第5話 剣聖と勇者。
馬上の剣聖ユキナは、混乱していた。
一年振りに帰って来た故郷。
当然、感慨深いものがあった。
激動の一年を過ごしたのだから、当然だ。
文字通り、人生が。世界が変わった。
たった二人きりの幼馴染と過ごした小さな村とは、あまりに違う世界を知った。
大勢の人が生活している国の中心……煌びやかな王都。
そこで自らに与えられた待遇。強制させた苦しい教育と訓練。
当たり前のように向けられ、のし掛かる期待の目と……不安。
そして半年の命がけの旅。期間が短かったため国中とまでいかないが、ユキナにとっては長く辛いものだった。
色んな街へ行った。色んな人に出会った。
まだ端だけだが、新しく現れたという新大陸にも行った。
自分達の敵……魔人を殺し女子供は捕獲して連れ帰った。
そして今回の旅では、魔人の四天王の一人を殺したばかりだ。
新大陸がある報告から正反対側である村で目撃情報があった時は耳を疑ったが、こうして探しにきて見つけたのだ。
言葉が通じない為本物かは分からないが、他と違い獣のような耳や尻尾ではなく、漆黒の角と翼。蜥蜴のような尻尾を持つ赤い髪の男だった。
戦闘能力も異常に高く、拳の一突きで大気が震え地が割れた。
更には炎を吐き翼を羽ばたかせ空に飛ぶのだ。
間違い無く只者ではない。
共にいた女の魔人剣士も凄まじい強さだった。恐らく、四天王の加護を受けていたのだろう。
最終的にユキナが殺めたのはその剣士だ。
腕の立つ戦士と一対一の斬り合い。本気の殺し合いは初めてだったので、とても恐くて緊張したのは未だに覚えている。無傷で倒せたのは、流石は剣聖の祝福と言ったところだろう。
何にせよ大した損害も出ず、素晴らしい戦果を上げる事が出来た。
王都へ帰り報告すれば、皆喜んでくれるに違いない。
と、自分も含め皆で喜んでいたが……。
「折角ユキナの故郷の近くに来たんだ。寄って行かないかい? 突然引き離されたと聞いているし、家族に会いたいだろう。最近頑張ってるし、今回はよくやってくれた。ご褒美だよ」
勇者様のそんな提案で、村に帰れる事になったのだ。
ずっと帰りたかった。
やっと、帰って来た。
整備なんて殆どされてない街道から、その姿が見えただけでも頰が緩んだ。
だけど……彼女はここに伝えなくてはならない事があって、来たのだ。
決して懐かしみ再会を喜ぶ為ではない。
自分の人生は、持っていた価値観は変わってしまった。
それを伝える為に、彼女は……この村に帰って来たのだ。
だが、村に入ってすぐ予想外の事態が起きた。
代わり映えのしない故郷。
代わり映えのしない村の皆。
生まれ時から十五年過ごした故郷。変わらない場所を見て、変わってしまった彼女は安心していた。
他に訪れた村と変わらず歓声を上げ拍手をし、讃えてくれる良く知る顔達に誇らしく手を振った。
私は、英雄になりました。
特別な存在になりました。
生きて帰ってきましたと手を振った。
そして見つけた。
服装も、見た目も。村のみんなが変わらないように変わっていない男の子。
途端。一気に湧き上がってきた暖かな気持ち……ユキナは心の底から再会を喜び、同時に申し訳なさで一杯になった。
今から彼に、伝えなければならない事がある。
精一杯の誠意で、謝らなければならないことがある。
もう私は、あなたに好意を抱いていない。
そう伝えなければならない。
今から彼の悲しむ顔を思い浮かべて、ユキナは胸を痛めた。
彼は自分を心から好いていると確信している。
好きだ、と何度も言われたし、手を繋げば頬を染めていたシーナ。
そんな彼を裏切ってしまった。
非は、こちらにあるのだと分かっていた。
それなのに。
勇者様の無茶振りで、心の整理も付かぬまま無理矢理話さなければならなくなって、目の前に馬を寄せたユキナは気付いていた。
自分が何年も愛した幼馴染。久々に見るシーナの身体は、一年という時間で逞しく成長していた。
顔立ちも封じ込めた想いが、思わず再燃しそうになる美しい青年になっていた。
相変わらず……いや少しだけ凛々しさを得て、更に綺麗になった幼馴染。
その美しさは今の恋人である勇者。女神様に世界中の誰よりも最高の恩恵を受けて生まれた筈の勇者様に決して引けを取っていなかった。
僅かに幼さを残した中性的な顔は、勇者様に比べて少しだけ女の子っぽい。というより、女だと言われてもあまり違和感がないように見えた。
(す、凄い格好良くなってる……)
だが……それはドキドキと高鳴る胸の鼓動を聞きながら、大好きだった彼の瞳を見た時だった。
ユキナの背筋にゾッと悪寒が走ったのは。
「はい、お久しぶりですねユキナ様。あの日から一年の月日が経ちましたが、私は未だ、この村で変わらない日々を送っております。ユキナ様は、随分ご立派になられましたね」
自分の問いに答えたシーナの一言に、ユキナは確信を持った。
彼もまた、変わってしまっていたのだ。
自分が必死に覚えた言葉を巧みに操り、昔からだったが今は更に拍車の掛かった自信と余裕の見える仕草。
そして何より、彼の瞳。
宝石の様だった大きな青い瞳は……ユキナを見ていなかった。
(どうして? )
ユキナは慌て、悲しんだ。
こんな瞳、好きな人に向けるものではない。
いや、人が見せるものじゃない。
光の無くなった、まるで虚空を見ているような瞳。
ユキナはその目に、見覚えがあった。
半年の旅路。ユキナはその目を何度か見た。
魔界から流れて来た、新型のモンスター被害を救いに行って、大切な人を失った者。
命を奪われ、道端に転がる死体。
圧倒的な絶望を味わった者にしか出来ない、冷たい瞳。
白髪の美少年の瞳はそれらに酷似していた。
「あぁ……」
予想外の再会を終え、村の奥に誘導されながらユキナは悲痛な声を漏らした。
彼は一年。苦しんだのだ、とユキナは気付いてしまった。
自分が居なくなって、半年も手紙が来なくなって。
この何もない村で、唯一の話し相手だった自分を失って苦しんで苦しんだのだ。
その点、自分はまだ良かった。
女神に選ばれ、厚遇されて……苦しくて辛いことも数え切れない程あったけど、世界を見て回っている。
世界中の人々に求められ、助ければ感謝をされ、期待をされ、安心して背中を預けられる仲間と人間離れした力を手に入れて……その中のリーダーである勇者に愛されて。
そんな自分と違って、シーナもは何もなかった。
故に彼は、孤独に苦しんだのだと思い知った。
この何も無い村で、たった一人で。
「ユキナ、どうしたの?」
不意に勇者様が馬を寄せてきて顔を覗き込んできた。
慌てて顔を上げたユキナは勇者の顔を一瞥し、瞳を潤ませて口を開く。
「私は……シーナに酷いことをしました」
「まだそんなこと言ってるのかい? 散々相談したじゃないか」
「……そしてまた、酷いことをしなければなりません」
ユキナは顔を伏せた。
自分はあそこまで……あんな瞳が出来るようにまで追い込まれた幼馴染に。
ほんの少し前まで心の底から愛した男の子に、追い討ちのように別れを告げなければならないのだ、と。
胸の痛みが酷くなり過ぎて裂けてしまいそうだった。
「はぁ……それにしてもシーナくんって……本当に綺麗な奴だね。聞いてはいたけど予想以上だったよ。流石は君の元彼だね」
「はい、私も予想以上でした。前よりずっと格好良くなってて……」
「そうなんだ? まぁ気にしなくても、あれじゃすぐに別の女が出来るさ。そしたらユキナの事なんかあっという間に忘れちゃうんじゃないの?」
「シーナに、別の女の人が……?」
何でもない事の様に勇者は言った。
ユキナは少し考える。
自分が居た場所に、知らない女性が手を繋いで笑っているところを。
何故か、堪らなく寂しくなった。
「……それは」
「なんだい? 嫌そうな顔して。まだ未練ある? 君にはもう、僕が居るのに」
嫌そうに顔を顰める勇者。
しまった、とユキナは慌てて手と首を振る。
「ち、違います。ただ、それはそれで寂しいなぁ……と思いまして」
「あはは、そ。ユキナは欲張りなんだね、僕と一緒だ」
勇者シスルは愉快に笑った。
彼の言う通りだ。勇者パーティーは既に、全員が彼の恋人。
ある程度戦いが落ち着いたら、王都で盛大な挙式を上げ伴侶となることも決まっている。
これは数百年前。悪魔と戦ったと言い伝えられている初代勇者一行と全く同じだ。
既に序列も決まっていて、ユキナはその序列で最下位。第三夫人になることが決まっていた。
理由は様々だが……何より他の二人と違って平民生まれ。一番身分が低いから、と言うのが原因である。
だが、お気に入り順で言えば二番に入っているとユキナは自負していた。
一位は賢者のルナだった。あの胸はずるい。
暇さえあれば求められる夜伽で、勇者はユキナの平らに等しい胸をいつもからかってくる。
成人の儀を終えれば幼馴染に。と密かに予定していたユキナの純潔は、既に勇者シスルに捧げられていた。
それどころか何度も交わり、引き返すことなど出来なくなっていた。
彼女が自ら両親に宛てた手紙は真実だったのだ。
そうなれば当然。
「でも、駄目だよ。君は僕のなんだから。まぁ、嫁に寂しいと言わせるのは男の甲斐性的に頂けないから、今夜は可愛がってあげる。丁度、君の家に泊まるしね。嫁の実家でするってのも、なかなか乙なものだし」
「……は、はい」
シーナに劣るどころか、凛々しさだけなら何倍も上の勇者。
そんな彼に爽やかにウインクされれば、ユキナは借りてきた猫のように頷いた。
陶磁器のような真っ白な肌が熱を持ち、赤く染まる。
快楽を教え込まれた身体は当然。この反応は、心も勇者に傾いている何よりの証拠だろう。
「いいかい? ユキナ。君は剣聖。女神様に選ばれた特別な人間なんだ。対して、彼はただの村人。昔はどうだったか知らないけど……今の君がこんな辺境の村人に罪悪感を抱く必要はない。彼は正直、普通の平民以下の底辺。君は世界の為に戦う力を持ったヒロイン。正しいのは当然君だ。分かってるね?」
「は、はい。承知しております」
何度も言い聞かされた言い付けに、馬上のユキナは前腰で両手を重ね了承を示す為頭を下げた。
「なら今夜、言うべき事はちゃんと言うんだ。さっさと振って身の程と言うものを分からせてあげるのが、君が彼に幼馴染として最後に出来る事なんだから」
「……はい」
暗い表情で俯くユキナを見て、すっかりこの女も従順になったものだ、と勇者は笑みを浮かべた。
「それにしても、村人シーナか。少しだけ期待してたのになぁ」
ユキナに聞こえないように、小さな声で勇者は不満を漏らした。
「な、なんでしょう。勇者様……?」
「ん? 何でもないよ。あぁ、次は、ユキナの両親の挨拶みたいだね」
気付けば村長の話が終わり、今度は一組の夫婦が前に出てきている最中だった。
勇者はそれに目を向け、笑顔で迎えながら思案する。
(とりあえず今夜揺すって見て、駄目なら諦めるかぁ……あの様子じゃ全然ユキナに固執してなさそうだから望み薄だけどさ。はぁ……全く。話が違うよ)
勇者は、やれやれと肩を竦めた。
あんな綺麗な顔だ。
既に仕込んである見世物も先程見せられた無表情とあまりに冷静な態度で淡々と返されれば非常に面白くないものになる。
だが、もしあの綺麗な顔が絶望で崩れてくれれば相当楽しめるだろう。
激昂して掴みかかって来てくれれば、一番良い展開になるのだが。
「ったく、使えない」
横目でユキナを見ながら、勇者シスルは舌打ちした。
(こんな過酷な旅をしてるんだから、それくらいのご褒美用意しとけよ、女神エリナ様。何であんな奴なんだ。わざわざこんな辺鄙なところに出向いてきたのに、これじゃあちっとも面白くなりそうにないじゃないか)
勇者はイライラして、嫁の両親の前なのに鐙を揺らした。
(確かに聞いてた以上に格好良いし、とてもこんなところで生まれた奴には見えないけど……ていうか本当にユキナの幼馴染なんだよね? あれ。出来が違い過ぎない?)
初めて会った時のユキナと比較すると、村人シーナは随分出来た男に見えた。
とても同じ環境で同じ時間を過ごし成長した人間には見えない。
一年の空白期間はあるが、ユキナと違い変わらずこの村で過ごしていたなら大きな変化はない筈だ。
ユキナ本人は昔と違う。話し方が変わっているとは言ったが……元々それなりに教養があるのは間違いない。
皆が本当に手を焼いたユキナとは雲泥の差だ。
あんな雰囲気を纏った平民、王都でも滅多に居ない。身なりさえ整えてやれば、貴族だと言われても疑わないだろう。
少なくとも、身の程を分からせる必要は全く無い様子だった。
(さて……どうなるか。他にも何か考えとくかぁ)
半ば諦めながら腕を組み、勇者は「うーん」と呻いて小首を傾げた。
村人シーナ。あれは、つまらない玩具になりそうだ。
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