第32話 対人戦。

「だがまぁ、ひゃははっ。確かにそいつは気になるなぁ? 試しに、一人捕まえて吐かせてみようぜぇ」


 俺の問いに、ドルトンは厭らしい笑みを浮かべて言った。


 随分と簡単に言ってくれる。

 今からあの歩哨二人に襲い掛かって、捕まえて来いとでも言う気か?

 そんな事をしたら、中の奴等がゾロゾロ出て来るに決まっている。

 騒ぎと戦闘音が聞こえないような、間抜けな奴等なら苦労しない。

 あの二人が雑魚だという保証もない。

 少なくとも、間違いなく俺より強い。


「具体的にはどうする?」


尋ねれば、ドルトンは僅かに口角を上げた。


「あぁ? んなの当然、このまま少人数で出掛けるのを待って、出て来たら追っかけて襲うんだよぉ。簡単だろぉ? 三人以下で出掛けてくれたら好都合だぁ。バルザの旦那が居りゃ、三人くらい訳ねぇよ。ちっとばかし腕が立つ位じゃ、相手にならねぇぜぇ?」


 成る程、そういう作戦か。

 それにしても張り込みとは、随分根気が要りそうだ。


 アッシュが呆れたように肩を竦めた。


「そんな都合の良い状況、簡単に起きるとは思えないなぁ」


「いや、良い作戦だ」


 感心したように頷くバルザに、皆の視線が集まった。

 この中で一番経験豊富な男だ。彼の意見は、聞く価値がある。

 皆の視線を受けたバルザは、解説を始めた。


「奴等の中にもし、本当に騎士や憲兵崩れが混じっていた場合。定期的に付近の偵察をする位の警戒心は持ち合わせているだろう。もしくは、周囲に 数名程の見張りを置いているかもしれん。憲兵や騎士の行う偵察や見張りは、少人数が定石だ。そいつらの交代等の為、少人数で出て来る時がいずれ来る」


 へぇ、そういうものなのか。

 いや待て。少なくともうちの村は偵察とかしてなかった気がする。

 父さんが詰め所から出て、村の入り口で歩哨する。そんな姿を最後に見たのいつだっけ。

 偵察や見張りなんてやってなかった筈だ。やっぱりサボってたんだな。


 それにしても、本当にそんな事をやっているなら……これ程接近して発見されなかった俺達は、たまたま見張りに補足られなかっただけなのだろうか。


「じゃあ、今は待つべきって事すか?」


「そうなる。追跡に備え、今のうちに音の立つ防具と荷物は外せ。特に、金物は最小限だ。籠手と胸鎧だけ残し、全解除しろ。腰回りも全て取れ。剣は鞘ごと、一本だけ。取り回しの良い片手剣を手に持って移動しろ。決して、ぶつける様なヘマはするな」


 簡素な指示をしながら、バルザは鎧の留め金を外し始める。

 先程、依頼は達成だ。帰還すると言っていたのに意外だ。

 手伝ってくれる様子だぞ。


「意外だね。さっきは帰るって言ってたのに……」


 同じ感想を抱いたらしく、アッシュが尋ねる。

 お陰で、尋ねる手間が省けたな。


「……お前達からの依頼は達成した。救出の手伝いはしない」


 手を動かしながら、きっぱりと言われる。

 救出の手伝いはしない?

 なら、どうして目的を聞き出すのを手伝ってくれるんだろう。

 疑問に思い首を傾げれば、バルザは。


「俺がやるのは、ギルドからの依頼だ。捕虜を取り、奴等が現在未解決となっている事件に関与しているか。そうでなくても、奴等は無視出来ん。目的、構成人数、装備、首謀者の名等を聞き出し報告する必要がある」


 バルザが手を貸してくれる理由はあくまで、ギルドで受注した行方不明者捜索依頼を達成と報告をする為か。

 何にせよ、手を貸してくれるなら文句は言えない。


「報告って……そんな事したら憲兵団や騎士団が出て来て、皆も殺されちゃうすよっ」


 テリオが悲痛な声を上げた。

 声を殺してはいるが、その声音は震え必死さが伺える。

 そんな事、俺も分かってる。

 だけど、


「このまま奴等を野放しにし、これ以上被害が増える方が問題だ。貴様等の事情に付き合ってやる義理はない。それが嫌なら、ここで何か良い策を出すか、貴様等が何とかして見せろ」


「そういうこったぁ。力のない奴は指を咥えて黙って見てなぁ? それが世の中の常だぜぇ? 理想を語るだけじゃ、何も救えねぇのよぉ」


 二人の、言う通りだ。

 俺達が幾ら足掻いた所で、何も出来ない。何も救えない。

 皆を助ける事は、不可能だ。

 悔しいが、泣き寝入りするしかない。

 幾ら大きな理想を抱いた所で、力が無ければ現実に届かない。

 欲しい物は手に入らず、涙を飲んで諦めるしかない。


 俺はそれを、痛い程に思い知っている。

 思い知らされている。


 大人になった、あの日に。


「…………っ」


 唇を噛んで、握り締めた拳に全力で力を込める。

 色々言いたい事はあるが、言えない。言う資格なんてない。

 それが到底、納得出来ない物だとしても。


 この2人が居なければ、俺達はこの場にすら辿り着けなかった。

 これから行う作戦も、絶対に達成出来ない。


 震える手を開いて、足鎧の留め金へ伸ばす。


「シーナ、何やってるんすか……?」


 準備を始めた俺を見て、テリオが震える声で尋ねて来た。

 言いたい事は分かる。

 この作戦に参加するって事は、皆の死期を早めてしまう事に可能性がある。

 そんな事は分かっていた。


「……作戦を了承する。ご存知の通り駆け出しの無力な若造だが、是非参加させてくれ。せめて一太刀、奴等に報復しないと気が済まない」


 だけどこのまま、奴等を野放しにしてられない。

 これ以上、辛い思いをする人を増やしちゃいけない。

 完全に泣寝入りなんてしてやるかよ。

 今。あの中で苦しんでる皆を、これ以上食い物にされてたまるか。


 目にもの見せてやるよ。


 せめて、一太刀。

 自分の手で奴等に報復出来るなら、これ以上の名誉はない。

 復讐してやる。絶対に。

 その為の手助けが出来るなら、やってやる。

 このまま街に帰って、何事もなく日常に戻るよりマシだ。

 少しくらい、俺も背負ってやる。

 皆の命を奪う罪を。


 ここから先は、感情を殺せ。

 得意分野だろう、俺。


「シーナ、お前分かってるんすか? 自分が何をする気なのかっ」


「……テリオは皆の装備を回収し、街へ帰れ。奇襲に魔法士は必要ない。邪魔になるだけだ」


「シーナっ」


「アッシュ、お前はどうする?」


 俺の肩を掴み、目を合わせようとしてくるテリオを無視し、アッシュへ顔を向ける。


 途端に困ったような顔をしたアッシュは、俯いた。

 自然と全員の視線が彼へ集まる。

 暫く待つと、アッシュは顔を上げた。

 彼は、決意を固めた目をしていた。


「……僕もやる。皆は僕の仲間だ。それに、君だけに背負わせられないよ」


「そうか。なら、準備しろ」


「……うん」


 悲しげな顔で、アッシュは頷いた。

 直ぐに準備に取り掛かった彼を、テリオは呆然と見つめる。


「アッシュまで……二人共、本気で分かってるんすか。それ、皆を殺す手伝いをするって、事なんすよ……」


 震えた声で、今更のように言うテリオに嫌悪感を抱く。

 それ以上口を開くな。俺もアッシュも、承知の上だ。

 全部分かった上で、やるしかないから覚悟を決めたんだ。

 苛々した気持ちを抑えて顔を上げ、睨み付ける。


「そんな事、分かっている。ならお前、他に良い案出せるのか? 皆を助ける為の方法が、そんな夢見たいな案があるなら、言ってみろ」


 言ってみろ、じゃない。言ってくれ、だ。

 俺だってこんなことやりたくない。

 弱ったテリオを、仲間を追い詰めるような事、言いたくない。

 気を抜いたら、涙が出そうなんだ。

 悲しくて悔しくて、力のない自分が情けなくて、仕方ないんだよ。


「……シーナの言う通りだ。僕達だって……いや。この場にいる全員、あの中にいる皆を助けられるなら。助ける方法があるなら、 そうしたいに決まってる。助けたいに決まってるさ。これまで何度も一緒に戦った。命を預けて来た。一緒に笑って、お酒を飲んだ仲間なんだ。家族、なんだ。こんな事、誰もやりたい訳ないに決まってる だろ」


「なら、やっちゃダメっすよ……」


「お前こそ、分かっているのか?」


 不意に、バルザが口を挟んだ。

 低く、重く、冷たい声だ。

 そちらへ目を向けると、背筋が冷たくなる程鋭い瞳がテリオへ向けれていた。


「貴様が言っているのは、菓子をねだる子供の駄々よりタチが悪い。苦しむ仲間を、屑共に使い潰されるまで辱められるのを黙って待っていろ。同じような目に合う人間が増えるのを指を咥えて見ていろ、と言っているようなものだ」


「お、俺は……そんな、つもりじゃ……っ!」


 全身を震わせて俯き、大粒の涙を流す青髪の青年から目を背ける。

 分かってる、そんなつもりじゃない事くらい。

 俺達に手を汚すな、と言ってる事くらい。

 だけど、他に方法がないんだよ。

 ある選択肢は、二つ。


 このまま黙って泣き寝入りするか、奴等に一泡吹かせる手伝いをして、出来るだけ早く報いを受けさせ……仲間殺しの罪を背負うか。

 二つに一つしかない。


 バルザの目が、此方へ向いた。


「その点、お前達はよく分かっている。使えるか分からんが、その心意気は買ってやろう。ドルトン、その愚か者を連れて街へ帰っていろ。荷物を頼めるか?」


「良いぜぇ?  俺ん家に運び込んでおくよぉ。帰って来たら取りに来なぁ」


 キシシ、とドルトンは意地悪く笑う。

 相変わらず腹の立つ笑みだが、有難い。


「俺は、俺は……俺の、せいで……」


 蹲って震えているテリオには、気を向けないようにする。

 これ以上この場で泣かれても、今の追い詰められた心理状態で暴走されても困る。

 準備の手を早め、早く帰って貰った方が良い。

 こんな考え方はしたくないが……邪魔だ。


「シーナ、アッシュ。先程言った通り、使ってやる。そのまま聞け」


 ずっとお前や貴様呼びだったのに、急に名前を呼んでくれるようになった。

 名前知ってるなら、最初から呼べよ。まぁ、そんな事。今はどうでも良い。


「分かっていると思うが、俺達の目的は捕虜を取る事であり、殺す事ではない。剣は絶対に身体に当てるな。反撃を防ぐ、防具として使え。とは言え、止む終えない場合は迷わず殺せ」


 殺せ。

 はっきりと告げられた言葉に、俺は悟る。

 この人は、過去に人を殺した経験があるのだと。

 それも恐らく、一度や二度では無い。


「そしてお前等の役割だが……基本的に二名以上居た場合の足止めだ。それだけで良い。捕獲するのは俺がやる。何があっても、決して逃すな」


「分かった」


「……了解」


 頷くと、バルザは満足気に鼻を鳴らした。


「ふん。では、準備を終えたら不要な荷物を二人に渡し、少し距離を置いて伏せ、洞窟の監視を続けろ。これ以降の私語は慎め。分かったら頷け」

 

 一度頷いて、了承を告げる。


「三名以下で出掛ける者がいたら、俺を見ろ。動くかどうか判断し、合図する。理解したなら、頷け」


 理解出来たので、もう一度頷く。


「では、各自掛かれ。ドルトンと貴様は帰還準備だ。何時迄も現地で泣かれていては迷惑だ。泣くのは街に帰ってからにしろ」


「あいよ〜了解だぁ」


「私語は慎めと言った」


「おっと、こりゃあ失敬ぇ」


 全く反省の色が見えない返事だな。

 まぁ、今のが私語かと言われたら、間違いなく違うんだろうけど。

 今、お前の間の抜けた声を聞くと余計に苛々するだけだから助かるよ。


「では、各自掛かれ」


 バルザの指示が静かに降りた。




 茂みに伏せ息を殺し、洞窟の監視を始めてからどれ程の時が過ぎただろう。


 時折楽しげに談笑する男達へ、今に見てろと殺気と憎悪を抱きながら、中にいる仲間達に想いを馳せる。

 生まれて初めて抱いた復讐心。それだけを糧に、監視を続けていた。


 それは、突然訪れた。

 大きな麻袋を肩に担いだ二人の男が洞窟の中から現れ、歩哨二人と軽く談笑し、右方向へ歩いて行くのだ。


 どうやら二人で何処かへ向かう様子だ。

 すぐにバルザへ視線を向け、指示を仰ぐ。

 不要な鎧を外した軽装姿の彼は親指を立てて頷き、あの二人を指差した。

 追うぞ、という合図だ。

 確認の為アッシュを見れば、目が合った。

 頷いて見せると、同時に彼も頷いた。不思議にタイミングが合った。


 身を起こしたバルザに続き、中腰で移動を開始する。

 左手に鞘に収まったままの剣を持ち、足鎧を外した両脚は黒革の半長靴を履いている。

 山歩きに最適なので、足鎧を買う前。当面の繋ぎとして買った物だ。足の甲が金具になっており、蹴りを使う時には一役買ってくれており便利な代物だが、誤ってぶつけ不要な音を立てないよう気を付けなければ。

 先頭に躍り出たバルザへ続いた為、俺は自然と隊列の真ん中へ位置する事になった。

 追跡開始だ。




 二人の男は片方が大柄な身体に全身鎧で、腰に長剣を吊るしていた。

 もう一人は、細身の身体を焦げ茶色の皮鎧で包み、両腰に短剣を吊るしている。


 背中にあるのは、弩と呼ばれる武器だった。

 弦で矢を放つ点は変わらないのだが、手を離すと矢を放つ弓と違い、引き金を絞る事で矢を放つ武器。

 照準器が付いており、高い照準性能と正確性。筋力をあまり使わない手軽さ。装填の容易さと予め矢を装填しておける汎用性があり、弓とは桁違いに汎用性が高い武器と聞く。


 実物を見るのは初めてだ。最新の技術を用いて作られた武器らしく、現状。あまり世に出回っておらず非常に高価な物。

 女神から与えられた職業も、あれがあれば関係ないとも聞いている。

 何で奴等が、そんな物を持ってるんだ。


 ……あれは、有り難く頂戴するとしよう。

 いずれ使える時が来る筈だ。

 どう考えても奴等には過ぎた武器だ。

 お陰で、俄然やる気が出てきた。


 森に入った二人と充分距離を開けた状態で追跡する。

 共に肩に担いだ荷物が重いらしく時折おろして持ち替えたりしているが、それ以外に変化はない。周囲の確認すらしないとは、間抜けな奴等だ。


「くく……っ」


 今に見ていろ。絶望をくれてやる。

 バルザの指示が出るのを今か今かと待ち望む。

 高まっていく高揚感を大切に育てていく。


 これから奇襲をし、実剣で命を賭けた初めての対人戦をするのだ。

 相手は仲間を捉え監禁し、辱めている敵。

 殺す訳では無いが、奴等の人生を奪う行為である事には変わりない。

 だが、当然。罪悪感は全く抱かない。


 あるのは、早く奴等を痛めつけてやりたいという願望だけだった。


 不思議と恐怖は無かった。

 普段相手にしている野生動物や、戦ったばかりの森人のような化物の方が余程恐い。

 俺もいつの間にか以前の感性を捨て去り、少しは冒険者として成長していたらしい。

 この変化は喜ぶべきだろう。




 それからまた相当な時間を歩いた。

 どうやら奴等は、セリーヌの街へ向かって歩いているらしい。

 途中で見た磁石や地図が正しければ、方向はその筈だ。


 木の裏に隠れながら二人を監視する。


「仕掛ける。お前達は細い方をやれ。行くぞ」


 指示は、唐突に降りた。

 肩に担いでいた長縄を捨て剣を抜いたバルザは、鞘を放って走り出した。

 一瞬呆けてしまったが、状況を理解した俺は、慌てて剣を引き抜き鞘を捨てた。

 全力で地面を蹴って駆け出す。

 アッシュが一歩前へ出ていたが、この中で一番足が速いのは俺らしい。

 村育ちの数少ない利点だろう。

 物心付いた時には、目に見える範囲は庭同然で、いつも走り回っていた。脚力には自信がある。

 相当前に先行していたバルザも抜き去り、背中を押す衝動のままに敵を睨み続けながら、右手の剣を翻す。

 喉元までせり上がって来た黒い衝動を、歯を食い縛って力に変える。


「あぁ? なんだぁ?」

「っ! おいあれを見ろっ!敵襲だ!」

「はぁ!? あれは……冒険者か!? って、まだ子供じゃねぇかっ!? 何でっ!!」


 視界に収めた二人が振り返ってきた。


 だが、もう遅い。

 慌てた様子で二人さ麻袋を投げたが、既に俺は十分過ぎる程接近出来ている。

 大きく地面を蹴って飛び上がり、剣を抜こうとする細身の男。その顔面目掛けて右膝を叩き込んだ。

 練習していた体術の一つ。渾身の飛び膝蹴りだ。


「ごぶはぁ!?」


 右膝に鈍い感触と僅かな痛みが走る。

 背中から倒れた男を一瞥しながら地面へ空中で鎧の男を睨み付ける。

 剣の柄を握っているが、まだ抜いてない。

 誰が親切に抜かせてやるものか。


「おりゃあっ!!」


「ぐっ!?」


 着地と同時に前蹴りを放つ。

 胸元を的確に蹴り込み、足裏に確かな感触を受けた。

 だが、得られた結果は相手が数歩後退るだけ。

 蹴る力が足りてない。


「ちっ……!」


 自分の力の無さに苛立つ。


「っく……なんだ、このガキは!?」


 素早く体勢を整え剣を抜いた鎧の男が、俺を睨み付けて来た瞬間だった。

 ふっ、と視界の端に巨大な影が入る。


「ぬぅん!!」


 凄まじく鈍い音がした。


「ゴボッ!?」


 鎧の男の右頬に、太い拳がめり込んだのだ。

 バルザの一撃を受けた男は、血飛沫を舞わせながら冗談みたいな速度で吹き飛ぶ。


「っつつ……いきなり何しやがる。ざけんなよ、クソガキがぁ!!」


 凄まじい光景に呆然としていた俺は、足元から聞こえた声に慌てて顔を向ける。

 途端、短剣を抜く男と目が合った。

 しまった、と思うが遅い。

 振られた刃が、俺の足へ振るわれる。


「よっと!」


 瞬間、割り込んで来た剣が短剣を防いだ。

 視界に映る後頭部。蜂蜜色の髪が、ふわりと宙に舞う。


「なっ!?」


「やらせないよ?」


「はぁっ!」


「ぐぷっ!?」


 格好付けるアッシュの脇から、右足の裏を男の顔面に踏み込む。

 足裏に確かな感触。ゴキュッ! と鈍い音が響いた。

 そのまま地面を転がった男は、背面返りで立ち上がった。


「つつ……くそがぁ!」


 涙目に吹き出した鼻血。

 顔には靴跡がくっきり。立ち上がった男は、それは酷い面だった。


「ぺろ……チッ」


 一瞬目を瞑って痛そうな顔を歪めた男は、左手で鼻を拭って自らの血を眺めると舌打ちし、もう一本の短剣を抜いた。二刀流だ。


 すぐに襲って来た男。上段から振られたその刃は半身になって避け、間髪入れずに回転した男が繰り出す横からの刃を剣で受ける。


「っ!」


 襲った衝撃は、全く問題にならない程軽かった。

 甲高い音金属音に耳が痛くなって顔を顰めた程度だ。

 それにしても、思ったより軽かったな。軽過ぎるくらいだ。


「ごほっ!」


 アッシュの振るった拳が、男の頰に突き刺さった。

 あの中性的な爽やか青年が繰り出したとは思えない、中々えげつない拳だ。

 男の吐いた血が、頰を濡らす。

 気持ち悪い。思わず顔を顰める。


「ぐっ。き、貴様等。何が目的だ? 急にこんな……ひ、卑怯だぞ」


 数歩よろめいて、何とか踏ん張った様子の男が袖で口元を拭う。

 卑怯? 何とでも言え。

 大体、どの口が言っている。

 お前等も皆を捕まえて監禁し、辱めている卑怯者だろう。

 そもそも、あいつらが簡単に捕まる訳ない。

 四人共、俺なんか比べ物にならない腕利きだ。

 きっと卑怯な手に堕ちたに違いない。


「卑怯上等だ、糞野郎」


 俺は憲兵でも、騎士でもましてや勇者の様な英雄でも無い。

 まだまだ駆け出しで、何の力もない凡人の冒険者だ。

 卑怯な手を使って何が悪い。

 俺は、正義の味方なんかじゃないんだ。

 大切なことを教えてくれた友人も、仲間も助けられない。

 それどころか、俺は。


 皆を出来るだけ早く見殺しにする為にここに居る、人間の屑なんだよ。


「大体、どの口が卑怯者なんて言ってやがる。この卑怯者が!」


「な、なんだ? なんなんだ。知らない、俺は何も知らない!」


「あぁ? なら聞くがな。ミーアとティーラ。この名前に聞き覚えは?」


 尋ねた途端、男の目が大きく見開かれた。

 次いで、彼の目が地面に転がる麻袋へ向かう。


「そうか。お前等はあいつ等の……な、なんで……! い、いや。知らない。俺は何も知らないっ! 知らないんだっ! 知らないんだよっ!」


 必死に弁明する男。

 だが流石にこれで納得する程、俺は間抜けじゃない。

 どう見てもこれは、知ってる者の反応だ。


「……確定、だね」


 隣でアッシュが呟いた。


「ち、違う。知らないんだっ! 本当だ、信じてくれっ! 俺は何も知らないっ! 見逃してくれっ!」


 必死に弁明を続ける男。

 今更無駄だと言うのに、滑稽な姿だ。

 これ以上は見るに耐えないな。


「ふん、見るに耐えんな」


 男の背後に、大柄な影が歩み寄った。

 俺の気持ちを代弁したその人は、固く組んで握り締められた両手を、ゆっくりと高く振り上げていた。


「……へ? あ、あぁ?」


 異変に気付いた男が、振り向いた瞬間。


「良い事を教えてやる」


 バルザは男を見下ろし、鋭い瞳を輝かせて。


「卑怯は貴様等のような者の特権では無い。我々、冒険者の得意分野だ」


 淡々と、そう告げた。


「ひっ……!」


「ぬぅん!!」


 風を切り、轟音を響かせながら振り下ろされた拳が男の後頭部に直撃した。

 凄まじい勢いで地面に叩き伏せられた男を見下ろす。

 男は、死んだばかりの虫の様に痙攣していた。


 それを暫く全員で見下ろしていると、ぬっと鋭い瞳が俺に向けられた。


「シーナ」


 呼ばれた声に顔を上げた俺は、血に飢えた猛獣の様な瞳を直視する羽目になった。

 全身に悪寒が走り、思わず一歩後退する。

 するとバルザは溜息を吐き、


「その足の速さはお前の武器だ。評価に値する。だが、前回。そして今回に続き、お前は命令違反を行った。軽はずみな独断専行は、命を縮め目標達成を著しく妨げる。今後は控えろ」


「あ、あぁ……」


 真剣な顔で言われて、俺は慌てて首を横に振った。

 実際、アッシュが援護してくれなければ間違いなく足を斬られていた。

 否定のしようがない。


「お前も今回の件に関しては思う所があるだろう。これ以上の追求はしない」


 その一言を聞いて俺は深く安堵し、胸を撫で下ろす。


「お前の力を過小評価し、作戦の立案を誤った」


 急に褒められて居心地の悪い俺は、そういえばもう一人は? と視線を向けた。

 すると、鎧の男は酷く腫れ上がった顔。無惨な姿で地面に倒れていた。


「……あんた。本当に凄いんだな」


 相手が到底許せない憎き相手とは言え、こうもあっさり。それも、全く抵抗なく蹴り飛ばせるなんて思わなかった。

 戦闘中は、唯々無我夢中だった。

 出来るだけ痛め付けて、こいつらを捕まえてやるという一心。それだけだった。

 少しずつ自分が凶暴になっていってる自覚があった。


「アッシュ。縄と鞘を回収してこい。捕縛する」


「うん、分かった」


 バルザの指示を受け、頷いたアッシュは踵を返して駆けて行く。


「シーナはそいつを見張っておけ。俺は、向こうを見ておく」


「分かった」


 地面に刺さった剣を抜き、踵を返したバルザの背中を見る。

 銀等級冒険者。

 本当に凄い男だ。俺とアッシュ、二人掛かりでやっとの敵を一撃ずつ。それも、武器を使わず拳で無力化してしまった。

 この男の何処が臆病者か。武器商人か。

 やはり、周りからの妬みや羨みの戯言だったのだ。

 人の噂という奴は、やはり。信用出来ないな。


 自分で見たもの、聞いたもの。見たものは、何よりも信じなさい。

 勝手に決められた固定観念や周りの評価なんて信じるな。邪魔なだけ。


 また、母さんの言葉通りだった。



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