めて見る表情だ。

 でも。それは、とても愛らしくて。


 一瞬。脳裏以前見た彼女の裸が映った。

 鎖に繋がれ、憔悴した姿のミーアが。


 ……待て。駄目だ。

 この汚い欲望を彼女にぶつけては駄目だ。


「っ! いや。悪い。お前、あんな酷い目にあったばかりだってのに、俺……どうかしてる」


 理性を取り戻した俺は、自分を恥じた。

 そうだ。ミーアは辛い目に合ったばかりで……。

 

「いいよ」


 こんな風に、甘えた声を出す訳が、なくて。


「……は? いいって」


「しよ? シーナ♡」


 真っ赤に染まった顔。

 目尻に涙を溜め、甘えた声で誘ってくるミーアから、俺は目が離せなくなった。


 やばい、鼻息が荒い。気持ち悪いな、俺。


「あ。いや、駄目だ。ホントなに言ってんだお前。だって、まだ恐い夢。見てるん……だろ?」


 今の俺、本当に気持ち悪いなっ!


「無理なんてしてないわよ」


 自己嫌悪で死にたくなっていると、ミーアは両手を伸ばして頬に手を添えてきた。


「寧ろ。塗り替えて欲しい。私を、あんたで一杯にして欲しいの」


「俺も、男……だぞ?」


「そうね。でも、あんたは特別だって言ってるでしょ? ね? シーナ。一杯触って?」


 ミーアは俺の腕を掴むと、自分の胸に誘った。


 ふにゅっと、小さいながらも確かな感触が、熱が、薄い布越しに確かな存在感を主張してくる。


「んっ……」


むにっ。


「んあ……っ♡」


 なんだよ、これ。

 なんだよ。『んあ……♡』ってっ!

 なんでだ?

 なんで、こんなに小さい癖に柔らかいんだ?


「あっ♡ はぁ……シーナ。私、今凄く満たされてる。あんたの初めてのキスの相手が私だって知って、凄く。すごーく嬉しいの。だからね、シーナ。他も全部、全部あげる。私の残ってる初めて、全部あんたのよ。これからは、全部ぜーんぶ、あんたのものよ」


「……後悔、しないか?」


「女が良いって言ってるの。応えなさいよ」


 媚びるような表情。甘え切った声。

 俺の頭の中が、ミーアで一杯になっていく。


 あぁ、この子を。無茶苦茶にしたい。


 …………。


 いや、駄目だ。俺じゃ、駄目なんだ……。

 こいつは、もう沢山苦しんだ。

 これからは、幸せになって欲しいんだ。


「駄目だ。俺じゃ、お前を幸せに出来ない」


「へっ? は、はぁ? 何言ってるの? 私、今。これ以上ないくらい幸せなんだけど?」


 甘えた声が、必死に俺を説得してくる。


「好きな男が、自分の身体で興奮してくれたのよ? こんな幸せな気持ち、久しぶりだわ」


「何でだよ。男なんて、気持ち悪くて大嫌い、じゃなかったのか」


「だから、あんたは特別なのっ!」


 じっと俺を見つめながら、はっきりと言うミーア。そんな彼女が愛おしくて、俺は唇を強く噛む。


「ねぇ、シーナ? 私じゃ駄目? 私に、あんたの赤ちゃん。生ませて?」


 あぁぁ……駄目だ。やめてくれ。


 嬉しい、嬉し過ぎる。

 でも、駄目だ。俺は、俺じゃ駄目なんだ。


 久々に働いた感情は、加減というものを忘れてしまったらしい。

 お陰で頭の中がぐちゃぐちゃだ。

 思考が、纏まらない。理性が吹き飛びそうだ。


 どうして。

 どうして、こうなった? 

 誰か、助けてくれ。本当に勘弁してくれ。


「ね? ちょっと退いてくれる?」


「え。あ、あぁ。悪い」


 必死に自分を押さえ付けていると、突然。冷たい声がした。

 それは、甘かった雰囲気を容易く壊してくれる。


 いや、もう壊れていたのか。

 俺のせいで。感情が少し戻ったとはいえ、以前より鈍感になっているようだ。


 言われた通り抱き伏せていたミーアの上から横に退く。

 すると、彼女は身体を起こして着ているシャツの裾を掴んだ。


 そしてバッと。

 バッ……っと?


「えっ!? はっ? お、お前。お前なにしてんのっ?」


 白い肌を見て、俺は慌てて横を向いた。


「? なにって? 服を脱いでるのよ。だって邪魔でしょ?」


「邪魔って、邪魔なわけないだろ! いやだって、いや、お前。女が簡単に、肌を」


「なに照れてんの? こっち向きなさいよ」


「晒すものじゃ……ない」


 頬を掴まれ、ぐいっと首を回される。

 向いた先は勿論、上半身の肌を露出させたミーアだ。


 あ……綺麗だ。って、違う!


 ま、不味い……不味い不味い!


 本格的に感情が戻って来た。

 久々過ぎて「やぁ!」って挨拶されてる気分だ!


 胸が煩い。

 なんだ、なんでこんなにドキドキするんだ。

 こいつの裸なんて、もう見ただろ! 


 そうだ。考え直せ。相手はあのミーアだぞ!

 乱暴で口が悪くて、全然素直じゃない。

 そんな、可愛くない女だ。

 落ち着け、俺。ここで流されたらシーナ、お前は一生この女に虐げられる不幸な人生を。


「……っ! ば、ばか。えっち」


 ……送っても、良いかもしれない。


 寧ろ、それだけで彼女が手に入るなら、お得なのではないだろうか。

 唯一の懸念事項だった感情も、問題なさそうだ。


「それは、ふー。こっちの、ふぅ……台詞だ」


「そんな顔でなに言ってんの? 意地張るならもう少し頑張りなさいよ。鼻息、荒過ぎ。目も血走ってるわよ」


 俺は一体、いつからこんな無様で醜い人間になってしまったのだろう。


「だってお前、黒って……幾ら冒険者だからって、それは冒険し過ぎだろ。下手したら死人が出るぞ」


 ミーアの下着は、絶対に普段使いではないと分かる代物だった。

 布が少な過ぎるし、なんかフリフリしてるのだ。

 一目で高価な物だと分かった。


 それは、彼女を探している時。

 彼女の宿で見た下着と同じものだ。


こいつ、俺が寝ている間に予め準備していたな?


「そ、そうかしら? やっぱり、やり過ぎ?」


 つまり、彼女の好きな人。

 下着を見せたかった男は、俺だと言う事で。


「だからその顔やめろ。自分でやっといて今更恥ずかしがるな」


 俺には彼女を滅茶苦茶にする権利があるわけで。

 あつぅ……顔から火が出そうだ。


 どうしよう。好きだ。好き過ぎる……。

 愛おしくて、愛おしくて堪らない。


「待ってろ。今、理性を取り戻すから」


「理性を取り戻すって……あっ。え、いや。べ、べべべ別に? 良いわよ? ほら」


「やめろ、近づいて来るな。離れろ」


「なによ、今の私。そんなに酷い?」


「あぁ酷いね。凄くえっちだ。このどすけべ!」


 あぁ、たまらん。

 ……もういいや。

 俺、こいつで良いわ。腹括った。


「えっち? どすけべっ!? な、なに言ってんのよ、全部あんたの為でしょ! それにしても……ふ、ふふっ! 随分苦しそうじゃない。ふへっ♡」


「俺はそんな事を頼んだ覚えはない! あぁ死ぬ、ほんとに死にそう……」


「あ……こ、こほん。死なれるのは困るわね。だからほら、ここからはあんたがやりなさいよ。ほ、ほらっ♡ ほらっ♡」


「腕を広げるなっ!」


 両手を広げてグイグイ近づいて来るミーア。

 白い肌。甘い匂いに目眩がする。


 痛い痛い、もう無理。ズボン脱ぎたい。


(ふふっ……どう? シーナ。幾らあんたでも私程の美少女にこの匂いを嗅ぎながら言い寄られたら我慢出来ないでしょっ? あんたを落とす為にずっと付けてた私の努力と苦労を思い知ったかしらっ! こっちだって、もう色々限界なのよっ! ティーラの馬鹿、ちょっとこれ強過ぎよ!)


 あ。ミーアの目、トロンとしてる。かわいい。


 ミーア可愛い。可愛い、可愛い……可愛い。


「きゃっ♡」


「ん……」


「あ……んちゅ……あっ!」


 もう良いや、抱こう。

 責任取れば良いよね。

 よし、次の目的地はミーアの実家だ。

 俺、このどすけべ猛獣から生きて明日を迎えられたら、ミーアのご家族に挨拶するんだ。


 そして、それが終わったらすぐに旅に出よう。

 国中を見て回るのは変わらないが、目的は変更だ。

 ミーアに子供が出来るまで国内を回って、住む街を探そう。

 

 気付けば俺は、ミーアを押し倒していた。

 何度も感度も、唇を貪っていた。


 そうして。

 一度やめた俺は、彼女の耳元で囁く。


「ミーア。いいか?」


「! うんっ!」


 最終確認をすると、ミーアは嬉しそうに頷いた。

 そんな彼女の耳をぺろっと舐める。


「あっ……♡」


「本当に、俺で良いんだな?」


 もう一度意思を尋ねると、ミーアは真っ赤な顔を隠しながら俺を見て。


 こくん、と頷いた。


「そっか。それじゃあ、するな?」


 間違えても乱暴だと思われないよう、手をゆっくりとミーアの肌へ近づける。


 やばい、鼻息が。鼻息が凄い。

 我慢出来ない。なんて、なんて……なんで、こんなに綺麗なんだ


 これでは俺もあの連中と変わらないではないか。


 もうそれでも良い。

 早く、この邪魔な布を取り払ってしまいたい。

 今は、それしか考えられない。


「待って」


 そろりそろりと近付けていた手が、俺を魅了する悪い布に触れた途端、ミーアに掴まれた。

 

 えっ。ここまで来てお預け……だと?


「はぁ、はぁ……な、なんだよ。やっぱり嫌になったか?」


 しかし、それも無理はない。

 今の俺は、ミーアの嫌う凄く気持ち悪い男を体現しているのだから。


 やっぱり無理、なんで言われるのだろうか。

 そんな事、ミーアに言われたら……また引き篭もるぞ? 俺。


 しかし、そんな心配は杞憂だった。

 首を左右に振ったミーアが口にしたのは、


「違うわ。ただ、私。まだあんたから聞いてない事があるの」


「聞いてない事?」


「うん。私まだ、あんたから返事。貰ってない」


 返事? あ、あー。告白の返事か。


「なんだよ今更。わざわざ言わなくても分かるだろ?」


「嫌! ちゃんと言ってっ! じゃなきゃ、お預けなんだからっ!」


「ぐっ……」


 そんな……。


 でも、お預けって言い方。良いな。

 なんか、凄いドキドキした。


「ふふん。あ、その前に……ねぇ、シーナ」


「……なんだよ」


「私と元、彼女。どっちが好き?」


 こ、この女。

 ホントに、なんて事を聞きやがる。


 そんなの、十五年も一緒に過ごした……。


「ほらほら、早く答えなさいよ。どっちが可愛い? どっちの方が魅了的?」


「あ、いや……それは。なんでそんな事、気にするんだよ」


 尋ねると、ミーアはじっと俺を見つめながら言った。


「当たり前じゃない。私、あんたの一番じゃなきゃ嫌だって言ったでしょ? 他の女と比べられながら抱かれるなんて屈辱、絶対に嫌よ」


 成る程。

 ちゃんと決着つけないと、ここまで来てお預けか。

 それは無理だな。


「勿論、お前の方が魅了的だよ。正直、こんなに胸が苦しいのは初めてだ。ユキナなんて、お前に比べたら全然可愛くないよ」


 自然と口を突いて出た言葉だった。

 母さん、ごめん。俺、また嘘を吐いちゃったよ。

 自分でもびっくりする程、俺は今。最低な嘘を言ったと思う。


「……っ!! ホント? ホ、ホントにっ!?」


「うん。お前の方が断然可愛いに決まってるだろ」


 でも、他の男に汚された幼馴染ユキナより、触って良いと言ってくれる可愛い彼女ミーアの方が大事なのは本当だ。


 理由は他にもある。

 ユキナは実は男だと言われても疑えるくらいには胸が板みたいだった。


 対し、目の前にあるのは、諦めていた柔らかい感触。

 ミーアの方が俺には理想的な女性だ。


 現に今、俺が夢中なのはミーアである事は確かな事実なのだから。


「そ、そうなんだ……ふふふ、残念だったわね元! 彼女さん。へへへっ、もうシーナは私のものよ、うひひっ。私……あの剣聖に勝っちゃった。うへへへへっ♡」


 俺の答えを聞いて、ミーアは喜んだ。

 だらしない顔だ。

 とても普段の彼女からは想像出来ない。


「ねぇ、シーナ、私も。もう我慢出来ない。だから早く、早く返事を聞かせて? ね? 早く一杯イチャイチャしよ?」


 両手を広げ、俺をいつでも迎え入れられるような格好になったミーア。それを見て、俺はごくりと唾を飲んだ。


 もう、ユキナなんてどうでも良い。

 俺はこの子を大切にしよう。


「ミーア、ありがとう。俺も。お前がだいす」


 ……ドンドンドンドンドンッ!!!


 突然の爆音に驚いて、俺達は二人とも跳ねた。

 慌てて音のした方を見る。玄関の方だ。

 誰かがこの家の扉を叩いているらしい。


「なんだよ。今、大事なところなのに……」


 俺の生涯で、間違いなく一番大事な瞬間だ。

 邪魔されて堪るか。


「こんな時間に、誰かしら? 随分慌ててるみたいだけど……シーナ、ちょっと出て来てくれる? 私、こんな格好だから」


「え? 別に良いだろ。寝てることにすれば。それより、ミーア。もう一度始めから」


 ドンドンドンドンドンッ!!


「うるせぇな! 何なんだよっ!」


 感情を取り戻している今、自分でも驚く程イラついていた。

 よくも邪魔してくれたな。

 もう少しだったのに! やっと決心したのに!


「シーナ、やっぱり先に出た方が良いわよ。もしかしたら、お義父様の容態が急変したのかもしれないわ」


 諭されるように言われて、俺は冷静になった。


「あ。確かにそうかもな……仕方ないか」


 頭をガリガリ掻きながら、俺は寝台を降りた。


 くそっ、父さんめ。せめて他の日にしてくれよ。

 これであっさり死んだら、許さないからな。


「出てくる。戻ったら覚悟しとけ。今夜は寝かさない」


「……! はい……♡」


 とろん、と蕩けた顔でミーアは頷いた。

 こいつが俺の嫁になるのか。

 ふふふ……やばい。にやにやしちゃう。


 ドンドンドンドンドンッ!!


「あーはいはいっ! 今開けるからっ! ったく、誰ーっ!?」


 急いで寝室から出て、居間に向かう。

 

 ホント、誰だろう? 

 そんなに急ぎの用なら、普段は勝手に入って来る筈だ。

 村の皆に遠慮はない。

 

 不思議に思いながら扉を掴み、開く。





 これが、俺の歩んだ旅路。

 その本当の始まりなのだとも知らずに。


































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