第59話 大好きの告白。
「…………」
冒険者ギルド、セリーヌ支部。
一階のロビーに併設された酒場の一席で、俺は魔法教書に目を落としていた。
「シーナ」
聴き慣れた声に顔を上げると、金髪の美少年が立っていた。
赤い瞳がこちらを見下ろしている。
「はい、果実水。レッドベリーで良かったよね?」
「ありがとう、アッシュ」
差し出された木製の杯を受け取り、口を付ける。
ん……思ったより酸っぱいな。
「それ、魔法の本かい?」
「ん? あぁ」
「ミーアに聞いたよ。最近の君は、暇があればそれを読んでるって」
「会ってたのか、あいつと」
「毎日ね。あ、何も心配しなくて良いよ。ローザのお見舞いだから」
この野郎。澄ましやがって。
如何にも、僕は何でもお見通しさって顔だ。
悪いが、それには乗らないぞ。
「思い知らされたからな」
「え、何を?」
「人は弱い」
魔法教書を閉じて机に置き、表紙に手を置いて撫でる。
「俺達、人は。力を求める為に縋らなきゃいけない。例え過去に、どんな仕打ちを受けたとしても。女神が決めた運命には、逆らえない」
「……そうだね」
俺の言いたい事を理解出来ているらしく、アッシュは下を向いて両手で握った杯をくるくる回した。
その後、彼は机の上。魔法教書に目を向けて。
「でも、抗う事は出来る。女神様は、試練もお与えになるけれど。必要な力も与えて下さるから」
……アッシュの言う通りだ。
女神エリナは、俺に多くの選択肢を与えている。
特に固有スキルと魔法士としての素養は、一番目に見えやすいものだろう。
「そう言う事だ。とりあえず、お疲れ。世話になったな」
「うん、お疲れ様。これで一応、本当の意味で一件落着……だね」
杯を差し出すと、アッシュはそれに軽く自分の杯を当てた。
そう、終わったんだ。
自由ギルド。あの忌々しい連中との決着が。
「しかし。まさか、あんな事を言われるなんてね」
今日、俺達がこうしてギルドに居る理由。
それは以前。ギルドの支部長から話があった事情聴取だ。
その為、俺達二人は朝から待ち合わせをした後、憲兵団の支部に赴いた。
やって来たのは、騎士と憲兵団の偉そうな人達。
更に冒険者ギルドの支部長に囲まれた。
ついさっき、質問責めから解放されたばかりだ。
「あまり調子に乗るな、今回は運が良かっただけだ。助けを求め、我々。騎士に任せておけば痛い思いをせずに済んだって、言いたい放題だったね」
全く似てない口調でアッシュが言っているのは、最後に騎士に言われた苦言の事だろう。
実際はもっと偉そうな口振りで、本当に好き勝手言われた訳だけど。
「気にするな。結局は、何も出来なかった奴の負け惜しみだ。ざまぁない」
「あはは、言うね。君も少しは成長したみたいだ」
「一々怒っててもキリがないからな。俺達は自分の手で解決した。誰に何を言われようと、それは事実だ。少しくらい誇っても良いだろ」
「だね」
笑みを浮かべるアッシュの顔を見て、俺は果実水を口に含んだ。
とにかく。これで、俺がこの街に居なければならない理由はなくなった。
この街への滞在は、今日で最後。
明日の朝には、次の街に向けて立つ予定だ。
荷造りも世話になった人への挨拶も済んでいる。
「……本当に、世話になったな」
大人になった日。
成人の儀でユキナを失って、嫌な思いをしたこの街で、俺は多くのものを得る事が出来た。
「うん。こちらこそ、だよ。君に会えて良かった」
「俺も、お前に会えて良かったよ。アッシュ」
「また会おうね、親友」
親友、か。悪くない。
「当たり前だ。勝手に死ぬなよ、相棒」
拳を突き出して見せると、クスッと笑ったアッシュは拳を合わせて来た。
アッシュ。俺は、お前と戦えて良かった。
そして、ありがとう。
剣聖の幼馴染。
あの話を聞かないでいてくれて。
俺の最初の親友が、お前で良かったよ。
「よっす、シーナ。久しぶりっすね」
「こふっ……」
突然肩を組まれて、知った声が至近距離で発された。
気を抜いていたから、気付かなかったな。
「近い。離れろ」
「なんすか、可愛くない後輩っすねー」
「テリオ、いきなりそういうのは良くないよ。ごめんねシーナ、僕が呼んだんだ」
「そうか。それは構わないが」
俺もミーアを呼んでるしな。
しかし、あいつ遅いな。
終わったらギルドに居るから、待ってるか迎えに来てくれって約束したんだけど。
「ところでシーナ、聞いたっすよー? 最近ミーアと良い感じらしいじゃないっすか。なんか最近のあいつ、すげー可愛いと言うか。お前の話ばっかりしてるっすよ?」
えー。
あの馬鹿、また余計な事を。
「あー、それは確かに。残念だったね、テリオ。ミーアが入ってきた時は、絶対俺が落としてやるって張り切ってたのに」
「本当っすよ。あー、羨ましい。まぁ、シーナが相手なら仕方ないっすけどね。俺じゃ、あんな狂犬をあんな風に懐かせるのは無理っすから」
「でも実際、ミーアは変わったよね。どんな魔法を使ったのかな? もしかして、その本に書いてあるのかい?」
「馬鹿言うな。人の心を変える魔法なんて、あって堪るかよ」
そんなものがあったら、真っ先に疑うさ。
ユキナの変貌は、その魔法が原因だと。
「そうっすよ、アッシュ。そんなものがあったら、俺。なにがなんでも習得してるっすよっ!」
こいつ、ロクでもねー。
最低だぞ、その言葉。
アッシュは、胸に手を当てた。
「魔法だよ。誰よりも優れた存在でありたい。特別な存在になりたい。そんな強い願望を抱いていた彼女が、今は君に夢中なだけの普通の女の子だ。これを魔法と言わずして、なんと言う?」
爽やかな顔でにっこりと微笑む。
すげー。よくそんな恥ずかしい台詞、平然と言えるな。
それが絵になるから凄いよ、お前。
……まぁ。最近のミーアは、可愛いけど。
「恋の魔法、君は気付かない内にミーアに魔法をかけたんだよ」
恋 の 魔 法。
何言ってんの?
「アッシュ……お前、自分で言ってて恥ずかしくないっすか?」
「全然? 僕はこう言う台詞が似合う男だと言う自負があるからね」
どうしよう、何も言えない。
「あーっ、ずるい。俺もお前達みたいな美形に生まれたかったっすよっ! あぁ親愛なる女神様! 何故、慈悲深いはずの貴女様は、同じ人に、これ程の格差を生み出されたのですかっ!」
くすくすと笑うアッシュの言葉に、テリオは俺から離れて芝居を始めた。
ともかく、話を逸らそう。この話題は危険だ。
「なに騒いでるの? シーナ」
「いや、テリオの奴がな。お前と俺の仲がどれくらい進んだのかって、聞いてきて」
どうするか考えていた為、反射的に答えてしまった。
おいおい、気付けよ俺の馬鹿。
いつの間にか、この場に今。一番居て欲しくない女が来てしまっているじゃないか。
「な……っ! はぁ……何騒いでるのかと思ったら。煩いわよ、テリオ。周りに迷惑でしょ」
「え? げぇ……ミーア。な、何故ここに」
「そんなの、シーナを迎えに来たからに決まってるじゃない」
ミーアは手近な椅子を引いて俺の左隣に座り、腕を組んで肩に頭を乗せてきた。
ふわりと、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「これから一緒に旅をするんだもの。必然的に、一緒に生活する仲に決まってるでしょ?」
嫌な予感がした。
「同じものを見て、同じ物を食べて、一つのベッドで眠る仲よ」
止める間も無く、ミーアはどや顔で言った。
むふー、と大きく鼻で息を吐き出しながら。
予感、的中。勘弁してくれ。
「殺したい程、妬ましい……」
殺される。
一瞬その言葉が掠めるほどに、テリオは凄い表情をしていた。
ほんと、この女。余計な事しか言わない。
「実際のところ、どうなの? シーナ。一緒に寝たの?」
「黙秘する。ミーア、お前も余計な事を言うな」
「シーナ、隠すんじゃないっすよ。どうだったんすかっ!? この天邪鬼の抱き心地は!」
「煩いな。あー、誤解されたくないから言っておくが、そういう行為はしていない。俺とミーアはあくまで、友人だ」
「とてもそうは見えないけど……本当かい? ミーア」
どうやらアッシュは、俺に聞いても欲しい答えが返って来ない事を察してしまったらしい。
親友を虐めて楽しむなよ……
とても、良い性格とは言えないぞ。
敵に回すと厄介な奴だよ、お前は。
「もう良いだろ、この話は。俺達は友人だ。手は出していない」
実際、やましい事はしていない。
数日前、確かに俺はミーアと一晩。同じ部屋で過ごした。
高い金を払っただけあって、広くて豪勢な部屋で、同じベッドで一緒に寝たのは事実だ。
しかし、それは仕方なかったのだ。
最近は寒い日が続いている。
意地を張って体調を崩す程、俺は馬鹿じゃない。
一つしかないベッドは、二人で寝ても十分な余裕がある大きさだった。
寝る事を目的とした寝台じゃないからな。
……まぁ、可愛かったけどさ。
「そうだろ? ミーア」
肩に乗せた頭をすりすり擦り付け、甘えているミーアに尋ねる。
すると彼女は動きをやめ、俺の顔をジッと見つめて来て……微笑んだ。
「今はまだ……ね。ふふ……♡」
いや。だから、誰だお前?
俺は、身体を擦り付けるのを再開したミーアから顔を背け、正面を見て気付く。
アッシュが、にやにやしていた。
「へぇ。へぇ〜? 今はまだ……♡かぁ」
お前の裏声どうなってんの?
凄い可愛い声じゃん。ミーアに負けてないぞ。
「シーナお前……本当にどんな魔法使ったんすか? 怒らないから教えるっすよ!」
「だから使ってない。それより、アッシュの声の方が凄いだろ。どんな魔法だ?」
咄嗟に話題を逸らす。
おあいこだぞ、親友。
「むぅ、そうね。アッシュあんた、やっぱり……」
「言われてみれば……アッシュ。ちょっとその声でテリオ先輩大好きって」
「言わないから、絶対。あれ? ちょっと皆、落ち着いて? 何でそんな目で僕を見るの。もう、シーナ。君は本当に小賢しい男だね。君だって、シャルナちゃんが」
あっ! この野郎!
その名前は封印しろ。未来永劫……。
「シャルナ? 女の名前よね? シーナ、誰? シャルナって。あんたと、どんな関係?」
あ。違う方向でやばい。
「……そんな名前の人は知らない、って」
顔を明後日の方向へ向けた俺は、こちらに近付いて来る人物に気が付いた。
カツカツと硬い足音を響かせている彼女は、見慣れた普段通りの笑顔を浮かべている。
「随分と賑やかだね」
「あ、サリアナ。仕事は良いのかい?」
「仕事だよ。ギルドでは静かにお願いしまーすって、注意しに来たの」
「それは悪かったね」
苦笑して見せるアッシュだが、ギルド。それも俺達が座っている酒場が騒がしいのは今更だ。
他に用事があるのだろう。
「それで、用件は?」
「もう、シーナくん。君はホント、可愛げがなくなっちゃったね。お姉さん悲しい」
「そうっすよ、シーナ。ここの受付嬢で一番美人なサリアナさんが、わざわざ話し掛けてくれてるんすよ? もう少し会話を楽しむ努力を」
「テリオ、あんたは黙ってなさい」
「いででっ! な、なにするんすかっ!」
「それで、用件は? まさかサボりに来たわけじゃないだろ?」
ミーアに耳を引っ張られて、大声をあげているテリオを一瞥した後。俺は改めて質問を切り出した。
「もー、ほんと可愛くないなぁ。まぁ、君はそこが良いんだけどね。無理して大人ぶってる感じが、お姉さんの琴線をビンビン刺激するって言うかー」
「用件は?」
「……もー。はい、これ」
不満げな顔で、サリアナは俺に手に持っていた封筒を差し出した。
受け取って確認する。裏を見ると、コルドールと小さく名が記載されていた。
「……爺さんから?」
「手紙かい?」
「あぁ、故郷からだ」
「お義父様から?」
「いや、爺さん……村の村長からだ」
尋ねて来たアッシュとミーアに返事をしつつ、封を解いて中の手紙を取り出した。
『元気か? シーナ。冒険者になってるだろうとナゼアに聞いたので、ギルド宛てに手紙を出してみた。皆、心配している。私自身、今は悲しむお前の力になれなかった事を後悔する日々だ』
綴られた文字には見覚えがあった。
間違いない。爺さんは、俺に読み書きを教えてくれた人なのだから。
ナゼアと言うのは、俺の父さんの名前である。
『色々と話したいことがあるが、とても書ききれない。直接話がしたいので、出来るなら一度。村に帰って来て欲しい』
……悪いな、爺さん。俺はまだ帰らない。
俺は、まだ何も為せていない。
冒険出来ていない。
だから、まだ帰れないよ。
そんな事を思っていた俺だったが、手紙の続きを読んで考えを改める事になる。
『実は、お前の父。ナゼアが倒れた。手を尽くすが、恐らく。もう長くはないだろう。ロクでもない父親だったろうが、一度。顔を見せてやって欲しい。あいつは、お前を愛している。それはお前が一番分かっているはずだ』
手紙は、そこで終わっていた。
もう一度読み返してから、俺は。
「ミーア」
「分かってるわよ」
名前を呼ぶと、ミーアは俺の顔を覗き込んで来た。
「帰るんでしょ? 故郷に。勿論、一緒に行くわ」
随分と物分かりが良い。
まさか。
「人の手紙を盗み見るなよ」
「悪かったわよ。お詫びに、御父様の看病は私がしてあげる」
爺さんがユキナの事を書いてなくて良かった。
思い出させないよう、気を遣ってくれたのか。
「本当に何もない村だ。あまり長居するつもりはないから、街に居ろ。必ず迎えにくるから」
「しつこいわよ、行くって言ってるでしょ」
「……色々、気苦労を掛けると思う」
「いいのよ、任せなさい。代わりに私の事、ちゃんと紹介しなさいよね」
むふー! と、ミーアは荒い鼻息を吐き出した。
なんか機嫌良さそうだな、まぁ良いか。
「ありがとう。出発は予定通り、明日の早朝で良いか?」
「良いわよ。それじゃ、今から買い物に」
「そうと決まれば、今の内に練習しておいた方が良いね!」
話を遮って、アッシュが口を挟んできた。
練習? 随分と楽しそうな顔だ。
何を企んだ? この野郎。
「なんの練習だ?」
「勿論、紹介のだよ。こほん……父さん、この娘の名前はミーア。俺の恋人さ。いずれ、俺の妻になる女性だよ! ってね?」
「ぶん殴って良いか?」
キリッとしたキメ顔でふざけたアッシュに、俺は握った拳を見せた。
「わ、私は別に。それで構わない、けど……」
いや、俺が構うから。
見えない。顔を赤くして、指で髪をくるくると弄んでいるミーアなんて全然見えない。
照れてて可愛い、なんて思わない。
「孫が何人欲しいか聞いてみるとか? なんなら今のうちに一人作って、顔見せてやれば良いっすよ」
「うん。サイテーだね、テリオ。ホント、君って奴は……そう言う事ばっかり」
「大事な事っすよ?」
「子供……さ、三人は、欲しい……かも」
「「え?」」
何だこいつら、煩いな。
勝手に盛り上がるかよ。
特にミーア。お前は最近、かなり酷いぞ?
「…………」
しかし、父さんが病気か。
酒ばかり飲んでいたから、そのせいだろう。
母さんの時とは違い、原因がある。驚きはない。
まだ若いのにな、自業自得だ。
…………。
「俺……今度こそ、一人になっちゃうんだな」
そんな言葉が、自然と漏れた。
明朝。
夜明けと共に宿を出た俺は、セリーヌの門前でミーアを待っていた。
全ての荷物を抱えているが、大して重くはない。
昨晩に買い足した荷物もミーアが引き受けてくれている。
何故か、頑なに自分が持つと聞かなかったのだ。
荷物は俺の数倍あるだろうに……何を考えているのだろう。
「大丈夫かな、あいつ」
遅刻してくるのは構わないが、無理はしないで欲しい。
今頃、荷物が重くて動けない……なんて、間抜けな事になってないか心配だ。
「おー、兄ちゃん。おはよう、今日は早いなー」
迎えに行くべきか考えていると、門に併設されている詰所から見知ったおっさんが出て来た。
以前。門の前で寝ていた俺を起こしてくれた憲兵だ。
「おはようございます。これから勤務ですか?」
すっかり慣れた丁寧な言葉遣いで挨拶を返す。
初対面の時にこれで話してしまったので、そのまま定着してしまった。
「いーや、夜勤明けだ。眠くて堪らねーよ。んー、朝日が目に染みるぜ」
「それは、お疲れ様です」
「兄ちゃんは? もう身体は良いのかい?」
「知ってるんですか?」
「おー。兄ちゃん、結構有名人だぜ? 大怪我して帰って来た時は、何事かと思ったけどな。元気そうで良かったぜ」
「まぁ、なんとか」
「聞いたぜ? 囚われのお姫様を救う為に大暴れしたらしいじゃねぇか。やるなぁ」
「我ながら馬鹿だったと思いますよ。あんな可愛くない女の為に、何を必死になってたんでしょうね? 俺は」
「へっ、若いな兄ちゃん。俺はすげぇと思ったぜ? こんな仕事をしてるとな、好きな女が泣いてる時。涙すら拭ってやれないクソ野郎はそれなりに見て来た。でもな……命懸けで抱き締めてみせた奴は、片手の指で事足りる」
憲兵のおっさんは、俺の胸鎧をドンと殴った。
「強いな、兄ちゃんは。俺はやっぱり、人を見る目がねぇや。門番には向いてねぇ」
「本当に見る目がないですね。俺は、強くなんか」
「いーや、強いぜ。息子に欲しいくらいだ。お! そうだ、兄ちゃん。俺には今年で九歳になる娘が居る。目に入れても痛くないくらい、可愛い娘なんだが……どうだ? 兄ちゃんなら嫁にくれてやるぜ」
は?
いきなり何言ってんだ? このおっさん。
「またまた、冗談を」
「俺はマジだぜ? 兄ちゃん」
「えっ。いや、困ります。そんな小さな娘」
「勿論、すぐにとは言わねぇ。娘が成人したらに決まってるだろ」
「そんな。何年も待てませんよ」
「別に待たなくて良い。ただ、六年後に嫁が一人増えるだけだ。兄ちゃんみたいな良い男は、女が放って置かないだろうからなー」
六年後って、俺。二十二歳か。
まだ独身だったら、考えようかな。
「俺はそんな節操無しじゃないですよ。生涯、添い遂げる相手は一人と決めていますから」
「かぁー、勿体ねぇ。そんな綺麗な顔に生まれた癖に潔癖とは、難儀だな。いや、そこが良いのか?」
「シーナーッ!」
憲兵のおっさんと話していると、遠くから俺の名を呼ぶ女の声が響いた。
やっと来たか……えっ?
「お? お姫様の登場だ。今日は二人で遠出か?」
「いえ、俺の故郷に帰るんです」
告げると、憲兵のおっさんはにやりと笑った。
やだー。絶対、誤解されてる。
「成る程。じゃあ、あれは兄ちゃんの馬か」
おっさんの言う通り、ミーアの傍には立派な栗毛の馬がいた。
彼女はその手綱を引き、こちらに歩いて来る。
「馬なんか乗った事ないですよ」
「冗談だ。分かってるよ」
暫くして近付いて来たミーアは、「どう、どう……」と慣れた様子で馬を止めさせた。
「よしよし、良い子ね」
にこにこしながら、ミーアは馬を撫でている。
凄い。近付いてみると結構大きいな。
「遅くなってごめんなさい。この子、お寝坊さんで……準備に時間がかかってしまったの」
「そうか。で? ミーア。その馬はどうした」
「昨日、あんたが憲兵団に行ってる時に迎えに行って来たの。旅には必要でしょう? 私達の新しい仲間よ」
なるほどー。
だから昨日、ギルドに来るのが遅かったのかー。
いや、違う。そうじゃない。
「お前、また大金使ったのか。一体幾らしたんだよ」
「そんなのあんたが気にする事じゃないでしょ? って言っても気になるだろうから、教えてあげる。親切な知り合いに譲って貰ったのよ」
「そりゃあまた、随分と親切な知り合いだな」
苦笑する憲兵のおっさん……俺もそう思う。
親切で馬を譲ってくれる知り合いってなんだよ。
「もう良いでしょ? ほら、リリィ……この人がシーナ、あなたのご主人様よ。素敵な人でしょ?」
はえ?
こいつ今、なんて言った?
聞き間違えじゃなければ、この馬は俺のだと言わなかったか?
「おい、ちょっと待て。どういう」
「シーナ、この子はリリィ。二歳の女の子よ。大事にしてあげなさいね」
「いや、ちょっと待て。その馬はお前のだろう?」
「大丈夫よ。この子、とっても大人しいから」
「頼むから会話をしよう。それに俺は馬なんか乗った事ないぞ」
「大丈夫よ、暫くは私がやるから。まずはリリィと仲良くなる努力をしなさい」
お前は俺と会話する努力をしなさい。
「すげー。いいなぁ兄ちゃん。しかし、悪い男だなー。女の子にこんなすげーもん貢がせるなんてよ」
貢がせるて……言い方が酷すぎる。
「貢がせてませんから。全く……とにかく準備は済んだな。忘れ物はないか?」
「大丈夫、問題ないわ」
「父親への手紙は? ちゃんと書いたか?」
昨日。受付嬢のサリアナは、ミーアにも手紙を渡していた。
送り主の名前は、ミーアの父親らしい。
どうやら冒険者ギルドはミーアの状況を彼女の家に知らせていたらしく、それを聞いたミーアは青い顔をしていた。
気持ちはわからなくもない。
しかし、心配を掛けた事は事実だ。
流石に無視はさせられない。
俺には、ミーアの父親が安心出来る様に努力する義務がある。
「えぇ、書いたわ。ティーラにお願いして預けて来たから、大丈夫よ」
「なら良いな、ちゃんと書けて偉い」
「うん……ちゃんと、書いたわ」
ポーっと俺を熱っぽい目で見つめてくる。
あ。駄目だ。余計な事言い出す前に早く行こう。
「よし、じゃあ行くか」
憲兵のおっさんへ目線を向けると、おっさんは深い隈のある顔に笑顔を浮かべ、親指を立てて見せてくれた。
「少し早いが、開門だ。良い旅を、兄ちゃん」
「ありがとうございます。お世話になりました」
「お姫様、大事にしろよ」
「ふぇっ!? お、お姫様? 誰が? 私?」
にこやかな笑顔を浮かべたおっさんは、俺の肩を二度。強く叩いた。
俺はそんなおっさんに向け、笑顔を作ってみせる。
「はい。彼女は俺の仲間ですから」
この街に来て、最初に話したおっさん。
最後に貴方と話せて、本当に良かった。
「またなー、兄ちゃんっ!」
「ありがとうございましたー!」
手を振る憲兵に見送られ、若い二人はセリーヌの街を発った。
前に座るミーアが操る馬に揺られ、暫くして。
ふと、セリーヌの街を振り返ったシーナは、随分と遠ざかった外壁を見てポツリと漏らす。
「……本当に、色々あったな」
「そうね。色々あったわね」
後ろを振り向いて、ミーアは苦笑した。
風に揺られ、ふわりと鼻を撫でる髪。シーナはその髪が放つ甘い香りが好きになっていた。
持ち主に気付かれないように、少しだけ息を吸い……空を見上げる。
「しかし、まさか本当にお前と旅をする事になるなんてな」
シーナは思い出す。
目の前の少女。ミーアと出会った日の事を。
それも今は、良い思い出だ。
「そうね。私もまさか、あんたがこんなに凄い奴だとは思わなかったわ……完敗ね」
「なぁ、お前。やっぱり最近おかしいぞ?」
「そんな事ないわ。おかしかったのは昔の方よ。叶うなら、昔の私をぶん殴ってやりたいくらいだもの」
脱力したミーアは、背中をシーナの胸に預けた。
「あんたは、他に誰も与えられてない祝福を与えられてて、魔法も使えて……私なんか比べ物にならないくらいの天才だわ。まさに、女神様に選ばれた人間よ。それに凄い努力家で、私みたいな面倒臭い奴にも優しくて……はぁ」
「お前は凄い奴だよ。俺なんかより、ずっと……俺、馬にも乗れないし」
青年の身体に、ミーアは身体を擦り付ける。
「私は小さい頃から色々と学んできただけよ。あんただって、これくらい。すぐに出来るようになるわ。きっと、私なんかよりずっと早くね」
何処か得意げな顔でミーアは言った。
「買い被り過ぎだろ」
「そんな事ないわ。私が出来て、あんたが出来ない事なんてある筈ないもの。これから、あんたにはもっともっと凄くて、良い男になって貰うから。覚悟しなさい?」
「俺が出来ない事は、お前がやれば良いだろ? なんでわざわざ……」
「私が女だからよ。ほら、分かるでしょ……っ! だからあんたには、私が居なくても大丈夫なように教育してあげる。代わりに、あんたは私を守りなさい。私が、幸せになれるようにね。うん、正当な取引だわ」
「……なんで、俺なんだ?」
「そんなの、決まってるじゃない」
胸元に頬を擦り付け、すぅーとシーナの匂いを嗅いだミーアは、潤んだ瞳で見上げた。
唯一無二。心から愛する少年の顔を。
「あんたは、私が唯一認めた剣士だもの。それに、男なんだから。か弱い女の子を守るのは当然よ。役目でしょ?」
「……あーあ。間違えたなー。俺」
「む……まぁ良いわ。そうね、あんたは間違えたの。もう逃さないから。私に認められたあんたは、私の剣士に無事就任しました。だから、私に一生寄り添うのがあんたの義務よ。自分で言ったんだから、仕方ないわよね?」
「俺はまだ、そういうの困るんだが」
「知らないわよ……こほん。い、いい? 一度しか言わないから、しっかり聞きなさいよ? ホント、一回しか言わないからね? 聞き逃して後悔するのは、あんたなんだからねっ!」
シーナの鼻先に人差し指を押し付けたミーアは、真っ赤に茹だった顔で言った。
(もう。本当はこういうの、男がするべきなんじゃないの……っ!)
恥ずかしくて逸らしたくなる顔を必死に押さえ付け、真っ直ぐにシーナの瞳を見つめる。
暗く、冷たい瞳。かつては暖かく、安らぎすら感じる程綺麗だった青眼は、自分の為に変わってくれた何よりの証拠だとミーアは知っている。
(でも、仕方ないわよね。だって私……あんたを誰にも渡したくないもの)
そう考えると。
もう、想いが溢れて堪らなかった。
「あなたが、好きです」
ふわりと、冷たい風が二人を撫でた。
熱くなった顔には、丁度良いと思えた。
「私の全てを、あなたに捧げます。だから……あなたの人生に、私の居場所を下さい」
「……………」
「あなたを、私の一番大切な人にさせて下さい」
ドキドキと、高鳴る鼓動。
不安、羞恥、期待、緊張。多くの感情が暴れて、ミーアはもうどうにかなりそうだった。
想いを寄せる相手は、黙り込んだままだ。
しかし、冷たく暗い瞳は逸らされていない。
目を逸せない、その事がこれ程辛いなんて知らなかった。
……どれ程、見つめ合っていただろう。
(あ、あれ? もしかして、伝わってない?)
長い長い沈黙に不安が強まり、ミーアは焦った。
「あ、愛してます……愛してるんです。私の、旦那様になってください。ずっと一緒に……私を、あなたの傍に居させてください」
なんとか……伝えないと。
そんな想いだけに突き動かされて放った言葉だった。
「……ミーア」
想いが通じたのか。
硬く閉ざした口を、やっと開いたシーナは手を伸ばした。
指先で滴るミーアの涙を払い、彼は綴る。
「俺は」
感情を失った少年は、
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