第22話 ユキナの仲間。

 床に赤絨毯。窓に高価な硝子。

 惜しみない贅沢な嗜好が凝らされた、長い王宮の廊下。

 三階の窓からガラス越しに見える外は真っ暗な夜空だ。

 一般市民ではとても手が出ない高価な照明具に照らされたそこを三人の少女が歩いていた。

 豪華絢爛なドレスを身に纏い沢山の宝石で飾られた彼女達は、その出で立ちから分かる通り当然普通の女の子では無い。

 それどころか、どんな権力。豊満な財を持つ貴族令嬢でも手に入らないものを彼女達は持っていた。

 そう。彼女達こそ、人が信仰する女神エリナに選ばれた英雄。


 人類最強の力をその身に宿す英雄姫だった。


「今日も成果なし、ですわね……」


 その一人、賢者ルナ・ハークラウは深い溜息を吐いた。

 今年十八歳になる発育の良い女性的な身体を紫色のドレスで包んだ彼女は、華奢な肩を落としている。

 随分と疲れた様子だ。


「ん……仕方ありません」


 小さく息を吐き出したのは、黒髪の少女だった。


 十七歳とはとても思えない小柄な身体に青いドレスを纏い、実年齢より五つは幼い印象を受ける彼女はルキア・ドロワール。

 こんな外見だが、女神に選ばれた英雄の一人。弓帝だ。


 そして、最後は。


「…………」


 絹糸のような銀色の髪に合う、白いドレスを身に纏った十六歳の少女。

 女神の寵愛を一身に受けた絶世の美女と名高く、現状。国民の関心を独り占めにしている存在。

 剣聖。ユキナ・ローレン侯爵令嬢。


 そんな彼女だが、表情は疲労のせいか非常に暗い。

 長い睫毛は力無く伏せ、少々俯き気味だ。


「仕方ないと言われましても、これ程連日情報収集や調査をして一向に手掛かりが掴めないのは、流石におかしいと思うのです。暫く休息を取らせて頂かなくては、身が持ちませんわ」


「確かに疲労は溜まっています。けれど、これは民の為。私達は女神エリナ様から、民を守る為に力を与えられていま……ねぇ。この、話し方。やめて良い?」


 眉間に皺を寄せたルキアが周囲を確認しながら言う。

 釣られてルナも背後を確認した。

 現在、彼女達の周りに他の人間は誰も居なかった。

 長い廊下を見渡しても、人の気配はない。

 これは普段、必ず付き人が居る彼女達には珍しい事で。


「そうね。やめましょう。あーあ、ほんとやってられないわよね〜」


 肩の力と息を抜くには、絶好の機会だった。

 少々大声で愚痴を漏らしたルナは肩を揉みながら首を傾げる。コキコキと小気味の良い音がした。


「毎日毎日、毎朝報告書や手紙に目を通して、昼から夕刻までずっと馬に乗って捜索。夜は毎晩毎晩会食と会談。流石に身体バキバキよ。もぅ、嫌になるわ」


彼女達が愚痴るのは、現在。調べている事件の事だ。


 外壁の外へ出掛けた者が突然行方不明になるという不思議な事件。

 普段なら外で失踪した民の事など調べたりしないが、今回は被害人数が多くありもしない噂が大きく広まり、怯えて運送の仕事を断る者が増えた。

 流石に無視出来ない状況になり憲兵団が捜査を開始。暫くして騎士団も捜査を開始したのだが、原因は未だ不明。


 今では勇者一行もこの仕事に駆り出されていた。

 広がった噂の中には、魔界から訪れた魔人や化け物が原因だというものもある。

 そして、それを否定出来る根拠が全く無い。

 彼女達が動かされるのは必然だった。

 まだ明確な攻略法どころか、生態すら掴めていない化物。そして魔人の対処は、勇者一行の使命で責務。

 その為に彼女達は女神様に力を与えられているのだから。


 とは言え、こう連日。何の成果もなく働かされては、流石の女神の使徒でも堪らない。

 全く進展が無く、何の達成感も得られない毎日。

 何をすれば良いのかすら分からず、ただ無意味に疲労とストレスが溜まるだけ。嫌にもなる。


「ん。シスルの相手も、キツイ」


「ホントよね、あの嗜虐趣味の変態。疲れてる時に毎晩毎晩呼びつけて……あぁもう! やすみたぁい!」


「ちょっ……ルナ。少し声、落として。誰かに聞かれたら、大変」


「あっ、御免なさい」


 ルキアに宥められ、ルナは慌てて口元を隠し周囲を見渡した。


 こんなはしたない口調で愚痴を溢しているのを誰かに聞かれたら大変だ。

 ルナは誰も居ない事を確認すると溜息を吐いた。


「でも、たまには愚痴くらい零さなきゃやってられないわよ。賢者になってから家族にも簡単に会えなくなるし、たまに休息日を貰ってお茶会を開いても、皆よそよそしくなってるし……この前の王都帰還パーティーではあからさまに避けられるし。たまに来たと思ったら凄い丁寧な挨拶だけして去っていくし……幼少期からずっと仲が良かった友人達に愛想笑いを浮かべられた時の私の気持ち、分かる?」


「うん、わかる。私も似たようなもの。多分、家の人に厳しく言われてる。指摘しても直してくれない……」


 しゅん……と肩を落としたルキアは、悲しげに眉を伏せていた。

 どうやら相当悲しい出来事があったらしい。


「まぁ確かに私達が誰にでも気軽に話せなくなったのもあるけどねぇ。本当、嫌になるわよ。何が人類の英雄で切り札、女神エリナ様の使徒よ。これじゃあ私達……」


「ルナ、それ以上は駄目。言葉にしたら余計辛くなる。我慢して」


 また宥められて、ルナは口を噤む。

 暫く全員無言になり俯いた。

 静かな廊下に彼女達の足音だけが僅かに響く。


「……貴女も何か言いなさいよ、ユキナ」


 不意にルナは隣を歩く剣聖ユキナに話題を振った。

 ずっと黙りを続けていた彼女は、その一言に顔を上げる。


「何か言いなさいよ、と。言われましても……」


「あー、今それ良いから。普通に話しなさい。ここに来たばっかりの時の口調で良いから」


「申し訳ありません。それは、お二人に対して余りに不敬だと思います。私は……」


 お二人と違い、平民ですから。

 そう言い掛けて、ユキナは言葉を詰まらせ俯いた。何故なら彼女は、


「私が良いって言ってるんだから良いのよ。それに貴女、ローレン侯爵の娘になったんでしょ? 立派な家柄じゃない。どうして今更。私達に遠慮する必要があるの?」


 もう彼女達と同じ、貴族なのだから。


 肩書きも立場も、女神から与えられた力もある。

 寧ろ、剣聖は他の二人より知名度が高い位だ。


 何故なら、数百年前前に現れた先代の剣聖は先代勇者の幼馴染で第一の妻。

 残した功績も余りに大きく、先代賢者と先代弓帝に比べても華やか過ぎるエピソードを沢山残していた。

 侯爵家令嬢という新しく着いた肩書きも伯爵家令嬢のルナと辺境伯令嬢のルキア。二人に決して劣らない。


 今まで唯一自分だけ平民で気を遣っていたのが、今は互いに礼を尽くし尊重し合わなければならない立場になった。

 勿論、今更全くそうして欲しいとは思わない。

 二人もそんな素振りを見せず、普段通り接してくれている。

 それがユキナには無性に有り難く感じた。

 今更気を遣われたりしても困惑し、気不味くなるだけだろう。


 そんな風に思った後。ユキナは本当の両親の顔を思い浮かべた。

 元の、生みの親には高額の謝礼金が支払われたと聞いている。

 つまり、手切れ金。

 それを聞いた時。ユキナは自分がお金で売られた、と考えてしまった。

 私の事を本気で愛してくれていなかったの? と尋ねたかった。


 剣聖。女神の使徒。人類の英雄。

 絶大な力と圧倒的な立場。小さな村の村人から一瞬で成り上がった誰もが羨む女の子。

 だが、その心中は穏やかでは無かった。


 この力は、立場は、役目は、自分にはあまりに重すぎる。


 常に押し潰されそうになるのを必死に堪えるので精一杯だ。

 自由も個人も無く、欲しくないものを押し付けられる代わりに失いたくないものを強制的に捨てさせられる。


 生まれ育った故郷。

 見守ってくれた人達。

 産んで育ててくれた親。

 大好きだった恋人。


 気付けば全部、捨てられていた。

 捨てさせられた。


 もう私には、勇者様しか。

 シスル様しか、いない。

 彼と世界を救うしか幸せになる道はない。


 最近ずっと、そんな事を考えてしまっている。

 俯いた彼女の肩が。裾を掴む手が震えた。


「何よ。 黙り? つまんないわね」


「ん、ユキナ。最近、変。大丈夫?」


 言われてハッと気付く。

 

 顔を上げたユキナは、不機嫌そうな顔をしているルナと目が合った。


 慌てて目を逸らせば、小さな少女と目が合う。

 ルキアは普段表情の変化が分かり辛いのだが、今は非常に分かりやすく心配そうな顔をしていた。


「大丈夫です。いえ……ん、んっ。大丈夫だよ二人共。私は、いつも通りだから」


 ありのままの自分を曝け出すと、少しだけ気分が軽くなった。

 こうして自然に話すのは久し振りだ。


(本当にいつ振りだろう。こうやって普通に話すの。少なくとも、半年以上は話していなかった気がするな)


 そう思った途端。悲しくなったユキナは苦笑した。


「ふふ。貴女のそれ。久々に聞いたわ。やっぱりそっちの方が良いわよ。飾ってなくて」


「ん。ユキナに敬語は似合わない。いや、似合う……けど。そっちの方が好き」


 ユキナの素の口調を聞いた二人は微笑んで見せた。


「そうかな。そう言えば最近。シスル様にもやってって言われるんだ」


「そうなの? へぇ……勇者様は高貴な女の子がお好きなんじゃなかったのかしら」


「ルナ、違う。分かってる癖に」


 三人が必要以上に丁寧な口調を強制されているのは、勇者シスルの趣味では無い。外聞の為だ。


 女神が選ぶ人類の英雄は高貴な女性。という幻想を誰もが抱ける様にさせられていた。

 下らない見栄だ。


「まぁ分かってるけど……たまにはあいつの悪口くらい言わせなさいよ。勇者様はそれなりに愛してやれば良いでしょ」


「ルナは雑すぎ。ちゃんと愛さないと、大変な事になる」


「そうだよ、ルナ様。私達はシスル様のお嫁さんなんだから。ちゃんと愛させて頂かないと……」


 宥めようとする二人を見て、ルナは眉間に皺を寄せ不快気な顔をした。


「……はぁ。ねぇ。貴方達には何度か言ったと思うけど、私。本音を言えば今すぐこんな所から飛び出してロセルの所に行きたいの。あいつの嫁になるとか、私。絶対嫌だからね」


「ルナ。駄目だよ? そんなこと言っちゃ」


「ん。ルナ、言っていいことと悪いことがある」


「なによ。全く、貴方達ホント。すっかり毒されちゃって。まぁシスルは確かに顔も見掛けも格好良いし、何でも出来て強いし、申し分無い勇者様よ?  あんた達が夢中になるのも無理はないと思うわ。だけどね。私はロセルの方が好きなの。彼を誰よりも愛してるの。だから、貴女達の価値観を私に押し付けないで」


 激情の浮かんだ表情で、ルナは怒気の篭った声を発した。

 彼女の言ったロセルという人物は、ルナの元婚約者の男性らしい。

 詳しい人物像どころか、姓を教えてくれない為に家柄すら不明。


 だが、ルナにここまで言わせるのだ。余程良い男なのだろう。


「ルナ様。私達は……あっ」


 再度ルナを宥めようとしたユキナは慌てて足を止めた。

 自然に遅れた彼女に先に数歩進んだ二人は振り返って、


「急にどうしたのよ、ユキナ」


「何か、あった?」


 不思議そうな顔で尋ねてくる二人。

 ユキナはそんな二人を見て、寂しげな顔を浮かべた。


「お話は、ここまでみたい。私、ここから先に行けないから……」


「え? あー、なるほどねー。ここまでしか進んじゃ行けないんだっけ、ユキナは」


「うん……ここから先は、禁止なの」


 ユキナが足を止めたのは、長い廊下を中程まで歩いた中間地点。


 ここから先は入ってはならない、と厳しく躾けを受けている。

 何故なら、ユキナは与えられた居住空間から外に出る事を許可されていなかった。

 ルナが呆れた様に溜息を吐いた。


「それは貴女が平民で、ここに住まわされていた時の話でしょ。ほら、行くわよ。ローレン侯爵令嬢様?」


「ん、行こう。ユキナ」


 二人が手を差し出してくる。

 それに驚き目を見開いて、ユキナは差し出された手を交互に見た。

 次いで顔を上げたユキナは、微笑む二人を見て暖かな感情が込み上げて来るのを自覚し……泣いた。


(私には、暖かい手を差し伸べてくれる人が居る。共に戦う仲間が居る。友達が居る。捨てたものは多かったけど……得たものも沢山あるんだ)


 頬を伝う涙を拭ったユキナは、


「う、うんっ」


 二人の手を両手で掴んで、笑顔を浮かべた。

 涙が出る程、嬉しかった。

 久々に勇者以外から貰った暖かな気持ち。

 自らの手を引く仲間の後ろ姿が、頼もしいと思った。


(皆、沢山捨ててるんだ。私だけが不幸な訳じゃないんだ。私も、頑張らなきゃいけないんだ。世界を、魔界から救うんだ! 皆でっ!)


 と。自分に言い聞かせるユキナの手を引いたまま、二人は歩き出す。


 そして、暫く歩いた後。示し合わせた様に二人は背後を一瞥し、ニコニコ笑顔のユキナを見て顔を寄せた。


「最近、というか。故郷の村に行った時からずっと暗かったけど、少しは元気になったみたいね」


「うん。少し安心した。最近のユキナ。剣聖としての役割ちゃんと果たせるか、不安あったから。でも、幼馴染の元婚約者と話すら出来なかったのは、可哀想」


「あれはこの子の完全自業自得だけどね。まぁ、手紙を残して貰えただけでも良かったじゃない。それにしても彼……シーナくん、だっけ? 凄い綺麗な男の子だったわ。ユキナの婚約者。私、世界救ったらあの子雇う予定なのよ」


「ん、確かに綺麗だった。流石は、ユキナの婚約者なだけある。あんなの、が婚約者だったら、シスルの事。勇者だから愛せ、とか言われても、無理かも?」


「そこはほら、この子。お人形さんだから」


「そうだね」


 ユキナに聞こえない様。早口でこそこそ話し、最後にまたユキナを一瞥して離れる二人。


 二人が心配して居たのは、ユキナはユキナだが、剣聖ユキナだ。

 村人として生まれ育ったユキナではない。

 当然だ。彼女達は村にいた頃のユキナを知らない。

 知っていたとしても慰める義理はない。

 ただ、彼女がいつまでも落ち込んでいて、剣聖の役割に支障が出ると困るのだ。


 二人がユキナを慰めるのは世界の為。勇者の為。強いては、自分達の為だ。


 そんな思惑を知らない剣聖ユキナは、


「えへ、へ……ぐすっ……ひっ、く」


 最近。事ある毎に湧き出してくる涙と鼻水を垂れ流しながら笑っていた。

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