第30話 出発と森人。

 翌朝。辺境の街セリーヌ門前。


 日の出前で暗い空の下。

 固く閉ざされた門の前で重たい背嚢を背負った俺は欠伸を噛み殺した。


 少し肌寒い。吹き抜ける風が頬を撫でて、身震いする。


 日の出までは、まだ大分時間がある。

 軽い仮眠しか取っていない気怠い身体を伸ばした後、硬い黒パンに齧り付く。

 

「ふーん、ふふーん」

「ふごっ……くぅー、すぅ……」


 隣ではアッシュが呑気に鼻歌を歌っている。

 壁に寄り掛かり、テリオは居眠りをしていた。


 緊張感の全く無い二人。

 こいつらのせいで唯でさえ少ない睡眠時間を削られた。

 昨夜、一緒に買い物と夕食を済ませた後、本当に部屋に押し掛けて来たのだ。

 一つの寝台に身を寄せ合って寝る。

 そんな事は当然、気持ち悪くて出来る訳がなく、寝台にテリオ。アッシュは持参し た毛布に包まり床。俺も床に座り、壁に背を預けて寝る羽目になった。

 何故自分で金を払って借りている部屋で遠慮しなければならないのか。

 だが、本音を言えば少し嬉しくもあった。

 男友達とお泊まり。

 そんな経験、村ではしたくても出来なかった事だ。

 だから少しだけ、二人には感謝してやっても良い。

 お陰で、不安や焦りが和らいだ。

 これから見る事になるかもしれない最悪の状況等、余計な事を考えずに済んだ。

 悪い夢も見なくて済んだ。


 きっと俺は昨晩。一人で過ごしていれば……。

 皆やミーアの事を沢山考えてしまった事だろう。

 我儘で気が強くて……常時不機嫌面のあの女が泣き叫び、大声で俺の名前を呼び助けを求める。

そんなあり得ない状況をまた、夢に見てしまったかもしれない。


 俺が知るミーアはいつだって、俺を見下し馬鹿にしながら、自信満々の態度で小さな胸を張り腕を組んで、可愛くない不機嫌顔をしているべきだ。


 あんな夢は現実になってはいけない。

 一つ歳下だが、冒険者としては先輩。

 実力、経験、信頼、仲間。全てにおいて俺は、あの女に敵わない。

 正直ずっと気に入らない奴だと思っていた。苦手な女だと思っていた。

 それは今でも変わらない。

 だけど、あいつは俺に沢山のものをくれた。

 いつも一人でいる俺を気遣って声を掛けてくれた。

 数ヶ月も前の約束を守り、一緒に冒険してくれた。

 右も左も分からない世間知らずで何の力もない俺に、最初に仲間になれって言ってくれた。


 死ぬなって、言ってくれた。


 だから、勝手に居なくなるなよ。

 また俺を置いていかないでくれよ。

 一人には、戻りたくないんだよ。


 複雑な心情を硬いパンと一緒に飲み込む。

 駄目だ。柄にもなく弱気になっている。

 これから探しに行くんだ。場所は分かっているらしいんだ。

 あいつは生きている。必ず見つかる筈だ。

 今からこんな調子では、会った瞬間泣いてしまうかもしれない。

 あいつにそんな顔見せたら、また馬鹿にされる。

 再会は笑顔で、「心配させやがって、この馬鹿女が」と偉そうに言ってやると決めている。

 それで、お前に借りていた貸しはこれで返したって言ってやるんだ。


「今回は、違う」


 今度は自分の足で助けに行ける相手だ。

 あいつの時とは、状況も立場も違う。

 もう俺は何の力もない村人じゃない。

 腰に剣を下げ、鎧を纏っている。

 身体は鍛えた。知識も得た。

 戦う力と自分で足を踏み出す自由がある。

 まだまだ足りない事ばかりで弱い駆け出しだけど、村にいた頃とは比べ物にならない程成長している筈だ。


 いつまでもウジウジと悩んでいたら、母さんに叱られる。

 俺は、あの時とは違うんだ。


「あっ、来たよ。テリオ、起きてっ!」


 突然響いたアッシュの声に、大通りへ顔を向ける。

 少し遠くに二つの人影が見えた。

 重そうな鎧の音が、少しずつ鮮明に聞こえるようになっていく。

 この街で一番最高位の銅等級冒険者。

 その足音が、ゆっくりと近づいてくる。


 慌てて硬いパンを口の中に放り込み、水袋を煽って飲み干す。


「こほっ……」


 少し咳き込み、袖で口元を拭った後。力強く頰を叩く。

 思ったより力が入ってしまい、痛かった。

 そうだ。俺はあの時とは、違う。


「どうやら待たせてしまった様だな」


 目の前に来た全身鎧の男、バルザは普段と違う出で立ちだった。


 第一に鎧が変わっている。

 銀色だった鎧は黒く少し軽装になっている印象を受けた。 


 武器は背中に大剣。左腰に長剣。右腰に片手剣を携え、大きなリュックに短弓と矢筒が下げられただけ。

 目に見えて装備が減っている。


 昨晩は完全武装で来いと言っていた筈の彼だが、言った本人が武器を減らている。

 最も、流石にあれで森歩きは辛いだろう。

 今でも充分過ぎる装備なので、苦言は言わない。


「ふあぁ……ねみぃ」


 覇気のない顔で欠伸をしたのは、ドルトンだった。

 細身の体に身に付けているのは、胸鎧だけ鉄で、後は革の簡素な防具に身を包み、草色の外套を羽織った姿。


 武器は両腰の短剣と、背中の短弓。後ろ腰に矢筒を持っている。

 昨晩のギラギラした雰囲気は全く無くなっており、目尻に涙が滲んでいた。

 余程、朝が弱いらしい。

 あまり仲良くなりたい奴では無いとは言え、彼は今回欠かせない人材。心配だ。


「大丈夫か、ドルトン」


「んぁ? あー、大丈夫だぁ……バッチリよ。まぁ一応準備して来たとは言え、俺の仕事はただの案内人だからなぁ。もし戦闘になったら、しっかり頼むぜぇ」


 そう言って彼は適当に手を振った。

 本人が大丈夫だと言ってるなら、大丈夫だろう。

 体調管理は冒険者の常識だ。


「全員揃っている様だな」


 バルザが目を向けた先。寝坊助を起こしていたアッシュが、俺の隣に歩いて来た。


「うん。これで皆揃ったね。じゃあ、行こうか」


「あぁ。衛兵の詰所へこれを持っていけ。ここへ来る前、行方不明者捜索の依頼と門を通る許可を取って来た。勝手口から通すよう交渉して来い」


 羊皮紙を取り出したバルザが、低い声で告げた。

 今まで開門前に外へ出ようと考えた事が無いから、初めて知ったな。

 ギルドに申請すれば良いのか。一つ勉強になった。


「分かった。ありがとう。じゃあ僕、先に行くね」


 羊皮紙を受け取ったアッシュは踵を返し、衛兵の詰所へ駆けて行く。

 それを見送っていると、鎧の音を響かせながらバルザが歩き出した。


「行くぞ」


「あぁ」


 返事をし、その背中を追う。

 外に危険があるのは承知の上だが、迷いは全くなかった。

 やっと探しに行けるという想いと、高揚感に支配されていた。


 待ってろ皆……今行くからな。






 セリーヌの街を出発して、一時間程が経過した。


 情報屋ドルトンの先導で、街の門から伸びている街道を歩いている。

 現在、俺の位置は最後尾から二番目だ。

 隊列を組む際、一番経験が浅い者が居るべき定石なんだそうだ。

 最後尾はバルザ。背中から聞こえて来る鎧の音と威圧感が堪らない。


 暗かった夜空も日が昇り青白くなって、辺りは既に明るくなっていた。

 こうなると夜行性の獣は寝ぐらに戻って行く筈だ。視界も開け、歩き易い。自然と進行速度が上がった。


 不意に右へ進路が変更された。

 街道を外れたドルトンに続き、足場の悪い山林へ入る。

 途端に進行速度が落ち、多少あった雑談がピタリと無くなった。

 森の中では余計な会話をせず、出来るだけ物音を立てないのが常識。 

 黙って付いて行く。

 

 そうして、更に時間が過ぎていき。


ドンッ! ドンッ! ドンッ!


 急に足元から響いて来た音と衝撃。

 途端、全員の足が止まった。

 先頭のドルトンがこちらを振り向き、人差し指を立てて唇へ当てた。

 次いで彼は手を下へ振った。屈め、という仕草だろうと意図を汲む。

 

「っ!」


 後ろから肩を掴まれ、凄い力で屈まされた。

 振り向けば、バルザが進行方向から見て二時の方向を睨み付けていた。

 そちらへ顔を向けると……それは居た。


「っ!」


俺の五倍はある、緑色の巨大な身体。


 全身に紫色の血管が走り、醜い顔に尖った耳。

 大きく出た腹。全身を肩から腰まで木の蔦の様な物を編んで作った様な服で隠しているそいつは、手に木を削って作ったらしい棍棒を握っている。

 生態調査依頼を何度か受け、一人で森に入って居た俺。こいつを見るのは、初めてじゃない。以前も何度か遭遇し、身を隠した経験はあった。

 この辺りで一番厄介な存在と言われている化け物。

 高い知能と暗闇でも良く見える暗視能力。凄まじい腕力を持つ。


 森人だ。

 それが、三匹もいる。


 こいつらは基本夜行性の筈だが、時折昼間でも活動している個体が居る。


 大体そういう場合は一体なので、今回は恐らく巣穴に戻る最中に出くわしてしまったらしい。

 本来森人は集団で活動しているが、中間に出会う奴は人間でいうと夜更かしをしているだけだからだ。

 森人を一度に複数見るのは、初めてだった。

 緊張で動機が高まり、変な汗が噴き出る。


「息を殺していろ。やり過ごす」


 耳元へ囁いて来たバルザに、二度頷くことで了承を伝える。


 唯でさえ交戦したことの無い化物だ。

 前に討伐した大猿なんかとは比べ物にならない位、強いと聞く。

 それが、目に見えているだけで三匹。近くにまだ居るかもしれない。

 そう考えると、余計に動悸が強まり吐き気を催した。


 必至に息を潜めていると、そのうちの一体がこちらを見た。

 慌てて下を向く。目が合ったら終わりだ。交戦は避けられない。

 今はあんなのと戦ってる暇は無い。交戦したら間違いなく消耗する。

 最悪、死ぬ。殺される。

 運良く生き残っても、誰か失うかもしれない。

 そうなれば捜索を続けている余裕も無くなる。

 

 不意に二回背中を叩かれハッとする。

 慌てて顔を上げ振り返る。必然的にバルザと目が合った。

 彼はゆっくりと腕を上げ自分を指差した後、右を指差した。

 指の先を確認し意図が分からず首を傾げる。

 すると、目を細め呆れた様な顔をされた。


 バルザは俺の耳元へ口を寄せて来た。


「奴らの背が見えなくなったら、俺を先頭に変更。迂回する。前の奴に伝えろ」


 成る程。今のはそういう意味か。


 理解した俺は二回頷いて、了承を伝える。

 直ぐに前のテリオの腰を叩く。

 振り向いたのを確認して、バルザの真似をして自分を指差し、右を指差すとテリオは頷いた。

 直ぐに前へ向き直り、アッシュの背中を叩いて振り返らせ、同じ様に伝えている。

 それにアッシュも頷き、ドルトンの肩を叩いた。

 皆、今ので理解したのか。

 分からなかったの俺だけ? 素人丸出しじゃん。恥ずかしいんだけど。

 今度こういう動作について質問して、メモを取ろう……。

 また差を見せつけられた気がした。


 最後にドルトンがアッシュの膝を叩き、それが前から順にやって来る。

 テリオに太腿を叩かれたので、習ってバルザを叩こうとすると手を掴まれた。

 慌てて振り返る。

 すると仏頂面のバルザと目が合い、俺は完全に怖気付いてしまった。

 眉を寄せ、凄まじく怖い顔だ。

 その表情のまま、彼は再度。俺の耳元へ口を寄せて来た。


「こういう時は、鎧の無いところを触れ。音が響くだろう」


 成る程。それは道理だな。

 って、あんた全身鎧じゃん。どこ叩けってんだよ。

 なんか理不尽に怒られた気がするぞ。

 釈然としない気持ちのまま、二回頷いて了承を告げる。


「……」


 前へ向き直り森人を観察しながら暫く待っていると、不意に腰を叩かれた。

 振り向くと、バルザが立ち上がり踵を返している。

 慌ててテリオの腰に触れて立ち上がり、後に続いた。




 隊列を逆にし、行進を再開してすぐ。



 バキバキバキッ!

 ドンドンドンドンッ!!


 突然、木々を薙ぎ倒す様な音が耳朶を叩いた。

 地響きに体勢を崩した俺は、音の方向へ目を向ける。


 凄まじい勢いで近づいて来る音。凄まじい威圧感を感じる。

 視界に映っていた大木の一本が薙ぎ倒され、一体の森人が此方へ向かって来るのが見えた。


 まだ遠いが、あの速度ならすぐに此方へやって来るだろう。

 遠目にも目が血走り、大きな口から涎を垂らしているのが視認出来た。

 どうやら俺達は、捕捉されてしまったらしい。


 ……って。冷静に判断してる場合じゃない!


 やばい、やばいやばいやばい!

 絶対やばい!


「ちっ、見つかったか。しかし一体か。後続は……無し。随分と気性の荒い個体の様だな」


「あらら。あちゃー、たまに居るんすよね。あぁいう面倒なの」


 何でもない様な口調で、両隣から声が聞こえる。

 いや、落ち着いてる場合か!


「ふん、まあ良い。総員戦闘準備だ。手早く仕留める」


 淡々と告げながら、バルザは脇に抱えていた兜を被り背嚢を脱ぎ捨てた。

 次いで、背中の大剣を片手で軽々引き抜き肩を回し始める。


 皆、荷物を降ろしたようだ。お、俺も下ろさないと。早く、急いで……!


 震える手で雑嚢を脱ぎ捨て、剣の柄を握る。

 やばい、手が震える。


「オアオォォォォォオ!!!」


 な、なんて? おはよー?

 こ、こわっ。無理! ホント無理!

 咆哮を聞いて、膝まで震えて来た。

 今の威嚇で、完全に戦意を持っていかれてしまった。


 耳がおかしくなったみたいだ、

 や、やばい。やばいやばい、やばい。

 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬっ。


「総員、そのまま聞け。死にたくなれけば確実に初撃を回避しろ。相当勢いが付いている。あれは掠っただけでも大事だ。ただでは済まん」


 ちょっと、バルザ!

 そうやって脅すのやめてくれる!?

 いや分かるけど! あれはやばいけど!


「ひゃっはぁ! 了解だぁ!」


 全員が動き出す気配、足音が聞こえる。


 俺も早く、早く奴の進行上から離れないと……。

 慌てて足を動かそうとして、気付く。

 足が、動かない。

 恐怖で足が硬直して、力が入らないんだ。


 え、あ。嘘だろ?

 このままじゃ、死ぬ。

 て言うか、死んだ。絶対死んだ。


「なっ! おい、お前っ! 何をしているっ!」


「ちょっと!? シーナッ!」


 野太い声と、高い声がどこか遠く。そして何故か、鮮明に聞こえる。


 胸を打つ早鐘の音が、全身に行き渡る。

 このままじゃ死ぬぞ、と危険信号が発されているらしい。

 そんな事、分かってる。

 俺が一番、分かってるんだ。


『シーナッ!』


 あぁ、何でこんな時にお前の声が聞こえるんだ。


 分かってるって、ミーア。

 お前を見つけ出すまで、死ぬわけにはいかない。


 そんな事、俺が一番。



「っ! はあぁあああっ!」


 分かってんだよっ!

 恐怖の衝動を叩き伏せ、無理やり戦意を取り戻す。

 やらなきゃやられるのが冒険者の基本だ。なら、やってやるさ。

 握っていた剣の柄に力を込め、引き抜く。

 鞘走りの音がして、右手に慣れた重みが加わる。


 震える足を向けたのは、左右ではなく、前。

 走って来る化け物に向かって、一直線に向かう。

 全力で駆ける。


「なにしてるっ! 戻れっ!」

「シーナ!」

「あははははっ! あいつ、気でも狂ったのかっ!」


 皆の声が、遠くに聞こえる。

 俺の名を呼ぶ声が、下がれと叱咤する声が……。


上昇加速ブースト・アクセル


 そして何故か、ミーアの声が鮮明に聞こえた。


加速アクセラレーション


「ああぁあああっ!!」


 今の声で、俺は思い至った。

 そうだ。俺が進むべき道は他に無い。

 あいつが居る、前にしか無いんだ。

 ふざけんなよ、あの馬鹿女が。

 お前が居なくなって、何で俺がこんな目に合わなきゃいけないんだ。

 折角探しに来てやってるのに、いきなりこんな化け物と鉢合わせやがって。

 夢にまで出て来て、こうして声まで聞かせて、一々悶々とさせやがって。


 前々から気に入らないと思ってたんだこの馬鹿が。

 お前の不機嫌顔、この化け物と同じ位不細工なんだよ。

 たまには笑えよ。

 笑ったらそれなりに可愛いだろうに、いつもいつも人を見下した様な目で見やがって。

 いい加減見慣れて来て、最近は不機嫌面も愛嬌があるとか思わせやがって!

 いい加減うんざりなんだよっ!

 ぶった斬ってやる。


 キィィィ。


 あぁ、煩い。

 何だこの音は。

 邪魔すんなよっ!


 遅い。

 この化け物。森人の足は、遅い。

 向かって来始めて、もう随分経つのに……まだあんな所に居る。

 目測で、あと十メートルって所か。

 近付けば近付く程分かる。醜い面だ。

 よく似てるよ本当に。あの馬鹿女に。


 あぁ、遅い。

 俺の足、こんなに遅かったっけ?

 遅い、遅すぎる。

 まるで止まってるかのように、遅い。遅い……。


 ……もっと、速く。


『ブースト』


 速く、速く、速く、速く。


『ブースト、ブースト、ブースト、ブースト』


 速く、この化け物を斬らせろよ。

 何だか知らないけど、急に遅くしないでくれ。

 邪魔を、しないでくれ。


「くそったれがぁぁぁああ!!」


 速く、だ。


『ブースト・アクセル。アクセラレーションッ!』


 念じ続けた結果。ミーアの叫び声がして、途端に身体が軽くなった。


 足を必死に蹴り、一気に駆けて化け物との距離を詰める。

 やはりこいつ、遅い。遅過ぎる。

 まるで、止まってるみたいだ。

 こんな奴に怖気付いていたのか、俺は。


 目の前まで接敵し、力一杯地面を蹴る。

 目の前の化け物。その脇腹を睨み付ける。

 やる動きは決めている。


 脇腹へ剣を叩き込み、この図体だけ大きくて醜い、化け物の右側へ抜けて回避する。


 片手剣じゃ、どう足掻いても一撃で屠ることは出来ない。

 だがそれで良い。

 俺は、軽量剣士の役割。パーティーの初撃を確実に叩き込めば良い。


 確かな手応えが、右手に伝わった。


「ミーアァアアアアアアアアアア!!!!」」


 全力で剣を振り切った瞬間、不快な耳鳴りが消えた。

 ふっと脱力感に襲われ、右足が接地した瞬間。

 力が入らず膝が折れ、着地を失敗して地面を転がる。


「グッ、ガァァアアアア!!!!」


 脇腹を斬った為か、走っていた森人は地面に転がった。


 途端、凄まじい地響きに襲われた。

 次いで、悲痛な咆哮が大気を震わせる。

 肌にビリビリと感じる威圧感。

 鼓膜を執拗に叩く爆音を聞きながら、俺は可能な限り距離を取るべく地面を転がり続ける。

 立ち上がりたいのは山々だが、全身の脱力感が半端じゃない。


 起き上がるのは不可能だった。


「な、何だい今のはっ!!」


「ひゃひゃっ!!  はっえぇ!! あんなに速く動く人間は見た事ねぇ! 何だあいつ、びっくり人間かぁ!?」


「……シーナ。あいつ、まさか」


「……驚くのは後にしろ」


遠くから、皆の声が聞こえてくる。


「折角奴が作った好機だ。一気に畳み掛ける」


「っ! 魔法を使うっす! その後、斬り込んでトドメを刺すっすよ!」


 どうやらテリオの詠唱が始まった様だ。

 身体の脱力感は薄くなって来たが、心臓の鼓動が尋常じゃない。

 吐きそうなくらい気持ち悪い。魔法が来るならもう少し転がって距離を取り、少し 休憩させて貰おう。


「しくじって奴に当てるなよ」

「言われなくても分かってるっすよっ! 穿てっ!」


 すぐに爆発音がして、熱風が全身を撫で肌を焼いた。

 テリオの魔法、炎の弾丸が直撃したらしい。

 森人の悲痛な叫び声が、更に強まる。


「あちっ! あちちっ! あちちっ!」


 悲鳴を上げながら、更に転がる。

 あ、あの野郎。少しは配慮してくれませんかね!?


 熱風は仕方なくても、火の粉が。火の粉が掛かってるんですけどっ!?

 また頑張って転がり、熱さを感じなくなった場所で止まる。


 さ、さて。申し訳ないけど、後は皆に任せよう。

 流石に今ので終わったなんて楽観はしていない。

 うつ伏せに寝転がり、森人の方を見る。


「はぁ、はぁ……はぁ」


 荒い息を繰り返しながら、霞んだ視界の向こうで、バルザが大剣を翻し走り出したのが見えた。


 全身を黒い鎧で包み、頭に兜を被った大男。

 セリーヌ最高位の冒険者の技を、遂に見る機会を得たようだ。


 バルザは一切迷いの無い瞳で、とても全身金属鎧を身に付けているとは思えない速度で一直線に駆けた。



「はぁ……」


  地面を転がる森人の手前に、強く足が踏み出された。

  余りに力強い足音が、ここまで聞こえてくる。

 高く振り上げられた大剣が、木々の隙間から漏れた僅かな日の光を浴びて鈍く光った。


 そして、当然。その姿は、


「ふぅん!!」


 俺の目に、鮮烈に映った。

 素直に格好良いと思った。

 理想とすべき戦士の姿が、冒険者の姿がそこにあったのだ。


 小細工無しの大振りが、森人の醜い面を一撃で叩き割った。

 鈍く、高らかに響いた音。吹き出した血飛沫がバルザを濡らす。

 なんて馬鹿力だ。本当に人間かよ、あの人。

 断末魔すら上げる事を許されなかった森人は、一瞬の痙攣の後。力無く倒れ込む。

 途端に周囲は元の静けさを取り戻した。


「は、ははっ……何が武器商人だよ」


 無様に倒れたまま、思わず乾いた声と笑みが漏れる。

 格が違いすぎる。一撃でそれを理解させられた。

 大剣使いと言えば、ローザも凄いと思っていたが、この人は本当に別格だ。


「この人は、凄え冒険者じゃないか」


 これが銀等級冒険者の力か。

 俺なんて、恐怖に震えて勝手に暴走して、擦り傷一つ負わせただけでこのザマだ。

 たったそれだけで、満身創痍。立ち上がる事すら出来ない情けない状況だ。

 テリオの魔法も相変わらず凄かった。立つ瀬ないよ、全く。


 あぁ。

 このまま土に還りたい。


 でも同じ軽剣士のアッシュよりは働いた筈だよな。

 ていうかあいつ何もしてなくね?

 ……俺もしかして頑張ったのでは?


「うぉぉ……」


 顔を手で押さえて、足をバタバタさせる。

 やばい、超恥ずかしい。

 女の名前叫びながら戦う痛い人になってしまった。

 どうしよう。


 …………。


 よし、忘れよう。

 別に俺、あいつの事好きとかそんなんじゃないし。

 ただムカついただけだし?

 一応、後で皆にもそれとなく口封じをして、無かった事に……。


「ねぇ、何してるの?」


「っ!」


 急に声を掛けられて驚いてしまい、ビクッと体が跳ねた。

 恐る恐るゆっくりと手を退かすと、呆れ顔のアッシュが膝に手を当て中腰になり、俺を見下ろしている。

 二回呼吸をして、言葉を選んで震える唇を開く。


「いや……別に。お、おつかれ」


「うん。お疲れ様。大活躍だったね。とりあえず、ほら。他が来る前に離脱しよ?」


 柔らかな笑みを浮かべて、アッシュが手を差し出して来る。

 大活躍? 何を言ってるんだ、こいつは。

 命令違反に勝手な暴走。得られた結果は軽い傷一つ。

 幸い突進を止める事に成功し、結果的にある程度の無力化をする事が出来たとは言え、一歩間違えれば大惨事だった。

 死んでいてもおかしくなかった。


 ……あれ、よく考えたら俺、大活躍なのでは?


 結果的に全員無傷で生きてるし、戦闘が一瞬で終わった。

 消耗は激しいけど、これからの捜索に支障が出る程ではない。

 

 つまり今回は充分活躍出来たのでは?


「あぁ。まぁ、この位はな」


 差し出された手を取ると、グイッと引かれた。

 抵抗せず起き上がらせて貰う。

 瞬間、ジッと真剣な表情になったアッシュの目が、俺を射抜いた。


「何だ?」


「……いや。何でも無いよ。ただ、ローザ達が一目置くだけあるなって」


「は?」


 言ってる意味が分からなくて、尋ね返す。

 ローザが俺を一目置いている? そんな筈がない。

 確かに良く褒めてくれるが、それが本心ではないと俺は気付いていた。

 まだ短い付き合いだが、注意して接すればよく分かる。

 あの男は身内に厳しく、他には必要以上に甘い傾向があるのだ。

 本当の仲間にしか、本音で向き合わない。向き合ってくれない。

 俺は何処か一歩置かれた印象を受けていた。


 ふと、アッシュが普段通りの笑みを浮かべた。


「いや、こっちの話だ。気にしないで。でも驚いたよ。君も固有スキル持ちだったんだね」


「えっ」


 急な質問に驚く。

 何で俺が祝福持ちだって知ってるんだろう。

 まだ見せた事も、言った事もない筈だ。

 というか、上手く発動させた事すらない。

 なのに、何故。


「えって……何でそこで君が驚くのさ。まさか……シーナ。君、無意識にあれをやったの?」


「あれって、何だ?」


 俺は何か、特別な事をしただろうか。

 全く身に覚えがない。


「うわ、無意識なんだ。じゃああれは固有スキルじゃなくて、純粋な身体能力? いや、それじゃあの人間離れした速度は説明がつかないし……」


 何だ、どうしたんだ。

 急にブツブツ言いながら考え込み始めたぞ。


「何の話だ?」


「あっ、いや。良いんだ。分からないなら、それで。他人の詮索はマナー違反だからね」


「凄く気になるんだが」


 何で俺の固有スキルについて知っているのか。

 使い方が分かるなら教えて欲しい。

 折角だし、今聞いてやろうかな。


「今は余計な事を考えず、普段通りに戦ってくれた方が良いって事だよ。また奇襲を受けるかもしれないからね」


 言われてみればそうだ。

 尋ねるのは全部終わって、皆を連れ戻してからにしよう。

 その後ゆっくり話を聞かせて貰って、練習しないとな。


「後で皆にも言っとかなきゃな……」


 疲れた顔でアッシュは溜息を吐いた。

 お前、今の戦闘何もしてないだろ。

 何で俺より疲れた顔をしてるんだ。


「何をしている。早くしろ」


「早くしないと置いて行くっすよー!」


「ひゃひゃ、今のはただの暴走したはぐれみたいだが、次が来たら厄介だぁ! 早くトンズラするぞぉ?」


 少し遠くから、俺達を呼ぶ声がする。


 確かにその通りだ。今はのんびりしている場合じゃない。

 森人は頭が良く、仲間意識が強い。

 集団で敵討ちに来て全滅した、という事例を聞いた事もある。

 あんなのに群れで襲われれば、一瞬で全滅だ。


「わかった。直ぐに行く。アッシュ、荷物を回収して早くここを離れるぞ」


「はいはい。分かってますよ」


 肩を竦めたアッシュと共に、足を踏み出す。

 全身が激しく痛むが、脱力感は薄くなっていた。問題なく捜索出来そうだ。

 また戦闘になっても戦える。

 だが叶うなら、ここから先。皆の所まで、何も起こらないでくれよと祈らずにはいられなかった。







 「……ミーアー」


 「っ!?」


 隣でボソッと呟かれた言葉に慌てて顔を向けると、アッシュはクスクスと気に触る声を上げ、意地悪な笑みを浮かべていた。


「ふふっ、早く見つかると良いね」


 笑みを深め、茶化すような口調でアッシュは言った。

 かぁ、と顔が熱くなる。


「……頼む、あいつには黙っててくれ」


「ははっ、どうしよっかなー」


「……アッシュ。今回の件、終わったら話がある。だが一応。これだけはこの場で言っておこう。可能なら俺は、友人を手に掛けたくない」


「ちょっ……! 何それ? 脅し?」


「どうとでも解釈して貰って構わない」


 慌てるアッシュを見て、状況が落ち着いたら必ず一度。お話をしておこうと思った。

 勿論、先行したテリオにもだ。


「そんな心配しなくても、ミーアは喜ぶと思うんだけどな」


 隣でぼそっと呟かれた言葉は、良く聞き取れなかった。

 後でまた尋ねよう。

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