第一章 燃える街・弐

 その晩、厩には不可思議な足音が静寂に響いた。


 新月の空、星明りだけが照らすこの村は、何故かほんのりと明るかった。


 村のどこかからささめく、ぱちぱちと弾ける音を修道女はずっと耳にしていた。


 蝋を消す直前、修道女は商人からもらった藁束を火にかけてぽっかりと穴の開いた厩の壁へと放り出す。


 よく乾いた藁束は一瞬で激しく燃え上がり、緑色の炎を天へと吹き上げた。


 やがて何者かの囁く声がする。


「今日の獲物は修道女らしいぜ」


「ひひ、それはいい。男は労働力にしかならねぇからな。当然味見はしてもいいんだろうな?」


「商品価値だけは下げるなとあの方にいわれてる」


「顔だけきずつけなきゃ問題ねーだろ」


 下卑た笑い声を担って、三人の男が厩の扉を開いた。


 この村の住人には、かつて森の民だったものが多く、痩身で穏やかな者が多かった。


 しかし彼らは違う。


 上半身の筋肉は大きく膨れて引き締まっており、それを強調するかのように薄い皮鎧と、銀色の装飾品を身に着けていた。


 屈強な男たちが松明を掲げると、そこには藁に横たわる修道女の姿があったが、どこか歪なことに気が付く。


「なんだこりゃ、藁だ」


 一人の男が修道女を起こしてみるが、それは服に藁が詰めてあるだけのものだった。


「あのアマっ! どこに逃げ・・・・・・」


 沈黙。彼の言葉は、顎を蹴り上げられたことにより中断された。


 修道女は下着姿のまま、彼らが屋根裏で隙を見せるその時をずっと待っていたのだ。


 彼女のブーツは固く編み上げられていて、男に重い一撃を浴びせていた。


「たかが修道女一人に三人がかりだなんて、矜持はないのでしょうか」


 顎は割れただろうか。ともかく一人は満足に立ち上がることすら困難であろう。


 残り二人。態勢が整う前に落としきる。


 うろたえる二人目の男へと体当たりを放ち、その跳ね返りを利用して三人目へと足を振り上げる。


 彼女の体重を乗せた一撃は、しっかりと金的へめり込んでいた。


「うが・・・・・・あっ・・・・・・」


「油断大敵ですわ、ふぅ」


 緊張の糸がぷつりと途切れ、ほっと溜息を吐く。


 だが彼女は気づいていなかった。

 

 扉の向こう側に犇めく男たちの影に。


「そのままそっくり返すぜお嬢さん?」


「くっ・・・・・・。その銀の紋章、火の神の信徒ですわね」


「無から生まれ出でて有を食らう。侵略することこそが俺たちの教義でね」


「あなたたちの神は、既に狂っていることに何故気づかないのですか!」


「うるせぇなぁ。くだらねー聖書なんてとっくに燃やしたよ。大事なのはこれからじゃねぇ。今この時を生きることなんだぜ」


 髭面の男が抜けた前歯を見せつけるようににかっと笑うと、小汚い男たちが出口を塞いで囲い込む。


「そんな度胸無しどもをいくら引き連れていたところで、兵糧の無駄遣いではありませんこと?」


 修道女はあくまでも平静を保とうとするが、ひんやりとした汗は額からにじみ出て、顎へと伝い落ちてゆく。


「戦いは質じゃない、数だよ。なくなりゃまた奪えばいいだけだ。さぁお前ら、全員で掴んで押さえろ。女は腕力じゃ男に叶わん、行け!」


 わっ、と襲い掛かる男たち。


 彼らは殴りかかろうとはせず、押し倒しとにかく手足を掴もうとしてくる。


 修道女はそれをいなしながら牽制攻撃を加えていたが。


「きゃぁっ!」


「ひひ、捕まえたぜ」


 体当たりを食らって倒れていた男が、修道女の足を強く握っていた。


 彼女の攻撃は浅く、男はチャンスを伺って倒れたフリをしていたのだった。


 一人掴めば二人、二人掴めば三人と修道女の意思に関係なく男の手は伸びてくる。やがて彼女の身体は無数の腕によって拘束されてしまうのだった。


「とんでもねぇ上玉だぜ。こいつは稼いでくれそうだ」


 男はナメクジのような舌で、修道女の首から頬を舐めまわした。


 ぬるぬるとおぞましい感覚に鳥肌が止まらない。


「下郎に渡すものなど何もありませんわ、クソ野郎」


 修道女は最後まで抗う選択肢をとった。


 自由に動かせる首で助走をつけて、男の鼻へと頭突きを繰り出す。


「・・・・・・いっでぇっ!」


 衝撃に脆い髭男の鼻は、いとも簡単に砕け出血した。


 出血する自分の鼻を抑えると、男の瞳に狂気が混じる。


「殺す・・・・・・殺す殺す殺す、てめぇはバラして売り飛ばしてやるぞごらぁっ!」


「兄貴・・・・・・それはまずいですよ!」


「うるせぇ、殺す!」 


 冷静さを失った彼を止められる者は、この場にはいない。


 激情した男が剣を振りかぶった瞬間、修道女は死を覚悟した。


 彼女は心の中で身売りをしていない、汚れ無き人生であることを誇ろうとさえしていた。


 しかし。


『ウオオオオォォォォォンッ!』


 耳元で爆発したような轟音に等しい咆哮。


 同時にめきめきとなにかがひしゃげる音が、そこにいるすべての人の耳をざわつかせた。


 そして男たちは目にすることになる。


 自らの身長の二倍はあるであろうその巨体。


 岩壁をめちゃくちゃに削ったような、崩れ切った悲惨な顔。


 冷酷な村の静寂を破ったのは、孤高で野蛮な醜人だった。

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