第27話 一流の冒険者。



 ふと気付いた時。

 俺は、真っ暗な闇の中に居た。


『たす……け、て』


 不意に聞こえて来たのは、女の声だ。


『助け……てっ』


 声は、助けを求めているようだった。

 良く知る声だ。

 すっかり聞き慣れた女の子の声だ。


『お願い、誰か。誰か助けて。お願い、助けてよっ! 


 誰でも良い。誰でも良いからぁ! 助けてよぉ!

このままじゃ、死んじゃう。

ローザが殺されちゃうっ!

助けてよ……。

嫌……いやぁ!

やめてぇ! 触らないでぇ!

ティーラに……ティーラに。

これ以上酷い事、しないでぇ……!』


 そして、聞いた事のない声だった。

 あり得ない叫びだった。

 酷く悲痛で、弱々しい声音だった。


『いや……いやぁ! シーナ……しぃなぁ……!』


 声が、名前を呼ぶ。

 俺の名前を呼んでいる。


 ……誰だ。

 お前は誰だ。


『たすけてぇ……たすけてよぉっ!』


 俺の知るその声の主は、そんな声で泣かない。


『私を……私達を見つけてよぉ!!』


 ……やめてくれ。

 その声で、叫ぶんじゃない。

 泣くんじゃない。


『助けてよぉ! しぃーなぁぁああああああ!!!』


 ……そんな声で。

 俺の名前を、呼ぶんじゃない。









「……っ」


 意識が浮上した時、最初に感じたのは寒さだった。

 気付けば俺は椅子に座ったまま上半身を起こしていた。

 自分がいる場所がすぐに冒険者ギルドだと気付く。

 妙に薄暗い。夜になっているらしい。

 不快感を感じ、袖で顔を拭う。

 酷く汗を掻いていた。

 身に付けているシャツは、水を掛けられた様に濡れている。

 肌に張り付く感触が気持ち悪い。


「はぁ。はぁ……」


 荒い息を吐き出す。

 辺りを見渡し、状況を確認する。

 大勢の視線を集めてしまっていた。

 急に起き上がったせいだろう。

 一瞬襲って来た羞恥心はすぐに消えた。


「大丈夫かい? シーナ」


 声を掛けられ、目の前を見る。

 目を丸くしたアッシュと目が合った。

 どうやら驚かせてしまったらしい。


「……あぁ。大丈夫だ。少々、嫌な夢を見てな」


 右手で顔を覆い、俯く。

 本当に嫌な夢だった。

 それだけは分かる。


『助けてっ!』


 本当に、何だったんだ。今のは。

 真っ暗な暗闇の中で、何も見えなかった。

 ただ、声だけ。悲痛な叫び声だけが響いていた。


 助けを求める声は、俺を呼んでいた。

 それをはっきり覚えている。

 耳にこびりついて離れてくれない。

 だが、現実にはありえない夢だ。

 この声の主が、あんなに必死に叫ぶなんて。

 俺に助けを求めるなんて、あり得ない。

 あり得る筈がない。


「ははっ」


 思わず笑みが漏れた。

 こんな夢を見るなんて、我ながら馬鹿馬鹿しい。

 しかも。このタイミングで。

 他の誰でもない。あれは、確かにミーアの声だった。


 どうやら俺は、自分で思っている以上にあの我儘女を気に入っているらしい。

 本当に馬鹿じゃないのか、俺は。

 あれだけ馬鹿にされて、日頃冷たい態度を取られて、格下だと見下されて。

 機嫌が悪くなるとすぐ表情と態度に出す。

 凄まじく面倒な歳下の女。

 そんな馬鹿で生意気な女を、俺は。


 心底、早く見つけたいと思っているらしい。


 だから、こんな夢を見てしまったんだ。

 分かってるさ。絶対に見つけ出す。

 その為に俺は今、ここに居るんだ。


「いや、本当に大丈夫っすか?  シーナ」


 聞き慣れた声に右を向くと、訝しげな顔をした青髪の青年と目が合った。

 ローザの仲間の一人。魔法士のテリオだ。

 あれ、いつの間に来たんだろう。

 風邪で寝込んでいた筈だ。


「……あぁ、大丈夫だ。そっちこそ体調は良いのか?」


「とてもそうは見えないっすけど……まぁ良いっす。俺なら元気っすよ。この通りすっかり快復したっすから」


「そうか、良かった。悪いな、風邪。気付いてやれなくて」


「いやいや、なんで謝るんすか。シーナは何も悪くないっすよ。自己管理が出来てなかった俺の落ち度っすから」


 テリオは苦笑しながら肩を竦めた。

 それを一瞥し、アッシュへ向き直る。


「すまない、寝過ぎてしまった」


「ははっ。本当に良く寝てたね。でも、ずっとうなされてるみたいだったから心配したよ」


「それなら、起こしてくれても良かったんだが」


「正直何度か悩んだよ。起こせば良かったね」


 申し訳なさそうに、にアッシュは言った。


「それにしても、まさか俺が寝てる間にこんな事になってるなんて、思っても居なかったっす。急に見舞いに来なくなったから、薄情な奴らだなぁって拗ねてたっすから」


 顔を顰め、テリオが言った。

 俺はこんな時でもいつも通りの彼に微笑んで見せる。


「お陰で探す人間が一人減って手間が省けた」


「うわ、その言い方ちょっと酷くないっすか? まぁ確かに、風邪のお陰で俺はこうして無事な訳っすけど……」


 行かなかったお陰で、無事か。

 言われてみればそうだ。

 俺もあの日。ティーラの誘いを受けていたら、今頃どうなって居たか……。


 そう考えた瞬間。胸にチクリと刺すような痛みを覚えた。

 ……これ以上はやめておこう。

 テリオが肩を竦める。


「まぁ良いっす。とりあえずこの通り元気になったすから。俺も当然、捜索に加わるっすよ。アッシュのお陰で餓死も免れたっすし」


「あははっ。貸し、一つだからね?」


「うわぁ、アッシュ。流石にそれはドン引きっすよ。病人は労わるべきっす」


「体調管理も冒険者の仕事だ。お前が悪い。貸しはいずれ返せ」


「シーナは相変わらず辛辣っすね……ちょっとやめてくださいっすよ。唯でさえ俺。今、肩身が狭い思いしてるんすから。少し耳を澄ませたら、ほら。聞こえてくる陰口」


 顔を顰め、そう言ったテリオは左右に目を向けた。

 何の事だ。

 気になった俺は耳を澄ませる。


「うわ、あいつ空気読めなさすぎ。早く退けって感じ」

「折角シーナくん起きて、これからだって時にね〜。あー、二人とも宿に持って帰りたぁい」

「何の為にこんな不味い酒頼んだと思ってんの? 良い肴があるからだってのよ」

「さっきアッシュくんが寝てるシーナくんの髪触ってるの、なんて言うかこう……良かった。キュンキュンした」


 …………うん。


 これ以上聞くのはやめておこう。

 と、言うか。妙な視線を感じると思ったら、あの人達か。

 何度か仲間に誘ってくれた女性ばかりのパーティーだ。

 少し離れた席に座っている彼女達は、こちらを遠慮なく見ながら酒を飲んでいる。

 あまり気持ちの良いものじゃないな。見世物じゃないぞ。

 仕方ない。生贄を差し出すか。


「おいアッシュ、出番だぞ。お前の巧みな会話術で何とかしてこいよ」


「え? 嫌だよ。何で僕がやらなきゃいけないんだ」


「は? そんなの適任だからに決まってるだろ」


 何を今更。分かりきった事を。


「え、ええと」


アッシュが困った顔をして女性達を見た。


「きゃー、こっち見た!」

「アッシュくん、こっち。こっちおいで、おいで〜」

「シーナくんもおいでぇ! お姉さん達が奢ってあげるからぁ♪」

「あ、お前もついでに来な。給仕させてやっから」


 途端、余計に騒ぎ出す女性冒険者達。

 煩いなぁ。静かにしてくれ。

 あ、この人達あれに似てる。

 何だっけ……ここまで、ここまで出掛かってるんだけど。

 あ、そうそう。猿だ。

 野生の猿に凄い似てる!

 うきゃーって、騒ぎ声が特に。


「あの人達は僕、苦手なんだ。勘弁してくれよ。どうしてもって言うなら、シーナが何とかすればいいじゃないか。御指名みたいだし」


「無理に決まってるだろ」


「即答かぁ」


 当たり前だ。

 俺は大人の女性が苦手なんだから。

 特にあの人達は、どう考えても面倒臭い。

 普段、何を考えて生きてるか分からない。

 未知の存在程、恐いものはない。

 俺からしてみれば、新種モンスターと一緒だ。


 それにしても意外だ。

 アッシュは少し自意識過剰気味な気があるし、昼間は女性の扱いに慣れている様子を見せていたのに。

 流石にああいう女は無理らしい。


「ははっ。流石のアッシュもあの人達は無理っすよ。以前一度。危うくお持ち帰りされそうになってたっすから。あれ? 持ち帰られたんっすけ?」


「うっ……その話はやめてくれよ」


 楽しそうに笑うテリオに、アッシュは嫌悪感漂う顔を向けた。

 成る程。前例があるのか、可哀想に。

 是非、持ち帰られたのか未遂で済んだのか。

 そうじゃなければ、どんな目にあったのか……非常に気になる所だ。


 聞いて良いかな?

 流石に可哀想か。やめてやろう。


「……ちょっとシーナ。そんな顔で僕を見るのはやめてくれないか?」


「ははっ、本当だ。シーナもそんな顔出来るんすね」


 おっと、顔に出ていたか。


「いや、何だ。その、大変だったな」


「ねぇ、一応言っておくけど、未遂で済んだからね?」


「そうか」


 ジト目を向けてくるアッシュ。

 何だ、未遂で済んだのか。つまんな。

 いや、良かった良かった。うん。


 しかし、アッシュが無理ならあの人達の対処は諦める他ないか。

 少し居心地は悪いが、このまま無視しておいた方が良さそうだ。


 ……それにしても。

 まさかとは思うが、母さんも昔はあんな感じだったのかな。


『あははっ。あの人かわいー。お持ち帰りしちゃお♪』


 つい母さんがそう言って笑う姿を思い浮かべてしまう。

 うわ……。やだなぁ。

 一瞬で後悔した。


「皆、お待たせ〜」


 嫌悪感に苛まれていると、受付嬢のお姉さんがやって来た。


「やぁサリアナ。来たのかい?」


 気楽にアッシュが名前を呼ぶ。

 そう言えば、名前が判明したんだ。

 サリアナ。次から俺もそう呼ぼう。


「うん。話を通しておいたよ。二階に待って貰ってるから会っておいで」

「分かったよ。ありがとう」


 礼を言うアッシュを横目に早速立ち上がり、卓に立て掛けていた剣を左手で掴む。


「お礼はいらないよ。依頼だからね」


「いや、本当に助かった。世話になったのだから礼くらいはさせてくれ。ありがとう」


 俺も礼を言うと、サリアナは笑みを深めた。


「ふふっ。じゃあいずれ、二人にはご飯でも奢って貰おうかな」


「うん、分かった。それくらいなら喜んで」


「了解した。今回の件が片付いたら必ず招待しよう」


「うん、楽しみにしてるね。あっ、そうだ。アッシュくん。君の名前で請求書が来てたよ。それも四軒も。部屋借り過ぎじゃない?」


 あぁ、もう来たか。仕事が早いな。

 ん? 待てよ。アッシュの名前で請求書が来た?

 確かに請求書を回すよう手配はしたが……。


「うん、分かった。僕の金庫から引き出して、処理しておいてくれるかな?」


「わかったよ。領収書はいる?」


「お願いするよ。あぁ、良ければ持っておいてくれると助かるな。あとで取りに行くから」


「わかった。じゃあ、また後でね」


 自然な会話をし、アッシュは踵を返した。

 さてはこいつ。あの四軒の宿の名義、自分に変更したな。

 いつの間に……。


 間違いなくあの耳打ちした時なのは分かる。

 恐らく何か条件も提示したんだろうが、聞くのが怖い。

 まぁ別に知らなくて良い事か。


 今はそんなことより、これから会う相手だ。

 どんな人だろう。

 明日一日ですぐ見つけてくれ。なんて高望みはしない。

 だが、優秀だと良いな。

 あと出来れば、男だと良い。異性は対応に困るからな。


 色々な想いを馳せながら、既に歩き出している二人の背を追い掛けた。




 集会所の奥にある階段を登る途中、二階が見えてくると、その人物は居た。


 姿を見て驚く。俺がよく知る冒険者だったからだ。

 相手もこちらに気付いて居る様子で迫力のある顔を向けていた。

 全身を銀色の鎧で覆った大男。

 大剣を机に立て掛け、両腰に片手剣。足元に置かれた背嚢には、長剣と短弓が左右に縛り付けられていた。

 卓上には鈍く輝く兜が置かれている。

 腕を組み椅子に堂々と座って居るその人物は、この街。セリーヌ冒険者ギルドに所属する最高等級冒険者。


「……まさか貴方とは。想像もしてなかったよ」


 男の目の前に立ったアッシュは、相変わらずの気軽さで言った。

 こいつは本当に物怖じしないな。

 しかし俺もアッシュと同じ感想を抱いている。

 何故なら、この男は、


 銀等級冒険者バルザ。

 通称、武器商人と呼ばれている男。


 俺が初めてギルドに来た日。

 お前に冒険者は向いていない、と忠告をして来た人物だったからだ。


 まさかこの男が出てくるなんて、全く予想していなかった。


「……依頼主はお前達か」


 左にアッシュ。右にテリオ。

 俺は自然と真ん中に立つ事になった。

 思わず両隣を盗み見る。

 アッシュは普段通りの笑顔だ。流石だな。

 あっ。テリオが凄い胡散臭いものを見る顔している。

 お前、失礼だぞ……でもまぁ、仕方ないのか?

 変わり者で有名らしいからな、バルザは。

 一緒に仕事をした事が無いから、俺もまだ。この男を信用しかねている。

 だけど態々、サリアナが紹介してくれた人物だ。

 きっと何かがある筈だ。

 相手は銀等級。ギルドが認めた序列第二位。一流の冒険者だ。

 正直、勇者一行に与えられているという金等級より信頼出来る。

 戦闘能力だけ見ればあいつらは女神から力を与えられている化け物だと無条件で信頼出来るが、少なくともそのうちの一人。剣聖は、まだ戦い始めて一年半程の若輩。

 対してこの男は、長い年月を掛け経験を積み、ギルドの信頼を得て成り上がった。

 何よりここまで生きてきた冒険者だ。


 どちらが今の俺達に有用かなんて、比べるまでもない。


「……ふん」


 横一列に並んだ俺たちを見渡して、バルザは鼻を鳴らし手元を見下ろした。


 それは、一枚の羊皮紙。どうやらアッシュが出した依頼書のようだ。

 俺は一歩、前へ出た。


「あぁそうだ。そういう貴方は、銀等級のバルザだな? シーナだ。よろ」


「依頼内容は聞いている。ここにある、行方不明になった者達の名前と顔も記憶している」


 俺の挨拶を遮り、バルザはこちらに鋭い眼光を向けて羊皮紙を指で二回叩いた。

 普通に無視された。酷い。

 俺の自己紹介なんて必要ないって事か。

 まぁ同じギルドだしね。仕方ないね。


「ぷっ。くくっ……」


 おいテリオ。笑うな。

 恥ずかしい状態なのは俺が一番良く分かってるから。

 そんなこちらの様子に構う事なく、バルザは目を細めた。

 一緒で背筋が冷たくなり、思わず唾を飲み込む。

 これが本物……銀等級冒険者の威圧感か。凄まじい。


「その上で聞く。本当に探したいか?」


「は? 何言ってんすか。だから依頼を出してるんすよ?」


 馬鹿にした様な調子で、テリオが口を出した。

 おい、馬鹿はお前だテリオ。余計な挑発をしないでくれ。

 この人は現状。俺たちの唯一の希望なんだ。

 機嫌を損ねる様な事をしないでくれ。


「少し黙ってろ」

「いぎっ!?」


 隣に立つテリオの足を踏みながら、バルザの質問について考える。

 恐らくこの質問は、


 どんな悲惨な結果を見る事になっても、探したいか?


 そういう意味だろうな。

 既にバルザは、こちらの大体の状況を理解しているのだろう。

 皆が行方不明になって三日。

 行き先は不明。

 普段遠出をしない若手パーティーの装備。

 全て考慮した上で、捜索は絶望的。見つかっても生きている保証はない。

 全滅している可能性が非常に高い。そう言われているんだ。

 そんな事は言われなくても理解している。

 だけど俺は、例え手遅れになっているんだとしてもあいつ等を見つけたい。

 どんな悲惨な結果になっているとしても……このまま諦めるなんて出来ないんだ。

 あいつらは確かに、俺のパーティーメンバーじゃない。

 本来。必死になって探す義理なんてない。

 冒険者の命が自己責任なのも分かってる。

 依頼中に行方不明になった冒険者の捜索なんて、時間の無駄だって思われるのは仕方ない。


 分かってるさ。ただの我儘だ。

 だけど、探すって決めたんだ。

 連れて帰るって、決めたんだ。


「っ」


 唇を噛んでテーブルに手を置き、バルザへ向かって身を乗り出す。

 至近距離で見るバルザの顔は、凄まじい威圧感を伝えて来た。

 

 だけど、こちら意思を伝える為だ。

 今ここで逃げる訳にはいかない。


「ちょ、シーナ!?」

「なにしてんすかっ!?」


 煩い、黙っていろ。

 俺も一杯一杯なんだ!

 精一杯の目力で睨み返す。


「どうしても見つけたい。どんな結果を見る事になっても……絶対にだ」


 精一杯、力強く宣言する。

 その結果、訪れたのは沈黙だった。

 目を背けてしまいそうになるのを必死に抑え、胸元から湧き上がってくる気持ち悪さを必死に抑える。

 頼む、断るな。断らないでくれ。

 歯を食い縛り、必死に祈った。


 暫くの沈黙の後。


「……そうか。分かった」


 軽く息を吐いたバルザは言った。

 ……随分あっさり、だな。

 正直、拍子抜けした。

 とりあえず第一関門は突破か?

 依頼を受けてくれる様子だ。


「いつまでそうしている? 近い。離れろ」


「あ、あぁ……すまない」


 慌てて離れる。

 するとバルザは再度、手元の依頼書に目を向けた。


「そうと決まれば時間が惜しい。幾つか質問をする。手早く答えろ」


 慌てて頷く。


「わかった。何でも聞いて」

「こいつ等が宿に残した所持品等は既に抑えたか?」


 また途中で話始めたよ、この人。


 なんか最近。初対面から人の話をちゃんと聞かない奴ばかりだな。

 ミーアと言い、アッシュと言い……。

 もうやだ。


「……あぁ。ある」


「こいつらが宿泊していた宿も抑えたか? そのままにしてあるか?」


「あ、あぁ。してある。今日見に行った」


「そうか。では、こいつ等の体液。もしくは髪等を所持しているか?」


「は?」


 体液? 妙な事を聞くな。

 思わず変な声が出たぞ。

 訳が分からず呆けていると、バルザの眉が上がった。


「体液だ。血液でも、涙でも、涎でも……小便でも良い。あるか?」


 いや。そんな事分かってるよ。

 何を言ってるんだ、この人は。

 ある訳ないだろ。

 そんなもの採取する奴が居たら変態だよ。


「いや無いな。二人は持ってるか?」


 試しにアッシュとテリオを見る。


「あはは、流石にないよ」

「そんな気色の悪いもの、ある訳ないっす」


 だよなぁ。

 流石に体液なんてある訳ないよな。

 バルザの方へ向き直ると、彼は顎に手を当てた。


「そうか……なら宿にそいつらが残した衣類はあるか? 一度着てから洗濯していない物だ」


 洗っていない衣類?

 洗濯物って事か。


「それは……あるな」


「あるね」


 思わずアッシュと顔を見合わせる。

 今朝見たばかりの洗濯物がある。

 ローザ、ガルジオ、ミーアの三人分。

 何故そんな事を聞くんだろう。


「うえっ……お前等。まさかと思うっすけど、人の部屋勝手に漁ったんすか? しかも洗濯物って。もしかして、ティーラとミーアの……」


「はい、掻き回さない。暫く黙っておいてね」


「んぐっ」


「そいつはそのまま黙らせてろ」


「りょーかい。テリオ、暴れたら喉掻っ切るからね?」


「ん、んぐっ」


 良くやったアッシュ。

 お前結構優秀だな。見直したぞ。

 言ってる事は物騒だけど。笑顔も怖いし。

 全く、テリオめ。場所を弁えろよな。

 他に誰も居ないとは言え、誰が聞いてるか分からないんだぞ。

 変な噂が立ったらどうするんだ。

 思い出したらまた罪悪感がやってきた。

 ミーアを無事に見つけたら、一度飯を奢ってやろう。


「ティーラとミーア……あぁ、女のもあるのか。下着はあったか?」

「し、たぎ?」


 本当に何の話をしているんだ。

 捜索に体液と下着がどうして関係ある。

 大体、下着って……あの黒い。


「そうだ。下着だ。どうやらあるようだな。ならば話は早い」


 椅子を押し退け、バルザが立ち上がった。


 突然の行動に少し驚いたが、別にそれは良い。

 それよりも今、この男は話が早いと言わなかったか。

 どういう事だ? なぜ捜索に体液が必要なんだ。

 それに何故、今の会話で下着があることが分かった?


「シーナ、顔に出てたよ」


こいつの対人能力が、憎い。


「話が早いとは、どういう意味だ?」


 恐る恐る尋ねる。

 何かの専門家や本当に頭が良く知識がある者は、普通の人には理解出来ない発言を度々するものだと母さんは言っていた。

 だからそこは良い。考えて分からないなら考えても意味がない。

 凡人は黙って答えを待つだけだ。


 突然手を止めたバルザが俺を見た。


「依頼を受けてやる。準備をするから少し待て」


 そう言って、バルザは目を背け準備に戻った。

 俺より数倍は大きな背中だ。

 淡々とした話し方には、僅かな動揺も感じられない。

 だが、意識して口調を作っている俺とは違い、何の違和感もない。自然だ。


 何故か、妙な頼もしさを感じた。


 質問の意味は理解出来なかったが、どうやら見つける術があると見て良さそうだ。

 銀等級。一流の冒険者が根拠も無く、出来ない仕事を受けるとは考え辛い。

 受けて貰えると言うことは、何らかの手段があると考えて良い筈だ。

 皆を見つける為の何らかの手段が。

 思考しながら観察していると、凄まじい衝動が喉まで登ってきた。


「ありがとう、助かる。本当に、助かる……ありがとう」


頭を深く下げ、衝動の赴くまま。口を突いて出た言葉を吐き出した。

すると再度、バルザの手が止まる。


「俺は依頼を受けただけだ。礼は目標を達成した後、報酬という形で貰う。言葉だけの礼など、我々冒険者には不要だ。何の意味もない」


 言われて頭をあげると、背嚢を背負い脇に兜を抱え、完全武装状態のバルザが歩き出した。その姿は、初めて見た時と何も変わらない。

 感慨に耽っていると、バルザは俺の横を通り抜けて行った。

 ガシャ、ガシャ、と重みのある金属音が響く。


 振り向くと、彼は階段へ向かって歩いているのが分かった。


「ああ、分かっている。必ず支払う」


 言い方は少々酷いが、至極当然の意見だ。


 俺も冒険者になってから周囲に舐められないようにする為、言葉を意識しているのだが……ここまで非情な印象を相手に与える発言は簡単に出来ない。


 俺のはただの虚勢に過ぎないのだから。

 本物はやはり、言葉に不思議な重みがある気がする。

 

「何をしている。ついて来い」


 足を止める事なく、バルザは言った。

 瞬間、脇腹を突かれた。テリオだ。


「なんか、何とかなりそうな感じっすね。行くっすよ」


「ほら、シーナ。ぼけっとしてないで行くよ」


 二人が先に歩いて行く。


 いつの間に解放されたんだ、お前。

 それにさっきまでバルザを胡散臭そうに見ていた癖に、くるっと掌を返してる様子。納得いかない。

 とりあえず、後で洗濯物の件は弁解しておこう。

 言い訳にしかならないだろうけど。


「あぁ、分かってる」


 後を追い、最後尾に着く。

 それが何だか、しっくり来た。

 この、人の後ろから付いて行く感じに安心感さえ覚えた。


 何故なら俺は今日一日。

 貴重な一日、何も出来なかったから。

 一人で色々考えて、焦る気持ちを抑えきれなくて、アッシュを連れ回しただけだった。


 得られた結果は、協力者が一人。

 それも、結局はサリアナに紹介して貰った人物だ。俺の功績じゃない。


 忘れるな、シーナ。


 お前はこの中で一番何も出来ない下っ端だ。


 今回はたまたま上手く行っただけに過ぎない。

 だから、これからは独断行動を控え素直に周りの指示に従え。

 そして、見逃すな。

 バルザという一流冒険者が起こしてくれるだろう奇跡を、余計な事をせず、しっかり目に焼き付けるんだ。


 学習するんだ。一流の仕事を。

 いつかまた無くしてしまっても、今度は自分一人でも大切な物を探し拾う事が出来る様になる為に。


 だからバルザ、頼む。

 今回は、お前に賭けてみるぞ。

 それしか今、選択肢がないんだ。

 必ず見つけてくれ。あの跳ねっ返りで生意気な女を。

 俺の大事な友人達を。


 今度こそ俺に、心から。

 あの一言を言わせてくれ。

 あいつには言えなかった。

 二度と言えなくなった、一言を。



 おかえり、って。



「……ユキナ」



お前には言えなかった言葉を今度こそ。

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