第48話 誰もあなたに追い付けない。


「威勢が良い若者は嫌いじゃない、来い」


 目の前の老人を睨みつつ、左肩を回した。


 支部長の男に踏まれ、外れたと思った左肩。


 しかし、傷むだけで問題なく動く。


 それもそうか。今短剣を持っている左手は、先程。奴に斬りかかる事が出来たのだから。


 武器は短剣一本と腰の矢筒のみ。

 剣を拾う仕草を見せれば、その瞬間にやられる。


 ……このままやるしかない。


「ふぅ……」


 落ち着け、俺。

 ただ怒りに任せて攻撃した所で勝機はない。

 この衝動を満たす為には、殺意はそのままに。

 だけど頭は冷静に、しっかり回せ。


「すぅ……ふっ!!」


 多めに息を吸い、俺は地を蹴った。

 短剣を握り締め、目の前の敵を殺す為に。


 走りながら左手の短剣を宙で逆手に持ち替え、老人の下顎を狙う。

 刃は躱されるが、すぐに頬を狙い右拳を突き込む。


「ぐっぅ!?」


 拳は老人が両手で掲げた剣で防がれる。

 硬い剣を殴った拳に鋭い痛みが走った。

 思わず顔が強張る。


 気にするな、攻撃の手を緩めるな!


「だぁっ!」


 自分にそう言い聞かせ、右拳を引いて力を抜く。


 手を振って痛みを誤魔化しながら、左の短剣で切り付けた。斬撃は一歩後退して回避される。


「っ!!」


 そのまま振り上げた短剣を頭部に振り下ろした。

 しかし、ガシッと手首を掴まれる。


「あっ!?」


「ふむ」


「このっ!」


構わず右膝蹴りで脇を狙うが。


「ほっ……!」


「わっ!!」


 ぐいっと引っ張られ、俺の身体は宙へ浮いた。

 そのまま投げ飛ばされ、地を転がった俺は勢いを活かして態勢を整える。


「ぐっ……!?」


 何とか立ち上がったが、突然ズキッと胸に激痛が走った。

 一瞬視界がボヤけ脱力した俺は、堪らず片膝を折ってしまう。


「はぁ、はぁ……っ。ぐっ、ギッ……はぁっ!!」


 辛い、辛いけど……休んでる暇はない。

 身体が動くうちに、勝たなきゃいけない。


「くそっ!! あぁっ!!」


 地を強く蹴って、老人に向かいながら短剣を正手に持ち替え、右手で矢筒から矢を一本抜く。


 強い。まるで歯が立たない。

 でも……負けられない。


 負けられない、負けられない。

 俺は、負けちゃいけないっ!

 あいつを……ミーアを連れて帰って、今度こそ。


 ユキナには言えなかった。

 大好きだったのに。 

 一生一緒に居ようって約束したのに。

 命より大事だって。そう思っていた女の子。

 なのに言えなかった。言えなくなってしまった。


「ああああぁっ!!!」


 おかえり。ただその言葉が言いたかった。

 ただいまって。ただそれだけが聞きたかった。

 だから、今度こそ笑って。

 笑い合って終わるんだっ!!


「くそっ! くそっ!!」


 肉薄した俺は、乱撃を始めた。


 突き出した短剣が当たらない。

 顔を狙った矢の刺突も避けられる。

 足技も難なく回避される。

 どんな攻撃も、まるで全て最初から分かっているように避けられる。


 何故だ、何故届かない。どうして、勝てない。


 これだけ攻撃しているのに。

 毎日、欠かさず鍛えて来たのに。

 一瞬視界に映った老人の顔は、全く焦りのない余裕に満ちたものだった。


 あぁ。どうして、俺は……。


「ほっ!」


 こんなにも、弱い。


「うっ……! あっ、あっ……れ?」


 気付けば俺は血が宙に舞うのを見つめていた。


「え。う、嘘……嘘だろ? シ、シーナ!? しーなぁっ!!」


 不意に、アッシュの叫び声が聞こえた。

 そうか。あんな軽い仕草で振るった剣に捉えられたのか。

 じゃあこれは、俺の血……かぁ。

 斬られたのは、また胸のあたりか。

 あまり深くは、ないみたいだけど。


「うっ……! ぐっ……かはっ……」


 身体に力が入らず、そのまま仰向けに倒れた。

 背を強く打ち、息が詰まる。

 口の中は血で一杯で、堪らず吐き出す。


「ちょ、おい。殺すなって言っただろ」


「ふっ、殺しとらんよ。手加減はしておる。見た目より傷は浅い筈じゃ、このまま放っておけば死ぬじゃろうがな」


「あぁっ!! そんなっ! しーなっ!! あぁっ!! しぃなぁっ!!」


 そうか。負け、か。

 もう身体、動かないや。


 あぁ、なんでだ? なんで俺……勝てないんだ。

 いつも。いつも……なんで。


「だからって斬るなよ、大事な商品だぞ? こいつが本物なら欲しがる貴族は多いんだ」


「すまん、此奴。中々の気迫じゃったからな」


「シーナ! おい、しっかりしろっ! 動けっ! くそっ! シーナッ!」


「あっ。おいこら、大人しくしてろ。お前も痛い目に会いたくないだろ?」


「なっ! 離せっ! 離せよっ! 離せぇっ!!」


 こんなに頑張ってるのに。

 なんで、何も手に入らないんだ?

 なぁ……なんでだよ。


 なんで俺には、力がないんだ?

 剣聖みたいな、英雄になれる力がないんだ?


「ぐぅ……! シ、シーナ。な、何してるっ!! 君はこんな奴らに負ける剣士じゃない筈だ!」


 別に英雄になりたい訳じゃない。

 確かに俺は、世界の為に戦うなんて寧ろ御免だと思っているさ。

 人類の希望だと持て囃され、世界を救って後世に名を残す、なんて。

 そんな人生を送りたいなんてちっとも思わない。

 富も地位も名誉もいらない。

 英雄になりたいなんて、そこまでは望んでないじゃないか。


「聞こえてるだろっ!! 聞けよっ! 君には力がある筈だ! 君だけの力がある筈だっ!!」


 ただ俺は何も失いたくないだけなんだ。

 ただ数人、大事な人を守る力が欲しいだけだ。

 昔から故郷を守りたいだけだって言ってただろ。

 なのになんで俺、こんな所で……。


「なんで……だよ」


 なんでユキナが剣聖なんだよ。

 剣聖が俺だったら良かったのに。


 それならユキナを王都に呼んですぐに結婚して、他の女なんて見向きもしないと約束したのに。


 ユキナを守る為だったら、傍に居てくれたら。

 世界くらい救う為に戦ってやったのに。


「はは。なんだお前。必死だな? 無駄だからやめておけ。あれで起き上がったら、それこそ奇跡だ」


「ふむ……支部長殿。此奴、見たことがあるのかもしれませんぞ? この若造が持つ力を」


「思い出せよっ!! 許さない、許さないぞシーナ!! あんな力がある癖に、使いもせずに負けるなんて許さないっ!! 僕は……僕は君が見せた力に希望を見たんだ! だからここに来たんだ! なのになんだよ、そのザマはっ!!」


 どうせミーアだって、俺と出会わなければこんな奴等に捕まったりしてない。

 きっと誰かが、女神が。意地悪してるんだ。


「ほう、それ程の力なのか……手間が省けた。わざわざ確認する必要はないな。おい、そいつは本物らしい。手足を縛った後、治療してやれ。絶対に殺すな」


「畏まりました、支部長殿」


 なぁ、聞いてんのかよ?

 聞いてんだろうが。


「なぁ。ふざけんな。ふざけんなよ女神様……」


「思い出せっ!! シーナッ! 思い出して、もう一度立ち上がれっ!」


 なぁ。頼むよ。頼むからさ。

 もう意地悪しないで、助けてくれよ。

 俺はいいよ。もう、俺は良いから。


「君は僕等の希望なんだっ!! 負けちゃいけないんだっ!! 君が皆を助けるんだっ!!」


「たす、けろよ」


 だから誰か、ミーアを助けてくれ。

 皆を街に連れて帰ってやってくれ。

 大事な奴等なんだ。

 死なせたくないんだよ。

 不幸にしたくないんだよ。

 俺じゃ、俺の力じゃ無理なんだよ。


「君が自分で言っただろ! 絶対に連れて帰るって、ミーアに約束しただろうっ!!」


「ユキナ、ごめん……ごめ、ん……」


 なぁ女神様。

 ユキナには、早く世界を救わせてやってくれよ。


 あいつが、戦うのを好きになれる訳ない。

 ずっとずっと、苦しんでいるはずなんだよ。

 ずっと前から、分かってるんだ。

 あいつも泣いてばっかりだって、分かってる。

 俺が何とかして助けるべきだって。

 駆け付けるべきだったって分かってるんだ。


 でも、俺にはもう無理だからさ。


「だから立てっ! 思い出せよ、このばかぁ!」


 もう、俺には無理だから。

 お前の言う通りだよ、ミーア。

 確かに俺は、馬鹿野郎だったよ。


「助けて……」


 なぁ、誰でも良い……誰でも良いから。

 笑って終われる未来に皆を連れて行ってくれ。


「たす……けて……」


 誰か、誰か……!

 俺の大事な人達を……助けてください。


「アッ……シュ……」


 最後の力を振り絞り、支部長の男に組み伏せられたまま俺に向かって叫ぶアッシュへ手を伸ばす。

 

 絶対に届かないと分かっている手は、当然の様に空を切った。


「……っ! し、しーなっ!!」


 涙で歪んだ視界が、黒く染まった。

 そう、俺は救えなかったのだ。

 また、諦める事しか出来なかったのだ。


「シーナ? おい、嘘だろ……しーなぁ!!」


 だから、頼む。頼むよ、アッシュ。

 皆を……助けてくれ。








『いや、何言ってるの?助けるのはあなたでしょ』


えっ。


 意識が途切れた筈なのに、不意にそんな声がした。

 辺りを見渡すが、真っ暗で何も見えない。


『必要な力はもう持っているはずよ? あげたもの』


 なんだ? 誰だ?

 何処かで、聞いた事がある……気がする。


『ふぅ。もう……シーナ、思い出して。ユキナが剣聖になった日、あなたも力を得た筈よ。共に生まれた、もう一つの道を切り開く力を』


 ……懐かしい声だ。

 あなたは、誰なんだ?


『思い出しなさい。あなたが得た、理不尽に抗う為の理不尽な力を』


 思い出す? 俺の……力?

 それって、俺が与えられた祝福の事か。

 剣士の固有スキル。確か、上昇加速とか言う。


『使い方は、もう分かるわね?』


 いや、分からないから使ってないんだけど……。


『大丈夫、もう分かってる筈よ。もう使ってるしね。シーナ、あなたはこんな所で終わってはいけない。あなたは、人の未来に光を示すの。英雄では出来ない、英雄ではなれない英雄になるの』


 英雄ではなれない英雄?

 なんだそれ、意味が分からない。

 と言うか、あなたは誰なんだ?


『可能性は一つじゃない。あなたは、それを示す道になるの』


 ……あぁ、分かった。

 全く、俺としたことが。


 こんな大切な声を忘れているなんて。

 あんなに愛した声を忘れていたなんて。


『もうしょうがないわねー。お節介しちゃお』


 ありがとう。

 ずっと俺を見守ってくれていたんだね。


『いきなさい、シーナ。もうあなたには、誰も追い付けない』


 背中をトンと押された気がした。

 そんな訳ないのに、な。


『もうあなたには、誰も敵わないっ!!』


 あぁ、やっぱりそうだ。


『シーナは私の、自慢の息子なんだから!』


 これは、この暖かくて優しい声は。


上昇加速ブースト・アクセル


 母さんの声だ。


 突然、身体の感覚が戻った。

 手も足も。指先の感覚まで、ちゃんとある。

 斬られた傷の痛みも返ってきたが、痛みを感じるのは意識がはっきり戻った証拠だろう。

 大丈夫、これなら……大丈夫だ。


「我、女神の祝福を受けし者」


 俺はまだ、諦めなくて良いんだ。


『アクセラレーション』


 耳鳴りが始まった。

 俺は、この音を知っている。





「あーあ、完全に気を失ったか」


「早く処置せねば手遅れになりますな。支部長殿、失礼ですが紐のような物はお持ちですかな?」


「ない。それより先に止血くらいしとけよ。俺はその間、こっちの躾をしておくからよ」


「はぁ? 何が躾だっ! 離せっ! ぐっ……! はな、せ……よっ!」


「止血するにも縛る物が必要でしょう」


「そいつの腰袋を漁ってみろ、応急品くらいあるだろう。なければその辺の役立たずから貰うか、取りに行け」


「はい」


「おい、お前も何か持ってるなら出してやるから言え。あいつを死なせたくなかったらな」


「うるさい! 僕に指図するなっ! このっ……!もしシーナを殺してみろ! この洞窟ごと爆破してやるからなっ!」


「だ、そうだ」


「まぁ、そうでしょうな」


 支部長と老剣士は互いに肩を竦めた。

 老剣士は、倒れたシーナの傍で屈み込む。


(こいつにも、少し眠って貰うか)


 支部長の男がアッシュに向かってそう思い。

 老剣士の手がシーナへ伸びた。


 血に濡れた唇が、開く。


「我、女神の祝福を受けし者」


 ゴオッ!! 

 突然。地に伏せたシーナから風が舞い上がった。


「むっ!?」


 慌てた老剣士は風を嫌った。

 後方へ飛び退いて剣を構える。

 数々の修羅場を乗り越えてきた経験が、老剣士の瞳を鋭くしている。


「おいおい、何事だ? これは」


「詳細は不明です。固有スキルと言うよりは、魔法の類だと思われますがな」


「魔法? そうか、こいつ。魔法士の才まであるんだったな。やはり本物か」


「しかし、一つ不可解な事が。この者、魔法の詠唱をしておりません。無詠唱魔法など御伽噺でしょう」


「はぁ……おいおい、また奇跡の類いか。じゃあなんだ? これから大逆転でも起きるのか?」


 未だ風を纏う白髪の少年。

 その身体が不意に、ぴくりと動いた。


 何か嫌な予感のする老剣士だが、流石に得体の知れない風に触れるのは悪手。

 今は誰もが、風を纏う少年をただ目を離さず見守ることしか出来なかった。


  数秒後。

 少年シーナは、ゆっくりと立ち上がる。


「動き出しましたなぁ。支部長殿、指示を仰ぎたい」


「知らん、勝手にしろ。お前に任せる」


「では、楽しませて頂きましょう」


 立ち上がったシーナは、一度よろけた後に静止した。

 顔を俯け、力無く垂らしている両腕には何も持っていない。


ふと、下から上へ。本来あり得ない不気味な吹き方をしていた風が消えた。


「おー、シーナくん。よくたっ」


 どう見ても満身創痍な身体で、シーナは立った。

 支部長が挑発しようとした瞬間。老剣士は動いていた。


 鋭い踏み込みから放たれた斬撃が、シーナの首元へと迫ったのだ。


 無論、殺すつもりはなく寸前で止めるつもりで放たれた攻撃だった。


「ぬっ……!?」


 次の瞬間。老剣士は甲高い金属音を耳にした後、剣に引っ張られ体勢を崩していた。

 何をされたか、分からないままで。

 何故なら、全く見えなかったからだ。


「おそ」


 そう呟いた少年は、ただ籠手を身につけた左手で迫る剣を上から下へ叩いただけだ。


 今の彼にとってそれは、卓に乗った皿を手に取るのと同じくらい容易な事だった。


「ぐ……っ! くっ、お主!」


 老剣士は見た。

 体勢を崩し、慌てて見上げたその目で。


 少年と合った目。

 先程まで冷たく、暗かった瞳が……輝いている。


 それは、感情の光ではない。 

 洞窟の闇に灯った二つの光。宙に確かな光彩を放つそれは、シーナの瞳と同じ青い色をしていた。


 固有スキルが発動した証だった。


「っ!!」


 老剣士は背筋に冷たい感覚を覚えた。

 慌てて後退し、支部長の男の傍まで離れる。

 そんな老剣士をシーナは黙って見送った。


 支部長も気付く。

 青く輝く、二つの光に。


「ふん……っ」


 笑みを浮かべる支部長の男。

 そんな彼を殺意の篭った目で一瞥して、シーナは組み伏せられているアッシュへ視線を向けた。


 視線に気付いたアッシュは、涙で濡れた顔で少しだけ笑う。


「やっと、思い出したんだね? シーナ」


 シーナは答えない。

 代わりに、彼が視線を向けるのは支部長の男だ。


「お前」


 光を放つ瞳を細め、彼は無表情のまま告げる。


「殺す」


「なんだ? シーナくん。固有スキルを発動させた程度で、また随分と大きく出たな。おい、いつまで休んでる。引き続き遊んでやれ」


 シーナに睨まれた支部長は、余裕の表情で老剣士に指示を出した。


「畏まりま……」


 老剣士は、返事の途中で目を見開いた。

 目の前に立っていたシーナが突然消え、頬をふわりと風が撫でたからだ。

 同時に瞬きをしていてシーナを見失った支部長の男は、


「なっ」


 気付けば、目の前に白髪の少年の顔がある事に思わず声を上げていた。


「ぐっ!?」


 次の瞬間。ドゴォ!! と老剣士の背後から凄まじい殴打音が鳴り響いた。


 老剣士が振り返る。

 そこには鋼の籠手を装着した拳を振り抜いた状態で立つ、白髪の少年の後ろ姿があった。

 その足元には、地に伏せた金髪の青年。


「まだ、遅い」


 そして地を転がっていく支部長の姿だった。

 シーナは、支部長に加速した渾身の右ストレートを叩き込んだのだ。


「速い、従来の加速スキルを遥かに凌駕している」


 老剣士は構えを解いたシーナの背中を呆然と見つめた。

 支部長の拘束から解かれたアッシュは、シーナに笑い掛ける。


「ありがと、シーナ。助かったよ」


「礼を言うのはまだ早い」


「え?」


 再度。シーナの姿が消えた。

 気付けば彼はアッシュの背後に移動し、飛んで来た長槍を右手の籠手で弾いていた。

 

 もし防がなければ、槍は上半身を起こしているアッシュの後頭部へ突き刺さり、今頃。悲惨な事になっていただろう。


「うっ……くっ……はぁ……」


 槍が落ちた音が木霊した後。シーナは苦しげに呻いた。

 背後から見ているアッシュですら気付く程、シーナは肩を上下させ息苦しそうにしている。


 それもその筈、彼の力はまだ未熟な身体に大きな負担を強いていた。

 今の満身創痍な身体で長くは持つ訳がない。


「ほぅ。今のを防ぐか」


 支部長は既に体勢を立て直し、シーナを見て感心した様に言った。


 どうやら先程の正拳突きは防がれていたらしい。


 あれ程速く威力のある拳がシーナの狙い通り頬を捕らえていれば、如何に屈強な男でも無事でいられる訳がない。


(まだ重い、遅い)


右手を数度握り直し、シーナはその動きを見て感じた。


(もっと速く……もっと、もっと)


 シーナの想いに、力は応えようとする。


 彼の見ている世界に身体の動きを適応させていく。

 彼の視界。何倍も遅い世界で、普通に動けるまで適応する為に加速していく。


(こいつは後回しだ)


 強くなっていく耳鳴りを感じながら、シーナは支部長から老剣士へと狙いを変更した。


「女神エリナよ、我が望むのは我が敵を貫く奇跡」


「っ! 魔法だっ! 撃たせるなっ!」


「はっ!」


 支部長の叫びに応えた老剣士は、剣を翻して駆け出した。

 老剣士が殺しても構わないと躊躇いなく繰り出した斬撃。

 それを難なくひょいと避けたシーナは、涼しい顔で詠唱を続ける。


「貴方の子である我に、その慈悲深い御手を貸し与え、その御手を汚す事をお許しください」


 続けて剣を振り続けた老剣士だが、シーナはその剣舞を最小限の動きで回避しながら詠唱を終えた。


 当たる訳がないのだ。

 幾ら速かろうと彼の見ている視界では退屈すら感じる程。遅い攻撃なのだから。


「貫け」


「くっ……!」


 至近距離で光を放つ瞳に睨まれた老剣士は、慌てて後方へ下がり距離を取った。

 そして、次の瞬間。


「なっ……!?」


 老剣士は、自分がしてやられたことに気付く。

 魔法で飛来した剣を白髪の少年が掴み取ったからだ。

 シーナは魔法を自分の剣を呼び寄せる為に使ったのだ。

 今なら、どれ程速く飛来しても掴み取る自信があったから。


「もうお前、死んでいいよ」


 気付けばシーナは、老剣士の懐に入っていた。

 下から上へ見上げてくる青い瞳が、雄弁に語る。


 お前を殺す。


 目が合った時は一瞬だった。


「あっ」


 それが老剣士の最後の言葉となった。

 二度、風を斬る音がした。

 一度は甲高い金属音が混じったもので、それはどちらも目にも止まらぬ速度で振るわれた剣が奏でたものだった。


 静寂に包まれる中。シーナは老剣士に背を向け支部長を睨み付ける。


 僅かに遅れ、老剣士の首がずるりと落ちた。

 首を失った身体は噴水のように血飛沫を噴き出して崩れ落ちる。


「まず一つ」


 背後の首のない噴水の血を浴びながら、シーナは空から降ってきた白い剣を左手で掴んだ。


 二度振るった剣。その一回で、シーナは老剣士の手首を両断しつつ宙に剣を弾き飛ばしていた。


 その白いミーアの剣を取り返す為に。


「……取り返したぞ、ミーア」


……そう。

やっと彼は、奪われてばかりだった少年シーナは、


「お前の剣、取り戻したぞ」


やっと一つ。奪われたものを取り返したのだ。

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