第55話 第二章、幕間。英雄達の事情。

 王都より若干北側に位置する街、ローラベル。

 

 王国第二騎士団本部。 

 二階、第三執務室。


「はぁ……ん……」


 午前の公務中。

 突然悩ましげな声が聞こえた。

 鎧姿の剣聖ユキナは書類から顔を上げる。


 声の方向へ視線を向けるユキナ。

 そこには、金髪の美青年が閉じた瞼を左手の指で押さえていた。


 右手に握っている一枚の羊皮紙に、何か良くない事が書かれていたのだろうか? 


 気になったユキナは青年に尋ねる事にした。


「シスル様。どうなされましたか?」


「ん……あ、いや」


 声を掛けると青年は顔を上げた。

 目尻には涙が滲んでいる。


「少し目が痛くてね。心配してくれて、ありがとう」


 微笑みながら答えた青年。

 彼は、女神エリナに選ばれ、数多の異能と聖剣を与えられた絶対的な力を持つ存在。


 シスル・ロウ・ゼムブルグ。


 公爵家の長男でもあり正統後継者でもある彼は、その目麗しい外見は勿論。何をやらせても完璧で、非の打ち所がない超人だ。


 【勇者】

 人は皆、彼をそう呼んだ。


「あら。勇者様ともあろうお方が、お疲れですか? 珍しいですわね」


「ん……ルナ、そう言わない。シスル様だって人間。こう毎日忙しくて……書類と睨めっこ。疲れるのは、仕方ありません」


 続いて声を発したのは、二人の女性。


 一人は豊満な胸部を持つ女性。

 数多の強力な魔法を操る存在。


 【賢者】

 ルナ・ハークラウ。


 もう一人は幼い外見の女性。

 常人では到底不可能な弓技を操る。


 【弓帝】

 ルキア・ドロワール。


 四人は、人類の希望。

 それぞれが女神に特別な力を与えられた英雄。


 現在地は、騎士団の執務室の一つ。

 全員。公務中の為、武装している。

 各人の装備は、一流の職人が一切の妥協を許さず、丹精込めて拵えた一級品だ。


 性能は勿論、見栄えの為に豪華な細工が所々に施されている。


「そうですね……まだ、こんなに沢山」


 自分の机の上を見て、ユキナは表情を曇らせた。


 溜息を吐きたくても我慢しなければならないのが本当に辛い。


 現在、四人が行なっているのは塔のように積み上がった書類の処理。


 この街に来た数日前から取り組んでいるが、一向に終わりが見えない。

 溜息くらい吐きたくもなる。


 しかし、我慢しなければ。

 万が一不満を漏らせば、皆に指摘される。

 おまけに、就寝前に教育係が飛んで来て徹夜が確定するからだ。


 なんで私ばっかり……。


 どうしても、自分に剣聖の力を与えた女神を呪わずにいられない。


「あはは、そうだね。少し疲れが溜まっているみたいだ。少し休憩にしようか」


 連日の激務。

 流石の勇者様も疲労を感じているらしく、シスルは書類から手を離すと大きく背伸びをした。


(いいなぁ……)


 背伸びなんて、人前では出来ない。

 人が我慢しているのに自由なシスルが、ユキナはいつも羨ましかった。


「「「はい」」」


 女性陣は背筋を伸ばし、揃って返事をした。

 彼女達が普段受けている淑女教育の賜物である。


「では皆様、少々お待ち下さいませ。今、お茶とお菓子を御用意させて頂きますので」


「うん。悪いね、ユキナ。頼めるかな?」


「はい」


 両手を膝の上に重ね、軽く一礼したユキナはそっと席を立った。


 給仕は基本的にユキナの仕事だ。

 しかし、全く不満はない。


 自分の立場がこの中で一番下だと分かっているのもあるが、僅かな時間でも一人になれるからだ。


 誰かと一緒なら、常に気を張っておかなければならない。

 流石に、たまに息を抜かないと耐えられない。


 これで身体が伸ばせるー。

 内心ホッとしたユキナだったが、今日は待ったを掛ける者がいた。


「なりません剣聖様。給仕は、私が致します」


 扉の隅に控えていた侍女だ。

 まだ年若く、経験不足が伺える。

 ただ、誰もがすっかり忘れていた程に気配を消していたのは流石であった。

 全員の視線を集めた侍女は、びくりと震えた。


「あー。じゃあ頼もうかな。ユキナ、君も座って休みなよ」


(嘘……最悪だよ……)


 侍女もシスルも好意のつもりで言っている。

 それは分かるが、ユキナは酷く落胆した。


「……はい。では、お願いしてもよろしいでしょうか?」


 ささやかな自由を奪われ、落ち込む気持ちを悟られないように尋ねる。

 すると侍女は、ぱあっと笑顔を浮かべて深く頭を下げた。


「はい。畏まりました! すぐにご用意させて頂きますっ!」


「うん、宜しくね」


 給仕を命じられて喜ぶ侍女に、シスルが苦笑いを浮かべる。

 勢い良く頭を上げた侍女は優雅な足取りで歩く。

 退出する際、もう一度深く頭を下げて。


「では……っ! 直ぐに戻って参ります!」


 扉が閉まると、パタパタと慌てた様子の足音が聞こえてくる。


 彼女を黙って見送ったユキナは静かに椅子へ腰を下ろした。


「ふぅ……それにしても例の件。全く有益な情報が無いね。毎日毎日沢山送られて来てるけど、新しい被害者の名前と場所。状況だけじゃ話にならないよ」


 やれやれ、と。シスルは首を振る。


 現在、彼等勇者一行が取り組んでいる事案。

 各地で突然人が消えるという不可解な現象。


 様々な説やあらぬ噂も飛び交い出して来て、どれを信じて良いか分からず余計に難航している。


 しかし、早急に解決しなければならない。

 既に行商人は怖がってしまい休業した者も少なくない。

 当然、物流に影響が出ている。

 しかし、こんな状況では働く事を強要する事も出来ない。


 民の不安を払拭するのは、貴族の仕事だ。


「そうですね。まさか、これ程までに苦戦を強いられるとは……」


 色んな意味で気持ちが沈んでいるユキナは、俯きながら言った。

 疲労もあるが、それよりも心配だった。


 行方が分からなくなった人々が今、どうなっているのか。

 必死に探している関係者の事を思うと胸が痛い。


 捜査に加わる事が決まってから、直接話や訴えを何度も聞いた。

 手紙を送って来るものも少なくない。


 誰もが必死に探していた。

 悲痛な声で懇願された。


 思い出せば、余計に胸が痛くなる。


(皆は、大丈夫だよね……)


 辺境の小さな村。

 故郷も何か起こっていたらどうしよう。


 そう考えると、不安が一層強くなる。

 もう何度も考えている。

 何故、私はここに居るんだろう……と。


 なんで私は、本当に守りたい人の為に力を振るう事が出来ないのか。


 剣聖だから。英雄だから。

 そんな理由では、到底納得出来ない。


「今回程、使えそうな祝福に条件がある事を煩わしく感じる事はありませんわね」


「それ。何度も聞きました。もうお腹一杯です」


 賢者ルナの愚痴に辿々しい言葉で応えた弓帝ルキアは、机に伏せようと手を伸ばして止める。


「おっと」


 今は公務中で、更には主人である勇者の前だ。

 例え休憩中であっても、淑女たる者。気を抜いた姿は晒せない。

 改めて背筋を伸ばし座り直すルキア。


「あ、ルキア。良いよ良いよ。楽にしてて。まぁ、さっきの子が帰って来るまでだけどね」


 椅子に深く腰掛け、シスルは手を振った。


「他の皆もそんな堅苦しい態度じゃ余計に疲れるよ。気を抜く時はしっかり抜こうよ。話し方も無理しなくて良いから、楽にしてて」


 まさかシスルがそんな事を言うとは思ってもいなかった女性陣は顔を見合わせた。


 本当に良いのだろうか? 

 皆、そう顔に書いてある。


 女の子達を見て、シスルは苦笑した。


「確かに僕等は女神様に選ばれて、特別な力があるけど……それ以外は普通に人間なんだから、こんな毎日仕事ばかりじゃ疲れちゃうよね。そろそろしっかり休養したいよ」


 まさか、勇者様は率先して愚痴を溢し始めた。


「大体、僕等の使命って魔人と戦う事じゃないの? なんでこんな何も分からない事件の為に、あちこち回らないといけないのさ」


「シスル様。私達は……」


「その魔人は最後に……あのほら、赤い髪の四天王が率いてたのと戦って以来。全然攻めて来ないんだから……少しは休んだって良い筈だよね。いずれ戦う事になるんだから。今のうちにやりたい事沢山あるよ僕だって。下手したら死ぬんだし」


「た、確かにそうですが……」


「せめて何か分かるか、攻めるなら攻めるで戦力が整うまで余計な仕事はさせないで欲しいよ」


 腕を組み、シスルは深く溜息を吐く。


 何とか宥めようとするユキナ。

 だが、考えを言ったところで「それくらい分かってるよ」と返答されるのは目に見えている。


 それに、彼は本当に分かっているのだ。

 今は、こんな愚痴を言っているが……彼は普段。公務に真剣に取り組んでいる。


 勇者の名に恥じず、正義感は人一倍強いのだ。


「…………」


 思えば、故郷に帰ってから暫く。


 ユキナはシスルに寝所に呼ばれたり、夜伽を命じられなくなった期間があった。


 勿論、原因は分かっている。

 幼馴染からの……シーナの手紙だ。


 あんなに取り乱し、痴態を晒したのだから仕方ないと納得はしていた。


 彼なりに心配して、そっとしておいてくれているのだろう。

 それとも、愛想を尽かされたのだろうか。


 最愛の人を裏切り、失った。

 その上、シスル様にまで要らないと言われたら、どうしよう。


 最近はよく呼ばれるので、その心配は無さそうだが……前より行為が相当荒っぽくなったのは気になっていた。


 行為の最中は頭が真っ白になるので、シスルの抱く自分への好意。愛情が強まったのだろうか? と考えていたのだが。


 しかし、どうやら勘違いだったらしい。

 自分の身体は、ストレス発散に使われていただけなのだろう。


 そんな悲しい結論に行き着いたユキナは、少し落ち込む。

 同時に……最近の自分の乱れ様を思い出し羞恥で顔を赤くした。思わず俯く。


(……利用しているのは、私も同じだ)


 最近、シスルに触れられる度……抱かれる度。

 ユキナは、シスルが最愛の幼馴染に見える幻覚に苦しんでいた。


 何度振り払おうとしても消えない白髪の幻想。

 最近は諦めて身を委ね、甘い幻想に溺れている。


(まだ私、シスル様よりシーナが好きなんだよね。だって、シーナに抱かれてると思うと……凄く興奮するもん)


 物心付いてからずっと抱いていた想いは、中々消えてくれない。


 特に、あの日。聖人の儀が無事に終わっていれば。剣聖にならなければ……シーナと毎日愛し合って子供を作ろうと決めていたのだから。


(……でも、そろそろ忘れなきゃ)


 ユキナは頭を振って、最後に見た彼を思い出す。


 自分は女神様に選ばれ、人々に希望を与える為に戦う剣聖。


 勇者様を愛し支えながら魔人を滅ぼし、世界を平和にしなければならない。


 シーナは賢い。

 共に歩めない、それを理解してくれたからこそ、突き放されたのだと分かっている。


 だからもう、彼の気持ちを無駄にしない為にも。忘れなければならないと分かっているのだ。


 それなのに……。

 

 どんなに鍛錬をしても、努力して、どんなに強くなっても……中身は弱い村人のままだ。


(シーナはまだ……ううん。シーナもまだ、私のことが好きなままだよね……? 会いたいなぁ……)


 肩を落とし、ユキナは深く溜息を吐いた。

 お許しが出ているので、我慢しなかった。


「特にユキナ。君は、新しい家族が出来て大事な時期なのに全然帰れてないだろう? ホント、何考えてるんだろうね」


 不意にシスルから声を掛けられた。

 慌てて、ユキナは姿勢を正す。


「そうですね。私も寂しいです」


 急ではあったが、自然と返事が出来た。


 何故なら、他人ではなくシーナや本当の両親と会えないのが寂しいと思えば良かったからだ。


「大丈夫? ちゃんと話は出来てるかい?」


「はい。皆様、とても良くして下さいます。今は毎日のように手紙をやり取りしているんですよ」


 笑みを浮かべて、ユキナは答えた。

 嘘は言っていない。

 ユキナを養子として迎えたローレン家の皆は、本当に良くしてくれている。


 だが、どうしても……その優しさは、自分が剣聖で利用価値があるから与えて貰えるだけだ。

 そんな僻んだ考えが拭えない。


 教養を身に付け考え方が変わった事で、ユキナは前よりも臆病になっていた。


 何より、本当の家族。

 故郷への連絡を禁じられたのが辛い。


 当然、抗議はした。

 だが、帰ってきた返答は冷たいものだった。


 昔の事はもう忘れなさい。

 あの人達は本当の家族ではない。


 貴女を守る為、隠す為。

 充分な報酬を渡して、育てて貰っていただけ。


 全てが、偽物だった。そう言われたのだ。


(あぁ……今思い出してもムカムカする。ホント、嘘つきばっかり)


 当然そんな事はあり得ないと聞き流した。


 あの両親が。

 村の皆が自分に向けてくれた愛情は、本物だったと断言出来る。


 故郷で過ごした日々に嘘はなかった。


 大体、お金があるならあんなに貧しい暮らしをしていた筈がない。


 本当に今居る場所は嘘だらけだ。

 自分の保身。出世の為なら平気で人を騙し、利用しようとする人間ばかりだ。


 初対面では勿論のこと、多少仲良くなっても本気で信用出来る人なんていない。


 ……欲を言えば今すぐ全てを放って帰りたい。


 両親に甘え、最愛の人に謝り、償いをしてやり直したい。


 何も変化はないけれど、貧しいけれど。

 ただ、素直に笑って過ごせる日々へ戻りたい。


 こんな嘘だらけの場所に居なければならないのは……本当に辛い。


 だけど、今の自分には……。


「それは良かったね。いずれは僕の家族になる人達でもある。くれぐれも失礼のない様に頼むよ。良好な関係を築きたいからね」


「はい、お心遣い感謝致します」


 そんな我儘は、許されない。


 自分は女神に選ばれ、戦う剣聖。  

 勇者の妻になる為に生まれてきたのだから。


 深く頭を下げたユキナに、シスルは頷いた。


「……ホント、お人形さんなんだから」


「……こら、ルナ。聞こえる」


 半眼で呆れた様に呟く、ルナ。

 そんな彼女をルキアは肘で突いた。


 と、その時。

 コンコン、と不意に。扉が二度叩かれた。


 女性陣は姿勢を正し、来客を招く用意をする。

 恐らく、先程の侍女が帰ってきたのだろう。


「どうぞ」


 女性達の様子を見て、シスルが告げる。

 少し間を置いて扉が開き、現れたのは。


「お忙しい所、失礼します。騎士長のアラド・ドラルーグで御座います」


 白銀の鎧を纏った男だった。

 威厳を感じさせる恵まれた体格の持ち主で、槍の実力は国で一番といっても過言では無い。

 日に焼けた様な褐色の肌が特徴的だ。


 彼は勇者一行に従う騎士隊の騎士長を務めていた。

 当然、ユキナも見知った顔だ。


 胸に握った拳を当て、軽く会釈。

 彼は入室し、静かに扉を閉めた。


 シスルの前に歩み寄ったアラドは、後ろ腰で両手を組んで待機する。


「やぁ、ドラルーグ騎士長。どうしたのかな?」


「はっ! ゼムブルク殿。至急お伝えしたい案件があり、参上致しました」


「そう。あぁ、その堅苦しいのやめてっていつも言ってるでしょ? 僕、騎士長より相当歳下なんだから」


「そうは参りませんと、普段から申しあげている筈です。貴方は女神エリナ様に選ばれた人類の希望にして至宝。それがなくとも、私は男爵家の出です。家格の事もありますので」


 アラドの堅苦しい挨拶を聞いて、本当に貴族社会は面倒だとユキナは思った。


 しかし意外にもユキナと同じく、シスルも面倒臭そうな表情を浮かべる。


「あー、分かった分かった。じゃあ早速、用件を聞こうか」


「はっ、畏まりました。暫しの間、お時間を頂戴致します。大変重要な案件ですので、どうか皆様。ご静聴の程、よろしくお願い致します」


 本当に堅苦しい前置きをして、アラドはまた軽く頭を下げた。


「先程。王都より早馬がやって参りまして、通達が御座いました。我々は現在行なっている行方不明者捜索の任を解かれ、王都へ帰還。凱旋行事を行った後、別命あるまで待機。休養せよとの事です」


「えっ? それは本当かい?」


「はい。本当です。ですので、明日の早朝にでも出たいと考えております。よろしいでしょうか?」


 淡々と告げられた突然の報告に、全員が驚く。


 何故なら、未だ何も成果を出せておらず、解決の目処も立っていない。

 それが急に捜索の任務から外されたのだ。


「ねぇ、ちょっと待ってよ。もしかして何か分かったのかい? それなら、報告の一つくらいするのが筋じゃないかな」


「はい、ありました。解決の目処と言うより、国内で起こっていた今回の騒動。その黒幕が判明したそうです。その為、これ以上皆様の手を煩わせる必要は無いと判断したそうで」


「あぁ、そう。じゃあ……はい」


多少手荒な仕草で、シスルは手を差し出した。


「報告書、来てるんでしょ? 早く見せてよ。僕はいつも言ってる筈だよね。ただ利用されるのは嫌いだって。これだけ振り回されたんだ。君達は分かっている事を全て報告する義務があるし、僕達は聞く権利があると思うよ。ねぇ? 皆」


 目力を強くしてアラドを睨みながら、シスルは全員に問い掛けた。


「そうですわね、シスル様の言う通りですわ。振り回すだけ振り回して、要らなくなったらポイじゃ納得出来ません」


「ん……最近はちょっと調子、乗り過ぎ」


「あ、あの。私も知りたいです。私達、本当に必死で探していたんですから」


 ルナ、ルキア、ユキナ。

 三人の英雄姫は、順番に告げた。


 全員を見渡して、アラドは頷く。


「存じております。皆様、そう仰ると思いまして、当然。お持ちしました」


 アラドは手に持っていた封書を掲げた。


 二通あり、片方は小さな封筒。

 もう一つは紙を丸め、騎士団の紋章で封をされた報告書だ。


「なら最初からそれを出しなよ。焦れったいなぁ」


「申し訳ありません。では」


 急かされたアラドは足早にシスルと距離を詰めると、封書を手渡した。


「まずは、こちらからご覧下さい」


 手に取ったシスルは、封書を返して裏面を見る。


「冒険者ギルド……セリーヌ支部? セリーヌって……」


 セリーヌ。


 その単語に、勇者一行全員の視線がユキナへ向いた。


 同じく。その単語に反応していたユキナは突然の事に驚きつつ、おずおずと応える。


「私が、女神様に剣聖として見出して頂いた街ですね」


「だよね。道理で聞き覚えがあると思った。西部の端にある街だよね。そんな所から、何で……」


 記載を見ながら呟いて、シスルは封を開けた。


 中には一枚の用紙。折り畳んであったそれを開くと、勇者一行への救援依頼を出す為の申請用紙だと分かった。


 目を通すと、行方不明者の居所が判明した事と、はぐれと呼ばれるならず者達がいる事が簡潔に書かれている。


 報告者の名前は……無い。匿名だ。


「ふぅん。これだけの情報量じゃ信憑性に欠けるね」


 何度か読み返しながら、シスルは眉を寄せる。


(あれ……? なんかこの文字、見覚えがある様な……)


 文字を見ていると優れた記憶力に何かが引っ掛かり、思い出そうとする。

 しかし。すぐに諦めて顔を上げた。


「そっちは? それが本命なんでしょ」


「流石はゼムブルグ殿。素晴らしい御慧眼にこのアラド、感服致しました」


「そういうのはいいから」


 気味の悪い芝居に呆れ、半眼になりながらシスルは急かした。


「こほん。では、どうぞ」


 差し出された封書を手に取って封を切る。


 そして、広げた羊皮紙に目を通したシスルは見つけた。


 彼が非常に興味をそそられる一文を、見つけてしまった。


「おっ……くくっ……にひひっ。まさか、君の名前が出てくるとはねぇっ!」


 突然笑みを浮かべたシスルに、ルナはうわぁ……と顔を顰めルキアと顔を見合わせる。

 絶対ロクな事じゃないと思ったからだ。


「こりゃあ凄い。いや、凄い。凄過ぎる。素晴らしい。ここ最近で僕、一番嬉しいかも」


「え? あ、はぁ……」


 満面の笑みを浮かべるシスル。

 予想外の反応に、アラドは訝しんだ。


 と。不意に何故か、シスルはユキナを見た。

 キラキラと、少年の様に輝く瞳で。


「いやぁ……良い。良いねっ! ユキナ!」


「えっ? は、はい?」


 とりあえず頷いてみせるユキナ。

 正直、意味が分からない。


 しかし、このやり取りだけでシスルが喜んでいる理由に気付いた者が居た。賢者ルナだ。


(はぁ……やっぱり、あの人……大人しくしてなかったのね」


 勇者シスルは、ここ最近で一番輝く笑顔をユキナへ向けた。


(そうよね。私達とは違うけど、彼も女神様に選ばれた一人に違いないんだもの……)


「君の幼馴染は最高だよ、ユキナ!」


「えっ!?」


 シスルが口にしたのは、まさか過ぎる一言だった。

 ここまで言われれば、流石のユキナも気付く。


(まさか……シーナがッ!?)


 誰の名前が書いてあるのか。


「シ、シスル様。お願いですっ! どうか、どうか私にそれを見せてくださいっ!」


 見たい、見たい、見たい。

 強い衝動に駆られ、身体が熱くなるのを感じながら、ユキナはなりふり構わず立ち上がり身を乗り出した。


「あははっ。こらこら、はしたないぞ? ユキナ」


 シスルは更に笑みを深くしながら指摘した。


「で、でもっ! それは……それだけは、どうしても見たいんですっ!」


「うんうん、分かってるよ。でもまぁ、まぁまぁ……待つんだユキナ。物事には順序が必要なんだ。それは君も良く分かっているだろう? 焦ってはいけないよ」


 笑顔のままアラドに向き直り、シスルは告げた。


(いやぁ、ユキナは分かりやすくて良いなぁ!)


 久々に感じる童心。

 彼はわくわくしていた。


「お、お願い致しますシスル様! どど、どうかお見せ下さい! 意地悪しないでくださいっ!」


「もう、だから焦るなってば。順番だよ順番。はい、ルナ。君からね」


 ユキナを宥めながら、シスルは書類を二つともルナへ差し出した。


(うわぁ、こいつ。やっぱ屑だわ……サイテー)


 顔を痙攣らせながら、ルナはユキナを見た。


 涙で潤み、物凄く物欲しげな目。

 見覚えがあるその目に、ルナはすぐに気付いた。


(昔うちで飼ってた犬がお腹空かせた時の目にそっくりね……)


 不覚にも彼女の嗜虐心が揺さぶられた。

 ちょっと意地悪したくなってしまったのである。


 勿論、何が書いてあるのか興味もあったので、ルナは書類に目を通して……驚いた。


 とても信じられない記載の中に、確かにその名が書いてあるのだ。


 予想以上に興味深い内容だった為、じっくりと二回。ゆっくり読んでしまう。


「う……うぅ……」


 余りに遅く、更に目が一番上に戻って二回目に入ったせいで、お預けを食らったユキナは今にも泣き出しそうだった。


(皆、意地悪だ……酷い……)


 遂には拗ね始めたユキナだった。


「あっ……ご、ごめんなさい。あまりに衝撃的で……」


 読み終わり放心していたルナは、ふと気付いて謝った。

 そんな彼女に幼い手が差し出される。


「早く、寄越す……! 私も、気になってるからっ!」


 見れば、目をキッと釣り上げたルキアが急かしていた。

 普段は物静かな少女は、凄まじい剣幕を見せた。


「え、えぇ」


 小さなルキアの手に、ルナは書類を渡した。

 ぐすぐす鼻を鳴らしながら、ユキナは涙で潤んだ目でそれを追う。


 読み始めたルキアは、「おー」「ほー」「ふぅー」「わぁ」と声を出しながら読み進めている。


 非常に気になる声を出しながら、ルキアは二回どころか三回、四回と時間を掛けた。


 そんなルキアを見て、ユキナの肩が震え始める。

 完全に遊ばれている、と感じたのだ。


(久々にユキナが仮面を脱いだなぁ……うん、今夜が楽しみだ。シーナくんの事を聞きながら、ユキナをたっぷり虐めて遊ぼう……)


 そんなユキナを勇者様はニヤニヤしながら見ていた。


「あっ……ごめんユキナ。いや、ホント凄くて」


「いいです……いいですから、早く下さい……」


 流石にやり過ぎたと思ったのか。申し訳なさそうに謝るルキア。


 そんな彼女を涙目で見ながら、ユキナは震える手を差し出した。


「いよいよだねぇ。いやぁ、予想以上に長かったね、ユキナ。全く……二人共ー、意地悪し過ぎだよ〜」


 にこにこ笑いながら、シスルは茶化した。


 ルナとルキア。二人は思った。

 お前が言うな、と。


「はい、どうぞ」


 席を立ち、ユキナの机に二通の手紙を置いたルキアは自分の席に戻った。


 やっと封書を手に取れたユキナは、目を見開く。

 綴られた字は、見覚えのあるものだった。


 まだ拙くて、だけど丁寧に書こうと努力をしているのが伺える。そんな文字。

 最後に見たのは半年前。その時よりは格段に上達しているが……見間違える筈がない。


(シーナの字だ……)


 これは後から読もうと決め、報告書の方へ手を伸ばす。

 開いて一番上に目を向けたユキナは、


『通達。現在各地で起こっている突然人が消えるという不可解な現象。一連の事件に関連すると思われる出来事に光明が見えた事を報告する。最西端の街、セリーヌにて。自由ギルドを名乗る野盗が根城にしていた森林奥部の洞窟から、行方不明となっていた者達が発見、保護された。また、捕虜からの取り調べにより、どうやら彼等は国内全域に活動拠点を持つ巨大犯罪組織である事が判明した。その為、此度の騒動は全て、この自由ギルドが行った犯行であると断定。まずは、此度。その支部をたった二人で壊滅させ、囚われていた捕虜を連れ帰り、生還した冒険者達。彼等に称賛と感謝を送りたいと思う』


 セリーヌ、冒険者。

 二つの単語から、ユキナは彼が冒険者になった事を悟った。 


 そういえば、自分の首にも冒険者の証となる金の等級証があるのを思い出す。


 彼も自分と同じ様に首から下げているのだろうか……そう考えると嬉しくなった。


『件の自由ギルド。主な活動目的は人身売買。勿論、違法だ。その為、発見されなかった者は既に売り出されてしまっているに違いない。しかし、発見されるのも時間の問題だろう。彼の者達が扱っていた売買経路も判明している。どうやら、近年許可したばかりの魔人売買に紛れ込ませていたようだ」


「そんな……」


 一度読むのを止めて、ユキナは呟いた。


 まさか捕らえた魔人の売買が許可された事が、こんな風に利用されるとは思いもしなかった。


 これでは、自分達が新大陸の端。襲撃した村から捕らえて来た魔人達のせいで、こんな事になったと言っても過言ではない。


(……とりあえず、これを考えるのは後)


 一度大きく息を吐いて、ユキナは続きを追った。


 暫く読み進めて、ようやくユキナは目当ての一文を見つける。


『自由ギルド。聞けば聞く程、凶悪な集団だ。少なくとも、ただの野党と片付けられる規模ではない。我々は総力をあげて、これに立ち向かわなければならない。しかし、それだけに信じられない。いくら辺境の小さな支部だっただろうと言えど、まだ年若い冒険者達がたった二人で乗り込み、壊滅させたと言う事が』


「きた……!」


 いよいよ来るとは思っていたが、予想以上に衝撃的な文に目を見開き、声を漏らす。

 しかし、目は自然と文字を追っていた。


『しかし、後程。救出の為に突入した冒険者達は、頑なにそう証言している。歳若き二人の英雄達は、たった二人で数十人の賊を斬り捨て、囚われていた人々を救い出し生還した。これは、紛れも無い事実なのだと。私はその功績を心から称え、感謝の意を示したいと考える。


 黒等級冒険者 アッシュ

 白等級冒険者 シーナ


 勇敢な若者達へ、心から感謝を』


「う、嘘……っ! 嘘、嘘……っ!? な、何で。何で、シーナが……っ!」


 余りの衝撃に目を見開き、ユキナは叫んでいた。


 彼女の白く小さな手が、握っていた報告書をはらりと取り落とす。


 そんな彼女の反応を全員がにやにやしながら見ていた。

 見てて凄く面白い。最高の見世物だった。


「……はぁ」


 呆然としたユキナは、暫しの時を経て気を取り直し、震える手で書類を手に取り直した。


 再度、続きから文字を追う。


『不躾ながら私は、思わず二人を調べた。職業は剣士、祝福持ち。これは当然だろう。しかし、面白い事が分かったので報告させて頂く。それは、シーナ少年に関してだ。彼は現在、六つ確認されている原典。その六人目だったのだ。当然皆様はご存知だろう。そう、六人目は昨年に現れてから、所在が分からなくなっていた上昇加速ブースト・アクセルである。効果は本人も未だ正しく掴めていないと話しているが、私はこれを知り納得する事が出来た。彼は女神様に選ばれた一人であり、今回の事件は女神様が下した天罰によって解決に導かれたのだと。流石。女神エリナ様は、至高の存在である』


 読みながら、ユキナは思い出す。


 そうだ。確かにシーナの持つ固有スキルの名は、上昇加速。

 剣聖としてほぼ全ての剣士スキルを使える様になった今でも、この力は習得出来ない。


 そう言えば、あの日。彼は神官に言われていた。


『初めて見るスキルだ』


 と。


『一応。今回の経緯、動機について。二人の供述も記載しておく。冒険者アッシュは、


仲間を助けに行っただけです。


と話した。そして冒険者シーナは、


 大切な人が連れ去られ、傷付けられたから。


以上で報告を終わる。


また。上記の件から分かる通り、この件は解決の目処が立った為。勇者一行は王都へ帰還。凱旋行事を済ませた後、長期間の休養を取って頂いて構わない。ご協力に心からの感謝を』


 最後に報告者である人物の名が記載されており、ユキナは口をだらしなく開けたまま……シーナの関わる文を二度、三度と読み返した。


「どうして……どうしてシーナが」


 読みながら、ユキナは呟く。


「どうしてシーナが、戦ってるの……?」


 読み終わったユキナは書類を俯き、肩を震わせた。

 くしゃり、と手の中で紙が潰れる音がした。


 何で彼が戦っているのだろう。

 頭の中は、それで一杯だった。


 自分が彼を裏切った理由。

 剣聖として戦う理由。

 今まで頑張ってきた理由を全て、否定された気がした。


 報告書には、シーナが剣を握り、返り血で血塗れになりながら戦った事実が綴られている。


 少し前、自分があんなに躊躇った人殺しを彼はやったのだ。

 それも、初めから一度に何人も。

 自分と違って、何の使命も責任も背負ってないのに。


「どうして……? シーナ……」


名前を呼ぶと。ふと、ユキナは初めて人を斬った時の光景が脳裏に浮かんだ。


 剣を持つ自分の前に膝をついて並べられた者達。

 彼等は既に死刑が決まっていて、牢獄から連れ出された犯罪者達だった。


 そんな彼等を、自分は斬れと命じられた。


 やめてくれ、斬らないでくれ。

 心を入れ替えるから、殺さないでくれ。


 恥を捨てて泣き叫ぶ彼等を見て、躊躇った。

 ユキナ自身、やめさせてと泣き叫んだ。


 だが……最後は斬った。

 今ではもう、何人斬ったのか。覚えてない程に斬った。


 私の手は、血で汚れている。

 だから、もうあの優しい世界には帰れない。


 それは、諦めた理由の一つだったのに。


「何で? シーナ。どうしてあなたは今頃、出てくるの? どうして……忘れさせてくれないの……」


 俯いたまま涙を溢し、ユキナは呟いた。


 報告書には、彼は大切な人を助ける為に戦ったと記載されている。


 本当に許せない。

 悲しみが、どんどん怒りに変わっていく。


「どうして? どうしてなの? シーナ……」


 膝の上で拳を握り震わせたユキナは、


「私が呼んでも、来てくれなかった癖に……!」


 怒りに任せて叫んだ。


 引き離される瞬間。連れていかれる道中。

 王都に連れて来られてからの数ヶ月。

 ユキナは何度もシーナの名を呼んだ。


 毎晩のように枕を涙で濡らし、シーナだと思って抱き締めた。

 必死に字を覚え、会いたい。愛してると何度も書いた。


 手紙は一度調べられると知っていた。

 直接辛い、苦しい、助けて。なんて書けなかったから、精一杯会いたい気持ちを伝えたつもりだ。


 それなのに、幾ら待ってもシーナは来なかった。

 来なかったのだ、彼は。


 それどころか、運良く帰れたと思えば、まともに話もさせてくれなかった。

 更には、そのまま彼は立ち去り姿を消した。


 到底許せるものじゃない。


 それが今更になって出てきた。

 報告書に、大切な人の為に戦ったと記載されて。


(やっぱり、シーナは最初から普通じゃなかったんだ……っ! 特別な人間だったんだっ!)


 ユキナは気付いた。


 最後に冷たい目を向けられて、言葉すら交わさないまま別れたあの日から……すぐに冒険者になったとしても数ヶ月しか経っていない。


 そんな短い期間で、報告書に記載された元騎士まで居る様な犯罪者を相手に大立ち回り出来る程、平和な村で過ごしていた彼が急激に実力を付けるなんてあり得ない。


 なら彼には最初からあったと考えるのが自然だ。

 思えばシーナは、女神様から力も授かっている。


 女神が新たに生み出した彼だけの力を。

 英雄、剣聖すら持てない特別な権能がある。


(やっぱり、シーナは……私の大好きな優しいシーナのままなんだっ! じゃあ。じゃあ、なんで!)


 大切な人の為なら、命を賭けて戦える。

 そんな勇気が、力があるなら。


(なんで? なんで、なんでっ! なんでぇっ!)


 どうして彼は、来てくれなかった?

 どうして彼は今、自分の側に居てくれない?



『ユキナ。お前は俺の一番大事な人だ。だから俺は、一生。何があってもお前を守るよ。どこに行っても、迎えに行くよ。お前が、俺を必要としてくれてる限り……絶対幸せにする。約束だ』


 故郷にある湖を見ながら、彼は確かにそう言っていた筈なのに……。


 ……アア、ソウダ。


 最初に裏切ったのは、シーナだ。


「ねぇ? シーナ。何で今回は戦ったの? 探したの? 助けたの? もしかして女……? たったの数ヶ月で? あのシーナが? ありえない。ありえないよね? だってシーナはまだ私の事大好きで、愛してる筈だもん……だ、だけど。もし、もし……お、女だったら。ゆ、許せない」


 言いながら、ユキナはハッと気付いた。


 自分のよく知っている幼馴染は亡くなった母親に決して裏切り者は許すなと教えられていた。

 だから、ユキナは。


『もう、大丈夫。私は何があっても裏切らないよ。大好きなシーナを裏切るなんて、あり得ないもん』


 耳元で囁き、甘えていた。

 そう言うと、シーナはとても優しくしてくれる事を知っていたから。

 ふと嫌な想像がユキナを襲う。


 最後に見た、あの冷たい瞳。

 眉一つ動かさないシーナが、告げる。


『お前はもう要らない。他に大切な人も出来た。寧ろ、二度と話し掛けないでくれ。


 勇者様とお幸せに、剣聖様』


 シーナの隣には他の女の子がいた。

 自分に良く似た女の子だ。

 幸せそうに頰を緩め、シーナの腕に甘えている。


「おぇっ……」


 本当に嫌な光景だ。

 吐き気がする。


「だ、大丈夫。シーナはそんな事言わない。私には、そんな事言わない。あの手紙だって何かの間違いに決まってる。大体、先に裏切ったのはシーナだし、あの日も私の話も聞いてくれなかった。あんなのは私の好きなシーナじゃない。偽物に決まってる。ちゃんと話せば、分かってくれる。 また私に笑ってくれるに決まってる……」


 本当はあの日。

 ユキナは、何度もシスル様に強要された事を言わずに済んで良かった、と。凄く安堵していた。


 シーナが居なくなってくれて良かった、と。


 でも今は、後悔しかない。


 ちゃんとあの時、勇気を出して話しておくべきだった。

 勇者シスルに逆らい、自分の本心を叫んでおけば良かった。

 なんで、そうしなかったんだろう。


「大丈夫。いつか、次がある。シーナが居る場所は分かったんだもん。絶対、諦めるもんか……」


 今度会ったら、ちゃんと話せる、謝れる。


 そうすれば、シーナはちゃんと聞いてくれる。

 分かってくれるに決まってる。 


 ユキナは、そう疑わなかった。


 仲直りさえ出来れば、隠れて会う仲になれるかもしれない。

 周りには秘密の恋人になって貰うのだ。

 そして。昔みたいに、仲良く……。


 ユキナは今更。そんな都合の良い事を考えた。


「あはは。久々に帰ってきたなー。僕の大好きなユキナが♪」


 そんな彼女を見ながら、勇者シスルは楽しげに笑っている。


 彼の頭の中は今夜、久々に本当に好きな人の事で頭が一杯になっているユキナに何をさせて遊ぼうか、どんな風に抱いてやろうか、そんな最低な事に使われていた。


(ふふ、良い。良いよユキナ……今日の君は一体、どんな反応を見せてくれるんだい? シーナくんの事で頭が一杯な君は、何を考えるんだい? 好きな男のことを考えながら、他の男に抱かれて、罪悪感を思い出しながら……君はその愛らしい声でどんな言葉を紡ぐんだい? ……あぁ、早く夜にならないかなぁ。沢山鳴かせてあげるからねぇ♪)


 そんな中。楽しげなシスルに対して、ルナ。ルキアの女の子二人は、ユキナが発し始めた黒い雰囲気に気付き、頰を痙攣らせていた。


「な、何? あの子……拗らせ過ぎじゃない?」


「ん……凄く、面倒臭い」


「色々我慢してたみたいだからね……遂に爆発か」


「ん……今のユキナは、人形じゃない。久々に人間と言うか」


 ユキナを見ながら呟いたルキアは、その後。

 そっと、ルナを盗み見て。


(あなたが言う? それ)


 内心を言葉にしたくなるが、グッと堪えた。


「まぁ、落ち着くまで、放置。安定」


「そうね。暫くあの娘には近付かないでおきましょう」


「うん……それにどうせ、今夜。酷い目にあってボロボロになるから……明日には、元通り。いつもの事」


「あんたも結構言うようになったわね。はぁ……そっか。また慰めてあげないといけないのね。めんどくさ」


「お陰で、貴女は助かってる」


「分かってるわよ。もう、ホント学ばないわよね、あの娘は」


 ひそひそとそんな会話をしている二人。


 ユキナを観察して楽しんでいたシスルは、そんな二人を一瞥した後。机に肘を突き、頬杖をしながら口を開いた。


「どうだい? ユキナ。懐かしい名前を見た感想は。彼、随分頑張ってるみたいだよ?」


 尋ねられたユキナは、顔を上げた。

 本来宝石のような輝きを持つ彼女の瞳は、光を灯していなかった。

 ルナとルキアは、それを見てビクッと震える。


「うわぁ……うっ!」


 思わず声を漏らしたルナの脇に、ルキアの肘が突き刺さる。


「そうみたいですね。とても信じられませんが」


(声、こっわ)


 ユキナが発した声に普段の愛らしさは無く、感情が篭ってないのがすぐに分かった。


 抑揚が無く冷たい声に、呆れ顔のルキアは思わず口元を歪める。


「そうだね、とてもあんな小さな村出身の村人とは思えないよ。流石は、剣聖の幼馴染と言った所か」


「シーナは幼い頃から良く、将来は強い剣士になって村を。 私を! 守ると言っていましたから」


 私を! の部分だけ強調したユキナの言葉は、全員に凄く伝わった。

 これは大変怒っていらっしゃる。


 しかし、なぜ怒っているのかは分からない。


 大好きな幼馴染の活躍を見て、喜ぶものだと思っていたのだ。


「そっか。なら彼は約束を守ったんだね。確かに助かった。正直今回の案件は僕等にはお手上げだったから」


「そう、ですね……」


 言われてみればそうだが、理解は出来ても納得は出来ない。

 ユキナの言い分としては、そうじゃないんだよ……だ。


「彼は、女神様に見出された僕達にも出来なかった事をしたんだ。君が怒るのも無理はないさ。皆も同じ気持ちだろう」


「あっ……も、申し訳ありません。私の幼馴染が、勝手な真似を……」


 言われた意味を理解したユキナは慌てた。


 そうだ。シーナは、女神に選ばれた英雄である自分達や騎士団がどれだけ調査しても解決の糸口すら掴めなかった事案を動かしてしまったのだ。


 非常にまずい。そう思ったユキナは、深々と頭を下げた。


「え? なんで謝るんだい?今。僕は、とても嬉しい。喜んでるんだけど?」


「へ? ……え?」


 シスルの言葉に驚き、ユキナは顔を上げた。

 そして、もう一度驚く。シスルはその言葉通り、満面の笑顔を浮かべていたのだ。


「勿論、これで無事解決されそうだし、任務を解かれてやっと肩の荷が下りたってのもあるけど……ねぇ、騎士長さん」


「は、はっ。なんでしょうか?」


 突然話し掛けられ、アラドは慌てて返事をした。


「これ、もう情報は公開されてるの? 新聞には載った?」


「いえ……存じません。ですが今朝、部下に購入させてきた新聞には記載されておりませんでした」


「は? 何でこんな面白い物を早く記事にしないのさ。馬鹿だなぁ。分かってる? これは凄い事なんだよ? 騎士団や憲兵団は勿論。僕達勇者でさえ連日、こんなに必死に取り組んだのに……解決どころか、全く何も掴む事も出来なかった事件を駆け出し冒険者が解決したんだよ? いやぁ、凄い。素晴らしいっ! 僕等なんかより余程英雄だ。ねぇ? 皆」


 にこにこしながら、シスルは皆を見渡した。


「そうですね。私も、本当に素晴らしいと考えます。ユキナ様、貴女は本当に良い幼馴染を持ち、共に育ったのですね」


 笑みを浮かべて、ルナは告げた。


(あーあ、この男。また余計な事考えてるわね。完全に目を付けられちゃった。かわいそー)


 内心、そんな事を考えながら。


「私も、凄い……と思いました。とてもあんな、小さな村で育ったとは、思えません」


 ルキアも微笑んで、ユキナへ褒め言葉を送った。

 賢者ルナと同じく、


(お馬鹿な幼馴染を持つと、苦労する)


ユキナに対し、そんな嘲笑の想いを込めて。


「は……はいっ。シーナは凄いんです。私の自慢の幼馴染ですからっ」


 皆に仲間達にシーナを褒められて、ユキナは心から喜んだ。

 ぱぁっと顔を明るくした彼女に、


(あ。駄目だわ、これ)


(何も分かってない。ホント馬鹿……お花畑)


 二人は笑顔のまま口元を痙攣らせた。

 ユキナは本当に何も分かっていなかった。


 そんな彼女達の懸念どおり、喜ぶユキナを見て満足気に頷いたシスルは悪戯な笑みを浮かべていた。


「そうだね。次に会ったら、ちゃんとお礼を言うんだよ。皆も、良いね?」


「「はい」」


 シスルが投げ掛けた言葉に、ルナとルキアははっきりと返事をした。

 一人だけ返事をしなかったユキナにシスルは笑顔を向ける。


「どうかしたかい? ユキナ」


「え……? あ、会っても、良いのですか?」


「勿論だよ。君の幼馴染だろう? それに彼は恩人だ。何も出来なかった分、お礼をするのは当然だと思うけどね」


 途端に、ユキナの顔がぱぁぁと輝いた。


 胸の辺りから暖かい感覚が広がっていく。

 何より、シーナを褒められた事が嬉しくて堪らなかった。


(本当に馬鹿ね……)


(救いようがない……)


 何故、これだけ毎日共に過ごしている男の思惑に気付かないのか。


「「……はぁ」」


 二人は顔を見合わせ、溜息を吐いた。


「騎士長」


「はい」


「悪いけど、席を外してくれるかい? 皆と話したい事があるから」


「承知しました」


「ありがとう。後で話したい事があるから、また後で時間を作ってね」


「勿論ですとも、お待ちしております。では、皆様。失礼します」


 騎士長はそう言い残して退出した。

 大きな背中を見送ったシスルは、部屋の扉が閉まるのを待って。


「さて。じゃあ仕事も無くなった事だし、シーナくんにどうやってお礼をするか。皆で考えよっか♪」


(はいはい、出た出た)


 満面の笑みでパンと手を叩いたシスルを見て、笑顔の賢者ルナは心底呆れつつ、そっとユキナを盗み見た。


「えっ……は、はいっ! 考えますっ!」


 そこには、「ふんっ!」と鼻息を荒くした銀髪の美少女が目を輝かせていた。


 平らな胸の前に掲げた両手の拳を握った彼女からは、気合いが感じられる。


 こんなに嬉しそうなユキナを見るのは初めてだ。


 それを見た賢者ルナは、


「分かりました」


(嬉しそうにしちゃって……もういっそ哀れね。救いようがないわ)


 承諾の返事をしながらユキナを哀れんでいた。

 同じく、弓帝ルキアも冷ややかな目で、


「はい」


(ユキナは、もっと頭を使った方が良い)


 内心、馬鹿にしていた。


「うんうん、じゃあ決まり。僕が皆の、我々勇者一行の総意として、彼に王都に来て貰うように招待状を出しておくよ。彼とは一度、話して見たいと思っていたしね。皆、良いかい?」


「はい。私は構いません」


「私も、それで良い……です」


「! て、がみ……?」


 シスルの言葉に対して、形だけ返事をして見せた二人は唯一。招待状という言葉に強く反応した様子のユキナを見て、


(やっと気付いたようね。そうよユキナ。この男はあんたの幼馴染と話す機会と口実が欲しいだけ! 絶対ロクな事考えてないわっ! それだけじゃない。突然の長期休暇を貰って暇な間、あんたの幼馴染を王都に呼び出して玩具にする気なのよっ!)


(会ったら、今度こそアレ、言わされるよ。だから今だけでも、ちゃんと考えて)


 そんなに大事な幼馴染なら、自分で守れ。また泣かされるぞ? と、ユキナに強く念じた。


 特に弓帝ルキアは、ユキナの故郷である村を訪れた際。彼女がシーナに何を言うように命じられていたか知っている。


 流石に、ただでさえ可哀想な境遇のユキナが、これ以上傷付く姿を黙って見ているなんて出来ない。それが彼女達の本心だった。


「シーナに、おてがみ……」


 しかし、そんな想いも虚しく。


「シスル様っ」


「なんだい? ユキナ」


「その御役目、私に任せてくださいませんかっ」


「「………」」


 必死な表情で、机から身を乗り出す勢いで発言したユキナを見て、二人は絶句した。


 二人共、大きな溜息を吐きたくなるのを唇を噛み締めて我慢した。


 この場が許される状況なら今頃、二人はその麗しい外見からは想像も出来ない様な表情で大きな溜息を吐いていた事だろう。


「何故だい? ユキナ」


 にこにこと笑顔のままのシスルは尋ねた。


 今の発言を聞いても全く動じない様子からは、ユキナの発言を予想していた事が伺える。


「……っ! そ、それは、その。私は」


「勿論、僕が納得出来るちゃんとした理由がないなら駄目だよ? ユキナ」


「理由……なら。理由……」


 淡々と告げるシスルに、ユキナは何も言い返す事が出来なかった。


 それはそうだろう。

 ユキナの持つ理由は、ただ大好きな幼馴染に手紙を送りたいという気持ち。

 ただの私情でしかないのだから。


「一応確認するよ? ユキナ。今から送る招待状は、僕達が出来なかった事を成し遂げた勇敢な冒険者に感謝を伝えたいという皆の気持ちを叶える為。シーナくんを客人として、王都に招くという決定を伝えるものだ。これは、僕達。勇者一行全員の総意なんだよ。軽い気持ちで友人に送る、お茶会のお知らせじゃないんだ。分かってるよね? 今の君の発言は、勿論それを分かった上での事なんだよね?」


「それは、その……」


「それに君、まさかとは思うけど忘れてないよね? 今の自分の立場も。今の自分とシーナくんとの関係もさぁ。君が招待状を書いたところで彼が来る訳ないって、少し考えれば分かるよね? 最後に君、自分が彼にどんな目で見られてたか忘れたの? あの晩、君は彼にどれ程酷い事を言って別れようとしてたのか……忘れちゃったのかな?」


「……っ! そ、それは……貴方がっ!」


「僕? 僕がどうかしたかい? まさか、剣聖である君が、自分のやった事を人のせいにする気じゃないよね?」


「う……う、うぅ……うう、う……」


「そんなだから、あんなに簡単に捨てられちゃうんだよ。正直、本当に恋人同士だったのか疑わしいくらいなんだけど? 少なくとも。好き同士で、らぶらぶだったっていう君の言葉は嘘だよね?」


「……ちがっ。私達は、シーナは……本当に私の事を……」


「なに? 聞こえないなぁ」


 尋ねながら、シスルは一切表情を変えず笑顔のままだ。


 しかし、怒っているのは見れば分かる。


 とんとんと指先で机を叩き始めた仕草を見て、ユキナはびくっと震えた。

 すっかり怯えてしまった様子だ。


「……先程は、出過ぎた、発言をしてしまい……誠に申し訳、ございませんでした……」


「私情を挟んだ事を認めるんだね?」


「は、はい……どうか。どうか、お許しを……」


 悲しげな顔で俯き、頭を下げて。ユキナは震えた声で謝罪の言葉を口にした。


 彼女の机にポタポタと滴る涙を見て、賢者ルナは改めて思う。


(……さいってー)


 自分の感じている気持ちが怒りだと認識したルナは、勇者シスルをキッと睨んだ。


(この娘は、頑張ってるわ。凄く、凄く頑張ってるわ。やりたい事も行きたい場所も、好きな男も全部。全部、ずっと我慢して諦めて……笑って見せてるのよ。世界の為に、必死に戦ってるのよ。この娘が毎日、一人でどれだけ泣いてるか知ってるでしょう? 貴方が私達の中で、一番この娘を見てるでしょうっ!? なのに、なんで……なんで貴方は、そうやって平気な顔で、この娘を追い詰められるのよっ!?)


 この怒りを、衝動を言葉に出来たら……どれ程良いだろう。


 ルナは唇を強く噛んだ。

 気を抜けば、泣いてしまいそうな程に悲しく……気が狂いそうな程、悔しかった。


「全く、しょうがないなぁ、ユキナは。でも良いよ、許してあげる。僕も言い過ぎた、ごめんね。君にそんな顔をさせるつもりはなかったんだ」


「……はい。ありがとう、ございます……」


「お説教は終わり。だからほら、泣かないで? お詫びに今夜、相手をしてあげるからさ」


「……っ! は、はい。喜んで……ありがとうございます……」


「っ!」


(貴方……それでも本当に勇者なの? 女神様に選ばれた英雄なの……? ユキナ、貴女もなんでこんな奴にお礼なんて言ってるの……? なにが喜んで、よ! 嫌なら嫌って、はっきり言いなさいよっ! こいつは貴女から、貴女が大事にしていたものを全部。全部奪った張本人なのよ?)


 ルナはもう、怒りでどうにかなりそうだった。


 本当はずっと我慢していた。


 勇者シスルの性根の悪さ。

 そんな彼の言いなりになって、ずっと我慢しながら……引き攣った笑みを浮かべて。まるで人形のように好きに弄ばれているユキナ。


 くだらない。

 

(貴女が本当に好きなのは、触られたい相手は他に居るでしょうに……)


 ルナは、ユキナが人形ではない事を知っている。


 彼女が皆に見つからないように、隠れて泣いているのを何度も見ている。


 その時。必ず、誰の名前を呼んでいるのかを知っている。


(シーナ……くん、か)


 小さな辺境の村で見た白髪の美少年。

 ユキナの話から想像していたものより、ずっと綺麗な容姿をしていた。


 特にあの暗く冷たい瞳は今でも強く印象に残っている。


(……そうね。私も一度、話す機会が欲しいわね)


 その機会を得る手段は、全く予期していなかった所から手に入っていた。


 先程のユキナの発言のお陰で、シスルは一つ失言を零したのだ。


(でも、こんな事言って大丈夫なのかしら……いや、絶対不味いわよね)


 その手段を取るか、ルナは躊躇ってシスルを観察した。


(間違いなく目を付けられる。それに、この娘からまた笑顔を取り上げる結果になる。あまり利口な方法じゃないわ)


 俯いているユキナを盗み見て、ルナは考えた。


(でも……この娘が一番大事にしてる人。あの男の子は、守る事が出来る。それに、直接ではないけど……この娘の想いを伝えてあげる事は出来る)


 考えて、決めた。


(そうね、流石に可哀想よね。一応、仲間な訳だし? 一度くらい手を貸してあげようじゃない。よし、ここは一つ。私が……)


「むぐっ!」


 決断したルナが口を開いた瞬間、隣から伸びて来た小さな手が彼女の口を塞いだ。


 突然の事にルナは驚いて、隣を見た。

 当然だ。まさか、そんな行儀の悪いやり方で不敬を働かれるとは思いもしなかったのだから。


(何すんのよ! ルキアッ!)


 非難の意味を込めて睨むと、隣に座る小さな弓帝の少女は悪びれるどころか睨み返して来た。


「分かってるから。まずは私に任せて」


 日頃、気怠そうな印象の瞳には確かな感情の色が浮かんでいた。

 思わず怯んでしまう程に迫力がある少女を見て、ルナは気付く。


 これは、大変怒っていらっしゃる……と。


「シスル」


「えっ……? あぁ。なんだい? ルキア。君がそうやって僕を呼んでくれるのは子供の時以来だね。嬉しいなぁ」


 どうやら本気で喜んでいるらしい。


 睨まれているのに微笑むシスルは、優しい声音をしていた。


「今はそういう話じゃない。シスル、良く考えて。さっきのあなたの発言は、自分自身にも言える事でしょ?」


「何がだい? まさか僕、何か不味い事を言っちゃったかな。悪いけど教えて貰えるかい?」


「本当に、気付いてないの?」


「うん、ごめんね。今の僕は、君の怒った顔は相変わらず可愛いなって。それしか考えられない」


「真面目な話、してる。ふざけないで」


「ふざけてないよ? あぁ。懐かしいよ、ルキア。久し振りに見れて、本当に嬉しい。ああ……ルキア。君が良ければ、もう少し近くで見せてくれないか? ほら、おいで」


 自身の座る椅子を下げて、机から身体を離したシスルは自分の膝をパンパンと叩く。

 もしかしなくてもそこに座れという意味だろう。


 紅潮した顔が、彼が本気で言っている事を悲しい程に裏付ける。


(うわ、きっも……)


 それを見て酷い嫌悪感を感じたルナは、思わず顔を顰めた。

 賢者様は正直な女だった。


「ふざけないで、ちゃんと聞いて」


「僕はいつも真剣さ。ほら、おいでルキア」


「……ホントに、怒るよ?」


「いいよ。僕はその怒った顔を、よく見たいんだから……じゃあこうしよう。これから人払いの魔法をこの部屋に掛けるから、君が来てくれたらちゃんと話を聞いてあげる。どうだい?」


「……まず話を聞いて。お説教は、後でする」


「ちゃんと昔みたいにしてくれるかい?」


「ん……二人きりでね」


「よし分かった、それで良いよ。約束だからね?」


「ん……約束。じゃあ、話す。いい?」


「どうぞ」


 話を聞いていたルナは目眩を覚え、色々言いたい事が出来たが……グッと我慢する。

 もう少し周りの目を気にして話をして欲しい。


「シスル。ユキナの幼馴染に手紙を出す話は、貴方も不適任。理由は分かるはず」


「なんで? 大丈夫でしょ。彼は何も知らない筈だしね」


「シスル……私、昔から言ってる。貴方は人の心を軽く見過ぎ。まさか、自分がどれ程、特別な人間なのか……まだ理解出来てない」


「お説教は後で、だよね? 楽しみにしてるんだ。今小出しにして話すのはやめてくれないかな」


「ん……じゃあ結論だけ言う。この話は、私とルナで預かる。シスル、それとユキナ。貴方達は関わらないで」


「……っ! 嫌ですっ!」


 俯いていたユキナは、勢い良く顔を上げた。


 涙目のままだが、強い拒絶の色を浮かべた表情を露わにしたユキナ。

 そんな彼女を睨み返し、ルキアは冷たく言い放つ。


「駄目。今回の話は、私とルナだけで対応する。ルナ、それで良い?」


「はい、私はそれで構いません」


「ん。ありがと……そういう訳だから、全部私達でやる。勿論、強要もしない。それでいい?」


「わかりました。では、打ち合わせは後程」


「あ……あ、う……」


 入る余地もなく、目の前で話が進んでいく。


(だ、だめ……このままじゃ、シーナが折角来てくれるのに……会えなくなるっ! そんなの嫌っ! な、なにか。なにか言わなきゃ!)


 その事に焦るユキナだったが、言葉が出ない。

 普段なら諦めるが、今回ばかりはユキナも必死だった。


 シーナに会いたい。会って謝りたい。


 沢山話したい事がある。聞いて欲しい事がある。

 ずっと一緒は無理でも、これからも繋がりを持ちたい。一生離れ離れなのは嫌だと縋って、二人でどうすれば良いか考える時間が欲しい。


 だから、絶対に譲れないのに……。

 何故こんなに自分は無力なんだろうと思い知る。


 何が剣聖だ。これでは、ただの都合の良い道具ではないか……と、何度も経験した憤りを強く感じる。


 しかし、ユキナはその憤りを。自分の本心を形にする事が出来なかった。

 当然だ。いくら剣聖の異能があったとしても、ユキナにはこの場に居る者達に逆らう度量も、必要な知識も力もない。

 所詮は小さな村で生まれた村娘が成り上がっただけの存在、その根底を覆す事が出来ない。


 だから彼女は、ただ黙っていることしか出来ない。


 しかし、例えユキナがそれらを持ち得ていたとしても結果は変わらなかっただろう。


 どうしても我慢出来なくて、今まで逆らってみた事は何度かある。


 その数だけ、ユキナは酷い仕打ちを受け、泣き叫ぶ結果になったのだから。


 様々な恐怖の記憶。

 その記憶がユキナの思考を白く染め上げ、身体の自由を奪う。


 他人に決められた通りに動き、話し、戦う。


 如何なる時も一切の失敗は許されず、求められる以上の結果を出し続ける。


 それがユキナの受け入れた運命で……。


「うぅ……うぅぅ……」


 唯一許された自由は、こうして泣く事だけだ。


 それも、勇者一行。苦楽を共にし、生涯を添い遂げる。そう決められた、この部屋に居る三人のみの前だけ……。


 世界は、人は。平等ではない。


(なんで? なんで……っ。なんで、いつも……いつもいつもっ! 私、ばっかりっ!)


 少なくとも、ユキナにとっては残酷だった。


 剣聖。その称号と力は、あまりにも大きく……普通の村娘であった少女には呪いに等しい。


 力を望んだ事など、決してなかったのに。


「これで話は終わり。良いよね? シスル」


「良い訳ないでしょ。それだと僕は、シーナくんと話せないじゃないか」


「ん、会わせないし、話させない。どうせ、シスルが話したい事なんて、ロクな内容じゃない」


 ルキアに冷たく言い放たれて、流石のシスルも苦笑した。


「酷いなぁ。僕は勇者だよ? それに、将来君達は僕の妻になるんだろう? 少しくらい僕を信用してよ。大丈夫、ちゃんともてなすつもりだから。僕は彼に直接、感謝の気持ちを伝えたいだけなんだ」


「では、私達から確認をしましょう。シスル様、それとユキナ様。お二人と話をしたいか、直接お尋ねします。それで宜しいでしょうか?」


「それで彼が頷くとは思えないんだけど……」


「あら、そう思われていると言う事は、自覚はあるのですね。安心しましたわ」


 にこにこ、と笑顔で告げたルナ。

 しかしその笑みには、非難の色が多分に含まれていた。


「なんで安心したんだい?」


「いえ……もう良いでしょう? シスル様。貴方は先程、ご自身で仰った筈です。私情を挟んではならない、と。ユキナをお叱りになられたそのお言葉、まさかお忘れではありませんよね?」


「いや僕は……」


「言い訳はいけませんよ? では、一応聞いておきましょうか。自らのモノになった女の幼馴染、元恋人。それ以外に貴方があの村人に拘る理由があれば、ですけどね。よく考えて発言してくださいね? 貴方の行いは、我々勇者一行。その信用に一番大きな影響をもたらす事は、ご存知のはずです」


 冷たい口調で言うルナに睨まれて、シスルは困惑した顔をルキアに向けた。


「ん……シスル、しつこい。明らかに私情。今のシスルなら、私……一緒に居たくない」


 しかし、助けを求めたルキアもシスルを冷たい目で睨んでいる。


「……相手はあんな小さな村で育った村人。

今は冒険者です。貴方にとっては、取るに足らない小さな存在でしょう。そんな相手に自らの劣情を自慢したいと言う気持ちが、少しでもあるのなら……私は貴方を心から軽蔑します」


 ルナの目がすぅっと細まった。


 酷く軽蔑した瞳、冷たい声。明らかな敵意を向けられて……流石にまずいと思ったのか、シスルは頰を掻いて。


「……分かった。君達に任せよう。ユキナもそれで良いね? 残念だけど、君をシーナくんに会わせる事は無理みたいだ。あはは……」


 渇いた笑い声を上げたシスルは、パンと手を叩いて。


「さて、この話は終わりだ。だから二人とも、そんな目で見るのはやめてよ。僕はただ、ユキナも頑張ってるから、折角貰った休日に楽しみを与えてあげたかっただけなんだ」


 そう言って二人を交互に見るシスルだったが、ルナとルキアはそんな咄嗟に放った嘘に騙される様な女ではない。


 流石に居心地が悪いのか、シスルは椅子から立ち上がった。


「今日の公務はおしまいにしよう。明日の準備もあるからね。あと今日の昼食は皆、別々でも構わないから。ルキア、本当にお説教してくれるなら夕方頃に部屋に来て? 待ってるよ。僕も少し、一人で頭を冷やしておくから」


 彼にしては珍しく少し早口で言ったシスルは、足早に部屋を出て行った。


 ユキナの泣き声だけが響く静かな室内で、ルナは隣に座るルキアを見て。


「ユキナ。そう言えば、貴女が先程お茶を出すように命じた娘が帰って来てないわよ。流石に遅すぎるわ。様子を見て来なさいよ」


「ぐすっ……ひっく……うぅ……」


「聞こえてる? それとも、わざと無視しているのかしら?」


「ふぇっ……ぐしゅ……っ。見て、来ます……」


 顔を拭きながら立ち上がったユキナは、ふらふらとした足取りで歩いて退室しようとする。


「見つけたら、もう必要ないからって伝えて。貴女も戻って来なくて良いわ」


 扉を開けたユキナを見て、ルナがその華奢な背中に告げる。


「うん……」


 小さな返事を返して扉の向こうに消えたユキナを見送ったルナは、「ふぅ……」と溜息を吐いて椅子に深く背を預けた。


 脱力し切って寛ぐ彼女は隣に座る少女に一瞥された事に気付く。


「全く、手間の掛かる娘よね。ユキナは」


 話を切り出すと、ルキアもピンと伸ばしていた背から力を抜いた。

 年齢の割に未成熟過ぎる小柄な身体を椅子に預けた彼女は、


「うん……」


 気怠げな声で返事をした。


 普段通りの様子に戻っているルキアを見て、話をしても大丈夫だと判断したルナは早速口を開き、


「一応、お礼を言っておくわ。ありが」


「何を企んでるの?」


 割り込まれた質問に遮られた。


「……は? (憤怒)」


(私の言葉を遮るなんて良い度胸じゃない。万死に値するわ)


 思わず絶句したのは数秒。ルナはすぐに怒りで顔を痙攣らせてながらも笑みを作り、首を傾げて見せた。


「どういう意味かしら?」


「……ん。別に言いたくないなら良い」


 言葉通り、元々興味がないらしくルキアはぷいと顔を背けた。


(はぁ? 何よ、こいつぅ……!) 


 自分が、わざわざ私の言葉を遮ってまで! 尋ねた癖にっ! 


 ルナは顔に浮かんだ青筋をピキピキ鳴らしながら、怒りを増大させた。


 勇者一行の女で、自分が最も賢く優れていると自負している彼女にとっては、それ程耐え難い屈辱だったのだ。


「そういう貴女こそ、一体何を企んでるのよ。大好きな勇者様に逆らってまで、ユキナを庇うなんて」


「……別に? 私は、ユキナを庇ったつもりはない。気が向いたから、機会を伺っていた貴女を助けてみただけ、勘違いしないで」


「嘘ね」


「……むぅ。嘘じゃ、ないもん」


「くふっ……」


 ぷくぅと頬を膨らませたルキアを見て、ルナは噴き出しそうになった。


 しかし、笑ってしまえば話を終わらされてしまう。そう考えた彼女はグッと堪えて。


「こ、こほん。それで? 別に誰にも言い触らすつもりはないから、本心を聞かせなさいよ。気になるから」


「……貴女こそ、ユキナが泣いてるのを見て怒ってた」


「ふん……私の方こそ、ユキナが泣かされてる事に腹を立てていた訳じゃないわ。あの男があまりに不快だったからよ。流石にあれは無いでしょう?」


「……んぅ。流石に今回は、擁護出来ない。ユキナが来てから、シスルはおかしくなった」


 眉間に皺を寄せ、ルキアは落ち込んだ声を溢した。 


 彼女はユキナを入れた三人の中で、シスルに唯一純粋な想いを寄せていた。

 幼少の頃から付き合いがある幼馴染でもある。


「そうね。ホント、不愉快だわ。今のあいつは」


「……ごめんなさい。気持ちは分かる。でも、私の前で、シスルを悪く言わないで」


 弱々しい声に視線を向けると、ルキアは俯いていた。

 どうやら彼女も思う所があるらしい。


 怒らせた後に本音を問い、失言を引き出そうとしていたルナは一度。深く息を吸って。


「ふぅ……悪かったわね」


「ん……ありがと」


「やめなさいよ。言い返せない相手を虐めてもつまらないだけだから」


 あの男と違ってね。と、心の中で付け足すのを忘れず、ルナはぷいと顔を背けた。


 そんなルナを見て、ルキアはあまり動かさない顔に少しだけ笑みを浮かべた。


「……私ね、正義の味方になりたいの」


「はい? 突然なによ。正義の味方?」


「ん……そう。私達は、女神様に選ばれた特別な人間。世界を救った英雄達と、同じ力を授けられてる。だから。この力は、ちゃんと。正しく使わないといけない……そう思わない?」


「まぁそうでしょうけど……貴女から正義の味方、なんて幼稚な発言が出るとは思わなかったわ」


 見た目は幼いけどね、と。また内心ルナはルキアを馬鹿にしつつ答えた。


「……シスルは、女神様に選ばれる前から私の英雄だった。何でも少しやれば出来る様になるし、十歳の時には、大人の騎士が三人相手でも……涼しい顔して、あしらってた。勿論固有スキルは無しで、まだ騎士になって二、三年の若い騎士達だったけど」


「あいつの幼少期の話なら散々聞いたわ。それで? 貴女もあいつみたいになりたいと思ったの?」


「……ん。私、昔から身体が小さくて。今みたいに話せない位、引っ込み思案だったから……皆に無視されてたし、虐められた事もあったの。でも、シスルは私を無視しなかった。それどころか、遊びに行こうって、誘ってくれた。家まで、迎えに来てくれた。虐められた時も……助けてくれた」


「ふーん。まぁ、よくある話ね」


 話しながら思い出しているのか頬を染めるルキアを見て、ルナは興味なさげに答えながら。


(なによ。可愛いわね……頭、撫でて良いかしら)


 自身の欲望を理性で押さえ付けていた。


「確かに、よくある話。我ながら子供っぽいと思う。でも、私は憧れた。正義の味方になりたいと、思った。守られるだけの女の子じゃなくて、弱い人を守れるくらい強くなりたかった。だから、私は弓帝に選ばれた時。嬉しかった……女神様は私の想いを聞いてくれてたんだって。私の運命は、人生は。正義の味方をする為にあるんだって」


「貴女、結構喋れるのね」


「むぅ……真面目に聞いて」


 お世辞にも話すのが得意とは言えないルキアの自分語りにルナは驚く。

 その為、内容はあまり頭に入っていなかった。


(頬っぺた可愛い……)


 一度可愛いと思ってしまった目の前の少女に愛おしさすら感じている程なのだから、正直どうすれば抱っこくらいは許されるだろう? と、そんな事で頭が一杯だったりする。


 話を真面目に聞いてくれない事に怒っている様子だが、その表現が頬を膨らませるとは……あざとすぎはしないだろうか?


「聞いてるわ。要は、貴女は子供の頃から正義の味方に憧れてて、弓帝に選ばれた事でその想いが強くなったのね。ふぅん? 可愛いとこあるじゃない。貴女とは仲良くなれそうな気がするわ」


「可愛いとか、言うな。もう……」


「かわいぃ……」


 ぷいと拗ねて見せるルキアも今のルナにはたまらない。


 あまりに琴線に触れ過ぎるので、ちゃんと話を聞いて欲しいなら控えて欲しい。


「んん、話を戻す。だから私は、今のシスルが気に入らない。シスルをおかしくしたユキナも……許せない。何とかして二人をちゃんとさせたいって、ずっと考えてた。私達は、勇者一行。正義の味方じゃないと駄目だから」


 ここまで聞いて、なんとなくルナも察した。


 何故、先程。彼女が自分を助けたのか。幼馴染という立場を利用してまでシスルを黙らせたのかを。


「成る程ね……それで貴女は考えた結果、とりあえず手に入れて置こうって思った訳ね? あの二人が欲しがってるものを」


「ん……ユキナの幼馴染。もしかしたら、今の状況を打開出来る切り札になるかも。協力、してくれる?」


 真剣な瞳を向けられて、ルナは考えた。


 小さな村で見た白髪の少年。

 確かに彼は、絶世の美少女であるユキナが惚れ込むだけの事はある。


 特にあの目は未だに、ルナの印象に残っていた。


 冷たく暗い、闇を孕んだ瞳。

 しかし奥には確かな意志を感じる強さがあり……綺麗だと素直に感じた。


(まぁ私にはロセルが居るから、男としての興味ないけど……)


 何とか手に入れて、手元に置いておきたい。

 ひと目見たあの日から、そう思っていた。


(ユキナ。悪いわね……幼馴染の彼、私が貰う事にしたわ)


 結論が出たルナは、笑みを浮かべる。


「へぇ……面白そうじゃない。いいわ、やってみましょう」


「ほんと? んっ! ありがとっ!」


「…………」


 その後。

 とりあえず、ルナはルキアの頭を撫で回した。

 普通に怒られた。

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