本編



 食べ物がない。

 とてもお腹がすいた。


 目の前には悲劇がある。

 不幸がある。


 それらはとても食べたものではない。

 けれど、そんなものでも食べないと死にそうだった。


 それらは毒だ。

 普通の人間には食べられないもの。

 普通だったら食べないもの。


 でも、食べないと死ぬから。だから、自分の体の方を変えようと思う。


 道端にいる蛇を見つけて声をかけた。


「私を噛んで、その毒を下さい」


 蛇は私に毒をくれた。


 私は死にそうになったけど生き延びた。


 体が変わったから、人が食べられないものがたくさん食べられるようになった。


 でも空腹をしのいだのは一時だけ。


 またお腹が空いてくる。


 食べたい。


 でも、今度は食べる為の悲劇と不幸がない。


 どこにも見つからない。


 すると道の端で見つけたリンゴの木が、良い方法を教えてくれた。


「ないなら生み出せば良いよ。『つくれば』食べ放題だ」


 私はすぐに悲劇をや不幸をたくさん『創り』出した。

 お腹はすぐに満腹になった。


 そして気が付いた時には、私は毒林檎の木になっていた。


 私という毒林檎からは、とても甘い匂いが出ていたらしい。

 通りかかった人達はみな林檎をもいで口に運んだ。

 食べた人は、たくさん死んでいったけれど、その代わり、たくさんの悲劇と不幸が手に入った。





 長い月日が経った。


「もう思い出せないけれど、私は一体誰だったのだろう」


 毒林檎と名乗ればいいのか、お腹のすいた「   」と名乗れば良いのか分からなかった。


 首を傾げる毒林檎の前に再び蛇が現れて、問いかけた。


「やあ、毒林檎。君のお腹を空かせた奴等への復讐は、もう済んだのかい?」


 毒林檎は自分がしていることは、ただお腹をすいているのを満たしたいからだと思っていた。


 けれど、それは復讐だったのかもしれなかった。


 もしくは自分に食べ物を与えてくれなかった人達への、報復だったのかもしれなかった。


 毒林檎はその思いに身を任せることにした。


 それから。


 世界では、長い長い時間が経っていて、悲劇と不幸を食べる人間が、たくさん現れていた。

 彼らの為に毒林檎は、実を実らせて食べさせていた。


 悲劇と不幸は得ることができなくなってしまったが、林檎を口にした者達はとても感謝していた。


 しかし彼等は、毒林檎の善意を勘違いしていた。


 なぜなら。

 いつかその身を食い破る蛇が、彼等が口にした毒林檎の中に入っているとも知らずに食べていたのだったから。


 毒林檎は、自らの実を食った者達に問いかけた。


「貴方達の命を脅かす者がいます。だから、見つけたら殺して、土に埋めてください。その果肉を、その栄養を糧とすれば、永遠の祝福が得られるでしょう。その人が貴方達を殺しつくす前に、自らが生きる為、貴方達はその犯人を捜して見つだしてください」


 毒林檎であり、お腹のすいた「   」は、その瞬間から新しい世界を作り上げる創造主イブとなった。


 そうしてイブは、新しい世界を上手く動かす為に、自分を助けてくれた蛇をアダムにしようとした。


 けれど、通りがかった旅人が「その蛇は毒を持っているから、アダムにするのは正しくない」と言った。


 イブには、蛇をアダムにする事が良い事なのか悪い事なのか分からなかったので、とりあえず旅人をアダムにする事にした。


 犯人捜しをする事で人々が団結した新しい世界には、次第に悲劇も不幸もなくなって平和になっていった。


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