第44話 白と金の剣舞。

「しぃなぁ!!」


 涙で顔をぐちゃぐちゃにした、ミーアの絶叫が闇の中に響き渡る。


 彼女の視界。声の先に立つのは、白い髪を真紅に染めた少年だ。

 古い茶革のコートを羽織っている彼。

 その幼さが残る端正な顔は、恐ろしく無表情だ。

 本来青く大きな瞳は鋭く、暗く濁っていた。


 普段は雪のように白い髪は返り血で染まっている。

 何故か普段より長い。一目で適当に切られた事が分かる不恰好な髪型だ。


 血に濡れた右手の片手剣が。

 その姿が、彼がここに辿りつくまでに進んできた道を物語っていた。


 彼は奪いながらここへ来た。

 戦い、殺し、奪いながら進んで来た。


 当然、代償もあった。

 だから彼は、捨てなければならなかったものは全て捨ててきた。


 それは、たった一つ。唯一とも呼べる宝物すら手の平から零して、名前もない小さく貧しい生まれ育った故郷から逃げて来た。


 奪われる事はあっても、他者と敵対し奪うなんて事は決してしてこなかった。

 奪われる度に仕方なかったと諦めてきた。

 そんな愚かな程に優しく、無力な少年の……。


 否、愚かだった少年の。


「助けに来たぞ、馬鹿女」


 変貌した姿だった。

 血濡れた少年は、力強く右足を前へ踏み出す。

 戦場で剣を携え、迷う素振りなど一切見せず、真っ直ぐに。


 無論。その一歩は、逃げる為じゃない。

 彼が進む先は行き止まりだ。退路は背後にある。

 だが少年は……二歩、三歩と足を進める。前へ、前へと。


 何故なら彼には、自らを待っている者がいる。

 助けを求めてくれる存在がいる。共に居たい者がいる。助けたい者が居る。


 そんな女が、目の前に居る。


 その為なら、なんだって彼は捨てる覚悟が出来ていた。

 故にシーナは自らの命すら天秤に掛けた。

 そうしなければ平凡な彼は、平均以下の村人は、ここに立てていなかった。


 そう、全ては。


「今度こそ……」


 自らの願いを叶える為に。

 

「俺は……俺の我儘を通す」


 返り血で濡れた身体と剣。

 闇の中を堂々と歩くその姿は、例えどんな捻くれ者にも馬鹿に出来ないだろう。

 誰にも彼を臆病者なんて呼べはしないだろう。


 今の彼は、ただ。一人の少女を救うために戦場へ現れた。

 そんな、一人の剣士の姿だった。


「俺が……お前を救ってやる」


「ひっく……シーナ、なんで……!」


「だからそこで黙って見てろ」


「なんで……! なんで、あんたが……」


「それくらいの我慢は出来るだろ」


「なんであんたがここに居るのよっ! なんで来たのよっ! なんで、なんでぇぇ!!」


 ジャラジャラと鎖を揺らし、枯れた声で絶叫するミーア。

 問い掛けられたシーナはもう応えない。視線すら向ける事はない。


 その姿が何故か。

 ミーアにはお前が呼んだからだろと言われているように感じて……。


「なんで……なんでぇぇ……??」


「ミーアさん……」


 困惑した様子のミーアを見て、ティーラは改めてシーナを見た。


 やはり彼が見ているのは、真っ直ぐに前だけだった。

 ミーアとティーラ、二人の前に立っている二人の男。敵だけを見つめている。


 当然、戦う為に。

 戦って、殺す為に。


「ねぇ……! ねぇ!? なんで……! なんでよっ! なんでよ、しーなぁぁああ!!」


 こちらへ歩いてくる白髪の少年。

 その名を背後の少女が叫んでいるのを聞いた二人の男達は驚愕していた。


「シーナ? シーナって……!」


「あぁ。どうやらこいつがミーアちゃんの彼氏らしい。 ちっ、マジで助けに来やがった。あの様子じゃ、寝てた奴等は全滅だろ……くそっ! 俺達でやるしかねぇ、気合いいれろ!」


「お、おうよ。 お前こそ油断するなよ。このガキ、相当肝が座ってやがる。白等級の駆け出しとは聞いてたが、よくもまぁ……舐めて掛かったら痛い目を見る事になりそうだ」


「んな事、お前に言われなくても分かってる。見ろよあの目、普通じゃねぇ……いかれてやがる」


「あぁ……どおりで必死に抵抗する訳だ。こんな彼氏が居るなら、そりゃあ簡単には諦めないよな」


「まぁ、だけど……要するにこいつをやればミーアちゃんも諦めるって事だろ」


「そうだな。で? どうする? 二人掛かりで斬り込むか?」


「いや、それよりも簡単な方法がある。ちっとばかし大人げなくて汚ねぇけど……あの彼氏君を黙らせる確実な方法がな」


「ちょっとあんたら……誰があんな奴の……っ! ひっ!?」


 目の前ですっかり勘違いした様子の男達に彼氏だ彼氏だと連呼されて苛立ち、本来の強気を取り戻したミーアの眼前に、鈍い光を放つ剣先が突き付けられた。


「おい、クソガキ、止まれ。この女がどうなっても良いのか? 目の前で大事な大事な彼女の首と身体がおさらばするのを見たくなけりゃ、武器を捨てろ」


 にやにやと意地の悪い笑みを浮かべて剣を突き付けた男が言う。

 シーナの足はすぐに止まった。


「くくっ! お前なんだそれっ! 汚ねぇ! はははっ! いやぁ、最高に笑えるわぁ! 彼氏君も止まってるし! はははっ! いやぁ! 最高っ! お前本当に屑だわっ! 流石にドン引きだよっ!?」


「うるせぇなお前は、黙ってろよ。で、俺の素晴らしい機転に感謝してろ」


「へいへいっ! はははっ! そーゆー訳だ彼氏君。さっさとそれ、捨てた方が良いぜ? こいつはちっとばかり気が狂ってるから、あんまり待たせるとホントにやっちまうぞ?」


「そ、そんなっ! 卑怯ですよっ!」


 酷く下衆な提案を始めた男達に、助けに来た少年を見て放心していたティーラは悲痛な叫びを上げた。

 

 男達はそんなティーラへ振り返り。


「うるせぇな、 向こうだってこんな夜中に襲撃してきてるじゃねぇか。卑怯者に卑怯な手で返して何が悪い。お互い様だろ?」


「へへっ。まぁこれも立派な戦略だ。この期に及んで卑怯も糞もあるかよ。あんな見る限り頭のおかしいガキ、まともに相手にしてられるか。大人はな、忙しいんだよ。だからずりぃんだ。分かったか?」


「そんな……!」


「っ! こ、この……下衆野郎……共……!」


 いやらしく口角を上げ、にやにやと気味の悪い笑みを浮かべる男達。


 二人の全く悪びれない言葉を聞いてティーラは顔を青ざめさせ、ミーアは憔悴しきった身体に鞭打って悔しげな、それでいて敵意剥き出しの目を向けた。


「はっ、なんとでも言え。 すぐにあのクソガキはお前等の前でたっぷりと可愛がってやるから楽しみにしてろ」


「ははっ! そりゃあ良い! これでもうお前らを助けに来る奴も居なくなる事だし、もう諦めなよミーアちゃん? ああそうだ! ついでにあいつに見せてやろうか。大事な大事な彼女がどんな良い声で鳴くのかをさ」


「はぁ、お前の頭の中そればっかかよ。マジ変態だな……」


「いいだろ別に。最近普通に女を抱くのも飽きて来たところだしな。丁度、そろそろ新しい刺激が必要だと思ってたんだよ。お前もそうだろ?」


「それは。まぁ、分からなくも無いが……」


「だろ? それにしても……こんな若くて良い女を捕まえといて、まだヤってないなんて馬鹿な奴だよなぁ……。ま、自業自得だから大人しくしてろよ彼氏君?」


 これでもかと少年を挑発する男達。


「っ……! う、うっ……」


 ミーアの首に当てられた刃の切っ先が僅かに持ち上げられ、ミーアの白い肌に小さな切り傷を作った。

 傷口から滲んだ血が、つぅと肌を伝う。


 それを見たシーナは、もう一度目の前の状況を見渡して。


「はぁ……」


 大きな溜息を吐いた。


「良かった」


 次いで。何故か、ポツリとそんな言葉を吐き出した。


「あ? 何だって?」


「何言ってんだ? あいつ?」


 僅かに聞こえる侵入者の声に、男達は訝しげな表情を浮かべた。

 そんな男達の反応など全く気にした様子を見せず、シーナは空いている左手を眺める。


 血に、人の血に濡れた左手の掌を。


「俺も。もう、引き返せなくなってたところだ」


 声を吐き出したシーナは、男達を暗い瞳を先程より一段と鋭くして睨みつけた。


「相手は同じ人間とはとても思えない。裏路地で残飯漁ってるネズミの方が幾分かマシに見えるくらいの屑だ。そんな奴等、何人殺しても構わないよな? そんな汚い血は、いくら浴びても良いよな? なぁ……母さん」


 虚空に向けられたシーナの問いに答えてくれる者は、当然居なかった。

 だが、それでも良かった。


 今現在、シーナにとって大切な事はたった一つ。

 自分は、勘違いで人を殺していなかった。

 敵を間違えていなかった……目の前に居る二人も、殺して構わないという事だけ。

 その確認さえ出来れば、充分だった。


「……女神エリナよ」


 更に、シーナは言葉を紡いだ。

 誰にも聞こえない小さな声で。僅かに唇を動かして。


「おいっ、なんだお前。さっきから何言ってるか全然聞こえねぇぞ? て言うか、いつまでブツブツ言ってんだ。さっさと武器を捨てろ!」


「我が望むのは我が敵を貫く奇跡。貴方の子である我に、その慈悲深い御手を貸し与え」


「ちっ……無視かよ。なぁ? お前あいつが何言ってるか聞こえるか?」


「いや、俺も全く聞こえねぇよ。おい! 喋るならもっとでかい声で、腹から声出して話せっ! 聞こえねぇだろ!」


「その御手を穢す事をお許しください」


「なんだよ、気味が悪りぃな……自分の女に目の前で傷付けられてキレちまったか?」


「だろうな。それか、やっぱり気が狂ってるんだろう」


 血濡れの侵入者が何を言ってるのかは聞き取れない。

 だが、口が動いているのは視認出来る。


 無視されて、男達が不機嫌顔になった。その時だった。


「貫けっ!」


 その声は、この場にいる全員が充分に聞き取れる声量で発せられた。

 同時に。ヒュンと空を切る音が一瞬響いて。


ドスッ。


「ガッ……! ゴフッ……? オグッ……!? カ、カヒュ……っ! カヒュ……! カヒュ……っ!?」


「あ?」


 シーナから見て手前にいた男。

 ミーアに剣先を突き付けていなかった方の男が、突然体勢を崩して血を吐き、呼吸を乱し始めた。


「え? は? ちょ、お前それ……!」


「えっ?? な、なんですか?」


「っ……! な、なに? ティーラ、どうしたの?」


自然と全員の視線が苦しむ様子の男へ集まった。


「カヒュ……コヒュ……」


 男の喉には矢が突き刺さっていた。

 それが原因で男は、喉からは勿論。口からも吐血している。


「……少し逸れたか」


 誰も今、突然何が起きたか分からず困惑する中。一人だけ冷静な者がいた。

 無論、この状況を作り出したシーナだ。

 彼は全く抑揚のない声で、淡々と一言だけ呟く。


「な、な、な……? お、おい! クルズ! しっかりしろっ! て、てめぇ! おいクソガキッ! 何しやがった!!」


 無事な方の男がミーアの首から剣を引き、自らの喉に刺さった矢を掴んで苦しみながら倒れ込んだ男の身体を支えて呼び掛けた。


「こ、ひゅ……たひゅ、けぇ……!」


 喉に矢が刺さった男は必死な形相で小さな声を絞り出し、途端に瞳をぐるんと回転させ意識を失った。


「クルズッ! おいっ! おいっ! クルズしっかりしろっ! おい……っ! クルズーッ!!」


 呼び掛けも虚しく、喉に矢を生やした男は絶命していた。

 まだ暖かい身体を支えている男は歯を食い縛ると、血走った目をシーナへ向ける。


「クソッ! このクソガキ、黙ってねぇで答えやがれっ! クソ……! クソォ! て、てめぇ! よくもクルズをっ!」


 顔を赤くし、激昂した顔で残った男が喚いている。

 数秒前までの気味の悪い笑みがなくなったのは、流石に余裕がなくなった証拠だろう。


 そんな男の質問にシーナは首を傾げて。


「ドブネズミでも仲間意識はあるんだな?」


「野郎っ! 舐めやがってっ!」


 真顔のまま先程のお返しとばかりに煽るシーナに、顔を赤くした男は大声で怒鳴った。


「い、今のは……」


「ティーラ。な、何? なんか分ったの? 今あいつ……何したの?」


「い、いえ。分かりません。分かりませんけど……恐らく今のは魔法、です。魔法……だと、思います」


「え……ま、魔法?  そんな馬鹿な。あいつ、そんなのが使えるなんて一度も……」


「すみません。私、魔法には全く詳しくないので詳しい事は分かりません。でも、今の矢はシーナさんの後ろから飛んで来たような……」


「おい! お前等、何を話してる! 今あいつは何をしやがった! 知ってる事を全て話せ!」


「うっ……!」


 同じように驚いていた二人の会話が遮られた。


 不思議な現象で仲間をやられて混乱する男は、腕の中の死体を投げ捨てると、ミーアの髪を掴んで乱暴に持ち上げ、その白い首に再度刃を食い込ませた。


 ミーアの白い首筋を、流れる血が紅に染めていく。


「や、やめて下さいっ! それ以上は、それ以上は本当にっ!!」


「い、痛い……やめて……痛いよぉ」


「うるせぇ! やめて欲しかったらさっさと言え! 言いやがれぇ!!」


「やめてっ! やめてくださいっ! し、知らないんですっ! 私達、本当に知らないんですっ!」


「はぁ?? 馬鹿がっ! 下手な嘘吐いてんじゃねぇよ!! あいつはお前等の仲間なんだろ!? 仲間の能力ぐらい把握してるだろ!? 何が白等級の何の特質もない駆け出しだ! 奴隷の癖にご主人様に嘘吐きやがって、この嘘吐きの糞女共!」


「ご、ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! ゆ、許してくださいっ! ミーアさんが……ミーアさんっ!」


 喚き合う男とティーラ。

 弱り切った身体で苦痛に表情を歪めるミーア。


「本当に屑だな、お前」


 そんな様子など知らぬ顔で、シーナはまた歩みを始めていた。


「っ!」


 耳に届く足音と煽るような言葉。

 男はハッとしてシーナを見て、途端に慌てた。


「お、おい! 待てっ! この女がどうなっても良いのかっ!?」


 男がミーアの首に添えた剣を更に上げ、傷を深くしながら叫ぶ。

 だが、シーナは止まらない。


「ほ、本当に殺すぞっ! 本当だからなっ! またおかしな素振りを見せても殺す! お、俺は本気だぞっ!」


 再度男が声を張り上げた。

 だが、シーナは止まらない。


 ゆっくりした足取りで、焦る様子など微塵もなく歩いてくる。

 その堂々とした姿は、まるでこの場の主導権は自分にあると主張しているようだった。


「そ、それ以上一歩でも近付いたら……!」


 シーナの歩みは、止まらない。


「と、止まりやがれぇぇぇ!」


 遂に一片の余裕も無くなった男は、ミーアの首に当てていた剣を大きく上段に振り上げた。


「あっ……!  いやっ! だめ……だめですっ! やめて……やめてぇっ!!!」


 ティーラの絶叫が闇の中に響き渡る。

 その時……。


「しぃ……な」


 か細い声が、シーナの耳に届いた。


 それは、ミーアでもティーラでも。それどころか、女ですらない声。

 だが、シーナが良く知っている声だった。


「かま、うな……やれ」


 それでいてその声は、酷く震えていた。

 相当弱りきった声だった。


「た、頼む……あいつを。ミーアを」


 それは、古い木製の椅子に縛り付けられ、見るも無惨な姿で地に伏せている男。


「救ってやってくれ……」


 パーティー最年長の先輩冒険者、ローザの声だった。


「たのむぅぅ……!」


 今まで一度もシーナに弱みなど見せた事が無かった彼。

 そんなローザは、数日間。無抵抗で嬲られ続けて腫れ上がった顔を涙でぐちゃぐちゃにしながら願っていた。祈っていた。


 シーナは、そんな彼の前を通り過ぎる前に酷い状態のローザを一瞥した。


「任せろ」


 一言。力強く答えて、ミーアの元へ歩んでいく。

 剣を振り上げ、こちらを威嚇している男を睨み付けながら。


 感情がまるで篭ってない素っ気ない一言。

 相変わらずの頼りない背中。

 それを見ながら、ローザは自然と自分の表情が和らぎ、口角が上がるのを感じた。 

 腫れた顔と抉られた目の痛みなど全く気にならなかった。


 何故なら……その姿を見れているだけで。

 少年が武器を手にこの場に来たという事実だけで、今のローザは十分過ぎる程に嬉しく感じたからだった。


「ひ、ひひっ! ごほっ、こほっ!」


 お陰で、ここに来てからずっと虚ろだったローザの瞳に活力が戻った。

 彼は激しく咳き込み、口に溜まっていた血と痰を吐き出して。



「すぅ……ティーラァァア!!」


 突然、大声を張り上げた。


 その声にシーナを除く全員が驚き、途端にびくりと肩を跳ねさせてローザを見た。


「ひひひっ! はははっ!」


 全員の視線を集めたローザ乾いた声で笑った後。

 にやりと、普段通りの悪戯を思い付いた子供のような笑みを浮かべた。


「命令だっ! 何が何でもミーアを、俺達の後輩を……守れぇ!」


「っ!  はいっ! はいっ! 守りますっ!」


 痛む身体に鞭打って、全力でリーダーとしての役割をローザは果たした。

 その命令に従うべく、ティーラは力強く返事をすると立ち上がり地を蹴って、男とミーアの間に割って入った。


 割入ったティーラは両手を広げてミーアを庇い、剣を振り上げている男をキッと睨み上げる。


「な……!? ちっ! おいティーラ! どけっ! 叩き斬られたくなかったら、さっさとどきやがれっ!」


「嫌ですっ! 絶対に退きませんっ! ミーアさんは大切な仲間なんですっ! 大事な大事な後輩なんですっ! これ以上、貴方なんかに傷付けさせませんっ!」


「貴方なんかだぁ!? てめぇ、なんだその舐めた目は! 主人の命令に逆らうのかよっ! 惨めな奴隷の癖によぉ!」


「はい、逆らいますっ! 私はこの子の先輩です! だからミーアさんは、私が守るんですっ! 守らなきゃ、いけないんですっ! もう二度と、誰にもこの子を傷付けさせないっ!」


「はぁ!? この期に及んで仲間ごっこかよっ! 気持ち悪りぃ……っ! さっさと退け! じゃねぇと本当にっ!」


 焦った様子の男に、ティーラが真正面から抵抗していると。

 カツン……と足音が止まった。

 それも、すぐ傍で。


「……っ!」


 男は慌てて顔を向けた。


 血濡れの侵入者は隣に立っていた。

 既に剣は横薙ぎに振るわれていた。


 鋭い一閃が男の喉へと迫っている。


「くっ!」


 男は咄嗟に頭上に振り上げていた剣で自らの喉を守った。

 激しい金属音が響き、火花が両者の頬を撫でる。


「ちっ……」


 硬い手応えを受けたシーナは舌打ちした。

 相手の剣に受けられている片手剣を両手で強く押し込みながら。


「てめえが退け。殺すぞ」


「っ!」


 暗く淀んだ青い瞳が、至近距離で殺意を叩きつけてくる。

 背筋に悪寒を感じた男は、きつく唇を引き締めた。


「な、舐めるなっ! ガキがぁ!」


「っ!? ぐっ……!」


 叫んだ男の剣が、シーナの剣を弾き飛ばした。

 それだけ、両者の膂力の差は大きかった。

 辛うじて柄から手を離すような事はなかったが、シーナの小柄な身体が必然的に崩される。


 その隙を見逃す程、男は甘くない。


「おらぁ!」


 男の渾身の回し蹴りが、シーナの腹に直撃した。

 咄嗟の判断だった為。大した威力は出なかったが、充分過ぎる衝撃がシーナを襲う。


「かはっ!!」


 目を見開き唾液と共に息を吐き出したシーナは、一瞬白くなった視界を瞬きして治す。

 この程度で、地に倒れる訳にはいかないと歯を食い縛る。


 必死に踏ん張った足がザザッと地を滑り、震える膝が崩れそうになる。


(倒れる訳には……いかない)


「死ねぇ!」


 顔を上げたシーナの顔に、男の剣が斜め上段から迫る。

 シーナは咄嗟に剣を翻し、左手を剣身に添えて頭上に掲げ受け止めた。


 衝撃が手から腕、胴体、腰、両足へと走り、足裏へ抜けていく。

 顔に降りかかった火花の熱さも、全身を走った痺れるような衝撃も、叶うなら二度と味わいたくない不快感をシーナへ与えた。


「ちっ! しぶてぇ……さっさと倒れやがれっ!」


 男の体重が、男の剣の重さが、シーナの未熟な身体に悲鳴を上げさせる。

 無論、単純な身体能力の差だけではない。技術も経験も相手の方がずっと上だ。


 奇襲、弩、そしてミーアすら知らなかった魔法士としての才覚。

 持っていた全ての優位性を捨てて、正面からの斬り合い。

 近接戦に持ち込んだ時点で、シーナの勝ち目は無いに等しい。


 それでも……っ!!


「倒れるかよ……」


「あ?」


「俺が倒れる訳には、いかねぇんだ、よ……っ」


 下から男の目を見上げ睨み付けながら、シーナは相手の剣を押し返し、弾き飛ばそうと全力を振り絞る。


 だが、両者の膂力の差は本当に歴然だ。

 残念ながらシーナの未熟な身体に、この力比べを制する事は不可能。

 必然的に徐々にシーナの膝が崩れ始める。


「っ!? らぁ!」


「うぐ……っ」


 下から見上げてくるシーナの不気味な瞳の圧力に焦った男は冷や汗を流し、決着を急ぐ事にして、シーナの腹部を膝で蹴り上げた。


「だぁ!」


「ごっ……はっ!!」


 両足が宙に浮いたシーナは、続く男の回し蹴りに抗う術がない。

 堪らず身体が、後方に吹き飛ばされた。


 視界が真っ白に染まったシーナは地を四度転がり、辿り着いたのは皮肉な事に全裸で鎖に繋がれたミーアの右隣。

 ゲホゲホと咳き込むシーナを間近で見て、ミーアの胸が酷く締め付けられた。


「シーナッ! シーナッ!?」


「シーナさんっ!? だ、だいじょ」


 ミーアとティーラの声が、間近で聞こえる。


(クソッ……いてぇ……カッコ悪りぃ……なに心配されてんだ俺……立て、立てよ俺。俺が負けたら、終わりなんだぞ)


 シーナは痛む身体に顔を顰めながら、目蓋を開く。

 ぼやける視界で、男がこちらに走って追撃してくるのが見える。

 地に伏せた身体が、男が地を蹴っている衝撃を直に感じさせている。


(負けるか。負けて堪るか)


 シーナは上半身を無理矢理起こすと、壁に背を預けて剣を握り直した。


「死ねっ!」


 男がシーナの首を切り飛ばさんと、横薙ぎに剣を振るってきた。

 シーナはそれを間一髪で受けるが止めきれず、右肩に剣が食い込んだ。


「ぐ、ぅぅぅ……ぁぁあああっ!!」


 激痛に襲われたシーナの肩から血が噴き出す。


「い、いや……いやぁぁああっ!!」


 露出した肌に生温い感触を受けたミーアは、目の前の光景を見て絶叫した。


 シーナが血を流している。決して少なくない量の血を流させられている。

 シーナが斬られた。シーナが死んでしまう。

 何故? 何故シーナは怪我をした? 決まっている。自分の、私のせいだ。


 私のせいで、シーナが死んでしまう。


「いや……やだぁぁああ!! や、やめてっ! やめてぇぇぇえ!!」


「あ、あ……あぁ……シ、シーナさん。シーナさんっ! こ、この……このぉ!」


半狂乱になったミーアの叫びが洞窟内に響く。


 同じくシーナがこのままでは殺されると判断したティーラは、気怠い身体に鞭打って地を蹴り、男の腰に抱き付いて引き剥がした。


「うっ!? ちっ! おいティーラ! このクソ女が、離せっ! おいっ!」


「シーナさん、逃げてっ! 逃げてくださいっ! 早くっ!」


「邪魔だっ!」


「いっ……きゃっ!」


 乱暴に髪を掴まれ、投げ飛ばされたティーラが地に倒れる。


 男は鼻息を荒くしながらそんなティーラを一瞥し、今度こそ重傷の白髪の侵入者に引導を渡さんと剣を振り上げた。


 シーナは、そんな男を出血する肩を左手で抑えながら見上げ。


「泣いてんじゃねぇよ」


 小さな声で、呟いた。


「お前の泣き顔なんか見たくねぇ」


 満身創痍で立ち上がったシーナは、肩で息をしながら剣を下段に構え振り上げる。

 男とシーナの剣が衝突し、甲高い金属音が響いた。


「っ! 俺は……お前のそんな顔を見る為に、来たんじゃ……ないっ」


「ぐっ……っ!」


 シーナの前蹴りが、男の下腹部に直撃した。

 だが、威力は乏しく男は二歩後退するだけだった。


 全力で地を蹴り、前へ踏み込んだシーナはそんな男に上段から斬りかかり追撃した。


 剣と剣が衝突し、甲高い金属音が闇へ響く。


「俺はお前を連れ帰る為にここへ来た。黙って見てろ」


「っ……! や、やめて……っ!」


「その為にはこいつが邪魔だ。だから殺す……っ!」


 力んだシーナの肩から、ブシュ……と血が噴き出る。

 明らかに出血量が多い。傷は浅くない筈だ。


「駄目……だめっ! シーナッ!」


 今、無理をすればシーナは死ぬ。

 早く止血して適切な治療を受けさせなければならない。


 それに、その無理を押して。このまま戦った所で勝ち目は無いように見える。


 遅かれ早かれ、どんな選択をしてもシーナはもう助からない。


「私の……私の、せいで……っ!」


 ミーアはどうしたら良いか分からず、ただ泣くことしか出来なかった。


「はっ! ガキが。なに格好付けてやがるっ! あぁ……っ!? あぁ、いいぜっ! そんなに見せてぇなら見せてやれよっ! てめぇの無様な死に様をよっ!」


「くっ!」


 カンッ! と男の剣が、シーナの剣を容易く弾き飛ばした。

 体勢を崩されたシーナに男の剣が迫る。


「あぁっ! しぃなぁ!」


「シーナさんっ!」


 受けるどころか、回避も不可能。誰もがそう思った。

 既に男の剣は上段からシーナの脳天へと迫っている。


「ぐ……うぅっ!!」


 だが、まだシーナは諦めていなかった。

 両腕を頭上で交差させ、男の剣を受けたのだ。


 腕の一本くらい。くれてやる。


 そんな気持ちで起こした彼の行動は、自身すら忘れていた装備によって男の剣を受ける事に成功する。

 シーナがそれに気づいたのは、腕から全身に抜けた鈍痛と甲高い金属音で耳鳴りを起こした瞬間だった。

 自らの稼ぎで購入した金属籠手が、男の剣を防ぎ受け止めていたのだ。


「ちっ! マジでしぶてぇな!」


「かはっ……はっ、はっ……お前」


 脂汗を噴きながら、荒く息を吐き出したシーナは真下から男を睨み上げた。


「あん?」


「さっきから黙って聞いてれば、ベラベラベラベラと……煩いな」


「はっ! ……そりゃお互い様だろうが、よっ!」


 引かれた剣がシーナの籠手を滑り、再度振るわれた。


「っ!」


 シーナは側頭部に迫って来た斬撃を身を屈めて回避すると、右拳を握り締めて拳打を繰り出した。

 男はその拳を半身で避け、身体を一回転させて再度横薙ぎに剣を振るった。


 それを左の籠手で受け流したシーナは、地を蹴って後方に飛び退く。

 右手を腰に伸ばして短剣を引き抜き、掌でくるりと回して逆手に持ち変えた。


(全く、おせぇよ)


 男の背から迫ってくる、蜂蜜色の髪を視界に捉え。

 ……口元を僅かに歪めながら。


「殺し合いくらい黙ってやれ。ど素人が」


「っ! あぁ? このガキッ!」


 男が地を蹴り、シーナへ向かって斬りかかる。

 だがシーナの目は、そんな目の前の男へ向けられていなかった。


 シーナの視線の先。それは……。


「そんなんじゃ……」


 タタタッ、と軽やかな足音を響かせ、近づいて来る。


「俺が楽しちまうだろ?」


 男の背後に向けられていた。


 振るわれた男の剣を地に手を付くほど身体を沈めて回避したシーナは、真上の男を睨み付けて全力で地を蹴り、逆手に持った短剣を突き付けた。


 残念ながら短剣は男の胸鎧に防がれ、痺れるような痛みをシーナの手に与える。

 だが、元よりシーナは自らの短剣で男を貫くつもりはなかった。

 彼が欲しかった結果を得るには、ただ体当たりするだけでも良かったのだ。


 男の意識が自分へ向き、足が止まれば何でも良かった。


「うっ……!? あっ!?」


 呻き声を上げた男はそこでようやく気づいた。

 そして、慌てて背後を振り向こうとした。


 だが、それを許すシーナではない。


「あばよ」


 シーナがそう言った瞬間、足音が一際大きく……間近で響いた。

 男は腕を振るい、シーナを無理矢理押し飛ばして反転した。


 そこには……!


「……っ! はぁ!」


 剣を振り上げ、飛び込んで来る剣士が居た。


「ぐっ……!」


「く……っ! ぅあぁあああっ!」


 二人の剣が衝突し、眩しい火花を散らす。


 金髪の剣士アッシュが地に両足を着いた瞬間、二人の剣は弾き合い……途端に激しい剣舞が始まった。


 激しく振り合われる斬撃が、相手の命を奪おうと……同時に自らの身を守ろうと火花を散らし合い続ける。


「へっ!? ア、アッシュ!? な、なんでっ!? なんであんたまで居るのっ!?」


「う、嘘……ア、アッシュ……アッシュさんっ!」


 仲間二人の声を聞いて、アッシュは歯を強く食い縛り剣を振り続ける。


(僕は……馬鹿だ)


 激しい剣戟の中で、自責の念に苛まれながら。


(僕は口だけだった。仲間を助けたいと言いながら、何もしてない。全部全部、シーナ一人に背負わせてしまった……っ! シーナに任せてれば、全部上手くいく。何の根拠もないのに、そんなふうに考えてしまっていたっ!)


 剣が弾かれた勢いを使って、アッシュは一度後退し態勢を立て直す。

 そうしながら、アッシュはチラリとシーナを一瞥した。


(シーナの怪我は僕のせいだ。僕の覚悟が足りなかった結果だ。僕の弱さが、シーナをもう少しで殺す所だったっ!)


 地を蹴り、アッシュは再度男へ斬りかかる。

 男も流石に余裕がないらしく、強張った顔で剣を振るってきた。


 互いの剣が弾き合い、流し合い、相手を殺そうと襲い合う。


 そんな激しい剣戟の中、アッシュは自らの剣に怒りを乗せる。

 それは勿論、男が。敵が仲間に酷い事をしていたというものもある。


 だが、それ以上に。アッシュは自分が許せなかった。


(どんなに凄くても、シーナは白等級の駆け出し冒険者だ。それに彼は僕等のパーティーメンバーじゃない。命を賭けてまで手伝って貰う義理はない筈の……先輩の僕が守ってあげなきゃいけない、後輩なんだっ!)


 先程のローザの叫び声ををアッシュは聞いていた。

 身を挺してシーナを守ったティーラの姿を見ていた。


 だからこそ、アッシュは……余計に自分が許せない。


「お前……はっ!」


 迫る剣を強く弾いたアッシュは剣を翻し、体勢を崩した男に向かい足を踏み込んだ。


「僕が殺すっ!」


「っ! くそっ、がぁああっ!!」


 しかし、アッシュの剣は宙を斬った。

 男が身を投げ出し、地を転がったのだ。


 男は見事な身のこなしで立ち上がると、アッシュへ向かって剣を構え直す。


「はっ……はっ! ちっ……!」


 男はアッシュを睨みながら、肩を上下させている。

 同じく体力を消耗したアッシュも、荒い息を吐いている。


 互いに相手の出方を伺う。

 皆が固唾を飲んで、そんな二人を見守る中……。


「貫け」


 決着は、唐突に訪れた。

 男の背後から発された声と同時。男のうなじに矢が突き立ち、喉まで貫いたのだ。


「ゴフッ……!」


 首に矢を刺したまま、ゆっくりと背後を振り返る男。

 その瞳が最後に映したのは……。


「お前は苦しんで死ななきゃ、割に合わないだろ?」


  掌を掲げ、暗い瞳を向けている白髪の少年だった。


 その少年。シーナは未だ立っている男へ歩み寄ると、その背に右足の裏を押し付け、強く蹴り飛ばした。


 すると男の身体は特に抵抗も無く、バタンと倒れて。


「俺の勝ちだ。クソ野郎」


 シーナは足元の骸に唾を吐き掛け、踵を返した。


「おい馬鹿女。帰るぞ」


 真っ赤に腫れた目で、涙を流し続ける少女の元へと。

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