授業17 犬は大切にしないといけないよね

「わんわん」


 上機嫌に吠えながら、俺は椅子に座って青姉がキッチンから昼ご飯を運んで来るのを待っている。

 犬としての生活は結構楽しい。

 犬になっているおかげでいつもみたいに殴られないし、青姉に近づくと頭を撫でて貰える。

 なんか人間の時より青姉が優しいのだ。

 残念なことがあるとするなら、青姉と会話が出来ないということぐらいだな。


「鈴、お昼ご飯だぞ」


 ウキウキ気分で待っていると、青姉が右手に鉄のお椀を、左手には陶器のどんぶりを持ってキッチンから出てきた。

 種類の違う食器を見て、俺は胸騒ぎを覚える。


「こら鈴、椅子から降りなさい。机は人間が食べる所だろ」


 青姉は嗜めるように言い手に持った食器を机に置く。


「全く降りなさいって言ってるだろ?」


 そして俺の体を手で押して椅子から降りるように促した。


「えっ、ちょっ、青姉?」


 俺は戸惑って青姉の名前を呼んでしまう。

 瞬間、青姉は俺を見下ろして言葉を放った。


「私の許可なく人語を喋るなって言ったよな?」


 青姉は微笑を浮かべたまま目尻をピクピクとひくつかせている。

 このままじゃぶちギレ待った無しだ。

 俺は慌てて椅子から降り、土下座の体勢を取って吠える。


「わん」


 自分の中にある犬の部分を極限まで高めてから顔を上げ、青姉の目を見つめ甘えた声を出す。


「くぅーん」


 恥やプライド? そんなものはゴミ箱に捨てたよ。


「はうっ」


 すると青姉は変な声を出して頬を染める。

 だがすぐに平静を取り戻してしまった。


「ま、まぁわかればいいんだよ。わかればな」


 青姉がどうして変な声を出したのか気になるけど、まぁ許して貰えたからいいか。

 考えても答えは出なさそうだし。


「ほらご飯だぞ」


 なぜか上機嫌になった青姉が机の上に置いていた鉄のお椀を床に置いて優しく笑う。


「わ、わう~ん……」


 俺はお椀の中身を見て悲しくなって吠える。

 お椀の中身は牛乳の中にお米がぶちこまれたミルクご飯だった。


「なんだ食べないのか?」


 椅子に座ってカツ丼を食べている青姉が不思議そうに聞いてくる。

 か、カツ丼美味しそうだなぁ……。

 青姉の口へ黄金色こがねいろの卵に包まれた分厚いカツとお米が運ばれていく光景に魅了され、俺は涎を垂らす。


「あっ、そうか。食べたくても食べられないんだな」


 なにかに気付いたように手を打った青姉はごめんごめんと続け、人差し指を立てる。

 そして指揮をするように手首を倒して指を振り――


「よし。食べて良いぞ」


 と、俺に食事の許可を出した。

 どうやら俺がちゃんと犬を演じて待てをしていたと勘違いしたらしい。

 俺はただカツ丼が食べたかっただけなのに……。


「わふぅん……」


 俺は意思を伝えるのを諦め吠える。


「はぐはぐ」


 犬のように直接お椀へ顔を近づけて食べるミルクご飯は見た目は悪いけど意外と美味しかった。


 ●●●


 ――夜。

 俺と青姉は同じベッドで眠っている。


「鈴。寒いからもっと近づけ」


 青姉は言い、緊張で硬直する俺の身体を抱き寄せた。

 Tシャツ越しでもマシュマロのように柔らかい胸が俺の胸に押し当てられ潰れる。

 俺の視界は青姉の整った顔で支配されていた。

 妖艶な光を宿した瞳で見つめられ、俺はどぎまぎしてしまう。

 少し動けばぷるっと柔らかそうな唇に俺の唇がぶつかってしまいそうだ。

 どうしてこんなことになったのか?

 俺は高い密着度に理性を剥ぎ取られそうになりながら思い出す。


「ペットって飼い主と同じベッドで寝てるよな」


 入浴後にリビングのソファで寛いでいた青姉が――隣に正座する俺を凝視しながら――そう呟いたのが原因だった。

 その言葉に危機感を覚えた俺はこっそりと自室に逃げ込もうとしたのだが、青姉に首輪を掴まれ寝室(青姉の)まで連行されてしまう。

 そしてほぼ首吊り状態にされ死にかけていた俺を無慈悲にベッドへ放り投げた青姉が微塵も気にせず同じベッドに入ってきて今に至るという訳だ。

 そもそも青姉が眠る部屋に忍び込んで犬にされたのに、犬になって一緒のベッドで寝るのは矛盾してる気がするんだけど……。


「鈴、今日は楽しかったか?」


 そんな矛盾などどうでもいいのか、ご主人様は俺の髪を優しく撫でながら穏やかに微笑む。

 俺を見る目がもう完全に愛犬へ向けるそれだった。


「わん」


 俺は小さく頷いて吠える。

 なんだかんだ色々あったけど楽しかった。


「そうか。それは良かった」


 俺の思いが伝わったのか青姉はもう一度頭を撫でてくれた。

 でも、やっぱり人間として言葉でコミュニケーション取る方が良いな。

 そんなことを考えていると、ピピピピッという音が繰り返し響く。

 音を聞いた青姉はくるッと体を反転させてベッドの横の机に置いてあったスマホを手に取る。

 音は青姉のスマホから鳴っていたらしい。


「もうこんな時間か」


 呟きスマホの画面を弄って音を止めると、青姉はベッドから降りて立ち上がり、未だベッドに寝転ぶ俺の手を掴んで叫んだ。


「私のベッドで寝てんじゃねぇ!」


 背負い投げの要領で俺を扉の方へと投げ飛ばす。


「ぐへぇ!」


 突然の暴挙に俺は受け身を取ることが出来ない。

 何度か床を跳ね、最後は扉にぶつかって動きを止まった。


「ぐふっ!」


 青姉に冷ややか目で見下ろされる。


「0時過ぎたからもう私の犬じゃないんだよ」

「そ、そんな殺生な……」


 犬だからと自分でベッドに引き込んでおいて時間が来たから犬じゃないと投げ飛ばす理不尽な青姉に俺は慈悲を求めて手を伸ばす。

 だが鬼と化した青姉は扉を開けて俺を部屋の外に蹴り飛ばす。


「こ、この人でなし……」


 薄れゆく意識の中俺はゆっくりと閉まる扉を見つめ、必ず復讐してやろうと今朝の誓いとは真逆の誓いを自らの心に刻んだのだった。

 許すまじ青姉!

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