第51話 女神エリナ。
(ここは何処だ?)
気付けば俺は、暗闇の中にいた。
今分かる事、感じるのは不思議な感覚だけ。
辺りをどれだけ見渡しても何も見えない。
それどころか、身体の感覚がない。
目蓋を開いているのか、閉じているのか。
普段、気にもしない呼吸すらしていないようだ。
当然のように発することの出来ない声……。
それも、そうか……俺は。
(死んだ、のか)
じゃあここは、死後の世界。
俗に言う、あの世って訳か?
『そこまで分かってる癖に、随分と落ち着いているものですね』
不意に聞こえたのは、よく知る声だった。
そう。それは、俺が聞き間違える筈のない声。
(ユキナか)
尋ねると、光が弾けた。
闇を切り裂いた光は、一瞬で収まる。
気付けば目の前に見覚えのある女が立っていた。
それは、俺が最後に見た鎧姿の彼女。
剣聖となったユキナだ。
(何をしに来た? こんな所に)
『何って、笑いに来たんですよ。何を勘違いしたのか知りませんが、英雄を気取った貴方の最後を』
(そいつはわざわざご苦労な事で……そんな力まであるとは恐れ入った。よく俺が死んだって分かったな?)
『……あまり驚かないのですね?』
俺が平然としているのが不満なのか、怪訝な表情をするユキナ。改めて見ると、やはり美しい。
街に出て色んな女性を見た今だからこそ、余計にそう思った。
(そりゃあな。今のお前が何をしても、俺は驚かないよ。この世界は、女神様が与えた不思議な力で溢れてる。その中でも特別な力を貰ってるらしい英雄様が何をしようが、別に不思議じゃないだろ)
『そうですか……』
(大体、お前が俺を驚かせようなんて甘いんだよ。女神様に選ばれて剣聖になったからって、調子に乗んな)
残念そうに眉を伏せるユキナを見て、俺は昔から何度も言った台詞を告げる。
幼い頃から、悪戯するのも意地悪するのも俺だった。
全部大したことではなく、その全てがユキナを少し驚かせたり、笑わせてやろうとして考えたものばかりだ。
ユキナはそんな俺に対抗しようと良く変な悪戯を考えてきては失敗して不貞腐れていた。
しかし、ユキナは下手だったなぁ。悪戯。
逆手に取るのも簡単だった。
まぁ、今はもう。どうでも良いか。
(で? お前の目論見が失敗したところで質問だ。お前、誰だ?)
尋ねると、ユキナは怪訝そうな表情を深めた。
『誰って、何を言い出すのですか。幼馴染の顔を忘れましたか?』
(あまり舐めた真似をするなよ。ユキナはな、俺が死んだ事を笑いに来るような奴じゃねぇんだ。それは、生まれてから十五年も一緒に居た俺が一番よく知ってんだよ。いくら女神に選ばれて英雄様になったとは言え、人の本質ってのはそう簡単には変わらない……だろ? なら、お前はただユキナを騙って、俺に喧嘩を売りに来た糞野郎。そう考えるのが自然だと思うが?)
『……なんですかそれ、貴方。私の事好き過ぎでしょう?』
(お前じゃねぇ。俺が好きだったのはユキナだよ)
『何が好きですか、今更……っ! 貴方は私を捨てた癖に。あの日、泣きながら手を伸ばした私を、助けてくれなかった癖にっ!』
(あぁ。確かに俺はあの日、ユキナの手を掴む事は出来なかった。剣聖なんて運命を背負ったあいつの隣に立つ力はなかった。だから諦めた)
叫ぶ目の前の女に、俺は淡々と告げた。
(だけど、俺は本気でユキナが好きだった。これだけは、はっきり言える。だからこそ……好きだった女を貶すお前が許せねぇ)
ずっと抱いていた想いは、封じていた気持ちは自然と出た。
確かに俺はユキナに捨てられた。
あいつは俺になんの相談もせずに人伝で別れだけを告げ、しかも既に勇者に身も心も捧げてしまっていると聞かされた最低な女だ。
それが許せなかったから、俺はあいつと話す事なく村を出た。
言い訳なんて聞きたくない、二度と会わないと拒絶した。
だけど、長年一緒に過ごした思い出に嘘はない。
色褪せる事はあっても、全て忘れる事なんて、無かったことにするなんて、出来ない。
しかも、ユキナは何の理由もなく俺を捨てた訳じゃない。
今のユキナが俺をどう思っているかは、知らない。
だけど俺は、今でも彼女を想っている。
想っているからこそ、村を出たあの日。二度と俺達の運命が交わらないように努力し、拒絶し続けようと決めたのだ。
いつか本当に、彼女以上に想える人が現れると信じて。
(答えろよ、お前は誰だ?)
気付けば俺は、強い苛立ちを覚えていた。
ユキナの姿をした目の前の存在に酷い嫌悪感を抱いて仕方なかった。
どうやら、感情を抑える為に飲んだ薬の効果は既に切れているらしい。
もしくは、もう死んでいるから効き目が無いだけだろうか?
『ふふっ……あははっ』
突然笑い出したユキナの姿をした女。
その笑い方が昔のユキナと良く似ていて、苛立ちが余計に強くなる。
(何がおかしい?)
『いや、だっておかしいでしょ。あははっ! あなた、ユキナちゃんの事好きすぎっ!』
(うるさい。だった、だ。勘違いするな)
『あっそ。ふふっ……いやぁ、ごめんごめん、癇に障ったなら謝るよ。ちょっとした悪戯のつもりだったの』
(随分とタチの悪い悪戯だ。で? あんたは誰だ。そろそろいいだろう。名乗れよ)
『名乗れって言われてもなぁ……私に名前はないよ。だって私は、ただの概念だもの。人の願いが生み出した存在、と言えばいいのかな?』
そんな、よく分からないことをユキナの声で言う目の前の存在。
だが、どうやら嘘は言っていないらしい。
根拠は無いが、何故かそう感じる。
人の願いが生み出した存在? それって……。
(……あんたまさか、女神様か?)
『んん? あぁ、女神エリナ。この大陸に住む人達は私の事をそう呼んでるみたいだね』
平然とそう言い放たれた言葉に、俺の思考が一瞬止まる。
嘘だろ、女神エリナ? こいつが?
ユキナの姿で、ユキナの声で話すこいつが?
じゃあ、こいつが全ての元凶なのか?
ユキナに剣聖なんて力を与え、俺達を引き離した張本人か?
『うん、そうだよ。あの子に剣聖の力を与えたのは私』
(そうか。とりあえず一発殴るから歯を食い縛れ)
『えっ!? いや待って? よし、落ち着こう。落ち着いて話をしよう』
問答無用でぶん殴ってやろうと思ったが、残念ながら身体がない為。断念する。
畜生、いつか絶対ぶん殴ってやるからな。
『あっ、よく考えたら今は無理じゃない。驚かせないでよ。ねぇ? 今、どんな気持ち?』
前言撤回、いつか絶対泣かせてやる。
本当に人の願いが生み出した女神様か?
こいつ。性格悪過ぎないか?
『ちょっとこら、失礼だぞー? 私これでもお仕事はちゃんとしてるんだからね? もう。まぁ自分でも性格悪いなーと思ったから、この辺にしておこうか』
と、自称女神様は肩を竦めてみせた。
しかし、演技をやめたからかコロコロ表情を変えるな。
余計、昔のユキナっぽくて腹立つぞ。
(ちっ……じゃあそろそろ質問に答えて貰おうか、自称女神様)
『ちょっと、自称なんかしてないよ。訂正して?』
うわ。面倒くさ、こいつ。
『君ホント失礼だね?』
(いいから口挟むなよ。あー、女神様? どうしてユキナを剣聖に選んだんだ?)
『敬意が足りない、やり直し。ねぇ、シーナ。君、今の状況分かってる? 今自分の前にいる存在が何か分かってる? 女神様だよ? 神様。分かる? どれ程の人が私と直接話したがってるか、今自分がどれだけ恵まれた状況なのかちゃんと理解してる? わかったらやり直し。やーりーなーおーしー!』
は? うざ。
この自称女神うっざ。
(あー、女神様。何故、私の幼馴染みであるユキナを剣聖に選ばれたのでしょうか? その節穴の根拠を足りない頭を必死に使って分かるようにご説明下さい)
『ねぇ? 全然敬意払ってないよね? 寧ろ貶しまくってるよね?』
だって超ムカつくんだもん。
『はぁ……まぁいいや。いいよ、教えてあげる』
わざとらしく溜息を吐いた女神様は、俺の方をまっすぐ見て続けた。
『あの子が。ユキナが剣聖になったのは必然よ。別に成人の儀の日に選んだ訳じゃないわ。あの子は生まれた時から剣聖になる運命だったの』
(運命、だと? それじゃあ……)
『えぇ。それは別にあの子だけじゃない。女神の祝福……固有スキルはね。皆、生まれる前に授けているの。成人の儀はただ、それを見ることが出来るだけ。たまに例外はあるけどね』
女神様は言い終わるとクスリと笑って、俺の方へ一歩近付いてきた。
(じゃあ何であいつは平民だったんだ? それも、あんな辺境の……前回の英雄達は皆、貴族の生まればかりだったんだろ? それが、何で……なんで俺は、あいつの幼馴染だったんだよ)
『最初から自分と無関係なら、あんなに苦しまなくて済んだのにって?』
女神様の問いに、俺は答えられなかった。
ムカつく、ムカつくムカつく。酷く腹が立つ。
全て見透かしている癖に、分かっている癖に、そんな質問して来るんじゃねぇ。
やっぱり俺、嫌いだよ。お前なんか。
何が女神だ、この野郎……っ!
『貴方があの村に生まれたのも、他に同年代が居なくて、必然的にユキナちゃんと仲良くなるように。二人きりになるように仕向けたのも、私。それは、分かってるんでしょう?』
あぁ、分かるよ。
分かってるから、ムカつくんだろうが。
(分かるさ。なんで、そんな事をした?)
尋ねると、女神様は『ふぅ』と軽く息を吐いて、俺から目線を外し明後日の方を見つめた。
『そこに関しては謝るわ。ごめんなさい……知らなかったのよ』
(知らなかった? 何を?)
『人が、これ程までに愚かだと』
(えっ……? は? どういうことだ?)
言っている意味が分からない。
黙っていると、俺へ視線を戻した女神様は口を開いた。
『
(いや、そう言われても……)
知らない、としか言いようがなかった。
だが、心当たりはある。
成人の儀の日、確かに俺は他者よりも優遇された才能を持っている事を知った。
だが、遥かに凌駕するとまで突出していると感じたことはない。
それこそ、剣聖のような……そんな才能は俺には無い。
『貴方はまだ、自分を良く知らないだけよ。いずれ分かるわ。自分がどれ程の力を持っているのかね。少なくとも、人間相手なら貴方に敵う者は居ないわ。どんな力を持っていても、誰も貴方に追いつけない筈なんだもの』
(誰も俺に、追い付けない……)
誰も貴方に追い付けない。
そう言えば、幼い頃。母さんにもそんな事を言われた気がする。
『貴方は、剣聖と共にある筈だった。今代の剣聖が振るう、もう一振りの剣になる筈だった。そして共に……世界を在るべき姿に変える筈だったのよ』
(なんだそれ。つまり、俺がユキナの旦那になる筈だったと?)
『ふふ。それは貴方の努力次第だったけどね。でも、もうその道は閉ざされた。分かってるわね?』
(……あぁ)
女神の言葉に短く返答すると、彼女は悲しげに眉を伏せた。
その顔を見て、俺はいつの間にか彼女に感じていた苛立ちが消えている事に気付く。
『シーナ。人は私が思っていた以上に愚かだったわ。だから、お願いがあるの』
(お願い? あなたが、俺に? いやいや、無理だろ。自分で叶えれば良いじゃないか)
『そうしたいところだけどね、私には運命を直接変える力は無いのよ。私はただ、与えるだけ。力を与えて、こうなったら良いなって未来に少しだけ導くだけ……いや、導くことが出来る存在を生み出すだけ』
突然、女神様がこちらに歩み寄り始めた。
元々僅かしかなかった距離はすぐに縮まり、俺の目の前に来た女神様は至近距離で微笑む。
見慣れた顔。その笑顔を見て、何故か俺は……。
悲しそうな顔……そう思った。
『だから、あなたがなりなさい。この世界を、良い方向へ導く存在に』
(……断る、と言ったら?)
『ふふっ、無理よ。剣聖と違う道を歩み出したあの日から、あなたの運命は決まっているんだもの』
なんだそれ。
俺に選択肢は元々無いんじゃないか。
『シーナ。あなたは今後、剣聖と共に目指す筈だった未来を目指して旅をすることになるわ。茨の道よ。何度も剣を取り、戦う事になるでしょう』
それって、さっき言ってた世界を在るべき姿にするってやつ?
えぇ……。
普通に嫌なんだけど。
てか、それ。あんたご自慢の英雄様達の仕事じゃない?
なんで剣聖じゃなくて、置いて行かれた俺な訳?
『だけど安心して。あなたは一人じゃ無い。剣聖と違う道を進んだ事で、あなたには違う未来が生まれた。その娘はとても強くて、だけど多くのものを背負ってる。強いからこそ、背負わされるし背負い込んでしまう。そして、あなたと同じ傷を持つ女の子よ。きっと仲良くやっていけるわ』
(あっそ。女の子、ねぇ……)
なんか、ユキナも勇者とよろしくやってるから、お前にも違う女の子用意してあげたよ、みたいな言い方で嫌だな。
与える事は出来る、とか言ってたせいか我ながら捻くれた捉え方をしてしまう。
まさかとは思うが、ミーアがああなったのもこいつが手を出したからじゃないだろうな?
あいつとの出会いも仕組まれたものだったとしたら、嫌なんだけど。
『出会いはもうすぐの筈よ。紅の髪をした女の子と出会ったら、まずは信じてあげなさい』
ふーん、紅の髪ね。
じゃあ少なくとも、ミーアじゃないな。
(……なぁ)
と。俺は勝手に一人で盛り上がっている女神様に口を挟んだ。
いや、黙って聞いてたけど。この人……大事なこと忘れてない?
『なぁに?』
(いや、なんか色々助言? してくれてる所悪いんだけどさ。なんか忘れてない?)
『え? なにを?』
(いや、なんか俺が生きてる前提で話進んでないかって話なんだけど……)
やっぱりか、と呆れた俺が言うと、女神様はきょとんとした顔で。
『いや、生きてる前提も何も。あなた生きてるわよ? まさか死んだと思ってた?』
(え……?)
驚いた瞬間、ぐらりと視界が歪んだ。
なんだ。なんだこの、気持ち悪さは……?
『……もうあまり時間がないね。そう、あなたは生きてるわ、シーナ。普通なら死んでたかもだけど、貴方は私の特別な加護で守られる事が決まったから。あれくらいじゃ死なないというか、死なせないから』
いや、待て……!
お前、運命を変える力はないんだろ?
嘘吐き。嘘吐きじゃん!
運命変えちゃってるじゃん!
もう楽にしてくれても俺は構わないんだけど?
ミーアも救えたし、別に思い残す事なんて……。
『ほんとにぃ? ホントに思い残す事ない? 童貞で死んでもいいのー?』
(おい、女神が童貞とか言うんじゃねぇよっ!)
『折角女の子命懸けで助けたのに、童貞で死ぬとかやばくなーい?』
(そんなつもりでミーア助けた訳じゃねぇよっ!)
『嘘吐き、ミーアちゃんの裸見て興奮した癖に』
(してねぇぇぇぇぇっ!!!)
なんだこいつ。
この女神やっぱ嫌いっ!
絶対いつか泣かす!
『そんな必死に否定したら、認めてるようなものだぞ? まぁ、思春期の男の子だしね。別に恥ずかしがる事じゃないんじゃない?』
(俺。やっぱりお前嫌いだわ。うざい)
『そう? だけど、私は愛してるわよ。シーナ』
(は?)
こいつ、どこまで人に喧嘩売れば気が済むんだ?
いきなり愛してるとか頭おかしいんじゃないか?
(ちょ、おい……)
突然、女神様は俺に抱きついて来た。
身体の感覚がないのに、触れている感触がある。
不思議な感じだ。ちゃんと人肌の暖かさがある。
懐かしい……それもそうか、今。俺が触れている身体は見た目だけならユキナの身体なのだから。
格好は違っても、一年で少し成長した後の姿でも、何年も一緒に居た幼馴染の身体なのだから。
こうして抱き締められた事は一度や二度じゃない。
寒い夜は一緒に抱き締め合って寝ていたくらいだ。
全部全部、二度と取り戻せない過去。
失った温もり、思い出……。
『愛してる、シーナ』
もう彼女からは絶対に聞くことが出来ない言葉を言った女神エリナは、そっと俺を見上げてきた。
上目遣いをしているその目を見て、思わず溜息を吐く。
(その姿でこういうのはやめてくれ。分かっててやってるだろ?)
『くふっ♡ まぁね。ちょっとしたご褒美よ、ご褒美』
(……やっぱりあんた最悪だよ。最悪の神様だ)
『あら、愛してるのは本当よ? 私、貴方を愛してるわ。シーナ』
(そうかい……俺はあんたが大っ嫌いだよ)
全く、なんか変なのに好かれちまったなぁ。
こんなのが人々が崇める神様?
冗談キツいぜ、ホント。
はぁ……なんでこうなった。
どこで狂ったんだ? 俺の運命は。
『うふふ……♡』
(勘弁してくれ……)
誰か、誰でも良いから変わってくれよ。
今なら可愛い女神様が一人付いてくるからさぁ。
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