第34話 地獄の底で。

 時は数日前に遡る。


 バシャ。

 突然頭から全身を濡らした冷たい感触に、ミーアの意識は覚醒した。


 彼女が最初に感じたのは、全身の寒さと、衣服が身体に張り付いている不快感。

 そして、頭が割れるような頭痛と鼻を突く酷い悪臭だった。


 例えるなら、家畜小屋の臭いに近い。思わず顔を顰める。

 震える瞼を動かして、ゆっくり目を開く。

 最初に薄暗い視界に移ったのは、見慣れた緑色の髪と滴る水滴。自分の足だった。

 随分と薄暗い場所だ。

 次いで、ミーアは自分の両手と首に冷たい感触がある事に気付く。

 両手は肩の上まで強制的に上げさせられ、動かそうとすると金属音がした。


(頭が、痛い。寒い……ここは、どこ?)


 痛む頭を必死に動かし思考する。

 最後に覚えているのは、仲間と共に街道を歩いていた時の事。

 自分は複数の武装集団に襲われていた荷馬車を見つけ、森に隠れて監視していた。

 その最中。突然後頭部に強い衝撃を受け、意識が無くなった。

 そこからの記憶が無かった。


(どこよ、ここ……?)


 虚脱感に抗い、俯いたまま立ち上がろうと腕に力を込める。

 だが、やはり腕は動かない。代わりにガチャ、と。また重い金属音が鳴った。


(あれ、動けない? なんで……)


 疑問に思い、ゆっくりと顔を上げる。

 顔を上げると視界に入ったのは、


「こっちの女も起きたぞ」

「良かった。死んでいたら支部長に殺されちゃう所だったね」

「おい誰か。支部長呼んで来いっ!」


 見知らぬ三人の男達だった。

 彼等の背後には、更に複数の男達が立っている。

 全員武装していた。革鎧、金属鎧、軽鎧。武器は剣、槍、弓と統一性は無い。

 すぐに憲兵や騎士団ではないと思い至る。


(冒険者……では無さそうね)


 直ぐにミーアは、自分が彼等に捕らえられている事に気付いた。


(こいつら、馬車を襲っていた連中ね)


 酷い頭痛に朦朧とする意識の中、結論付ける。

 ゆっくり顔を動かして自分の腕を見上げる。手首に鋼鉄の手枷が鈍く輝いていた。

 お陰で、首に嵌められているのは首輪だろうと思い至る。

 自分はこの二つに戒められ、壁に張り付けにされているらしい。

 左足首にも締め付けられる感触があった。

 下を向いて足首から伸びた鎖を追うと、その先には鉄球が繋がれていた。


(どうして私、こんな事になってるの? こいつら何の目的で私を……)


 思考していると、少しずつ意識がはっきりしてきた。

 同時に、怒りが湧き上がってくる。

 文句を言ってやりたいが、口に何か咥えさせられているので叶わない。

 仕方がないので、代わりに三人の男達を睨む。


「んー! んー!!」


「おー、威勢の良いこった。ふぅん、少しばかり目付きがキツイが、結構可愛いな」

「可愛くてもまだガキだろ。成人したばっかりか?  俺はこっちのが良いな」

「ミーアちゃんだっけ? いやぁ将来間違いなく良い女に育つよこれは。賭けても良いね。売るの勿体無いなぁ」


 睨み付けた先。三人の男達は好き勝手騒いでいる。

 言い返すことすら出来ない状況が、悔しくて悔しくて堪らない。

 名前が割れているのは、等級証を見られたせいだろうと予想出来た。

 持っていた武器は勿論。身に付けていた防具も全解除させられている。


(何で私、こんな奴等に……! 売るってどういう事? 私を売るつもりなの? 奴隷として、売るって事よね? ふざけないでっ! 非合法な人身売買は重罪よっ! 私は犯罪歴も借金もない。直ぐに誰かがおかしいって気付いて、あんたらなんか皆、捕まっちゃうんだから! 分かったら離しなさいよ! この馬鹿! 糞野郎っ!)


 どんなに毒吐いて見ても、それを相手に伝える事は出来ない。

 代わりに発する事が出来るのは、


「んー! んー!」


 実に愉快な呻き声だけだ。


「ははっ、元気良いなぁ。これなら大丈夫そうだ」

「やっぱり、かなり気が強いみたいだな。まぁ、冒険者の女なんて、こんなもんか」

「ばっか。こんだけ可愛けりゃ気が強い方が良い。こういう女は調教し甲斐があるってもんだ。うわぁ、売りたくねぇ。ヒィヒィ言わせてやりてぇ!」

「ははっ! そりゃ良いなぁ!」


 滑稽な姿のミーアを見て気を良くした男達は、ゲラゲラと下品に笑った。


(私は真剣に怒ってるのに! )


 ミーアは男達を更にキツく睨み付けた。

 悔しくて悔しくて、目尻から涙が溢れる。


(どうして、どうして私がこんな……こんな奴等に、笑われなきゃいけないのよぉ!)


 ミーアは口元に噛まされているものを、力の限り噛み締めた。


(そうだっ! 皆は!? 皆は何処っ!?)


共にいた仲間の事を思い出したミーアは、その安否を確認すべく周囲を見渡した。


 どうやら、ここは洞穴の中らしい。

 四隅に置かれた篝火。その頼りない明かりだけに照らされた薄暗い空間は、それなりの広さがある。


 左を見ると、自分と同じ様に拘束されている若い女性が力無く俯いていた。

 見覚えのない女性だった。彼女は衣服を剥ぎ取られており、一糸纏わぬ姿だ。

 少し泥に汚れた白い裸体を隠す物は何も無く、惜しげ無く晒させられている。

 そんな女性が何人も複数、壁に並べられていた。

 全員に共通しているのは、一切の衣服を与えられていない事と自分と同じ様に鎖で壁に繋がれている事。


 自分はその中の一人に過ぎないらしいと思い至り、ミーアは目を見開いた。


(何よ、これ……ま、まさか。こいつらが?)


ミーアは、目の前の三人の男達へ顔を向ける。


(こいつらが、行方不明事件の犯人!?)


 確信し、ミーアはきゅっと唇を噛んだ。

 さっきの会話から察するに、男達は非合法な人身売買を行なっているらしい。


 つまり彼女達は、私は……商品なのだ。


 衣服を剥ぎ取られ鎖に繋がれて、自由を奪われて。

 人権と女の尊厳を踏みにじられ、家畜の様に並ばされた姿。

 こいつらの私腹を肥やす為に、犠牲になった者達の一人なのだ。

 行方不明者事件の真相は、誘拐事件だったのだ。


(何で? 何でこうなったの? 新種モンスターが原因じゃなかったの? なんでこうなったのよっ! ふざけんじゃないわよっ! あの馬鹿っ! 適当言ってんじゃないわよぉ!  馬鹿シーナ!!)


 堪えようのない怒りを、ミーアは知り合いの白髪の少年に向けた。

 あの見惚れる程に整った顔が、今は腹立たしい。


(今度会ったら絶対、ぶん殴ってやるんだからっ!)

「んー! んー! んー!」


 それは、完全な八つ当たりだった。


「んーんんっ! んー、んーんっ!」


 騒ぐ彼女に、右隣から声が掛けられた。

 同じように言葉を封じされている様だが、聞き覚えのある声音だ。

 気付いたミーアが慌ててそちらを見る。


 そこには予想通り見知った顔があった。

 目尻に涙を溜め、必死な表情を浮かべている女性だった。

 ティーラだ。自分と同じ様に拘束されている。

 首元の首輪は鋼鉄製で大きく、痛々しい姿に余計ミーアは胸を痛める。

 自分の物は見る事が出来ないが、きっと彼女も同じ気持ちだろうと思うと叫ばずにはいられなかった。


「んーん! んー!! んー!」

「んー! あぅー!」


 (ティーラ、ティーラッ!  良かった、無事だったのね!)


 必死に叫ぶが、言葉に出来ない。

 近くに居るのに、意思を交わせない。

 互いに囚われの身。酷い姿の先輩冒険者を見て、ミーアは泣いた。


「あははっ。んーあー! だってさ。駄目、お腹痛い……っ!」

「ふひひっ! 感動の再会って奴だなぁ!?」

「豚みてぇに泣きやがって、笑わせんなよ!」


容赦のない男達の笑い声が聞こえる。


(煩い、煩い、煩い、煩いっ!  わ、笑うな。笑うなぁ……っ!)


 大粒の涙が溢れ、ティーラの顔が霞む。

 自分の涙を拭う事も許されない。

 悔しくて悔しくて堪らず、余計に涙が溢れる。

 自分はこんなに弱かったのだと、嫌でも実感させられる。


(誰か助けて。私達を助けてよぉ!)


 思わず漏れた心の叫びが、自分の弱さを更に露呈させる。

 私はこんな事を考える女じゃなかったのに。

 強く気高く、皆に崇められ尊敬される冒険者。人間を目指してきたのに。

 どうしてこんな事に。どうしてこんな奴等に自由を奪われ、馬鹿にされ、笑われなければならないんだ。


 歯を食い縛り、身体を震わせる。

 酷い姿のティーラを見ることすら辛くて、ミーアは俯いた。

 途端、身体から自然に力が抜けた。どんなに足掻いても逃げられない。

 流石のミーアも、膝を屈する事しか出来なかった。

 これは、現実なのだと認めるしかなかった。


 男達に茶化され馬鹿にされ、玩具にされながら笑われ続ける事、暫く。


 実際はたった数分の間だったが、数時間に感じる程の地獄の時間を項垂れて過ごしたミーアの耳に、新たな声が響いた。


「くくっ。これはこれは、随分と楽しそうだな」


 それは台詞こそ楽しげだが、抑揚の無い低い声だった。

 途端に今までの笑い声が嘘の様に消え静かになる。


「あっ、支部長。お疲れ様です!」

「お疲れ様です!」


 男達全員が、「お疲れ様です!」 と、声を張り上げた。

 流石に異変を感じたミーアは、ゆっくりと顔を上げた。


「……その二人か? お前等が捕らえた冒険者の女達は」


 そこには、迫力のある厳つい顔の男が居た。

 全身青い鎧で包んだ大柄な男だ。

 腰に一振りの長剣を携えた彼は、長い青髪を風に靡かせ、無精髭を撫でている。

 一目で只者じゃないと分かった。


 聞くまでも無い。この男が、ここのリーダー。

 支部長と呼ばれ、挨拶を受けていた存在に違いない。


「はい、そうです。中々良い女達でしょう?」


 揉み手しながら駆け寄った男が、ミーア達を見ながら報告した。

 酷く醜い笑みだ。反吐が出る。


(何が良い女達よ。こんな目に合わせて! 褒められても全然嬉しく無い! 反吐がでるわ!)


 気圧されてなるものか、と。ミーアは鎧の男。支部長を睨み付けた。

 すると、男もまたミーアを見て目を細めた。瞳が不思議に輝いている。

 その瞳に恐怖を感じた瞬間、ミーアの背筋にゾクゾクと冷たい感覚が走った。


「……ふん。俺は常々、冒険者の女は狙うなと言っていた筈だが?」


「は、はい。ですが、馬車を襲うところを見られまして。仕方なく……」


「それは言い訳のつもりか? 襲撃の際は周囲の確認と警戒を厳重にしろと言っていただろう」


「は、はい……そのお陰で、一人も取り逃がさず捕まえられた訳でして」


「そうか。ふん……まぁ良い。今回は逃さなかっただけ良しとしてやる。次は無いからな。肝に命じておけ」


「は、はい……」


 恐縮し切った男から興味を無くしたらしく、男はティーラに近づいた。

 目の前で足を止めた男は屈み込み、ティーラの顎を掴んで顔を眺める。


「それにしても、中々良い女達だな。こいつの名は?」


「ティーラちゃんです」


「ほぅ? では、そっちの小娘は何という?」


「ミーアちゃんです!」


 勝手に名前を呼ぶな、とミーアは大男の傍らに立つ若い男を睨み付けるが、効果は皆無だった。

 大男は鼻を鳴らした。


「そうか。ティーラとミーア。よし、覚えた。では改めて、自由ギルドへようこそ。我等は君達を歓迎する。俺は、ここの支部長をしている者だ」


 大男。支部長はそう堂々と宣言し、薄ら笑いを浮かべた。


(はぁ? 何が支部長よ、この馬鹿!  犯罪集団がギルドを騙るなんて片腹痛いわ!)


 対し、ミーアは男を強く睨み付け歯を食い縛った。

 男は片眉を上げ、口角を歪めた。


「ふっ……ミーアは中々活きの良い小娘のようだな。嫌いじゃない。おい、こいつらの猿轡を外してやれ。話がしたい」


「あ、はいっ!」


 返事をした若い男が、小走りでミーアに近づいて口元に手を伸ばしてきた。

 触られたくないのが本音だが、話せる様にしてくれるらしい。

 仕方なく、ミーアは我慢した。

 代わりに、口の拘束が解かれた瞬間。声を荒げる。


「ちょっとあんた、何すんのよっ! 馬鹿じゃないの!? こんな事して許されると思ってるの!? 早く私達を解放しなさいよっ!」


 口を突いて出てきた言葉を感情のままに吐き出したミーアは、破顔した支部長を見て眉を寄せた。


「くくく、はははっ! 良い。良いなお前。予想以上の跳ね馬だ。調教し甲斐がある」

「へっ!?」


 調教、という言葉に、ミーアの肩が跳ねた。

 意味を理解した途端。堪え難い嫌悪感に襲われる。


「な、何が調教よ。ふざけないでっ!馬鹿にしてんの!?」


「まぁまぁ、そう吠えるな。また話を振ってやる。暫く黙っていろ」


「はぁ?  ちょっとあんたっ! まだ話は」


「俺は、黙れと言った」


 輝く瞳で睨み付けられ、凄まじい威圧感に気圧されたミーアは口が閉じた。

 一瞬全身を電流の様な衝撃が走り抜け、話す事が出来なくなったのだ。


(こ、これは……! この男。何者なの……?)


 初めて感じる感覚だった。

 こうなれば、ミーアは大人しく黙っている他ない。


「……あなた達の目的は、なんですか。どうして、こんな事を?」


恐る恐る尋ねたのは、猿轡を外されたティーラだ。


「それに答える義理はない……と言いたいところだが、おおよそ見当は付いているのだろうから、教えてやる。我々の収入源の一つ、奴隷売買だ。ここに居るのは、我々の商品。勿論、お前達もな」


 予想通りの返答だった。

 堪らず、ミーアは声を張り上げる。

 不思議な力の拘束力は、あまり強くないらしい。


「違法な人身売買は重罪よっ! 昔は流行ってたらしいけど、今は取り締まりが厳しくなった筈だわっ! あんた達なんて……ぐっ!」


 すぐに破滅するに決まってる!

 そう続けようとしたミーアは、支部長に一睨みされ口を噤んだ。

 やはり、不思議な力がある瞳だ。

 最後まで言えなかったことを、ミーアは歯痒く思った。


「おい、こいつらの仲間に男がいたな。片方連れて来い」

「へ? あ、はいっ!」


 指示を受け、一人の仲間が走り去っていく。


 自分達の男の仲間。それって……。

 すぐにローザとガルジオ。二人の仲間の事だと気付く。

 ミーアは嫌な予感に襲われた。


「ちょっと! 何する気よ!」

「乱暴はやめてくださいっ!」


 ティーラと声が被った。

 どうやら、同じ予感がしたらしい。

 男の口元が歪んだ。


「なら、手荒な真似をしなくて済む様にするんだな」

「っ!?」


 予感は的中していた。

 どうやらこの男は、自分達に何かをさせる為。仲間を使って脅すつもりの様だ。

 やはりこいつは悪党だと確信した。

 やる事が汚いからだ。


「この下衆! 卑怯者っ!」


「何とでも言え。お前等を素直にするには、手段は選ばん。我々は慈善事業をしている訳では無いのでな」


「やって良い事と悪い事があるわよっ! こんな脅迫みたいな真似、恥ずかしくないの!?」


 必死に叫ぶミーアを、男は顔に手を当て、愉快そうに眺めながら嘲笑う。


「くく、はははっ。全く恥ずかしくないな。世の中そんなもんだ。知らないのか? 国民が憧れる騎士も、民を守る衛兵も、中身は腐りきっているものだぞ? 脅迫なんて日常茶飯事だ。手段を選ばなければ目的を達成出来るなら、それで良い。今更、全く何も思わん。大体それは、貴様等冒険者も同じ様なものだろう。優先順位など全く考えず、金次第で仕事を選り好みした経験は無いか? あるよなぁ? それと一緒だ」


「はぁ? あんた達みたいな下衆と、私達冒険者を一緒にするんじゃないわよ!」


「一緒だよ。我々と貴様等冒険者はな。綺麗事だけでは生きていけん。それを知っているからこそ、我々はここに居るのだ。人間なんて皆、中身は全員同じだ。誰だって自分が一番可愛い。自分の為なら、平気で他人を裏切り蹴落とし、我が物顔で食い物にする屑の集まりだ」


「……っ! そんなことないわ! 女神様に選ばれた勇者様や、英雄姫達みたいな立派な人達もいる! あなたの勝手な物差しで、人間を測ってんじゃないわよ!」


「勇者? 勇者か。クククッ……案外、皆が持ち上げ信仰している存在。女神に選ばれた者。人類の希望。その中身はどうなっているのやら……想像も付かんなぁ?」


  可笑しそうに笑う支部長を見て、ミーアの心に激情の色が激しく灯る。


 自分達は悪くない、人間そのものが悪い。この男はそう言った。

 自分達が悪事に手を染めるのは人として当然の事だと割り切り、酷い責任転嫁をしている。

 到底許せるものではない。


「百歩譲って、いいえ。一万歩譲って冒険者があんたらと同じならず者の集まりだとしても。人類の為に自分を犠牲にして魔人と戦ってくれている勇者様達が、女神エリナ様に選ばれた英雄達が、あんた等みたいな屑と一緒な訳ないじゃない! 弁えなさいっ!」


「ふくくっ……果たしてそうかな? 例え女神に選ばれた勇者と言えど、その実態はただ力を与えられただけの子供に過ぎん。自由もなく、女神と世界。人類の意思とやらに従い続け、皆の期待を一身に背負い、一番感情の起伏が激しい年頃の少年少女が血生臭い戦場に身を置く事を強制される。まれに休日があったとしても、奴等に自由は無い。貴族の御大層なしがらみに囚われ続け、常に注目に晒され……他国に対しては政治の取引に使われる。そしてまた、誰も戦ったことの無い化物と命のやり取りを続ける。無理にでも続けさせられる。逃げることは許されない、終わりの見えない戦いだ。勇者一行とやらは、そんなことを延々と続けているんだよ。俺なら間違い無く、狂う。お前がその立場だとしたら、どうなると思う?」


「へ? そ、そんな。私、は……」


 支部長の台詞の途中から絶句していたミーアは、尋ねられて考える。


 自由もなく、必要以上に周りから期待され、人類の為。そんな壮大過ぎる目的の為に、未知の化け物と強制的に戦わされる。

 大陸から来た新種モンスター。

 まだ見たことすらないその影に怯え、恐る恐る念入りな調査をするしかない冒険者。成人したばかりの女。

 そんな自分が、他人から押し付けられた重過ぎる重圧と責務に耐えられるだろうか、と考えてみる。

 帰って来てからも疲れを見せることは許されず笑顔で手を振り、パーティーに参加したり、外交をする。

 常に人類の模範であり続ける生活。

 好きな趣味を持つ事も、疲れた時に休む時間は許されない。

 全く自由を与えられない縛られた人生。

 それはきっと、仮に魔人とモンスターの根絶。なんて一見不可能に近い事を成し遂げられたとしても、何かしら理由を付けられ続いていくのだろう。

 解放される為の道は、一つしかない。


死ぬこと、だけだ。


 考えたら、ゾッとした。

 自分には、絶対無理だ。

 間違いなく何処かでおかしくなる。

 狂ってしまうに決まっている。


 青くなったミーアの顔を見て、男は愉快そうに笑った。


「理解したか? 小娘。人間なんて碌なもんじゃない。何せそんな事も碌に考えず、女神様に選ばれた勇者様に任せておけば大丈夫だろう。頑張れ、行ってらっしゃい! 勝ってきてね。世界を救ってね! と甘い幻想を抱き、無責任に手を振る連中ばかりだ。その中に、自分の命を捨ててでも勇者一行の役に立とうとする者が、一人でも居るか? 代わりに世界を救おうと努力する者は居るか? 居るはずがない。何せ、自分は凡人だ。あいつ等とは違う。あの人達は女神に選ばれて、自分とは違うのだから当然。どうせ行っても足手纏いになるだけ、という大量の免罪符を、持って居るのだからなぁ? 」


「ち、違う。あんたなんかに。あんたに何が分かる……っ!」


「分かるさ。もし勇者達が幾ら困っても疲れても御構い無しだ。その癖、勇者達が疲れを見せたり、手を振り返してくれなかったり、最悪敗北したとする。そうなれば民など、簡単に掌を返すだろう。中には奴等に羨望や嫉妬といった、的外れな感情を抱く馬鹿もいるだろう。人間というのは、本当に救えない。その癖に、自分は救われたい。楽をしたい。欲望に忠実に、自由に生きたいと常に願っている。なぁ? 本当に碌でなしの馬鹿ばかりだろう?」


 男は屈み込み、至近距離でミーアの瞳を見た。

 口角をあげ、目を細め、本当に楽しそうに嘲笑っている。

 その瞳に映る自分の姿が、ミーアには酷く滑稽に見えた。

 胸がぎゅうと苦しくなり、思わず眉を寄せてしまう。

 男はそんな事御構い無しに、自分の都合でミーアを嘲笑う。


「お前も思っただろう? なんで私がこんな目に。誰か助けて、となぁ?」


「……っ。やめてっ!」


 思わず声が漏れた。

 酷い図星だったからだ。

 だが男は、止まらない。やめてくれない。

 更に笑みを深める。


「お前のような気の強い女は特に、常時自分の事しか考えていない傾向がある。今まで他人からの言葉を何度無碍にした? 何度自分の感情を他人に押し付けた? 他人の都合より自分の都合を優先した事は? 誰かを自分だけのものにしたいと思った事は? 誰かに褒められたいと思った事は? 誰かに自分をもっと見て欲しいと思った事は? 私は特別な存在だと傲慢にも思った事は無いか?」


「や、やめて。やめて、やめてぇ!!」


 溢れ出す涙と一言一言胸を指す言葉に、ミーアの精神が削られていく。


 嫌々と首を振り、耳を塞ぎたくても、拘束された手ではどうしようもない。

 男が告げた質問は、ミーアに全て当て嵌ったのだ。

 まるで、鋭い刃物で斬られているようだった。


 男の口角が、更に上がる。


「無い筈がない。一つも当て嵌らない人間等、居ないのだ。人間なんてな、少し知識が豊富な獣に過ぎん。野獣や家畜。魔人やモンスター。我々人間とそれらの本質は、何も変わらん。それどころか、下手に頭が回る分。人間よりタチの悪い生物など存在しない。故に、お前が俺を悪だというなら、俺もお前を悪だと断じよう。お前が自分が正しいと言うのなら、俺は俺が正しいと肯定してやろう! くっはははっ!」


「連れて来ました」


 嘲笑う男の足元にドサッ、とそれは投げられた。

 嗚咽を漏らすミーアの瞳。涙で掠れた視界に映ったもの。それは、


「う、ぐぐ……」


 後ろ腰に回された手を鉄の手枷に戒められ、両足も縛られた男。

 体格の良い彼は、ミーアの良く知る人物だった。

 仲間の一人、鍛治士のガルジオだ。


「早かったな。くくっ。どうやら、随分可愛がって貰ったようだ」

「うえっ。ひっく、ひっく……あ……ぅ……ガ、ガル。がるぅ……!」


 ガルの身体は所々に皮が捲れ裂傷が走り、血が滲んでいた。

 顔は真っ赤に晴れ上がっている。


 余程酷い扱いを受けていたことが、一目で分かった。

 それを見たミーアの瞳から、すぅと光が消えた。

 全身から力が抜け、項垂れる。

 彼女の身体を縛る鉄の枷が、ガチャリと重い音を立てた。


「ガルジオさんっ! ひ、ひどい! なんて事を! あぁっ! ミーアさんもっ! しっかり、しっかりしてくださいっ!」


ティーラの悲痛な叫び声が、遠くに聞こえる。


(私は、今まで何をして来たの? 私は、何の為に頑張って来たの? ……私は何の為に我儘を言って、両親を置いて来たの?)


 すっかり心を弱めたミーアは、ポタポタと流れる涙を見ながら唇を噛んだ。


(私はどうして、冒険者になりたいと思ったんだっけ……?)


 自問自答を繰り返すミーアを見て、支部長の口角は大きく上がり、瞳が鋭く細まった。

 今までで一番醜い顔になった彼は嗤う。


「俺は優しいからなぁ? これから、お前等を壊してやる。何も考えられないように、考えなくて良いようにしてやろう。心配するな。売られた先が良い主人なら、褒められることあるだろう。少なくとも、快楽は充分与えて貰える。それこそ、人として生まれた咎も苦しみも、全てを忘れさせて くれる程にな。数日も経てば、自ら進んで喜んで腰を振るような奴隷になっているかもなぁ?」


「っ! 貴方って、貴方って人は!」


 初めて聞く、ティーラの怒りに震えた声が響いた。

 それも何処か、今のミーアには遠くに聞こえる。

 今は、何も考えたくないと思った。


「その前に、これだけは言っておこう」


 茫然自失とするミーアの鼓膜を、男の愉しげな声が静かに響いて震わせる。




「助けなど来ない。絶対にな」




それは心底愉しげな声だった。

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