第8話 短編・タミタの細腕繁盛記
8 短編・タミタの細腕繁盛記
三十路にかかった女が独り身でいると、世間様から石女の烙印を押されて、ますます結婚とは縁遠くなる。実際にはタミタは経産婦だったが、子供はとっくの昔に追い払ってしまったし、石女だと思われていても何の不都合もないので噂に対しては無関心だ。
中にはわざわざ御注進におよぶ知り合いもいたりはする。だれそれがどこそこでタミタは石女だから結婚できないで一人で無聊を囲ってるんだと言っていたから、と言われても、タミタにどうしろと言うのか。
タミタはたいていターコイズ・ブルーの瞳で相手を見据え、高慢で意味ありげな微笑を浮かべてみせる。そうすると、相手はその微笑を勝手に解釈して納得して帰るからだ。
「そんなことばかりしてるから、あんたは魔女だって言われるんだよ」
カジは笑ってそう言う。
だいたいいつもこの男は笑っている。タミタはそこが気に入って側にいさせている。
タミタのまわりには、金と体目当ての男どもが始終まとわりついていて、当然カジもその一人で、最近のお気に入りだというだけである。いつ捨てるか捨てられるかはわからない。
タミタは最近、自分はどうも薄情なたちらしいと思っている。少女の頃の恋のように自分が傷つくことがない。年を取っただけなのかもしれないが、タミタが相手にしなくなった男は彼女より年上の男でもいたく傷心の毎日を送っていると言う。それを聞いても何とも思わないどころか、半ば軽蔑している自分に気づき、やはり薄情だと思う。
二十代の頃は、自分は感情の起伏が激しいのだと思っていたが、冷た過ぎて熱いと勘違いすることもある。
「魔女って言われても、困ることなんかない」
タミタは本気でこう言うのだが、カジは強がりだと思って愛しげな笑顔を見せる。この表情自体は見ていて好きなのだが、カジの思い違いについては心の中でばかにしている。たまには表に出す。
「へらへらしてると、魔女にとり殺されるわよ」
「怖いなあ」
こんなふうに平気でへつらうことが、タミタにはできない。冷たい酒を一口飲んで店の中を見回した。
小さな食堂には、木のテーブルが八つ、椅子が二十六。従業員は五人。
タミタの店だ。
タミタの最初の店であり、昔はこの二階で暮らしていた。今ではこの店の三倍はある自宅と、二軒の食堂と一軒の売春宿がタミタ一人のものだ。
「ジャエンフが壊滅したっていうのは、本当なのかしらね?」
この二日ほど、町はこの話でもちきりだ。ジャエンフのとなりのアヤトなど難民であふれてしまったと言う。そういえば、この店の給仕に雇った娘もジャエンフからの出稼ぎだが、この話を知っているのだろうか。無口な娘だから何を思っているのかよく分からない。
「あそこは、ヤーズアイニの軍隊がいるから狙われたんだろう。ここは大丈夫だよ」
「ヤーズアイニがイワと手を組んだから、明けき名の怒りが落ちたとか言ってるね、教団は」
「また天海の降下が早まったとか言ってね」
店の中は昼の賑わいがやっと落ち着いたところだ。一番忙しい時間には、タミタ自ら飲み物を運んだりもする。ただ見ていると、働かせている若い娘たちは妙にぎこちなく忙しそうになってしまうので。||それだけタミタが怖いということだが。タミタが悠々とした足取りで茶を出したりするだけで落ち着くようだ。
「降海だなんて、百年前から同じセリフを繰り返してるんじゃないの。能なしだ」
マガウェ教団は辻説法で、昏き名に負ければ天海が落ちてくるぞといつも脅している。
「そんなありもしないこと言ってたって、もう誰も信じやしねえもんな」
「ふん」
タミタは、カジのようには思っていない。
たぶん近いうちに天海は落ちるのではないかと思っている。いや、それを望んでいるというほうが正しいだろう、消極的ではあるが。
天海が落ちるのなら、落ちればいいと、見てみたいものだと思っている。その時にはどうせ皆死ぬのだろうし。
「南の国じゃ天海を越える船を作って、ほかの星に移住するって言うじゃない。昏き名なんて関係なくそのうち落ちるもんなのよ、きっと」
「おお、この女に明けき名のお怒りが下りませんように。南の国の奴らは昏き名の手先なんだから信じちゃだめさ」
「さっきは教団の言うことなんか信じないって、あんた言ってたでしょう」
「これとそれとは別だよ」
別なものか。
タミタはこの男の甘さ加減にそろそろ嫌気がさし始めている。
ちょっと眉を上げて話を打ち切りにし、うす青い光になってきた外を見やる。
銀の鎖の先に下げた香炉の蓋の隙間からかすかに煙りをたなびかせた老人が、開け放たれた店の間口からこちらを向いた。逆光に薄い白髪が透けて頭蓋骨そのままの頭の形があらわになっている。痩せた手で香炉を差し上げて見せる。
タミタは軽く手を上げた。
「お願いするわ」
店に入ってきた老人が香炉をゆっくりと揺らすと、風を受けた香は勢い良く香りを吹き上げ始めた。
日が落ちるまでの間、香振りにウトゥーでも謡わせておかなければ退屈してしまう。
日が落ちて数刻はまた稼ぎ時だ。間をおかずに客が入れ代わる。いい傾向だ。タミタは満足げな笑顔を浮かべて店の奥の小卓に座り、勘定を受け取っては手元の箱にほうりこむ。錠付きの手箱だが、閉めている暇がない。カジはタミタの隣にだらしなく座って、ぼんやりしている。
長剣を背負った青年と、黒い綿のような髪を背中に垂らした少女が店に入って来たときも、タミタはさして気に止めなかった。カジは青年の剣の銀の鞘は高価そうだなと思い、少女の紫眼には気持ちが悪いと思った。
二人は奥のほうに席をさだめて外套をとる。首まわりの襞から砂がこぼれた。
この町の食堂がなべてそうであるように、タミタの食堂の一角にもあけっぴろげな調理場があって、ずらりと煮込んだ鍋が並んでいる。客はそれを覗きこみながらあれこれと注文する。
ラカラカとキダイは立ち上がって鍋の一角に行く。
キダイがタミタをちらりと見て言う。
「いい女だなあ」
「キダイより年上だから相手にされないよ」
「……お前に言われたかないと思うぜ」
ラカラカはキダイの言葉を無視して、大鍋から立ちのぼる匂いに鼻をひくつかせた。
鍋の向こうに立つ若い給仕女は、ぼんやりとした目で二人の客を見た。いや、見ているのかいないのか、遙かかなたを見るように目をすがめている。十六、七のまだ少女といってもいい年頃だが表情は閉ざされている。
ラカラカはその視線に気づき、ふいに大きな目を上げて見返す。幼い顔にはめこまれた目は紫の光を放つ。給仕女は驚きもせずなおも見つめた。
ラカラカは首をかしげて尋ねる。
「なに?」
「……朝、天海がそういう色になる時が、ある」
「なにが?」
「その目」
ラカラカは合点して微笑んだ。給仕女の口調は感嘆を含んでいる。同じ言葉でも蔑まれることもある。遠くを見るような表情のまま皿を取ると、鍋の一つから熱いスープを注いで少女に差し出す。
「まだ頼んでないよ」
ラカラカが言っても給仕女は皿を押しつける。
「おいしいから」
「……ん、ありがと」
ラカラカは皿を両手に捧げ持って席に戻った。キダイが二枚の大きなパンと肉の煮込みが山盛りになった皿をテーブルに置く。
「茶二つ、頼んだからな」
「うん」
ラカラカは答えながら、もうパンに手を伸ばしている。あとは茶の一滴を飲み干すまで二人は一言もしゃべらなかった。香草の匂いが残る大きな陶器の碗をごとりとテーブルに戻すと、満腹の幸せに放心して椅子に背を預けた。
「よし」
キダイは立ち上がり、ラカラカは椅子からすべりおりた。外套をはおり、キダイは長剣を背負う。
青年は長い体をうっそりと屈めて、タミタに人の好い笑顔を見せる。タミタはキダイたちが座っていたテーブルにちらりと視線を投げて、百二十と言う。
キダイはうなずいて帯の隙間に手を入れた。
その手にナイフが握られているのが分かるより先に、反対の手がタミタの顎にまわっている。タミタは後ろからまわされた腕に反射的に爪をかけたが、首に冷たく鋭いものが押しつけられたのを感じて一瞬息を止めた。
カジは立ち上がったものの、どうしていいか分からずに表情だけおろおろしている。と、足下から、舌たらずな声で呼びかけられた。
「お金、早く入れて」
見下ろすと、気味の悪い紫色の目をした女の子が、皮袋の口を開けて差し出している。思わずその少女を捕まえようと手を出しかけるが、青年の制止と脅しに、また立ち尽くしてしまう。顔をこわばらせてタミタを見た。
「入れてやりな……」
苦々しく言って、横目でキダイを睨む。
「お姉さん、美人ですねー」
タミタは唾を吐いた。
カジがぎこちなく皮袋に金を入れ終わると、ラカラカは素早くそれを腰に結わえつけ、キダイに寄り添う。キダイはタミタにナイフを突きつけたまま、引きずるように出口へ進んだ。
「怪我したくなかったら、手ぇ出さないで下さいよ!」
客と従業員両方に目を配る。
突然タミタがキダイの足を踏みつけ、一瞬青年の足が止まった隙に、首に巻きついていた腕を押し上げ体を低く捻り、キダイの後ろに回り込むようにして自分の頭を引き抜いた。
カジが駆け出す。
キダイは流れるように一歩タミタを追って、肘をみぞおちに叩きこんだ。華奢な女の体が二つに折れてひざをつく。
目の前の椅子とテーブルをよけようとラカラカが翻した外套を、厨房の前でカジが掴み止めた。
ラカラカが叫ぶ。
鋭い悲鳴に弾かれたように、身を固くしていた給仕女が鍋に手をかけてひっくり返した。「ぎゃっ!」
今度の悲鳴はカジのものだ。煮えくりかえったスープを腰に浴びて、子供の外套を離し床の上をのたうちまわる。鍋が大きな音をたてて転がっていく。
給仕女は相変わらず目をすがめ、迷惑そうに眉根を寄せ胸の前で両手を握って、また固まっている。
ラカラカはびっくり眼でカジを一瞬振り返り、身を翻すと給仕女のひじを掴んで引っ張った。
「はやく!」
少女は引かれるままに走り出した。
まだ腹を押さえているタミタが叫ぶ。
「誰か、捕まえて!」
立ちはだかろうとした客の男をキダイが鞘に入れたままの剣でぶん殴る。猪首の男は一発で昏倒した。
三人は通りに飛び出すと、通行人をなぎ倒して右手へ走る。キダイが数軒先の店先に繋いであった五頭の竜の綱をナイフで切り、ラカラカを鞍だけ着けた一頭の背に放り上げた。ラカラカが給仕女に手を伸ばす。
「しょーがねーなっ!」
キダイは少女の腰を両手で掴んでラカラカの後ろに乗せる。ラカラカは間髪入れずに竜を走らせた。
右往左往する竜の中から旅装の一頭の手綱を取り、キダイは走り出させながら鞍の上へ体を引き上げる。
店から数人の客が飛び出してくるが、竜にかき乱された人ごみに阻まれて、すぐに追うのを諦めた。所詮他人事である。タミタが小走りに通りへ出てくる。
「あいつらは!」
「だめだよ、竜を用意してやがった」
タミタは両の拳を握りしめ、地面を踏みしめる。
「ちっくしょうっ! 腐れ頭の胴長野郎! 罰が当たって死んじまえ!」
鼻息荒く店に戻ると、カジがまだ床に転がってひいひい言っている。その姿にやり場のない怒りがこみ上げ、裾をまくって足を振り上げ、思い切り男のみぞおちを蹴りつけた。「この甲斐性無しが!」
カジは白目を剥いて言葉もない。
客たちは今さっきの強盗よりも、タミタの仕打ちに茫然と立ち尽くしている。タミタはターコイズ・ブルーの目を長い睫の影に隠して、優雅にふうっとため息をついた。薄く笑みさえ浮かべて客を振り返る。
「すみませんでした。洗いざらい盗られてしまって迷惑料も残ってませんわ。今日のところはこのままお帰りいただけますかしら?」
猪首の男の連れが笑顔をひきつらせて答える。
「迷惑料なんて、とんでもねえ。姉さんこそ大変だったじゃないか。気を落とさないでな……」
「ありがとう」
客は皆、そそくさと出ていった。
タミタはいつもの昂然とした顔に戻って、怯えている使用人に片付けを命じる。倒れた椅子を一つ起こして、足を組んで腰かけた。腕を組み、片手の指を顎に当てて、眉を上げる。
「お茶を煎れてくれない?」
タミタがたった一人で四軒の店をきりまわしていけるのは、彼女が堅気以外の連中からも一目置かれる存在であるからだ。
医者を呼んでやれと言ってからはカジのこともすっかり忘れ、すでに怒りはおさまって、今夜はいい退屈しのぎがあったと、タミタは本気で思っている。
「……まあ、おもしろかったわ……」
負け惜しみではない。
タミタは非道い女である。
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