第10話 青い鳥の寓意


     10  青い鳥の寓意



 ジャエンフの門はヤザン王国の警備兵によって閉ざされていた。

 まるで乞食同然の一行は、当然の如く追立てを食う。

 スランマルタはその様子に僅かに落胆の表情を見せ、しかし昂然と頭を上げ、警備兵の一人を見上げる。

「私は、ヤザナム・ヤーズアイニ六世の第七子、ヤザニン・スランマルタです。我が軍の兵に命じます。門を開け、私たちをジャエンフ警備軍本部へ案内しなさい」

 警備兵は単純な男だったらしく、目に見えて顔色を変え、待てと言い置いて上司を連れに走っていった。

 キダイがぼそりと言う。

「予想以上の偉いさんだあ」

 程なく、慌てた軍人が二人飛んできて、スランマルタの顔を見るなり最敬礼した。

「ご無事で何よりであります! 捜索隊も出したのですが、まだ帰還せず、心配しておりました」

 スランマルタと同じ位の年格好のその若者は喜色満面。もう一人の髭の老人がしわがれた声で言う。

「竜車を用意いたしましたので、お乗りください」

「それは何人乗れますか?」

 髭を蓄えたほうの軍人が、質問の趣旨を計りかねるといった表情で、しかし真面目に、十人は、と答える。すると、スランマルタは、ラダールとキダイを半々に見て、では行きましょうと言う。

 キダイがうれしそうに、えへへと笑った。

「共に死地から生還した仲だもんねえ」

 ラダールは断わった。

 テイが薄く笑いかける。

「べつに口封じなんて考えてませんよ。この町は今、旅のための物資にも事欠くような状況にあるでしょう。私たちが提供します」

 ラダールは頷き、ラカラカが声を張り上げた。

「ねえ、テイ、何それ? ラカラカたちは、早くウィディの家族を捜しにいかなきゃいけないんだよ」

 テイは、紫の幼い瞳を竜車に促しながら答える。

「それも手伝ってくれますよ。スランマルタは優しいから」

 七人が竜車に乗りこむと、先ほどの警備兵が、あと一人はと問う。

 いつの間にか、銀の頭は見えなくなっていた。


 ジャエンフは辺境である。

 エレク滝水系コダ川の中流に位置し、さして肥えてもいない土地に畑が拓かれている。バイラが穫れる。それだけの小さな町だった。

 昔は、ベリン大道の中継地として栄えていたが、それもすでに歴史の一部でしかない。

 この町が、再び注目を集めることになったのは、僅かに六年前のことである。

 六年前、エレク滝水系、メラーマン滝水系、トゾル滝水系、そしてこの地域最大のラビュア滝水系を中心とした国家連合が設立された。これは、南方のイワ教系勢力に対抗するために、マガウェ教総本部レンド寺が中心になって進められた計画だ。しかし、そう簡単にあまたの王国が一つにまとまる訳もない。マガウェ教を奉ずる国々は、それを奉ずるが故に自立心に富み、また、外部の干渉を嫌う。計画は多くの論議と時間を費やして、六年前に連合の設立が宣言された。

 だが、この時、八つの王国が連合に加わることを拒否している。

 ラビュア連合は、それまで慣習法に従って曖昧にされてきた国境を明確にする必要があった。連合の目的は、イワ勢力に対するはっきりした線引きなのだから。国境の明確化は、連合に対する周辺諸国からの激しい反発を招き、多くの争いが起こることになった。それは現在まで続いている。

 ヤザン王国は、連合に参加していない国の一つである。ヤザン王国が連合に参加しなかったのは、自立心のみによるわけではない。むしろその逆で、この国の最大の貿易相手国であり、多額の経済援助を与える国がイワ教系国家であったことが、ヤザン王国を連合に参加させなかった。現在、そのカンザ連邦からは、多額の軍事援助がヤザン王国に流れこんでいる。

 ヤザン王国とラビュア連合の国境紛争の最前線の一つが、ジャエンフだ。六年前からこの町は、戦略拠点の名を冠せられるようになった。


 竜車が進む道の両側には一時しのぎの小屋がけが並び、隈の浮かんだ人々が陰気な祭りのようにうろついている。

 無表情に目をすがめてじっとその景色を見つめるウィディに、キダイが尋ねた。

「ジャエンフってのは、いつもこんななのか?」

 ウィディは表情を変えずに首を横に振った。

「戦のせいか」

 乾いた畑の土に、焦げ跡だらけの上着だけを着た子供が茫然と座っている。乾いた血を足にこびりつけたその子供を、気づかう余裕のある大人はいない。

 唇を噛んで下を向いたスランマルタの手にテイが軽く触れ、声をかけようとすると、スランマルタは、はっと顔を上げてテイを見る。

「熱があるんじゃないのか、テイ?」

 テイは素早く手を引き背筋を伸ばした|。|こうすると、座っていてもスランマルタを見下ろすことができる||。

「大怪我をしているのだから当然です。司令部に来てる医者がヤブじゃないといいんですがね」

 竜車は、どう見ても旅館という雰囲気の建物の前で止まった。

「第二兵舎まで爆破されてしまったもので……」

 若いほうが、本当に悔しそうにそう言った。

 一行は急ごしらえの謁見室へ通され、スランマルタが一段高い椅子に座らされる。座るなり、飾りのついた軍服を着た男たちに囲まれて長い挨拶が始まろうとするが、それを遮った。

「誰か、テイを医務局へ連れて行きなさい。それから、避難者、死傷者の名簿はできていますね?」

「はい、しかし……」

「至急、検索してください。彼女の」

 ウィディを指す。

「ご家族が載っていないかどうか。それと、避難所に部屋は空いていますか?」

 士官たちは発言を諦め、否の旨のみ答える。

「では、兵舎内に四人分の部屋を確保しなさい。二日……いえ、三日間の民間人滞在許可を彼らに発行してください。その間に、彼らが出立するために必要な物資を希望どおりに揃えて渡すこと」

 スランマルタは、ラダールとキダイに向けてすまなそうな顔をする。

「申しわけないがこれが限界です。三日を過ぎたら、あなた方自身でなんとかしてください」

 ラダールは明けき名のもとにスランマルタの行為を讃じ、感謝する、と言った。

 キダイはにやついて成り行きを見ていたが、大口開けて笑って言う。

「偉い! それでこそ俺が、旅は道連れ世は情けってのを説いた男だけのことはある。もちろん、三日間の飯は出してくれるんでしょ?」

「無礼者! 貴様このお方が誰だか分って」

「よい。私は身分を明かさずに彼らと知り合ったのですから」

 キダイは立ち上がり、ラカラカをうながす。ラカラカはぴょんと立ち上がってウィディの手を握り、ラダールとキダイを追って小走りに開いた扉へ向かう。

 キダイが支える戸口でラカラカは足を止めると、スランマルタを振り返る。

「あれは、誰だったの?」

 キダイが右手で目を覆った。

 スランマルタの顔が強張り、ディンはテイがいればなと思いながら立ち上がった。

「この段階では分からないことだし、分かったとしても教えられないことだ。忘れてくれ」

 ラカラカの紫眼が内光を放つようだ。スランマルタは、その紫の光にあてられて目がちかちかすると思った。

「父だ」

 スランマルタは、そうラカラカに答えた。ディンはため息をついて座った。王子は少女に苦笑を見せる。

「誰にも言っちゃだめだよ」

 ラカラカはしたり顔でうなずく。

「うん。秘密にしといてあげる」

 ラカラカは身を翻して出て行った。

 スランマルタはヤザン王国軍ジャエンフ警備部隊の指揮官の顔に戻り、士官たちから報告を聞き指示を始め、真夜中を過ぎるまでその部屋から出られなかった。

 体を洗って寝室へ入ると、自分が疲れ果てていることに気付く。眠りはすぐに訪れたが悪夢が現と地続きにあるだけだった。

 夜明けとともに無理に目を覚まし、テイを呼んだが、医務局から安静を言い渡されているから来られないという。不安に思って自分からおもむいた。

 医者を伴って部屋をたずねると、テイの青白い顔がスランマルタを認めた。体を起こそうとするのを王子が止める。

「大丈夫なのか?」

 スランマルタは枕もとに立ってテイを見下ろす。

「死なない程度には。左腕は全部なくなってしまいましたけどね」

 テイはいつものように不遜な薄笑い。

「ところで、私は治療にかまけていたおかげで、報告を聞いていないんです。概略だけ教えていただけませんか」

 スランマルタは医者を下がらせ、ディンを呼びにやらせた。自分で椅子を引き寄せて座る。

「身代わりの車が着いた日に、爆破があった。連合の工作員の仕業だということになっている。私たちがメラーマンを出た、九日後に二度目の爆破があった」

 テイはふふんと笑う。

「順調に行っていれば、私たちが着いたはずの日ですか。あからさま過ぎて話になりませんね」

 ディンは部屋に入ってくるとスランマルタに一礼し、その側に真っ直ぐに立つ。テイは彼に尋ねる。

「連合の工作員だという証拠はあるのか?」

「ない。何しろ何も、残っていない」

「連合に王子を殺されたことにして非難を向けさせようというのでしょうが、その王子が反カンザ派では、筋書きに無理がある。彼に疑いがかかるのは目に見えている。誰がこの計画を奏上したんだか。まあ、王都には頭の悪いのしか残ってないですからお粗末になるのも当然ですね」

 テイは右手だけをついて体を起こし、柔らかな睫の下から底光りする目でスランマルタを射る。

「これは、好機です」

 スランマルタは目をそらす。

「どう好機なのだ」

 テイは薄く笑っている。

「あなたが、王位を襲る」

 スランマルタは顔を上げた。目の奥に冷たいものが凝る。

「できるか?」

「できます」

 ディンは何も言わない。テイが続ける。

「あなたがしっかり覚悟を決めてかかればね。あなたは、英雄になるべきなんですよ」

 スランマルタは椅子に背を預ける。

「親殺しの英雄か」

「そうです。今すぐ、ジャエンフ地域の即時停戦をスランマルタの名で秘密裏に連合に提案します。停戦が実施される前に、あなたはジャエンフ駐留軍を率いて王都に戻り、現国王を討ち、王位継承者を国外へ追放。自らが王位に就く。と、こんなところでしょう。簡単ですよ」

 ディンが腕組みをして、天井を仰ぐ。

「おまえはいつも面倒を俺に押しつけるな。王都攻略の方法など考えていないのだろう?」

「王都じゃなくて、王の居城の攻略だけ考えてくれればいい。戦術はディンの分担だろ」

 ディンはもう考えをまとめ始めている。

 スランマルタが背筋を伸ばして立つ。

「今日の午後、士官全員を集める。テイ、名簿を渡しておくか、使えそうな人物を選んで、駐留軍再編を発表できるようにしておいてくれ」

「御意」

 スランマルタが出て行くと、ディンがテイを見下ろす。

「仕事などしていいのか? 医者がよく平気でいられると呆れていたぞ」

 テイはもそもそと横になる。

「平気じゃない。疲れた。でもまだ死ねないから死なないよ。スランマルタ王が確実にならないとね」

「それだけじゃ困る。王になってから、策士のお前が要るんだ」

 テイは目を閉じて深くため息をついた。

「面倒を押しつけられているのは、私じゃないか。……ああディン、スランマルタから離れるなよ。なるべく他の士官を近づけるな。それから、第三、四、十六中隊の全員を拘束、隔離しろ。たぶんまだバクダン持ってるぞ」

 ディンは少し休めと言い置いて部屋を出た。

 

 ウィディの親兄弟の名は、避難者の名簿にも死傷者の名簿にもなかったので、三人で家まで行ってみることにした。

 ラカラカとウィディが手をつなぎ、その後ろをキダイがついて行き、さらにその後ろに浅葱色の蓬衣がついて行く。

「あれが死神なら、似合いの景色だよなあ」

 キダイが言うと、ラカラカがちょっと振り返った。皮を剥いだ紫の葡萄がきろりと閃いて、銀の髪とキダイの顔を映す。

 ヤザン国軍の兵舎を出て少し歩くと、町が破壊し尽くされているのがわかる。

 家々の石壁は崩れ、木の柱の多くは炭になっている。屋根がまともに残っている家はない。道も判然とせず、瓦礫を迂回して進むしかなく、ウィディにも果たして自分の家のある場所に確かに向かっているのかどうか。

 足のない男が横たわり、その隣で女がこめかみを押さえている。男はキダイに目を止めると、腕を上げて呼び止める。

「あんた。でっかい刀を背負った、兄さん。兵隊さんかい?」

 まだ三十代なのだろうが弱い声は老人のようだ。差し上げた腕が力尽きて落ちる。

「なあ、殺してくれよ」

 男の伴侶であろう女は、微動だにしない。男の声は懇願するでもなく悲しみも卑しさもなく、ただ無気力に最期の願いをくり返す。

 キダイは男を見ながら行き過ぎ、しかし立ち止まって男を見下ろす。頭の下の土塊をわずかに崩して男はそちらに顔を向ける。ぎりぎりまで上向けた目の、白目は黄色く濁り、ただ血走った血管だけが生々しい。

 キダイは長い顔を困ったなあと傾ける。

「悪いけどな、この刀は半死人は斬りたがらねえんだよ。おっさんのその様子じゃあ、長くないだろ。心配しなくてもすぐに逝けるさ」

 洞のような口がぽっかりと言葉を飲む。ああ、と発した音を口にくわえたまま、男はキダイから目を離した。キダイは眉だけで軽く挨拶をし、外套を翻してラカラカを追った。 銀の頭を追い抜きざま、うす水色の目を覗きこむ。

「あのおっさん、連れてってやれよ?」

 返事を聞くつもりもなく、ラカラカに走り寄った。

「これ、一発でこんななっちゃったのかねえ。すげえな」

 ラカラカは口を尖らせて答える。

「ウィディん家、もっと向こうだって。だんだん、何にもなくなってるのに」

 ウィディの目は、遠くを見るようだ。足だけはしっかりと歩いて行く。

 焼け焦げた死体が天海を迎えるように腕を浮かしている。怒ったような顔をした少女と手をしっかりつなぎ、泣きじゃくる弟。独り言を呟きながら瓦礫の中から家財道具を掘り出している男。

 ウィディはしゃがんで火を起こそうとしている女に声をかける。

「……おばさん」

 女はウィディを振り仰ぎ、不審げなまなざし。

「あたし、ウィディです。メラーマンに行った」

 女の目がみるみる丸くなり、一瞬懐かしい安息の過去に戻る。

「ああ……、ああ、ああ。覚えてるよ、帰って来たの?」

 ウィディは相変わらず無表情だ。女はラカラカを見下ろし、キダイを見上げ、どんな解釈をしたことやら。

「あたしの、家族、知りませんか?」

 ぽつぽつと尋ねるウィディに、女は大きく首を振る。

「分からないよ。あたしの子供だって、アーナスを覚えてるだろ、あの子がどこ行っちゃったか、分からないんだよ……」

 涙ぐむ女に、一言礼を述べて、ウィディはまた歩を進める。

 ラカラカは低く歌を口ずさんでいる。ウィディに教えてもらったジャエンフの歌だ。歌っているうちに、瓦礫はだんだんと細かくなり、視界が開けてくる。

 ウィディがぴたりと止まった。

 目の前には何とも分からぬ焼け焦げた物が漠然と広がっている。

 家も、何もない。

 三人の中でウィディだけが、昔町並みだったこの場所の景色を目の前に重ねようとしている。

 ラカラカがウィディを見上げる。

 キダイがラカラカの隣にどすんと腰をおろし、ウィディを見上げる。

「ここなのか?」

 ウィディは頷いた。


 ラダールは、その日の昼頃ジャエンフを発った。

 コダ川を溯り、できればエレク滝まで出てしまおうと思っている。そう大きくはない町だが仕事が見つかるだろう。

 それとも冬至の祭りに合わせてアラゴに行くか。もう丸三年、自分の部族に合流していない。

 ラダールはジャエンフの町を見ずに出て行くことに決め、実行した。


 ウィディは泣きながら歌った。

 ラカラカはその手を握っている。キダイはぼんやり歌を聞いている。浅葱の衣を着た者は真っ直ぐに立ち、頭だけをうつむかせ、その顔を両手で覆っている。真っ直ぐな銀の髪がざらりと地を指している。

 ウィディは嗚咽と慟哭と歌をいっしょくたにして、薄赤い唇から流し出す。

 ほとんど聞き取れない歌は、豊作を寿ぐ歌だ。


「今年から始まれよ

 明けき名の顕れし世に

 世に顕れよ

 良き実り、良き滝よ

 うち揃うさま

 世に顕れよ」


 涙も拭わずに、声を張り上げる。呟くように喉を絞る。

 ラカラカはウィディの手をそっと離す。

 そっと一歩だけ退がり、足もとの石を一つ拾う。それを軽く浅葱色の長衣にぶつける。 その小石が天啓であるかのように、銀の頭がゆっくりともたげられ、さらさらと銀の髪が流れる。顔を覆っていた両手は天海を受け止めるように浮かび、涙の泉と化したうす水色の瞳が歌うウィディを捕らえる。

 ラカラカが、腕を広げた浅葱の衣のほうへウィディを押しやった。

 ウィディはよろめきながら最後の歌を歌い続け、差し伸べられた腕に優しく囚われる。 そして祈るようにひざをつき、仰のけにくずおれた。

 羽根を打ち鳴らして、一羽の鳥が飛び立つ。

 銀の冠羽、浅葱色の翼は打ち枯らしたように色褪せ、しかし瞳は美しく天海の色をして光る。小鳥は歌う。打ちひしがれた人々の顔をまた天海のほうへ向かせる、声。

 足のない男は、小さな滝のように天降る鳥の歌に濁った目を開ける。小鳥の姿を見ることはできなかったが、男はその羽根音まではっきりと聞き、そのまま二度と目を閉じることはなかった。

 歌を絶やしたウィディの上を風が渡り、ターバンと長衣だけが風にはためく。

 ラカラカは暫く天海の向こう側を滑る太陽を睨みつけ、やおらできたばかりの荒野へ駆け出した。瓦礫に足をとられて蹴つまずき、転ぶのは踏み止どまって地団駄を踏んだ。

 キダイは立てた右ひざにあごをのせてラカラカを見ている。

 ラカラカは大きく息を吸う。

「たくさん殺した奴は、呪われて死ぬんだ!」

 くるりとキダイを見る。

「ラカラカは知ってるんだ。この爆弾はスランマルタをほんとは殺そうとしたんだ。殺そうとしたのはスランマルタの父さんで、呪われるのは王様だ! 呪うのは誰か知ってる! 死に損ないのあの子なんだ」

 見開いた紫眼から涙があふれた。キダイはひざからあごを上げて背中を伸ばす。

「俺は誰から呪われんのかなあ」

 ラカラカはぼろぼろ泣きながら、その場にひざをついた。

「ごめんね、ウィディ。ごめんね、ウィディを最後に殺したのはラカラカだよ」

 両手をきつく組み、食いしばった奥歯の間から、何度もごめんとくり返す。

 キダイは座ったまま、廃墟を見ている。なぐさめの言葉などかけようものなら、ラカラカはその欺瞞と偽善とを盛大に暴き出して踏みつけて唾を吐きかけるだろう。それでラカラカの気が晴れるなら、キダイは喜んで侮辱をうけるのだが。結果はその逆になる。だから、キダイは待っている。ラカラカが自分で激情をおさめるまで知らないふりをして、ただ近くにいる。

 この少女はキダイより強靭だ。だから、子供のように感情の起伏が激しくても生きて行けるのだと、今は知っている。こうして平気で待っていられるようになるのに、ラカラカと会ってから四年ほどかかった。そのおかげで自分も少しは強くなれただろうと、キダイは思っている。

 もう十数年この少女と共に旅をしている。離れていたのはキダイが結婚していた一年半程だけだ。あの女と別れて||というか捨てられてまた一人で旅を始めてから、奇跡のような必然に導かれてラカラカと再会してしまった。

 それで当然のようにまた一緒に歩き出してしまった。

 地に伏して泣く薄い背中。涙が地面に点々と落ちる。

 少女はかすかに祈る。

「明けき名も、昏き名も、お願い、ウィディが行くのを、祝福してください」

 息をひきつらせながらラカラカは立ち上がると、とことこ歩き、胡座をかいたキダイのひざに座って長い胴に抱きついた。キダイの上着で涙と洟を拭って拗ねた声を出す。

「もう行こう」

 キダイはよっこいしょとラカラカを抱き上げる。

「ウトゥー、歌ってやんないの?」

「あんなのウソだ」

「そうなの? ……どこ行く?」

 まだ睫が濡れている紫眼が怒ったようにキダイを射る。

「楽しいとこ」

「だから、どこだよ?」

 ラカラカはしばし考え、キダイの左手を指差す。

「たぶん、あっち」

 足をばたばたさせてキダイをうながす。

「あっちー? んー、とりあえず、スランマルタのとこ戻ってだな、食い物と竜もらってこうぜ」

 キダイはラカラカをひょいと肩に乗せ、もと来た道を戻りはじめた。ラカラカは左手でキダイの髪の毛を掴み、体をひねって振り返る。ウィディの死体に向かって、ひらひらと右手を振る。

 返事のようにターバンが風にほどけ、土くれをまき散らして地面にまとわりつく。

 ウィディの左目は、もうない。

 髪と衣服だけが風に動く。

 ラカラカは正面に向き直り、両手でキダイの髪の毛を掴み直した。ひっぱってみる。

「いってえな! 髪じゃなくて、頭につかまれ、そおっと!」

 ラカラカは天海を見上げて、大きな声で歌いだす。

「たのしいところにあるものは

 たのしいうたと、たきのおと

 たのしいところにあるものは

 たのしいはなと、たきのいろ

 たのしいところにあるものは

 たのしいかわと、たきのおと」

 

 翌朝、二人は旅立った。



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