剃毛

諸星モヨヨ

剃毛

檻波良おりはら 可憐かれん 彼女はそんな名前をしていたが本名はなんてことない名前だった。『日本名前百選』の上から十二番目ぐらいに乗っていそうな名前だ。


その名前をなだ 秀一しゅういちとその友人、水上みずかみ 康生こうせいが知ったのは彼女の葬式の式場だった。


彼女は生前、二流、いや三流のコスプレイヤーだった。コスプレイヤーに二流も三流もあるのかと聞かれればそれは分からない。だが、確かに彼女は三流のコスプレイヤーだった。


彼女は中古玩具やマニアックな中古本を扱う漫画古書店のコスプレ店員だった。


コスプレ店員とは文字通り、何らかのコスプレをして働いている店員のことであり、店にはコスプレ店員が数人在籍していた。その中でも彼女の人気は飛びぬけて高かった。顔はそこまで良くはなかったが、奇抜で誰もしないようなマニアックなコスプレをしていたことや、気さくで明るいその人柄が人々の心を掴んだのだ。彼女の人気具合は中々のもので、彼女が歌った七〇年代特撮番組の主題歌を集めたインディーズCDが発売され、写真集が自費出版されるほど。秀一と康生はそんな檻波良 可憐のコアなファンの一人だった。



そんな彼女が死んだ。


死因は自殺だった。


話では天井まで吹き上がりぽたぽたと垂れ落ちる鮮血を見た彼女の母はその場で失神したそうだ。 

前兆のようなものは全く見られなかった。ただ、死の数日前、彼女のブログに

『そろそろウカウカしてられなくなった。成長って突然来るのかもね』

となんの脈略もない奇妙なコメントを残していた。これが前兆だったのかは分からない。だが遺書のようなものは見つかっておらず、これが彼女の最後に残した文であった。


彼女が働いていた漫画古書店の店長の伝手で二人は葬式へ出席し、焼香を上げた。遺影に映った彼女の顔はメイクをしていない所為か、いつも以上に冴えない顔。


その写真を見た秀一は、なぜこんな女の子のファンだったのか自分を疑った。


式場からの帰り道二人は何も話さなかった。哀しみのせいではない。どこかやるせなさを覚えたのだ。なぜ自分達はあんな女の子をあそこまで祀りたてて、崇めていたのか。実感のようなものがまるで沸かなかった。棺桶に入った蝋人形のような彼女の顔が檻波良 可憐とは思えなかったのである。


本当に檻波良 可憐は死んだのだろうか。秀一は思った。



八畳一間の狭い自宅に帰った秀一は机の上に放り出された彼女の一番新しい写真集を何気なく手に取った。


葬儀に行く寸前まで眺めていたのだ。


ページをめくるとそこには際どい恰好した可憐、怪獣のコスプレをした可憐、緊縛師に縛られ喘ぐ可憐、そこには檻波良 可憐がいた。


先ほど棺桶で横になっていたあの少女とは違う。明らかに何かが違うのだ。言葉で上手く言い表せられないが秀一はそれを感じ取っていた。

最後のページをめくる。そこに透明のフィルムが張り付けられており、フィルムの中には糸くずのようなものが入っている。


彼女の陰毛である。


綺麗に剃毛された彼女の陰毛が特典として巻末に張り付けられているのである。秀一はそれを丁寧にぺりぺりと剥がし手の上に乗せ、ジッと目を瞑る。


想像する。


彼女を。


次第に彼の下半身が発熱し始める。


「クソォ……なんでこんな娘にぃ…」

虚しい手慰みの後、乱雑に処理を済ませると電気も消さずに秀一はごろりとベッドに横になった。


ぶぅいーんと扇風機が周り淀んだ部屋の空気をかき回し始める。


火照った体を風が撫でる。生温かい風を受けながら秀一の意識はゆっくりと淵へ降下していった。




深い眠りから彼を引きずり出したのはちくりと腕を針で刺しているような痛みだった。扇風機が止まっている所を見ると少なくとも二時間は経過していることが分かる。


「うぅっ……」


痛みを感じた腕を上げる。疝痛を覚える場所に目をやると腕毛とは違う長く、固い毛が一本腕から生え出していた。いや、生えているのではない彼の皮膚を突き刺しているのである。


なぜ分かるのか。


それは剛毛がぐにゃりぐにゃりと躍動し、奥へ奥へと彼の腕の中へ侵入せんとしているからである。


次第に意識が覚醒し始めた秀一はことの異常に気付き、毛を掴み腕から勢いよく引き抜いた。


「痛ってぇッ!」


床に投げ出されたそれは切られたトカゲの尻尾の如くぴくぴくと左右に激しく動いている。


「な、なんなんだこれ…まさか…」


秀一は机の上に置いてあった彼女の写真集をめくる。

最後のページ。

彼女の陰毛がない。手慰みをした後しっかりと戻していたはずである。


「檻波良 可憐の陰毛か……これ…」


あまりにも奇妙な出来事に秀一は目を見開いたまま茫然と床でうごめく三流コスプレイヤーの陰毛を見つめていた。陰毛はまるで生きているかのようにぐにゃぐにゃと動きながら少しずつ移動している。


不意に陰毛のそばへ蠅が一匹、着陸した。


ぴくっと陰毛は動きを停止する。

秀一にはその姿が狙いを定めているように見えた。そして彼の予想通り次の瞬間、陰毛は黒い針のように跳躍し、蠅に突き刺さった。

その黒い針はするすると体を回転させ蠅の体内へ侵入していった。それが完全に侵入しえ終えると蠅はぱたりと倒れびくびくと痙攣したように震え始める。 


何が起こるのか……ごくりと生唾を飲み込みながら秀一は見つめる。


数秒後蠅は何事もなかったかのように突如起き上がる。いや、何の変化もなかった訳ではない。蠅が数度身震いすると、その複眼を突き破るようにして蝸牛の目玉にも似た触角がにょきりと顔を出した。


触角の先には黒い球がぶらんとぶら下がっている。よく見るとそれは人間の眼球である。


眼球の付いた触角をぐりぐりと動かし蠅は辺りを窺う。複眼の間がパックリと割れそこには縦に裂けた口のようなものまで出現した。もはや蠅とは全く違う生物がそこに誕生したのである。


変質した蠅は再び身震いすると羽を羽ばたかせ上昇し、空中で数回旋回すると、秀一めがけ滑空してきた。


「うおっ!」


思わず秀一はベッドの上で転がり、既手の所で蠅をかわす。

秀一への突撃に失敗した蠅は電灯の高さまで急上昇し、再び旋回を始める。


この蠅は確実に自分を狙っている。秀一はある映画を思い出していた。生物に次々と寄生し、成長していく古い映画だ。


瞬間、秀一は理解した。この檻波良可憐の陰毛は自分に潜り込もうとしている。この陰毛が一体何なのか分からない。だが確実に自分の体を狙っている、逃げなければ。


しかし逃げるとしてもベッドの上から部屋のドアまでは五メートル近く離れている。もしも蠅に背を向け移動すれば蠅からの攻撃は免れないだろう。


その上、敵のサイズは極小さい。見失ってしまえばどこから攻撃を加えられるか分からない。 


「戦うしかねぇ……」


秀一は枕元に置いてあった雑誌をサッと手に取りぐるりと丸める。その間も目線は空中を舞う蠅を追っている。


次の攻撃と同時にインパクトを与える。雑誌を握る彼の手に力が入る。 


大きな楕円を描くように飛んでいた蠅は突如急降下。床すれすれまで降下した蠅は床と激突寸前で直角に向きを変え秀一めがけて突っ込んで来た。


「ぬぇぇぇぇぇぇッ!」


秀一はベッドのスプリングを利用し大きく反動をつけてベッドから飛び降り、地面を滑るように飛行する蠅めがけて雑誌を振り下ろす。


パシィィィィンッ‼


一刀した彼の腕の力、そしてベッドから飛び降りた時の落下スピード、そのすべてが蠅めがけて一気に叩き込まれた。


直撃‼……かに見えたがインパクトの瞬間蠅は方向を変え秀一の頭上へ直上する。


すかさず秀一は短剣と化した雑誌を振り上げ空中でそれを狙う。しかしこれも巧みにかわされ、蠅は再び床すれすれを滑空し秀一に迫る。 

狙う秀一の短剣。

短剣は数十回と床を叩くが、蠅はこれをあざ笑うかのように悉く往なし、秀一の顔めがけて急上昇する!


幾度もの攻撃に体力を消耗していた彼はこれを回避できなかった。蠅は秀一の頬に衝突し、驚いた彼は後方へ跳ね飛ぶ。


「ううぅっ……」


ツゥーッと秀一の頬に生温かいものが走った。


血である。


見ると頬の肉がほんの数センチほど食い千切られている。

蠅は電灯の傘に止まり、ジッと動かない。

蠅は巨大な複眼の間に出来た裂け目、そこに生えた無数の牙で秀一の頬肉をくちゃくちゃと咀嚼している。


じっとこちらを見つめる二つの複眼はまるで勝利を確信したプロレスラーのようである。どう、相手を調理してやるか、それしか頭にない。

自身が負けることなど微塵も思っていない。


秀一は床に仰向けで倒れたまま頬の血を拭いハッキリと目を開けて蠅を見つめる。

立ち上がらない所を見ると最早力尽きてしまったのだろうか。


蠅は肉を食べ終えるとカクッカクッと首を振り、飛び上がった。最早何の前動作もない。仰向けに倒れる秀一めがけて降下していく!


絶体絶命、そう思われた次の瞬間、蠅の姿が消えた。秀一まであと数メートルと言う所で突如として消失したのである。いや消えたのではない。


見ると蠅は向きを変え、何かに引っ張られるようにして後ろ向きに飛んで行っているのだ。その先にあるのは扇風機。

それも正面ではなく後ろを向いた扇風機である! 


扇風機が巻き込む風に蠅が引っ張られているのである。それを見て秀一はニヤッと笑う。彼は倒れた状態のまま、足の指で扇風機のスイッチを入れていたのだ。


扇風機の風と言っても蠅にとっては竜巻のようなものである。必死の抵抗も虚しく、程なくして蠅は扇風機に巻き込まれ、プロペラに弾かれて床へ激しく叩きつけられる。体こそ無傷だが全身を強打した為蠅はピクリとも動かない。


「なぁぁぁぁぁぁッ‼」


そこへすかさず秀一は雑誌を叩き込んだ。


ぷじゃっ 雑誌の向こうで固いものが潰れる感触が伝わってくる。雑誌を上げると蠅はペシャンコになり内臓やその他諸々をはみ出し絶命していた。


「はぁーーーッ……」


秀一は大きく息を吐き出すと壁にもたれ掛るようにして座った。ポケットからタバコとライターを取り出す。本来ならば室内は完全禁煙だが秀一は気にしない。全く混乱した状況と頭を整理するにはもう一服しかなかったのである。


 タバコを口に加え火を付けそのまま後ろへ頭を投げ出す。

バンッと壁に頭がぶつかると同時に上から何かが落ちてきた。


ウイスキーの瓶である。彼が寄り掛かっていたのは壁ではなく冷蔵庫だった。秀一はウイスキーの瓶をキャッチし、蓋を開けた。高濃度の気化したアルコールが彼の鼻を突く。


「ふぅっ……なんだったんだあれ…」


先ほど潰した蠅に目をやると、なんと蠅の体から縮れた毛が一本ぐにゃりぐにゃりと這い出して来ているではないか。思わず秀一はウイスキーを乱暴に打っ掛け火の付いたタバコをそこへ投げ込んだ。


ボワッと炎が広がり這い出てきた陰毛を火で包む。烈火に巻かれた陰毛から

「きぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーーっ」

という女性の悲鳴にも似た声が響いてくる。


どうにも形容しがたい不気味で悪辣な声だった。


炎を凝視する秀一の額に汗がにじむ。

陰毛は炎の中で激しくうねり、まるで身悶えているかのようにのた打ち回り完全に焼失してしまった。水を掛け、火を消した秀一は再びベッドに上がり、彼女の写真集を手に取った。


 彼女は一体何者だったのだろう……びりびりに破かれた制服を着た可憐を見ながら愁思した。


 秀一は不意に水上のことを思い出す。彼も写真集を買ったはずである。

「あいつ大丈夫か……」

 




中国の古い書物『彌音墾拾裁びいんこんしゅうさい』にこんな話がある。

とある国に絶世の美女がいた。美女はその国の王と結婚し妃となった。妃は美を保つために贅の限りを尽くし美貌を保った。しかし幾らお金をかけて美を保とうとしても老いには勝てないという事を知り、自ら命を絶った。その国には死者の陰毛を形見にするという風習があり、王は嘆き悲しみ彼女の形見として陰毛を綺麗に剃毛した。しかし彼女の長く生き続けたいという気持ちが乗り移ったのか数百本の陰毛は空中を舞い、侍女達の体に突き刺さった。次の瞬間、侍女達の体が一斉に変容したちまち妃の姿に変わってしまった。王は大変喜び、数百人の同じ顔をした妃と幸せに暮らしたという

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