第17話 モンスター。
初討伐依頼を終えてから、数日。
本格的な冒険者としての活動を始めた俺だが、まだ大きな成果は得られていない。
決して怠けていた訳じゃ無い。
活動を開始したからと言って、そう簡単に結果を出せるなら苦労はしない。
焦って無闇に依頼を受けた所で碌な事にならないのは目に見えている。
それに、セリーヌは新大陸。魔界から最も遠い街だ。
新型モンスターの目撃情報もまだ無い。
元々周辺の生態系が安定しており、突出して問題視される様な化物が居ない事も要因の一つだろう。
辺境の平和な街。
俺の様な大した才能の無い凡人が働くには丁度良い場所という訳だ。
そもそも魔界の近く。最前線となっている街になれば駆け出し冒険者に居場所なんて無い筈だ。
未知の存在と戦う為に仲間を集めるなら、誰だって実力のある強者。
心から信頼出来る者同士でなければならないだろう。
少なくとも、今の俺に安心して背中を預けてくれる様な酔狂な人は絶対に居ないと断言出来る。
ゆっくり地力を付け、経験を重ねて行くしか無いのだ。
勿論。そんな平和な街だからと言って、何も無いわけじゃ無い。
元々この国にいる原生種は普通に居る、被害も少なからず出ている。
冒険者が全員休んで良い日がある。
そんな余裕等、この街にだって存在しない。
だから俺は。いや。俺達は、
「シーナ、そっちへ行ったぞ!」
今日も冒険、仕事に出掛けていた。
前方からパーティーメンバーの大槌使いに叫ばれ、足に力が入る。
言われなくても自分がやるべき事くらい分かっている。
今日の依頼は原生種モンスター。巨猿一体の討伐。
茶色の体毛に覆われた身体は、俺の五倍以上ある。
腕が異常発達し、一殴りで大木をもへし折る怪力の持ち主で、最近セリーヌに物資を運ぶ馬車が何台か殴り飛ばされ、被害が出ていた。
通常、この辺に生息していない筈の化物だ。
何処からやって来たかは定かではないが、他の街から運ばれている食料の味を占めたらしい。
街道にずっと張り付いており、馬車を襲うので困っている。
そんな依頼がギルドへ持ち込まれたのは今朝の事。
そして、そんな迷惑者を退治するのが冒険者の仕事。
ならば、
「っ!」
突進してきた大猿を横に飛んで回避し、地面を転がって立ち上がる。
通り過ぎて行った大猿の背に剣先を向けるが……。
だ、駄目だ。やっぱり滅茶苦茶恐い。
あの一撃をまともに貰ったら絶対に死ぬ。
目が合っただけ一瞬、足が竦んだ。
よくあんな奴に皆、平気で立ち向かえるな。
「よく避けたっすっ! 大いなる我が母。女神エリナよっ! 我に炎の加護を与えよっ!」
男の声が響いた。
見れば、青い髪の青年が炎を纏っている。
己の身の丈程ある杖を掲げ漆黒のローブを揺らしている彼は、次の瞬間。
「弾丸と成し、穿てっ!」
詠唱を終え、杖を大猿に向けて巨大な炎の弾丸を放った。
真っ直ぐ飛んで行ったそれは、二秒程で大猿に直撃し爆破した。
爆音が響き、熱風を肌に浴びる。
って……あっつ!
予想外の高温。肌を焼かれる感覚に慌てて顔を左手で覆った。
「グ、ォォォオッ!!」
すぐに熱風が収まり、手を退かす。
大猿は地面を転がり回っていた。
恐らく、体毛が燃えている為。消そうとしているのだろう。
随分効いてるみたいだ。
それにしても、魔法か。
ちゃんと見る機会は初めてだったが、思ったよりも凄いな。
そう言えば、俺は一応。魔法士の職業も適性があったな。
近い内に勉強して使えるようになろう。
しかし、苦しそうな叫び声が非常に耳障りだ。
この好機、逃す訳にはいかないな。
「すぅ……はっ!」
足を蹴り出す。
片手剣を翻し、大猿に向かい全力で駆ける。
皆。頑張っている。
自分の役割を果たしている。
こんな化物を相手にしているのだ。
恐いのは、俺だけじゃ無い筈だ。
剣士が。一番最前線を支えなければならない前衛が、恐怖に足を竦ませ震えているわけにはいかないだろう。
せめて一太刀くれてやる!
「グッ、ォォ!!」
「っ!?」
あと数歩で斬り込めるところまで接近すると、大猿は突然。丸太のような腕を振り回し一際激しく暴れ始めた。
地面を蹴って急停止した途端。俺の眼前を顔と同じ大きさの拳が通過していった。
ブォン! という鈍い音。
肌を撫でた風に恐怖心が高まる。
何とか回避出来たが、危なかった。
貰っていたら即死だった。
汗が、吹き出る……っ!
ドクン! ドクン! 胸の鼓動が妙に強く激しく聞こえる。
今すぐにでも口から吐き出してしまいそうだ。
全力で歯を食い縛って堪えながら、左手を剣の柄に添えた。
「せ……りゃあああっ!」
同時に足を前へ踏み込み、両手で剣を振り抜く。
鈍い手応えを感じた。
頰に生暖かい液体で濡れたのが分かった。
鉄と獣臭さが混じった匂いが、妙に鼻に付く。
気持ち悪い……なんて、考えている場合じゃ無い。
慌てて地面を転がる。
瞬間、ブォン! と風を切る音がした。
あ、危な過ぎる。
本当に俺、死ぬかもしれない。
「シーナ、一度下がりなさいっ!」
聞き慣れた女の声が聞こえた。
瞬間には身体が動いていた。
三度地面を転がり距離を開け、暴れる大猿に正対してから地を蹴る。
背後に飛んだ瞬間、二本の矢が大猿の背に突き刺さった。
別の場所を探していた三人。ローザ、ティーラ、ミーアが来たのだ。
少々時間が掛かったが、合流してくれたらしい。
「交代だ」
後ろ歩きで後退している最中。大剣使い、ローザとすれ違う。
前へ駆けて行くその背中は、普段より大きく頼もしく見えた。
「はぁ……」
強い安堵を抱き、息を吐き出す。
途端に心地良い脱力感に襲われた。
いや、駄目だ。何を安心している。
任せてばかりじゃ駄目だ。馬鹿が。
俺は今、このパーティーの前衛。
その役割はまだ終わっていない。
終わってないんだ!
「ローザに続くっ!」
自らに言い聞かせ、足を大きく前へ蹴り出す。
「ちょっ! シーナ!」
「シーナさんっ!」
遠くから制止の声が聞こえた。
二つとも女性の声だった。
だけど、止まってなんかやらない。
この化け物に必ず、もう一太刀くれてやる。
「はぁぁああっ!」
「ど、りゃぁああっ!」
ローザの大剣が、大猿を斜めに斬り裂いた。
両断とまではいかないが、一太刀で相当な深手を負わせた様に見える。
肩口から噴き出した生温い血飛沫が俺の視界を真っ赤に染めた。
「グッ、ァァァァアア!!!」
「ぁぁあああっ!!」
暴れ回る大猿。
だが、決して足を緩めず、振るわれた右腕を頭を下げて掻い潜り、左脚へ剣を振り抜き、確かな手応えを感じた瞬間。全力で押し込んだ。
そうして完全に止まった瞬間、剣を手から離す。
「ぉおあっ!!」
後は全力で横に飛び、離脱する。
猿が暴れて腕を振っている。
ブォンブォンと絶え間無く風切り音が響いている。
「ふぅ……は、はぁ」
今のが一番危なかった。
後一歩判断が遅れていたら、今頃死んでいる。
だが、まだ終わっていない。
再度俺は、こいつに挑まなくてはならない。
剣士として。前衛として、立ち止まっている暇はない。
だが、どうする。
剣は暴れる大猿の傍に落ちている。
とても回収出来そうにない。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
仕方ない。剣は諦めよう。
血で濡れた顔を袖で拭き、腰から両手でナイフを引き抜く。
右手の刃を暴れる大猿へ向け、左手は逆手で握って構える。
今の武器はこれしか無い。
なら、これでやるしかない。
これでこいつを殺すしか、ない。
「はぁ、はぁ……はぁ」
息を整えながら大猿の観察を行い、再度斬り込む瞬間を待つ。
「ふぁっ!?」
不意にポンと肩に手を置かれた。
驚いたせいで肩が跳ね、変な声が出た。
振り返ると、不敵な笑みを浮かべたローザがこちらを見ていた。
頭まで血濡れで真っ赤になった彼の姿は、筆舌に尽くしがたい雰囲気を纏っていた。
「良くやった、シーナ。俺達の仕事は終わりだ」
「……何?」
この男は、何を言っている?
まだ目標は沈黙していない。
そこで元気に暴れまわっているではないか。
依頼はまだ、達成されていない。
まだ殺していない。
なのに、何故。俺達の仕事は終わりだと言い張れる?
疑問に思う俺に、ローザは獲物へ目を向けた。
「充分な深手も追わせたし、お前が脚の腱を叩っ斬ってくれたからな。あいつはもう動けねぇよ」
言われて大猿を見る。
大声で暴れまわっているそいつは、まだまだ元気な様子。
だが、言われて見れば確かに。先程からその場を動いていない。
地面に転がりのたうち回る様は、まるで大きな子供が駄々を捏ねている様に見えた。
ローザは笑みを深めた。
「後は、うちの魔法士と彼女達の仕事だ」
ドッ。
ドッ。
鈍い音が二度響いた。
二本の矢が飛来し、大猿に突き刺さった音だ。
一際大きな咆哮を上げ、化物は更に激しくのたうち回る。
「あぁもう、こいつ。中々しぶといわねっ!」
「そうですね。ですが、時間の問題です。すぐに毒が回って、大人しくなりますよ」
遠くから、そんな声が聞こえてくる。
弓士二人の声だ。
声の方向へ視線を向ける。
すると僅かにせり上がった高台の上で、次の矢を番えている二人の姿があった。
毒、か。
それならば確かに、放っておいてもこいつはいずれ死ぬだろう。
既に勝敗は決していた。
俺の役割は、本当に終わりなのか。
「かはっ、はぁ。はぁ……はぁ」
どっ、と強い安堵感に襲われた。
足が震える。力が入らない。
座り込みそうになるのを必死に抑えつけながら、荒い息を繰り返す。
そんな俺の肩に手を置いたまま、
「良く見とけよ、シーナ」
微笑を浮かべたままローザは言った。
「冒険は、一人じゃ出来ねぇ」
「女神エリナよ。我に炎の加護を与え、弾丸と成し、穿てっ!」
炎の弾丸が、大猿に直撃した。
爆発の衝撃波と熱風を浴びながら、大猿の悲痛な断末魔を聞く。
顔を上げると、直ぐに二本の矢が爆煙を切り裂いた。
一本は眉間に、もう一本は肩に深く食い込む。
数秒後。振り上げられていた大猿の腕がピタリと静止し、地に落ちた。
あれだけ大暴れしていた化け物が嘘のように大人しくなり、沈黙したのだ。
ローザが俺の肩から手を離した。
「よーし、撤収だ。みんなお疲れっ! 久々に大物をやったなっ! 今日は飲むぞー!」
二度手を叩き、ローザが呼び掛ける。
俺はその背中と仕留めた化け物の死体を見ながら、思う。
モンスター。
異常成長や突然変異で生まれた人類の、世界の敵。
こんな奴等と、あいつは。
剣聖は、勇者は……英雄と呼ばれる者達は、いつも戦っているのか。
いや。例え女神に選ばれなかった凡人でも。
冒険者だって、出来る限りの力で戦っている。
俺もその一人として戦っていくのか。
「……はぁ。情けねぇ」
自然に口から言葉が漏れた。
この猿は元からこの国生息していた原生種だ。
生態も細かく分かっている。
一定数生まれていて、交戦記録も多い。
大きさも中型と呼ばれているもので、危険度はあまり高い個体ではない。
だから今回誘われ、受けて見た。
モンスターをこの目で見て、殺す。
貴重な経験が出来る良い機会だと思ったのだ。
そんな相手にすら、対峙しただけで足が竦んだ。
心の底から、恐いと思った。
結局倒したのは、ローザ達だ。
俺はまた、殆ど役に立てていない。
こんなのじゃ、こんなのじゃ駄目だ。
俺は……。
「ほら、シーナ。行くぞー」
呼ばれて、顔を上げる。
ローザが少し遠くから、手を振っていた。
「……あぁ」
頷いて、俺は化け物の側へ向かった。
剣を回収するためだ。
もう死んでいると分かっているのに、至近距離で見るそいつは本当に恐ろしい容貌をしている。
「……」
剣を回収し、こびり付いた血を布で拭いながら踵を返す。
この世界は数え切れない程の恐ろしい脅威。
こんな奴なんて話にならない危険な化物で満ちている。
そいつらを殺し、平和を保っている者達が居る。
勇者一行。
女神に選ばれ、特別な力を与えられた者達。
「…………」
俺はそんな、英雄と呼ばれる人間にはなれない。
何故なら、俺は女神に選ばれなかったからだ。
そもそも、なりたいとも思わないが。
だけど、自ら望んで戦う力を手に入れ始めている。
「ユ……はぁ……」
思わず呼んでしまいそうになる名前は、息と一緒に吐き出す。
もう彼女に未練はない。
死んだと、本気で思っている。
だけど、思うのだ。
命を賭ける度。
剣を振るい、戦う度。
血を浴び、身体を汚す度。
こうして化物と対峙し、死の恐怖を味わう度。
考えたくない事を考えてしまうのだ。
ユキナ。
お前は、女神に選ばれて。
人類の英雄になれて。
剣聖に選ばれて、本当に幸せなのか?
他人の為に命を賭けて、戦う。
ずっと、戦う。戦わされる。
俺のように、自ら進んで決めた道じゃない。
あいつに、戦わない選択肢は与えられていない。
何故なら彼女は、女神に選ばれた剣聖なのだから。
少なくとも、俺の中のユキナ。
生まれた時から十五年。共に過ごした幼馴染は、こんな血塗られた戦場を好む性分では無い。
泣き虫で、ドジで、恐がりで。
そんな、普通の女の子だった。
「……俺には、関係ないことか」
歩きながら呟き、剣を鞘に収める。
俺と彼女の人生は、二度と交わらない。
だから気にする必要は無い。
彼女は人類の為に化物を殺す。
俺は俺が生きる為に、化物を殺す。
それだけだ。
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