第50話 絶望の果てに。

「……大丈夫、大丈夫……きっと大丈夫……」


 鎖に繋がれたまま、ミーアは呟き続けていた。

 掠れた声は彼女が祈り続けた証だ。


 私はどうなっても構わない。

 だからせめて、シーナだけでも生きて帰って。


 ミーアが望むのは、ただ一つ。

 こんなところまで助けに来てくれた一人の少年。

 死ぬと分かっていて助けに来た馬鹿の無事だ。


 心は不安と心配で締め付けられるように痛い。

 代わりに、ずっと感じていた寂しさはなかった。

 寒さもない。シーナが貸してくれた古びた外套のお陰だ。

 大嫌いだったのに、今は二度と手放したくない。


「お願いシーナ、死なないで……」


 この温もりを与えてくれた人を失いたくない。

 だからミーアは祈るのだ。

 声が掠れても、涙が枯れても。

 今の自分に出来るのは、それだけしかないから。


「お水をどうぞ、ミーアさん」


 不意に掛けられた声に顔を上げる。

 ティーラがアッシュから渡された水筒を手にしていた。

 笑顔のティーラだが、その表情には疲れが見える。


「……ありがとう」


「大丈夫ですか? 声、枯れちゃってますよ」


「……ごめんなさい」


「……どうして謝るんですか?」


「ティーラばっかり、辛い目に合わせちゃったから……」


 弱々しいミーアの言葉。

 ティーラはすぐに答える事は出来なかった。


「仲間なのに。私だって女なのに、ティーラばっかり……ごめんなさい。ごめんなさい……」


「……謝らなくていいですから。お水を飲んで、休んで下さい」


 結果がどうなっても、大変なのはこれからですから。

 続けようとしたそんな言葉を飲み込んで、ティーラはミーアの口に水筒を近付けた。


(悪いと思うなら、何があっても一人にしないでくださいね。きっと私達は、助かりませんから……)


 ミーアが水を飲んでいるのを見ながら、ティーラはこれから彼女がどれだけ絶望し、泣き、どんな目に合わされるのかを想像して唇を噛んだ。


 それでも、死なないで欲しい。

 一人にしないで欲しい。

 そう心から願う自分は、最低だと嫌になる。


「……それにしても、静かになりましたね」


「あぁ、そうだな。音が、しなくなった……な」


 後輩の口元から水筒を放し、ティーラが出口を見ながら言った言葉。

 答えたのは、ローザだった。


 呻きながらローザは少し身体を起こし、ミーアと同じく壁に繋がれている数十人の女性達を見渡す。


 普段は俯いて黙り込んでいる女性達は、誰一人として顔を下にしていなかった。

 洞窟の出口を祈るような目で見ている。


「……頑張ってくれたな。あいつら」


 戦闘音は、随分長い時間響いていた。

 それは、あの二人が自分達を助けようと戦った。

 逃げなかったという証明だ。

 ……この静寂は、戦いに決着が付いた。

 そういう事なのだろう。


「……終わったんですよね?」


「あぁ。そう、だろうな……終わってしまったな」


 二人は言葉を交わした後、見つめ合った。

 分かっているのだ。二人には。

 あの二人に勝ち目はない。

 自分達が日常へ戻る事はない、と。


「あっ! あ……あぁっ!!」


 突然声を上げたのは、壁に繋がれた女性の一人だった。


「嘘っ! えっ!? ほんとにっ!?」


「えっ? 勝ったの!? あいつら殺したのっ?」

「や、やった。やっだ……やっだぁあああっ!! わぁあああんっ!! わあぁあああんっ!!」


「私達……助かるの? 助かったのっ!?」


 洞窟内が、女性達の叫び声で騒ぎになった。


 突然湧き上がった歓声に、三人も慌てて出口を見る。

 ……すると。そこには。


「かはっ……は、はぁ……はぁ……」


「ほらシーナっ! もう少しだよっ! 頑張って! ほら、もう見えてきたよっ! 皆、見えるよっ!」


「こほっ! か……はっ……はっ……」


「ねぇっ!! さっきまであんな元気に強がってただろっ! しっかりしてよっ!!」


 血に塗れた、よく知る二人の姿があった。


「う、嘘……! シーナ、さん? アッシュさん……っ!?」


「えっ……あっ……は、ははっ。ははっ! 嘘だろ? こいつら、やりやがったのかよ……っ!」


「し……しぃ……しぃなぁあああっ!!」


 アッシュとシーナ。

 それは、勝者の凱旋だった。


 助かった、と周りが歓喜に騒ぐ中。

 ミーアも同じ様に安堵したのは一瞬。激しい焦燥に駆られて叫んだ。

 シーナの様子がおかしい。

 それは、誰の目から見ても明らかだ。


 蜂蜜色の髪の美青年に肩を貸して貰い、俯いたまま……ふらふらと。

 半ば引き摺られるような格好の少年は、息も絶え絶えな様子だった。


「ティーラ来てっ! シーナが危ないんだ!」


「えっ? えっ……!?」


「おいっ! 何してる、ティーラっ! 行けっ! 早く行けっ! シーナが大分不味そうだっ!」


「あっ! はいっ!」


 アッシュとローザ。

 仲間の男性冒険者二人に叫ばれたティーラは、慌てて駆け出した。


「お願いっ! お願いティーラ! おねがいぃぃ!シーナ。しぃなぁああっ!!」


 背後からミーアの叫び声を受けながら、ティーラは走った。

 歩いてくる二人の傍まで到着した彼女は、シーナの状態を見て絶句する。


「なんですか。これっ。こんな……っ!」


 俯いているシーナは、身体に深い傷を受け息も絶え絶えな状態だった。

 酷い出血量だ。顔が青白い。

 元々負傷していた彼が、こんな……足元に滴る程の出血で未だに意識がある事自体信じられない。


 これは、助からない。

 自分では助けられない。


「どうしよう……っ! どうすれば……っ!」


 何とかしなければ。

 そう思うが、打つ手がない。

 ティーラの思考が止まる。


「早く治療してよっ! 絶対助けるんだっ! シーナは、シーナは戦ったんだ。頑張ったんだっ!! 僕は、全く役に立たなかったんだっ!! だから、だから助けてっ!!」


「わ、我……我、女神の祝福を受けし者……っ!」


 至近距離からの切羽詰まった声に慌てて、ティーラは女神の祝福、固有スキルを使った。

 薄緑色の光を放つ手が、シーナの身体を照らす。


「う……はぁ……」


「動いちゃ駄目ですっ! しっかり意識を保ってっ! それだけで良いですからっ!! アッシュさん、シーナさんをここに横にしてあげてくださいっ!!」


「うん、わかっ」


「うるさい……」


 頷こうとしたアッシュを遮り、シーナはゆっくりと顔を上げた。

 その表情を見て、二人は息を飲む。

 青い瞳は虚ろで、暗い。

 今にも閉じてしまいそうな程に弱々しい目。

 しかし、不思議な覇気を纏っていた。


「アッ、シュ……俺を、あの馬鹿の所まで…連れて、行け」


「えっ……何言ってるんですか! 自分の身体がどうなってるか、分かってるんですかっ!?」


「そうだよシーナ! もうこれ以上はっ!」


「いいから、連れて、いけっ」


 必死な顔で叫んだシーナは、縋るような目でアッシュを見つめた。


「……分かって、る……だろ?」


「…………」


 アッシュは、その一言で察した。

 いや、本当は既に分かっていたのだ。

 もう彼は……。


「……頼む」


 ティーラは、通じ合う二人の顔を交互に見て慌てた。


「そんなっ! あ、諦めちゃ駄目です!」


「……分かった」


「アッシュさんっ!!」


 頷いたアッシュはシーナを引き摺ったまま歩き出した。

 それに対し、非難の声を上げながらティーラは追い縋る。

「ティーラ。言いたい事はわかるよ。けど、ここまで来れたのは彼のお陰だ。その意思を尊重しよう」


「駄目ですっ! シーナさんっ! 生きるのを諦めちゃ駄目ですっ! 止まってくださいっ!」


 呼び止めるティーラを無視し、押し退けて二人は進んだ。

 そんな彼等を物理的には止められず、仕方なくティーラは寄り添う。

 固有スキルの光を患部に照らしながら。


「シーナっ! なんで……えっ……あっ」


 そして三人は辿り着いた。

 時間はかかったが、ミーアの前に辿り着いた。

 ミーアはシーナの容態を見て、涙をボロボロ溢す。


「……着いたよ、シーナ」


「ありがとう……」


 ミーアの前に下ろして貰い、シーナは顔を上げて弱々しく笑った。


「あんた何でっ! ティーラっ! 早く治療っ! 治療してっ!」


「終わった、ぞ。約束通り、生きて帰って来た」


「ばかっ!! 話しちゃだめっ!! あ、あぁ……血が、血が……沢山出て……っ!! 何が約束通りよっ!! ば、ばかっ! ばかっ! 嘘吐きっ! 約束守れてないじゃないっ! 嘘吐きっ! 嘘付きっ! ば、ばかぁっ!!」


「うる、さい……ちょっと……だまって、ろ……」


 震える手でシーナが取り出したのは、鍵束だった。

 彼はそれをじっと見て、ミーアの首にある首輪に触れ……見つける。


「よん、じゅう……なな……」


「シーナ、外すのは僕がやるよ」


「……いぃ。こいつ……いや。頼んで、いいか?」


「うん、任せて」


 シーナの手から鍵を受け取ったアッシュは、番号を見て一本の鍵を手に取り、ミーアの解錠を始めた。


「早くっ。早くして、アッシュっ」


「分かってるって。急かさないでよ」


 足、両手。最後に首輪まで外して貰ったミーアは、目の前で俯き、黙り込んでいるシーナを見て唇を噛んだ。


「シ……シーナ?」


 ゆっくりとシーナの頬に触れる。

 血で濡れた頬は、ぬるりと嫌な感触がして……酷く冷たかった。

 すると、シーナの手がゆっくりと上がりミーアの手に重なった。

 こちらも血に濡れていて、冷たい。

 ひとまず、意識があるだけで安心した。


「だ、大丈夫? な、訳ないわよね。酷い傷……」


 シーナの身体には肩口から腹部近くに至るまで斜めに、酷い裂傷がある。

 出血は未だ収まっていない。

 傷は思ったより深くはないが、浅くもない。

 充分、致命傷だ。


「このばかっ! 無事に帰って来るって、言ったじゃないっ! 何よこれ、何なのよ……っ! この嘘吐きっ!!」


「わ、るい。こほっ……ちょっと、やらかした。けど、終わった……から」


「これの何処がちょっとなのよっ。大怪我じゃないっ!!」


「これくらい、で……済んだんだ。安い、もんだろ」


「本当だよ。全部終わったんだ。シーナが倒したんだ。シーナはこんな身体で固有スキルを……」


「うっさいっ! あんたはちょっと黙っててっ!」


口を挟んだアッシュをキッと睨んで、ミーアは黙らせた。


「わっ、えっ!」


 突然。どさっとシーナが身体を預けてきた事に驚く。

 不思議と血で汚れるとか、臭いとかは気にならなかった。


「ちょ、ちょっと? えっ? し、しーな!?」


「こほっ……わる、い……ちょっと、休ませて、くれ……」


「えっ? あ……え、えぇ。それはいいんだけど、意識は保ちなさいよ? 寝るのはダメだからね? あ、これ痛くない? 傷、触っちゃってるけど……?」


 肩に乗った顔に耳元で囁かれ、顔を赤くしながらミーアはシーナの背に恐る恐る腕を回した。


「……もうお前は、自由だ。ミーア……もう誰もお前を傷付けない、縛らない。終わったんだ、全部」


「……うん」


 ミーアは、シーナを抱きしめる腕に力を込め、目を瞑った。

 瞳に溜まった涙が零れ、シーナの肩に落ちる。


「遅くなって、悪かった……だけど、助けた、ぞ。俺、今度は、取り戻した……んだ。はは、ざまぁみ、ろ……ざまぁみろよ、女神様よぉ……」


「うん……立派よ。ありがとう、よく来てくれたわ。女神様もきっと、褒めて下さっているわ」


「どう、だかな……はぁ、ミーア。は、早く帰ろう……俺もう、疲れた……よ」


「うん。うん……そうね。早く帰りましょう。だから、もうちょっと頑張んなさいね……」


 シーナの頭に頬擦りしながら、ミーアは言った。

 ここから街までどれだけ遠いか分からないが、担いででも連れて帰ると決意して。


(街に着いたら、すぐに治癒士を雇わないと……医務院に連れて行くくらいじゃ駄目ね。死体でも生き返らせられるくらいの治癒士が必要だわ。セリーヌに居ないなら、何処からだって連れて来てやるっ)


 どれ程の対価を支払う事になっても構わない。

 こんな私の為に、これだけ頑張ってくれた人。

 必死で探して、見つけてくれた。

 諦めずに、命懸けで戦って助けてくれた人。

 初めて好きになった男なんだ。

 このまま死なせたくない。

 失ってたまるもんか。


「かえ……ろ……いっしょ……に……」


「うん、うん……」


「…………かほっ」


「シーナ?」


 こんな形で、終わらせない。

 これからが私達の始まりなんだ。

 これからはもっと素直になろう。

 そして、一緒に楽しい日々を過ごすんだ。


「かはっ……ごぼっ……ご……め、ん……」


「え。もう、なんであんたが謝るのよ。謝らなきゃいけないのは私の方でしょ?」


「ごめ…………ん……」


そんな決意をしていたミーアは、突然強まった重みによろめいた。

そして、何とか踏み止まった彼女は異変に気付く。


「え。あれ? シーナ……? え、ねぇ? え、シーナ? え? ね、ねぇ? ねぇっ!! シーナっ!? ねぇっ!?」


 返答がなくなったシーナから、ミーアは慌てて身体を離した。

 途端、ねちょっ……と響いた不快な音。

 今更見なくても分かる、血の音だ。

 顔を見れば、シーナの瞼は既に閉じていた。

 それだけではない。

 口から、血が垂れている。

 先程の咳は吐血したからだと、すぐに気付く。


「ちょっと、しっかりしなさいよっ! ね、寝てるだけ? 寝てるだけよね? こ、こら……シーナ。ねちゃ、駄目だってば。ちゃんと、起きてなきゃ……」


 慌てて起こそうと声を掛ける。

 だが、シーナの瞼は開かない。

 すると、今更になってぬるりとした不快な感触が気になって、ミーアは背に回していた右手を見た。


「え。あっ……あ、あ……あ、ああぁああ」


 手は、赤く染まっていた。

 ミーアの手が、身体が震える。


「う、嘘……嘘……っ! 違うわよね!? 寝てるだけよねっ!!」


 ミーアの身体は、いつの間にか赤く染まっていた。

 腕の中で意識を失った少年が流した血で、密着していた全身は勿論、頬擦りした頬まで血に濡れていた。


「ちょっと。ねぇ、ねぇっ! 起きなさいって! もしかして意地悪してる? そうよねっ!? ねえ冗談はやめてよっ! ねぇっ! あんた状況考えなさいよっ! ねぇってばっ! いじわるしないでよっ! やめてよっ!! 分かってるんだからっ!」


 シーナの身体を揺すったり、頰を軽く叩いてみる。

 だが、反応は全くない。


「ふざけないでよっ! あ、あんた今まで私に本気でちゃんと謝った事なんてないじゃないっ!! 私が何言っても謝らなかったじゃないっ!! 適当にあしらってたじゃないっ!! なのに、なのに……今更ごめんなんて言わないでよっ!! 大体、あんた何も悪くないじゃないっ!! 謝る必要なんかないじゃないっ!! ねぇ……ねぇっでばぁあああっ!!」


 ミーアは、力ない身体をゆさゆさ揺すりながら叫び続けた。

 しかしすぐにミーアは気付いてしまう。

 息がない。シーナの呼吸が止まっている。


「ふ、ふざけんなっ! ふざけんなっ!! 許さない。許さないからっ!! 謝っても許さないからっ!! 死んだら許さないからっ! ごめんなんて、最後がそんなのゆるさないからっ!!」


「ちょっと、ミーアさんっ!! 落ち着いて……」


「うっさいっ! ティーラあんた、なに治療止めてんのよっ!! シーナが死んじゃったらどうすんのよっ!!」


 発狂したミーアを止めようとしたティーラだったが、涙目で睨まれて顔を背ける。

 いつの間にか、彼女の手からは癒しの光が消えていた。


「やめたわけじゃないんです……消えたんですよ。私の癒し手に、死者を生き返らせる力はありませんから……」


「うっさいっ!! シーナは死んでないっ! 死なせないっ!!」


 叫んだミーアは、シーナの身体を強引に押し倒して仰向けに寝かせた。

 すぐに顎を上げて気道を確保し、両手で胸部を何度も圧迫し始める。

 なんとか呼吸を再開させなければ。

 人工呼吸の心得は、冒険者になった時に学んでいた。


「お願いっ! お願いっ! お願いっ!」


 十回程押し、ミーアは迷わずシーナと唇を重ねた。

 二度息を吹き込み、また胸の圧迫を再開する。


「死なないでっ! 死なないでよっ!? あんたは私のだっ!! 勝手に死んだりしたら許さないっ!」


 鬼気迫るその様子に、誰もが言葉を失った。

 それ程、ミーアは必死だった。

 涙をボロボロ溢しながら、血塗れで眠る白髪の少年を蘇生しようとしている。


「あんたが死んだら、助かっても意味ないじゃないっ!! あんたが居ないなら自由になんかならなくて良いわよっ!! こんな心配させるくらいなら助けになんて来るんじゃないわよっ!」


 唇を重ね息を吹き込んだミーアは、口の中にある血の味を気にする事なく胸を圧迫し続けた。


「あんたは私の剣士でしょ!! これくらいの傷で死ぬなんて許さないっ! 根性見せなさいっ!!」


「いや、どう見てもそれ。気合でなんとかなるような怪我じゃ」


「うっさいっ! 私はこいつと一緒に冒険するんだっ! こいつは剣士で、私は弓士でっ! 二人で一緒に世界中を旅するんだっ!! いつか、私達の名前を世界に轟かせるんだっ!!」


 なんとも空気の読めない発言をしたアッシュに怒りを覚えながら、ミーアは叫んだ。


 「だから死ぬなっ!! 死ぬな、死ぬなぁっ!! この……いつまで寝てんのよっ! いい加減……」


 突然、ミーアは拳を握り振り上げた。

 まさか、と皆が思った時にはもう遅い。


「おきろぉー!」


 振り下ろされた拳が、シーナの胸部を強く叩いた。

 だが、それでもシーナの呼吸は再開しない。

 ミーアはシーナを見下ろす格好で俯いてしまう。


「なんで……なんでよぉ……っ!」


「……ミーアさん」


「連れてかないでよ……お願い、お願いします女神様……私達、これからなんです……だから、シーナを返してください……私から、奪わないでください……」


 見開いた目から、ボロボロと涙を流しながらミーアは祈った。

 祈ることしか出来ない自分が、憎かった。

 何も出来ない事が、これ程惨めだと知らなかった。


「何でもします。私に出来る事なら、なんでもやります……これからまた、どんな試練をお与えになられても構いません……私の命と交換でもいい……だから、お願いします……この人だけは、この人だけは持って行かないでっ!」


 血に濡れたシーナのシャツの襟を力の限り掴んで、ミーアは叫ぶ。

 瞼を閉じた少年。

 その整った顔に、涙を零しながら。


「私の大好きな人を連れて行かないで……っ!」


 小さな肩を震わせて泣くミーアを見て、アッシュは唇を噛んだ。


(……僕のせいだ。僕が、何も出来なかったから)


 ミーアは、シーナの胸に縋り付いた。


「シーナ。お願い、生きて……生きてよぉ! 私、あんたが好きなの。大好きなのっ! だからっ!」


 気が付けば気になっていた。

 いつの間にか目で追うようになった。

 最初はただ、その容姿があまりに整っていたから。

 他にも理由はあるが、どれも大した理由ではない。


 けど、接していくうちに変わってしまった。


 彼は、優し過ぎた。

 どれだけ態度が悪くても、相手をしてくれた。

 どれだけ悪口を言っても、言い返してくれた。

 こんな面倒な女を、見捨てないでくれた。

 周りに何と言われていても決して不貞腐れず、努力している姿は格好良かった。

 本当はずっと前から、好きになっていたのだ。


 そんな彼が、決して諦めず自分を探し、命懸けで助けてくれた。


「起きてよっ!」


 こんなの、大好きになるに決まってる。

 愛してしまうに決まってる。


「起きてっ! 生きてよぉっ!! これからずっと……一緒に居てよぉ!」


 だからその責任も取らずに死ぬなんて、許せない。


「う、うぅ……うぁ……ううぅ……っ」


 そんな結末、認めない。

 だってそんなの、あまりに酷過ぎるではないか。


「あ、ああぁああああっ!!」


 私は、私はこんな運命を歩む為に。


「あぁ、あぁあっ! だ、だれかっ! だ、だれかぁああっ!!」


 こんな風に泣き喚き、無様で惨めな姿を晒す為に。


「わ、わたしは何もいりませんっ! 私、もうなにもいらないっ! なんでもしますっ! だ、だから誰かっ! め、女神様っ! 女神エリナ様っ!」


 何かに縋り、祈る為に。


「この人を、助けてくださいっ!!」


 こんな絶望を知る為に冒険になったんじゃない。











「何を騒いでいる?」


 一人の少女の叫びに、突然声が応えた。

 出口の方向から静かに、しかし妙に響いたそれは、低く抑揚の無い冷たい声。


 その声の方へ全員が顔を向けると、


「状況を説明しろ」


 そこに立っていたのは、一人の男。

 見知った顔の冒険者の姿があった。


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