第57話 不器用な二人

「ん……」


 気が付いて、最初に感じたのは寒さだった。


 目蓋を開く。

 途端、目眩のする様な眩しさを感じた。


「まぶしぃ……」


 目を細め、空を見上げる。

 ……良い天気だ。


 ここは何処だ? 

 俺は何故、こんなところに寝転がっている?

 頭が少し痛いな、後……酒臭い。

 そうだ。俺は昨日、バルザに礼を言いに行って。


 身体を起こし、頭を押さえて考える。

 暫くすると、意識がはっきりしてきた。


 体調は悪くない。頭痛も大したことはない。


 自分の状態を確認し、現在地を把握する。 


 昨晩。バルザを訪ねて来た酒場の前だ。 


「はぁ……さむ。財布は、ある。剣もある……無くなってる物は……大丈夫か」


 持ち物を確認して、一先ず安心する。


 しかし酷い扱いだ。 

 まぁ、俺が悪いんだけど。


「行こう」


 声に出して、自分に言い聞かせる。

 

 今日はミーアと約束をしている。

 今頃、相当怒っているに違いない。


「はぁ……っと」


 俺は立ち上がり、力の入らない足で歩き出した。

 自覚出来るほど、ふらふらと覚束ない。

 まだ身体に昨日の酒が残っているのだろう。


「暫く、酒は飲まないぞ」


 酒は飲んでも飲まれるな。

 俺は、また一つ。母さんの言葉を守れなかった。





 ギルド前通りは、今日も活気で満ちていた。


 もう朝食という時間ではないみたいだ。

 小走りで街中を駆け、行き交う人を掻い潜りながらミーアの宿へ向かう。

 目的地が見えて来た頃には、少し息が荒れていた。


「はっ、はっ……あ」


 まだ遠くに見える宿の前には、見慣れた髪の女が居る。

 やはり癖なのか、自分の髪を指でくるくる弄っている。

 遠目から見ても、相変わらず不機嫌そうな顔だ。


 ……怒ってるな、あれは。

 遅刻したの俺だけど。


 しかし、ミーアの奴。わざわざ外で待っていたのか……結構寒いから辛かっただろう。

 しかも、私服のミーアは薄着だ。

 一応長袖で露出は少ない格好ではあるが、胸元がフリフリしている白いシャツ。黒いミニスカート。太腿まで覆っている黒い靴下……確か、ニーソックスって言うんだったか?

 いや、もう少し着ろよ。風邪引くぞ? 


 お洒落して来いとは言ったのは確かに俺だ。

 実際、遠目から見ても可愛いとは思う。

 全く。身体は大事にしろ。あの馬鹿。

 行く前にもう少し着込ませようと思いつつ、息を整えながら小走りで近く。


「あっ……! 来た……」


「悪い、待たせた」


 俺を見て、ミーアは、パッと表情を明るくした。


 しかし。すぐに何故か慌てた様子でわたわた……と両手を振り、自分の服装を確認、整え始めた。


 ……へぇ。可愛いところ。あるじゃん。


「ごめんな、遅くなった。ずっと待ってたのか? 寒かっただろ」


「あ……ううん。全然待ってないわよ? 今出て来たところだから。ちょっと、風に当たりたくて」


 顔を耳まで赤くしたミーアは、何故か俺から顔を逸らしながら言った。

 おい。こいつ、今から行く買い物をデートか何かと勘違いしてないか?

 楽しみ過ぎて待てなかったとか、そんな感じだ。

 遅れた俺を怒鳴って咎めないなんて、おかしい。


「嘘を吐くな。ほら、こんなに冷たくなってる」


「……っ! ふへっ!?」


 頬を触ると、ミーアは変な声で鳴いた。


 しかし予想以上に冷たい。

 すっかり身体が冷え切っている。


「あ、あああ……あんたっ! い、いきなりそんなっ」


 反応も予想通り。全く、可愛い奴だ。

 男が女の肌を勝手に触るなんて事、相手の気持ちを知っているからこそ出来る事だ。


「あ、悪い。つい触ってしまった。嫌だったよな」


 俺は、ぱっと手を離した。

 よし、これでいつもの罵倒が来る筈だ。

 それで俺達はいつも通りに、


「あ……べ、別に。嫌とかじゃ、ないの……っ! 急だったから、びっくりしただけっ! 今度から触る時は、触るって言ってくれたら良いから……!」


 あれ。思ってた返答と違う。

 いや、お前そんな奴じゃないじゃん?

 怒れよ。今まで通りさ。


「あんたに触られるのは……その。嫌じゃない、と言うか。正直、その……」


 それどころか、真っ赤になった顔を逸らしながら、ミーアは右手の人差し指に髪をくるくるくるくると忙しなく巻き付けている。

 おい、なんだそれは。やめろ、意識するだろ。

 俺達は互いに黙り込む結果になる。


「……だ、だから。そのっ!て、手を、繋いでも、良い?」


 先手を打ったのはミーアだった。

 俺の前に、白く綺麗な手が差し出されたのだ。


「だめ……?」


 上目遣いで見上げて来たミーアの表情は、少し涙目で。不安なのか声が震えていた。

 これで駄目と断れる奴が世の中には居るのか、世界は広い。

 こんな時、なんて言えば良いか俺に教えてくれ。頼むから。


「その格好だと風邪を引くぞ? もう少し何か着て来いよ。待ってるから」


「へ? あ、これ……は。あ、あんたが、お洒落しろって、言ったんじゃない」


「あぁ。言ったな。可愛い」


「かわっ……ホント?」


「あぁ。どんな奇抜な服を着てくるかと思ったが、期待外れだったよ。勿論、良い意味でな」


「そ、そう……良かったわ。まぁ当然ね。私、凄く可愛いし?」


 照れながらも威張るミーア。しかし、彼女の自己評価は間違いではない。

 こいつは、あまり下手に着飾る必要がない程、自分が可愛い事を知っている。

 もう少し自重してくれ、卑怯だぞ。


「そうだな。だから、もう少し着て来い。何を着ても似合って可愛いなら、寒くない方が良いだろ?」


 上手く説得しようと言葉を選んで言う。

 すると突然。ミーアは、ジッと俺の服装を観察し始めた。


「そうね……なら、お昼を食べる前に服を買いにいきましょう」


「え? なんでわざわざ買うんだ? コートの一枚くらい持ってるだろ?」


「決まってるでしょ。人には可愛くして来いって言いながら、自分はいつも着てる仕事着のままなんて許さないって言ってるの。すっごい遅刻して来た癖に、それはないでしょ?」


「いや、これは」


 言えない。

 たった一杯の酒に酔い潰れて、道端でさっきまで寝てたなんて。


「昨日と同じ格好じゃない。汚いとか思わない訳?」


「汚くない。下着は流石に着替えるし、宿で働いてる女の子が毎日洗って干してくれるんだ」


「は、はぁっ!? あんた、女の子に自分の服洗わせてるのっ!? まさか下着も……っ!? 盗まれたらどうするのよっ!」


 うん? 俺なんか変な事言ったか?

 ミーアの奴、凄い剣幕なんだけど。


「おい待て、落ち着け。下着なんか盗まれる訳ないだろ。それに、下着は流石に自分で洗う」


 最初の頃は頼んでたが、洗濯してくれてるのが看板娘のリズだと知ってからは自分でやっている。


「なら良いけど……」


「分かってくれたか」


「うん……あ。服を買いに行く理由だけど、私。仕事で使う服が一つ、全部駄目になっちゃったじゃない? まだ買い直してないのよ。だから丁度良い機会だと思って」


 ……そう言えば、そうだった。

 

「そうか。なら丁度良い。仕事着なら俺も今日、買い換えようと思っていたんだ」


「そうでしょうね。コートの前、閉めてるって事は中はまだ医療院で貰ったボロでダサいシャツのままなんでしょ? ズボンなんて破れてるしね」


 ミーアの言う通り、今着ているシャツは退院する時に好意で貰った古い物だ。

 下衣も以前の戦闘で裂け、破れてしまっている。

 この外套が無ければ、今頃。俺は大分酷い格好を晒していただろう。ミーアには感謝だな。


「あぁ。俺も確かに、お前の事言えないな。貰った外套のお陰で寒くはないけど、ボロボロだ」


 言って、肩を竦めて見せる。


「くふっ、そうね」


 小さく笑ったミーアは、俺の左腕に抱き付いた。

 力強く、それでいて柔らかな感触。ミーアの身体に包まれた左腕は、コートの上からでも冷たい。


「……おい」


「……良いでしょ? 寒いのよ」


 いや、当たってるんだけど?

 お前のそれ、小さいは小さいけど、無い訳じゃないの分かってるだろ?

 腕、挟まれてる。柔らかいんだけど?

 駄目だぞ俺、意識するな。考えるな。


「…………」


 おいおい、こいつは参った。

 まさか……中は暖かいとは。

 それもそうか。僅かでも挟める大きさがあるなら道理だ。


「そうか。寒いなら仕方ないな」


「うん……寒いから、仕方ないのよ」


 すりすりと腕に頭を擦り付けてきたミーアから、ふわりと甘い香りが漂って来た。

 結構、好きな香りだ。


「あっ。ふ、ふふふ……っ。今日の私、良い匂いするでしょ?」


「……そうだな」


「前の香水はキツくて、嫌いだって言ったでしょ? 私はあんたの意見をちゃんと聞いて変えてあげたわ。どうかしら?」


 やはりか。

 こいつにとって重要なのは、俺の好みな香りかどうかなんだろう。

 前のあの甘ったるくて強烈な香りも最初から付けてた訳じゃない。

 つまり、あの香りを付け始めた辺りが、ミーアが俺の事を意識し始めた頃と言う訳で。


「まぁ、嫌いじゃない」


 野暮な詮索はやめよう。

 こいつは助けて貰った事で感じた恩を勘違いしてるだけだ。

「好き? 嫌い? はっきり言って」


「正直、好きだな」


「……っ! も、もっかい。もっかい言って?」


 ぎゅう、と腕を抱き締められる力が強くなった。

 凄く喜んでるのが分かる。

 見上げて来てる顔、ニヤけてるし。

 全く。恥ずかしいなら黙れよ、頑張るな。

 年頃の女の子らしく、おねだりなんかするな。


「好きな香りだよ」


 俺は、応えてしまう性格なんだから。


「香り? うん……ふふ、今はそれで良いわ♡」


 腕に感じる体温。香り、甘えた声。

 以前の俺なら、既に耐えられなかっただろう。

 感謝しろよ? ミーア。俺だって男だ。

 まさか、忘れてないよな?


 俺が普通に年頃の男なら、お前は今日。生娘のまま帰れないんだからな? 全く。

 今のお前は、それくらい凄く魅力的な女の子だ。

 そこの所、ちゃんと分かってるのかよ。卑怯者。


「ほら、もう良いだろ。行くぞ」


「うん♡」


 ……全く。

 何で、こんな事になったんだろうな。俺達は。






 最初に立ち寄った服屋で、ミーアは黒革のコートを見つけ、購入すると言い出した。


 俺と同じ、丈の長いロングコートだ。

 冒険者向けの店なので、安さが売りの店。

 だが、その中でも高価な代物だ。

「……ねぇ、シーナ。これ、どうかしら?」


 お揃いの外套を着たミーアが、両手を少し広げ、くるんと回って見せた。


「中々良いな」


 少し大きいので袖が少し余っているが、ミーアもまだ成長途中だ。

 少しすれば、丁度良くなるだろう。


「ホント?」


「あぁ」


 機能的なのは良い事だ。

 ポケットが多ければ、使用頻度の高い道具を入れられる量が増え、すぐに取り出せる。


 色が黒なのも良い。

 目立つ色合いの格好をしている冒険者は馬鹿か、余程自分の実力に自信のある命知らずだ。


 だから別に、


「あらあら、良く似合ってるねぇ? 彼氏さんとお揃い?」


「ふへっ!?」


 そんな事、全く思ってない。

 全く思ってないぞ、俺は。


 だから余計なことを言わないでくれ、店員のお姉さん。


「ち、ちがっ!? 違うのっ! 彼氏なんかじゃないわっ! ただの同業者よっ!」


 お前は動揺しすぎだ、ミーア。

 それだと、彼氏の前に『まだ』が付いてると自白しているようなものだぞ。


「へー? そうなの?」


 その顔やめろ、お姉さん。


「あぁ、たまたま同じ日に冒険者になったと言うだけの関係だ」


「あ……っ」


 ニマニマと意地の悪い笑みを向けて来た女性店員に肩を竦めて見せる。


 自分で言った癖に悲しそうな顔をしたミーアは見なかったことにした。


「へぇ? そっか。そっかそっかー」


 店員のお姉さんは、ミーアと俺を交互に見て。


「それは大変だね。君、すっごくモテそうだし」


 ミーアに顔を向け、苦笑して見せた。


「頑張らないと誰かに盗られちゃうかも?」


 ぴくっ、とミーアの肩が跳ねた。

 本当に余計な事をする人だ。


「そのコート、購入する。ギルドの方に請求しておいてくれ。名前はシーナだ。ミーア、行くぞ」


「あっ……」


 そう言い残し、俺はミーアの手を取って店の外に向かった。


「え? あっ、まいどー! また来てねー!」


 後ろからそんな声が聞こえて来た。

 まだ他にも買いたい物はあったんだけどな……仕方ない。自分の分は知っている店で買うとしよう。


「あの、シーナ。お金……」


「必要ない、俺もお前に貰っただろ? お返しだ」


「え? でも、それは……」


「必要ないと言った。それだけじゃない、今日……いや、俺は街を出るまでの間。お前に財布を出させるつもりはないからな」


 手を引いて歩きながら、俺はミーアにはっきりと言う。


 こいつは俺の為に金を使い過ぎている。

 治療費、特注の外套。

 相当な出費だった筈だ。


 特に、今。暫く働けない現状では、金銭面の悩みが必ずある筈なのだ。

 対し、俺は余裕がある。

 自由ギルド。あの豚共と戦った事で大金が入ってくる予定があるのだから。


 だから今は、父さんから貰った金をパーッと使う時なのだ。


 そう、これは奴等からの迷惑料。

 ならば、その一番有意義な使い方は。


「えっ……? なんで……」


「なんででもだ。遠慮するなよ? 欲しい物があったら何でも言え。俺達は生きてる。だから、目一杯楽しむんだ。幸せになりたいって、お前も言ってただろ?」


「……うん」


「なら」


 俺は街路を進んでいた足を止め、振り返った。

 真っ直ぐに、ミーアの目を見て告げる。


「一緒に居た時くらい、幸せだったって言える様にしよう」


 俺の言葉に、ミーアは目を見開いて。


「……うん」


 繋いだ手が、ぎゅっと力強さを増した。





 俺達は昼食を取り、買い物を再開した。


 最初に俺の服と胸鎧を購入した後、一度宿に戻って着替え、知り合いに会わない様にギルド前通りを離れた。


 ミーアとは、ずっと手を繋いで歩いた。

 本当は腕を組みたい様子は見れば分かる。

 だが、それは幾ら何でもやり過ぎだ。


 しかし、自分で言うのもなんだが、これはデートだと思う。

 同じ黒革の外套を着て。

 手を繋いで、特に用事もないのに街を歩く。


 デートだ。これはデートだよな。

 ユキナともやった事ないぞ、こんな事。

 もしあの日、成人の儀が無事に終わっていれば……結婚前の旅行として、こうして一緒に買い物をしようと約束していた。

 もう、二度と果たされない約束だ。


「ふんふん、ふーん♪」


 ミーアは随分とご機嫌な様子だ。

 昼食の頃から、ずっとニコニコしている。

 鼻歌なんて歌っているが、誰だこの女。

 お前、そんな可愛い真似する奴じゃないだろ。


「日が沈んできたな」


 日が傾き、空が赤く染まってきた。


 もう少しすると夜だろう。日が沈み、暗くなる。

 闇の中を歩くのはあまり好きじゃない。


 腰に下がっている剣の重み。

 夜の闇の中は、嫌な事を思い出させる。


 少し早いが夕食をして帰ろう。


「そうね、綺麗な空だわ」


 空を見て、ミーアは上機嫌な声で言った。

 その顔を横目に見て、素直に綺麗だと思う。

 夕陽の紅に染まった彼女の顔は微笑んでいた。


「そうだな……少し早いが、夕食にしようか」


「えっ? 早くない?」


「今日は充分歩いたよ」


「あっ……ごめんなさい。そうよね」


 ミーアは、俺の身体を見て眉を寄せた。

 気を遣わせてしまったな。

 こいつに気を遣われるのは気に入らないが、そうも言ってられない。

 安静にしておかなければならないのは事実だ。


「何か、温かい物が食べたい。肉の沢山入ったスープが良い」


「良い店を知ってるわ。付いて来てっ」


 前に出たミーアが、俺の手を引いた。

 夕陽に照らされた髪が、キラキラと輝いている。

 しっかり食べて、早く身体を治さないとな。


『貴方が歩むのは、茨の道よ。何度も剣を取り、戦う事になるでしょう』


 ふと、頭にそんな言葉が過った。

 そう言えば、誰かに言われた気がする。

 聞き覚えのある声。いや、忘れる筈がない。

 今のは、ユキナの声だ。

 しかし、ユキナに言われた覚えはない。

 あいつが俺にそんな台詞、言う訳ないし……



 あれ?

 じゃあ、誰に言われたんだっけ。







「はー、美味しかったわね」


 食後、店から出たミーアは笑顔を向けて来た。


 連れて来られたのは、彼女の宿から近い小さな大衆店だ。

 どれ程の高級料理をせがまれるのだろうと身構えていたのだが、杞憂だった。

 ミーアの言う通り、美味かったし。

 注文した野菜スープは希望通り鶏肉が多く入っていたし、パンも驚く程に柔らかい白パンだった。

 二人合わせて二千エリナで収まってしまったので、財布にも優しい。


「そうだな。良い店だったよ」


「でしょう? 私の行きつけだもの。当然よ」


 小さな胸を張って、ミーアは「むふー」と息を吐いた。

 この偉そうな態度、久々に見たな。

 少しは立ち直れて来たのかもしれない。

 今日は充分、意味がある日だったと言う訳だ。


「じゃあ、今日はこれで終わりだな。帰ろうぜ」


 左手を差し出すと、ミーアの肩がピクンと跳ねた。

 笑顔を消した彼女は、俺の手をジッと見ている。

 ……ここで、どうしたんだ? と、聞く程。俺は野暮じゃない。


「あっ……う、あ……っ」


 この寂しそうな顔を見れば、なにを考えているのかくらい想像が出来る。


「……ふぅ。少し、寄り道して帰るか」


「へっ?」


「話したい事があるんだろ? 聞かせろよ」


 手を下げると、ミーアは俯いた。


「……勘が良いんだが、悪いんだか」


 小さな声で呟いたミーアは、顔を上げた。


「少し、付き合ってくれる?」







 黙り込んだままのミーアに連れてこられたのは、教会前にある広場だった。


 ギルド前とは違い噴水もなく、石畳を敷き詰められただけの少し広い場所だ。

 しかし暗いな。星明かりのお陰で全くではないが、晴れてなければ何も見えなかっただろう。

 彼女は手近なベンチに腰を下ろした。


「よりによって、ここか」


 しかし、ここに来ると嫌でも思い出す。

 星の明かりを浴びている教会。

 あそこで俺は、自らの無力を知った。


 伸ばした手が空を切る感触、

 泣きながら俺の名を呼び、連れ去られるユキナ。

「どうしたのよ、座らないの?」


 呼ばれて、俺はミーアを見た。

 そうだ。あれが無ければ、俺は。

 俺達は、ここには居なかったのだ。


「お前が俺に聞きたいことは、分かっている」


 軽く息を吸って、俺は切り出した。


「俺がこの街を出て行く事についてだろう?」


「……えぇ、そうよ」


「引き留めるつもりならやめてくれ。俺はもう決めたんだ」


「そんな事しないわよ」


 あれ? 違うのか。


「……私には。今の私には、あんたにそんな事。言える権利なんてないもの」


 ミーアは、ぎゅうとスカートを強く握り締めた。


「……ミーア」


「でも、でもね。流石に急過ぎると思うのよ。早過ぎると、思うのよ……あんたまだ、冒険者になって半年だし、この街で殆ど成果らしい成果も得られてないでしょう? まだまだ未熟で、弱くて……そう、まだほら、あと一年くらいはここに居た方が良いと思うのよ。ここなら、ローザだって居る。ティーラも、テリオやアッシュだって……せ、せめて。その首から下がってる等級証、青にはしておいた方が良いと思うの。そうじゃなきゃ、あんたみたいなお荷物……誰も相手にしてなんて」


「ミーア」


「何よ……」


「思ってもない事、言うなよ」


 ミーアは暗闇でも分かるくらい辛そうな表情をしていた。

 月明かりに感謝だな。

 目尻に溜まった涙を闇の中に隠さないようにしてくれたのだから。

 俺は身体を屈めて、指先でミーアの涙を払った。


「な、何よ……私は」


「確かに、お前の言う通りだ。俺は弱くて馬鹿で、その癖に態度と口調だけは偉そうな生意気な奴だ。それ位、自覚してるよ」


「違うっ! シーナは馬鹿でも弱くもないっ! とっても強くて、勉強熱心で、優しくて……っ!」


「……おい、言ってる事が滅茶苦茶だぞ?」


 指摘すると、ミーアは黙り込んだ。

 しかし凄い剣幕だったな。

 こいつの中の俺の評価、どうなってるんだよ。


「……っ。だって、あんた。笑わなくなったもの」


「なに?」


「笑わなくなっただけじゃない。前は、あんな事がある前のあんたは、何かあるとすぐに表情が変わってた。喜んでる時は笑ってたし、怒ってる時は……ねぇ、どうして? どうして、そんな顔をしてるの?」


「俺は、今。どんな顔をしている?」


「卑怯者。知ってる癖に、そんな事聞かないで」


 思い出すのは、朝。顔を洗っている時のこと。

 桶の水に映る自分の顔だ。

 意識しなければ動く事のない表情。

 自分でも驚く程に冷たい色をしている瞳。

 まるで、あの男。バルザのような……。


 話し方や立ち振る舞いを参考にはしたが、ここまで似ようとは思ってなかったんだけどな。

 もしかして、あの人も……。


「うっ……」


 突然、ミーアが胸に飛び付いてきた。

 予想外の衝撃に呻き声が漏れ、何とか踏ん張ってから、見下ろす。


「ごめんなさい……ごめんなさい、シーナ。ごめんなさい……」


「なんでお前が謝るんだ」


「だって、あんたがそうなったのは私のせいじゃない。私が、私が……私を、助ける為に……」


「お前のせいじゃない」


「私のせいよ。私のせいであんたは、斬ったじゃないっ!」


 俺は肩を震わせているミーアの頭に手を置こうとして、思い出した。

 一瞬、右手が血で濡れて見える程に強く。


「だって、私があんな。あんな奴等に捕まらなかったら、あんたは戦わなくて良かった。人を斬る必要なんて無かったっ! あんな……あんな目に合わなくて済んだっ!」


 そうだ。俺は一体、どれだけの人間を斬った? 

 こんな手で、触れて良いのか? こいつを。

 俺は。そっと上げた手を拳に変え、下ろした。


「あんたは、私の為に変わってくれた……でもっ。でも、私。私は、そんなあんたに何も返せない」


「別に、なにか返せなんて言ってないだろ。俺が助けたかったから助けた。言ってしまえば、俺の我儘だ」


 俯いていたミーアは顔を上げ、見上げてきた。

 潤んだ瞳が、俺の目を真っ直ぐに見つめている。


「どうすれば良い? どうしたら、私はあんたに返せる?」


「貸し一つ、俺はそう言っただろ。返し方くらい自分で考えろ」


 突然、ミーアの震えがぴたりと止んだ。

 また俯いた彼女は、


「……中々、思い通りにいかないわね」


 何かをボソッと呟き。


「分かったわ。じゃあ、私。付いて行く。あんたがこの街を出て行くなら、私もあんたと一緒に行くわ」


「え? いや、それはやめ」


「あんたは確かに言ったわ。貸し一つってね。じゃあ、その貸し。何がなんでも返すから。あんたなんかに貸しを作ったままなんて、許せないもの」


 お願い、最後まで言わせて?

 それにしても……あぁ、失敗したな。

 これは断れない。


 貸し一つと言ったのは、確かに俺だ。

 母さんは言った。

 貸しはしても、借りはするな。 

 もし借りてしまったら、何がなんでも返せと。


 ミーアは、俺に何がなんでも返そうとしているんだ。命を救われた恩を。

 その気持ちを無碍にすることは出来ない。


「うくっ……」


 身体に手を回され、ぎゅうと抱き締められた。

 予想外の強さに思わず息を漏らしてしまう。

 顔を上げてきたミーアは、じっとこちらを見つめている。

 暫く見つめ合い、俺は目を閉じた。

 参ったな、降参だ。


「分かった。分かったから、離せ。苦しい」


「あ……ごめんなさい」


 申し訳なさそうな謝罪の声と同時、抱き付かれていた腕が離れたのを感じる。

 俺は目を開き、ミーアを通り越してベンチに勢い良く腰を下ろす。


 背を深く預け、空を見上げて。

 星を見て、考える。


「シーナ?」


 そうだな。俺もいい加減、はっきりしよう。

 お前はどうしたい? 冒険者、シーナ。


「……勝手にしろ」


「え?」


「お前の人生だろ。お前の好きなようにしろよ」


「……うん。そうね、好きにさせて貰うわ」


 隣に座ったミーアは、俺の胸に頭を預けてきた。

 甘い香りが、ふわりと漂って来る。


「後悔しても知らないからな」


「しないわ。それに、何かあっても、あんたが守ってくれるんでしょ?」


「やっぱり、卑怯な奴だな。お前は」


「守り甲斐があるでしょ? ほら私、可愛いから」


「そうだな。正直、すげー面倒な女だ」


「む。あんただって、面倒な性格してるでしょ? ま、そこが良いんだけどね♪」


 すり、と胸に乗せられた頭が撫でて来た。

 そうだな……俺も大概、捻くれた男だ。


「明日、皆と話をしよう」


「皆? 皆って、ローザ達?」


「あぁ、ただでさえ大変な状況なのに、お前を引き抜く事になるんだ。分かるだろ?」


「ミーアを俺に下さいって、そう言う訳ね」


 おっけー。何も分かってないな、この女。

 真面目な声で何言ってやがる。


「いや、お前な……」


「おーおー、お熱いねぇっ」


 不意に、正面から野太い男の声がした。

 何だ? 誰だ? 

 ミーアの頭が退いたので、空を見上げていた身体を起こす。


 こちらに向かって笑みを浮かべているのは、若い男達だ。

 男達の数は三人。

 横並びで、中央の黒髪の男を先頭に左右一人ずつ、一歩下がって付いて来ている。


 どうやら冒険者……というか、何度かギルドで見掛けた事がある者達だった。

 いや、見掛けた事がある所じゃないな。

 こいつらは……。


「キリジ? こんな所で何してるの? 何の用よ」


 ミーアが、真ん中の男の名を呼んだ。


 キリジ。

 俺より一つ歳上で、若手の冒険者としては優秀な方らしく、特に戦闘は相当な実力だと聞いている。


 彼は、数多くある女神の祝福。固有スキルの中でも保有者の少なく、強大な力を持っているらしい。

 

「よう、ミーア。中々ギルドに顔出さねぇから、探したぜ。わざわざ俺が、だ。嬉しいだろ?」


「何で私があんたの顔見て喜ばなきゃならないのよ。寧ろ、迷惑なんだけど? 今、大事な話をしていたの。邪魔しないでくれる?」


 おぉ、これこれ。

 やはり、ミーアはこうでないとな。

 やっと俺のミーアが帰って来た気がするぞ。


「相変わらずツレねぇなぁ。聞いたぜ? 自由ギルドとか言う盗賊共に随分仕込まれたんだろ? 少しは女らしくなったんじゃねぇかと期待していたんだが」


「……お生憎様。何もされてないわよ。彼が助けに来てくれたもの。口だけのあんたなんかと違って、すっごく強いんだから。分かったらさっさと帰りなさい。痛い目に遭いたくなかったらね」


 ん?

 おーい、馬鹿女?

 俺を巻き込むのはやめてくれ。


「くくっ、言ってくれるじゃねぇか。だがな、俺はそんなはったりが通用する程、甘くねぇよ。分かったら俺のパーティーに来い、可愛がってやる。色々仕込まれて、あっちの方も疼いてんだろ? だからそんな雑魚を誑かそうとしてるんだ。俺なら、中古になっちまったお前でも愛してやるぜ?」


「黙れと言ってるのよ。聞こえないのかしら?」


 ミーアの声が冷たくなった。

 当たり前か。あの男が悪い。


「そっちこそ、今の状況が分かってねぇのか? もう頼りのローザも使い物にならねぇのは知ってるぜ? 奴は冒険者として終わりだ。今、この街の若手で最も力のある冒険者は、この俺になった。ほら、見てみろよ」


 キリジは、胸元から等級証を取り出して見せた。


 その色は、赤。ミーアやローザの黒より一つ上、冒険者等級、第四位の証だった。


 凄いな。俺よりたった一つ歳上なのに……余程、腕の立つ冒険者なのだろう。


 しかし、冒険者等級の審査は、性格や素行も含まれていた筈だが……どうなってるんだ?


 あぁ、性格がこれだから赤で止められたのか。

 もしそうだとしたら、この男。相当な強さだぞ。


「嘘……あんたが、赤等級……っ!?」


「おいおい、何驚いてんだ? 何も不思議じゃねぇだろ? 俺の強さはお前も知ってる筈だ」


 成る程、大体分かったぞ。

 最初から冒険者等級第三位。


 青から始まり、黙ってれば可愛いミーアは俺と違って、多くの勧誘を受けていた。


 俺にわざわざ自慢しに来ていたしな、ミーアも。


 キリジ。奴もミーアを仲間に勧誘した一人だったんだろう。

 今はミーアも五位。実力は確かだからな。


「ギルドは、どんな判断してるのよ……」


 おい、気に入らないからって言い過ぎだろ。

 余計な火種を作るんじゃない。

 こう言う時は適当に聞き流しておくのが一番だ。


「なぁ、ミーア。だから言ったろ? ローザなんざ、すぐに追い抜いてやるってよ。あんな雑魚共、元から眼中にねぇよ。こんな辺境の若手で一番なんざ、タカが知れてる。その癖、調子に乗ってやがったから、あぁなったんだ。良い気味だぜ。折角なら全員ぶっ殺されてりゃ笑えたのによ。なぁ?」


「はははっ、言えてるな」

「あいつら、本当に目障りだったからなー」


 キリジが後ろを振り返る。

 残りの二人は肯定して笑った。


 あー。流石に胸糞悪いな、こいつ。


「あんた……っ! 取り消しなさいよっ!」


「やだね。お前だって、そう思うだろ? 最初から俺のパーティーに来てれば、お前も薄汚い屑共に股を開かずに済んだんだ。後悔してるんだろ? ホントはよ」


「だから、私はまだ綺麗なままだって言ってるでしょ。誤解させるような事、言わないでっ」


 心底不安そうな顔で、ミーアは俺の顔をちらちら見ている。

 いや、何故俺を見る。

 関係ないぞ、俺は。

 お前の貞操なんか全く興味ないから。


「はっ。しかし、お前がその男にお熱だってのは、本当だったんだなぁ……おい、クソ雑魚。その女から離れて、さっさと帰れ。そいつは俺の女になるんだ。力のねぇ、雑魚のお前なんかが気安く触ってんじゃねぇぞ。あぁ?」


 あーあ、久し振りだな。この言われよう。

 俺も奴とは、何度か言葉を交わした事がある。

 最も、毎回見下され馬鹿にされただけだけどな。


 そう言えば、最初の頃。

 一度だけ荷物持ちに使ってやると言われた事もあったが……今思えば、あれもミーアが目的だったのかもしれない。


「おい、聞こえてるのか? 何とか言え」


 まぁ、しかし。今となってはどうでも良い事だ。


 俺だって、前とは違う事もある。

 全く恐怖がないのだ。以前の俺は正直。この男が怖かった。恐れていた。

 だから、黙って顔を背け、言われるがまま放置していた。

 それが今はどうだ。


「あぁ、悪い。猿がキャーキャー喚いていると思ったら人だったのか。悪いな」


 全く怖くない。

 それどころか、ミーアではないが……。

 こいつくらいなら、簡単に殺せるな。多分。


「ぷふっ……」


 おい、ミーア。笑うな。

 誰の為にこんな、したくもない喧嘩買ってやってると思ってるんだ。

 言っとくが、また貸しだからな?


「あぁ? てめぇ……誰にモノ言ってるか、分かってんのか?」


「猿の鳴き声と聞き違えても仕方ないだろう? さっきから聞いていれば、お前の頭は股間に付いてるのかと思う程に品がない。それに、ローザ達には俺も世話になった。お前なんかが馬鹿にするのは許さん。分かったら、とっとと失せろ。目障りだ」


 目を細め、真っ直ぐ睨みつけながら言う。


 正直、こいつは気に入らない。

 手を出して来るのなら、相手をしてやる。


 「……ちっ。やっぱ、お前には少し教育する必要がありそうだなぁ」


 分かり易い男だ。

 キリジは余程頭にきたらしく、俺へ歩み寄って来ると俺の胸元を掴んで持ち上げた。

 おいおい、シャツ。買ったばかりなんだけど。

 伸びちゃうじゃん。


「大体、格上の俺が立ってんのに、いつまで座ってやがる? そこは俺の席だろうが」


「ちょっと! キリジッ!」


「ミーア」


 俺はキリジを睨み付けながら、ミーアの名前を呼んで制止させた。


「また一つ。貸しだ。手を出すな」


「ケッ。格好付けてんじゃねぇ、雑魚が。大体、てめぇと俺じゃ喧嘩になる訳ねぇだろ」


「どうかな? 試してみろ」


「このガキッ!」


 振るわれた腕によって、視界がグルンと回った。


 投げ飛ばされた俺は、地面に着地する際に受け身を取り、体勢を立て直す。


「ふんっ……生意気な」


 どかっ、とベンチに腰を下ろしたキリジは、ミーアの肩に腕を回して抱き寄せた。

 なんだ? こいつ。喧嘩する気あるのか?

 何処まで人を馬鹿にすれば気が済むんだよ。


「なっ……ちょっと、離しなさいっ!」


「良いだろ? ミーア。今からお前の目を覚まさせてやる。そんな顔だけのはったり野郎より、俺の方がどれ程強く、良い男なのか」


「煩いっ! この……っ! 汚らわしいっ! て言うか、臭いのよっ! あんたっ!」


「ははは、良い。良かったぜ、ミーア。俺は威勢の良い女が好きだ。だから、お前が変わってないみたいで良かった。そこだけは、そこの雑魚に感謝しなきゃなぁ」


「煩いっ! 離せっ! シーナ。シーナ、助けてっ!」


「傷付くなぁ。うん? ミーア、お前なんか良い匂いするな? まさか、そいつとデートだから気合い入れたのか? へへ、可愛いとこあるな。お前」


 俺は立ち上がり、外套に付いた汚れを払う。


「嗅ぐんじゃないわよっ! これは、あんたなんかの為じゃ……こ、このっ!」


 激昂したミーアは、手を振り上げた。

 次の瞬間、パンッ! と乾いた音が響く。


「……っ!」


 目を丸くし、ミーアは呆然としている。

 赤く腫れた頰に、手を這わせながら。


「…………」


 この野郎。今、何をした?

 ミーアの頬を……叩いたのか?


「へっ、躾はこれからしっかりしてやる。でも安心しろ、俺は女に拳は握らねぇ」


 大人しくなってしまったミーアの肩を抱き寄せ、キリジは俺の方へ顔を向けて来た。


「……ちっ。何だ? その眼は。気にいらねぇ」


「お前、ただで済むと思うなよ」


「はっ。また得意のはったりか? あのな、さっきも言ったろ。俺はそんなに甘くねぇ。自由ギルドとか言う連中を殺したのは、バルザの奴が連れて行った手練れの奴等だろ? お前はただ、先に行って死に損なっただけだ。それが何で全部、お前とアッシュの野郎だけの手柄になってるかは知らねーが……気に入らねーんだよ。だから、いつかその化けの皮、剥いでやろうと思ってた」


 キリジはミーアの頭を撫で始め、余裕の笑みを浮かべた。


「へへ、こいつを探してたら良い機会が出来たぜ。正直、中々見つからなくてムカついてたんだ。少しは楽しませろよ」


 俺は頭だけ振り返り、教会を見た。

 ……女神様。何であんた。こんな下衆野郎にも力を与えてるんだよ。

 少しは選べよな、全く。


 キリジは、ミーアの顎を持ち上げ俺を見るように誘導した。


「おい、ミーア。よく見てろよ。お前が大好きなこの男が、どれ程無力で何の価値もない雑魚か……今から俺が、こいつのはったりを暴き、化けの皮を剥いでやる。そうだなぁ……あの綺麗な面、良い感じに醜くなるように潰してやるよ。そうすれば、お前も目を覚ますだろ」


「……シーナ」


 楽しげな声で喋りながら、キリジは気味の悪い笑みを浮かべている。

 そして、そんな彼に抱かれているミーアは、


「ごめん、なさい……」


 泣いていた。

 悔しそうな顔で、震えた声で泣いていた。


「何でお前が謝る」


 だから俺は、肩を竦めて見せた。

 余裕だと態度で示したつもりだ。

 ここまでやられて、流石に黙ってられない。


「寧ろ、丁度良かったと思ってるくらいだ。運動不足だったからな」


「ちっ……本当にムカつくぜ。その余裕、いつまで持つかな? おい。お前等……顔もだが、腕の一本くらい、へし折ってやれ」


「キリジ、本気かよ。こいつ、女神様のお気に入りなんだろ? やめといた方が良いんじゃねぇか?」


「そうだぜ。もう良いんじゃないか? 大体、それだけ大口叩いといて結局俺等かよ。嫌だぜ? 俺。もし後から告げ口されて、冒険者資格停止とかになったらどうする」


 キリジに指示を受けた二人の男達は、今まで黙っていたと思えば、あまり乗り気ではないらしい。

 まぁ、結局は向かって来るだろうけどな。


「うるせぇ、びびってんじゃねぇぞ。告げ口されるのが怖かったら歯を全部叩き折って、喋れなくしてやれっ!」


「いや、びびってはないだろ……しゃーねぇなぁ」


「ちっ……そう言う事だ。悪く思うなよ」


 ほらな。

 まぁ、元々三人共ぶん殴るつもりだった。


「我、女神の祝福を受けし者」


 女神様。

 こいつら、ちょっと許せないんで使わせて貰う。


『ブースト・アクセル』


 キリジ。

 お前がミーアの頬なんか叩かず、一対一で殴り合うんだったら、これを使う気はなかった。

 見せてやるよ。

 希少なスキルを持ち、調子に乗ってるお前に。

 原典の力……格の違いって、やつをな。


『アクセラレーション』


 頭の中に響いたのは、ミーアの声だった。

 今回は、お前か。まぁ、そうだろうと思ったよ。


「覚悟しろよ。手加減なんか、出来ないからな」


 耳鳴りが始まった。

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