第八話 ダブルドラゴン

  第八話 ダブルドラゴン


 宵闇迫る街中を、百姫繚乱の女たちがバイクで爆音をあげて疾走していく。その先頭を走るマリアのバイクには、百姫繚乱のチームフラッグがポールスタンドで固定されていた。

 マリアのすぐ後ろにつけて、風にたなびくその旗を眺めながら走っていたホムラに、あるときマリアがダイレクトボイスで話しかけてきた。

「炎天のシマに入ったわ。ここから先はなにがあるかわからない。あてにしてるわよ?」

「それは俺に一番危険な役回りを引き受けろって意味か?」

 ホムラがそう揶揄し、マリアがふふふと笑ったときだった。

「待って。カタナさんからダイレクトコール」

 それにはホムラだけでなく、百姫繚乱の全員が緊張した。やがてカタナとの短い通話を終えたマリアが、ホムラを見てにんまり笑う。

「敵のおよそ五十人をGルームに生け捕りにしたわ。でも残り五十人の攻撃を受けててどれだけ持つかはわからない。あとこっちの戦術は敵にばれた、ですって」

「だいたい吉報だな。死に戻りは?」

「まだその動きはないみたい。あなたの予想が当たったわね」

 敵を上手くGルームに閉じ込められたとして、死に戻りをされたら意味がない。作戦会議でそういう声があがったとき、ホムラはこう云った。

 ――向こうにしてみれば二〇〇対二〇の喧嘩なんだ。特攻部隊が多少の足止めを喰らったとしても、まだまだ味方は大勢いる。だから奴らは絶対に死に戻りなんかしない。自殺ペナルティは半端なく重いからな!

 まったく、ゲームとはいかなる状況にあっても生存と勝利のために全力を尽くさねばならない。わざと死んで有利に立ち回ろうというプレイは、戦術としてぎりぎり認められているが、代償が逮捕ペナルティより重かった。

「でもカタナさんたちが倒れるのは時間の問題だわ。それまでにヒデヨシを倒して炎天の旗を取れなかったら、たぶん負ける」

 そう聞いて、ホムラのハンドルを握る手が熱く汗ばんだ。

「……となると、こっちが片道戦術で来てることを知ったヒデヨシがどう動くか」

「炎天のシマでは炎天のヤンキーたちにプラス補正がかかる。旗が前に出てると知った以上、迎撃に出るのはありうるわね。でも堅実に守りを固めるのも同じくらいありうる」

「わかんねえってことじゃねえか」

「ええ、そうよ。一つ云えることは、カタナさんたちがやられて特攻部隊が引き返してきたら、挟み撃ちになっておしまいってこと。時間がないんだから、炎天の旗があると思われる敵アジトのGルームを全速で目指すのみ! 以上、みんな夜露死苦!」

「夜露死苦ゥ!」

 レディースたちがそう威勢よく返事をし、走るスピードを上げ始めた。ホムラはアイリーンのことが気になり、最後尾に下がって彼女の隣につけた。V-MAXを駆るアイリーンが胸元をぎゅっと押さえて云う。

「お兄ちゃん先生、なんだかどきどきしちゃう」

「そう緊張するな。正直、戦力としてはあまりあてにしてねえんだから」

「えええっ! ひどい!」

 その反応にホムラが呵々と笑ったとき、はるか彼方に一条の光芒がたばしった。それがみるみる近づいてくるのを見て、アイリーンが云った。

「なにかな?」

「……バイクのヘッドライトだ。だが、一人?」

 炎天のメンバーが全員で出迎えてくれるというのなら理解できる。だが一人というのは解せない。罠の匂いがする。

「みんな止まって!」

 マリアのその号令で、全員が一塊になって停車した。低く唸り続けるエンジン音のなか、ホムラたちは息を凝らして、迫ってくる一つのヘッドライトを見つめている。

「このエンジンの音は……」

 ホムラはあることに気がつき、アクセルを開けて先頭にいたマリアの前にバイクを割り込ませた。するとたちまちマリアが目に角を立てて云う。

「ちょっと」

「この音はスズキのハヤブサだ。てことは、だ」

 ほどなくして、バイクとライダーのシルエットが見極められるようになってきた。その男の駆る黒いハヤブサには、マリアのバイクと同じくポールスタンドがあり、そこに固定された旗が雄々しくたなびいている。

「まさか……!」

 マリアが引きつった声をあげた。ホムラは押し黙っていたが、驚いていたのは同じである。やがてハヤブサをホムラたちの前で止めたその男は、ホムラをみて微笑んだ。

「こんばんは、ホムラさん」

「おう」

 そうぶっきらぼうな返事をしたのは、まだ驚いていたからだ。ヒデヨシが一人で来たこともそうだが、炎天のチームフラッグがこの場にあることがほとんど信じられない。

「……なんのつもりだ、ヒデヨシ」

「ああ、これですか」

 ヒデヨシは自らのバイクに固定された炎天のチームフラッグを誇らしげに仰ぎ見た。

「もちろん本物ですよ。御存知の通り、チームフラッグは偽造できませんからね。個人的にはフェイクの旗を用いる作戦も面白いと思うんですが、運営の見解は違うようだ」

「そうだ。このゲームに偽旗はない。だからチームの命とも云えるその旗を持って、たった一人で大勢の敵の前に出てくるなんて、テメーいったい、どういうつもりだ?」

 するとヒデヨシはバイクに跨ったまま肩を揺すって笑った。

「いやあ、さっきウチのモンから連絡がありましてね、百姫繚乱は片道戦術を選んだと。もちろん、俺もその可能性は考えていました。で、それ用の作戦に切り替えたんですよ」

 そこでヒデヨシはマリアに視線を移すと、自分のチームフラッグを親指で示した。

「よお、百姫繚乱のマリア。この旗が欲しいんだろう?」

「……ええ、欲しいわね。くれるの?」

「ああ、いいぜ! ただし俺を捕まえられたらな!」

 そこでヒデヨシはバイクをターンさせると、マリアたちを挑発するようにタイヤを鳴らしてから急発進した。

「追え!」

 マリアの判断は素早かった。たちまち百姫繚乱のメンバーが一塊となって走り出す。その流れに乗って追随しようとしたアイリーンに、ホムラがバイクを止めたまま叫んだ。

「アイリ!」

 アイリーンはすぐに急ブレーキをかけた。振り返ったその目は、迷いに揺れていた。

「お兄ちゃん先生、これって……」

「ああ、間違いなく罠だ。ヒデヨシはチームフラッグを餌に、俺たちをどこかへ誘い込もうとしている。マリアもそんなことはわかっているだろうが、あの旗を取らなきゃ戦いは終わらねえ。虎穴に入らずんば虎子を得ずって判断だろうな」

 そしてチームの命である旗を餌に使ったヒデヨシも、かなりの命知らずである。両チームのヘッドが旗を持ち出す異常な状況に、ホムラは血の奔騰を感じて笑った。

「ヒデヨシもマリアも上等じゃねえか……俺も行く! おまえはここに残れ!」

「ええっ、やだよ! アイリも戦う! だから作戦をちょうだい!」

「……勘違いするな。戦いを降りろと云ってるわけじゃねえ。五分待て。五分遅れでついてこい。五分の時間差があれば状況を見て有利に立ち回れるはずだ。レベル一〇のおまえが闇雲に突っ込んでもすぐにやられる。頭を使って、後攻めの利を活かせ」

「な、なるほど。でも……」

 それでもまだ食い下がろうとするアイリーンに、ホムラはとどめの言葉を放った。

「昔から真打ちは遅れてやってくるって云うだろう? 宛にしてるぞ、アイリ」

「真打ち……うん!」

 たちまちぱっと顔を輝かせ、「五分五分」と早くも時計を気にし始めたアイリーンをその場に残し、ホムラはマップの青い光点を頼りに、マリアを追って走り出した。そしてあっという間に追いつくと、マリアがすがめを寄越してわらう。

「よく追いつけたわね。そのゼッツー、相当いじってるでしょ」

「まあな。それとアイリは五分遅れで行動するよう命令しておいた」

「賢明な判断ね。五分あれば状況を見て有利に立ち回れる……もっとも、五分で決着するかもしれないけれど」

 マリアがヒデヨシに目を戻した。

「あいつはどこへ向かってる? 炎天のアジトじゃねえな」

「ええ、あれは……」

 ハヤブサを駆るヒデヨシがバイクで乗り込んでいったのは、三階建ての立体駐車場だった。その一階部分へ入っていき、すぐにエンジンの音が聞こえなくなった。

 百姫繚乱は駐車場前に殺到したが、そこで停車して一斉にマリアを振り返った。突撃の合図を待っているのだ。そのときの様相たるや、バイクのエンジン音が羽音のように聞こえて、怒り狂ったスズメバチの群れが集まっているかのようだった。

「中にどれだけいるかわからない! 次の索敵タイムを待つ!」

 マリアの言葉に、メンバーの一人が笑って叫ぶ!

「ヘッド、次の索敵まであと十秒です!」

 そう、このゲームでは十五分に一度、視界右上のARマップに、全プレイヤーの位置情報が光点として表示される。それがもう十秒後に迫っていた。

 ――タイミングがいいな。だがこれでヒデヨシもこっちの陣容を確認できてしまう。

 ホムラはそう考えながら視界右上の地図を手元に寄せて3D表示に切り替えた。直後、索敵タイムが訪れ、周辺にいるプレイヤーが五秒間だけ緑の光点として洗い出される。

 それを見てホムラは口笛を吹いた。

「おい、マリア……」

「ええ。立体駐車場のなかにひしめく緑の光点はおよそ百。炎天の連中、全員いるわね」

 炎天の総員は六〇〇、うち四〇〇をリュージが引きつけ、一〇〇が百姫繚乱のアジトに向かった。残りは全員、ここにいる。

「……やつら、Gルームからフラッグを出してアジトも抜けてここに立てこもってやがるのか。どういうつもりか知らねえが、これが罠だってことは間違いねえ。どうする?」

「このなかにフラッグがある以上、行くしかないわ」

 その勇ましい返事に嬉しくなったホムラは、バイクをデータ化すると両足で立って立体駐車場を見上げた。外から見る限り照明は一つも灯されておらず、内部は完全な闇だ。

「俺が先に行って、罠の有無を確かめてきてやる。おまえたちはここで待て」

 そうしてホムラは一人、立体駐車場の闇のなかへ踏み込んで行こうとしたのだが、女たちが次々にバイクを降りる気配に振り返った。マリアがチームフラッグを肩に担いで歩いてくる。

「これは私たちの喧嘩よ。あなたはあくまで協力者。オーケー?」

「……テメー、チームフラッグを持ってる自覚はあるか?」

「ええ。でもビビってるって思われたら、癪じゃない」

 マリアはそう云うと、音を立てて旗を振った。

「全員進め! 踏み込む!」

 こうなっては、もうどうしようもない。ホムラはため息をつくとアイテムストレージから懐中電灯を出して、マリアたちとともに駐車場のなかへ入っていった。

 懐中電灯で足元を照らしながら進んでいくと、あるとき突然、駐車場内の照明が一斉に点いた。ホムラたちは思わず射竦められたようになって固まってしまう。

 ともあれ、視界は明瞭になった。駐車されている車はまばらで、建物を支える数本の支柱の周りにバイクが固めて置いてあり、炎天の男たちはその支柱の一本一本を守るように分散していた。見るからにヤンキーといったスタイルの男たちが、針のような視線を浴びせてくる。そしてヒデヨシは、ホムラたちの数メートル先で、旗を持って立っていた。

「ホムラさんと百姫繚乱十五人、全員いるな……テメーら、やれ!」

 ヒデヨシがそう声をあげると、支柱ごとに分散している男たちがバイクに向かってかがみこみ、なにかを行った。ホムラは猛烈に悪い予感に打たれ、ヒデヨシを睨みつけた。

「ヒデヨシ――」

「爆薬を用意しました。一回みんなで吹き飛びましょうか」

 次の瞬間、ホムラは轟音と衝撃と閃光に呑み込まれ、視界を真っ白に染められた。

 もしこのとき立体駐車場の外に人がいたのなら、その人は駐車場の一階部分で大爆発が起こり、建物が真下へ沈んでいくように崩れていくのを見ただろう。砂嵐のような粉塵に襲われて辺りが夜のように暗くなり、目も開けられずに激しく咳き込んだことだろう。そうつまり、駐車場は爆薬によって崩壊し、内部にいたホムラたちは瓦礫の下敷きとなって死亡した。

 そして数分後、瓦礫の山の上に、ペンギンのようなヨチヨチ歩きのかわいい生き物が百人以上もいた。色とりどりのそれは、このゲームにおける死亡状態の姿、ゴーストだ。

 赤いゴーストと化したホムラは、オレンジ色のゴーストであるヒデヨシを睨みつけていた。

「おいヒデヨシ、テメー、なんのつもりだ」

「なあに、戦いの途中でジッポ系のアイテムを使われて計算が狂うのが厭だっただけですよ。そこで俺たち全員を囮にしてそっちの全員を誘き出し、みんな仲良く自爆っただけです。敵を巻き込んだ自爆攻撃なら自殺ペナルティは貰いませんしね」

 ヒデヨシはそう云うと破壊不能アイテムとして瓦礫の下から自動的に出てきた炎天の旗のもとまで行き、そこでレイズジッポを取り出すと、その蓋を開けて云った。

「レイズジッポくらい全員持ってるでしょう?」

「……持ってるわ」

 と、銀色のゴーストとなっているマリアが云って、レイズジッポを取り出した。彼女もまた百姫繚乱のチームフラッグの傍に立っている。そして両ヘッドのその行為を見て、炎天のヤンキーたちも百姫繚乱のレディースたちも全員レイズジッポを手に取った。

 最後にホムラがレイズジッポを手にするのを待ってヒデヨシが云う。

「ジッポ系のアイテムは二十四時間に一回しか使えません。こいつに火を灯したらお互いジッポは打ち止めってことです。回復不能、命は一つ。次に死んだらもうおしまい。シンプルでいいでしょう、ホムラさん?」

「ヒデヨシ、テメーは、そのために……」

「んじゃ、みんなで一斉にジッポに火を点けて、戦争開始ってことでいいっすね」

 是非もない。だがこのままヒデヨシのペースで戦いを始めるのはよろしくない。

「ヒデヨシ!」

 ホムラがそう声を張り上げると、ヒデヨシは思わず聞く構えを見せた。その隙をついて、ゴーストのホムラがにやりと笑って云う。

「セットオン、ファイア」

 そしてレイズジッポに火を点けたホムラが真っ先に復活した。それを見てマリアやヒデヨシたちが次々に蘇生していくなか、ホムラは電光石火の勢いでヒデヨシに迫ろうとしたが、あいだに炎天のメンバーが二人が立ちはだかった。

「どけオラァ!」

 名も知らぬ二人を軽く殴り倒したところで、マリアがチームフラッグを片手にホムラの横を駆け抜けていく。

 ヒデヨシはというと、チームフラッグを手に回れ右して瓦礫の山を駆け下りていった。予想外の動きに、ホムラは一瞬呆気に取られた。

 ――また逃げるだと?

「ま、待てコラ!」

 マリアに続いて、ホムラもヒデヨシのあとを追った。炎天のヤンキーたちはホムラとマリアは見過ごして、ほかの百姫繚乱のメンバーに襲い掛かっていた。

 背後で戦いの声や殴り合いの音を聞きながら、ホムラはマリアの横についた。

「野郎、またなにか企んでるぞ」

「みたいね。あなた気をつけなさいよ」

「こっちの科白せりふだ!」

 そう叫んだホムラを振り返ったヒデヨシは、次に前を向いてアイテムストレージからバイクを出すと、バイクに跨り、座席横のポールスタンドにチームフラッグを固定して走り出した。それをホムラとマリアも、それぞれのバイクで追いかけていく。

 エンジンの唸りを聞きながらホムラは思った。

 ――この期に及んでなぜ逃げやがる? 罠か、それとも策略か。そういえばさっき炎天の連中、俺とマリアだけは素通りさせやがった。つまりこの状況は……。

「ホムラ!」

 マリアの叫びで答えの出ない思索を打ち切ったホムラはぎょっとした。ヒデヨシを追いかけて夜の街を走っているのだが、目の前がだんだんと白い霧に閉ざされていくのだ。

「霧だと!」

 ヤンキー・オンライン内にも気象の変化はある。現実の気象を反映して、雨が降ったり台風がやってきたりするのだ。だがこう都合よく霧が出るものだろうか。

「偶然だと思うか? それともなにか、人為的な要因が――」

 ホムラはマリアの知恵を求めようとして愕然とした。隣にマリアがいない。

「おい、マリア!」

 その声は霧に吸い込まれて消えた。目を凝らせど白い霧に阻まれ、マリアの姿はおろかヘッドライトの灯りも見えないし、バイクのエンジン音すら聞こえない。

「これは……」

 ホムラはただちにバイクを停めるとAR表示されているマップを見た。果たせるかな、マップは正常に表示されておらず、代わりに英字でこう書かれていた。

 ――Unknown。これはなにか条件が揃ってプレイヤーが孤立した状態に置かれたということ。システムを使った感知や連絡手段も一時的にロックされている。

「てことは、ただの霧じゃねえな。誰かの異能か? 炎天にヒデヨシ以外の異能獲得者トッププレイヤーがいてもおかしくはねえが……」

 だとすると既に自分たちは敵の術中にはまったということだ。ただ呼吸をしていてもガソリンとアスファルトの匂いがするだけでステータスに変化はない。

「毒霧ってわけじゃねえか……だが面倒なことになったぜ。霧のなかで迷子にされちまった」

 ホムラはそうぼやくとバイクをアイテムストレージに片づけ、恐れをねじ伏せて歩き出した。じっとしてはいられない。マリアと合流するのが先か、ヒデヨシに出くわすのが先か。

 ――最悪なのは俺の知らないところでマリアがヒデヨシに倒されてフラッグを奪われていた場合だな。これだけは本当に勘弁だぜ。

 そんなことを考えながら歩いていると、前方で霧が揺らいだ。こちらに近づいてくる人影がぼんやりと見える。その背格好がマリアのものとはあきらかに違った。やがてその人物が目の前に現れると、ホムラは目を瞠り、それから嬉しさのあまり笑みを浮かべた。

「よお、ヒデヨシ。やっと会えたな。この霧は誰の仕業だ? いや、それより今度こそ、俺とタイマン張ってくれるんだろうな?」

 するとヒデヨシはなにごとか云ったが、口が動いただけで聞こえなかった。たちまちホムラの頭に血が上る。

「声が小せえよ! はっきり喋れオラ!」

 そう叫びながら、ホムラは炎弾をヒデヨシに投げつけていた。それを躱したヒデヨシが腰を落として突っ込んでくるので、ホムラは震えがくるほど嬉しかった。

 ――ようやくか。ようやく、テメーをぶちのめせる!

 手加減など出来そうもない。これまでの鬱憤のすべてを晴らすべく、ホムラは最初から全力で自らの炎の力を燃え立たせた。

「炎! 竜! 焼! 牙!」

 たちまちホムラの右腕が炎を纏い、炎は竜の頭を象った。その燃える右腕をヒデヨシに向けて、ホムラは全身全霊の声とともに振り下ろす。

「ブレイズ・バーニング・ドラゴンファイヤー!」

 燃え盛る炎の竜が、風を巻き起こしながらヒデヨシに飛び掛かっていく。対するヒデヨシは臆した様子もなく、正面から炎の竜に体当たりした。

 ――レイズジッポからの蘇生直後でライフが半減しているはず! 直撃なら即死!

 果たして火竜はヒデヨシを頭から呑み込んだ。ヒデヨシが一瞬で火だるまになり、かくもあっさり決着がつくものかとホムラが拍子抜けしたそのとき、炎のなかで、炎とは異質の赤い光りが閃いた。そしてヒデヨシがまったくの無傷で炎を潜り抜けてくる。

「なにっ!」

 ホムラが愕然と叫んだのは、ヒデヨシが無傷だったことではない。その左手薬指に赤い輝石を象嵌した指輪が嵌まっていたことだ。

「その指輪は――」

 ――ルビー・ザ・ファイアバード! 馬鹿な! 七つ星レアアイテムはどれも一品物だ。同じものは二つとねえ。てことは、だ!

 指輪の宝石が即死ダメージを肩代わりして砕け散る。同時に攻撃力アップの効果がかかる。威力を増した鉄拳を振りかぶりながら、指輪の主がホムラに迫ってくる。そして。

「水! 刃! 裂! 斬!」

 やっと聞こえたヒデヨシの声は、しかし言葉と声質の両方でホムラを裏切っていた。同時にすべての真実が見えて、衝撃に打たれたホムラに、水の必殺技が放たれる。

「待て――」

 だが相手は待たない。

「ハイドロ・ハイドラ・ハイダラー!」

 荒れ狂う水の竜にずたずたに切り裂かれ、仰向けに吹き飛んだホムラは、ライフゲージがみるみる減っていく絶望的な喪失感のなかですべてを理解して叫んだ。

「マリア!」

 まるでその叫びが鍵だったかのように、周囲に立ち込めていた白い霧が晴れた。地面で背中をしたたか打ったホムラは、ライフゲージがギリギリ残って、首の皮一枚と思いながら地面に手をついて上体を起こす。片手にチームフラッグを握ったマリアが、ハイドロ・ハイドラ・ハイダラーを放った姿のまま愕然とこちらを見下ろしていた。

「ホムラ! なぜ! どうして――」

「俺には、おまえの姿がヒデヨシに見えていた。きっとおまえも、そうだったんだろう」

 マリアなら、それですべてを理解してくれるはずだとホムラは思った。果たして。

「……幻? 私たちは、幻を見せられていた?」

「そうだ。やっとわかったぜ。やはりヤンキー・オンラインで二人のプレイヤーが同じ異能を獲得するなんてことはありえない。あのときあいつが使ったBBDは炎の幻、そして今度は霧の幻で俺たちを分断し、お互いの姿をヒデヨシに見せて同士討ちを狙った。つまりあいつは火炎使いを装った幻影使いだったんだ。そうだろう、ヒデヨシ!」

 勝機を逃さぬため、ヒデヨシはどこかでホムラたちを見ているはずだ。そう思ってホムラが声を張り上げると、どこからか拍手の音がした。その拍手の音がみ、足音がして、チームフラッグを携えたヒデヨシが姿を見せる。

「正解です、さすがはホムラさん。同士討ちを狙っていたんですが、そこの女にルビー・ザ・ファイアバードを渡していたとは、一本取られましたよ」

「偽者野郎が……」

 ホムラはそう吐き捨てると、ライフゲージが尽きる寸前だというのに臆した様子もなく立ち上がった。一方、ヒデヨシは悲しげに眉宇を曇らせている。

「偽者だなんて心外ですね。嘘も通せば真実になる。夢物語っていうのは、そういうものでしょう。だから幻影の異能で炎使いを演じ切れば、俺はあなたと同じ炎使いなんですよ」

「もう私たちにはばれちゃったじゃない」

 マリアがそう口を挟むと、ヒデヨシは忌々しげな顔をしながらも嗤った。

「ありがとよ、ホムラさんに大ダメージを与えてくれて。さすがのホムラさんもライフゲージがレッドじゃな……グレンホムラの伝説も今日で仕舞いよ」

「はあ?」

 たちまち気色ばんだマリアが、チームフラッグをアスファルトの路面に突き刺した。フラッグは破壊不能、ゆえに意外な強度があって、思い切りやればアスファルトをも貫通するのだ。

 旗竿から手を離したマリアが、射殺す眼差しをヒデヨシに浴びせて云う。

「それはどういう意味? まだ私がぴんぴんしているわ。あなたをぶちのめし、そのフラッグを奪えれば炎天は終わりよ」

「笑わせるな。テメーごときに俺が倒せるわけねえだろ」

 ヒデヨシもまたその場にチームフラッグを突き立てた。そして拳の関節を鳴らし、頭を左右に倒して首の骨も鳴らす。

「百姫繚乱のマリア、テメーはもう終わってんだよ。ホムラさんの前にまずテメーを片づけてやる。チームを失う覚悟ができたらかかってこいや」

 そんな強気のヒデヨシを、マリアは鼻先でせせら笑った。

「グレンホムラとのタイマンから逃げ続けて、幻影という異能の種も割れちゃったあなたが、ずいぶん自信満々ね。笑わせないでよ、このドブネズミ野郎」

「ただのドブネズミに、炎天なんてでかいチームのヘッドが務まると思うか?」

 目を瞠ったマリアに、今度はホムラが云った。

「マリア、甘く見るな。ヒデヨシは強いぞ。それになにより、俺はまだ終わっちゃいねえ。だからヒデヨシは俺に任せてテメーは自分のフラッグを――」

 ホムラは最後まで云えなかった。水の刃がホムラの耳を掠めていったからだ。共闘しているはずのマリアにそんなことをされて、ホムラはさすがに気色ばんだ。

「おい、殺す気か!」

「そんなつもりはないわ。ただやっぱり、こいつに落とし前つけるのは私よ」

「カタナに俺の名前仮す代わりに、ヒデヨシは俺にやらせるって約束だったろうが!」

「でもあなた、あと一発貰ったら終わりじゃない。その有り様でタイマンなんて冗談じゃない。あなたがやられるところなんて見たくない。次に動いたらマジで殺す」

 そう矢継ぎ早に云われて、さしものホムラも二の足を踏んだ。ライフゲージがゼロに近いこの状況で、マリアとヒデヨシの二人を敵に回しての三つ巴など馬鹿げている。

 そうしてヒデヨシを睨みつけたマリアを、ヒデヨシは嗤った。

「大人しくホムラさんに任せておけばいいものを、テメーは想像以上の馬鹿だな。手下に詫びる言葉は考えたか? チームを失う準備はオーケー?」

「ほざけ! レベル差があるからって!」

 マリアが怒り、吠え猛りながらヒデヨシに向かって飛びかかった。腕を一振りすると、水の弾丸が凄まじい速度で飛んでいく。それをヒデヨシは、すべて見切って躱しながら前に出て、たちまちマリアとの間合いを詰めた。

「レベルなんか関係ねえ! 俺はな、異能獲得者トッププレイヤーになる前から、タイマン張ったらホムラさん以外に負けたことはねえんだよ!」

 そしてヒデヨシの右腕が一閃し、パンチがマリアの頬を撃ち抜いた。転倒したマリアにボールを蹴るような爪先蹴りが飛ぶ。それを両腕でブロックしたマリアは、尻を引きずるようにしていったん後ろへ下がると、ヒデヨシの目の前に水柱を立てた。ヒデヨシが思わず後ろへ下がった隙に立ち上がり、水柱が崩れて出来た水たまりを飛び越えて、ヒデヨシにハイキックを見舞う。それを軽く躱したヒデヨシがマリアに連続パンチのコンボを浴びせた。

「ううっ!」

 マリアはたまらず後ろへ下がろうとしたが、そこへにゅっと手が伸びてきて、マリアの特攻服の襟ぐりを掴んで引っ張り寄せた。にやりと笑うヒデヨシの右手には、アイテムストレージから取り出したスタンガンがある。

「死ね!」

 ヒデヨシがスタンガンをマリアの腹に押し付けた瞬間、彼女が仰け反りながらぶるぶる震えるのをホムラは見た。そのときホムラは、自分でも意外なことに血の逆流するような悔しさを味わった。この手でヒデヨシを倒したい。だがマリアにも負けてほしくない。

「どうしたマリア! 全国制覇するんだろ? レディースの意地、見せてみろオラ!」

「はははっ。ホムラさんもああ云ってるぞ、コラ。根性出せ、根性!」

「がああっ!」

 スタンガンの電撃を浴びているマリアが、獣のような声とともにヒデヨシの腹部に蹴りを入れた。それでスタンガンが離れたが、ヒデヨシはスタンガンをあっさり見切って投げ捨てると鮮やかな動きでマリアの懐に入り、綺麗な一本背負いを決めた。そしてアスファルトに背中から叩きつけられ、悶絶しているマリアの顔を、思い切り踏む!

「オラァ!」

 ガツン、と凄い音がした。それが二度、三度と続いて、マリアの顔はたちまち血塗れになった。ライフゲージも既に瀕死だ。

「残念だったな、マリアさんよ。テメーなんぞ俺にかかりゃ、こんなもんよ」

 ヒデヨシはくつくつ笑うと、立ち位置を変えて、今度はマリアの左胸を踏んだ。分厚い乳房の下の心臓に、ゆっくり圧力をかけていく。一方、マリアはその足を両手で握り締め、どうにかどかそうとしながら、呻き声で云った。

「なによ、あなた強いじゃない……なのになんで、卑怯なことばっかり……なんで、なんでテメーみたいなのが強いんだクソッタレェ!」

「俺は二代目グレンホムラになる男だからだ! テメーなんぞに負けるかオラァ!」

 ヒデヨシはマリアの胸を踏んでいた足に一気に体重をかけた。あばらの折れる音がして、その下の心臓まで踏み潰そうとしているかのようだった。

「あああっ!」

 マリアが悲鳴のような声をあげる。存外にダメージは少なく、ライフゲージはまだ残っていた。だがもう虫の息であることには違いない。

「ああもう、面倒くせえ」

 ヒデヨシは小腰を屈めてマリアの髪を掴んで引っ張り、体を起こさせると、つまらなそうな顔をしてバタフライナイフを取り出し、ナイフを首筋にあてた。次の瞬間、血しぶきが景気よく迸ってマリアのライフゲージが底を突き、銀色をしたゴーストが転がった。がっくりと項垂れたゴースト・マリアは、もう一語も発さなかった。それを見てホムラは思う。

 ――完敗、か。

 本当に心が打ちのめされてしまったときは、その場から一歩も動けなくなるものだ。

 ヒデヨシはそんなマリアから興味をなくしたようにホムラを見ると、バタフライナイフをアイテムストレージにしまい、自由になった手を胸にあてて恭しく一礼した。

「お待たせしました、ホムラさん」

「ヒデヨシ……」

「あなたと戦う前に百姫繚乱のフラッグを奪っちまいたいんですが、どうせ『その前に俺と戦え』とかなんとか云って邪魔するんでしょう?」

「さすが、俺のことよくわかってるじゃねえか。しかしテメー、ちょっと見ないあいだに、ますます技のキレが増したな」

「この一年、戦争こそやってませんでしたが、遊んでたわけじゃありません。レベルを上げて異能獲得者になり、ダンジョンを攻略し、仲間内で武闘大会を開いたりして、技を競っていました。装備やアイテムも、いっぱい集めたんですよ」

 そう云ってヒデヨシはあるアイテムを右手で摘み、ホムラに見せるように掲げた。

「こいつを見てください。ちょっと前に手に入れた四つ星レアアイテムです」

 それは数センチ四方の、透明な四角いビニール袋に入った白い粉であった。それを見たホムラはたちまち険しい顔をする。

白色粉末ホワイト・アッパーか……経口摂取するとライフ完全回復、状態異常も完治、さらに全ステータスに超プラス補正がかかると云う回復兼自己強化アイテム。ただし反動で一時間後に死亡、同レベルに負けたのと同じデスペナルティを支払うことになる、両刃の剣だ。売ればかなりの金になるから換金するやつも多いんだが……」

「一か八かのブーストアイテムですよ」

 ヒデヨシは袋を破ると口を開けて、粉末を一気に流し込んだ。現実だったら水がいるところだけれど、ここはゲームだからそれだけで粉末が体内に吸収されてしまう。たちまちライフゲージが全快し、ヒデヨシは空になった袋を投げ捨てるとにたりと笑った。

 ――まずいな。

 ヒデヨシはライフ全開かつ自陣ボーナスとホワイト・アッパーによるブーストで全ステータスにプラス補正がかかっている。対するホムラは瀕死の状態だ。誰がどう見てもヒデヨシ有利で、賭けにもならないくらいだった。だからヒデヨシは天狗になって、長々と前口上でも垂れた方が『らしい』のに、どういうわけかホムラをじっと見つめてばかりで仕掛けてこようとしない。まるで新人役者が初めての舞台に臨むときのような、緊張しきった顔をしている。

「……どうした、ヒデヨシ。この一年、ずっと鍛えてきたんだろう。マリアを倒した手並みも鮮烈無比だった。俺が認めてやるぜ。やっぱりテメーは大したもんだ」

 そこで言葉を切ったホムラは、こみあげて来る怒りに任せて叫んだ。

「なのにテメーは、この期に及んで、いったいなにをびびってやがる! やろうぜ、タイマン。俺とおまえの、一対一の、誰にも邪魔されねえ勝負をよ!」

「ふ……ふ、ふ、ふ! 俺はびびってないですよ、ホムラさん」

「そうか? なら俺の方から行くぜ」

 ホムラはそう云うとアイテムストレージから二つ一組の武器を出した。分類上はメリケンサックだが、形状は手甲である。緋金色に輝くその手甲を両手に嵌め、拳を軽く打ち合わせると、それを合図に手甲が燃え始めた。まるでホムラの両手が燃えているかのようだ。

「七つ星レア武器、バーンナックルですか……」

「見るのは久しぶりだろう? こいつも、欲しいと思うか?」

 するとヒデヨシの目の色が変わった。

「欲しいですね。あなたの集めた炎にまつわるレアアイテムは全部欲しい。火の玉ゼッツーも、王覇竜威武も、全部、全部、あなたを倒して……」

 そこでヒデヨシは大きく息を吸い、ありったけの勇気を奮い起こすように叫んだ。

「俺がグレンホムラになってやるうっ! あああああっ! タイマン上等おおおっ!」

 そんなわけのわからない叫び声をあげながら、ヒデヨシは笑ってしまうくらいまっすぐに、ホムラに向かって突撃してきた。それをホムラは、野獣の笑みを浮かべて迎え撃つ。

「――やっと、俺と戦う度胸がついたみたいだな。おせえんだよ、このボケェ!」

 そうしてホムラはその場に片膝をつき、燃える右手で地面を思い切り殴りつけた。ホムラの炎の異能とバーンナックルの特性を合わせたとき、初めて可能となる必殺技だ。

「ファイアウェーブ!」

 地面に叩きつけた拳を中心として炎が巻き起こり、それが半円状に広がって、炎の波となってアスファルトの上を駆けてゆく。

 その炎の波が迫ってくるのを見てもヒデヨシは怯まず、むしろ加速して大地を蹴った。

「うおおっ!」

 ジャンプ一番、気合で炎を飛び越えたヒデヨシの手には数本のスローイングナイフがあった。それを着地する前に投げてくる。これでホムラを倒そうというより、空中にあって無防備な自分を守るための、牽制の投擲であった。

「ちっ!」

 ホムラは後ろへ飛び退り、バーンナックルを構えた。炎を飛び越えてきたヒデヨシが、決死の目をしてホムラに突撃してくる。元よりヒデヨシはホワイト・アッパーの力でライフゲージが完全回復し、全能力にブーストがかかっている。対するホムラは瀕死だ。

 ――一発もらったら終わりだな。

 この絶体絶命の危機にあって、しかしホムラはかつてない集中力を発揮しながら、勢いのついたヒデヨシの蹴りを躱して相手の懐に入りこみ、バーンナックルでヒデヨシの顎を砕いた。ヒデヨシのライフゲージが一割削れるが、まだまだヒデヨシの有利は変わらない。

「オアアッ!」

 ヒデヨシはレスリングで云うところの両足タックルを狙って突っ込んできた。それをホムラは下がって躱し、タックルを外したヒデヨシが体勢を崩す。その好機にホムラはふたたびその場に片膝をつき、バーンナックルを装備した右手で地面を叩きにかかった。

「ファイア――」

 そのときホムラの右拳が、ファイアウェーブを放ったときは違う紅蓮の輝きを纏った。

「ゲイザー!」

 地面を叩くや、ホムラの目の前に巨大な火柱が間歇泉よろしく立ち上がる。だが相手はホムラの戦いを間近で見続けてきたヒデヨシだ。ファイアゲイザーを予想したのか、体勢を崩していたなりに後ろへひっくり返るようにして逃れた。それでも体の前半分が炎に焼かれて、ライフゲージを大きく持っていかれる。

 ――直撃は避けやがったか。だがこれで御の字にしとかねえとな。

 一発もらえば終わりのホムラは欲張らず、慎重に距離を取って、熱そうに顔をさすっているヒデヨシを煽りにかかった。

「どうした、ヒデヨシ。テメー、まだ俺のこと一回も殴れてねえじゃねえか」

「ふ、ふふふ……心配してくれなくても、次で決めてみせますよ」

 そんな話をしながらも、ホムラとヒデヨシはお互いに攻撃のタイミングを窺っていた。自分の戦闘バイオリズムと、相手に隙が生じる瞬間が一致するのを待っているのだ。そしてそのためには、相手に精神的な揺さぶりをかけるのもよい。

「びびってないで、来いよ。テメーはまだライフに余裕があるんだから、恐れず踏み込んできて、俺に一発入れてみな。そうすりゃテメーの勝ちだぜ?」

 するとヒデヨシは目を血走らせ、歯を食いしばって前に出てきた。それに合わせてホムラも前に出る。お互いに近づいていく。距離を詰める。そして同時に拳を振り上げ、ホムラの拳がヒデヨシの頬に入った。一方、ヒデヨシの拳はホムラの側頭部を掠めていった。

「また俺の勝ちだな。どうした、このまま、一発も入れられねえまま、沈むのかコラ!」

 そこからはお互い距離を詰めての猛烈な応酬が始まった。ホムラの蹴りが、拳が、ヒデヨシを打ちのめしていく。片やヒデヨシの反撃はどれもホムラに当たらない。不思議なくらい、ホムラが一方的だった。

 綺麗なパンチがヒデヨシの顔を撃ち抜いたとき、一回転したヒデヨシは、そこでがっくりと膝をついた。

「なんでだ! こんなはずはねえ! ここまで一方的に、やられるはずがねえ!」

 ヒデヨシは悔しそうに地面を叩くと、ホムラを見上げて睨みつけてきた。その視線に応えてホムラは云う。

「それはテメーが心の底で俺をおそれてるからだ」

「畏れ……?」

「戦ってりゃわかる。いくら声をあげて自分を奮い立たせてもよ、テメー、体の芯が震えてやがんだよ。そんなんで俺を倒せると、本気で思ってんのかヒデヨシ!」

 ヒデヨシはらいに打たれたような顔をした。そのまま打ちのめされているかと思いきや、ヒデヨシは燃える面魂を前面に押し出して立ち上がった。

「畏怖……恐怖……そうだ、ホムラさん。俺は長いことあんたの背中を追いかけてきた。その背中が熱くて、眩しくて、触れたら燃えちまいそうで怖かった。だけど俺は、いつまでもあんたの背中を見ているだけの男じゃねえ! なりてえ……なりてえんだ、どうしても! あんたみてえな男になりてえんだ!」

 そしてヒデヨシの右腕が炎を帯びる。それがたちまち竜を象っていくのを見て、ホムラは不愉快そうに眉根を寄せた。

「今さらブレイズ・バーニング・ドラゴンファイヤーだと……そんな幻の炎で、俺に勝てると思ってんのか!」

 そんな偽りの炎は本物の炎で打ち破ってやる。ホムラはそんな気概で自分もまたブレイズ・バーニング・ドラゴンファイヤーを放とうとした。だがそのとき、ずっと打ちひしがれていたゴースト状態のマリアが、顔をあげてぽつりと云う。

「……おかしいわ」

「なに?」

「幻は幻とわかっている相手にはもう通用しないはず。それなのに炎が見える……」

 それで頭に血が上っていたホムラは、はっと冷静になった。

 ――そうだ。このゲーム、幻はプレイヤーがそれと認知してしまえば無効となるはず。なのにヒデヨシの炎が見えている。ということは……。

 そこに想い至ったホムラは愕然として叫んだ。

「異能のバージョンアップ……いや、シフトチェンジか! 初めて見た!」

 ヤンキー・オンラインのプレイヤーがレベル一〇〇に到達して獲得する異能は、それまでのプレイスタイルとレベル一〇〇開放クエストのクリア方法によって決まるオンリーワンの能力である。異能を獲得した時点で能力の属性や系統は決まっており、あとから別系統・別属性の能力に乗り換えることはできない。

 しかし極稀に異能がバージョンアップしたり、新たな能力を得た複合能力者になったり、別系統の能力者にシフトチェンジしたりする者がいた。

 ロマンチストはプレイヤーの想いがシステムに反映された結果云々と唱えているが、リアリストは最初からそうなるように仕組まれていたのだと云っている。どちらにせよ非常に稀有であり、シフトチェンジが起こる瞬間を目撃したのはホムラも初めてだ。

「ヒデヨシ、まさかおまえが……?」

「グレンホムラになりたいなりたいと駄々をこねた結果がそれ? 嘘も通せば真実になるとか云ってたけど、本当に炎使いになっちゃったわけ?」

 そんなマリアの言葉もヒデヨシには届いていない。ヒデヨシは右腕を赤々と燃え上がらせながら、ホムラだけをじっと見据えている。決着の予感が、ホムラにはあった。どちらの炎がより熱く、より烈しく燃えるのか。そういう勝負が始まるのだと思ってホムラが血潮を滾らせたそのとき、ヒデヨシの目が動いて、視線がホムラから離れた。

 ――フェイントか?

 自分の視線で相手の視線を誘導し、その隙に攻撃に転じるのはフェイントの初歩の一つだ。ホムラはこれを警戒したが、しかしヒデヨシは勝負に水を差されたような顔でこう云った。

「なんだ、テメー?」

「あっ、見つかっちゃった」

 突然の、しかし聞き覚えのあるその声に、ホムラはぎょっとして声のした方を見た。

「アイリ!」

 それは五分待ってからついてこいと云い含めたアイリーンであった。律儀に五分待ってから動いたのだろう、あの立体駐車場の自爆攻撃にも巻き込まれなかったようで、ライフゲージもマックスだ。それがマップを頼りにしてか、ホムラを探し当てたらしい。

 ――こいつのこと忘れてた。って、うっかり口に出したら怒るだろうな。

 そしてヒデヨシもまた思い出したように云う。

「そういやテメーいたな……ホムラさんにくっついてた、初心者っぽいのが。レベル一〇だし、百姫繚乱の正式メンバーでもないみたいだから忘れていたが……」

 そう、どうやらなまじレベル一〇なだけに、アイリーンはこの抗争に参加していた全員に見過ごされていたのだ。だがそれでアイリーンの存在が消えたはずもなく、彼女は自分の判断で行動し、今は抜き足差し足で歩いていたのが、ヒデヨシに見つかると開き直ったのか、胸を張って瀕死のホムラとゴーストになっているマリアを見比べた。

「えっと、この状況だと、こっちだよね!」

 アイリーンはそう云うとマリアに向かって走り出した。

 それを見てヒデヨシが怪訝そうに眉をひそめる。

「ああん? なんだテメー。なにがやりてえんだ、コラ」

 あとにしておもえば、ヒデヨシは問答無用でアイリーンを倒すべきだった。しかしそこは異能獲得者トッププレイヤーの驕りがある。ホムラだってヒデヨシの立場なら、ひよこがなにをするつもりなのか様子を見ただろう。結果的にその驕りが自分に跳ね返ってくるのだとしても、その瞬間まで気づかないのだ。果たして、アイリーンは。

「マリアさんヘッド!」

「アイリちゃん……そう、そうだわ! あなたがいた!」

 マリアがゴーストの顔を輝かせてマリアに向かって走り出す。そしてアイリーンはそのアイテムを手に持って高く掲げた。それを見たヒデヨシが愕然と叫ぶ。

「レスキュージッポ!」

 そう、ジッポ系のアイテムは二十四時間に一回しか使えず、ホムラたちは全員レイズジッポを使っているが、あの立体駐車場の倒壊に巻き込まれなかったアイリーンだけは、まだジッポの使用権を残しているのだ。そしてアイリーンは状況を見てマリアを選んだ。

 ――いいぞ。ここでレスキューが必要なのはマリアの方だ。なぜならチームフラッグの奪取は誰でも出来るが、敵のチームフラッグを自分のフラッグに吸収する儀式はチームのヘッドにしか出来ないからだ!

「行くよ、マリアさん!」

 そうしてアイリーンがレスキュージッポに火をつけた。次の瞬間、人の姿を取り戻して復帰するや否や、マリアは、

「ありがと!」

 と、そう礼を云ってアイリーンの頬にキスをすると、自分のフラッグに向かって走り出した。ここに至れば、ヒデヨシも状況を完璧に理解できたのだろう。

「ちょ、待てコラ!」

 彼は焦った様子で踵を返し、マリアを追いかけて走り出した。その背中に、ホムラは容赦ない飛び蹴りを浴びせた。

「ぐはっ!」

 ヒデヨシが前のめりにすっころぶ。一方、着地したホムラは、綺麗に決まった飛び蹴りの快感に酔いしれながら云う。

「俺に背中を向けるって、そりゃないだろ」

「……ホムラさんこそ、それはないでしょう」

 ヒデヨシはよろよろと立ち上がると、振り返ってホムラを恨めしそうに見た。

「すぐ片づけますんで、邪魔せんでくださいよ」

「今は俺とのタイマン中だ。マリアを止めたかったら俺を倒していけ」

 ぎりり、とヒデヨシが歯を食いしばるのが、表情でわかった。

 そしてそんなホムラの言葉が聞こえていたのか、アスファルトに突き立ててあった自分のフラッグをぐっと掴んだマリアが嬉々として叫ぶ。

「ナイスよ、ホムラ! そのままヒデヨシを押さえていて!」

 マリアはそう云うと、次にヒデヨシを見て底意地の悪そうににんまりと笑った。

「先日の落とし前、今からつけてやるわ!」

 そう景気よく叫んで自分の旗を引っこ抜いたマリアは、獲物を見つけた猟犬の目をして、ヒデヨシが突き立てた炎天のチームフラッグに向かって走り出した。

 それでいよいよ焦ったのがヒデヨシである。

「おい、よせばか、俺の旗に近づくんじゃねえ!」

 ヒデヨシはまたしてもホムラに背中を向けたが、ホムラは素早く回り込んでヒデヨシとマリアのあいだに割って入った。たたらを踏んだヒデヨシが唇を噛みながら云う。

「どいてくれ、ホムラさん。俺の夢が終わっちまう。王覇竜威武を受け継いで、グレンホムラになるっていう俺の夢が……!」

「笑わせるな! テメーの夢を通したかったら、今ここで俺を倒してみろ! 俺を倒してマリアを倒して自分の旗を掴め! それが出来なきゃテメーはここで終わりだ!」

 それでヒデヨシの心にも火がついたのだろう、彼の右腕がふたたび真っ赤に燃え上がった。顔つきも変わった。腹を括った男の顔だ。

 そんなヒデヨシを見て、ホムラは嬉しくなって笑った。

「そうだ、ヒデヨシ。せっかく本物の炎使いになったんだ。最強のやつを見せてくれよ!」

 そしてホムラもまた、足元から炎を巻き起こし、右腕に赤き竜を象る炎を纏って拳を構えた。それとまったく同じ構えをヒデヨシが取る。

「炎!」「竜!」「焼!」「牙!」

 ホムラとヒデヨシが、ともに必殺技の発動ワードを叫ぶ。二人の男の右腕で、紅蓮の竜が飛び立つ力を溜め、吠え猛り、燃え上がる!

 ――行くぞ。

「「ブレイズ・バーニング・ドラゴンファイアー!」」

 二人の声が重なり、数多の強敵を葬ってきた、ホムラ最大の技が炎の竜と化して右腕から放たれた。それと鏡写しの火竜がヒデヨシの右腕からも放たれ、双の火竜は空中で激突するとそこに炎の世界を作りながら、どちらが先に燃え尽きるかを競うかように、燃やし合い、喰らい合う。ホムラとヒデヨシはそれを後押しするべく、右腕を突き出した姿勢のままでいた。

 竜が激突している場所から凄まじい熱風が吹いてきて肌を灼く。その熱い風に逆らって、ヒデヨシが苦しげな顔をしながらも一歩前へ踏み出した。

「グレンホムラに……」

 ヒデヨシの執念が乗り移ったかのように、向こうの火竜がホムラの火竜を押し始めた。

「グレンホムラに、俺はなる!」

 ――グレンホムラになるだって? ほんと、テメーは、馬鹿野郎だな。

「俺になれるのは俺だけだよ!」

 ホムラはそう叫ぶと『左腕』を高く掲げた。そして。

「炎! 竜! 焼! 牙!」

 ホムラの左腕が真っ赤に燃え上がり、そこに新たな火竜が火勢とともに産声をあげた。それを見て、ヒデヨシが愕然と目を剥いて叫ぶ。

「う、うおおっ! ま、まさか! こんな、こんな馬鹿なことが――!」

「知らなかったろう! これがレベル一四〇のテメーと、レベル二二〇の俺の違いだ! 正真正銘の俺の奥の手、使わせたのはテメーが初めてだぜ! 褒めてやるから笑って死ねや! ブレイズ・バーニング・ドラゴンファイアー!」

 ホムラが左腕を突き出し、追加の火竜が炎の戦場へ突っ込んだ。そして次の瞬間、真紅の大爆発が起こり、ヒデヨシが火だるまになりながら空へ高々と舞い上がった。

 それを見上げながらホムラは小さく呟いた。

「俺になれるのは俺だけだよ。俺に勝ちたかったらグレンホムラになるじゃなくて、グレンホムラを超えてやる、じゃねえと……なあ、ヒデヨシ……」

 放物線の頂点に達したヒデヨシが、夜の街を背景に落下していく。ライフゲージはまだぎりぎり残っていたが、それも落下ダメージで飛ぶだろう。

「そしてテメーの夢も――」

「これで、おしまい!」

 炎天のチームフラッグの前に辿り着いたマリアが、そこで自分の旗を高く掲げた。ヤンキー・オンラインの縄張り争いで自分のフラッグに相手のフラッグを吸収するときはある儀式をこなさねばならない。儀式と云っても、簡単な呪文を唱えるだけだ。

 落下しながらもマリアがその儀式を行おうとしているのが見えたのか、ヒデヨシが叫ぶ。

「や、やめろおおっ!」

「天上天下唯我独尊! 全国制覇目指して、走死走愛の魂を燃やして最後まで突っ走っていくんで、みんな夜露死苦!」

 次の瞬間、炎天のチームフラッグが光り輝き、旗が光りの糸となってほどけ始めた。その一本一本が、マリアの掲げる百姫繚乱のチームフラッグに吸い込まれて消えていく。そして最後に残った旗竿にひとりでに火がつき、一瞬で燃え尽きてしまった。それと同時にヒデヨシが地面に叩きつけられ、彼のライフゲージもまたゼロになって砕け散った。

 彼自身の終わりと、彼のチームの終わりが同時に訪れたのだ。炎天の旗が灰と散って寂滅の風が吹く。それを見てホムラはぽつりと云った。

「……終わったな」

 それを合図に、止まっていた時間が動き出したようだった。マリアが旗を下ろし、アイリーンが止めていた息を吐き、ホムラはバーンナックルの火を消してヒデヨシの前まで行った。

 死亡し、オレンジ色のゴーストになっているヒデヨシは、寝転がったまま夜空を見上げていた。ゴーストは風船にサインペンで顔を描いたような容姿をしているので、表情から読み取れるものはなにもないが、それでも察せられるものはある。

 ホムラは乱れたリーゼントを軽く整えると口を切った。

「……今ごろは炎天のメンバーにチームの崩壊が告知されてるころだな。なりてえものになろうとして、突っ走って、そしてすべてを失って燃え尽きた。テメーは見事に、俺と同じ坂を転がり落ちたわけだ。ええ、おい?」

 ホムラが爪先でゴーストのヒデヨシを揺さぶると、ヒデヨシはやっと体を起こして立ち上がった。漫画だったら『ぴょこっ』と云う擬音がついてきそうな動きであった。

「……ホムラさん」

「ふん。知っての通り、このゲーム、一度自分のチームを失ったらもう二度とヘッドにはなれねえ。誰かのチームに入れてもアタマは張れねえ。テメーの夢物語は終わったのさ」

 グレンホムラの伝説が幕を閉じたように、ヒデヨシの天下取りもここに終わったのだ。

「ざまあねえな、ヒデヨシ」

「そうですね」

 それを最後にホムラもヒデヨシも黙ったが、しばらくすると、二人同時に肩を揺すって笑い出した。最初含み笑いのようだったそれは、たちまち口から溢れて哄笑となる。

「はっはっは!」

「あはははは!」

 そうして笑い続ける男二人を、マリアとアイリーンはぽかんとした顔で眺めている。

 やがて笑いが収まると、ホムラは真顔になって云った。

「何人かは残ると思うぜ」

「えっ?」

「炎天が崩壊した今、みんなよそのチームに行っちまうだろうさ。でも何人かは残る。俺のところにリュージたちが残ってくれようとしたようにな」

「でも、このゲームは全国制覇を……」

「そんなもんは関係ねえよ。全国制覇とか、縄張り争いとか、このゲームの本質はそこじゃねえだろ。バイクでデカイ音させながらみんなで夜を走る。そのためのヤンキー・オンラインだろうが。ギルドシステムとしてのチームなんか、所詮運営の敷いたレールだよ。そっから外れて我が道を行くのがヤンキーだろうが」

 するとホムラの気のせいか、ゴーストであるヒデヨシの目に光りが蘇ったようだった。

「夜を、走る……」

「それだけで、楽しかったろう?」

 そのときホムラの胸に、王覇竜威武時代の思い出が溢れかえった。リュージ、ヒデヨシ、ほかにも無数の仲間を従えて、ヘッドライトが尽きることのない光りの洪水となって道を流れていく。その先頭に火の玉ゼッツーに跨るホムラがいた。ヤンキー・オンラインで構成員が千人を突破したチームは後にも先にも王覇竜威武だけだ。それはつまり、自分たちこそがこの世界の夜に一番大きな爆音を響かせたということだ。それが誇りであり、人生の宝物だった。

「ホムラさん……」

 ヒデヨシにそう呼ばれ、ホムラは我に返ると戸惑いがちに自分の口元に手をやった。

「いや、俺はなにを話してるんだろうな……テメーが俺にしたことを思えば、百回ぶっ殺して、ざまあみやがれって唾吐いて終わりのはずなのによ」

 それなのになぜか、全然そんな気持ちになれない。ホムラは自分の心に惑い、目をさまよわせ、不意にアイリーンと目を合わせた。その青い瞳に見つめられて、思い出す。

 ――ああ、そうだったな。仲直りだったな。まったく、無理を云いやがってよ。

 ホムラはくつくつ笑いながら片手で自分の顔を覆った。そんなホムラを、ヒデヨシは奇妙なもののように見ている。

「ホムラさん?」

「いや、ちょっと古い夢を見ただけさ」

 ホムラはそう云うと、ふたたびヒデヨシを見下ろした。

「だけど俺もおまえも、グレンホムラなんて終わった伝説にいつまでも取り憑かれてちゃいけねえ。前に進むんだ。俺もそうすっからよ」

「俺も? ホムラさん、それは……」

 ヒデヨシがホムラに食い下がろうとしたそのとき、風に乗って遠くから爆音が聞こえてきた。見れば無数のヘッドライトの群れが凄い速度で近づいてくるではないか。

「お兄ちゃん先生、なんか来たよ!」

「ああ、わかってる。あれは……」

 やがてそのバイク集団がホムラたちの前に現れた。先頭にいるZZR1400に乗っているのは、赤い髪をリーゼントにした、緋色の特攻服の青年で、暴走族のヘッドとは思えないくらいあどけない目をしている。その顔を見て、ホムラは懐かしさに目を和ませた。

「リュージ……」

「ケリがついたみたいですね」

 リュージはそう云うとサイドスタンドを立ててバイクから降りてきた。目の前に立ったリュージを見つめて、ホムラは改めて云う。

「久しぶりじゃねえか、男前になったな。テメーが来たってことは、そいつらが噂の覇道竜威武か。なるほど、見覚えのある顔がごろごろいやがる」

 ホムラが去ったあと、王覇竜威武は二つに割れた。ヒデヨシの炎天と、リュージの覇道竜威武と。昔の仲間たち一人一人と話をしたい気持ちはやまやまだったが、リュージもチームを率いて現れたからには、世間話をしにきたわけではないだろう。

 果たせるかな、リュージは威儀を正すと改まった口調で云った。

「お帰りなさい、ホムラさん! そして、お願いがあります!」

「云ってみな」

 ホムラがそう云うと、リュージはいきなりホムラに向かって深々と頭を下げた。

「もう一度、俺らのアタマやって下さい!」

 予想外の言葉にホムラは面食らった。いったいぜんたい、どうしたものか。

「……頭あげろよ。なに云ってんだ、テメー。このゲームのルールを忘れたのか? 一度自分のチームを失ったプレイヤーは、もう二度と自分のチームを持つことはできない」

「もちろん、忘れていません」

 顔を上げたリュージは、そこで堰を切ったように話し出した。

「自分の旗を失ったプレイヤーは、もう二度とヘッドにはなれない。でもそのルールはシステム上だけのことです。俺たちの魂まで縛ることはできません。だから形式上は俺がヘッドをやり、実際のアタマはホムラさんにやってもらう。そういう提案です」

「ああ、なるほど。名目上のトップと事実上のトップを分けるのか。考えたな、リュージ」

「はい。ホムラさんがいなくなってからずっと考えていました。俺はホムラさんが置いていった王覇竜威武って遺産を預かっているだけだって。だからヤンキー戦国時代を終わらせて停滞期を作り、ヒデヨシにも好き勝手はさせず、なるべく現状を維持して、あなたが戻ってきたときに、あなたにチームを手渡せるよう、覇道竜威武を作って待ってたんです。今、そのときが来ました。ホムラさんから預かったもの、全部お返しします! もういっぺん、俺たちのアタマやってください! お願いしやっす!」

 そう叩きつけるように云って、リュージはまた勢いよく頭を下げた。

 そんなリュージのすぐ目の前まで進み出ると、ホムラは優しく云った。

「リュージ……ありがとよ」

 するとリュージは顔を上げて、安心したように微笑んだ。それに微笑み返し、ホムラはおもむろに右腕を振り上げると、リュージの頬に鉄拳を見舞った。人が人を殴ったとも思えぬ凄い音がし、リュージは倒れこそしなかったが、上体を大きく仰け反らされ、それからびっくりしたような顔でホムラを見てきた。その瞬間を捉えてホムラは云う。

「目ぇ醒めたか?」

「ホムラさん、なんで……」

「後ろを振り返って、テメーの仲間たちのツラをよく見てみろ」

 リュージは云われるままに振り返り、バイクに跨っている覇道竜威武の男たちを見た。それがどの顔も不満げである。悲しげである。誰も彼もが心で血を流していた。

「テメーら……」

「たしかにあのなかには、王覇竜威武だったやつらもいる。だが見たことねえ顔も混ざってるじゃねえか。あいつらはもう王覇竜威武じゃなくて覇道竜威武なんだ。俺の仲間じゃなくておまえの仲間なんだ。覇道竜威武はおまえのチームなんだ、リュージ! それを今さら、一年も消えてた俺がアタマやるつって、あいつら納得するのか」

「そ、それは……でもホムラさん、俺は……」

 ホムラに顔を戻したリュージの鼻先に、ホムラは拳を突きつけた。

「テメー、そんな覚悟で旗振ったのか! ヤンキー舐めてんのか!」

 そう一喝されて絶句しているリュージに、ホムラはなおも叩きつけるように云う。

「いっぺん自分の旗振った以上は最後までやれ。天下取るか、それとも滅びるか、そのときまでテメーがこいつらのアタマだ。自分の旗を他人に振らせるなんてダセエ真似はやめろ。あいつらはテメーを信じてついてきてるんだ。俺じゃねえ、テメーだ!」

 ホムラの声には感情の火花が散っており、心は赤く燃えていた。その炎がリュージにも燃え移ったのかもしれない。優男だったリュージの顔の輪郭に、男らしい線が一筆加わった。目と目で通じ合うものがあり、ホムラはにやりと、リュージははにかむように笑って、互いの拳を軽くぶつけ合った。そしてホムラは晴れ晴れと云う。

「ようし! テメーも、それにヒデヨシも、今夜限りで王覇竜威武とグレンホムラから卒業しろ! これからは自分の道を行け!」

「はい!」

 リュージは泣きそうな目でそう返事をした。一方、ヒデヨシはゴーストのまま、ホムラをぼんやりと眺めていた。自分のチームを失ったばかりの彼には、まだこの先どうしていいかわからないのだろう。ひょっとしたら引退してしまうかもしれない。

 だがどちらの門出も祝ってやろうと思い、ホムラはポップアップサインを出してメニュー画面をAR表示すると、アイテムストレージの操作をしながら云う。

「さて、生まれ変わったテメーらに俺からの餞別だ。まずはリュージ」

 ホムラたちの前に一台のバイクが現れた。火の玉カラーの大型バイクだ。古い時代のものだが最高にイカしたそのバイクを目にして、リュージが茫然と云う。

「ゼッツーじゃないですか……」

「そうだ。こいつを手に入れてから俺は常にこいつで走ってきた。だがテメーにやる」

 リュージはたちまち痺れたようになったが、ホムラの目も真剣だ。

「テメーにもらってほしいのさ。あのとき、テメーは俺のところに残ってくれたのに、一方的に消えちまって悪かったと思ってる。こんなんで詫びになるとは思えねえが、ダチを除けば、これが俺の一番の宝物だ。受け取ってくれるな?」

「……ありがたく」

 リュージがそう云って頭を下げると、ホムラはメニュー画面を操作してバイクのプロテクトを外した。最後に少しだけバイクを惜しむ気持ちが生まれたが、それを断ち切ってリュージにハンドルを譲る。

 ――あばよ、ゼッツー。

 ホムラは心で愛車に別れを告げると、次にヒデヨシを振り返った。

「次はテメーだ、ヒデヨシ。テメーにはこれをやる」

 そう云ってホムラがヒデヨシの前に放り投げたのは、一組の手甲である。先ほどの戦いでホムラが用いたものだ。

「バーンナックル……」

「そいつには『餓狼』って別名がある。これから野をさすらうテメーには似合いの牙さ」

「ホムラさん……」

「牙が折れたと思ったら捨てちまいな。だが折れていないなら受け取れ」

 そう云ってホムラはバーンナックルのプロテクトを外した。だがヒデヨシはそれを拾おうとはせず、ゴーストの顔でじっとホムラを見上げて云う。

「ホムラさん、でもあなた、ゼッツーもバーンナックルも、色んな武器やアイテムを全部ほかのやつにやっちまって、これからどうする気なんです?」

「どうもこうもない。俺はこの世界から消える。グレンホムラの伝説も今夜で終わりだ」

「消える? ホムラさん、まさか……」

 動揺した様子のリュージを、ホムラは安心させるように笑いかけた。

「俺にも考えてることがある。グレンホムラの伝説はこれでおしまい。そしてまた新しい伝説が始まる。そのとき、俺たちはきっとまた会うぜ。この夜のどこかでな」

 二人が茫然としたのも一瞬のこと、すぐにリュージとヒデヨシの目に輝きが宿り、リュージが頬を紅潮させて云う。

「俺、わかりましたよ。ホムラさんがなにを考えているのか」

「俺もわかりました」

 ヒデヨシはそう云うと、小腰をかがめてバーンナックルを拾い上げた。

「そういうことなら、この牙を研いで、その日に備えるのも悪くないですね。また会う日まで……さよなら、ホムラさん」

 ヒデヨシはゴーストの小さな体で一礼すると、その場からふっと掻き消えた。

 次にリュージが、ホムラからもらったばかりのゼッツーに跨った。

「ホムラさん」

「おう」

「俺、楽しみになってきました。次に会うときは、ガチでやりましょうね」

「そうだな。ガチでな!」

 ホムラが勢いをつけていったその言葉に頷いたリュージは、バイクを鮮やかにターンさせると軽くアクセルを開けて仲間たちの前まで行き、そこで両腕を大きくひろげた。

「テメーら、聞け! 覇道竜威武は結成以来、ずっと沈黙してきたが、今夜今月、王覇竜威武時代の因縁にけりがついた! 俺たちは今夜から、全国制覇目指すぞ!」

 リュージのその雄々しい宣言に、覇道竜威武のヤンキーたちは我が耳を疑うように一瞬沈黙したあと、わっと大歓声をあげた。ある者は拳で天をつき、ある者はバイクを空ぶかしし、喜びと興奮に吠え猛っている。

 それがホムラには心底羨ましかった。ホムラが失ったものがあそこにはあるのだ。

 ――今夜が覇道竜威武の、本当の結成日だな。

「さあ、行くぜ!」

 そう号令をかけたリュージが、ゼッツーで新しい夜へと乗り出していく。それにヤンキーたちが続き、ホムラはけたたましいエンジン音に耳を弄されながら、排気ガスを胸いっぱいに吸い込んで、夜へと流れ出していく赤いテールランプの洪水を眺めていた。もうホムラを振り返る者は誰もいない。と、そこへマリアとアイリーンが近づいてきた。

「男同士の話は終わった?」

「ああ」

「で、結局なにがどうだったわけ? リュージとヒデヨシの二人はなにをわかったの?」

「なんだ、テメーにはわかんねえのか。リアルじゃあんなに頭いいのによ」

「ゲーム中にリアルの話とかしないでくれる?」

「ははは」

 ホムラがそう笑い声をあげたとき、覇道竜威武が去ったのとは別の方角からバイクの音が聞こえてきた。振り向くと、カタナが四人の仲間を率いて近づいてくるのが遠目に見えた。

「おおい! どうなったっすかぁ?」

 その声を聞いてホムラはなんだかわけもなくおかしみを感じてマリアに云う。

「マリア、テメーには俺のことよりやることがあるだろ。チームメンバー全員にメッセージ飛ばして、荒らされたアジト片づけて、炎天の残党にも話しつけてよ、そんで……」

「祝杯ね!」

 そう云って笑うマリアの顔は、月さながらに美しかった。

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