授業46 愛する人

「あっ、おい鈴、お弁当忘れてるぞ!」


 スーツ姿の青姉がスーツ姿の俺に弁当の入った袋を手渡す。


「ありがとう、青姉」


 俺は袋を受け取り、お礼を言った。


「もう、いつまで青姉って呼ぶんだよ」


 呼び方が気に食わなかったのか青姉はジト目で俺を睨む。


「ごめんごめん。慣れなくてさ。青、お弁当ありがとう」

「よろしい」


 言い直すと青姉は満足げに微笑んだ。


「でもやっぱり青より青姉の方が呼びやすいんだよなぁ」

「だからっていつまでも青姉って呼ぶのはおかしいだろ?」


 俺がなにげなく呟いた言葉を聞いて青姉はまた不満そうに頬を膨らませている。

 コロコロと表情が変わって面白いし、やっぱり青姉はどんな顔をしても可愛い。


「ふふっ」

「なに笑ってるんだよ」


 笑う俺を見て眉根を寄せる。


「青姉が可愛くてつい」

「ば、バカ! のろけんな!」

「痛っ」


 褒めたのにチョップをされ、俺はうめく。

 けれど青姉の頬が赤色に染まっているのを見て、俺は照れ隠しだと気づきいっそう青姉に魅了された。


「俺はもう青姉にメロメロだよ」

「お、お前はそうやっていつも歯の浮くようなセリフばっかり言いやがって……」


 俺が面白がってストレートに気持ちを伝えると青姉はわなわなと震え出す。


「そんな奴はこうしてやる!」

「い、いひゃい! いひゃいよ、ひゃお姉!」


 勢いよく両側の頬を引っ張られ、俺は涙目になって身悶えする。


「とか言って痛いのが気持ち良いんだろ? だって、鈴はいじめられて喜ぶド変態だもんなぁっ!」

「ひぎぃ」


 先程とはうって変わりイキイキとした表情になった青姉に頬を引く力をぐっと強められ、俺は言われた通り強くなった痛みに快感を覚えて喘ぐ。

 それを見て青姉は嗜虐的な笑みを浮かべて俺を罵倒する。


「ふふっ、朝から盛ってんじゃねぇよ。このエロ犬」

「ご、ごへんなひゃい」


 俺が高卒認定試験に合格してから五年の月日が経っても俺達は変わらないやりとりを続けていた。


「昔みたいに首輪でも着けてやろうか?」


 摘まんでいた頬を離して、青姉は片側の口端を上げてシニカルに笑い提案してくる。


「駄目だよ。初日からそんな格好で行ったら変態だと思われちゃうじゃん。痛たた」


 俺は赤く指の跡が付いた頬を擦りながら断った。


「鈴は変態だろ?」

「そ、そうだけどそれを晒すのは青姉がいるところでだけだよ!」


 なにを当たり前のことを言ってるんだというように青姉は真顔で言葉を発する。

 俺は、俺が節操無く誰の前でも乱れると思っている青姉の認識を訂正する為に叫んだ。


「ふーん」

「ちょっ、信じてよ。俺だって誰でも良い訳じゃないんだよ」


 疑惑の目を向けてくる青姉に俺は必死で訴える。


「まっ、そういうことにしといてやるよ」


 青姉は渋々といった感じで信じてくれた。

 なんか納得いかないけどこれ以上言っても仕方がなさそうだったので、俺は話を切り替える。


「それはさておき、青姉は今日どんな仕事するの?」

「いつも通り薫と一緒に査問委員会で問題のありそうな専属先生を査問だよ。鈴も私達に査問されないよう気をつけろよ?」


 ニヤッと小悪魔のような微笑を浮かべて俺の鼻を指で突っつく青姉。ドキッとした。

 俺は青姉と薫さんに激しく問い詰められるところを想像して査問されるのも悪くないかもと思いつつ、青姉に質問する。


「青姉はもう、専属先生はやらないの?」


 俺が卒業したと同時に専属先生をやめて、青姉は査問委員会の副会長になっていた。

 薫さんはもう一度会長になって欲しかったみたいだけど、青姉は薫さんの方が会長に向いていると言って断ったらしい。


「やらない。だって私は専属先生だからな」

「青姉……」


 俺は自分以外の専属先生になるつもりはないという意味の言葉が嬉しくて感動する。


 だが、


「今度、先生プレイしよっか」


 と、せっかくの良い雰囲気を台無しするようにバカなことを口走った。


「鈴、お前、やっぱりエロいことしか頭にない変態だな。キモいぞ」


 ドン引きした青姉が後ずさりながら汚物を見るのと同じ嫌悪感たっぷりの目を俺に向け罵倒する。


「はうっ。あ、青姉、い、今のは半分冗談で」


 蔑みの眼差しに興奮しながらも、俺は弁解しようと青姉に手を伸ばす。


「半分は本気だったのか?」


 すると青姉は急に後ずさるのをやめて聞いてきた。

 そのせいで抱きつくような体勢になってしまう。


「う、うん。正直半分どころか八割ぐらい本気でした」


 青姉の肩に顔を置いた俺は素直に答えた。


「そうか。じゃあ……」


 その答えを受け青姉は少し溜めを作る。

 そして、甘くとろけるような声で囁いた。


「今晩、先生が指導してやるから覚悟しとけよ」

「は、はい」


 俺は背中がゾワゾワする感覚に打ち震えながら返事をする。


「あっ、やばい。仕事遅れちゃうよ青姉!」


 その時たまたま奥の壁にかかっていた時計が視界に入り、俺は焦った声を出して青姉を離す。


「えっ?」


 青姉も振り返って時計を確認する。


「うわっ、本当だ。やばいじゃん! 鈴、急ぐぞ!」

「わかった!」


 青姉と俺は慌てて玄関へ向かった。


「あっこら鈴、ネクタイ曲がってるぞ! ってなんだよこの変な結び方は! もう良い! 私がしてやるから一回外せ!」


 靴を履き終え家を出ようとしたところで青姉に怒鳴られる。


「ご、ごめんなさい!」


 俺は言われるがままネクタイを外して謝った。


「はい、これでよし! それじゃあ行くぞ!」


 ネクタイを結び直してくれた青姉はポンポンと俺の服を整えてから、左手を差し伸べてくる。


「う、うん!」


 俺はその手に自らの左手を絡めた。俗に言う恋人繋ぎだ。


「向い合わせで恋人繋ぎして歩くわけないだろ! 右手だ! 右手! このバカ! おたんこなす!」

「ご、ごめんなさい」


 また怒られ罵倒された俺は、手を絡めたまま謝罪する。


「さっさと離して右手を出せ!」


 怒鳴ってはいるけど手を繋ぐことはやめないでくれるらしい。


「わ、わかった」


 互いが左手の薬指に嵌めた銀色の指輪を見て、少し離すのが名残惜しくなりながら左手を離し、俺は右手を青姉の左手に絡めた。


「それで良いんだよ。ふふっ。それじゃあ今度こそ行くぞ」


 玄関の扉を開けた青姉は機嫌良さそうに笑って告げる。


「うん」


 俺はその言葉に頷いて、愛する人に手を引かれるまま家の外へと足を踏み出した。

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