第42話 無感の殺意。

 人間の頭部に剣を振り下ろした感触は、思ったよりもずっと手馴れたものだった。


 グシャリと鈍い音がした。

 両手から肩まで、痺れるような鈍痛が一気に駆け抜けてきた。

 それを堪えながら全力で剣を押し込む。


 刃が止まったのは、男の顔の半分程の所だった。


 全力で振ったので股下まで容易に斬り裂けると思っていたが……人間の頭というものは予想以上に硬く出来ているらしい。


 全身に生暖かく滑りのある不快な感触を被ると、鉄臭い匂いが鼻を突く。


 割れた頭から血が噴き出し、物言わぬ肉塊と化した物体を蹴り飛ばして剣を引く。


 ドサリと地に倒れたその姿を見ても、特に何も感じなかった。

 それどころか妙な既視感さえ覚えた。

 思えば、それは当然の事だ。


 獣も人間も、同じ生物である事に変わりはない。


 なら訪れる結末が同じなのは道理だ。


「……まず一人」


 俺は、人を殺した。

 この手で、斬り殺した。

 思ったよりもずっと簡単だった。


「は? 何の音だ? あ……? ちょっ……えっ?」


 そして……。

 まだ、殺せるという事だ。

 そうだ。感慨に耽っている余裕は無い。


 敵はもう一人居る。

 こちらに振り向き、目を見開いて間抜け面を晒している男を俺は殺す。


「はっ……? ちょ……っ!」


「はっ!」


 地を強く蹴って一足で距離を詰める。


「うわっ!?」


 左斜め下から斬り上げて首を狙ったが、身を逸らして回避された。


「くっ……!」


 随分と反応が良い。

 マズイな、仕留め損ねた。


「く、くそっ! はぁ!? い、いきなりなにしやが……っ!」


 反撃されると思ったが……よし、混乱している様子だ。

 相手は槍を構えようとしているようだが、まだこちらの方が早い。

 間に合わせない。


 空を切った刃を反転させ、今度は側頭部を狙って振り切った。


「がっ……!」


 岩を叩いたような鈍い手応え、残念ながら両断した感触ではなかった。

 見れば、頭から血を噴き出した男が苦悶の表情を浮かべ体勢を崩している。

 俺は急いで剣を引き、胸の前で刺突の構えを取って腰を落とした。


「いで、いでぇ……っ! いでぇよぉ! クソッ! 何なんだ! 何なんだおま……っ!」


 最後まで言わせず、踏み込んで剣先を喉に突き込んだ。


「ゴホッ……!」


 男が口から吹いた血が、俺の頬を濡らす。

 至近距離にある男の顔は、涙で滲んだ目を見開きこちらを見つめていた。


「……ぴぃぴぃ喚くな」


 俺はそんな男の胸に足を掛け、


「てめえはもう終わりなんだよ」


 強く蹴り飛ばした。


 足元に倒れた男は、暴れたり苦しむ様子を見せる事はなかった。

 俺はそんな男に唾を吐き捨て、剣を空に振る。

 外套でで剣身を拭って鞘に収める。


「ほ、本当にやっちゃったよ……」


 背後でアッシュの声がして振り返る。


「……あぁ。こいつら、馬鹿だ。お陰で思ったよりも簡単だった」


 腰から短剣を抜き、テリオの魔法で伸びていた髪を切る。

 結構重いし、邪魔だった。

 

 女の苦労が少し分かった。


「作戦は成功だ。二度と御免だけどな」


 言いながら裾で顔を拭うが、全身ベトベトなので不快感は消えない。


 全く……何が妹のシャルナだよ。

 誰がお姉ちゃんだよ。アホか。


 一番酷いのは俺の裏声だ。

 何だあの甘ったるい声は。おかしいだろ。


 練習してみたら簡単に出て二人に爆笑され、才能があるとまで言われた。

 要らなかったよ、こんな才能。


「そうだね。素晴らしい演技だったと思うよ」


「そうか。そいつは良かった」


 良くない。

 褒められても全く嬉しくない。

 適当な返事を返して、俺は洞窟の中に目を向けた。


 暗く深い闇が広がり、続いている道。

 この先にミーアが居る。


 流石のあいつでも今頃、泣いているかもしれない。

 そう思うと、一刻も早く先に進まなければと感じた。

 何故そう感じるのかは分からない。


 ただ、ここで使って良い時間は無い事だけは分かる。


「アッシュ。テリオを呼んでくれ」


「……分かった」


 振り返る事なくアッシュに指示を出す。

 彼は小さく返事をして、俺に背を向け走って行った。




 暫く待っていると、背後から足音が聞こえて振り返る。

 テリオを連れたアッシュが戻って来たのだ。


「うわ……本当にやったんすね……おえっ」


 テリオは血で濡れた俺と足元の死体を交互に見てそう言った。


「あぁ」


 頷いてテリオに近付き、預かって貰っていた弩を受け取った。

 矢筒を背腰のベルトに装着する。


 装備を整えた俺は、全身を手で触って確認してから。


「俺はもう行く。二人は、俺が入ったら手筈通り爆破の用意を頼む。最初の取り決め通り、異常を感じたら迷わず爆破してくれて構わない。どんな結果になったとしても、俺はお前達を恨まない」


「…………」


「……わかったっす」


 二人の反応を見た後、腰の雑嚢に手を伸ばし魔法薬の瓶を取り出す。

 二人の反応は決して良いものとは言えなかったが、それを咎めるつもりはない。

 そもそも、そんな資格は俺にない。


 俺は何も出来ないと分かっていながら、戦うことを選んだ。

 俺は瓶の蓋を開け、既に一本飲んでいる魔法薬を一気に飲み干した。


 生臭く鼻を突く匂い。例えようのない酷い味に顔を顰めた。

 空になった瓶を投げ捨て、手の甲で口元を拭う。


 一本で一日の効力があるらしいが、これから酷いものを沢山見る事になるだろう。

 二本くらい飲んでおいた方が良い。

 副作用なんて知った事か。


「じゃあな」


 薬を飲み込んで暗闇の中へ歩き出す。


「……待って。シーナ」


 数歩程歩いた時、背後からアッシュに声を掛けられた。

 足を止めて振り向く。

 彼は酷く思い詰めた顔をしていた。


「……何だ?」


 問い掛けるとアッシュは目を瞑って両手を握り、肩を震わせた。


「はぁぁぁああ……よし」


 暫くして、突然彼は深く息を吐き出して目を開いた。


 再度。月明かりを背負った赤い瞳と目が合う。

 それは、一度閉じられる前とは見違えた強い意志を感じる目だった。


「僕も行くよ。僕も一緒に戦う」


「はぁ? ちょっ! アッシュお前……何言ってんすかっ?」


「正気か?」


 目を見た時、まさかとは思った。

 彼が発した言葉は俺の想像通りのものだった。


「正気……ではないかも。でもそれは君も同じだろう?」


「…………」


「命を賭けてでも助けたい。一緒に居たい人がいる。だから君は戦ってるんだろ?」


「……借りたものを返しに行くだけだ」


「へぇ、そうなんだ? でもシーナ、よく考えてよ。それは、そこまでして返さないといけないものなのかい?」


「……そう言われると、そこまでの価値はないと言うしかない。ただ俺は、借りた借りは必ず返すと決めている」


「……それはどうして?」


「俺が一番大切だった人。尊敬する人がそう言っていた」


 母さんは言っていた。

 裏切り、貶めた人間は何があっても絶対に許すな。その甘さがお前を殺すと。


 ただ、代わりに受けた恩は必ず返せと言っていた。


 どんな小さな恩でも、可能な限り大きくして返せ。

 余剰分があればある程良い。

 そして、逆に貸した恩。返し過ぎた恩は貸したままにしておけと。


 その強さがお前を成長させる。

 運が良ければ、その甘さがいずれお前を救って貰える。


 そう言っていた。


 俺は、母さんを。

 世界で一番尊敬する冒険者の言葉を信じる。


 母さんのような人間になりたくて。

 母さんのように強くなりたくて。


 それが、俺が冒険者になった理由の一つだから。


 「それに、背を押された。俺は俺のしたいようにすればいいと。だから俺はやりたい事をやる。全員、殺す」


 宿の看板娘。リズに言われていた言葉が俺の背を押した。

 自由に生きる。そう決めた俺だから、自由に死にたいと思った。


「そっか……凄いね、君は」


「凄くない。サリアナも言っていただろう。よくあることだ」


「……そうだね。よくあることか」


 月明かりの下で笑う彼に、俺も笑顔を浮かべて見せた。

 意識しないと、表情が動かなくなっていた。


「じゃあ、シーナ。僕と一緒に、死んでくれるかい?」


 真剣な顔でそう言って、アッシュは拳を掲げてきた。

 俺はそんな彼の拳に、自分の拳を合わせる。


「違うだろ。親友。一緒に生きて帰るんだ」


 そう言うと、アッシュは驚いた表情に変わる。

 彼が何か言う前に、俺はさっさと歩きだした。


「行くぞ」



 



 暗闇の中へ進んで行く血濡れの少年。

 その背を見送って、アッシュは青髪の魔法士へ視線を向けた。


「……テリオ。ごめん、僕も行くね」


 一言だけ発して腰の片手剣を抜き、髪を切った。


 長い蜂蜜色の髪が宙に舞い落ち、アッシュは剣を鞘に収める。


「……最後に一つ、お願いしても良いかな?」


「……なんすか?」


「もし、僕が戻らなかったらこの髪を家族に送って欲しい。サリアナに依頼すれば手続きをしてくれる筈だから」


「アッシュ。お前まで。お前まで、俺を置いて行くんすか……?」


「うん。ごめんね? 僕は前へ進むよ。このまま何もせずに後悔したくないから……それに」


 アッシュはそこで言葉を止め、今度は困ったように苦笑して洞窟の中へ親指を指した。


「流石に放っておけないでしょ? このまま一人で行かせたら、僕はきっと皆に……ミーアに恨まれる気がするんだ。だから、行くよ」


「なんなんすか、お前まで……死ぬのが怖くないんすか?」


「死ぬのが怖くない人間なんて居ないよ。ただ、シーナには自分の命より大切な人が居るってだけだと思う。それは、実際に見てきた君の方がよく分かってるんじゃないかな?」


「……なんなんすか、それ。益々訳わかんねぇ……女の趣味悪すぎるっすよ、あいつ」


「まぁ、簡単な話。ミーアには男を見る目があったって話だよ。本人は男なんて興味ないって言ってたけど、流石。天才を自称するだけあるね」


 アッシュはテリオの肩に手を置いて、ポンポンと二度叩いた。


「大丈夫。簡単に死んだりしないから。だから今は泣くなよ、テリオ。皆、絶対に連れて帰って来る。泣くのはその時だ。皆で抱き合って、馬鹿みたいに泣いて、お腹いっぱいご飯を食べて、潰れるまで飲もう。それでいつも通りだ。ね?」


「……そんな無茶な。不可能っすよ」


「これくらいで無理とか不可能なんて言ってたら、冒険なんて出来ないだろ」


 アッシュはそう言って笑い、歩き出した。


「じゃあ冒険してくるよ。大冒険をね」


 最後にそう言い残して。


 月明かりの届かない場所へ。

 暗闇の中へ。

 絶望と困難の待ち受ける先へ。


 青年は、迷いのない。自然な足取りで歩いて行った。

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