授業7 主従ごっこ

 翌日。俺はさっそく青姉の授業を受けていた。

 今日は青姉のやりたいことをする日だ。


「鈴、お菓子取ってきて」


 ソファの上で寝転ぶ青姉がゲームのコントローラーを握ったまま俺に命令する。

 はしたないことに服が捲れておへそが見えている。


「かしこまりました」


 ソファの後ろに立っていた俺は右手を胸に当て、恭しくお辞儀してからキッチンの方へお菓子を取りに行く。


「これでいっか」


 キッチンの棚を開け、一番最初に目に入ったポテトチップスの海苔塩味を取り出して袋を開けた。

 海苔の香りに鼻が襲われ食欲を刺激される。

 俺はそのまま手を突っ込んで食べてしまいたい衝動を押し殺し、中身をお皿の上に取り出す。

 ただのポテトチップスもお皿に載せるだけで少しは料理っぽく見えるもんだな。

 自分の仕事に満足しつつ、もう一度お皿に載せたポテチを眺める。

 うん。美味しそうだ。……。

 ポテチに魅せられた俺は、つい我慢が出来ず一つ指で摘まんで口に運んでしまう。


「さくっ、さくっ」


 軽快な音が口の中から鳴る。


「コラ鈴! 執事が摘まみ食いするな!」


 いつの間にか上体を起こしていた青姉に叱られる。どうやら粗相をしないか監視されていたらしい。


「ごめんなごめん」


 へらへらと笑いながらポテチの入ったお皿を持ってリビングに戻る。


「折角執事服まで着てるんだから、もっとちゃんとしてくれよな」


 俺に注意する青姉はというと、襟元の緩くなったTシャツに長袖長ズボンのジャージというラフな格好でソファに寝転んでいる。

 青姉にも少しはお嬢様らしい格好をしてもらいたいもんだ。


「申し訳ありませんでした、お嬢様。以後気をつけます。こちらポテトチップス海苔塩味になります」


 だが俺は真面目な顔で謝罪しお皿をソファ前の机に置いた。

 こういう格好のお嬢様もいるかもしれないし、それに中々……。


「そうそう。そんな感じだよ」


 青姉は満足そうに頷き視線をテレビへ戻す。


 一体、これのどこが授業なんだ!


 規則に厳しい教育委員会の人が見たらそう怒鳴るかもしれない。

 だがこれも授業なのだ。怒りを鎮めて下さい。

 今日の授業、その名も主従ごっこ。

 授業内容は俺が青姉の執事になって奉仕する。ただそれだけ。


 やっぱり授業じゃねぇじゃねぇか!


 そうです。その意見に俺も同意します。

 でも青姉先生が、主従関係を体験することによって将来社会に出た時に偉そうな人への対応が上手くなるっていうんだからこれは立派な授業なんです。

 青姉先生の言うことは絶対なのです。


 まぁ、真面目な話、お互いのやりたいことをするとは言っても一応授業だ。

 どうしてこんな授業をするのかという理由付けは必要なようで、昨日寝る前に考えたんだと青姉は大きな胸を張って偉ぶっていた。

 ついでに理由さえあればどんなことでも授業になるんだと笑っていたあたり本当にフリーダムな先生だ。


 にしてもこの執事服は一体いつ用意したんだろう。

 昨日の今日では用意出来ないだろうし、サイズが俺の体にぴったりだ。

 ここまでぴったりだとオーダーメイドか手作りでもしない限り難しいんじゃ……。

 さては青姉、俺に着させようと初めから準備してたな。


 俺に執事服を渡して、


『これを着ろ! 着るんだ!』


 って命令する青姉の目を見ればなおさら疑わしい。

 あの目は、拒絶すれば命はないぞと告げていた。

 いつ俺の身長調べたのかという疑問は残っているけど、おおかた、高校に入ってすぐにする健康診断の結果でも聞いてきたのだろう。


 その頃は俺もまだ高校に通ってたし、身長もそれから全く伸びていない。

 きっとチビは一生チビのままなのだ。

 心の中で自らの低身長を恨み気分が沈む。


 俺がうだうだと無駄な回想して暗くなってしまったのは主人である青姉がゲームばっかりして構ってくれないせいだ。

 少しは主人の自覚を持って欲しい。

 そして俺の身長が青姉より低いのだけはどうにかして欲しいもんだ。


「なぁ鈴」


 俺の心が通じたのか、青姉は突然体ごと振り返り、ソファで膝立ちになりながら俺の名前を呼ぶ。


「どうかなさいましたか?」


 久々に声を掛けられ嬉しくなった俺は嬉々として執事になりきる。

 ソファの背もたれに胸を乗せた青姉はそんな俺をじと目で睨み言葉を発した。


「お前さっきから私の胸元ばっかり見てるよな?」


 ぎくぅぅ!? 


「へあっ、ななな、なんのことでごぜぇましょうか?」


 慌てて青姉から視線を逸らす。

 ば、バレてた。ソファに座ってる青姉の後ろに立つ振りをしてずっと後ろから胸元を覗いてたのがバレてしまっていた。


「わ、わたくすはお嬢様のお胸なんて見てねぇでごぜぇますよ?」


 焦って上手く話せず、変な言葉遣いになってしまう。

 ちなみに青姉の下着は鮮やかな青色だった。


「あんなにじろじろと見られて私が気づかれないとでも思ったのか? エロ執事君?」


 青姉はソファの上に立ち上がり、ニコニコ笑いながら優しく聞いてくる。


「も、申し訳ありやせんでした!」


 謝ろうと思っても言葉遣いが戻らず変な謝罪になってしまう。


「執事はそんな言葉遣いしない!」


 怒鳴りながらソファの背もたれを蹴って飛び上げる青姉。

 そのまま特撮ヒーローのように俺のへそ目掛けて飛び蹴りを放つ。


「あぐぅ」


 飛び蹴りは見事にクリーンヒットし、俺は後ろ吹き飛び食卓にぶつかった。

 しかしそれで終わりではなかった。


「女性の胸元をじろじろじろじろ。そんなエロ執事には教育的指導だ!」


 うつ伏せに倒れた状態の俺の背中に激痛が走ったのだ。


「あぎぃっ!」


 あまりの痛さに俺は情けない悲鳴を上げてもがく。

 もがく最中さなか視界に入った青姉の手には黒い鞭のようなものが握られていた。

 叩かれた部分はこの後間違いなく腫れ上がるだろう。

 こ、これ以上あんなに太くて固いものを打ち付けられたら失神してしまう!


「お、お嬢様、いや、青姉! お、俺が悪かったから、こ、これ以上はもうやめて!」


 もう背中を叩かれないように体を反転させ懇願する。


「ああ、そうだな」


 青姉は振り上げていた鞭を下ろして頷く。


「じゃ、じゃあ」


 よ、良かった。許して貰えた。

 安心して笑みが零れる。

 ――でも世の中はそんなに甘くなかった。


「今からのはエロ生徒への教育的指導だ!」


 青姉は叫び、もう一度鞭を振り上げて俺の体を幾度となく打つ。


「あぎゃっ! ひぎぃ! うぎゅぅ! あひぃっ!」


 俺は嬌声にも似たうめき声を上げながら悶え続ける。


「あはっ、なんか楽しくなってきたかも」


 そう告げる青姉は、色っぽく頬を紅潮させながらそれはもう心底楽しそうに笑っていた。


 この日から数日、青姉が腕を上げる度に俺が土下座をするという日々が続き、俺はこの授業で先生と生徒でもお嬢様と執事でもなく、女王様と犬という主従の仕組みを深く学んだのだった。

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