第6話  旅立ち。

 ユキナへ送る、最後の手紙を書き終えた。


 暫く寝直して旅支度をしていると外が騒がしくなり始める。

 僅かに赤さの残る暗くなり始めた空だった。聞こえてくる声は、宴が始まったからだろう。


 寝ている間は誰も来なかったらしい。

 やはり気を遣われているのだろうか。

 もう吹っ切れているから、気楽なものだ。

 もしかしたらユキナが一人で来たりするかもしれない。

 そして……。


 勇者と恋人になったなんて事実はない。

 まだ私はシーナが好きなままだよ、誤解なの。

 やっと会えた。ただいま。


 と言いに来てくれるかも、なんて少し考え期待もしたが……流石に高望みし過ぎだったか。

 


 ふと冷静に考えたら、それは無い事に気付く。

 彼女は今回の主役だし、正直村の皆は勇者よりユキナの帰還を祝っているのだ。

 こんな小さな村でも税金は取られるし、たまに来たら気を遣わされ何を言われても逆らえず、下げたくもない頭を下げなければならない貴族。

 そんな彼等を、世界を救う旅に出ているからと言って心から祝う物好きな奴は中々居ないだろう。

 この村、助けられた訳じゃ無いしな。

 ユキナが居なきゃ来ない方が嬉しいって、皆思ってるだろ。少なくとも俺は出来れば二度と関わりたくない。


「さて、行くか」


 何はともあれ、出て行く好機が来た。

 今日の事があって、皆。俺がユキナから振られたと思っているだろうし……実際そうだ。

 だから今はそっとされてるし、出ていくことを堂々と告げてから随分時間が経っているにも関わらず、誰も声を掛けに来なかった。

 まぁ単純に勇者達に掛かりっきりで忙しいだけなんだろうけどさ。。

 一緒に来た騎士様達の数より村の人口のほうが少ないから、全然人手が足りてないだろうし。

 だが、勇者が居なくなったら引き止められるだろう。

 俺が居なくなったら若い労働力が減って、この村の衰退は加速するだろうから。


 何はともあれ、面倒な事にならなそうな時期は今しかないんだ。行こう。


 なるつもりでいる冒険者用の装備なんて剣の一本も無いし、ユキナへのプレゼントを買って金もない。

 最初のうちは、戦い方を学びながら荷物持ちかな。

 ギルドは戦闘以外も色んな仕事を斡旋しているから、街に着けさえすれば何とかなるだろう。


 肩から掛けた雑な縫い目の鞄一つ。

 服装は、ボロのシャツに同じく古く色褪せ、膝に小さな穴が開いた長ズボン。

 夜は冷えるだろうから、防寒対策に上から茶革の外套を羽織る。

 これも相当古い品で、革は色褪せ二か所穴が開いているが……これしか持ってないから贅沢は言えない。

 武器は、母さんが冒険者時代に使っていたという形見のナイフが二本。

 これが俺の旅立ち装備。


 勇者達みたいなキラキラした始まりなんて、絶対無理だ。

 俺は改めて、彼等と自分。

 幼馴染のユキナとの差を思い知り、考えるのも馬鹿馬鹿しくなった。


 箪笥から、大切にしまっていた彼女からの手紙を取り出す。

 初めて届いたものから全部。紐で縛って纏め保管しておいたものだ。

 紙は高価で貴重なものだから、と自分に言い訳して取っておいて良かった。

 焚火等で火をつけるときに、紙以上に良い着火剤はない。


 それを鞄に押し込んで、自室を出た。






 ユキナ家の玄関。

 古い扉の割れた隙間に、俺は手紙を押し込んだ。

 これで義理は果たした。昔の男は静かに去るとしよう。

 

 お祭り騒ぎな村の中心から、反対側へ歩を進める。

 暫く歩いて、暗いから転けないよう足元に気を付けながら村の隅まで向かう。


 到着したのは、墓地だ。


 墓地と言っても、大きな石を探して来て、それに名前を掘って刺してあるだけの簡素な物。

 その中の一つに、母さんの墓がある。

 しゃがみこんで手を合わせ、瞼を閉じた。




 母さん、ユキナは居なくなっちゃったよ。

 俺の知る幼馴染は、俺が愛して、俺を愛してくれた女の子は世界のどこにもいなくなってしまったよ。

 俺じゃない男が……俺が何をしても絶対に敵わない、世界最高の男を恋人にして戻ってきたよ。

 あの日、教会で……成人の儀で。俺は彼女を失っていたみたいだ。

 だけど、今の彼女を恨まないで上げてくれ。剣聖ユキナを、どうかこれからも変わらず見守ってあげてくれ。

 彼女が沢山活躍して、無事に世界を救って……出来るだけ不幸な目に合わずに済むように。

 最後には幸せになれるように……。勇者といつまでも仲良く。大切にして貰えるように……。

 まぁ、手紙で優しいって言ってたし。見た感じも凄い良い男で、心配なんて無駄だろうけどさ。

 

 俺、街に行くよ。

 母さんと同じ冒険者になる。母さんの残してくれた言葉と、ナイフは持っていくね。大切にする。

 そして、見てくる。俺達が引き離された理由を。ユキナが救おうとしているこの世界を……自分の目で見て、感じて。旅してくる。 

 大人になったユキナが英雄になって頑張ってるんだ。俺もいつまでも止まってられないだろ。

 村の皆に黙って……父さんにすら、何も相談せずに行く親不孝な馬鹿息子を許してくれ。

 もし許してくれるなら、俺の新しい旅立ちをささやかで良いから祝ってくれ。


 どれだけ掛かるか分からないけど……生きて。今より何倍も良い男になって、ここに帰って来れるように頑張るから。



 精一杯祈って、立ち上がり空を見上げる。

 見ていてくれよ、母さん。俺、頑張るからな。

 一番光っている星が母さんなら良いと思いながら……踵を返して、墓地を後にした。






 村の出入り口の憲兵も、今日は人類最強が居るからお休みらしい。

 お陰で、何も咎められずに村を出られそうだ。

 既に空は暗いし、皆忙しいだろうから……暫くは誰も俺が居なくなったなんて気付かないだろう。

 兎に角。出発してしまえば誰も探しになんて来ない筈だ。

 と、安心しながら粗末な作りの柵を潜って、


「待てよ、シーナ」


 ……呼び止められた。しかも一番聞きたくなかった声だ。

 顔を向けると、出口から見えないように村の外の柵に背を預けて座っていたのは父さんだった。

 いつも遅くまで帰って来ず、詰め所で遊び明かして居る憲兵とは名ばかりの給料泥棒が、宴会なんて大好きそうな事をすっぽかして、どうして。こんなところにいるんだろう。


「なんで、こんな所に居るんだ?」

「こほっ。その言葉、そっくりそのままお前に返す…」


 言いながら立ち上がって、尻を叩く父さん。

 まぁ、それを言われたら辛いな。


「街まで行くんだ。ちょっとやりたいことがあってさ」

「ほぅ? 随分急だな。好きな女がやっと帰って来たのに、それを祝うより先にやるべき事か?」


 意外なことに父さんは、怒るよりもからかうように言ってきた。

 普段寡黙なこの人にしては、珍しい顔だ。

 まぁ、父さんは当然。俺が振られたって話は知ってるんだろう。


「いや、ユキナは帰って来てないよ。あれは剣聖。女神に選ばれた勇者だ」

「何言ってんだ。あれはユキナちゃんだろ? お前が好きで好きでベタベタしてた女の子だ」


 父さんは、何馬鹿言ってんだ、って顔をしていた。

 だから俺は、首を横に振ってやる。


「そうだな。身体は帰って来た。でも、中身は別物だよ」

「つまりあれは認めない、と? 今は世界中が認める剣聖様になった幼馴染だぞ?」


 確かに、そうだ。

 今のユキナは世界中が認める剣聖。

 誰もが彼女の活躍に一喜一憂し、いずれ世界をまた一つに、平和にしてくれると信じている。

 だけど彼女の瞳に、心に。もう俺は居ない。

 だから、


「認める認めないじゃない。信じる、信じないの話でもない。ただ今の彼女と同じ様に、俺の中のユキナは消えたんだ。待っていたものが、大切な人が、帰って来ないと分かった。だからもう待たない。ここに用はない。父さんには悪いけど、俺も村の外で何かやりたいんだ」


 父さんと母さんの墓は大切だけど、今の俺にあるのはそれだけ。

 その二つだけ守って行く人生なんて、ただの村人でも真っ平御免だ。


「……そうか。なぁ、シーナ。お前のそれは、嫉妬か? つい一年前までグータラして引きこもってた奴の言葉とは思えんぞ? ごほっ。一緒に育ったはずなのに、女神に選ばれ、英雄と呼ばれるあの子が羨ましくて、だから自分も世界を見る。同じ様な経験をする。こんな小さな村を出て行く。そういう意味で、そんな事を言ってごほっ……いるのか?」


 言われて、はたと気付く。

 彼女と一緒にいる勇者や仲間ではなく、剣聖に選ばれた彼女への嫉妬? 羨望?

 そんな事、考えたこともなかった。


「……言われてみれば、嫉妬した事はないな。剣聖として選ばれたユキナに、憧れもなかった。案外、俺は誰かから認めて貰いたい訳でも無いし、世界なんてどうなっても良いらしい」

「うわぁ……らしいな。そこまで顔色一つ変えずに言われたら、こほっ。さ、流石に信じるしかないぞ」


 呆れた様に、父は言った。

 だから俺は、今まで思って居た本音を吐露する。


「俺が守りたかったのは、生まれ育って、ユキナがいるこの村だけだった。だから俺が何か特別な力を持っているんだとしたら、それでもし救いたい世界があるか? と聞かれたら、それはユキナがいた頃のこの村だけ、かな。世界全部とかいらないや。そんなん勇者に任せるよ」

「はっ、そーかい。随分小さな世界だな」

「あぁ、そうだな。でも俺は、それすら救えなかったんだ」


 こんな小さな村でも、たった一人の女の子でも、俺には荷が重すぎた。

 俺は本当に、何も出来ない奴だ。


「だから、幼馴染が救おうとしている世界を見てくる、と? まぁ、お前は男だしいずれは……こほっ。でて、行くかも知れないと思っていたが、このタイミングで行くのか? こうして夜逃げみたいに逃げるのは、格好悪くないか? 確かにこのまま進んでいけば、お前は村にいた頃のユキナちゃんだけ抱えて、今のユキナちゃんを忘れられる。それはそれは、楽だろうなぁ……こほっ。だが、 それは逃げだ。負けを認めているだけだ」

「違うよ」


 父の問いに、俺は堂々と答えた。

 そう言われても仕方ないけど、その答えは知っていたから。


「逃げたくないから、戦い方を知りに行くんだ。このタイミングなのは……そうだな。今のユキナを見て、ほっとしたから、かな」

「ほっとした? 何でだ。おかしいだろ」


 確かに、おかしいかもしれない。

 だけど、勇者一行がこの街に来て、ユキナを見て、話した時。

 あの時から、何だか清々しい気分なんだ。


「どうやら俺の中で、区切りがついたみたいなんだ。あの日、俺のユキナは居なくなった。そう実感したって言えば良いかな? あの子は女神が連れて行ったんだって、諦めがついた。今のユキナは世界の剣聖で、俺なんていらない。居ない方が良い、居たら困るんだって、あいつの目がそう言ってた気がしたんだ」


 再会したばかりの時……馬上のユキナが見せた、あの申し訳なさそうな顔。

 あの顔には、故郷へ帰って来た事への安堵も再会した喜びも、今でも好きだと言う好意の色も無かった。

 あったのは、


 裏切ってごめんなさい。

 だけど、もうあなたはいらない。

 出来る事なら、二度と顔を見せないで。


 そんな、突き放す様な視線だけ。


「なら俺もいらない。今の彼女は、隣にいて欲しい女の子じゃない。あれは知らない女で、勇者の仲間で恋人で、世界の剣聖だ。今は住む世界も見てる物も違うんだ。俺の好きだったユキナじゃないなら、あそこで楽しく飯なんか食えるかよ。父さんだって知ってるだろ? 俺は出来るなら貴族と関わりたくない、普通の村人だ」

 「合格だっ」


 父さんが鞘に収まった剣を投げてくる。

 慌てて受け取ると、それは見慣れた物だった。


「こほっ……お前の母さんが、冒険者を引退した時。最後まで腰に下げてた剣だ。毎日手入れはしてあるし、刃に溢れもない。まぁ見たところ数打ちの品で、大した価値は無いだろうがな。何より古い。だが……未熟な今のお前には十分過ぎる物だろう。それに」


 と。父さんは自分の腰を二度叩いて、


「俺が毎日下げてたから、ご利益はあるだろう」

「大丈夫これ、斬れる?」

「ど突くぞ」


 だって毎日だらだらしてる父さんが下げてたって事は、これ。最後に使ったのいつだよ……!

 物って使わないと鈍るんだぞ? 毎日手入れしてたって言われても、錆とか絶対あるだろ。 

 確認したいけど、ここ松明の光だけで薄暗いから抜いてもよく見えないだろうし……。


「大丈夫だよ。手入れしてる時によく怪我するから。斬れる斬れる」

「唯一吸わせてたの自分の血かよ……でも、ありがとう。父さん」


 お陰で母さんのもう一つの形見。剣帯が使える。

 何より剣を貰えたのは有難い。道中何があるか分からないからな。

 特に、夜間は肉食獣の活動が活発だ。本音を言えば何度か街へ行った時からナイフだけで心細かった。


「鞘の裏を見てみろ」

「え、なに?」


 言われて確認する。

 一枚のカードが張り付いていた。



「ごほっ、こほっ……あー。それは、お前の金庫だ。ギルドで見せれば金が下ろせる。あんまり入ってないから、期待はするな。まぁ、そのおんぼろな服よりはマシな装備が一式揃えられる位には入ってると思う」

 

 ……なん、だと?


 ま、まじか。嘘だろ……?

 金まで用意してくれてた……!

 今の父さん格好良すぎ……っ!

 普段酒ばっかり飲んでて、何度か小遣いをくれと頼んでも「うちにそんな金はねぇ」と言っていた父さんが……!


「な、なんでこんなものが、うちに……」

「何驚いてるんだ。親ってのはガキが旅立つ時のために、ある程度金を貯めとくもんなんだよ。当たり前だろ。だから恩返しとか絶対考えるなよ。どうしてもってなら、お前も早く女作ってガキ見せに来い。そんで絶対、嫁とガキに不自由させるな。折角そんな男前に産んでやったんだからよ……もし女泣かせてんの見たら、ぶん殴っからな?」

「……皆、俺は母さん似だって言ってるけど?」

「はっ! 何言ってんだ馬鹿め。母さんを嫁にしたのは俺で、母さんとお前を作ったのは俺だからお前が男前なのは勿論、俺の手柄だろ。まぁ、まだまだガキだからか少し女顔だが、口元とか俺似だぞ? 口の悪さもな」

「口の悪さは遺伝じゃなくて、教育のせいだと思う」

「うっせ。ほら、とっとと行けよ。こほっ。もう暗いし、早めに火を焚いて休むんだぞ。夜行性の獣は肉食が多いからな」


 ぶっきらぼうに言って、ぶっきらぼうに手を振る父。

 多分今日の出来事を見て、俺は明日だと言ったけど、息子がいつ黙って出て行くか分からないから待っていてくれたんだろう。

 勇者達の世話が嫌だ、と言うのも理由の一つか。

 この人もあんまり興味無さそうだからなぁ。

 小さな頃は良く可愛がった女の子だけど、有名になった途端に息子を振ったから、とか柄にもないこと思ってくれているのかもしれない。

 暗いから明日にしろよ、と言わないのも有り難かった。


「本当にありがとう、父さん。また顔を見せにくるよ」

「こほ、ごほっ……お前の顔は見なくて良いが、落ち着いたら墓の手入れはしに来い。きっと喜ぶ。あぁ、仲間や女を見せに来てもいいぞ」


 やはり最近。咳が多いな……。

 少し前に風邪だって言ってたが、風邪にしては長引いてる気がする。大丈夫だろうか?

 まぁ何かあれば連絡くらい寄越すだろう。俺が行く街は分かってるだろうし。


「あと、ユキナちゃんに会いたくないなら少し街道を外れろ。明日の朝には帰るみたいだからな」

「分かった。本当にありがとう、父さん……行ってきますっ!」


 ボロの装備に剣一本。数枚の着替え。

 それだけ持って俺はやっとこの小さな生まれ育った村を飛び出した。

 女のユキナに遅れる事一年。

 成人してから、一年。

 色んなものを失って、何もない状態で。


 これから、手に入れる為に俺は旅に出た。


 暫く村から歩き、見えなくなってすぐ。

 今日はここで良いかと思い、街道を外れて森に入り……暫く歩いてから焚き火をする事にした。

 歩きながら拾った木の枝と、枯葉を敷く。

 次いで、今まで貯めていた手紙を取り出した。

 まだ残っている未練があるなら、ここで捨てようと思った。

 適当なものを選んで、中身を取り出し封筒に火打石で火を付ける。

 紙を火元に出来るなんて、なんて贅沢だ。全く苦労しなかった。

 街まであと2日は歩くから、封筒だけ何枚か取って置くことにする。

 中身は全部、ここで燃やす。


 火が燃え上がると、最初の一枚目。手紙を燃やした。

 瞬間、ユキナと結婚の約束をした幼き日のことを思い出した。


 二枚め。

 湖に落ちて、泣きじゃくるユキナ。


 三枚目。

 おばさんに怒られて、泣き叫ぶユキナ。


 四枚め。

 村長の家のゴミ箱に悪戯をしようとしたら、落とし穴に落ちて出られなくなり、泣き叫ぶユキナ。


 泣いてばっかの思い出かよ。

 笑顔にしろよ、そこは……!


「はは、はははっ」


 違う、泣いてるのは俺だった。

 頬を伝う涙が、生温かくて仕方ない。

 あぁ、何でこんなに悲しいんだ。

 どうしてこんなに苦しいんだ。

 今日見たユキナは、知らない奴だったじゃないか……!

 故郷を出るのが、辛いなんて思う歳でもないだろうがっ!

 父さんも気前よく見送ってくれたんだ。早速泣くなんて、申し訳ないと思わないのかよっ!


 なんで。こんなに悲しくて、苦しくて、辛いん……だ。


「あははっ! あぁ、そうかぁ! 16年も生きたのに、俺。何も無いんだっ! はははっ!」


 気付いて、俺は込み上げる笑いを抑えなかった。

 涙が後から後から、流れてきた。

 また、手紙を燃やした。


「ユキナは沢山手に入れたのに、誰からも認められる英雄になったのに……あんな凄い彼氏が出来たのにっ! 俺には、俺には何もない。何もない……っ! ははははっ!」


 どんどん手紙を火に焚べる。

 一枚ずつ、一枚ずつ。

 焼き消える度に、ユキナとの想い出が浮かんでは、消えていく。

 俺はそれを、笑いながら見ていた。


 最後の一枚になった。


 火に入れようとして、手が止まる。

 開くと、それは……


『これが最後の手紙になります』


 俺宛に、最後に届いた手紙だった。

 何となくこれで最後だから、と全部読んだ。

 もう何度も何度も読んだけど、構わなかった。

 何故なら、これは彼女が。ユキナが最後に、ユキナとして幼馴染の男に。恋人だった俺に。時間を費やしてこの世に残してくれたものだから。

 これ以降の彼女は、俺に時間を費やす事は、しなくなったのだから。

 だからこれを燃やせば……ユキナと俺の絆は、想いは……この世から完全に抹消するんだ。


 涙がポタポタ落ちた紙を、力強く握り締めてぐちゃぐちゃにした。

 固い固い、丸い紙の塊にして。無くしたくないと思った。

 だけど……。


『シーナっ! シーナァッ!』


 一年前のあの日。必死に叫ぶ彼女が伸ばした手を、俺は掴めなかった。

 だから今更伸ばそうなんて、掴もうなんて思っちゃいけないんだ。


 俺のユキナは、大切な幼馴染の女の子は……あの扉の向こうで、死んだ。


 もう、居ない。

 世界中のどこにも、いない。


「これで本当にさよならだな」


 気付けば涙も笑顔も消えていた。

 あぁ……俺はもう。彼女の事で泣くことも、感情的になる事もないだろうとわかってしまう。

 彼女の為に流す涙は、これで最後。いや、最後だったんだ。

 もう会う事もないだろうし、本音で話す事もない。

 もし目にする機会があったとしても、それは彼女が人が開けた道の真ん中で手を振り、俺は人混みに紛れた隅っこで見上げているだけだろう。

 見る世界も住む世界も違うのだから、同情も感傷も抱く事はない。してはいけないんだ。


 丸めた最後の手紙を火に入れた。

 メラメラと燃え、一瞬で灰になっていくそれ。

 空へ飛んでいく火の粉が、ユキナの心に見えた。

 俺達が共に過ごした十五年。

 その間、俺の傍にいたユキナという可愛い幼馴染の心。

 虚空に消えていくそれはきっと、女神の元へ行くのだろう。


 母さんと、同じ場所へと。



『大好きだったよ、シーナ』


……あぁ、俺も大好きだった。愛してたよ、ユキナ。



 俺が恋した幼馴染。

 銀色の髪がとても綺麗で、よく笑ってよく泣いて、悪戯好きで……ドジで。

 俺に好きだと、大好きだと言ってくれた女の子。

 将来結婚しようね、と約束した女の子。

 そんな、俺が何年も愛したユキナはこの時。この世から完全に居なくなり……思い出と心の中だけの存在になった。




 彼女は、ユキナは死んだのだ。






 俺は村出身の剣士、シーナ。


 これからは旅を、冒険をして出来るだけ色んなものを見ようと思う。

 自分の目で見て、触れて。感じて。そう出来るものだけを大切にして守り抜けるだけの強さを手に入れたいと思う。

 今は何もない無からの始まりだから、沢山苦労するだろうけど……折れずに頑張ろうと思う。

 だから……俺がそっちに行くまで、どうか見守っていてくれ。頼むよ、母さん。ユキナ。

 また昔みたいに、二人仲良くさ。



 今日は剣聖が帰省した日、なんかじゃない。

 本当に大切だったのは、小さな世界にいた少年の旅立ちだ。

 そして、ユキナという女の子の、大切な幼馴染の命日だ。


 俺は今日という日を、一生忘れないだろう。


 村人シーナ、16歳。

 その日は、星が良く見える日だった。




 

 今でも思う。

 この日、全てが始まった。


 俺が、何もない自分どころか。

 世界を変える為に歩き出した旅の……最初の一歩だったんだと。


 

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