第47話 力の衝動。
不意に響いた爆音と揺れ。
森深くの洞窟。その暗く冷える最奥で。
鎖に繋がれたミーアは、きゅうと胸を締め付ける不安と必死に戦っていた。
「大丈夫、大丈夫……大丈夫……っ」
彼女は、仲間が置いて行った食料を食べさせて貰い、数日振りに活力を取り戻していた。
しかし、出来る事はない。
共に戦う事は出来ない。
だから、祈るように唱え続けている。
「今のは……?」
呟くティーラの問いに、答える者はいない。
彼女は自分の膝を枕にして、ローザに固有スキル『癒し手』による治療を施している最中だ。
赤髪の冒険者ローザは、癒しの光を浴びながら眠っている。
「今のはアッシュ……そう。あいつらは勝ってる。シーナは、馬鹿じゃない。臆病なあいつは、危なくなったら逃げる。だから大丈夫、大丈夫、大丈夫」
「…………」
暗い出口をじっと見つめるミーアの目は、真剣だった。
濡れた瞳は赤く、涙が頰を伝い落ちている。
振り向き、そんな彼女を見た後。ティーラは下を見下ろし薄緑に発光した手で、眠るローザの頭を撫でた。
ここに来てからずっと、何度も目の前で嬲られ、踏み潰された頭。血を浴びた赤い髪は、ティーラの手に硬い感触を与える。
「……ローザさん。私達、何処で間違えたんでしょうね……何が、悪かったんですかね」
呟き、今までの事を思い出すと酷く胸が痛んだ。
冒険者になってからは、毎日が楽しかった。
駆け出しの頃は辛いことも沢山あったが、ローザと出会って仲間になってからは辛いことより楽しい思い出の方が多くなった。
それなのに……。
「私達、頑張りましたよね。ずっとずっと、頑張って来ましたよね……それがやっと認められて来たところでしたよね……なのに、なんで。なんで私達、こんな事になってしまったんですかね……」
無法者の男達に捕らえられてから、数日。
仲間を傷付けられ、奴隷になり……受けた扱い。
それはティーラの心を蝕み、へし折るには充分なものだった。
充分過ぎる程に、残酷だった。
勿論、あの二人が来てくれた事は嬉しい。
だが、今更だ。それも縋るにはあまりに心許無い僅かな希望。期待など出来る筈もない。
彼女はもう祈る事すら出来なかった。
「私……もう、駄目です。もぅ……疲れました」
気付けば、涙が溢れていた。
ポタポタと流れる大粒の涙が、好きな男性の頬を濡らす。
「ローザさん……私……私達、何か悪いことしましたか? 何が、悪かったんですか……どうして女神様は、私達にこんな試練を与えるんですか……わ、私……私はっ。あなたと、ずっと……一緒に居たかった。あなたさえ居てくれたら、それだけで良かった。あなたと笑顔が絶えない家庭を作りたい。そんな私の夢……私は、それだけで良かったのにっ!」
泣き声の様な独白が、静かな暗闇に響く。
「え……ティーラ……?」
左腕で涙を拭うティーラ。そんな彼女に気付いたミーアは顔を上げ、白く震える背中を見つめた。
(彼氏って。ローザの事、だったんだ。本気で、愛してるんだ)
「……っ。う、うぅ……っ!」
泣き噦る先輩女性冒険者の姿を見て、ミーアはティーラが受けた扱いを思い出して胸を痛める。
あの時、ティーラはどんな気持ちだったのか。想像するだけで気持ちが酷く落ち込んだ。
彼女の見つめる先に、追いかけてきた頼り甲斐のある先輩の姿は……もうない。
それは、あまりに小さな背中だった。
「なんで……なんで……」
「……っ」
ギリっと歯を噛み締めた時、ミーアは見た。横たわっているローザの手がぴくりと跳ね、ゆっくりと上がり始めたのを。
「……なんて顔、してんだよ」
傷だらけの手がティーラの頬に触れた途端、ローザの声がした。それは、か細く弱り切った声だったが。
「ローザさん……っ」
「黙って聞いてれば、弱気なことばかり……言いやがって」
「ぅ……ごめん、なさい。でも……」
「でもじゃない。なぁ、ティーラ。確かに俺達は間違えた……だけどな、一つだけ。胸張って、言える事もあるだろうが。誇れる事が、あるじゃないか」
ローザは、ティーラの頬を撫でながら笑った。
苦しげで、明らかに無理のある笑顔。だが、何故か嬉しそうな表情で。
「俺は、仲間だけは間違ってない」
剣を構えた俺を見て、自由ギルド支部長を名乗る男は僅かに口元を緩め笑った。
「我、女神の祝福を受けし者」
男が発した言葉には、覚えがあった。
まさか、こいつは。
「うっ……ぐっ……!」
背後から呻き声が聞こえ、振り返る。
苦悶の表情を浮かべたアッシュが崩れ落ちている最中だった。
彼の剣に纏っていた光が、バシュッと音を立てて霧散し、消えていく。
固有スキルを掻き消された?
剣を取り落とすアッシュ。
彼は自分の右手を見て、歯を食い縛る。
「な、なんだこれ……身体に、身体に力が入らな……っ!」
「っ!」
激しい足音と金属音が迫っている。
俺は慌てて正面に向き直った。
「余所見とは、余裕だな!」
支部長が、長槍を翻しながら駆け寄って来る。
輝く双眸と目が合い、俺は身構えた。
「ちっ! しまっ」
「ふっ!」
「くそっ! ぐ……っ!?」
男が急停止と同時に体を回転させ、横薙ぎに振るってきた槍。その軌道に何とか剣を合わせる。
……なんて重さだよ!
「あぁぁああっ!!」
だが、全身を襲う衝撃には全く抗えず……一瞬で視界を暗転させられた。
「がはっ!」
弾き飛ばされ、背から地に倒れ込む。
「くっ……うぅ……かはっ」
「シーナッ!」
肺の中を全て吐き出した俺は、気付けば白く霞む視界で上を見つめていた。
アッシュの声が、近い筈なのに遠く感じる。
「おいおい、人の心配をしている暇があるのか?」
「っ! く、くそっ!」
不味い。今のアッシュは、剣を持っていない。
この男は、拾う暇なんて与えてくれる甘い相手じゃない。
「ぐ……っ! くそっ!」
身体を必死に動かし、跳ね起きる。
男は膝を屈したアッシュへ迫っている最中だ。
迷わず全力で地を蹴り、剣を握り直す。
間に合え。いや、間に合わせる!
「させる……かぁっ!」
跳躍し、宙で身体を捻りながら男に斬りかかる。
だが、頭部を狙った俺の斬撃は男が僅かに頭を傾げただけで回避された。
刹那、男がこちらを振り返り、にやりと笑った。
「っ……!? ゴホッ!」
不味いとは思ったが、既に手遅れだった。
お返しとばかりに繰り出された蹴りに腹を捉えられ、息が詰まって意識を飛ばされる。
「が……あっ……! ごほっ……ぐ……うっ……あっ」
幸い、地面を転がる衝撃で意識はすぐに戻る。
だが……駄目だ。起き上がる事が出来ない。
いつの間にか、剣も失っている。
まずい、アッシュが。
このままでは、アッシュがやられる。
「ふん、軽い。軽すぎるなぁ、シーナくん」
無力化されたアッシュがやられる事を危惧したが、支部長は意外な事に俺の方へ歩み寄って来る。
光る瞳で俺を見下ろし、余裕のある表情で笑っているのだ。
身体の痛みを堪え、俺は見上げる男を睨み返す。
「その程度では、俺と打ち合うなんて無理だな。もう諦めろ。足掻いたところで、貴様は何も救えない。英雄気取りの勘違い野郎は、そうやって這いつくばっているのがお似合いだ」
話しながら男が振り上げた足が、俺の左肩を力強く踏み付けた。
ゴキっ、という鈍い音が妙に耳に響いてくる。
「がっ……!? あ、ああああぁああぁあっ!!」
「シーナッ!!」
凄まじい痛みが、全身に走った。
白黒に点滅する視界。滲んだ涙で男の顔が霞む。
「痛そうだなぁ? だが、俺はもっと痛い。貴重な労働力をまさかたった一晩でこれ程失うとは思わなかった。どう責任を取ってくれるつもりだ?」
「ぐっぁっ! う、ぅぅっ!」
肩に乗る足に力が込められ、捻られる。
痛みで意識が飛びそうだ。
動けない。歯を食い縛って耐えるしかない。
「うぅ……くそっ! シーナを、離せっ!」
「ふん。煩い、この程度で動けなくなる様な雑魚は黙っていろ。貴様の様な足手纏いが居なければ、もう少し楽しめたかもしれんのだ。雑魚に用はない」
「あ、足手纏い……だと? ぼ、僕が……っ!?」
「足手纏いだろう? 反論があれば言って見せろ。あれば、な。お陰でこちらは楽が出来た訳だ。感謝してやろう」
男の顔がアッシュへ向いた。
俺から視線が外れたのを見て、俺はすぐに右手を腰のポーチへ伸ばす。
幸い。目当ての物には、すぐに触れられた。
「はぁっ、はぁ……取り消せ……」
痛みを堪えながら声を絞り出す。
男の光る瞳が俺へ戻ってきた。
よし、誘導出来た。これなら……っ!
「ほぅ?」
「アッシュは足手纏いなんかじゃない。取り消せ」
ポーチから握り締めたものを引き抜き、男の眼前を狙って投げる。
投げる前に法力はしっかり込めた。
発動まで、さん……にっ……いちっ。
……カッ!!
「な……? くっ!」
「えっ!? 眩しっ!」
数えながら目を閉じた瞬間、そんな音がした。
同時に、男とアッシュの慌てた声が聞こえる。
ふと、肩に乗っていた圧が消えた。
支部長が後退したのだ。
「くっ……はぁっ」
急いで立ち上がり、右手を短剣に伸ばす。
今投げたのは閃光玉。法力を込める事で効果を発揮する、使い捨ての道具。
流石は高級品。元々対化物用なので、人間相手なら効果は疑う余地もない。
「死ね」
目を押さえ、よろめく支部長の首元へ、迷わず短剣を差し込む。
だが、男の首を捉えることは無かった。
「なっ!?」
突然割り込んできた剣が、俺の短剣を弾いたのだ。
その使い手は、白髪の老人だった。
迫力のある目が、こちらを睨み付けている。
「くっ!!」
体勢を崩した俺へ、老人は踏み込んで来た。
凄まじい速度で、剣が翻る。
は、速い。驚いている場合じゃない!
身を逸らし、首筋へ迫る刃から回避を試みる。
「ぐぁっ!!」
避け切れず斬撃を貰ってしまった。
途端、視界に広がる紅。
これは、俺の血……か。
「大丈夫ですかな? 支部長殿」
追撃を恐れ距離を取ったが、老人は構えを解いた。
目は俺から離さず、不思議な気を放っている。
どうやら、すぐ終わらせるつもりはないらしい。
「ぐ……っ。はぁ、はぁ」
左の肩口から胸上までが、妙に熱い。
ティーラに治療されたばかりなのに、もう意味が無くなったか。
痛みは不思議と感じないが、出血は少なくない。
だが、身体は動く。傷も浅い。まだ戦える。
傷口を押さえ荒く息を吐く俺を見ながら、老剣士は口を開いた。
「油断が過ぎますぞ」
「煩い。説教はやめろ。俺には考えがある。簡単に殺せないのは、事前に説明しただろう」
「考えがあるのは理解しております。だが、この若造の覚悟は本物だ。よくもまぁ、この歳で。ここまで己を賭けられる」
老人は目を細め、凄まじい威圧感を纏った。
この爺さん。只者じゃないな。
「若造。シーナと言ったな? 随分と修羅場を潜って来たようだ。この状況で大した度胸。称賛に値する」
「はぁ、はぁ、はぁ……くっ、はぁ……」
「お主、その目を手に入れる為に何を失った? 家族か、友人か。はたまた、女かのぅ?」
「……黙れ」
「図星か」
「黙れ、と言った」
一気に踏み込んで側頭部を狙う。
渾身の右回し蹴りが、老人の左腕に防がれた。
表情を見る限り、全く効いた様子はない。
「おいおい、危ないのぅ? まだ話の途中じゃろ。老人の話は黙って聞くのが若者の務めじゃぞ」
足を引き、短剣を振り上げる。
だが、その斬撃は一歩引いた老人に軽々と回避され空振りに終わった。
そのまま攻撃の手を緩めず、拳を握って。
拳を突きだそうとした、その時だった。
老人の口が、開く。
「剣聖ユキナ」
「っ!?」
俺はその言葉に身体を静止し、老人を睨む。
そんな俺の反応を見て、何が嬉しいのか老人は笑った。
「お主、本物か。本物なんじゃな?」
何故だ。何故今、ここで。
その名前が出てくるんだ。
「なにが……言いたい」
「シラを切るならそれも良かろう。どちらにしろ、確かめさせて貰うつもりじゃからな……ふんっ!」
「っ! ぐっ!」
突然、前方から何かが俺を襲った。
それは、不可視の力だった。
凄まじい強風に強く叩きつけられたのだ。
堪らず背後に飛ばされ、何とか足で着地する。
ザザザッと靴が地を滑って……止まる。
「くっ……」
斬られた傷がズキッと傷んだ。
口の中が鉄臭い。
これは、血の味か。
あまり長引くと身体が持たないぞ。
ぺッと口の中のものを吐きだす。やはり血か。
「支部長殿、少々これをお借りしますぞ」
顔を上げると、老剣士が支部長の腰から剣を抜いた。
自分の剣は既に、腰に納めている。
「おい、何してる? まだ目が痛くて、見えない」
「なに、少々この少年を怒らせてみようと思いましてな。支部長殿はそこで暫し休んでおれば宜しい」
そう言って振り向いた老人の手には、白い剣が握られていた。
見覚えのある、白い剣を。
忘れない。見間違うはずがない。
あれは。
「さぁ、シーナ。見せておくれ。剣聖と共に生まれ育った君が、その身に宿す
「それは、あいつの剣だろう」
気付けば、俺の身体は震えていた。
薬で消した筈なのに、武器を取り戦っても、深い傷を負っても、人を殺しても……何も感じなかったのに。
「それは、お前が触って良い物じゃない」
あぁ、抑え切れない。
この衝動に、この感情が生み出す力に抗えない。
「それは、ミーアの剣だ」
「あぁ、前はな。だが今は違う。確かに元はあの奴隷のものじゃったが……愛玩奴隷には過ぎた代物。今は、主人である支部長殿の剣じゃよ」
「ふざけんなよ、てめぇ……」
愛玩奴隷? ミーアが?
あいつが、こんな奴等に好き勝手扱われる、都合の良い女だと?
違う。あいつは我儘で、自意識過剰で、いつも偉そうに威張ってて……無視しても構ってきて、面倒臭くて。
だけど……あいつは俺に居場所をくれた。
冒険仲間が居ない俺を仲間に誘ってくれた。
友人で、仲間で……俺の大事な女だ。
だから、あいつを泣かせて辱めるこいつらは。
人としてすら扱わない、こいつらは……っ!
「返せ」
殺す。
短剣を握り直し、足を踏み出す。
そう言えば、あの剣はローザの目を潰したと言っていた。
他にあった傷も、この剣が使われたのだろうと容易に想像が付く。
「返せよ」
全て、こいつらがやった。
何の為に?
ミーアヲ、キズツケルタメニ……?
「ふむ、先程よりもずっと良い目……ならば殺せ。欲しければ、奪え」
そんな事、言われなくてもやってやる。
この衝動に、身を任せて。
なぁ、ジジイ。褒めてやるよ。
「……楽に死ねると思うなよ?」
お前は俺を生まれて初めて、これ程までに。
あの剣聖ユキナよりも、ずっと!!
「殺してやるっ!」
薬の効力は、もう分からなくなっていた。
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