第35話 絶望と悲鳴

 鎖に繋がれた女冒険者二人が、俯いて涙を流している。


 自分の言葉に何も言い返せず、黙り込む。

 そんな彼女たちの様子に気を良くした支部長は、薄ら笑いを浮かべた。


「さて、まずは挨拶代わりだ」

「んーー!! んぐっ、ぐぐっ!?」


 ゴッ、と鈍い音が響いて。

 猿轡をされたガルジオの絶叫が、暗闇の中に木霊した。


「やめて……」


 絶え間なくミーアの鼓膜を震わせるのは、不快な音と叫び声。


 俯いて目を背けている彼女だが、胸を締め付ける絶望の音は防ぎようがない。

 目の前で何が起きているかは、容易に想像出来た。堪らず瞼を強く閉じる。


「やめ、て……」


 震える唇から、弱々しい声音が発される。


(やめて。やめて、やめて、やめてよぉ……っ! どうして? どうして、こんな酷い事をするのぉ!)


 ミーアの胸中は疑問で埋め尽くされていた。


「やめてくださいっ! お願いしますっ! やめてっ! やめ……! やめてくださぃぃ!」


 同じく、ティーラは悲痛な叫びを上げ続けた。


 彼女の涙で霞んだ視界には、鉄の枷で身体を拘束され防ぐ事すら許されず、一方的に蹴られている仲間。ガルジオの姿が映っていた。


「おい、ミーア。お前がちゃんと見るまでやめないぞ」


「っ……!」


 ガルを嬲っていた支部長は一度足を止め、邪悪な笑みを浮かべたままミーアを見下ろす。


 身体を震わせていたミーアは歯を食い縛り、そっと顔を上げた。


 涙で霞む視界に、支部長と名乗った男の足が仲間の頭を踏み、辱めている光景が目に入る。

 苦悶の表情で呻くガルの姿を見て、その声を聞いたミーアは嗚咽を漏らした。


「ひっ……く。ひっく……ぅえっ……!やめ、て。やめ、て……ください。やめ、て……っ!」


 苦しむ仲間の姿を見るのは、想像以上に辛かった。


 情けなく懇願することしか許されない。

 理不尽な現実に震え、酷い吐き気を催す気持ち悪さを感じながら、ミーアは必死に声を絞り出した。


支部長の顔が、一際醜く歪む。


「では、自己紹介だ。そっちのからやれ。名前と年齢。後、女神の祝福があるなら、隠さず言え。嘘が後でわかったら、こいつを目の前で殺してやる」


 支部長は勝ち誇った表情でティーラを顎で指名した。

 涙で顔を濡らしたティーラは、力無く項垂れた。

 当然、拒否権はない。


「ティーラ、です。歳は、19歳。女神様から賜わりました祝福の名は、癒し手と言います……」


「ほぅ? 癒し手か。触れた者の患部を癒すスキルだな?」


「はい……」


 弱々しく、ティーラは頷いた。

 どうやら支部長は、女神の祝福について人並み以上の理解があるらしい。

 名を聞いただけで効果を説明してみせた様子から、ミーアはそう判断した。


「良いスキルだ。因みに、処女か?」

「っ……!」


 ティーラの顔が一瞬で強張った。目を丸くして口を半開きにしている。

 女性にそんな事を平気な顔で尋ねるなんて、失礼極まりない。

 そう感じたミーアも支部長を睨み付けた。


 そんな二人を見て、支部長は目を鋭く細めた。


「どうした。早く答えろ」

「うぐっ……!」

「ひぅっ……っ!」


 支部長の瞳が光を放った。

 途端、二人は凄まじい威圧感に襲われ、背筋が冷たくなった。

 全身に電撃が走った様な感覚が走り、冷や汗が噴き出る。


(ま、また……っ! やっぱり、この男。何かある……!)


 浅く息を吐きながら、ミーアは確信した。

 目の前の男が普通じゃない事を。


(何か不思議な力。私達と同じ、女神様に力を与えられているに違いないわっ!)


 そう考えたミーアだが、答えは出せない。

 彼女は女神の祝福。固有スキルと呼ばれる力に、そこまで知識はなかった。

 基本的に彼女は他人に興味を持つ性分ではなかった事が要因である。


 今はそれが、大いに悔やまれる。


(あの馬鹿なら。シーナなら、分かるのかしら……?)


 こんな時なのに、酷い貧乏性の癖に知識を得る為なら平気で大枚と労力を惜しまない白髪の少年を想ってしまう。


 頼って、しまう。


「処女では、ありません」


「ふん、そうか。流石冒険者。大人しそうな顔をしてやる事はやっている訳か、残念だ……それとも、好きな男がいるのか?」


「……はい」


 震えた弱々しい声で、ティーラは答えた。


 初めて聞く先輩冒険者の告白に、ミーアは目を丸くして驚く。


 処女では無いと言う発言には、彼女も年頃なのだからと一度くらいそんな経験はあるだろうと納得した。

 しかし、現在想い人が居るという言葉には流石に驚いた。


 そんな話、一度も聞いた事はない。

 自然と寂しさを募らせるミーアだった。


 ティーラは同じ屋根の下で暮らして居る。

 私生活は勿論。何度も共に冒険をし互いの命を預けてきた間柄であり、仲間。


 自らの性格が災いして、本来。他人に偉そうな事が言える程。交友関係は明るくないミーアにとって、彼女は唯一身近な歳の近い女性だ。

 そんな彼女に異性の影があった事など、全く知らなかった。


 ミーアは相当な衝撃を受けていた。

 何故か、裏切られた気分である。


(な、なんで。なんでよ、ティーラ。どうして何も教えてくれなかったのよ……っ!)


 ミーア。十五歳。

 彼女は、成人したばかりの多感なお年頃である。

 最近は気になる異性も出来た女の子である。


 一度くらい恋バナというのをやってみたかった。


 現在の状況を省みて、ティーラとは二度とそんな話が出来ないと悟った。

 絶望は一段と大きかった。


「そうか。まあ、そうだろうな。男漁りが好物な女冒険者は多いが、お前はそんな趣味には見えん」


 そんな複雑な心境のミーアを偉そうに告げる支部長の声が逆撫でにした。


(何を偉そうに……! ティーラの事なんて、あんたなんかに分かって堪るもんですかっ!)


 先程まで弱っていたミーアは、ティーラの実は私生活充実してました宣言を聞いて元気を取り戻し、怒りの色が灯った瞳を支部長へ向けた。

 このまま私だけ負け犬で終わって堪るもんですかと憤慨したのだ。


 とんだ八つ当たりだが、お陰で気力を取り戻した。


 そんな彼女は、支部長に全く自分の存在が意識されていない事で余計に苛立ちを募らせる。


「最も、こうなった以上。その男とは二度と会えんと思い諦めろ。それともまさか、相手はこいつか? 」


 支部長はガルジオの頭に乗せた足に体重を乗せながら、口角を歪めて嘲笑う。


「必死にやめてくれ、と叫んでいたものなぁ?」


「ち、違いますっ! 違いますけど、やめてくださいっ! お願いしますっ! ガルジオさんは仲間なんですっ! 私の大切なパーティーメンバーなんですっ! 必死になるのは当然ではないですかっ!」


「くくっ、仲間か。良い響きだ……反吐が出る」


 支部長はペッと血塗れのガルジオの頰に唾を吐き捨てた。


 目の前で見せ付ける様に行われた辱め。溢れ出す激情がミーアを支配し、彼女は食い縛った歯に力を込めた。


「ふんっ。まぁ良い。その気持ちがいつまで続くか試してやる。楽しみにしていろ。次は、お前だ。小娘」


 凄まれたミーアは、当然の様に睨み返した。


 だが、先ほど折られかけた心。投げ掛けられた言葉の刃によって消耗した彼女の瞳には普段の力強さは無い。何処か虚ろに見えた。


 どんなに粋がったところで言いなりになるしかない現状に、ミーアの自尊心が凄まじい勢いで削られていく。


「……ミーア。十五歳。固有スキルは、狙撃よ」


「ほぅ? 狙撃か。素晴らしい力を与えられているな。吠えるだけはある」


 これは良い拾い物をしたと喜ぶ支部長を見て、ミーアは力なく項垂れた。


 本来隠すべき個人情報と力を、犯罪者に教えてしまった。ミーアはこれまで経験した事のない屈辱と敗北感に苛まれていた。


「それで?」


「っ!?」


 たった一言。

 それだけで支部長の意図を悟ったミーアは、かぁと頭に血が上った感覚を覚えて身体を震わせた。


 羞恥心に顔が熱くなる。


「……っ。じょ、ょよ。」


「ん? 何だって?」


「だから、しょ、ょ…よ」


「もっと大きな声で言え。この場にいる全員に、きこえるようになぁ?」


 それは必死な訴えだったが、支部長は満足してくれなかった。


(こいつ本当最悪っ! 絶対分かってる癖にっ!)


 屈辱に震えながら、ミーアは顔を上げた。

 自身を見下ろす支部長は下卑た笑みを浮かべている。


 もうヤケクソだった。


「だから、処女だって言ってんのよっ!!」


 洞窟内に響いたヤケになった少女の声。

 それも、外見からして気の強い美少女の声である。


 当然、洞窟内の男達は歓喜の声を上げた。


 自分を持て囃し、嘲笑う声が響く。

 中には、心底嬉しげな声も混ざっていた。


 自分で発した恥ずかしい発言と怒りに、真っ赤に染まった顔でミーアは俯き、瞼をぎゅっと閉じた。


 暫く続いた騒ぎは、その間。満足気ににやにやしていた支部長が手を振ると、一瞬で消え静かになる。


「くくくっ……そうか。そいつは嬉しい申し出だ。なぁに、恥ずかしがる事はない。成人したばかりなら、何の不思議もない。すぐに卒業出来る。最も、嫌でも失う事になるだろうがなぁ?」


「っ!!」


 下卑た笑みを浮かべる支部長の意図を察したミーアは、背筋が凍り凄まじい嫌悪感を抱いた。

 堂々と自分の貞操を奪うと宣言されたのだから、無理はない。


(嫌っ! そんなの、嫌……っ! いやぁぁあ!!)


 どこか分かっていた事とは言え、もしかしたらと僅かに残っていた希望。

 それをこうもはっきり否定されてしまっては、ミーアに出来るのは自分の絶望的な未来を想像して泣くことだけだった。


 基本的に男は汚くて、節操がない。


 ギルドに居ると、自分の性欲を満たす為なら平気で女性を騙す者の話は嫌でも耳に入ってくる。

 仲間達が言っていた様に、そういう店で金銭を支払い合意の上でなら、そういうものかと納得はしている。

 だが、やはり汚らわしいという考えは拭えずにいた。


 とは言え、性行為は子孫を残す為には必要な事。避けては通れない。


 故に、いずれ自分もそういう事をする日が来る事は理解していた。

 それなら本当に好きで、自らしたいと思える相手が良いと言う人並みの願望が彼女にはあった。


 心から支えたい、支えられたい。

 一緒に居れば心が満たされ、一生添い遂げたいと自然に思える。

 ミーアは、そんな男が現れるのをずっと待っていたのだ。


 自分の事を本当に理解してくれて、大切にしてくれる人。

 同じく、自分も相手を理解する努力をし、大切にする事が当然だと思える人。

 そんな相手でなければ、嫌だ。


 こんな場所で、こんな奴等に自由と女としての尊厳を奪われ、身体と心。自分の全てを玩具にされる。

 そんな一生を過ごす事を、自分でなくても誰が望むだろう。


(私……私はそんな事になる為に。そんな末路を迎える為に……こんな所で終わる為に、冒険者に憧れてなったんじゃない!)


 大粒の涙を流し、声を殺して泣く。

 そんなミーアの意図を汲んだのか、口元を歪めている支部長は、


「良し。決めた。お前等は売らん」


 突然、そんなことを言い出した。


「えっ……」

「へっ?」


ミーアとティーラ。二人の捕虜は顔を上げた。


 どういうつもりだ。

 まさか、逃してくれるのか?

 それとも、殺される?


 複数の考えが二人の頭に浮かんだ。


 その中には都合の良い希望的な考えもあったのは仕方のない事だろう。


 そんな二人は、自分達の行動と表情を見た支部長が気を良くしている事に気付かなかった。


「冒険者の女は売れん事が多い。片方は既に非処女。もう片方はまだ子供。見た目が良くても良い値は付かんかもしれん。最も、少女趣味の変態は少なくない。将来性もある。お前は相当良い商品になるだろうがな」


 支部長はミーアを見た。意地の悪い笑顔だ。


 良い商品になるとは本当に物扱いだ。

 とても同じ人間扱いされていない事に気付いたミーアは、早々に希望が砕かれた事を悟っていた。


「それに……お前等は二人共、有用な固有スキルを所持している。売るのは勿体ない。よって、お前達は商品ではなく、俺達で飼う事にする」


「は?」


「へ?」


 支部長の言っている意味が分からず、鎖に繋がれた二人は呆けた声を出した。


(え? 何? 飼う? 飼うって、私達を? 家畜みたいに飼うって事? それって、この男達の仲間に……いえ。奴隷になれって事、よね?)


 支部長の言葉を理解したミーアは、激しい嫌悪と焦りを感じた。


「な、何を言ってるの。お断りよっ! 馬鹿じゃないのっ!?」


「馬鹿はお前だ小娘。お前の意見など聞いてない。俺が飼うと言ったら飼うんだよ」


「っ!? うぅっ……!」


 支部長の不思議な力を持つ眼光が放たれた。気丈に抵抗して見せたミーアは威圧され、強制的に黙らされる。


「ふん、まぁそう心配するな。飼っているのはお前達だけじゃない。ここは商品用の管理区だが、他の部屋には、他にも女達が居る。同じ奴隷同士仲良くすれば良い」


「うっ……くぅ……っ!」


「どちらにせよ、お前達に拒否権はない。こんな場所に引き篭もっているとな、俺達も男だ。溜まるんだよ。色々と、な。なぁ?」


 支部長が振り返ると、背後の男達。彼の手下達から同意の声が上がった。


「流石支部長、分かってますねぇ!」

「ミーアちゃーん! あとで俺、行くからねぇー!」

「早く抱かせてくださいよっ! もう辛抱堪んねえぜっ!」


 拍手喝采。凄まじい騒ぎだった。


 男の汚い欲に塗れた歓喜の声と視線が、二人に襲い掛かった。

 反吐が出そうな嫌悪感に襲われ、震える身体。当然、濡れた衣服のせいで奪われた体温が原因ではない。


 これは、恐怖だ。


 自分の全てを奪われる。

 強制的に目の前の者達に隷属させられる。


 逃れられない現実に対する嫌悪感と絶望が、ミーアの気力を奪っていた。

 幾ら拒絶し、足掻いても避けられない。


 決められてしまった自分の未来を想い、ミーアは胸をきゅうと締め付ける痛みを感じ……ぶわっ、と涙が溢れさせた。


 彼女は必死に首を激しく横に振って。


「嫌だ。そんなの、いやぁぁ……!」


 泣いた。

 弱々しい声音で、叫んだ。


 自分でもとても惨めで、滑稽な姿だと思う。

 だが、目の前。彼女の視界に映っているのは、幾ら強がっても、威勢を張っても、どうしようもない現実。


 流石の彼女も折れてしまったのだ。


 普段の態度からは想像すら出来ない、弱々しい姿でミーアは泣く。

 その姿は冒険者ではなく、何処にでも居る年相応の女の子だった。


「ミーア、さん」


 ティーラはそんなミーア。同じく鎖に繋がれ、泣き喚く後輩の姿を見て唇を噛んだ。


 半年近くという決して短くない時間を共に過ごす中で、彼女がこんな弱々しい姿を見せた事は一度も無かった。


 だが、実際。彼女は泣いている。

 人目を気にせず泣き喚いている。


 その現実に、酷く胸が痛んだ。


(私……が。私が守らないと!)


 冒険者として、人生の先輩として。

 目の前で泣いている、歳下で後輩の女の子を守らなければとティーラは思った。


 彼女の脳裏には、白髪の少年の顔も浮かんでいた。

 以前、ミーアが連れて来た新人冒険者の少年だ。


 外見が良く年齢の割に大人びた立ち振る舞いをするが、実際はまだまだ足りない事ばかりの素人。

 そんな彼に、隣の後輩少女が少なからず好意を抱いており、青春だなぁとか。今が大事な時期だとか、実は陰ながら応援していた彼女である。


 ミーアに何かあれば、自分はシーナに。

 いや、皆に顔向けが出来ない! と、ティーラは奮起した。


 実は仲間内全員で、ミーアに隠れて二人をくっ付けてやろうと相談していた。


 当の本人。シーナからすれば余計なお世話だ。

 しかし、彼女にとって彼よりミーアの方が当然大切な存在。

 何故なら彼女は仲間だから。ミーアの幸せの為ならシーナの意思は関係ない。


 ティーラは、支部長をキッ! と睨み付けた。

 泣き喚くミーアと同じく、こちらも普段の姿からは想像も付かない敵意に満ちた瞳だ。


「やめてください! どうしてもと言うなら、私が代わりになります。ですから、ミーアさんには! どうか彼女には、手を出さないでくださいっ!」


「は?」


 だが、そんなティーラの思惑など知った事ではない支部長だ。

 一瞬。呆けた顔になった彼は、直ぐに口元を歪めた。

 手を額に当てて顎を上げ、クククッと嗤う。


「何が可笑しいんですかっ!」


「いや……だって、なぁ?」


 支部長が周囲に同意を求めると、他の者達も笑い始めた。


 皆に笑われて、ティーラの眉間に皺が寄った。


「くくっ。いや、こいつは傑作だ。ここに来て、まだ美しい友情ごっこを続ける余裕があるとはなぁ?」


「友情ごっこ……ですか。馬鹿にしないでくださいっ! 私達は、何度も自分の命を預けて戦って来た。どんな時でも支え合って来たんです! ミーアさんは、私の大切な仲間です!」


「ティ、ティーラ……」


 堂々と宣言したティーラの横顔を、ミーアは見た。

 初めて見る彼女の激情に満ちた表情は、ミーアの瞳に酷く格好良く映った。


 頼り甲斐のある先輩の姿に、とくんと胸が暖かく跳ねたのは、仕方のない事だろう。


「くくっ。そうか。いやはや、恐れ入った。だが残念。その交渉は飲めないな。俺は、二人共だと言った筈だ。折角良い玩具が二つ手に入ったのに、一つで済ませる馬鹿が何処に居る?」


「私達は玩具、ですか……」


「当たり前だろう。同じ人間扱いして貰えると思ったか? お前等は奴隷、家畜と変わらん。それに、交渉というのはな。対等な立場。もしくは、互いに利ある条件でしか出来ないんだよ」


「くっ……」


 支部長はガルジオの頭に乗せた足を、グリグリと捻った。


 仲間を嬲られティーラは表情を曇らせるが、何も言い返す事は出来なかった。

 はっきりと、お前達に人権は無いと言われたのだ。


 これ以上相手の気に触るような言動をして無駄な抵抗すれば、何をされるか分かったものでは無い。


「だが、さっきも言った通り俺は優しいんだ。これから俺達に仕える事になるお前達に、交渉の仕方を教えてやる」


「んんん……っ!」


「……っ! やめてっ! やめてください!」


 足を高く上げた男の姿を見て、ティーラは悲痛な叫びを上げた。

 鉄の鎧に包まれた太い足。あんなものが振り下ろされたら、いくらガルジオが屈強でも無事では済まないだろう。


 支部長は必死なティーラを見て、ニヤリと口元を歪めた。


「ここにいる奴等は、騎士。憲兵。お前等と同じ冒険者出身の奴が多い。俺もこう見えて、昔は騎士団に居た。皆大好き正義の味方って奴だよ」


 こんな事をして、何が正義の味方か。

 そう叫んでやりたい気持ちを堪え、ティーラは支部長を睨み付ける。


「今でこそ。こんな稼業に身を置いている俺だが、騎士道精神とやらは未だ持ち合わせているつもりだ。最も、お前等から見て俺達がどう映るかなど知った事では無いがな。まぁ、嫌がる女を無理やり手篭めにし強姦する趣味は持ち合わせて居ない。故に、交渉をしてやる。お前達に選ばせてやろう。おい、 ミーア。顔を上げろ。お前もよく聞け」


 言われたミーアは渋々顔を上げた。

 無視すれば、振り上げられている足がガルに振り下ろされるのを危惧して。


 二人の視線が集まったのを確認した支部長は二人へ交互に視線を向けると、一段と醜い笑みを浮かべた。


「さぁ。自ら俺達の奴隷となって尽くし一生仕えるか。このまま仲間が嬲り殺しにされるのを黙って見た後、野垂れ死ぬか……選べ」


 振り上げられていた足が、振り下ろされる。


「へっ? あっ待ってくださいっ!」


「や……やめてぇぇええ!!!」


 二人の叫びも虚しく振り下ろされた足は、ダァン! と激しい地鳴りを起こした。  

 到底、人間の足が振るわれた音とは思えない。


 支部長の足は、ガルの頭から僅かに離れた場所へ着地していた。


 目を見開いて硬直している二人へ、支部長は続ける。


「当然、お前等が大人しく俺達を満足させている間は、こいつも。そして、もう一人も生かしておいてやる。どうだ? この交渉、受けるか?」


「……これが貴方の言う交渉、ですか」


 弱々しい声音で、ティーラは尋ねた。


 支部長はこれを交渉だと言ったが、二人に与えられた選択肢はあってないようなものだ。


 男達に隷属し全てを奪われ、尽くし。辱められながら生き長らえるか。

 仲間を殺されるのを見せ付けられた後、野垂れ死ぬか。


 こんなものが交渉であって良い筈がない。

 大体、支部長は先程。自分で言っていたではないか。


 交渉とは、対等な立場か互いに利がある条件でしか成立しない。


 そして彼の提示した条件には、二人の利が存在しない。


 これは交渉ではなく、脅迫だ。


 応じなければ全員殺される。

 だが、応じれば二人は死ぬより辛い目に合う。


 男達の相手とご機嫌取りは勿論。スキルの話もしてきたと言う事は、この話に乗れば彼等の都合の良いように働かされ、悪事の一端を背負わされる事になるのは間違いない。


 つまり、自分達と同じ苦しみを背負う者を増やす手伝いをさせられるのだ。


 そうなれば自分は被害者ではなく、男達と同じ犯罪者の一人。


 どちらを選択しても、待っているのは破滅だ。


「そうだ。騎士団仕込みのな。中々効果的だろう? 良く言うじゃないか。お母さんが泣いてるぞってな? お前等の場合は、大切な仲間が苦しんでるぞ、だがな」


「支部長それ、憲兵団の常套句っすよ」


「おっと、これは失敬した」


 ははは、と愉快に男達は笑う。


 笑われながらミーアは項垂れ、悩んで悩んで、悩んだ。


 ここで頷けば、仲間は助かる。

 だが、一生人間扱いされなくなる。

 自由を、夢を、誇りを、尊厳を、貞操を、文字通り全てを奪われる。


 簡単に決断出来る筈がない。


 そんな破滅を迎える為に、冒険者になったんじゃない。

 こんな奴等に良いように使われる為に、女神様の祝福を受けた訳じゃない。


 私は私の冒険を。

 自由に生きて幸せになる為に、全てを捨てて冒険者になったのに。


 だけど、このままじゃ。仲間が、殺される。


 ミーアは、固く目を瞑った。


(お願い。お願い、誰か……誰が助けて……)


 ありもしない希望にまた縋った。

 縋ることしか、出来なかった。


 先程、自分の事しか考えてない愚かな小娘だと言われた事を思い出す。

 その通りだと思った。


 自分が本当に、昔から自分の事しか考えてこなかった愚か者だと理解した。


 普段、口癖のように言っていた「馬鹿じゃないの」と言う台詞。

 あれは自分に向けて言っていたのだと思った。


 一番言っていた白髪の少年の方が、自分より何倍も正しかったのだと理解した。


『この依頼は危険だ。受けるな』

『片が付くまで街に居るべきだ』


 その通りだった。

 彼が、シーナが正しかったのだ。


 話半分に聞いて、他の皆が居るなら大丈夫だと高を括った。


 それなのにあんたは臆病者だと罵って、何度誘ってもこの依頼は受けないと突っぱねた彼に苛々していた。


 いつも怒られる自分に対して、褒められている彼に嫉妬していた。


 一緒に依頼を受けて、次こそは見返してやる。

 今度こそお前は凄いと言わせてやると躍起になっていた。


 そんな自分がどれ程愚かだったのか。今なら分かる。


 叶うなら、彼と初めて出会った数ヶ月前に戻ってやり直したいと思った。


 間違っていたのは、私。

 正しかったのは、シーナ。


『俺には俺の冒険がある』


 初めて会った時。彼はそう言った。


 聞いた時は、何言ってんの? この素人が。と馬鹿にした。


 だけど……結果。彼は助かった。

 今もきっと、セリーヌの街で楽しくやっているのだろう。


 そして、私は。私は……!


『いつか一緒に、冒険しよう』


 あの約束も果たしてしまっている。

 彼にこれ以上、自分に関わる義理は無い。


 それでも。


「助けてよ、シーナァ……こんなの、やだよぉ……」


 願わずには、いられなかった。


(嫌だ。いやだぁ! こんな、こんな所で……終わりたくないよぉ!)


 ミーアは願った。泣きながら、必死に祈った。


(また一緒に冒険したい……っ! 色んな所へ行って、色んなものを見て……っ! あいつは剣士で……! 私は弓士で……! 後ろから、あのボロいコートを着た背中を、また見たい……っ! 妙に現実的で、冒険者の癖に、堅実で……! それでいて、時折見せる物鬱げな表情が格好良くて……っ! いつも一生懸命で、臆病な癖に変に思い切りがあって……っ! それがたまに、生き急いでいる様にも見える……)


 ミーアは、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。


「うわぁぁあああ!! あぁああああっ!!」

(彼の力に、なりたいんだっ!)


 また一緒に、冒険したい。

 こんな所で、終わりたくない。


 こんな奴等に、奪われたくない。


 諦めたくない。

 捨てたくない。


 私はあいつと一緒に自由に生きたい。


「さて、休憩は終わりだ。答えを聞こう」


 そんな一人の少女の抱く甘い夢。幻想は、たった一言で粉々に砕け散る。


 現実はいつだって待ってくれない。


 もうミーアに虚勢を張る気力は残っていなかった。


「…………っ」


 完全に折れてしまい、現実逃避を始めたミーア。

 そして、ぐったりと地に伏せているガルジオ。


 二人の仲間を交互に見て、ティーラは目を瞑り唇を噛んだ。


「ふん、まだ結論は出ないか。なら、もうこいつを少し痛めつけて」


「……待ってください」


 足元のガルジオを見下ろした支部長。そんな彼へ、ティーラは静かな声音で制止の声をあげた。


 途端、支部長は勿論。背後の男達全員の視線が、ティーラへ向けられた。


 全身を射抜く不快な視線に晒された彼女は、涙に濡れた瞼をゆっくりと開き、絶望に震える唇を開く。


「……分かりました。私は、貴方達の奴隷に、なります。だからガルジオさんにこれ以上。酷い事をしないで、ください」


 それを聞いた支部長は顔を歪めると、騒ぎ出した手下達へ手を振り黙らせた。


「ふっ。そうか、良いだろう……交渉成立だ」


 満足気に支部長は嗤った。

 そんな支部長を見上げるティーラは、一度唾を飲み込んで。


「……それと。あの、出来ればガルジオさんの治療をお願いします。私はどうなっても構いません。何でも言うことを聞きますから。お好きに使ってくださって、結構です……から。どうか。どうか……」


 懇願したティーラは支部長の返答がない為、頭を可能な限り下げた。

 数秒悩んだ支部長は、腕を組み「ふむ」と鼻を鳴らして。


「まぁ良いだろう。このまま放っておけば、何もせずとも死んでしまうだろうからな。俺は約束を守る男だ。おい誰か。こいつの治療をしてやれ」


「はいっ!」


 自分の指示で駆け寄ってきた手下の一人を一瞥して、支部長は懐から鍵束を取り出すとティーラへ歩み寄った。


 鍵の一つを手に取った彼は、ティーラの手枷と左足の鉄球に繋がった鎖を外した。


「首輪は鎖しか外さん。奴隷の首輪の事は知っているだろう?」


「……はい」


「無駄な抵抗はしない事だ」


「…………」


 首元以外自由になったティーラは、支部長に腕を掴まれて強引に立たされた。


「そんな……ティーラ。てぃーらぁ……」


 隣に拘束されていた仲間が。

 尊敬していた先輩冒険者が奴隷にされ、目の前で支部長に掴まれている。


 激しい危機感を抱いたミーアは我に帰り、悲し気な瞳でティーラを見ながら名前を呼んだ。


名を呼ばれたティーラは、鎖に繋がれたままのミーアを一瞥して顔を背けた。


「……ごめんなさい」


 弱々しく、震えた声の謝罪。

 それを聞いたミーアは嗚咽を上げ、余計に溢れ出る涙を零す。


 そんな二人の様子を見た支部長の顔が歪んだ。


「おい、ティーラ。こっちを見ろ」


「……は、はい。むぐっ」


 大人しく従ったティーラは、顔を上げた瞬間。支部長の太い腕に抱かれ唇を奪われた。

 突然の事に驚き目を見開いた彼女は、すぐに無理矢理口内に侵入してきた支部長の舌に蹂躙される。


 ピチャピチャと二人の舌が絡まる音が響く。


「なっ……? へっ……? えっ?」


 目の前で突然始まった衝撃的な光景。


 それを見せ付けられているミーアは頭が真っ白になり絶句した。


「ぷはぁ……ふむ、あまり慣れてない様だな。愛しの彼はそこまで上手くなかったのか?」


「…………」


 唇を離した支部長の問いに、ティーラは答える事が出来なかった。

 ただただ突然の出来事に戸惑っていた。


「まぁ良い。これから教え込んでやろう。幸い時間はあるからな」


 クククッ、と笑った支部長は絶句しているミーアへ顔を向けた。

 その表情を見て更に気を良くした彼は、にやにやと笑う。


「これから俺はこの場で、この女と楽しむ。お前はそこで見ていろ。自分の大事な大事なお仲間が、目の前で犯されるところをなぁ?」


「なっ……!  い、いや……! 嫌っ! やめてっ!」


「なぁに、いずれお前も通る道だ。予習だと思ってしっかり見ていろ」


 力でティーラを押し倒した支部長は、迷いなく服を剥ぎ取った。


「やめてっ! やめっ……! やめてぇぇぇええっ!!」


 ミーアの絶叫が、洞窟に響き渡る。


 支部長に押し倒されているティーラは、全てを諦めて身を委ねる。

 自分を見ながら叫ぶ後輩。ミーアの泣き顔を見て、涙を流しながら瞼を閉じた。


「お願いっ! お願いしますっ! やめてっ! やめてくださいっ! ティーラに触らないでっ! 触らないでくださいっ……! さわ、触る……触るなぁぁぁぁあっ!!」


 ミーアの必死な訴えに耳を傾ける者は、この場に誰も居なかった。

 支部長の下のティーラは既に下着姿で、白い肌を撫でられている。


「ちょっ、支部長。そりゃないっすよ! 狡いなぁ!」

「俺達もティーラちゃんと遊びたいんですけどー!」

「一人だけお楽しみとか、ちょっと。あんまりだと思いまーす!」


 口々に苦言を述べる手下の声が響いた。

 仕方なく手を止めた支部長は彼等へ顔を向ける。


「なぁに、心配するな。ある程度楽しんだら、お前等に回してやる。暫く待ってろ」


 支部長がにやにやしながらそう言うと、手下達は渋々といった様子で了承した。

 そんな彼等の様子を見て、支部長は腰からナイフを引き抜く。


「あぁそうだ。おい、そこのお前」


 支部長が視線を向けたのは、手下の一人。まだ歳若い皮鎧の男だった。


「はい、なんですか?」

「お前に一つ、頼みがある。そこの強情な小娘の事だ。あんな格好では楽しめんだろう。こいつで、この場にふさわしい格好にしてやれ」


 近寄って来た若い男に、支部長はナイフを渡した。

 その意図を汲んだ若い男は、ミーアを見て……にやりと笑う。


「へ? ひ、ひっ!?」


 ミーアの顔が、恐怖に歪んだ。


「仰せのままに、支部長様」


「あぁ。ついでに、突っ込まなければ何をしても良いぞ。純潔だけは、自ら捧げさせねば意味がない」


「そりゃあ、太っ腹ですねぇ」


「あぁ、俺は懐が深い男だからな。まぁ、ある程度楽しんだら他にも遊ばせてやれ」


「勿論ですよ。おーい、皆! ミーアちゃんで遊んで良いってよぉ! お許しが出たぜぇ?」


 若い男が大声を上げると、歓声が起こった。

 我先にと男達が駆け寄ってくる。


 途端、ミーアは気付いた。

 ティーラの心配をしている余裕等、自分に与えられていない事を。


「や、やめて。こないで……っ!」


 ナイフを持った若い男が、舌舐めずりしながら近づいて来る。

 それを見たミーアは、必死に距離を取ろうと足を動かした。


 だが、背後にあるのは壁。例えそれが無かったとしても、鎖で繋がれた彼女に逃げ場はない。


 目の前に立った男を見上げて、ミーアは懇願した。


「やめて……っ! やめて……っ! やめて、ください……っ!」


 ミーアは気付いていなかった。

 そんな怯える態度が、若い男の琴線に触れ余計に興奮させている事に。


「はーい、ミーアちゃん」


 屈み込み、ミーアの目を覗き込んだ若い男。

 その表情は、凄まじく邪悪でいやらしい微笑み。


「じゃあ、脱ぎ脱ぎしよっか?」


 眼前にナイフを見せ付けられ、ミーアは恐怖に震えながら涙を流す。


「い……いやっ。いやぁ! さわら、触らないでぇ! シーナ……しーなぁぁあああ!!」


 来る筈のない名前。ある筈のない希望に縋るしか、今のミーアに出来る事はなかった。

 だから彼女は、全力で叫ぶ。


「助けてっ! しーなぁぁああっ!」


 絶望はまだ、始まったばかりだ。

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