第11話 前日の冗長な覚え書き
天海は落ち始めた。
さまざまな予兆がとらえられ、その時が来ることをあきらかに示していたにもかかわらず、降海の開始は突然のできごとに感じられる。おそらく、全人類の大半がこの事実を知り、同じように感じているのではないだろうか。
なぜ今、と。
有史以来、降海の可能性を語らない神話体系はなく、宗教家たちは神による人類への最大の罰として降海を挙げ、一時期はその可能性を迷信だとして否定してきた科学さえ、七十年も前に肯定に転じた降海という現象は、自分の身にふりかかる現実としてとらえられてこなかったのだ。
それが今、すでに始まっている。
予測されたとうり、降海は緩やかに段階的に起こる現象ではなく、一瞬のうちに (一ヵ月というのは、この星にとっては一瞬だ) 全てが起こる現象であるようだ。まだ観察され終わっていない現象だから断言はできないが。
天海のシステムが完全に解明されないうちに、降海が起こったことが残念でならない。
私はその分野の専門ではないが、天海がこの星特有のシステムだという可能性は大いにありうると思う。そうであれば、天海を理解する機会は、全宇宙の中で永遠に失われてしまったことになる。この星の上の固有の存在のなんと多くが、理解されることなく失われてしまうことか。
船は、遺伝子を含めた多くの資料をたずさえて旅に出る。しかし、それらの情報は、この星が失う情報の何百分の一でしかない。
降海と遠宇宙航行船の関係は、壮大な皮肉である。
セレリデアは非結晶相で天海に存在し、水を天海の状態に組織しているが、単独結晶相をとると離海し、太陽熱によって変性した後、移動型結合結晶相のための門を形成する。門を通ると、高次元空間に入る、と考えられる。そこからは多数の別の門へ至ることができ、門から出れば別の宇宙が広がっている。
遠宇宙探査事業のほとんどは、これらの門が開いた先を一つ一つ確認することだった。無人、有人を問わず、帰還しない船も多かったが、とうとう居住可能な惑星を一つ捜し当て、事業は、遠宇宙開発移住事業になった。
その星も含め、門の向こうがこの宇宙の一部なのか、それとも全く別の宇宙なのか、未だ議論がわかれている。
ところで、俗に火炎蝉と呼ばれる蟲類がセレリデアの地上における宿主ではないかと言われている。セレリデアはある時期が来ると寄生相となり、滝によって地上にもたらされ、火炎蝉に寄生する、という説だ。セレリデアの地上生態については、あまり研究がなされていないのが事実である。宇宙生態の華々しい実用性にくらべて、確かにその成果はじみなものだ。だがもし、この説が正しければ、火炎蝉が害虫として駆除され尽くそうとしていることと降海は無縁ではないことになるかもしれない。悔やむのは、いつでも遅すぎるものだ。
船の建造もセレリデアがいなければ、不可能だった。船の構造のほとんどが、万能とも言われるセレリデア結晶でできている。始めのうちは天海水から精製していたが、現在は生命工学と化学合成によって作られている。
セレリデアが離海したために降海が起こり、人類は絶滅の危機に瀕している。
セレリデアのおかげで遠宇宙移住が実現し、人類は生き残る可能性を得た。
仕組まれた悪い冗談のようだ。
移住者に選ばれた者たちには、もちろん多くの非難と中傷が向けられているが、困難に立ち向かわなければならないのは、むしろ彼らのほうだろう。
発見された移住可能なその星には、知能を持った生物がいることが分っている。だが、彼らは来訪者の存在すら知らない。我々の存在を知らしめ、移住に関する合意を得る前に、予想以上の早さで降海が始まってしまった。
移住者たちは、異星人に受け入れられなければならないのだ。
移住先の星は、この星が降海後に再び生態系を復活させたような姿をしているという。似ているのではなく、実際に未来のこの星なのではないかという推測もある。セレリデアの門は、空間ではなく時間を跳躍するものではないか、と。
もしそうなら、移住者たちの苦労は軽減されるかもしれないが、移住の意味が危機にさらされることになるかもしれない。もし移住先の住人が自分たちの子孫だとしたら。
おじいさん、降海はたいしたことありませんでしたよ、とでも言われてしまったら。
それこそ悪夢のような冗談だ。
そんなことになったら、私は発狂してしまうだろう。しかも、移住者の中で一番最初にだ。異星人と最初に言葉を交わす栄誉は、言語学者に与えられているのだから。
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