第43話 願いは届いて。
洞窟の中は暗かった。
足元を見下ろしても、手を見ても、視界は黒で埋め尽くされ何も見えない。
すぐに剣を抜けるようにする為には右手を自由にしておく必要がある為、左手で壁を触りながら進んで行く。
妙に冷たい風が出口のある背から吹き、中へと抜けて行く。
そうして息を潜め、進む事暫く。
大した距離を進んでない筈なのに、ほんの数分程しか経ってない筈なのに、長く長く感じた道のりは最初の曲がり角を右に曲がった瞬間に終わりを告げた。
視界の先に、明かりが見えたのだ。
それはぼんやりと頼りないものだった。
しかし、暗闇に目が慣れているせいか酷く眩しく見える。
足を止め少し明かりを見ていると、それが火の光だと気付いた。
恐らく松明だろう。
俺は足元に一層注意を払い、足音を立てないようにゆっくりと近づいた。
すると、そこが広場になっている事に気付く。
恐らく、自然の産物なのだろう。中は大した広さではないようだ。
広場の中央、左右の壁際に置かれた篝火だけで、中は十分な明るさだった。
まず目に入ったのは床に転がっている人間達。毛布を被ったり、腹を出していたり。中には武装したまま壁に背を預けて居る者もいる。
三人程だが、金属の全身鎧を身に纏った上等な装備の者も確認出来た。
耳に入るのは、幾つものいびきの音。
寝ている者達の中で一人。
右端奥で木椅子に座り、長槍を肩に担いだ男が見えた。
左手に本を持ち、読書をしている。
武装は槍と腰に下げた剣だけで、防具は無く普段着のようだ。
不用心だな。不寝番はあいつだけか?
目を凝らすと、広場には二つの分岐点がある事に気付いた。
まずは、不寝番の男の左側。
そして広場の左端に、一つずつ通路がある。
あの不寝番を殺して、寝ている奴等を皆殺しだな。
そう考えた時、不意に肩をトントンと二度、軽く叩かれた。
振り返ると、アッシュが居た。
お前、近くで見ると本当に美少年だな。
アッシュは何か言いたげな顔で、こちらをじっと見つめている。
仕方なく、俺は自分の耳を指差した。
途端にアッシュの顔が更に近づき……って、吐息掛かってる。
やめろ。気持ち悪いな、もう。
「ごめん、遅くなった。首尾はどう?」
小声でそう言って顔を離したアッシュが自分の耳を指差したので、俺はアッシュの耳元に口を寄せ。
「殆ど夢の中だ。人数は二十三名。。不寝番が一人。全員殺す」
「分かった」
あれ、随分と簡単に返事したな。
本当に分かってるのか?
……こいつ、まさか。
「お前、殺せるのか? 人を斬った経験は?」
我ながら意地悪な質問だと自覚はしていた。
当然、返答はすぐに帰ってくると思っていた。
そんな経験はないと、否定されると思った。
「うん。あるよ」
しかし、アッシュはあっさりと認めた。
それは何処か、辛そうな笑顔だった。
そんな彼に、俺は何も言えなくて。
冒険者同士は無駄な詮索はご法度。
自分にそう言い聞かせて、俺は不寝番の男に向き直った。
「そうか。なら、やるぞ」
呟くと、アッシュは俺の耳に顔を寄せてきた。
「ねぇシーナ。今更で悪いんだけど……殺すって言っても、具体的にはどうやって殺すんだい? 随分簡単に言ったけど」
そんな尤もな質問に、俺は行動で示す事にした。
後ろ腰の矢筒から矢を一本引き抜き、弩に乗せて弦を引く。
カチリ、と音がしたら装填完了だ。
照門を立てて持ち上げ、肩で固定する。
照準を合わせ、不寝番の男の眉間を狙う。
そうして引き金を引けば、
バシュ!!
ドスッ!!
「おぐっ……!?」
距離は大してない。風も殆どない場所だから、外すことはない。
予想外だったのは、男の断末魔が思ったよりも大きかった事。
そして幸運だったのは、男の死体が背後の壁に背を預けて静止してくれた事。
お陰で、大きな音が響かずに済んだ。
視線の先で、頭から血の花を咲かせた不寝番の男は物言わぬ肉塊に変わっていた。
よし、練習の成果が出たな。
「……お見事」
アッシュの称賛の声を聞きながら中を見渡す。
入念に確認したが、結果。誰一人として起きる様子は見せなかった。
随分とまぁ、熟睡してるな。
「行くぞ」
唯一の障害を排除した事を確認し、俺は短剣を抜きながら広場へ足を踏み込んだ。
力強く握った短剣を、足元で寝ている男の首に振り上げる。
くたばれ、豚野郎。
やはり俺は、何も感じなかった。
最初の広場を血の海に変えた後。不寝番の隣にあった通路へ向かった。
暗い通路を進んでいると、ふと違和感に気付く。
それは、鼻の曲がるような悪臭。
例えるなら家畜小屋の臭いを更に濃くしたような……とにかく酷い臭いだ。
この先は汚物溜めか何かなのだろうか。
左腕で鼻を抑えながら、先にある明かりを目指して進む。
この先にも篝火があるのは間違いない。
「ん……?」
何か聞こえてくる?
足を止めて耳を澄まさせてみる。
「どうしたの?」
「しっ」
急停止した事に異変を感じたらしく、質問してきたアッシュを手で制して黙らせる。
……やはり聞こえる。人の話し声だ。
男の声、声音が違うものが二つ。
つまり、この先には起きている敵が二人以上居る。
それに混じって聞こえるのは、一人の女性の声だ。
こちらは小さ過ぎて、よく聞き取れなかった。
「……人の声がする。男が二人以上、女が一人。戦闘準備をしておけ」
アッシュへ振り向いて可能な限り小声で指示を出す。
頷いたアッシュは腰の剣を抜き、中腰になった。
それを見て俺は前へ向き直り、弩に矢を装填した。
すると。その声は、突然響いた。
「助けて……助けて、シーナ……しぃなぁぁああああっ!!!」
それは、その声は……聞き覚えのある声だった。
聞き間違える筈がない。
俺があいつの声を聞き間違えるなんて、あり得ない。
「ちょっと、シーナ。これって……」
「煩い、分かっている」
俺は焦ることなく、前へ進んだ。
「シーナッ!、しぃなぁぁああ!!」
全く、煩い声だ。
そんなにギャンギャン吠えなくても聞こえている。
通路を進み入口へ到着した俺は、その場で片膝を付いた。
そして、広場の中を見て……見つけた。
「シーナ……シーナぁぁあっ!!!」
衣服を全て剥ぎ取られ、裸で鎖に繋がれたているのは良く知る女だった。
薄暗くてよく見えないが、篝火の明かりでぼんやりと見える彼女は泣いていた。
ティーラの腕の中で叫ぶ、癖のある緑色の髪の少女は叫んでいた。
ミーアが泣いていた。
泣きながら俺の名前を叫んでいた。
俺に助けを求めていた。
その姿を見て、俺は……。
「……すぅ、ふぅぅぅぅ」
激しい怒りを覚えた。
消えた筈の感情が。
薬で、女神が生み出した奇跡である魔法すら用いて殺した筈の心が、一瞬で色を取り戻した。
呼吸は自然と乱れた。
頭に血が上っている。
目の前が真っ赤に染まる。
思考が真っ白になる。
武器を持つ手が震えている。
いや、全身が震えている。
その近くに立つ二人の男達が何やら話しているようだが、どうでも良かった。
こんなに苛つくのは、間違いなく。生まれて初めての経験だ。
「ミーア? ティーラに、ローザも……っ! な、なんだよ……なんなんだよ、あれはっ! 酷い……っ! こんなの。こんなのって……っ!」
隣でアッシュが何か言っているようだが、遠くに聞こえる。
どうでも良い、興味がない。
ミーアの傍にはティーラが居た。
服というより、粗末な布を身体に巻きつけているだけの酷い格好だった。
ローザも居た。
縄で椅子に縛られ、転がされている。
随分と酷く痛めつけられたようで、痛々しい姿だった。
ミーアの左右には、同じように裸の女が並んでいた。
鎖に繋がれた若い女だ。
壁沿いに並んでいる彼女達は、全員俯いていた。酷く憔悴した様子だ。
だが、それらは全部。
全部、全部。どうでも良かった。
その全てが行方不明になっていた人達だろうと思いはした。
しかし、それは一瞬だけだった。
俺の目は、興味は、感情は。全てたった一人にしか向けられなかった。
ミーア。お前……なんだよその姿。
何なんだよ、それは。
なんてザマだよ。
お前、天才なんだろ?
凄い冒険者になるんだろ?
俺なんかとは、最初から持って生まれたものが違う格上なんだろ?
それがなんだって、なんで。そんな無様な姿で……!
「しぃなぁぁあ! たすけてぇ!!」
俺の名前呼んでやがるんだよ……!
なんで、なんで俺なんだ。
自分で散々馬鹿にしてきただろ?
見下して、歳下のくせに偉そうに威張ってきてただろ。
そんな相手に助けを求めてるんじゃねぇ。
俺に期待してるんじゃねぇ。
俺はお前が思ってる通り、弱くて情けなくて。
冒険者になったのも形だけで、何の力もなくて……。
何もしてなくて、残してなくて、出来なくて。
そんな弱っちぃ一般人なんだぞ。
他に頼れる奴一杯居るだろ。居る筈だろ。
家族だって良い、友達だって良い、他の冒険者だって沢山いる。
俺より凄い奴は、冒険者ギルドを見渡せば見つからない訳がない。
それに、お前には居るじゃないか。アッシュとテリオの二人が。自分の仲間が。
それこそ、皆知ってる英雄の名前だって良い。
俺達が不可能だと言い合って、それでも助けたくて。会いたくて。
失敗する前提、死ぬ覚悟で来てるこの状況を簡単に解決出来るような奴等が。
きっと、その程度か。簡単だねって笑えるような人達が。
女神エリナが選び、力を与えた英雄達が居るじゃないか。
勇者が、剣聖が、弓帝が、賢者が居るじゃねぇか。
それなのに、なんで。なんで……!
「……あの馬鹿は絶対ゆるさねぇ」
なんで……お前は俺を呼ぶんだよ!
「シーナ?」
俺は手にしていた弩を足元に置いて、剣に手を掛けた。
残念ながら、男達は。敵は、あの二人に近すぎる。
誤ってあの二人に当ったら困るからな。
「シーナ助けてっ! しぃな……私はここに居るっ! ここで、待ってるっ! だから、だから……っ!」
うるせぇな、聞こえてるんだよ。
あぁ、分かったよこの馬鹿女。
よく、よぉぉぉおく、聞こえたぜ。
ホント、嫌になるくらいな。
全く、しょうがねぇ。助けてやるよ。
それがお前の願いなら。
いつもあんな偉そうなお前が、そんな汚ねぇ顔で叫ぶくらい必死なら。
助けを求めるなら。
俺を必要としてくれるなら!
「アッシュ、先に謝っておく。悪いな」
「え?」
一言だけアッシュに告げて、柄を握る手に力を込める。
剣は今までで一番、違和感無く抜けていた。
足は自然と前へ蹴り出していた。
まるで誰かに背中を押されて居るような不思議な感覚だ。
毎日振ってきた母さんの片手剣。
随分手に馴染んで来たとは思っていたが、こんなに軽く感じるのは初めてだ。
まるで最初から身体の一部だったと言わんばかりだ。
あぁ、また感情が消えていく。
怒りが消え、頭が冷え、同時に視界が冴えていく。
「ちょっとっ。シーナっ」
背後から聞こえる声が、どこか遠くに聞こえた。
どうでも良いと思った。
何故なら、今の俺は。俺には、
「さっさと助けなさいよっ! ばかぁぁあああっ!!」
絶対に叶えてやらなければならない、願いがある。
こんな奴に助けを求める馬鹿がいる。
助けてやらなきゃいけない、友人がいる。
今はそれだけで十分だ。
ミーア。
お前の願い、祈り。聞こえたぜ。
こんな何の力もない、一度も誰かの為に勝ったことがない。
救ったことがない。戦ったことすらない。
それどころか、一番大切にしていた恋人からすら逃げて来たような奴で良ければ、お望み通り来てやったぞ。
到底助けられるとは思えない。
叶えてやれるとは思えない。
力不足なのは分かっているけど……。
お前の為に戦ってやることくらいは出来る。
何より自分の為に、戦わなきゃいけない気がする。
さぁ精々足掻いてみようじゃないか。
必死に必死に、必死に……決死の覚悟って奴で。
「その願い、確かに聞き届けた」
俺はもう……逃げたりしない。
逃げたくないんだ。
この糞みたいな現実に、世界に。
今度こそ、真正面からぶつかってやるよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます