うじがみ様

有本博親

Act.1 すんどめ


 ねぇ、あのさ。

 うじがみ様って知ってる?

 そそり立つ男の一物を弄びながら、女がつぶやいた。


「最近流行ってる掲示板アプリなんだけどね。お願いしたいことを掲示板に書きこめば《うじがみ様》がどんなお願いもかなえてくれるの」


 ピロートークをする際、この女は自分が夢中になっているマイブームを語ってくる。

 世間で話題のファッションや小物アイテム、ダイエット法など、たいして興味をひかないような、だいたい「へー」で片付けられる薄っぺらい流行物の話題ばかりだ。


「かなえるって、どういう意味?」


「ん?」女が小首を傾げた。


「いや、だからどういう意味だって」


「んーとね。やせたいってお願いすればやせることができるし、お金持ちになりたいってお願いすればお金持ちになれるの」


 男は鼻で笑い、「なにそれ? なんかの勧誘?」と茶化した。


 部屋の壁にかけられているデジタル時計は深夜一時を表示し、カーテンの隙間から車の光が差し込んでは消える。

 砂利道を車が通り過ぎる走行音が後から聞こえた。


「そう思う?」


「思うな」


 女は微笑み、おもむろに男の一物を咥えこんだ。鼻から漏れる喘ぎ声に混じって、唾液がからむ音が部屋の中に響く。一定のリズムを刻むように、女の頭が前後に揺れる。薄暗い部屋で男は顎を反らし、軽く下唇を噛んだ。

 うなじが甘く痺れる。

 太ももから足のつま先にかけてこそばゆい何かが走り、やがて股間の奥から出そうになる。が、放たれる一歩直前に、そっと一物から口を離された。

 ゆっくり男は息を吐く。

 息を吐いた男を見て、女は満足そうな笑みを浮かべる。


「気持ちよかった?」


「そこそこ」素っ気なく男は返事した。

 頃合いを見計い、焦らされる。一通りの行為が終わってすっかり落ち着いたはずなのに、再び扇情的な興奮に引き戻された。うまいな。今まで付き合ってきた他の女たちに比べれば、段違いだ。

 が、ここで素直に気持ちよかったと答えてしまうのは得策ではない。女が主導権を握ったと勘違いするおそれがある。

 リードをしているのは俺であり女ではない。させているのではなく、させてもらっている。そこを履き違えてもらっては困る。

 女という生き物は、自分のことしか考えない。自分の価値観が全て正しいと本気で信じている。それが女だ。

 口を開けば、くだらない近況報告や身の回りにいる誰それの不満ばかりを撒き散らすことに忙しく、他人に興味なんてこれっぽちも持っていないくせに、自分を中心に世界は動いていることを前提に物事を進めようとする。いわゆる獣。本能の塊のような存在だ。中にはそうでもない女がいると主張する偽善者な奴がいるが、そういう奴の大概は、女の本性を知らない間抜けがほとんとだからあてにはならない。

 自分勝手なこいつらのいうことを聞くほど、馬鹿馬鹿しいものはない。俺のようなお人好しがそばにいてくれているだけで、感謝するべきだ。と、男は考えている。


「タカシと会えたのも、全部うじがみ様にお願いしたからだよ」


 細い指で垂れた前髪を耳に流し、女は白い歯を見せた。

 あかぬけた都会の雰囲気に、ほっそりとした体つき。初めて会ってから肉体関係に行き着くまでさほど時間はかからず、今では自分の部屋に頻繁に通うようになっている。

 タカシにとって、女は恋愛対象ではなかった。

 少なくとも、タカシから女にはっきり好きだと告白した覚えはない。なんとなくその場の雰囲気に身を委ね、カジュアルに互いの身体で性欲を発散している。肉体関係のみの恋人ごっこ。いわゆるセフレと呼ばれる存在である。

 セフレは男にとって理想的な男女関係だ。

 今の自分自身の生活や将来について小うるさく指摘されることもなく、たまに部屋に呼びつけてやることだけをやる。金をかけず自分の欲求を満たす。それだけの関係だ。


「《うじがみ様》にかっこいい王子様に出会えますようにってお願いしたの。そしたらタカシに会うことができたんだ」


 一物の先端を指先で愛おしそうにさすりながら、女はつぶやいた。

 カーテンの隙間から入ってくる車の光に、一瞬、女の明るく染めた巻き髪が輝いた。

 普段は飲食関係の接客をしていると女はいっていたが、体裁を取り繕うだけの薄っぺらい嘘であることはタカシは見抜いている。

 身につけている香水や異性に対しての態度。素人にしては、異様に手慣れすぎている。キャバ嬢か風俗嬢か。いずれにしても夜の仕事をしているのは想像に難くない。でなければ、そもそも、頻繁に平日の昼間から部屋に入り浸る事なんてできるわけがない。アルバイトにしても夜間のみのシフトが入った接客業と聞けば、おおよその見当はつく。

 女が夜の仕事をしていようととくに興味はない。商売女はみな心に闇を抱えているものだ。友人から深入りするなと忠告はされもしたが、そんなことはとっくにわかっている。遊び慣れているタカシにとって、女が何者だろうと誰と繋がっていようと、どうでもいい。やることだけやらせてもらえれば、それで文句はない。所詮、自分が構ってもらうことにしか能のない生き物だ。自分が知らないだけで、キープしている恋人候補は他にもいるに決まっている。自分以外の異性と似たような恋人ごっこをしているのだろうから、こちらが気遣うだけ損なのだ。

 てきとうに話を合わせ、てきとうに聞いている振りをし、てきとうに相槌を打つ。それっぽく会話が成立すれば、ヒステリックに激昂されることはない。そうやって、これまでタカシは何人もの異性の出会いと別れを経験しきた。人肌寂しさに女が男を利用するように、こちらも性欲処理として女を利用する。

 愛なんて高尚な概念は存在しない。一物に溜まった精液を絞り出すためだけの肉穴。とくにこの女に対しては、その認識でしかない。

 ゆえに、そろそろだとタカシは思った。

 潮時だな、と。

 女が恋人ぶるようになったり、さっきのようなわけのわからない電波的なことをぼやくようになるのは、自分に心を開いてきた、つまり、依存してきた証拠だ。

 最近、この女にその徴候がよく出ている印象がある。性交するまである程度は仕方がないと割り切れるが、依存されるのは非常にまずい。恋人気取りで何かと文句をいうようになるだろうし、下手をすれば実家にまで押しかけられるはめになりかねない。

 逃げるなら今だろう。まだ本名や実家の住所を知られていないこのタイミングなら、どうにか雲隠れはできる。と、頭の中で算段をつけた。


「タカシ」


 カラコンとつけまつ毛で異常に大きく開いた二つの瞳が、タカシを見つめる。


「あたしのこと好き?」


 小首を傾げる仕草をして、わざとかわいこぶってきた。化粧でごまかしているが、顔面偏差値は低い。テレビに出ている女芸人みたいな顔のくせに、わざとやっているかと思うと鬱陶しくてうざいと感じる。そういう心の声は抑え、タカシは「ああ」と短く返事する。

「よかった」女は安心したように顔を綻ばせ、再び一物を咥え込んだ。

 刹那。痛みより先に鳥肌が走った。

 その場で女を突き飛ばし、タカシは素の声で怒鳴った。


「痛て!」


 口の中に一物を頬張ろうとして、前歯がたまたま当たったのでない。

 根元に前歯を立て、噛みちぎろうとした。

 それも冗談ではなく、本気の噛み方である。前戯にしてはやりすぎ。しかも、タカシはそういった嗜虐的な趣向を嫌うことを女に既に伝えてある。

 そそり立っていた一物が、あっという間に萎えて縮こまった。

 こんなことは初めてだった。怒りよりも恐怖が先に背中を覆う。


「ふざけんなよ! 何しやがるてめぇ!」


 タカシはベッドから立ち上がり、女を見下ろした。

 女はベッドに座ったままうつむき、唇の周りを人差し指で拭った。

 拭った人差し指を舌先で舐め、口元を吊り上げる。


「タカシの味がする」


 ぞっと寒気が襲った。

 完全に気分が削がれた。さっきまでせり上がっていた性欲が急激に消沈し、代わりに女に対しての憎しみが湧き上がってきた。

 こいつ、やばい。

 大学時代の友人が開いた飲み会で出会った、ろくに素性のわからない女だ。商売女で心の奥に闇を抱えたていることは薄々感じていたが、まさかここまでとは予想していなかった。


「出てけ」


 ベッドの下に落としたトランクスを拾い上げ、タカシは冷たく突き放した。

 女は黙ったまま、行動に移そうとしない。


「早く服着ろ。警察呼ぶぞ」


 女は垂れた前髪で顔を隠し、無言のままだった。


「おい、シカトするな」


 部屋の電気のスイッチをつけ、タカシは女に振り返った。

 いつの間にか、女はスマートフォンを握っていた。

 握った手の親指を器用にフリックさせ、スマートフォンに文字をタップしている。


「何してるんだお前」


「《うじがみ様》にお願いするの」女はいった。

 タカシは女のスマートフォンを奪い上げた。


「何するの!」


 目をむき、女が激昂する。

 タカシは奪い取った女のスマートフォンなディスプレイを見た。

 ディスプレイには、奇妙なデザインの《印》が表示されていた。

 黒いチョークで書き殴ったかのような歪んだ◎がひとつ。中心を横断するように縦線一本が引かれており、縁には体毛のような放射線がいくつも生えている。目玉か女性器をイメージした印象を感じられた。

 きもち悪い。何だこれ。

 よくわからないが、眺めていると不快な気分にする悪趣味なデザインだ。

 アプリだがなんだかわからないが、こんな気色の悪い《印》をスマホに表示させているなんて、いよいよやばい女だというのがわかる。


「さっきなんか打ってただろ。どれだよ」


 ディスプレイの隅から隅まで目視で探してみるが、きもちの悪い《印》が表示されたまま、画面が変わる気配がない。

 ふざけやがって。こいつ、画面ロックしやがったな。

 ただの遊び相手だったはずが、とんでもない地雷女を踏んでしまった。自分のことを棚に上げて、SNSの掲示板アプリに書き込もうとしたのだ。俺が目の前にいるにも関わらず、自分がいかに被害者なのかを周囲にアピールするなんて、度し難いクズだ。


「タカシ。あたしのこと好きじゃないの?」


 両目が潤み、女がすすり泣く。たちまちタカシの顔から表情が消える。ああ、やっぱりな。クズ女がよくやる常套手段だ。腹の中で舌を出しているくせに、泣けば許してもらえるとあからさまに計算している。なんて図々しい奴だ。


「好きじゃないの? ねぇ、あたしのこと愛しているっていってたじゃん」


 枯れた声で女は訴える。涙で化粧が崩れたせいで、パンダのようなひどい顔になっていた。

 タカシは女を無視し、ズボンを履き始めた。

 相手にするだけ時間の無駄だ。服を着たら、とりあえず玄関から女の荷物まとめて無理やり追い出そう。考えようによっては幸いだったかもしれない。ここまでメンヘラでやばい奴だと知ったのだから、ここですっぱり手を切ることができるのだ。これ以上、関わっていたらどんな目に遭うかわかったものじゃない。


「あたしのこと見捨てないで」


 何を今更。頭湧いてるんじゃねぇのかこいつ。


「どうしてあたしのこと嫌いになるの? あたしたち、一生一緒だっていったじゃん」


 いってねぇし。勝手に妄想するな。


「うじがみさまうじがみさま……タカシがあたしのことを嫌いになりそうです。助けてください」


 シャツに袖を通し、タカシは女のエナメルのバックを拾い上げた。

 不意に妙な違和感を覚えた。股間がかゆい。さっきまで何もなかったのに、急に太ももの内側になんともいえない触り心地を感じる。

 ズボンに手を突っ込み、軽く太ももの内側を掻いてみる。取り出した手の指先に、小さな物体が付着していた。

 米粒のような白くて柔らかい。いくつも指先に引っ付いており、タカシの指の上でうねうねと蠢いている。

 タカシは悲鳴を上げた。


「なんだよこれ!」


 慌ててタカシはズボンとトランクスをその場で脱ぎ捨てる。

 脱いだと同時に、おびただしい量の白い物体が、タカシの足元に散乱した。


「畜生! くそ!」


 ベッドの枕元に置いてあるティッシュ箱からティッシュを何十枚と引き抜き、股間周りを必死に拭き取った。

 しかし、

 拭き取れば取るほど、白い物体が湧いてくる。

 どうなってるんだ。わけわかんねぇ。


「……うじがみさまうじがみさま。どうか助けてください。うじがみさまうじがみさま……」


 合掌し、女は口の中でつぶやき続ける。

 鋭い痛みが走った。

 一物の竿にぶら下がる袋。縮れた毛が生えている袋の毛穴から、無理やり毛穴を押し広げて白い物体が捻り出てくる。

 景色が暗転した。

 その場で気を失いそうになったタカシだったが、絶え間ない股間の痛みによって意識を引きずり戻された。


「やめろ! ぶっ殺すぞ!」


 女の頬を引っ叩く。

 巻き髪を振り乱し、上半身がベッドの上でなぎ倒れる。

 嗚咽交じりに女は泣き喚いた。


「ふざけやがって!」


 タカシはガラステーブルに置いた自分のスマートフォンを掴み、一一九をブッシュする。

 呼び出し音が二回流れ、電話が繋がった。

 おかけになった番号をお呼びしましたが

お繋ぎできませんでした。ピーッと発信音が……。

 自動アナウンスが無情に流れる。

 どうなってる? たしかに一一九をプッシュしたつもりなのに、救急オペレーターが繋がらないなんてことがあり得るのか?

 冷たい汗が額に噴き出る。焦燥が心臓の鼓動を掻き立て、膝の震えが止まらなくっていく。

 痛い。

 こんなに竿が痛くなるなんて生まれて初めてだ。まるで竿の内側に裁縫針を何本も刺しこまれたかのような、とても我慢できる痛みではない。

 しかもその裁縫針に刺されたような鋭い痛みが、竿の中で蠢いているのも感じられる。いっそのこと引きちぎった方がどれだけ楽だろうか。そんな恐ろしいことを考えてしまうほどタカシは痛みに苛まされた。


「……うじがみさまうじがみさま」


 ぶつぶつと女は同じ言葉を繰り返していた。

 わけがわからない。

 一体なにがどうなってるのか、どうして自分がこんな目に遭うのか、まるで理解できない。

 ぶっ殺す。

 こいつがなにかやりやがった。どうやったのかわからないが、犯人がこいつなのはたしかだ。

 怒りと恐怖に駆られ、タカシは台所に向かおうとした。

 っつ。

 片目の裏側に不快感が走る。

 手のひらでまぶたを強く抑え、不快感をしばらく堪えた。

 顔から手を離す。

 血に混ざった白い生き物が、手のひらの上でいくつも踊っていた。


「助けてくれ!」


 我を忘れ、タカシはその場から逃げ出した。

 玄関のドアノブを掴み、外に出ようとした。

 ドアノブが壊れた。

 掴んでひねった途端、ドアノブが根元からねじれ千切れた。まるで腐った材木のようにあっさりと。


「出してくれ! 誰か!」


 狂ったように、タカシはドアを何度も殴りつける。

 千切れたドアノブの根元をつまんで回そうとすると、痛みが走った。指先を千切れて尖ったドアノブの金属の先で切ってしまった。

 ドアの端に、大きく白い塊がうようよ頭をせり出してきた。これまで見たこともないようなバカでかい塊だった。タカシは軽く悲鳴をあげ、塊を払いのけようとした。

 塊はタカシの手をすり抜け、タカシの視界の真ん中に近づく。

 タカシは気づいた。

 白い塊がドアの前に張り付いているんじゃない。

 もっと近く。

 俺の目の中にこいつらは泳いでる。

 と……。


「タカシ」


 振り返ると、女が目の前に立っていた。


「来るな! 来るんじゃねぇ!」


 女は白い歯を見せて笑った。


「いったでしょ? うじがみ様はすごいって。うじがみ様にお願いすれば、なんでも叶うんだよ」


 その場で腰を下ろし、タカシの一物を女は愛おしそうに眺める。


「タカシはあたしのもの。誰にも渡さないんだから。これからもずっとずっと」


 女は口を開いた。

 

 

 


 










「タカシ……あたしのものだよ」


 


























 1ヶ月後。

 タカシは病院にいた。

 原因不明の病理に侵され、歩くことも話すこともままならなくなった。

 現代の医療技術では完治は絶望的だと医者から宣告されたタカシは、病院のベッドで緩やかに訪れる死を待つ毎日を送るようになった。


「タカシ。もうちょっとだね」


 タカシが仰向けになるベッドの傍に置いてあるパイプ椅子には、女が座っていた。

 タカシは天井を見上げた。

 天井には、女性器を想起させる毛がうじゃうじゃ生えた気持ちの悪い《印》が描かれていた。

 女が傍にいるようになってから、あの《印》を目にしない日はない。

 

「ずっとずっと一緒だね」


 女の膝には、白い布で覆われた木箱があった。

 葬儀は半年後。

 退院してから自分の棺の採寸をし、戒名も自分たちで考えるプランだという。

 親族友人も交えての豪華な式を行う予定だから、期待してほしいと女は声を弾ませてタカシに告げた。


「蛆神様ありがとう!」


 天井に向かって、女は《印》に感謝の言葉をかけた。

 タカシは《印》を見つめ、願った。

 

 どうぜ死ぬなら。

 出したかったな、最後に。

 まんこにザーメン。


 そう《印》に願ったが、タカシの想いは届かなかった。


 半年後、葬儀は行われた。



終わり

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