第38話 サリアナ。
ギルドを訪れた俺は、触れ慣れた古い木の扉を押し開いた。
格好は普段通り、冒険者としてのものだ。
着慣れたコートは昨日浴びた血が嘘のようで、油で磨かれた鎧は僅かな光も照り返す鏡の様に輝いている。
リズは相当頑張ってくれたらしい。
受付に目当ての人物が居るのを視認して向かい、カウンターの前に立つ。
そんな俺を受付嬢サリアナは、普段通りニコニコと満面の笑顔で迎えた。
いつも通り深く頭を下げてお辞儀した後、彼女の口が開く。
「おはようシーナくん。昨日は大変だったみたいだね」
「依頼がしたい」
一言で無駄な会話をする意思がない事を伝える。
サリアナの片眉がぴくりと跳ねたのは見逃さない。
途端、いつも通りの笑顔が酷く不自然で、まるで無理に張り付けられた表情に見えた。
今まで何度も癒されてきた笑顔に変わりはないのに、不思議なもんだ。
そんな事を考えながら、カウンターの上に封筒を差し出す。
「手紙を郵送して貰いたい。宛先は勇者様だ」
「えっ……勇者様宛?」
「あぁ。今流行りの行方不明者捜索依頼について有益な情報が手に入った。あんたはもう聞いてるんだろう? これにはその詳細が書かれている。それと、これだ」
もう一枚、今度は羊皮紙を差し出す。
それを見た受付嬢の目が、僅かに開いた。
「これ……勇者一行宛の救援要請審査用紙だね。いつ発行したの?」
「先程、アッシュが取りに来ただろう? 用があったのは俺だ。少し手が離せなかったから、代わりに頼んだ。内容に問題が無ければ処理してくれ」
「そうだったんだ……」
羊皮紙を手に取ったサリアナは、真剣な目で眺め始めた。
「君がお察しの通りだよ。昨日の話はもう、バルザさんから聞いてる。一緒に調査したんだよね? でも、相手が人間じゃ、勇者一行は動かないと思うよ。この用紙は魔界から来たモンスターとかじゃないと殆ど相手にされないし、それに君達が見た人達と事件との関連性がまだ、認められてないし……憲兵団が君達が捕まえてきた二人の事情聴取をしてる筈だから、ギルドも情報待ちなんだよ」
「御託は良い。これは依頼だ。黙って処理してくれ」
「……シーナくん。どうしたの? 今日はなんか、いつもと雰囲気違うね?」
「俺はいつも通りだ。何も変わってない」
「そ、そう? ごめんね、変な事言って」
「構わない。それより仕事してくれ」
「一応さっき、ギルドから騎士団に情報を送ったよ。私が報告書を書いて、支部長の承認を貰って手続きを」
「そんな事どうでも良い。とにかくそれを送れ。出来るだけ早くだ。内容に不備がないか、この場で検閲して貰って構わない」
中々話が進まない。
まぁ、相手は女神様に選ばれた英雄様であり、貴族だ。慎重にもなるか。
「えっ。あ、うん……それは勿論やらなきゃいけないんだけど」
この反応は予想通りだ。
この手の手合いは多いだろうから、当然の処置だろう。
相手は人類の英雄。更には全員、貴族の中でも力のある家柄らしい。
全員が最高の権力と素晴らしい容姿。そして、他の追随を許さない最強の力を持つ冗談みたいな存在。
女神の寵愛とやらをこれでもかと受けて、人でありながら人を超越した者達。
当然、憧れる者は少なくないだろう。
中には情報提供などと建前や嘘を吐き、個人的な手紙を送る馬鹿が居ても不思議じゃない。
全く、迷惑な話だ。
俺は出来れば、二度と関わりたくなかったんだけどな。
「余計な事は一切書いてない。必要最低限だ。読まれても構わない」
別に、全く悔しいとは思わない。
直接頭を下げてやる訳じゃない。
俺がやるのは紙を一枚送るだけだ。
それにこれは、一応の保険。
全部頼る訳じゃない。
利用出来るものはなんでも利用するべきだ。
私情なんて一々挟んでられるか。
いやぁ、英雄様は便利だなぁ。
「……分かった。これは預かるね」
中身を開き検閲する事なく、サリアナは封筒と羊皮紙を脇に置いた。
様子を見る限り、どうやら審査を通ったらしい。
「あぁ、頼む。それと、要件はもう一つある。以前勧めてくれた精神安定剤をくれ。中でも効き目が一番強い魔法薬を」
どうやらサリアナは一段と驚いた様で、目を丸くした。
大きく開かれた口に手を当てている。
「どうした? ないのか?」
「え? あ、いや。あるけど……何に使うつもりなの? 確かに以前は何度か勧めたけど、今まで一度も使わなかったじゃない」
「いいから、どうしても必要なんだ。実は少し前に森人と遭遇して恐怖で足が竦み、動けなくなる経験をした。情けない話だが、お陰で危うく死ぬところだったんだ。それに、ご存知の通り俺はまた一人に戻ったんでな。持っておいて損はないと思い直した」
「そ、そうなんだ。でも、だから魔法薬に頼るって言うのは、少し極端過ぎないかな? 言っちゃなんだけど、精神系の魔法薬なんて碌なものじゃないよ? 副作用も馬鹿に出来ない。即効性が高い代わりに定着が強くて、依存性もある。もし運悪く粗悪品に当たったら、最悪。そのまま感情が……心が死んじゃう。例えそうじゃなくても、使い続ければ普通の人間に戻れなくなる」
「あぁ、分かっている。概要についてはそれなりに調べて来た。その上で、欲しいと言っているんだ」
「っ……! まさか。まさか君は……! 」
そこで何かに気付いたらしく、サリアナは大きく見開いた目で俺を見つめ、声音を震わせた。
「……ちっ」
こういう時、勘の良い人は嫌いだな。
「ね、ねぇ。シーナくん? 今回の事は……その。ミーアちゃんの事は、本当に気の毒だと思うよ? 二人共仲良しだったもんね? でも、君は今。生きてるんだから……また新しいパーティーを探せば良いじゃない。君にはまだまだこれから沢山良い出会いがある筈だよ。女の子だって……だから」
「良いから、とっとと出せ。受付嬢は特定の冒険者に深く関わったり、干渉してはならない。そうだろう?」
「……っ!」
思わず、声に怒気が篭った。
気の毒か。
新しいパーティーを探せ、か。
……薄っぺらいぜ、その言葉。
四ヶ月ぼっちを舐めるなよ。
簡単に切り替えられる訳がないだろうが。
「あと、鎮痛剤を四、治癒液を三。それと普通の……錠剤の精神安定剤も二つくれ」
「…………」
「何を心配しているか知らんが、魔法薬はあくまで保険だ。すぐに使おうって訳じゃない」
「……わかった。少し待って」
俯いていたサリアナは、小さく頷くと屈み込んでカウンターの下に消えた。
待っていると、下から伸びて来た手がカウンターの上に品物を並べ始めた。
どれも見覚えがあるものばかり、俺が注文した物で間違いない。
一気に全て並べ終え立ち上がったサリアナは、青い液体が入った硝子瓶を三本。指の間に挟んでいた。
「……これが感情を消す魔法薬だよ。一応、説明するね……規則だから」
前置きを挟み、サリアナは説明を始めた。
「これを一本飲めば約一日、本来緊張した時に感じる気持ち悪さや、恐怖を感じた時に感じる悪寒。どんなに気持ち悪いものを見たりしても吐き気とか、頭痛とかが一切消えて戦闘に集中出来る様になる、と言うか」
「どんな化け物と対峙しても何を殺しても、何も感じない冷徹な人間になる」
真顔で黙り込んだサリアナは、こくりと小さく頷いた。
「ありがとう、助かる。支払いはいつも通り金庫から引き出してくれ。ついでに十万程預金を下ろすから手続きをしてくれ」
並べられた薬品を腰の雑嚢に入れていく。
硝子瓶は割れない様に後で布で包んで対策しておこう。
「……ねぇ、シーナくん。本当に何する気? まさかとは思うけど……」
「あんたには関係ない。早く手続きをしてくれ」
「…………」
低い声で淡々と言うと、サリアナは諦めた様で用紙を取り出し、ペンを走らせた。
手続きは数分で終わり、サリアナは踵を返して奥へ消えていく。
すぐに戻ってきた彼女は口の縛られた布袋を手にしていた。
「……ご要望の十万エリナだよ。購入品の領収書とこっちにサインして」
「ああ」
差し出された領収書と、金庫から預金を引き出した事を確認する用紙に名前を書く。
「終わった。では、手紙の件はくれぐれも頼む。またな」
その二つを返せば、要件は終わりだ。
さっさと踵を返して出口へ向かう。
「あっ……シーナ、くん」
背後から掛けられた声は無視して、急ぎ足で進む。
これは俺の戦いだ。
誰にも迷惑は掛けない。
誰も巻き込めない。
代わりに、誰にも止めさせない。
出口の扉を開け、さっさと外に出て後ろ手で閉める。
目の前には、いつも通りの光景が広がっている。
活気に満ちたギルド前通り。
沢山の人が行き交い、喧騒に包まれている。
そんな、いつも通りの光景が。
見慣れて見飽きた日常が広がっていた。
「すぅ、はぁ……」
さて、やるか。
保険は打った。
後は可能な限り物を揃えて、夜までにあの洞窟へ向かう。
決行は深夜。
奴等の大半が拠点であるあの洞窟に戻り、寝静まって警備が薄くなっている頃合いを見計らって急襲する。
……待ってろ、ミーア。
必ずお前の元に行く。
俺は、今度こそ戦ってみせる。
今度こそ、自分の足で歩いてみせる。
今度こそ。こんな自分を。世界で一番嫌いな男を変えてやる。
この手で、救ってみせる。
そして、今度こそ言うんだ。
心から笑って……皆が笑っていられる未来で。
「今、迎えに行く」
おかえりって。
「もう…… なんなのっ!」
古い木扉が閉ざされ、受付嬢サリアナは怒鳴り声を上げながら立ち去った白髪の少年に伸ばしていた手を下ろした。
すとんと椅子に腰を下ろした彼女は、カウンターに置かれた羊皮紙と封筒を見て脱力する。
今日のシーナは、いつもと明らかに違った。
今まで見た事ない暗い瞳に無表情。
とても近寄り難い、不思議な冷たい雰囲気を纏っていた。
少なくともこの半年近く。彼女が接してきたシーナと言う少年は、あんなに冷たい雰囲気を纏える様な何かはなかった筈だ。
職業柄、あんな顔をする冒険者や人間は何度も見てきた彼女である。
あれは何かを決めた人間の顔だった。
酷い絶望を見たにも関わらず、立ち向かうことを決めた者の顔だった。
彼女の経験が警報を鳴らす。
間違いなく彼は……。
「行っちゃったよねぇ……」
溜息を吐いて、サリアナは項垂れた。
本心を言えば、全力で止めたい。
引き留めて、しっかりと言い聞かせてやりたい。
君は頑張ったよ。
悔しいね、悲しいね。
苦しかったね。沢山悩んだね。
もう、頑張らなくて良いんだよ。
そう慰め、甘やかしてやりたい。
最もそれは、ギルドの受付嬢という立場と責務。規定や機密等、様々な要因さえなければの話だ。
先程彼も言った通り、受付嬢は一人の冒険者に肩入れすることは出来ない。
だがこのまま放っておけば、間違い無く彼は死ぬ。殺されてしまう。
前日受け取った報告から考えて、相手は相当厄介な存在だとサリアナは判断していた。
とても冒険者になって四ヶ月も大きな成果を出さず、それどころか冒険すらして居なかった少年が敵う相手ではない。
半年近い今でも白等級のまま、未だ一つも等級を上げられない彼に勝ち目なんてない。
悲しい事にサリアナはそう断言出来てしまった。
(……こんなに歯痒い想いをするのは久し振りだな)
そう分かっているのに止められない。
止める権利は、自分にはない。
これが仕事の依頼なら話は別だったが、彼は依頼を受けにきた訳ではない。
例え今、全てを投げ捨て追い掛けて。探りを入れた所で……シラを切られるだけだろう。
「はぁぁああ……」
自然と深い溜息が漏れた。
本当にもどかしい。
胸の奥がもやもやして落ち着かない。
(何とかしてよ、バルザさん……)
確実に止められる理由はある。
だがそれは、言ってはいけない事だ。
我慢するしかなかった。
それさえなければ。
何も考えずに話して、少年を説得出来れば……それはどんなに楽だろう。
「はぁ……あぁ、もうっ!」
頭を激しく振って、サリアナは勢い良く立ち上がった。
胸の前で拳を握った彼女は、ギルドの天井を見上げながら「ふんっ!」と鼻息を荒くする。
「悩んでも仕方ない! 受付嬢はどんな時でも誰にでも、優しく可愛くちょっぴり意地悪! 笑顔笑顔で元気一杯! 疲れた皆に朝と夜、癒しを届けるお仕事だよっ! さぁ、仕事仕事っ! 仕事しなくちゃ!」
葛藤を振り払い、サリアナは業務に戻って行く。
結局、彼女が出来るのはそれだけだ。
それでも。
(お願いします、女神様……バルザさん。彼を死なせないで。皆、笑顔で帰ってこれる様に力を貸して上げて)
彼女は両手を組んで、祈った。
(皆が幸せな気持ちで、心から笑っていられる世界が一番だから)
目尻に涙を溜めて。
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