第41話 迷子の姉妹

「ふはぁ……」


 暗い闇の中で、小さな岩に腰掛けた男が寝ぼけ眼を擦った。


 年齢は三十代前半といったところで、恐らく自分で切ったのだろう不細工な髪が風に揺れている。

 腰には剣が下がっており、足元に短槍。軽鎧姿の男だ。


 その男の背には、洞窟の入り口があった。

 深夜ということもあり、月明かりの届かない空洞には不気味な闇が広がっている。


 男はぼうっと見ていた闇から視線を上げ、空を見上げた。

 薄い雲が幾つかあるだけで天候は良い。


 この様子なら明日も晴れだな。

 そんなことを思いながら、男は月を見ていると。


「しかし相変わらず暇だなぁ」


 隣から声が掛けられた。

 男は月を見上げたまま口を開いた。


「あぁ。そうだな」


「いつも思うんだが、見張りとか無駄だよなぁ。誰もこねぇだろ、こんな所」


 空を見上げる男に声を掛けたのは、同じく武装した坊主頭の中年男だった。

 月を見上げる男は返答する事なく、首を左右に振ってコキコキと鳴らした。


 無言の男を見て嘆息した坊主頭の男は、両手の指を絡めて伸びをした。

 会話が途切れ、互いに無言になる。

 二人の耳に届くのは、森から聞こえる虫の鳴き声だけ。


 不気味な暗闇で過ごす暇な時間。

 二人にとっては、いつも通りの日常。


 だが、変化は唐突に訪れた。

 月を見上げていた男は、足音を聞いて立ち上がった。

 それも獣のものではなく、人間の足音。人数は二人だと確信して。


「おい、どうし……」


「誰だ? そこに居るのは」


 短槍を拾いながら男が言うと、聞き覚えのない声が僅かに聞こえて、鞘走りの音が二つ響いた。


「そっちこそ誰っ?」


 訪ねて来た声は、やはり聞き覚えのない声だった。

 やや中性的だが、恐らく女性のものだろう。


 軽鎧の男が目を凝らすと、少し離れた闇の中に二つの人影を確認する事が出来た。

 やはり見知らぬ人物。それも、まだ歳若い女のようだ。


「俺達は冒険者だ。そっちは?」


「えっ? 私も冒険者だけど……」


(女の冒険者か。何故こんなところに……)


 男は短槍の切っ先を声の方へ向けながら判断した。


「二人か?」


「え? うん、まぁ……そうだけど」


「そうか……悪いが、もう少しこちらに来てくれないか?姿がよく見えない」


「えっと……どうする?」


 しっかりと姿を確認して話す必要があると判断した男。

 対し、女の声は困惑気味だ。


「大丈夫だ。何もしない。ゆっくりでいいよ」


 警戒されるのも無理はない状況。

 どうやらもう一人に相談している様子なので待ってみようと男は判断した。


 返答は数秒後だった。


「ええと、冒険者……なんだよね?」


「あぁ」


「等級証は持ってる?」


 男は首元に手を突っ込むと、細い鎖に繋がれた紫色の金属板を取り出した。

 冒険者等級。序列六位を示す等級証だ。


「これで良いか?」


 すると、暗闇の中から人影が近づいて来た。

 男が視認したのは予想通り女だった。

 女性にしては背が高く、すらりとした長い手足をしている。


 同時に男は驚愕し、息を飲んだ。

 それ程、月明かりに照らされた女は美しかったのだ。


 腰まである金色の髪。警戒心剥き出しの真紅の瞳は細められて尚大きい。

 年齢は自分の半分もないだろう。一度で良いから、こんな女を抱いてみたかった。


 素直にそう思った男は、忘れていた息を吐き出した。


(胸が無いのが残念だな……)


 目の前で立ち止まった金髪の女の胸部を見て、男は正気を取り戻した。


「ちょ、おいおい……めちゃくちゃ可愛いじゃん! なぁ!? 」


 坊主頭の男は鼻息を荒くして男に同意を求め、すぐに女へ向き直った。


「君、名前は? どうしてこんなところに?」


 金髪の女は坊主頭の男を無視して。


「ごめん、暗くてよく見えない。少し近付いても構わないかな?」


「……あぁ。だが、それならその物騒なものを収めてからにして貰おう」


 軽鎧の男は努めて冷静に、淡々と女の右手に握られた剣を一瞥しながら言った。


「……分かった。なら、そちらも収めてくれると有難いね」


「勿論だ。これは失礼した」


 軽鎧の男は余裕の態度で短槍を引いて見せた。

 同時に、坊主頭の男も武器を引く。


それに倣って女は、坊主頭の男を見ながら剣を収めた。


(うわ、ちけぇ……睫毛長っ……! マジで良い女だな……っ!)


 男は至近距離に近付いた女の顔を見下ろしながら唇を噛み、興奮しているのを気付かれないように息を止めた。


 そんな男の様子など目もくれず、金髪の女は真剣な表情で男の等級証を手に取り観察した。


「うん、本物みたいだね。こちらもこの通りだよ」


 男の等級証から手を離し、自分の胸元へ手を伸ばした。

 自然と平らな胸を見て、男はスン……と冷静になる。


 だが、次の瞬間。


「うっ……」


 上目遣いで見上げて来た紅の瞳を見て、男の胸がドクンと高鳴った。


 等級証を見せた為に同業者だと認識され、警戒を解いて貰えたらしい。

 女の大きな瞳は申し訳なさそうに揺れている。


 その手に掲げられた彼女の黒い等級証にはまるで興味が向かなかった。

 序列第五位。格上の等級証にも関わらずだ。

 

 先程までの凛々しい表情も美しくて良かったが、これも良い。

 表情が変わる度、こんなに心を動かされる女は男には初めてだった。


 もっと色んな表情が見たい。

 もっと明るいところで見たい。


(この女の泣き顔が見てぇ……泣かせてやりてぇ)


 醜い欲望がせり上がって来た。

 すぐにこの女の泣き顔はさぞ美しい事だろう。

 どんな良い声で鳴くんだろう。そんな事で頭が一杯になる。


(そうだ。泣かせてやる……! 絶対手に入れるぞ……)


 男は自分の様子を女に気付かれないように顔を背け、洞窟へ向けた。

 自らの住処。暗い暗い闇の中へと。


 その奥にある沢山の玩具。その一つに、必ずこの女を加えると決意した。


「あれ? あの……どうしたの?」


「え……あっ。いや、なんでもない」


 金髪の女へ向き直った男は、努めて柔らかな笑みを浮かべて見せた。


「えぇ、怪しいなぁ」


「ほ、本当に何でもないんだ。気を悪くして済まない。その……君があまりにも美しいから緊張してしまってな」


 自然に褒め言葉が出てきた自分を褒めながら、男は笑って誤魔化した。


「そうなんだ? ふふっ、ありがと」


 金髪の女は柔らかな笑みを浮かべた。


(流石、褒められ慣れてるみたいだな……)


 女の様子を見てそう判断した男は、何とか会話を続けようとした。


「おい、なにデレデレしてんだよ気持ち悪りぃ。誤解が解けたならさっさと話を進めようぜ」


 しかしすぐに、男は坊主頭の男の呆れたような、苛立ったような声で我に帰る。


「あぁ……悪い。それもそうだな。それじゃあ、お嬢さん」


 お嬢さん、そう言った瞬間に金髪の女の表情が曇った。


「お嬢さんって呼ばれ方は好きじゃないな。僕はアーシャ、今はセリーヌで活動してる冒険者だよ。宜しく」


(アーシャちゃん……なんて可愛い名前だ……)


 軽鎧の男は既に金髪の女。アーシャに夢中だった。


「……レガルだ。此方こそ宜しく」


 思わず、自らの名前を明かしてしまう程に。


「お、おいっ……!」


 慌てた様子で坊主頭の男が言うが、既に手遅れだった。

 坊主頭の男は溜息を吐くと、軽鎧の男の意図を汲み取りアーシャを見た。


 これ程に美しい女、元より逃がすつもりは無い。


「ジラルディーだ。宜しく、アーシャちゃん」


「うん、宜しく。でも、出来ればちゃん付けは勘弁して欲しいかな」


「分かったよ、アーシャ」


「うん、ありがとう。ああ、そうだ」


 何かを思い出したように声を上げたアーシャは、自分の背後を振り向いた。

 同時に男達も思い出す。この場には、もう一人居たことを。


「どうやら大丈夫みたいだよ。おいで」


 アーシャが呼び掛けるが、もう一人が近付いてくる様子はない。

 数秒の沈黙があって。


「大丈夫だってば。お姉ちゃんの言う事が聞けないのかな?」


 再度、アーシャが呼び掛ける。

 その「お姉ちゃん」という単語に男達は顔を見合わせ期待に口元を歪めた。


「ほんと? ほんとに大丈夫?」


 聞こえてきたのは、か細く甘ったるい少女の声音だった。

 男達の期待が膨れ上がる。


「うん大丈夫だよ。だからおいで?」


 そして。

 優しい声のアーシャに呼ばれ、月明かりの下に現れたのは……。


「お、おぉ……」


「まじかよ……」


 男達が思わずそう漏らす程、愛らしい少女だった。


「ごめんね。恥ずかしがり屋なんだ。妹のシャルナだよ」


 そんなアーシャの声は、少女の頭頂部から爪先まで血走った目で舐めるように見ている男達には聞こえていなかった。


 真っ白な雪のような長い髪は、後頭部で一括りに束ねられ背まで伸ばしている。


 宝石のように大きな青い瞳は少し虚ろで、疲れている様子が見て取れた。


 身に纏っているのは裾の長い外套。

 お陰で身体付きが分からないのが悔やまれるが、背は低いほうでは無い。


 最後に少女の足元。無骨な黒い革のブーツを見て、ひょっとしたら背は盛っているのかもしれないと軽鎧の男は判断し……。


「あの……」


 少女の声を聞いて、その顔を見て、背筋をゾクゾクとさせた。

 どうやら表情の変化が乏しい少女のようだが、それでも怯えたような雰囲気を察したのだ。


(この娘も良い……っ! 素晴らしい!)


 表情の変化が殆ど無いのも良かった。

 こういう娘を涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら泣かせるのが男の大好物だった。


(今夜はなんて良い日だ……っ! これはきっと、女神様が俺に与えてくれたご褒美に違いない)


 目の前の姉妹に欲望の限りを尽くした光景を妄想し、軽鎧の男は鼻血を垂らした。


「何でもないよ。とりあえずそれ、収めてくれるか?」


 軽鎧の男は少女に全く似合わない片手剣を見ながら言った。


(どう見ても数打ちで安物だ。装備はアーシャに比べて全体的に貧弱。覇気も全く無い。成人したばかりの駆け出しだな……あぁ、なんて幸運だ)


 思わず舌舐めずりをしながら。


「……とても信用出来ない」


 白髪の少女は剣を構え、男へ向けた。


(おっと、警戒心はそれなりだな。見た目の割にしっかりしてるお嬢ちゃんだ)


「あっ、ちょっと! こらシャルナ。失礼でしょ。剣を収めなさい」


「……でも、お姉ちゃん」


「大丈夫だってば。ちょっと道を聞くだけだから。もう、シャルナは本当に臆病なんだから」


 ふぅ、と困った顔で腰に手を当てたアーシャは嘆息し、男達へ振り向いた。


「ごめんね、うちの妹が。言い訳で悪いんだけど、ついこの間成人して冒険者になったばかりなんだ。冒険者同士は出来る限り協力し合うものだって、ずっと言ってきたつもりなんだけど……ちゃんと教育しておくから、大目に見てくれるとありがたいな」


「そうか。そういう事なら仕方ない。まぁ、警戒心が強いのは良い事だ。冒険者の中には影で悪い事をしてる奴なんて少なくないし……君達くらい可愛かったら寄ってくる馬鹿は多いだろう」


 俺みたいな奴がな、と軽鎧の男は思いながらクスッと笑った。


「そう言って貰えて助かるよ」


「なぁ? お姉ちゃんって事は、二人は姉妹って事で良いのか?」


「そうだよ。シャルナは三つ下の妹でね」


「ふーん、そいつぁ、えらい美人姉妹だな。俺が君らの親父なら、冒険者になんて絶対ならせねぇけど……」


 坊主頭の男の問いにアーシャが答えると、坊主頭の男は不思議そうな顔で呟いた。


「そこはまぁ、家庭の事情って奴でね。僕達にはこれしか生きる道が無かった。それだけの話さ」


「ふーん……」


 男達はシャルナを見て、彼女が着ている茶革のコートが酷く古い事に気付いた。

 良く見ると、数カ所ほつれて穴まである。


 年頃の女の子が。それもこれ程の美少女が身に付ける物としては粗悪にも程がある。

 自分が親なら身を削ってでも。もっと良い服を買い与えるに違いない。


 家庭の事情とやらを大体察した二人は、それ以上追求するのをやめた。


「ところで、なんで二人はこんな場所に? 一番近いセリーヌの街まで。ここからは相当あるぜ? それもこんな夜中に駆け出しの妹と一緒なんて正気じゃねぇ。何かあったのか?」


「それはその……恥ずかしい話なんだけど。実は依頼中に突然森人に襲われて、仲間とはぐれちゃったんだ。何とか妹を連れて逃げ切れたんだけど、道が分からなくなっちゃって……」


「そっか。そりゃあ大変だったな……」


 坊主頭の男は神妙な顔をしながら軽鎧の男に近づき、背中を指でトントンと叩いた。


『最高。しくじるな』


 それは、男達だけが知る合図だった。


「だから出来れば道を教えてくれないかな? もし地図とかあるんだったら書き写させて欲しいんだ。勿論、可能な限りのお礼をするから」


 男達はお礼なんて要らない。

 何故なら、君達の人生を頂くから。

 そう思いながらも人の良い笑みを浮かべた。


「それなら俺達も明日、セリーヌに向かうつもりだったから、今夜はここで過ごさないか?」


 軽鎧の男の提案に、アーシャの表情が少し歪んだ。

 それを見逃す男達ではない。


「夜の森は危ない。無理して移動しても良い事なんてないぞ? それに、そっちの妹ちゃんは相当疲れてるみたいだし、ここなら朝までしっかり眠れる。俺達が見張ってやるからさ」


「あ、いや……そこまでして貰うわけには」


「いいっていいって。ついでだしよ。これも何かの縁だ。それに君、言ってただろ? 冒険者同士は助け合うもんだ。困ったらお互い様さ」


 男達に提案されて、アーシャは困り顔でシャルナを見た。


「分かんない? お姉ちゃんはあんた達が信用出来ないって言ってる。私もそう。怪しい」


全く威圧感のない甘い声で言って、シャルナは目を細めた。


「そういう訳じゃないけど、知らない男の人とこういう場所で夜を共にするのはちょっと恐いかな……」


「大丈夫だって。俺達なんもしねぇから! なぁ?」


「あぁ。それに、中には俺達の仲間が居る。全部で五人パーティーなんだが、うち二人は女だ。気の良い奴らだし、君達と歳も近い。きっと良くしてくれる筈だ。だから安心して良い」


勿論、それは軽鎧の男が咄嗟に吐いた嘘だった。


 二人の女の仲間とは、彼が以前。まだ真っ当に冒険者として活動していた時の仲間。


 今は既にこの世に居ない。

 過去に裏切り、男が殺したからだ。


「ううん……どうしよっか?」


「私は反対だよお姉ちゃん。悪いけど貴方達は道を教えてくれるだけで良い。そこからは二人で頑張るから」


 困り顔のアーシャにシャルナは淡々と意見を言った。


 やはり警戒心が強い。

 無理矢理武力で制圧するのは簡単だろうが、片方でも逃げられると面倒になるかもしれない。


 二人の男達はそう考え、坊主頭の男は軽鎧の男の背を指で叩いた。


『選択肢を与えるな。中に連れ込めばこっちのもの』


 軽鎧の男はすぐに言葉を選んだ。


「そうか。そこまで言うなら仕方ない。地図を渡すから付いて来てくれ」


「えっ。良いのかい?」


「あぁ、仲間が予備を持ってるからな。俺のを譲ろう。生憎荷物は中にあるんでね。今夜は風が冷たい。ついでに何か暖かいものをご馳走しよう」


 軽鎧の男は踵を返し、洞窟の中へ歩き出した。


「出来るだけ静かに頼むぜ? 仲間達が寝てるんでな」


 坊主頭の男は、すぐに軽鎧の男へ続く。


「分かった。ありがとう」


 シャルナの声を背に受けながら、男達は醜い笑みを浮かべていた。


 ありがとうはこっちの台詞だ。

 お陰で、楽しみが増える。

 せいぜい良い声で鳴いて、長持ちしてくれよ。


 そんな、欲に塗れた男達は。


 

 幾つかの失敗を犯していた。



 一つは、見ず知らずの他人に背を向けた事。


 そしてもう一つは、シャルナという少女に剣を収めさせなかった事。


 中でも大きな失敗は……。


 彼女達の外見に惑わされ、隠し切れていなかった明確な敵意と殺意。

 憎悪に気付かなかった事だ。



 「……死ね」


 「えっ?」


 初めて聞く声に坊主頭の男が振り返った時には、既に手遅れだった。


 そこには……。

 氷のように冷たい瞳を向けた白髪の少女が、剣を振り上げていた。


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