授業29 課外授業という名のデート

 十数分間にわたって青姉にからかわれた後、俺達は予定よりも少し遅く家を出て駅前の繁華街に来ていた。


「なぁ鈴。そろそろ機嫌直してくれよ」


 青姉が隣を歩く俺の顔を覗き込んで言う。

 ジーパン履き、上は白い無地のセーターを着て革ジャンを羽織っている。


「べ、別に機嫌悪くないし、ふんっ」


 そんなクールビューティーな青姉に一瞬見惚れそうになりながらも、俺は不機嫌な声を出して青姉から顔を背けた。


「ならどうしてそっぽ向くんだよ。なぁ、こっち向いてくれよ。なぁなぁ」


 青姉は剥れる俺の頬を指でつついて要求する。

 俺は顔をそのまま動かさずに言葉を発した。


「そっち向いてもどうせまた俺のことバカにするでしょ? だから嫌だ」


 俺は眉間に皺を寄せ唇を尖らせて拒否する。エロ本のことでからかわれて拗ねているのだ。


「そう言うなよ。こっち向いてくれたらチューしてやるぞ?」

「えっ?」


 俺は青姉の言葉に思わず顔を動かしてしまう。ニヤっとした意地の悪い笑顔を浮かべる青姉と目があった。


 しまった!


 そう思い顔を背けようとして青姉のすべすべした両手で顔を挟まれ動けなくなる。


「やっとこっち向いたな」


 青姉は手で挟んだ俺の顔をじっと見つめて呟いた。

 視界の大半を美しい青姉で支配され、俺は世界に二人だけなんじゃないかという錯覚に陥る。

 繁華街なのでもちろん歩いている人はいるんだろうけど、青姉以外は目に入らなかった。


「それじゃあ約束通りチューしてやる」


 言い、青姉は顔を近づけてくる。

 俺は緊張してぎゅっと目を瞑り、青姉の唇の感触が訪れるのを待った。

 けれど唇に訪れた感触は青姉の唇ほど柔らかくはなかった。

 俺はなんの感触なのか確かめようと目を開く。


「チュー」


 視界に映ったのは俺の唇に狐にした指を当ててネズミのように鳴く青姉の姿だった。


「……」

「チュ、チュー」


 俺が呆気に取られて黙っていると、青姉は頬を染めながら唇に当てていた指を自分の顔の横に持ってきてもう一度鳴いた。


 チューってそっちのチューかよ。とか、指の形がネズミじゃなくて狐じゃないかよ。とか、言いたいことは色々あったが、俺が最初に言ったのはシンプルな言葉だった。


「可愛過ぎる」

「へ?」


 恥ずかしそうに顔を紅潮させてチューと鳴いた青姉の姿を見て、俺の心がときめく。

 なにこの可愛い生き物。まじやばいんですけど。

 青姉が可愛過ぎて語彙力がなくなり、脳内にギャルのような言葉が浮かんだ。

 余計な言葉が口から出てしまわないように俺は顔の下半分に右腕を被せる。

 だらしないニヤけ顔を隠す意味もあった。


「い、今なんて?」


 青姉は首を傾げて聞いてくる。

 聞こえなかったというよりは聞き間違いじゃないかを確認している感じだ。


「か、可愛過ぎるって言ったんだよ」


 俺は正直に答える。

 恥ずかしくて青姉の顔を直視出来ない。


「ば、バカっ」


 軽く罵倒されてチラッと青姉の方を見ると、青姉も俺と同じように口元を腕で隠して顔を紅潮させていた。

 俺達は同一のポーズをとり、同じように顔を赤くして見つめ合う。


「「…………」」


 見つめ合っていたのはほんの数秒の間だったのかもしれないが、時が止まっているような感覚を味わっていた。


「邪魔だ! 退けチビ!」


 サングラスをかけた坊主頭の男に怒鳴られ突き飛ばされるまでは……。


 ●●●


「こ、怖かった」


 坊主頭の男に道を譲った俺はびくびくと震えながら呟く。


「あいつ、よくも鈴を」


 青姉は歩みを進めていく坊主頭の男を追いかけようとしていた。


「ま、待って青姉」


 俺は青姉の手を掴んで止める。


「み、道端で立ち止まってた俺達が悪いよ」

「だからって突き飛ばすことないだろ! 鈴、離せ! あいつぶっ飛ばしてやる!」


 憤慨し声を荒げる青姉は俺の手を引き剥がそうと掴まれた手を激しく振った。

 青姉の額には青筋が浮かんでいる。

 この手を離してしまったら本当に坊主頭の男を殴りそうな勢いだった。

 そんなことにしたら青姉が警察のお世話になってしまう。そう思った俺は両手で青姉の手を掴みなおし叫ぶ。


「あ、青姉駄目だよ! 捕まっちゃうよ!」

「うるさい! いいから離せ!」


 青姉は言い、俺が掴んでいる手とは逆の手で作った拳で俺の腹を撃ち抜いた。


「ぐふぅ」


 俺はうめき声を上げて地面で四つん這いになる。

 間違いなく坊主頭よりも青姉の方が俺にダメージを与えていた。


「わ、悪い!」


 青姉もそのことに気づいたのか正気に戻って俺に謝る。


「だ、大丈夫か?」


 しゃがみこんで心配そうな声を出す青姉。


「だ、大丈夫だから、あ、あの人は放っておいて授業続けようよ」


 俺は青い顔で額から冷や汗を流しながら授業の続行を望んだ。


「そ、そうだな。今日は大事なデートだもんな」

「えっ? デート?」


 青姉の言葉に驚いて痛みを忘れる。


「えっ、両想いの男女が休日に二人で出かけたらそれはもうデートだろ?」


 青姉は俺が驚いたことに少し驚いた様子で首を傾げて俺に確認した。


「俺は青姉が外で授業って言ってたから課外授業だと思ってたんだけど」

「そ、それはその鈴をデートに誘う口実というかなんというか」


 俺が答えると、青姉はもじもじして頬を染める。すごく可愛い。


「そっか。デートか」

「う、うん。デートだ」


 青姉は赤い顔で相槌を打ち、恥ずかしそうに目を伏せた。本当に可愛い。

 俺は今日青姉とデートをしてるのか。

 そう思うと腹の痛みは完全にどこかへ飛んでいった。


「じゃあ座ってたらもったいないね」


 俺は笑顔で立ち上がって青姉に手を差し伸べる。


「そ、そうだな」


 青姉も笑って俺の手を取り立ち上がる。

 俺達はそのまま手を繋いだまま歩き始めた。


 ●●●


「な、なんかすごかったな」


 映画館から出たところで青姉が話しかけてくる。


「そ、そうだね」


 俺は頷いて青姉の言葉に同調した。


「ま、まさかあんなシーンがあるなんてな」

「う、うん」


 お互いに頬を紅潮させながら相手の顔を見ないように目を伏せている。

 その理由は今見た映画にあった。

 コメディ映画のような宣伝をしていた癖にほとんどが濃厚なラブシーンばかりで、俺は変な気持ちになってしまったのである。

 青姉もたぶん同じだろう。

 あんな風に男女が裸で濃厚に絡み合って喘ぎ声を出してる様を見せられれば誰だってそうなる。


「そ、そろそろお昼ご飯にするか!」


 青姉は思いついたように急に大きな声を出す。


「そ、そうしよう!」


 俺も呼応し大きな声を出して頷いた。

 二人とも映画のせいで生まれたなんともいえない雰囲気を払拭したかったのだ。

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