第9話 初恋のお姉さまと 前編
「とにかく、帰りなさい。あれだけ俺に見せつけていたキスシーンの数々を、俺は個人的に忘れられんからな。高久くんはゆかちゃんの旦那になるんだろ? だったら、強くなれ! そして気持ちを切り替えて、明日は明るい顔で来なさい。いいな?」
「はい、お疲れさまでした……ぐずっ」
だ、大丈夫のはず。俺とゆかりなさんは結婚すると誓い合った。今はお互いに戦いたい時なんだ。そうに違いない。だけど、今頃ゆかりなさんとチヒロはどんなことを話しているのか気になる。そもそもどんな関係なんだ?
「いや~あれで良かった? 高久を騙すとか、ちょっとヒヤヒヤしたよ。それにしてもこうやって話すのは何年ぶりだろうね?」
「チヒロ君は高久よりも芝居が上手いよ。あのね……ずっと謝りたかったの。わたしが高久の妹になって、それから今の関係になるまでは、他の男子が視界に入ることなんて無くて……だからごめんね」
「うん。でも俺も悪かったよ。少なくとも高久と知り合うまでは、キミと話をしていたのに急によそよそしくしてしまったからね」
「そうだね。今は受験勉強で大変かもしれないけどあのね、頼みがあるの……いい?」
「――それがキミと高久の為になるならその役になるよ。でも俺は好きな人がいるし、裏切りたくないんだ。だから、偽者でもいいならやるよ? 春までならね。三年になったら、キミは高久の傍にいてやってね」
「うんっ! ありがと」
俺は結局、街に出てゆかりなさんとチヒロをス〇ーカーする勇気はなく、家の中で大人しく……なんてことも出来ないので、歩き慣れ過ぎた道を何の当てもなく歩いていた。
「あれっ? 君って、高久くん?」
んん? どこの誰だ。聞いたことあるような無いような女性の声じゃないか。こ、これは世に聞く逆ナンパ? モテ期が最高潮になったのか! モテ期と引き換えに彼女を失いそうなのにそれはあんまりだろう。
「も、もしかして、泣いていたりする? い、痛くもしないし、変な誘いでもないんだけど……とりあえず顔を上げてもらえるかな?」
「うぅぅ……な、何ですか? 一体どこのどな――」
「忘れちゃったの? 初恋相手の失恋相手ってそんなにも記憶から消したいのかな?」
おや? この声、この優しい香りはお姉さまなのかな……?
「お、お久しぶりです。えと、柴乃さん?」
「うん。去年の夏以来かな? どう? 彼女さんとの交際は」
「……ぅ」
「あ、あれ? もしかして泣いてた? ど、どうしたの? 話、聞くよ。カフェ行こっか?」
「はい……」
今は誰かに甘えたくなっていたのかもしれない。もちろん、ゆかりなさんに限ってという疑いは自分には無い。だけど、彼女が誰かと一緒にいるとか付き合うとか、そんなのはやっぱり嫌で……今は放心状態にならざるを得なかった。
「――なるほどねぇ。あの小柄で可愛い妹ちゃんが、高久くんにそんな態度を取るようになっているんだ~」
「うぐっ、ふぐっ……あうあぅ」
「うんうん、ずっと好きだったし将来も約束してるんだものね。分かるよその辛さ」
実の母親にすらここまで弱音と泣き顔を明かしたことは無かったのに、何で俺はかつての初恋相手にこうも醜態をさらけ出しているのだろう。そしてまさに泣きじゃくっているカフェの店内には、見事に柴乃さんと俺の母さんが黙って見つめている。
「高ちゃんはいつから泣き虫になったの? それもあの子の影響だったりする?」
「い、いや、まぁそうです」
「そっかぁ。強そうだものね、あの子」
「俺は弱くなんかなってませんよ? それに彼女だって甘々だし、俺を弱くしてなんかいないし……」
「言葉と表情がミスマッチだよ、高ちゃん。お母さんだから直ぐ分かるんです! でも、ここは柴乃ちゃんに任せるね? 一番近くで見ていただろうし、恋をしたお姉さんだものね。じゃあね、高ちゃん」
「うん。ごめん」
母親といえども、今はちょっかいを出して欲しくはない。というか、ここのカフェってもしかしなくてもお母さんの店なのか? だとしたらとんでもなく恥ずかしい場面を見られまくりだ。
「ここのお店はもしや?」
「あ、分かった? そうだよ。高久くんのお母さんが経営してるお店なの。だからじゃないけど、バイトというか、お手伝いも兼ねてるの」
「はは……それは何とも言えないですね」
親父と別れたお母さんは現学園長と再婚したらしい。だけど、お母さんが何をしているかまでは聞くことも無ければ、あまり関係の無いことでもあった。しかしまさかこんな身近にいて、しかも初恋のお姉さんがそんな近しい存在だったなんて世間が狭すぎる。
「そ、そう言えば、華乃ちゃんは今何をしてるんですか?」
「気になるの? そっか、華乃に心を預けかけたんだっけ? でもあの子はもう他に好きな人っていうか、決めてる人がいるみたいだよ。高久くんは華乃じゃないよね? ね?」
「も、もちろんです。俺は彼女だけで……だからどうすればいいのか分からなくて」
「じゃあさ、他の子と付き合ってみたら?」
「えっ? な、何で同じことを言うんです?」
「あぁ、もう誰かに言われてるんだね。高久くんはいい子だからね。彼女さんはその部分を、他の子に認めてもらいたいのかもね。努力してるし、私と初めて出会った時よりも今の方が男の子してる。将来を決めた付き合いをしてるんなら、高久くんももっと何かを変えないとだよ。分かる?」
むむむ……俺はいい子か。ゆかりなさんが言ってた俺への評価を、他の女子から上げてもらうとかそういう意味なのか? 難しいぞそれは。そしてやはり成長しろと言うのか。付き合うとかじゃなくて、女子の友達を増やすのじゃダメなのだろうか。
「わ、分かりました。いや、何となく分かりました。何かすみません……」
「ごめんね、何か偉そうに言っちゃって。でも立ち直ったみたいだね、良かった」
初恋のお姉さんは真の意味でお姉さまだったらしい。それにしても華乃ちゃんは好きな人がいるのか……それはどんな奴なのか、仮兄だけど見てみたい。
「あ、そうだ。で、結局あの妹ちゃんとデートしてる男の子はどんな子? 見てみたいな」
「み、見てみたいんですか? いや、でも今どこにいるか分からないし……妹サーチもこの辺にはありませんよ?」
「あははっ! 高久くんって面白いよね。妹サーチとか、真面目に言ってるんだもん。華乃ちゃんも惹かれるわけが分かるなぁ」
真面目なんだけどな。尤も今の状態では、ゆかりなサーチを使っても引っかからないくらい能力が落ちているわけだが。
「じゃ、行こっか?」
「ほへ? ど、どこに?」
「華乃ちゃんのとこ。会いたいでしょ? 去年に別れて以来だものね」
華乃ちゃん……ゆかりなさんとは違うタイプの妹だった。少しばかり間違った兄の起こし方を除けば、好きな人に尽くす理想の妹か嫁だった。その子を好きになりかけてもフラれて、俺ってダメダメだと痛感してしまった。再会してもくすぶることは無いだろうから、会えるなら会いたい。
「ですね」
「よしっ、行こ」
「は、はい」
これはどんな構図だろう。初恋のお姉さんとかつての仮妹に会いに行くなんて、まさにモテ期(違う)の真っ只中ではないか。これはゆかりなさんに目撃されたらとっても羨ましがられる案件なのではないか?
しかしそんな思いとは逆だったとすぐに知る俺である。嫉妬心が恐ろしい妹兼彼女兼将来のヨメは想像よりも甘くなかったことを後々に知る。
「華乃は今は塾に通ってるの。そろそろ迎えに行く時間だからそこに行くね」
「塾? あ、そうか同じ学年でした。妹ってくくりだったから勘違いしてました」
かなり優秀な子だったけど、やはり塾は行くんだなとしみじみと感じる。
「高久くんは進学しないんだっけ?」
「あ、です。なので塾とかは行かないというか、行けないんですよ」
「そっかぁ。それもいいね、キミっぽい。それじゃあ妹ちゃんが気になって仕方ないわけか~」
柴乃さんはまさにお姉さますぎた。もはや恋とかしていた俺が恥ずかしすぎるじゃないか。
柴乃さんに連れられて某塾の前にたどり着くと、似たような感じで迎えの人たちが沢山いて、辺りは賑やかになっていた。ここで待つとか、何だか今さらながら兄っぽいことをしている。
「おっ! 高久か? お前も塾通いだったっけ?」
「そういうお前はチヒロか。塾……あぁ、そうか。受験戦争の最中だったな。というか、お前一人か?」
確かゆかりなさんとデートに行っていたはず。とは言え、俺が泣き止んで落ち着くまで結構な時間が経っていて、今はすっかり夕方だ。さすがにこの時間まで一緒にいるわけはないし、そこまでの関係では無いと信じていただけに、内心かなりホッとしてしまった。
「いや、それは……」
「ん? 一人じゃないのか?」
「高久くん、彼は友達?」
「あ、そうです。同じクラスなんですよ」
「ふぅん……?」
おや? 何か含んでらっしゃる? 柴乃さんの表情が心なしか曇りというか、疑いになっているようにも見える。もしや知り合いか? サトル同様にパン仲間たちの裏側を知らない俺には、奴らが何をしているかとか、誰とどうなっているかなんてことを全く知らない。
パン仲間ナンバーワンのサトルにもかなりの裏面があるが、元ナンバー2のチヒロにも裏面がありそうだ。
「あっ、華乃~! ここだよ」
「柴乃……と、高久さん?」
「高久ですよ~」
おお! やはり可憐すぎて目から大量の汗が出てきますよ? 嬉しすぎる! 何を第一声にすべきだろうか悩む。思いきってハグをするのも手か? 兄だったし、きっと許してくれるはず! そうしよう!
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