第37話 仲間達の想い。

 自室に篭り、現在持っている手記で対人戦闘に有用な記載を探す。


 野獣やモンスター。

 所謂突然変異で生まれた危険種に使えるものなら、同じ生物である人間にも通用する。


 特に目を向けたのは、取り扱いに際しての注意事項に対する記載。


 これが書いてあると言うことは、人間にも効果があるという事だ。


 読みながら、狭い洞窟という状況下で自分が巻き込まれず相手にだけ効果を及ぼせる事は勿論、使用が容易で持ち運びに苦労しない。

 小さくて即効性が期待出来る物を手元の羊皮紙に書き写す。


 自分で材料を調達し、作成しなければならない物が多い。


 生憎そんな時間も道具もない。

 俺みたいな素人が作ったところで信用出来ないし……購入するだけで済む物でないといけない。


 これなら外へ出て買い物をする時間を多く取った方が合理的だ。

 そう判断して椅子を立った時、コンコンと二回。扉が叩かれた。


「開いている。入って来てくれ」


声を掛けると、自室の扉が開いた。


「やぁシーナ。失礼するよ」


「…………」


 来訪者は、アッシュとテリオだった。


 昨日あんな事があったにも関わらず、アッシュはにこやかな表情で挨拶をして部屋へ入ってきた。


 対照的にテリオは思い詰めた表情で俯き、黙り込んでいる。

 相当参っているらしい。無理もない。


 二人は背に背嚢を背負っていた。

 随分大荷物だな。

 こいつら、もしかして……。


 自然と口元が緩む。


「よく来たな。丁度良かった。昼頃、会いに行こうと思っていたところだ」


「そう? それなら良かった。手間が省けたね。要件は何かな?」


「そちらから聞こう。まさか、何の用もなく来た訳じゃないだろう?」


「勿論さ。勉強中だったかい? 急に来て悪いね」


「それは構わない。恐らく、そちらの要件と関係がある」


「へぇ? そうなんだ。ちなみにその調べ物って、どんな事?」


「人を殺す」


 微笑みを浮かべていたアッシュの眉がピクリと動いた後、笑顔が消えた。

 アッシュの真顔、結構恐いな。


「やっぱり君も、そのつもりだったんだね。覚悟は出来ているのかい?」


「愚問だな、昨日も言った筈だ。どんな手を使ってでも奴等は殺す。このまま泣き寝入りするつもりは……いや」


 頭を振って、言い直す。


「まだ生きているかもしれない友人を諦め、見捨てるつもりはない」


「…………」


 そう言った途端、アッシュは俯いた。

 握られた拳が震えている。相当な力が篭っているらしい。


 あれ、思ってた反応じゃないな。

 もしかして違った?


「それは、皆を助けに行くって事?」


 あ、違ったらしい。

 おかしいな、てっきり俺と同じ事を言いに来たと思っていたんだが……。


 じゃあその大荷物は何だ?

 まさか今、この街を離れる訳じゃないだろうし……。


「あぁ、そうだ。俺はあそこへ乗り込み、奴等を皆殺しにする。可能なら、ローザ。ティーラ。そして、ミーア。三名を連れ戻す」


「……そんなの。不可能だよ」


「不可能か。そんな事、お前に言われなくても分かっている」


「だったら……っ!」


 唐突に顔を上げたアッシュ。その赤い瞳は涙が滲み、眉が吊り上っていた。

 しかし気圧されても、俺の決意は揺るがない。


「それでも。俺はやる」


「なに言ってるんだっ! 相手はただの人間じゃないんだよっ! その辺のゴロツキや普通の山賊とも格が違うっ! 元憲兵や冒険者。中には、元騎士だった人間が混じってるかもしれない。そんな奴等相手に、内部構造すらわからない洞窟の中で戦うなんて……何人居るかも分からないのに、地の利まで相手にあるんだ。勝ち目なんて絶対に無い。自殺行為だよ!」


「今更、分かりきっている事をわざわざ言うな」


「っ……! あ、あそこから皆を連れ出すなんて、絶対に不可能だっ! 君まで犠牲になるのが目に見えてるっ! 死ぬだけならまだ良い。もし捕まったりしたら、酷い目に合うよ!?」


「そんなヘマはしない。あんな奴等に捕まって辱しめを受けるくらいなら、俺は自害する」


「へ? ちょ、なにそれ。なんなんだよそれっ! 流石にそれは覚悟決め過ぎだよ! なんで……!なんでそこまで……っ! 君は自分の命をなんだと思ってるんだ!」


 俺の命の価値? そんなもの。


「少なくともここで何もせず諦め、無様に生き長らえて良い程の価値があるとは思っていない」


 アッシュを睨んだまま胸に手を置き、力一杯シャツを握り締める。


「俺はもう二度と、後悔したくない」


 脳裏を過るのは、銀色の髪を持つ女の子の顔。


 成人の儀。

 あの日、協会関係者に連れて行かれ二度と取り戻せなくなった幼馴染。

 最愛だった。何よりも大切にしていた女の子の泣き顔だ。


 俺はあの時、黙って手を伸ばすことしか出来なかった。

 何も出来なかった。


「俺はこれ以上、未来の自分が胸を張って生きれない過去を持ちたくない。もうあんな思いをするのは、嫌なんだ」


 ……柄にもなく興奮して、口を滑らせてしまったな。


 気まずい。

 落ち着く為に軽く溜息を吐き、視線を机の羊皮紙に落とす。


「……お前達に同じ覚悟をしろなんて無理は言わない。これは俺の我儘だ」


「「…………」」


「話は終わりだ。帰ってくれ」


 言葉通り話は終わったが、二人が退室する様子はない。

 絶句したまま俯いている。


 無視してこれからの事を考える。


 まず必要な物を買い出しに行く必要がある。

 その為にまず、ギルドへ向かって貯金を下ろさなければならない。


「…………」


 一つ、思うところがあった。


 机の上にある手記の一冊を手に取り、開く。必要な記載はすぐに発見した。


 そこには、とある魔法薬ポーションについて書かれている。


 説明文には『感情の起伏が無くなり、常時平常心を保つ事が出来る』と。


 以前、まだ俺が冒険者登録をして間もない頃。受付嬢サリアナに勧められた薬だ。


 曰く、これを飲めば恐怖や生き物を殺す罪悪感を薄める事が出来る。 

 最初は使っておくのがおすすめだと。


 これがあれば、俺は。


 どんな状況に陥っても、恐怖で足が竦まなくなる。

 平気で人を殺せる。

 斬れるかも、しれない。


「…………」


 ……これは買い、だな。


 同時に魔法薬の記載を見て思い出す。


 そういえば俺は成人の儀で、魔法士の職業適性を授けられていた。


 魔法士の職を与えられている者は少ない。


 あの時、神官がそれでも俺に剣士を勧めたのは、俺が剣士の固有スキル持ちだった事。そしてそれが今まで記録されなかった、誰も保有していない名の異能だったからだろう。


 固有スキルは、女神の祝福。なんて大仰な呼び方で神聖視されているしな。


 ……俺にとっては、人生を狂わせた呪い。そう呼んでも差し支えない代物だが。


 その癖。肝心の力は使いこなすどころか、未だ一度も発動に至っていない。

 全く目も当てられない。役立たずだ。


 これが無ければ、神官は間違いなく俺に魔法士を勧めていただろう。


 それでも。あの時の俺は勉強が嫌いだったから、剣士を選択していただろうが……今は違う。


 魔法に関する本を探して購入し習得しよう。

 手札は多いに越した事はない。

 遂に俺も魔法を学ぶ時が来たのだ。


 女神が生み出し、人に授けた奇跡。

 それに頼る時が。


「…………」


 下手な事を考えるのはやめておこう。


 どんなに気に入らなくても、滅ぼすべき敵は同じ人間。

 間違いなく固有スキルを持っている者が複数居るだろう。


 魔法を使う者も一人や二人居るかもしれない。


「シーナ」


 剣と魔法。

 昨日奪った弩があるので矢も使える。


 こちらの戦力は俺一人。

 他の誰にも頼る事は出来ない。

 必然的に俺は、攻撃は勿論。敵の攻撃の対処を全て一人でやらなければいけない。


 何故なら、女神の祝福とやらは残念ながら、どれ程人格に問題がある者でも与えられているからだ。

 例えそれが、どんな屑であろうと。


「あれ、 シーナ?」


 こうして考えると、女神エリナと言うのは改めて碌でもない存在に思える。


 何故人類は。俺は……あんな神様を信仰しているのだろう。


他にもっとマシな神が居ても良い筈なのに、何故女神は一人なんだろう。


「ねぇ、シーナってば」


 ……今考えるべき事ではないな。


 今はあの洞窟にいる下衆共を根絶やしにする方法だけに集中しなければ。


「ちょっとねぇ、シーナ? ねぇ、ねぇってば。無視しないでよっ」


 とにかく、相手が女神から与えられた恩恵を持つのなら、こちらも女神の恩恵と生み出した奇跡は勿論。人の知識が生み出した力。道具を揃える。


 現在、俺が持ちうる全てを用いて立ち向かうしかない。

 幸い、金は父さんのお陰で潤沢にある。

 今の俺に無駄な意地を張っていられる余裕はない。


「シーナっ!」


 突然、耳元で大音量が炸裂した。

 同時に肩を揺さぶられ、頭が真っ白になる。


 とても思考を続けられる状態ではなくなり、キーンと不快な耳鳴りに顔を顰める。

 仕方なくアッシュへ意識を向ける。


「……何だその顔は。言っておくが、俺は一人でも行くからな」


「違うよ。今怒ってるのは、シーナが僕を無視するからじゃないか」


「……まだ何か用があるのか?」


「だからずっと話し掛けてたんだよ」


 そうだったか?

 何も聞こえなかったんだが……。

 少し夢中になり過ぎていたらしい。


「なら早く話せ。俺は忙しい」


「ちょっとシーナ、そんな言い方は」


「このまま何もせず指を咥えて待ってるつもりなら、用は無いと言っている」


 口を挟んだテリオを睨み付ける。


 すると彼は小さな呻き声を上げて一歩後退した。

 反論は無いらしい。


 ……こいつは駄目だな。


 自分の仲間の窮地に命を張ろうという気概が全く見えない。


 今のテリオは見てて苛々する。

 この腰抜け野郎。


「だから勝手に決めつけないでよ。今の君、おかしいよ。全然周りが見えてない。今は、こんなつまらない喧嘩で仲間割れしてる場合じゃないでしょ!」


「……その意見には賛成だ。自分の仲間の窮地に、ただ喚くだけで命を張ることも出来ない腰抜けに使う時間も手間も勿体ない」


「……っ!」


 腰抜けという単語に反応し唇を噛んだテリオを一瞥して、右手を顔の前で振って続ける。


「俺が周りが見えていないのなら、今のお前達には必死さが足りない。あいつらはお前達の仲間だろう。どうにかして助けようと思わないのか」


 部屋に入って来た時、へらへら笑っていたアッシュの顔を思い出す。

 すると、とても溜まっていたものを吐き出さずにはいられなくなった。


「連れ戻したいと思わないのか? 助けたいと思わないのか? 例えそれが叶わないとしても、せめて一振り。奴等に痛手を負わせてやりたいと思わないのか?」


 立ち上がり、アッシュの胸倉を掴んで引き上げる。


「くふっ……っ! し、しーな……」


「あいつらは。お前達の言う仲間とはその程度だったのか? 命を賭すに足りない存在だったのか?」


 こちらを見下ろしているアッシュの赤い目は、大きく見開かれていた。

 俺はその目を正面から睨み返しながら言葉を選び、発する。


「戦う理由にはならないのか?」


 部屋に沈黙が訪れた。

 それは酷く。酷く長く感じる数秒間だった。


「そんな気概がない。勇気のない腰抜けなど俺の仲間ではない。失せろ」


「……っ! シーナ、やめるっす! なに一人で熱くなってんすかっ! アッシュを離すっすよっ!」


「……ちっ」


 間に入って来た涙目のテリオに宥められ、手を離す。


「こほっこほっ……っ! シ、シーナ。君は、君はなんでそこまで……」


 自由になったアッシュは咳き込んだ後、質問を投げかけてきた。

 何故? そんなの決まってる。


 お前はずっと居なかったから知らないだろうが……。

 そんなお前の目から見れば、正式な冒険仲間ではない俺が命を賭ける程。必死になる義理なんてないと思うのだろうが。


「あいつらには借りがある。そして俺は、受けた恩は必ず返す」


 俺が戦う理由は、確かにあるんだよ。

 母さんの言葉を守る為にもな。

 言いたい事を言い切った俺は、椅子に腰を下ろして息を吐き出した。


「一つ、聞いて良いかい?」


「……なんだ」


 顔を上げ、アッシュへ返答を返す。


 だが、彼は中々質問してこなかった。

 黙り込み、俯いている。

 どうやら何か悩んでいる様子だ。


 待っていると、数秒後。

 唐突にアッシュは顔を上げた。


「さっき君は、もうあんな思いをしたくないと言ったけど……シーナ。君は一体、過去にどんな経験をしたんだい?」


 その口から発された言葉を聞いた瞬間。俺の心臓が跳ね、口から呻き声が漏れた。


 一瞬、頭を過ったのは銀髪の少女だ。


『大人になったら結婚しようね』


『シーナ、大好きだよ』


『私はずっとずっと、死ぬまでシーナを好きでいるからね』


『いやっ! 離してっ! シーナ、しーなぁぁああっ!!』


『ごめんなさい。もう私にあなたは必要ありません。今の私にはこの人が、勇者様が居ますから』


 最後に見えたのは、剣聖としての彼女だった。

 鎧を身に纏い、腰に神剣を下げ、村に居た頃は一度も見た事ない髪型。


 よく手入れされた銀色の髪を風に揺らして、馬に乗って去って行く後ろ姿。


 その表情は、最後に俺がこの目で彼女を見た時と同じ。

 どこか申し訳なさそうで、だけど少し誇らしげなものだった。


 そして彼女は、すぐに頰を赤く染める。

 既にその瞳は俺を見ていなかった。


 熱の籠もった青い瞳が向けられているのは、白馬に跨った金髪の男だ。


 彼女は男と見つめ合いながら去って行く。


 同じく女神に選ばれた存在。

 勇者と二人で、去って行く。


「…………」


 二度瞬きすると、その光景は消え去った。


「……お前には関係ない」


「そう言わずに、良ければ話してくれないか?」


「他人の詮索はやめろ。常識だろう」


「……でも、知りたいんだ。どうして君がそんなに、自分の命を軽く見ているのか」


「やめろと言った。次はない」


 食い下がってくるアッシュを拒絶する。

 やはりさっきは口を滑らせたな……。

 後悔しながらテリオを一瞥した後。二人から目を背ける。


「……はぁ」


 今はもう、あの女は関係ない。

 俺の過去なんて関係ない。

 全て終わった事だから。


 ただ。俺は戦わなければいけない。


『冒険は一人じゃ出来ねぇ』


 沢山の事を教えてくれた恩人。


『手作りなんです。お口にあって良かった』


 優しい笑みをくれた。人と関わる暖かさを教えてくれた女性。


『いつでも掛かって来ると良い』


 共に強くなろうと切磋琢磨した友人。


『一緒に行きましょう、シーナ』


 手を差し伸べてくれた、生意気な女。


 ……そして何より、俺自身の為に。


「……シーナ」


「シーナ、お前……」


 もう、あんな想いはしたくないから。


「…………」


 両手を膝の上で、指を絡ませて組む。


 この二人が言っていることは最もだ。


 どんなに偉そうな事を口走っても、俺に勝ち目はない。


 力量はない。

 特別な力なんてない。

 それらを覆す策なんて一つもない。

 可能性は、ゼロどころかマイナスだ。


 大体、俺にこんな偉そうな事を言える資格なんてない。


 この二人より、俺は全て劣っている。


 力量、知識、経験。

 冒険者としての格。


 仲間への思いや友情なんて、共に過ごした時間が圧倒的に足りてない俺なんて比べ物にならないだろう。


 当然だ。彼等には、俺が知らない思い出が沢山あるのだから。


 それに俺は一度、逃げた人間だ。


 連れて行かれる恋人を黙って見ていた。

 立派になって帰って来た彼女を祝ってやれなかった。許してやれなかった。


 挙げ句の果てには、裏切り者だと罵った。

 それも、親同然に育ててくれた恩人。

 彼女の両親に、あの女は糞だと罵った。


 そして親と故郷を捨て、逃げて来た。


 特別な力なんて何もなくて、ただ泣く事しか出来なくて。

 ずっと。ずっと逃げて来た。


 ただ喚くだけで何も変えられない。

 碌でなしの凡人だ。


「……そんな大荷物を抱えているから、お前達の考えも俺と同じだと思ったんだがな」


 その証拠に。

 俺は、二人を巻き込むつもりでいた。

 そして未だに巻き込もうとしている。


 一緒に来て、戦って……死んでくれ。

 そう思っている。


「残念だ」


 本当にどうしようもない奴だ。


「これは……その」


 自分の背を見て、アッシュは顔を顰めた。

 ……なんだその顔は?

 まさか本気でこの街から去るつもりだったとか?

 聞いてみるか。

 こいつも俺の詮索をしたんだ。構わないだろう。


「……爆薬と火薬っすよ」


 そう思い口を開きかけた時、テリオがボソッと呟いた。


「テリオ……」


 アッシュの肩に手を乗せて、テリオは続けた。


「シーナ。俺もアッシュも、腰抜けなんかじゃないっすよ。俺達だって、このまま黙ってるつもりはないっす」


「……まさか」


 二人の荷物。その用途に気付いた俺は驚き、目を見開いた。


『歩哨二人を無力化し、火薬と爆薬を用いて出入り口を爆破し生き埋めにする』


 昨日、バルザが発した言葉が脳裏を過る。


「……多分、君の想像通りだよ。僕達は昨日。バルザさんが言った事をやろうとしていた」


 予想は、的中していた。

 出来れば聞きたくなかったよ。


「そうか……」


 ふー。と長く息を吐きながら椅子に体重を預け、天井を見上げる。


「お前達も自分の手で決着を付けるつもりだったんだな……」


「うん……」


「そうっす……」


 椅子に座り直し、二人を見る。


「成る程。お前等がここに来た要件は分かった」


「「…………」」


 黙るなよ。

 嬉しいんだぞ、俺は。


 俺は自分が相当な碌でなしだと思っているが……お前達も大概だとな。


 まさか仲間殺しの罪を一緒に背負え。

 共犯になれと言いに来るとはな。


 自然と口元が緩む。


「とても正気とは思えないな。イかれてるぜ、お前等」


「っ……!」


「ぐっ……」


 結構応えたらしい。二人は唇を強く噛み、拳を握った。


「最も、お互い様だがな」


 微笑を浮かべたまま言うと、二人は同時に顔を上げた。


「僕だって……僕達だってこんな事、やりたくないよっ! だけど、これしか方法がないんだっ! 奴等はどうしても許せない。皆は、あの洞窟の中で今も苦しんでるかもしれないんだっ! なら……なら、こうするしかないじゃないかっ! せめて一日でも早く、楽にしてあげるしかないじゃないかっ! どうしてもこの手で、仇を取りたいんだっ! 報いを受けさせてやりたいんだっ!」


 激情のままに叫んだアッシュは俯いて肩を震わせ、


「このまま黙って待ってるなんて……出来ないんだ……」


 震えた弱々しい声で呟いた。

 ポタポタと流れる涙が床を濡らす。


 短い付き合いだが、この数日間。

 少なくとも俺と出会ってからは、彼はずっと笑顔だった。


 全く手掛かりが見つからない時。

 一歩間違えば命を落とす戦場。

 どんな苦しい時でも彼は笑っていた。


 でもその笑顔の裏では、彼なりに葛藤があったんだろう。


 きっと頭の中はぐちゃぐちゃで、発狂しそうな程の苦しみを我慢していたのだ。


 それが今。決壊した。

 湧き上がる激情を我慢出来なくなったのだ。


 その涙を見て、俺は。

 やっと彼が同じ人間で、大切にするべき友人だと思えた。


「……俺達だって、平気じゃないんすよ」


 次に口を開いたのはテリオだ。

 そちらへ顔を向ける。


「昨日、お前が帰ってから……ついさっきまで俺達は、ギルドや宿を知ってる色んな奴等に声を掛けたっす。報酬は幾らでも出す。欲しいなら命だってくれてやる。だから一緒にあの洞窟へ行って戦ってくれ。助けてくれって、頼んで回ったっすよ……」


「そんな事を……なんで俺に声を掛けてくれなかったんだ」


「あいつ等は俺達の仲間っす。それに昨日、お前は充分頑張ってくれたっすから……」


「……だが、アッシュは一緒に行ったんだろう?」


「昨日の君は、あれ以上負担を掛けられる状態じゃなかっただろっ!」


 ……確かに昨日の俺は疲れていた。

 街へ帰る途中から、アッシュの肩を借りなければ歩く事が困難になった程だ。


 そのまま宿へ連れ帰って貰い、気力を振り絞って身体を拭いたのを覚えている。


「そうだった……悪かったな」


 頭を下げ、謝罪する。


「あ……こっちこそ、ごめん。怒鳴っちゃって……初めて固有スキルが発動した日の夜は、身体が最適化されるから酷い疲労に襲われるんだ。仕方ないよ。特に君のは、相当身体を酷使する力みたいだしね」


「は?」


 変な声が出た。

 アッシュが涙を拭いながら口にした言葉は、とても無視出来ないものだったからだ。


「俺の固有スキルが発動しただと? それも……昨日? いつ、どこで?」


「やっぱり気付いてなかったんだね」


「いいから答えろ、早くっ!」


「森人から奇襲を受けた時っすよ」


 大声でアッシュへ詰め寄ると、テリオが答えを言った。

 森人から奇襲を受けた時、だと?

 ……駄目だ、全く覚えがない。


「あの時のシーナは、凄え速かったっす。とても同じ人間だと思えなかったっすよ。全く目で追えなくて、気付いたら森人を斬ってて……」


「速かった……? 俺が?」


 いつも通りだったと思うんだけど。

 寧ろ、身体が異常に重くて苛々したくらいだ。


「うん。シーナ、君が女神様に与えられた異能は身体加速フィジカル・ブーストだね? 見たのは初めてだったよ。凄い稀少らしいし」


「身体を数倍に加速出来るってあれっすか? 確か、身体の負担が凄え大きくて少し使っただけで全身を痛めるのと、加速中は身体の動きに意識が付いていかないから、強力だけど使いこなせる奴が少ないっていう欠陥スキルじゃ……」


 身体加速については、俺も手記で記述を読んだから知っている。

 説明はテリオが詳しくしてくれたから省こう。


 それにしても二人共、よく勉強してるな。

 テリオは特に意外だった。流石魔法士といったところか。

 魔法士と勉強は切っても切れない関係だからな。


「……まぁそんなところだ。今まで一度も発動出来なかったがな」


 本当は違うんだが、まさか世界で一人しか持っていない力を貰ってると言う訳にはいかない。

 仕方なく言葉を濁す。


「練習してなかったの?」


「勿論していた。発動のさせ方も知っている」


 女神の祝福は、能力を念じながら「我、女神の祝福を受けし者」と発する事で発動 する。というのが常識だ。


 少なくとも俺はあの時、言わなかったと思うんだが……。


「我、女神の祝福を受けし者」


 試しにこれまで何度も練習してきた通り……自分の身体が早くなる想像をしながら言う。

 すぐにキィィィと不快な耳鳴りが始まった。これもいつも通りだ。

 そう言えばこれ。森人を前にして足が竦んでいた時から斬るまでの間も聞こえていたな。


「どう?」


 そうアッシュに急かされて腕を横へ軽く振る。

 別に変わった様子はない。


「いや、変わらないな」


「そうみたいだね。目も光ってないし」


「目が光る?」


「固有スキルを使うと目とか手とか、身体のどっかが光るんすよ。ミーアの狙撃みたいな例外もあるっすけどね。まぁあいつの場合、遠くを狙う時は片目が光るっすけど」


 知らなかった。そんな記載、手記には乗ってなかったぞ。

 協会が発行してギルドで委託販売している為か、今持ってる手記の中でも群を抜いて高かったのに……。


 やはり実際使ったり、色々見てきた奴は違うな。


「……この話は後にしよう。今は先に確認したい事がある」


 本音を言えばちゃんと使えるようになるまで相談しながら練習したい。

 だが、生憎今は大事な話の最中だ。

 この話については、後で。改めて時間を作れば良い。


 頭を切り替えた俺は、大きく深呼吸をした後、切り出した。


「お前達はこれから、どうしたい?」






 それから暫くして。

 話は終わり自室に一人取り残された俺は、パタンと音を立てて閉じた扉を見送った後、机へ向かった。


 さて、方針は決まった。

 一応、保険を打っておくか……。


 引き出しから新しい羊皮紙を取り出し、ペンを手に取る。


『ふふ。結局、私に頼るんですか? 惨めですね、シーナ。私はもう、貴方と関わりたくないのに……』


 うるせぇ、黙れ。


『まぁ仕方ないですよね。私に張り合おうと冒険者になったようですが、貴方は何の力もない何処にでも居る平民。半年近く経った今でも、村に居た頃から殆ど成長していないのですから。ホント、無駄な努力でしたね』


 煩い。煩い……なんだこれは。

 なんで急にお前の声が聞こえるんだ。

 それも、こんなにはっきりと。


『ふふ。私は女神様から力を与えられた女ですよ? この程度、造作もない……お陰で改めて理解出来たでしょう? 貴方と私には大きな差がある。圧倒的で、貴方がどう努力しても決して覆す事が出来ない差が』


 あぁそうかい。それは良かったな。


『はぁ……強がっているのですね? この状況でよくもまぁ、そんな余裕があるものです。これ以上無駄な意地を張るのはおやめなさい。さぁ、ペンをしっかり握って。ちゃんと、丁寧に時間を掛けて書くのですよ? どうか助けてくださいと。誠心誠意心を込めて懇願しなさい。そうすれば、少しは検討してあげましょう』


 ……随分な物言いだな。

 とても十歳までおねしょして怒られ、俺の家まで響く大声で泣いてた奴とは思えないな。


『そ、そんな昔の事を……っ! 忘れなさいっ!』


 やだね、一生覚えてるさ。


『生意気な……! いいのですか? そんな態度で』


 いいさ。

 今のお前に選択肢なんてないだろう?

 さっき自分で言ったじゃないか。平民だって。


『平民の貴方が、女神様に選ばれた英雄で貴族の私に無礼だと言っているのです!』


 あぁそうだ。

 お前は貴族の娘で、英雄で……俺の知らない女だよ。


 力無い民の為に戦い、守る。助ける。

 それが貴族で英雄様であるお前の仕事だろ?


『だから、助けて欲しいなら懇願しなさいと……』


 おいおい、勘違いするなよ。

 俺は確かにお前に助けを求めるさ。

 だけど良い気になってんなよ。


 俺はお前を利用してやるって言ってんだ。


『なっ……』


 はっ、相変わらず馬鹿だなお前。

 そっちこそ、全然変わってないじゃないか。

 どれだけ知識をつけたか知らないけどな……一つ教えてやる。


 誠意なんてかけらもなくても、人は頭を下げられる。

 人を頼り、助けを求められる。

 面倒を押し付けて、平気な顔で生きてけるんだよ。


 俺はそれを、ここで。

 街で過ごした半年近くで、学んだ。


 こんな安い頭で良いなら。

 形だけの誠意で良いなら……幾らでもくれてやる。


『くっ……! あ、あなたは。あなたって人は……!』


 ほら、大事な大事な。守るべき民が困ってるぜ?

 精々役に立ってくれよ。


 ……最も、その時。俺はこの世に居ないだろうけどな。


 さぁ踊れ、英雄様。


 これは俺からの。


 お前が何の相談もなく捨てた。

 無駄な時間を過ごし、人生を変えた。

 

 そんな男の、ささやかな仕返しだ。

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