第9話 冒険者ギルドへ。


 冒険者ギルド。 


 世界中の国々にあり、国が定めた職業案内所。


 どんなに知識が無くても、体力が無くても、体が不自由でも、どこ出身でも、その人に見合った仕事を斡旋してくれる。


 だが本来の役割は、人類の脅威となる化物や野獣を狩り、薬草や希少な鉱石を取る為に街を出たり、世界中を旅する旅人。


 文字通り命を賭して冒険をする者達。

冒険者ギルドは、そんな冒険者と呼ばれる者達を支援する為に国が作った組織だ。 


俺がこれから世話になる場所である。

初対面は第一印象が大事だと母さんは言った。

くれぐれも失敗しないようにしないと。

緊張でバクバク鳴る胸に手を置き、深く深呼吸をした後。扉に手を掛けた。


「あっ、先にどうぞ」


 木造の扉を開けた瞬間、目の前に大柄な男が現れた。


 全身を覆う鉄の鎧。

 脇に抱えている鉄の兜に一瞬、思わず目が行った。

 両腰共に片手剣。背嚢と背の間に大剣。左に長剣。右に短弓。後ろ腰に矢筒……随分武器を沢山持っている。


 相当な重量があるだろう。よく持てるものだ。

 そもそも、こんな大量に武器を持ち運ぶ理由が必要なものなのだろうか。


 疑問に思いながら改めて顔を見上げる、

 印象的な黒髪に鋭い目付きをしていた。

何と表現したら良いか分からないが、随分と覇気がある気がする。

雰囲気は少し恐いが、中々良い男だと思った。


「…………」


 男は訝しげな顔をすると、急に目を細め、俺の足元を見下ろし……そのまま全身を舐め回すように見てきた。

 なんだ急に、気持ち悪いな。

 言い難い嫌悪感に襲われる。

 普通、こんな目で堂々と初対面の人間を観察しないものだろう。

 常識が無いのか。


 最も、俺も無いに等しいが。


「……見ない顔だな。帯剣してるところを見ると、新入りか?」


不意に声を掛けられ、思わず肩が跳ねる。

恐ろしく低い声だった。

男の顔は、先程より更に渋いものになっている。

何と返答するか少し悩んで、堂々と返答する。


「はい。どうぞよろしく」


「……そうか。なら、一つ助言をしてやろう。冒険者は諦めて、お前は堅実な仕事を探した方が懸命だ。身なりを見る限り金が無いようだが、冒険者は世間から思われている程夢はない。何より危険だ。親に折角貰った命を簡単に捨てるものじゃない」


 酷い言われようだ。


 とりあえず、歓迎されてない事は分かった。


「……とは言え、決めるのはお前だ。そこを退け。邪魔だ」


 言われて振り返ってみれば、背後に人が二人待っていた。

 冒険者然とした装備では無く、私服姿の二人は俺を邪魔そうな顔で見ている。


「あっ、ごめんなさい」


 慌てて外に出ると、鎧の男は扉から出て来た。

 すぐに外の二人が入れ替わるようにギルドに入っていく。

 呆然としていると、男は俺を一瞥して。


「冒険者はお前みたいなのには向かん仕事だ。その言葉遣い。それなりに教育を受けているようだが、そんなものここでは役に立たん。もう一度、きちんと考える事だ」


 何も言えずにいると、男は踵を返して歩き出した。

 大きな背中を思わず呆然と眺め、見送ってしまう。


 ……ここにも、か。

 ここにも俺の居場所はないと言うのか。

 まだ始まってすらいないのに。

 気合いを入れた途端、突き放された気がした。


 だけど、母さんは言っていた。


 何事も経験、勇気のない奴に知識は身に付かない。本当の実力は身につかない。

 勇気を出すのは、最初の一回。

 最初の一歩が難しい。

 もし、失敗したら死ぬだけ。


 冒険者は、そういう生き方だ、と。


「大丈夫だ。ビビるな、俺」


 何を迷ってんだ、馬鹿か俺は。

 男の背中を見ながら、頬を叩いて自分を戒める。

 今の俺には何もない。

 何もないから、ここに来た。

 初対面の男に一言言われただけで、臆病風に吹かれて飛ぶ程。軽い覚悟はして来ていない。


 元よりこの命、そんなに惜しいものでも無い。


 忘れるな、シーナ。

 お前は何しに村を出た。


ここで逃げれば、何も得られないままだぞ。


 冒険者になると決めただろう。

 今までの人生を変えると決めた。

 そんなに無かったけど、捨てたものもある。

 だから俺は、ここにいるんだろう。



 ここで、ただの村人と言われた自分を変えてやるんだろう?


 冒険者ギルドの扉を見る。

 それはなんの変哲も無い、ただの木扉。

 来るものを拒まないそれは、ただ静かに挑戦者を待っているように見えた。


 ……この程度で悩む弱さ。

村人根性も、ここで捨てないとな。


 目を瞑り、一つ深呼吸して……俺は再度。小さくなった男の背中を見つめた。


「俺にはもう、戻る道なんかないさ」


 勇者や剣聖。村の皆。

 それと同じ様に、今の男の顔を胸に留めて。

 俺は僅かな迷いを自らの足で踏み、ギルドの扉を掴んで、開け放った。




 中は広い空間だった。

 最初に目に入ったのは、集会所や酒場と呼ばれている場所だ。

 ここでは共に仕事をする仲間を探したり、依頼の話や情報交換をしたり、食事をする事が出来る。

 母さんと村長のお陰で、それくらいの知識はあった。

 足を止め、暫く周囲を見渡し観察する。

 結構人が居て、随分な賑わいを見せていた。

 こんなに人が集まっている場所に来たのは、成人の儀以来だ。

 違いは人の格好と活気。あと妙に臭うことか。

 ここなら俺の汗臭さも許容されそうだと安堵する。


 やるべき事は分かっているので、探せばすぐに見つかった。


「あそこか」


 奥の方にカウンターが見える。

 腰に剣を下げ武装した男と、カウンターの向かいに立つ女性が話していた。

 あれが受付で間違いない筈。


 右手側にもあるが、そっちは食事を頼むところの様だ。

 左側にもあるな、 あっちはなんだろう。受付に居る女性と同じ服を着ているが……まぁ保留だな。

 いずれ分かるだろう。

 とりあえず真ん中で間違いなさそうだ。

 軽く息を吐いて、通路に従い歩き出す。

 あー、やっぱり緊張する。上手く話せるだろうか。


「おい、あれ見ろよっ」

「ん? 見ない顔だな。新入りか? うわ、汚ねぇ服だなぁ……おい」

「この街に貧民街なんかあったか?」

「無いに決まってるだろ……って、おい。顔! 顔みろっ!結構可愛いぞ? 金払えばヤらせてくれんじゃね?」

「目ん玉腐ってんのかお前は。ありゃ男だよ」

「はぁ? あんな上玉が男な訳ねぇだろ。お前こそ目ん玉腐ってんじゃねぇの?」

「お? 喧嘩売ってんのか。面出ろやボケが……っ! だがまぁ、女でも、あんなに汚かったらやめとけよ。何持ってるか分からねぇからな」


 ここでもまた、注目を集めてしまった様子だ。

 だが、通りを歩いている時とは違い、陰口では無い。

堂々と見られながら、普通に聞こえる声量で散々言われている。

 いいね、こっちの方がまだ気分が良い。

 街中のよく分からない視線と違って、直に悪意や好奇といった感情が肌に伝わって来る感じがする。分かりやすい。

 先程の大柄な鎧の男といい、本当に冒険者は初対面でも物怖じせず、遠慮をしないものらしい。

 図太さが冒険者を生かすのよ、と母さんは言っていた。


 ただ、その生き方に慣れ過ぎて遠慮を忘れるな。

 特に、貴族には気を付けろ。

 村長はそう言っていたっけ。


 これから俺も、その流儀に従うべきだろう。


 ただ、あそこのあいつ。俺を女に見てニヤニヤしたお前。

 お前だけは許さない。

 誰が性病持ちか。ふざけるな。

 俺は女でもなければ、股も緩くない。


「こんにちは。冒険者ギルド、セリーヌ支部へようこそ。見ない顔だね? 新人さん?」


 気付けば俺は、カウンターの前まで来ていた。

 近くに来ていただけなのに、先に声を掛けられた。

 少し驚いたが、慌てるな。皆が見てる。

 落ち着け、これくらいで慌てていたら、最初から舐められる。


 自らに言い聞かせ、軽く息を吐き、佇まいを正す。

 周りはあまり気にしないようにしよう。

 受付嬢はにこにこと笑みを浮かべ、こちらを見ていた。


「あ、あの……んんっ」


 あ、やばい。声が裏返った。

 軽く咳払いをし、無かった事にする。

 しかし緊張する。間近で見れば見る程、受付嬢は綺麗な女性だった。

 束ねられた紫色の髪。黒い制服をピシッと纏い、背筋がピンと伸びて居る。

 垂れた目尻と瞳は優しげで、胸にはいけない果実が二つ。凄まじい存在感を放っていた。

 彼女が放つ雰囲気は、村に来た勇者一行の女の子達のような圧倒的な綺麗さではない。

 幼馴染が持って生まれた、不思議な魅力ともまた、違う。

 あの幼馴染の場合、あるべき格好をしたらあっさり次元の違いを認識出来た訳だが……。


 少し冷静になったところで、俺には女性経験がない。

 それどころか、ユキナ以外。

 いや、こんな落ち着いた雰囲気のある年上の女性は本当に初めてだ。  

 こういう感覚を包容力、と言うんだったか。

 胸が大きい女なら、勇者パーティーにも一人居たな……賢者が。

 興味がなかったから、気にしなかったんだろう。


 俺は成人したての多感なお年頃。

 少し前なら、俺にはユキナが居るからこの程度……! とか。

 この程度の人にでれでれしたら、ユキナに悪い、悲しませる。と考えないように出来たかもしれないが……。


 ……結局は理想論だ。

 要するに対応に困ってしまった。


「ん? どうしたの?」


 首を傾げて、彼女は尋ねてきた。

自身が持つ不思議な魅力を振りまいたのだ。

たったそれだけ。何でもない仕草なのに、ドキッとした。


正直になろう。

とても好みな女性だった。

声も清涼で、素晴らしい。


「……冒険者志望なんだけど、どうしたらいい?」


震える唇を開いて、ただ簡素に冷静に、その一言を口にした。

 畜生。声まで震えやがる。

新しい場所。見たことのない、感じた事の無い空気。話した事がない歳上の女性。

戸惑う要素は沢山あるが、らしくない。

 情けないな、俺。


「あっ、はい。冒険者になりたいんだね? ふふっ、こんな可愛い子が来てくれて、おねーさん嬉しいな」


受付嬢は暖かな笑みを向けて来た。

 やめて、好きになっちゃう。


「そうか、それは良かった」


あまり緊張した姿を見せるのは、失礼か。

何より、この人にこれ以上。恥ずかしい姿は見せたくない。

お陰で、少しだけ冷静さを取り戻せた気がした。


「ふふっ、宜しくね。お名前は?」

「……シーナ」


 知らない場所で、新しい事を始める時。こうして理解者になってくれそうな人が居ると、こんなにも落ち着くものなのか。


 恋とか愛とか、俺が昔のユキナや母さんに抱いてきた親愛と呼ばれるそれとは違うと思うが……この暖かい感じ。


 同じ様に、不思議と俺を安心させてくれる感覚。

 また村では知れなかった事を、教えて貰えた気がした。


「そう、シーナくんね。じゃあ、この登録用紙に職業と名前。出身地を記入してね。個人情報を公開しても良いなら、ここに血印をして。しておけば、私達の方で仲間探しのお手伝いをしてあげる。あっ、文字の読み書きは出来る?」


「あぁ、出来る、大丈夫だ」


 あくまで冷静に、と自分を律しながら、落ち着かせながら、勤めて無愛想に言う。

 冒険者は遠慮をしない生き物だ。

 出来ないことは出来ないと正直に言わなければ、困るのは自分だと母さんは言ったが……その分出来ることは誇って良いと言う意味のはず。


 いつまでも何を緊張してる? シーナ。

 ほら、お前は文字の読み書きが出来る。

 ここは誇って良い所だぞ。


「わぁ、それは凄いねっ! 君、結構頑張り屋さんなんだ?」


 お姉さんは驚いた様子で、悪戯な笑みを浮かべた。

 全く嘘のない、心からの言葉だ。


 それが何故か、分かってしまって。


 


「あれ、シーナくん。どうしたの?」

「え?」

「いやだって、それ……」


 言われて気付く。左目だけだが、視界がぼやけていた。一瞬で目尻に水が溜まり、頬につぅと流れたのだ。

 慌てて袖で拭う。


「……目にゴミが、入ったみたい」


「そう、なんだ。? あはは、ちゃんと掃除してるはずなんだけどなぁ。ごめんね?」


「……いや」


 受付嬢のお姉さんは、何も言わずに笑ってくれた。

 それがとても有り難くて、この人は本当に良い人なんだと思えた。


 きっと俺は、報われたと感じたんだろう。


 初対面から、初めて人に褒められた。

 よく知らない筈の相手に、初めて認められた。

 多分、そんな気がしたんだろう。

 文字の読み書きも鍛錬も、剣の稽古も……全部ユキナ。たった一人の為、幼馴染で恋人だった女の子の為にやって来た事。

 本当に認めて欲しかった人から、言われたかった言葉。

 確かに手紙では褒められたし、誇らしかった。

 だけど彼女は、直接言ってくれなかった。

 それどころか、俺を裏切った。

急に引き離され、俺が想像出来ない程の教育や鍛錬を受け、旅をして……人類の為に戦って。

多忙な日々を送る事を強要されたユキナは、俺なんかより余程苦しんだ。  

 苦しんでいたのは、分かっているんだ。 


元々ドジで泣き虫で、そんな弱くて優しい彼女が剣を握らされ、戦う事を強要されている。

 弱音を吐くなと言う方が無理な話だ。


だから彼女は一緒に居れない俺より、勇者を選んだ。


自分と同じ女神に選ばれた英雄で、共に世界の為に戦い苦難を分かり合える。何より一緒に居る事が出来る。

 そんな、俺より何百倍も良い男を選んだのだ。


それは仕方のない事で、本当にユキナを愛しているなら……俺は本来。形だけでも喜び、二人を祝福してやるべきだったのだろう。 


だけど俺は、許せなかった。


直接話もしなかったのに、助けることもしなかったのに、醜い子供のように駄々をこねそうになるのを必死に抑え、冷たく突き放してしまった。 


本当にどうしようもなく最低な男なんだ、俺は。

後悔しても……もう遅いが。


 欲しかった人から、欲しかったものは貰えなかったけど。

 こんなみすぼらしい格好の俺でも、文字の読み書きが出来ると言っただけで、褒めてくれる人がいる。

 これから頑張れば、この人は。俺をその分だけ認めてくれるだろう。

 それはきっと、この人だけじゃない。

 積もり重なれば、命を預けてくれる仲間だって、出来るかもしれない。


 冒険者ギルドとは、そういう所で。


いずれ俺は、ユキナの為にやって来たことが何一つ無駄じゃなかったと示し、納得する事が出来るかもしれない。

英雄になって帰って来た幼馴染だけじゃなく、親と故郷の皆すら裏切り逃げ出した自分を許す事が出来るかもしれない。

母さんみたいな、立派な人間になれるかもしれない。


 だから俺は冒険者になりたいんだ。


 俺、なんだか頑張れそうだよ。父さん、母さん。

 とりあえず全力で生きて。足掻いてみよう。

「じゃあ、はい。ここで良いから、書いてね」

「あぁ」


 俺はこのお姉さんの差し出したと筆を受け取り、瓶のインクをつけて記入を始めた。

 これが最初の一歩。


 書きながら、母さんの言葉を思い出す。


『ギルドの受付さんは教養があり、頭が良くて人格者と認められた人しかなれないから、無条件に信頼して良し。受付さんは個人に深く関わる事もしてこないし、こちらもしないのがマナー。困ったら相談すべきはまず仕事仲間、次はギルド。時には、受付さんが一番! 覚えておきなさい』


 とりあえず今のところ、その言葉は信じられそうだ。

暫くは街や仕事に慣れるので精一杯だと思うから仲間も出来ないだろうし、何かあればこの人を頼り相談する事にしよう。


登録用紙への記入は直ぐに終わった。


「終わったんだけど、これで良いかな?」

「そう。じゃあ確認するね。なになに……シーナくん、16歳。職業は剣士。後は……うん、確かに」


さっと目を通しながらぶつぶつ呟いたお姉さんは、直ぐに顔を上げた。


「じゃあ暫くそっちで座って待っててくれるかな? 実は今日、もう一人冒険者登録をする人が居るの。その子が来たら一緒に支部長に挨拶して貰うから。詳しい説明は支部長に聞いてね」

「わかった。ありがとう」


頷いて踵を返す。

言われた通り適当な席を見つけて座る為だ。


「これから宜しくね、シーナくん。」


途端、背後からそんな声が追い掛けて来た。

すぐにしまったと思い、慌てて足を止め振り返る。


「こちらこそ、宜しく」


ニコニコ手を振ってくれている受付嬢に軽く会釈をして、席を探す。

それにしても、一緒に冒険者になる奴がいるのか。

どんな奴だろう。出来れば仲良くなれれば良いが……。

何はともあれ、支部長。このギルドの偉い人と一人で話さなくて良くなったのは有り難い。

話しやすい奴だと良いな。早速一緒に仕事をしようとか提案してくれないだろうか。

早く来ないかな、そいつ。


椅子に座った俺は、少し前と比べ物にならない程軽く、楽になった緊張と不安に一息吐いて……代わりに。


これから俺は、どうなって行くのだろう。

共に冒険者になるという人物は、どんな奴だろう。


周りを見渡しながら期待し、逸る気持ちを楽しんだ。



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