第15話 山狼討伐


 休憩後。目標を果たす為、移動が再開した。


 出発前。ローザから風向きが変わった事で予定より少し移動距離が減ったと説明を受けた。

 

 だが、そもそも岩場へ向かうのが初めての俺には分からない。

 その為、運が良いと喜ぶ皆に適当に合わせ頷いておいた。

 本来なら正直に言うべきなのだろうが、今回は俺が道程を知らなくても支障はない。

 

 折角の機会なので、周囲の警戒をしながら道を覚える為。目印となる物を探す。

 いずれまた岩場へ向かう事もある筈だ。

 山狼の討伐はセリーヌでよく出回っている依頼だからな。


 休憩後の移動は、先程より明らかに速度が上がっていた。

 すぐにバテそうだと思ったが、難なく付いていける。

 昔からやってきた体力作りの成果だろうか。


 ティーラの固有スキル【癒し手】の効果で足が羽根のように軽く自然に前へ出るのも一つの要因だろう。


「はぁ……はぁ……」


 前を歩くミーアは、僅かに肩を上下させ少し辛そうな感じだ。

 今下手に声を掛けてもこいつの事だ。

 意地を張って睨まれるのが目に見えている。

 ……様子を見て、駄目そうなら荷物を持ってやるか。


 目的の岩場までは、特に苦労なく到着した。


 見えたぞ。

 足を止めたローザは背後。こちらを振り向き、そう言うように手を挙げた。


 左側に顔を出して目を凝らす。

 確かに木々の隙間から岩場が見えた。


 前へ向き直ったローザは、足音を殺してゆっくりと歩き始めた。

 すぐにミーアが進み出し、続いて俺も足を踏み出す。


 そのまま歩いて、森林と岩場の境目でローザは膝をついた。

 伸びた草に身を隠している。

 その左隣にミーアは腰を下ろした。

 同じ様に俺もミーアの隣で膝をつく。


 岩場を見渡すと、討伐対象はすぐ発見した。

 少し遠くに、山狼の群れが見える。

 小さな洞窟の入り口。その周りで灰色の身体を横たえ休んでいたり、落ち着き無く歩き回っているのも居る。


 凄い数だ。あんなのに一斉に襲い掛かられたら堪ったもんじゃない。


 天候が良いお陰で明るい岩場は木の一本も生えておらず、非常に見通しが良い場所だった。

 しかし、あれでは狙撃の良い的だな。


 ふと、ローザが遠見筒を取り出し観察を始めた。

 次いで、ティーラが近くの草を千切り、宙へ投げる。

 放られた葉が、岩場の方へふわりと飛んでいった。


 風向きは良好らしい。

 ティーラが親指を立ててこちらへ顔を向けた。ミーアと共に頷く。

 すぐに彼女は振り向いたローザにも親指を立てて、合図した。

 ローザが同じく親指を立てて見せた。


 突然肩を叩かれた。

 そちらを見れば、ミーアは小瓶を二つ取り出し足元へ置いた。

 次いで、矢筒から矢を十本引き抜いて同じ様に置く。

 ティーラも俺の足元に矢を十本置いた。

 先程。瓶一つで矢は十本使えるとミーアは言っていた。

 俺の役割は、毒矢二十本目をせっせと作る事だ。

 気をつけるべき事は、手早く。そして慎重に。

 今いる場所は鼻の良い山狼に気付かれやすい風上。

 矢は風の影響を受けやすい為、この位置は仕方ないのだ。

 距離はそれなりにあるから大丈夫だとは思うが、油断は出来ない。

 今回の作戦は速攻離脱。時間は掛けられない。


 任務の最低討伐数は十。


 道中八匹殺しているが、指定された数をやるだけなら半人前だ。


 余裕があるなら、支持された以上の仕事をして報酬を貰い、装備や生活を豊かにする。

 それが、一人前の冒険者の在り方だ。

 大体、二十本全部なんて当たる訳がない。

 余裕を持って用意するのは当たり前だ。


 最初の一本は、弓士二人が自分で矢を瓶に付け、ゆっくり慎重に抜いた。

 ドロ、とした液体が鏃に塗られている。


 露骨に変な色が付く訳じゃ無いんだな。

 確かに、これだと飛沫が付いてても気付かないだろう。

 扱いには注意しなければ。


 二人が立ち上がり、矢を番えて弓を引いた。

 特にミーアの顔は真剣そのものだ。

 目が据わり、無表情。

 その横顔はゾッとする程恐ろしく……何故か、美しいと感じた。

 こいつ、黙ってたら本当に可愛いな。


 いや、見惚れている場合じゃない。

 俺は、与えられた俺の役割を果たさなければならない。

 二本の矢を同時に瓶に付け、毒を塗る。

 慣れない仕事だ。上手くやろうと考えるな。

 出来る限り慎重に、淡々とこなせ。


 作戦開始だ。








 浅い息を吐き出して、ミーアは目標に狙いを定めた。

 最初に狙ったのは、高い所に座っている山狼。


 ティーラとミーア。

 二人の女性弓士の役割は決まっている。


 ミーアが先に放ち、優先度の高そうな個体を殺す。

 ティーラは無理なく当てれる個体を確実に射る。


 ティーラは、戦闘中はミーアの支援を担当していた。

 パーティーの副リーダーで、歳上。

 勿論。実績や経験はティーラの方がずっとある。

 そんな彼女が、何故ミーアより与えられた仕事が。責務が軽いのか。

 その理由は、単純明快。


「我、女神の祝福を受けし者」


 純粋な狙撃の腕が、ティーラより上だからだ。

 ミーアの番えた矢が、淡い光を放った。


 女神の祝福。彼女に与えられた固有スキルの名は。


 狙撃。


 狙った場所へ、正確に、寸分の狂いもなく飛ぶ。

 正確無比な遠距離攻撃が出来る、強力な固有スキルだ。

 風向きや距離など、彼女にとっては問題ではない。

 風向きを気にするのは、ティーラが矢を撃てるように配慮してだ。

 どんなに優秀な個人が居た所で、射手は一人でも多い方が良いのは道理。

 それに、祝福がなくてもティーラの腕は良い。

 だが、ミーアは本来自分一人でもこの依頼は楽勝だと思っていた。


(さっきの失敗は、ここで取り返すわ)


 弓を引く彼女は、足元を一瞥した。

 白髪の少年シーナは、鏃に毒を付け、そうっと抜いている所だった。


(なんで見てないのよ……)


 折角、自分の活躍をこの少年に見せられるチャンスなのに、とミーアは僅かに憤る。


 歳上の男。

 自分より、人生の先輩にあたる少年。

 だが、冒険者としては全てが格下の駆け出し。

 冒険者になって四ヶ月も経ち、自分が沢山の経験をして実績を作る中、何の成果も上げていない。

 同業者達の彼への評判が悪いのも、ミーアは知っていた。


 何せ、冒険者として在るべき仕事を殆どせず、本当に金に困っている者だけがやる日雇いや雑用ばかり進んでやっているのだ。


 未だに共に仕事をする仲間すら作っていなかった。

 何故冒険者になったのかすら分からない。

 そんな彼をパーティーに誘ったのは、いつも一人で何かをやっている彼を想っての事もある。

 少しでも生きる術を教えてあげようと思ったのだ。


 だが、一番の理由は別のもの。


 ミーアは自分より下の後輩が欲しかった。

 仲間内では一番下で、仕事中は怒られてばかり。

 弓士という職は、荷物も多い。


 確かにパーティー内では一番歳下で、当然経験も浅いので仕方ないと自覚している。


 だが、人並み以上の実力があると自負している勝ち気な彼女にとって、それは中々堪え難いものだった。

 要するに誇りの問題なのだ。


 だから彼女は、自分より下の存在を欲した。


 自分と同じ。いやそれ以上に怒られ、時には自分が怒る事も出来る後輩冒険者が欲しかった。


 自分より格下の存在を身近に置く事で、自尊心を満たしたかったのである。

 そこに丁度シーナが防具を買い、戦いの用意が済んでいるのを見て誘った。


 やっとこいつ、冒険者らしくなった。


 そう思った。

 初めて出会った日。

 共に冒険しようという約束をしてから、四か月も待たされた。


 この美少年に、最初に目をつけたのは自分だ。


 同じ日に冒険者になった少年。

 酷い服なのに変に教養があり、少々口は悪いが妙な気遣いが出来る。

 関われば関わるほど、優しさが滲み出てくる不思議な男。

 最初に仲間になるのを断られたが、理由もしっかりしていた。


 自分は剣士だから、後方の支援はやらない。

 まだ実力も知識も経験もない。役に立たない。


 彼は最初にあった日。そう言った。

 現実と理想をしっかり持っていると思えた。

 そこがまた、魅力的に見えた。

 

 ずっと待った。待っていた。


 彼と一緒に冒険する日を。


 だから、彼の準備が済んだからといって、横から他のパーティーに取られてたまるか、と焦りもあった。


 今では悪評が目立つが、未だシーナは自分が思うよりギルドの注目を集めている。


 女性冒険者ばかりのパーティーが彼を誘っているのも見た。

 正直ハラハラしたが、申し訳無さそうに断っているのを見て、ホッとした。

 同時に、手厳しく振ってやれと怒鳴ってやりたくなった。


 見た目で仲間を選ぶな、と言ってやれ。

 そう思った。


 ミーアが彼を気にするのは、色んな要因があった。


 彼はいつも物静かで、目立とうとはしない。

 大きな事を成し遂げようとはしない。


 最初の頃は苛々した。

 何故、冒険者として一日でも早く大成しようとしないのか、と。


 常に上を見上げているミーアにとって、足元ばかり見ている彼の思考がわからなかった。

 それが本当に、苛々した。

 冒険者は現実と戦い、夢を見る仕事のはずだ。

 何故こうも彼は、現実ばかり見るのだろう。


 何故、彼は冒険者になろうと思ったのだろう。


 彼程の教養と見た目があれば、もっと楽に生きられる筈なのに。

 そう思った事は何度もあった。

 だが、たまに見せる憂いのある顔を見て、何か事情があるのは間違いないと悟った。


 だが、聞きたくても聞けなかった。

 冒険者は、必要以上に他人の詮索をしてはいけない。

 それは例え、どんなに近しい仲間でもだ。

 冒険者の暗黙のルールが、これ程憎いと思ったのは初めてだった。


 彼の姿には、本当に色々考えさせられた。


 だからついつい、必要以上に辛く当たってしまう。

 早く冒険者としてのし上がって来い。

 いつもの罵倒は、自分なりに彼を鼓舞するつもりで言った。

 少し言い過ぎかな、とたまに思って不安になったこともある。


 歳の近い冒険者は貴重だ。


 嫌われたくはない。

 出来れば仲良くしたい。

 共に冒険する仲間になって欲しい。


 ミーアは、人付き合いがあまり得意な女ではなかった。


 馬鹿じゃない?

 これはいつも、言い過ぎかもしれない、とたまに落ち込む。

 これでは、嫌われても仕方ない。


 なのに彼は、やれやれといった様子で、自分の相手をしてくれる。

 自分の意図を、出来るだけ汲んでくれようと言葉を選んでくれる。

 気を遣って話してくれる。

 冒険者としては後輩だが、シーナは間違い無く歳上で、人としては先輩なのだと思えた。


 そんなシーナを、ミーアは気に入っている。


 自分の知らないところで、死んで欲しくない。

 そう思える。


 だから今日。奇襲を受けた時に焦った。


 自分が誘ったせいで、シーナが死ぬと本気で思った。


 だけどそれは杞憂で、助けるつもりが、助けられた。

 いつも冷静なシーナは、戦闘中も冷静なのだと知った。

 ただの臆病者ではなく、それどころか自分の前で剣を振るう姿は頼もしく思えた。


 完全に予想外だった。

 それがなんだか、少し嬉しかった。


 ローザに自分は怒られたのに、シーナは褒められていた。

 悔しかった。


 食べ物を頬張る知らない一面を見た。

 内心、笑いそうになった。


 そんな、嫉妬心と温かさを教えてくれる少年に、ミーアは今の自分を見て欲しいと思った。


 凄いものを見せて、認められたい。尊敬されたいと思った。


 だけど、女神様というのは本当に意地悪だ。


「射て」


 ローザの。

 リーダーの指示が、出てしまった。


「ふっ」


 手を離す。

 放った矢が、風を切って飛んでいく。


 淡い光を纏い真っ直ぐに進んだそれは、狙い通り。山狼の眉間に突き刺さった。

 視線の先で、血飛沫が舞った。

 山狼の身体が力無く倒れる。

 見慣れた光景だ。今更、何の感慨も無い。


 次いで、隣で放たれたティーラの矢が別の山狼の身体に刺さる。


「きゃうんっ!? グルッ! グルルゥ!」


 当然、即死はしない。

 悲痛な叫び声を上げ、暴れ回る。

 その為の毒だ。時間をかけて衰弱し、死に至らしめる毒。

 あの山狼はもう、死んでいる。


(つぎっ!)


 掌を突き出すと、すぐに矢を渡された。

 初めてにしては準備が良いが、気に入らない。


(アンタもっと早くやって、ちゃんと見ときなさいよっ!)


 理不尽だと分かっているが、苛々してしまう。

 行き場の無い感情を抑えながら矢を受け取る。

 我慢出来ずに一瞥すると、シーナはティーラに矢を渡している最中だった。

 自分の為だけに雑用をしてくれない事にも、もやもやする。


 この怒りはどこに向けたら良い?

 答えは決まっていた。


「っ!」


 矢を番え、一番遠くの山狼を狙って放つ。

 風を切った矢は、狙い通り山狼の眉間に突き刺さった。

 倒れる山狼の姿を視認する。


(どう? シーナ)


 胸を張ってシーナを見る。

 だが、彼は瓶に矢をつけている最中だった。

 目が真剣だ。集中しているのだろう。

 当然、こちらを見てすらいない。


 また、苛々してしまう。


(もう! なんで見てないのよっ!)


 憤るミーアは、眉間に深い皺を寄せた。

 と。視線を感じて顔を上げたシーナは、自分を睨むミーアに気付いた。

 恐ろしく鋭い視線にビクッと肩を跳ねさせ、慌てて矢を瓶から抜いてミーアに渡す。


(なによっ! その反応は……っ!)


 少し怯えた様子で矢を差し出され、ミーアは余計に苛々した。

 流石のミーアもこれが彼に与えられている役割なのだから仕方ないと理解している。


 ただ、ちゃんと見ていて欲しかっただけなのだ。


 少々手荒く矢を受け取ったミーアは手早く番え、適当な山狼を狙って放つ。


 またシーナへ手を伸ばすが、準備は当然、間に合っていない。

 見ると、また集中した顔で矢の用意をしている。


「もぅ……」


 流石に今のは早過ぎた。

 ここで怒るのは理不尽だ。

 理解しているからこそ、ミーアはもやもやした気持ちを必死に抑える。


「うおぉぉぉん!」

「あおぉぉぉん!」


 突然起き上がった山狼達が、雄叫びを上げた。

 敵襲に気付き仲間に知らせているのだろう。

 全員に僅かな焦燥感と緊張が走った。


「よし、ミーアはもう毒は良いっ。シーナ、ティーラの支援に専念しろ。ミーアは今の調子で射ちまくれっ!」


何匹かの視線がこちらに向いたのを見て、ローザが叫んだ。

 気付かれたのだ。

 すぐに二匹の山狼がこちらへ向かい走り始めた。


「ちっ!」


 指示通りミーアは地面に置いてある矢を拾い、番えた。

 バクバクと鳴り始めた胸を音を聞きながら、歯を食い縛って弓を引く。

 迫ってくる山狼の群れ。その先頭の眉間を狙い、淡く光る矢を放つ。


「キャインッ!」


 狙い通り眉間に突き刺さり、一匹絶命させた。

 矢を受けた山狼の身体が勢い良く地面をゴロゴロ転がっていく。

 次の矢を拾おうとすると、シーナがティーラへ矢を渡しているのが見えた。


(あんたを誘ったのは、私なのに!)


 途端に、イラっとした。


「シーナ、矢を渡すだけでも良いからやりなさいっ!」


「えっ?  あぁ。分かった」


 もう話して良い事に気付いたらしく、シーナが頷く。


 矢を拾って前を向く。

 五匹の山狼が走って来ていた。

 ティーラの放った矢が、その一匹に刺さる。

 矢を受けて地面を転がり、もがき苦しみだした山狼を一瞥して、他の個体を狙う。

 矢を離す。放った矢を眉間に突き刺し、殺す。


 固有スキルに身を委ね、ミーアがやるのはそれだけだ。


「ふぅ……」


 無駄な力も気負いも必要ない。

 彼女には、女神の祝福があるのだから。


「良しっ! ティーラ、付いて来い! シーナはミーアを守れっ! あの三匹だけやったら、ずらかるぞっ!」


 大剣を引き抜いて、ローザが前へ躍り出た。


「はいっ!」


 ティーラも弓を捨てて、短剣を引き抜く。


「了解だ。ミーア、援護する。やれ」


「わかってるわよっ」


 シーナが矢を渡して来たので、受け取る。

 瞬間、少し乱暴だったと後悔した。

 だが、シーナは気にした様子を見せない。

 彼も剣を抜いて前に出た。


「うっ……」


 自分の前に立った少年の背中を見て、ミーアは例えようのない高揚感を覚えた。


 シーナが、自分を守る為に前に立っている。

 経験も実力も無い最底辺の白等級の癖に……。

 右手に剣を持ち、堂々とした後ろ姿を見せている。


 ……少しだけ、格好良いと思った。


「ふっ。ふん、生意気」


 思わず呟きながら、矢を番え、先頭を走る山狼の眉間を狙って放つ。


 一匹、確実に仕留め死体が転がった。


「ど、りゃぁあ!」


 ローザの大剣が、飛びかかって来た山狼一匹を縦に両断した。

 血飛沫が舞い、ローザの鎧を真っ赤に染める。


「ん、しょ!」


 対し、山狼の突進を横に飛んで回避するティーラ。

 筋力も無く、武器も小さい。

 大柄な男。ローザのような力技が出来ない彼女は、その分立ち回り。咄嗟の回避が上手いのをミーアは知っている。


 いつも通りの光景なので安心して見ていられるが、援護はしなければ。


 そう思った瞬間、


「任せろ」


 シーナが、前に出た。


 突然、力強く地を蹴ったのだ。


 離れて行く背中は、茶革の古いコートを靡かせて、鈍く光る片手剣を携えている。


 普段から妙に冷静で、だけど臆病で、討伐任務は今回が初めての駆け出し。

 そんな彼が急に起こした独断専行。

 あまりにも思い切りの良い言葉とその姿は、ミーアには無謀に見えた。


「えっ!? ちょっと、シーナ!」


 制止の声をあげるが、彼は聞かない。

 真正面からティーラと対峙し、低く唸る山狼の背後まで一気に駆け寄ってしまった。

 そして剣先を山狼に向け、一段と強く地を蹴った。


「はぁぁあぁっ!」


 シーナが選択したのは、刺突。


 突き出した片手剣の切っ先を山狼の後頭部から突き刺し、倒れ込んだ山狼の身体に乗り掛かったのだ。

 ざざっ、と地滑りの音を響かせて、山狼を地面に押し倒す。

 そして、必死に暴れる往生際の悪い山狼の身体を両膝で抑え、


「ぐっ!」


 気合いを込めて、剣を捻った。

 ゴシャ! と鈍い音が響いた。

 それで絶命したらしく、山狼の身体は力を失う。


「はぁ、はぁ……よし。やった」


 静かな声音で言って、シーナはゆっくりと立ち上がり剣を引き抜いた。


「ふぅ……」


 ビュ、とシーナは空に剣を振るった。

 剣身に付いていた血が地面に染みを作る。


「あ、あんた……」


 山狼の血で塗れたその姿は、とても格好良かった。


 必死に声を絞りだすと、震えた声が出た。

 そして、思わず賞賛の言葉を掛けそうになったミーアは、すぐに思い直す。


 シーナは必要以上に格好付けている気がしたのだ。

 首を振ったミーアがもう一度シーナの背中を見直すと、途端に激しい怒りを覚えた。


 すぐに何を勝手な、と言おうとすると。


「良くやったシーナ! これで成果は充分だ! 他が来る前にずらかるぞっ!」


「シーナさん、助かりました。ありがとうございます」


「えっ。あぁ、わかった」


 他の二人が、シーナを賞賛した。

 ティーラはお礼まで言っている。


(えっ。な、なんで……)


 向けようとした怒りは行き場を無くしてしまった。


 何で、二人はシーナを褒めるのか理解出来なかった。

 彼は自分を守るという指示に背き、独断専行で前に出た。


 素人の癖に出しゃばったのだ。

一歩間違えば危なかった筈だ。


 たまたま、結果的に上手くいっただけに過ぎない。

 冒険者は命が掛かっている。

 それも今はパーティー戦。チームだ。

 その中で、今回彼は役割を与えられ指示を受けた駆け出し。初心者だ。

 なのに、勝手な判断で飛び出した。

 普通は厳しく叱るべきなのに。


(どうしてシーナは、褒められてるの?)


 意味が分からなかった。

 ミーアだって、意地悪をしている訳じゃない。

 ただシーナが心配だっただけなのだ。

 つまらない怪我をして欲しく無いだけなのだ。

 だから命令を破り不要で危ない事をして、余計な心配を掛けたシーナは許されない筈なのだ。

 怒られて然るべきなのだ。


(なんで、シーナばっかり……)


 だが仮に自分がシーナと同じ様な行動をしていたらと考える。

 考えてしまう。

 自分は褒められるだろうか……答えは否だ。

 少なくともローザには叱られる筈だ。


(私は、本当に心配したのに。でも、シーナの癖に心配かけるなんて許せない。

まぁ私も少しだけ。さっきのシーナは格好良いと思ったけど……。だって、褒められたいのに……何で、何でシーナばっかり……ずるいじゃない)


 色んな考えが浮かんで、混ざって。

 ミーアは混乱した。


「はぁ……」


 胸を締め付けるような気持ち悪さに襲われ、溜息を吐く。


(私は、何がしたいんだろう)


 その答えは、誰も教えてくれなくて。

 もう一度溜息を吐く。

 シーナが、こちらに向かって歩いて来た。


「ミーア、聞いての通りだ。次が来る前に、行くぞ」


「え、あ……うん」


 血に濡れた抜き身の片手剣を持ったまま、シーナはそう言った。


 すれ違い森の中へ歩いて行くその背中は、いつもの古いコートを纏った白髪の少年の姿。

 だけど、血に濡れた姿が少しだけ。

 本当に少しだけ、頼もしく見えた。


 胸が、きゅっと痛くなった。


 何故痛むのか、分からない。


 だが、予想は出来た。

 この感情の中は、勝手な事をしたシーナが許せない気持ち。

 心配や無事だった事を喜ぶ安堵は勿論ある。

 でも、中には中々褒めてくれないローザやティーラ。

 今日初めて共に仕事をしたどころか、話した自分の仲間。

 私生活は兎も角、冒険者としては尊敬している先輩達に褒められ、お礼を言われた彼への嫉妬や羨望。


 間違い無く、醜いものがあると分かる。


「うぅ……はぁ」


 せめて口から吐き出せたら、どんなに楽だろうと思う。

 だけど、それをやったら駄目だ。

 いつものような、気軽な罵倒じゃ済まない。

 そんな気がした。


「んっ……」


 だから、ミーアは我慢した。

 喉まで上がってきた、苛立ちやもやもや。

 色んな感情を唾と一緒に飲み込んだのだ。


(確かにシーナは、勝手な事をした。だけど、無事に山狼を殺してティーラの支援に成功した。怪我もしなかった。結果的には良かったのよ。討伐が初めての駆け出しとは思えない活躍だった。二人が褒めるのも当然だわ。なら、それで良いじゃない)


 離れて行くシーナの後ろ姿を見ながら、考える。


「……ふぅ」


 無理に自分を納得させ、胸に溜まっているものを息と一緒に吐く。

 やっと気持ちが少し楽になったのを感じて、ミーアは背嚢を背負い直した。


 ふと歩いて行く三人の背中を見て、ミーアは思う。

 どうしても考えてしまう。


(今回の作戦、私が一番戦果をあげたのに……)


 もやもやとした気持ちは、中々消えなかった。

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