第8話 辺境の街、セリーヌ。

「おい、兄ちゃん。兄ちゃん! いや、姉ちゃんか? 姉ちゃん、起きろっ!」


 肩を揺さぶられ、瞼を開けた。

 最初に目に入ったのは、雑草生い茂る地面。

 次いで、自分が地面に寝転がっている事に気付く。

 寝惚け眼を擦れば、ぼんやりとした頭に昨夜の記憶が蘇ってきた。


 顔を上げる。途端、視界に入ったのは立派な髭のおっさんだった。

 眉を寄せ、面倒臭そうな顔をしている。

 その衣服と手に握られた槍。腰に下げられた剣を見て、俺は慌てて身体を起こした。


「わっ! あの! 俺は……」


 俺を起こしてくれたのは、憲兵さんだった。

 慌てて言い訳しようとする俺を、憲兵さんは手で制す。


「あー、良いって。分かってるから。あんまり良く寝てたから、起こすのが可哀想なくらいだったぜ。だけどまぁ、仕事だから勘弁してくれや」


 口角を上げ、憲兵さんは微笑むと指を背後に向けて指した。


「またせたな、開門だ。ようこそ、セリーヌの街へ」


 村を離れて、三日目の朝。

 俺は村から最も近い街。セリーヌに到着していた。


 昨晩に着いて門が閉まっていたから城壁を背にして休んでいたのだが…… いつの間にか寝てしまったらしい。

不意に憲兵さんの目が、俺の腰に向けられた。剣帯で吊るしてある鞘に収まった片手剣だ。


「そいつを下げてるってことは冒険者志望だろ? これからよろしくな」

「あ、はい。よろしくお願いします」


 随分気の良いおっさんだ。

 手間を掛けてしまった事に申し訳なさと気まずさを感じながら、ペコペコ数度頭を下げて門を潜る。

 憲兵のおっさんは、「頑張れよ姉ちゃん!」と手を振ってくれた。


 待って? なんか勘違いされてる?

 慌てて来た道を戻って、俺はおっさんに詰め寄った。


「あの。俺、男です」

「あ。そ、そうか。悪かったな、兄ちゃん」


 憲兵さんは、引き攣った笑みを浮かべた。




 セリーヌの街の通りは、早朝から賑わっていた。

 声を張り上げて商いをする者達と、買い物をする者達が沢山いる。

 相変わらず村と違って活気がある。

 村の朝は井戸で顔と身体を拭き、たまに歳食ったおばさんに「えっち! 」と言われて洗面具を投げられるくらいだ。

 誰も見たくて見てる訳じゃない。

 寧ろ金払えと男達が良い、ゲラゲラ笑う。

 そんな故郷とは全く違う。


 大通りを歩いていると、偶に投げられる視線がむず痒い。

 やけに顔を見てくる者も居た。

 嫌悪感に思わず顔を顰め横へ逸らす。すると、同い年くらいの女の子と目が合った。

 途端に「きゃー!」 と声を上げる。どうやら二人組だったらしく、小走りで走り去っていった。

 そんな彼女達の背中を見ながら、顔に触れる。もしかしたら顔に何か付いてるのかもしれない。

 草むらで寝てたし、数日歩き通しだった。その間身体を拭いてないから当然汚れているし、汗臭さも感じている。

 元々衣服が古く汚れているから、側から見たら浮浪者に見えるのかもしれない。


 ……どうやら最初から、失敗してしまったらしい。


 だけど今日は我慢するしかない。

 宿に入って身体を拭くだけでも、街では金が掛かる。

 今の俺にそんな余裕はない。

 手持ちの金は三回程食事をし、一晩宿に泊まればなくなってしまう程度しかない。

 明日から頑張らなければ。村と違って、街は金がないと暮らしていけない場所なのだから。


 これからの予定は当然、冒険者ギルドへ向かい登録を済ませる事。

 出来れば今日のうちに仕事が見つかれば有難いのだが……。

 

 そう考えながら歩いていると、ふと悪臭に気付いた。

 俺の身体も大概だが、これは酷い。

 獣のようなものと、排泄物。まるで家畜小屋のような臭いが漂って来たのだ。

 こんな街の往来では、普通あり得ないことだろう。


 顔を顰めながら原因を探すと、すぐに見つけた。

 道の端に大きな鉄の檻が置いてあり、それに人々が群がっていたのだ。


「さぁ! 寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 今朝、王都から来た魔人の子供達だよ! まだまだ認可されたばかり、魔人の奴隷はいらんかね!? 勇者様達が魔界から捕えて来た魔人の子供達だよ~!」


 魔人の奴隷だと?

 魔人がいるのか。


 世界を騒がせている新しい大陸。魔界の住人で、人間の敵。

 見たことが無いので興味が湧いた。

 知識はあったほうが良いだろう。


 今の状態で人々の間に入るのは気が引けたが、凄まじい臭いなので誤魔化せるだろう。

 俺は人混みに近づき、構わず身体をねじ込んだ。少々苦しいが、ゆっくり掻き分けて最前列に顔を出す。


 視界に入った檻の中は、酷い光景だった。

 糞尿で汚れた床に、まるで投げつけたような食事が散らばっている。

 そんな檻の中に、虚ろな目をして入れられているのはボロ布を纏った子供達だった。

 一見普通の人間と変わらない容姿に、胸が苦しくなって眉を寄せる。

 だが良く見なくても、子供達が普通の人間と違う事に気づいた。

 子供達の頭部に獣のような耳が生えているのだ。そして本来、耳がある筈の場所には何もない。

 おまけに尻尾まである。

 形や色すら様々だが、こんな存在見たことがなかった。

 思わず、魅入ってしまう。


「この魔人達めっ!」

「こんな奴隷誰が買うんだよ。危ないだろっ!」

「全員この場で殺せよっ! 臭いんだよこいつらっ!」


 野次や罵声。

 中には、檻の中に石を投げつける者までいた。

 ふと、そんな周りの喧騒が突然……聞こえなくなった。

 檻の中の一人。犬のような耳を持つ魔人の少女と目が合ったのだ。

 彼女がこちらにまっすぐ向けてくる瞳。

 それは酷く虚ろなもので……彼女達がどれ程辛い目に遭っているのか容易に想像出来た。


 不意に、彼女の小さな唇が震え……小さく開く。


「たす、け……て」


 言葉が紡がれた。

 良く聞こえなかったが、何となくわかってしまった。

 彼女が、助けを求めて居る事に。


 ……これが世界の敵、魔人?

 まだ子供とは言え、全く恐怖を感じない。

 本当に勇者達と世界は、こいつらと戦っているのか?

 あまり人間と大差ない様にしか見えない。


 寧ろ、言葉を介することに驚きと関心をしてしまい、軽い気持ちで見に来てしまったことを後悔した位だ。

 あんな姿で助けを求められるとは思わなかった。

 この様子なら、少なくとも言葉を発し、理解し、思考する能力がある事は確実だ。

 要するに、何とかしてやりたいと思ってしまった。

 いくら世界の敵とは言え、子供にまでこんな仕打ちをしなくても……。

 将来成長したら強くなり、また増える。だから処分する、なら分かる。

 だけど、奴隷とは……人間というのは中々、残酷な生き物だな。

 未知の存在だとか、敵だと言いながら飼い慣らそうとするのだから。


 とはいえ、俺には何も出来ない。彼女達を助けてあげる事なんて、到底出来ない。そもそもする気もない。

 可哀想だけど、俺は首を横に振った。

 瞬間、女の子は目を見開いた。


 そんな魔人の女の子に、俺は言った。


「ごめんな」


 もし見ず知らずの彼女を助けようとすれば、俺は世界の敵に加担した者として重罪になるだろう。

 しかも、そんなリスクを負っても檻の中の彼女一人を助けられる訳もない。

 だから、見て見ぬ振りしか出来ないんだ。


 申し訳ないけど。


「俺には、君を救えない」


 気付けば、檻の中の子供達が全員俺を見ていた。

 彼等の虚ろな瞳に一斉に光が灯っていく。

 こんな絶望的な状況なのに、何故? と首を傾げて、踵を返す。

 あまり見ていて気持ちの良い光景じゃない。


 人の群れを掻き分け、外へ出る。


「待って! 今の人、待って!」

「私達の言葉がわかるの!? 話を聞いてっ!」

「僕達を助けてっ!」


 通りに出た瞬間、集まっている人達がどっと湧いた。


「なんだこいつら、急に元気になったぞ!」


「檻に飛びついて来たっ! あははっ! 出れるものならやってみろっ!」


「そんなに石が恋しいならくれてやるよっ!」


「やだっ! やめてっ! 痛い……いたいよおっ!」


「お母さん……お父さん……助けて……っ!うわあああんっ!」


「……ちっ」


 ……悪趣味な連中だ。反吐が出る。

 気分が悪くなって、素早くその場を離れる事にした。

 街の人間ってのは、こんなに醜いものなのだろうか?


 少し不安になりながら、俺はギルド探しへ向かう為に通りを歩く。








「さぁ皆さん! この魔人の子供達! 言葉は通じませんが、こう見えて頭は良いですよっ! なんせ、我々人類の敵ですからねっ! それに見てくださいっ! こんなに元気で、見てくれだけは一級品! 檻に入れてペットとして愛でるもよし、慰め者にするもよし! もちろん人権はありませんから、思う存分可愛がり、痛め殺しても良しっ! 奴隷の首輪で戒めてありますから、ボタン一つで毒針が発射され、即死もさせられますから危険もありませんっ! 主人の力量次第では、何でも芸を仕込めるかと思いますし、幾ら働かせても賃金は必要ありませんっ! さぁさぁ! 今なら安いよ安いよー!」



 背後から聞こえてくる喧騒が、妙に腹立たしかった。





                ◇





 途中通行人の人へ道を尋ね、言われた通りに歩いて暫く。目的の建物が見えて来た。

 古い大きな木造の建物。

 そう説明されていたので、正面に見えるあれが冒険者ギルドで間違い無いはずだ。

 ついでに教えて貰ったのだが、ギルド前の通りは冒険者に有用な店ばかりで、武器や防具。薬や雑貨等、必要な物は大体揃うような店が並んでいるらしい。

 時間があれば、後で覗いてみるのも良いかもしれないな。


 道行く者達も武装していたり、集団でいる者も多く見える。間違いなく冒険者だ。

 まだ早い時間なので、これから仕事をしに行くのだろう。

 これから俺も、そんな彼等の一員になるのだ。


 母さんと同じ、冒険者に。


 自由の無く、責務の重い世界を救う旅なんかよりよっぽど魅力的だ。

 そう考えたら、あの日。俺が剣聖に選ばれなくて、良かったと心から思った。

 まぁ、そんな可能性。万に一つも無いけれど。

 ユキナが居なくなったお陰で、今。俺はここに立っているのだ。


 俺はユキナの主人公にはなれなかった。

 ユキナは世界のヒロインだったから。

 村人の俺には、不釣り合いだった。

 あいつの主人公は、勇者。これで良かったんだ。



 だから俺は、シーナという村人から冒険者になった男の話。

 そんな、小さな物語の主人公になろうと思う。


 ここからだ。

 ここから、始まるのだ。

 いや、始めるのだ。


 俺の人生を。

 まぁ、ここはあいつが剣聖に選ばれ、俺達が引き離された街。

 成人の儀を行なった教会もあり、嫌な思い出が残っているのは確かだが……今は他の街まで行ける余裕がないのだから仕方ない。

 最初はこの街で初めて、慣れてきたら別の街に移るつもりだ。

 教会には近づかなければ良いだけの話だし。気にしたら負けなのだ。うん。


 



「うわ、あの人の装備酷いな……」

「馬鹿、どう見ても駆け出しだろ! そっとしておいてやれよ!」

「でも、顔はすっごい綺麗よ? あんたらより金は無いかもだけど、金じゃあれは買えないわねぇ」

「うっせ!」



 あの、だから。

 人が感慨に耽っているのに、見てくるのやめてくれないか?


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