第10話 初恋のお姉さまと 後編


 何とも嬉しい再会なのだろうか。仮の妹として数日は一緒に暮らしていた華乃と塾の前で会えるなんて、ここは素直に気持ちを著わさないとダメだろう。


「華乃ちゃん! 高久お兄様ですよ~」


 思い切って彼女に抱きついてしまったが、きっと許してくれるに違いない。


「え、え? お、お兄さん? あの、恥ずかしいです。そ、それに高久さんはお兄さんじゃなくなったんですよ? みんな見てますし、あの……落ち着いて下さい」


 そう言われることくらいは覚悟と予想はしていた。だとしても、抑えられない興奮(変な意味じゃない)と、感動(個人の見解)をどうしてもかつての妹であった華乃に示したかった。その光景を道行く人と塾帰りの連中に見られるのはやるせないが、とにかく嬉しいという気持ちが上回っていた。


「しょ、しょうがないお兄さんですね。そういう感情が無いにしても何だか嬉しく思えます」


 やはり兄と妹の感動の抱きしめ合いは何ともいえない感触だ。久しくそうした気持ちを上昇させることが無かっただけに、いつまでもこの子を抱きしめていたかった。


 しかし現実は余りにも厳しすぎた……いや、本当にどうしてでしょう。


「――そういうことか。へぇ? それはそれは、随分と喜びに満ちていることですね? ねえ、葛城くん」


「ゆっ、ゆかりなさん!? な、何でここにいるの?」


「いたら何か問題でもあるわけ? 彼氏を迎えに来たんだけど?」


「えっ? 俺がここに来るのを分かっていたの? ど、どうして……」


「違うし。葛城くんじゃなくて、カレシはチヒロくん。ねっ、そうだよね?」


 ゆかりなさんはチヒロに目配せをし、奴に向けて笑顔を見せている。対するチヒロも特に動揺することなく、頷いて見せた。な、なんだこれは? カレシって友達という意味だっただろうか。彼氏は俺であり、友達などではないはず。


「高久、あのな……俺と花城は――」


「わーわーわー聞こえないぞ! 俺はゆかりなの彼氏だ。ソイツを渡した覚えはないぞ! もしかして俺が弱いからって、喧嘩でも売りに来たのか?」


「いや、そうじゃなくて……」


「こら、ゆかりな! 俺に何か言い訳があるだろ? 何とか言いなさい! 何もこんな場所で仕掛けなくてもいいじゃないか! 俺だって売るつもりも無いのにそれはあんまりだぞ」


「彼女を目の前にしときながら他の女に抱きついていたあなたに言われたくないんだけど?」


「うぐぐ……」

 

 何も言い返せない自分である。このままでは涙を流しまくりながら生きていく運命が、自分を待ち受けている気がしてならない。しかし華乃に抱きつきをしていたのは事実。どうすれば解決に迎えるというのか。


「お久しぶりです、花城さん。私のことは覚えてますか?」


「三咲さんだよね? もちろん覚えてますよ。一緒にパンを食べたりしたし、忘れるわけないです」


「それは良かったです。それはいいんですけど、高久さんとどうして喧嘩をしているんですか? 私に抱きついていたことに腹を立てたのなら、それは誤解されていると思うんですけど……」


 どうやら新旧、いや旧旧妹たちによる口論でも勃発してしまうかと、ドキドキしてしまったが、そうもならないようだ。そして声が聞こえませんけど?


「うん、そうじゃないのは知ってるよ。三咲さんとのこととは別なの。それと、ここにいる彼、チヒロくんと付き合うのは本当。高久とは別れていないけどね。何も分かっていないのは高久だけなんだ。だから、喧嘩じゃ無くて……ごめんね、上手く言えない」


「つ、付き合うって、チヒロさんとですか?」


「――こ、こら、ゆかり――ふがっ?」

「高久くん、大人しくしていてね。あの子、花城さんは何かを隠してるっぽいんだよね。だけど、そのことに対してあそこにいる彼が付き合っている感じがするの。華乃は多分、許さないはずだし」


 初恋のお姉さんに口を塞がれているこの状況を何と表現すればいいのでしょう。 何ともいい香りがお姉さんの手の平から漂って……などと思ってはいけない。


「むごごごご……柴乃さん、く、苦しいっす」


「うん、しばらくキミは出て行かないでね。妹たちを信じて待ってて。初恋の姉の言うことを聞いて欲しいな? 出来る?」


「ふぁ、ふぁい……」


 初恋のお姉さんこと、三咲柴乃さんに制されながらかつての妹二人による、何かの対決を黙って見守るしかなさそうだった。ゆかりなさんと別れたくない、それなのにますます沼に足を浸けまくっている気がしてならない。



「んんん? あ、あの柴乃さん。あの二人が何を言っているのか聞こえて来ないんですけど、もしかして俺の耳が遠くなったとかだったりしますか?」


「んー? それは聞こえないでしょ。だって小声で話してるし。私の方にも届いて来ていないよ? 気になるのは分かるけれど、待とうよ」


「むむむ……待って好転するとでも言うんですか? あそこにいる奴は俺の元パン仲間で、今は普通にダチなんすよ。受験戦争真っただ中なのに、どうしてゆかりなの彼氏なのかも直に問いただしたいのに……」


 本当に意味が分からないままだ。どうしてチヒロがゆかりなに彼氏呼ばわりされているというのか。黙って見守ることしか出来ないなんて、真性のドM……いや、真のヘタレじゃないか。


「それで、三咲さんはどうしてアレとここにいて、あんなことをしていたの?」


「私も受験生なんです。高久さんは姉の柴乃と一緒にいたみたいで、私を迎えに来てくれたんだと思います。久しぶりで感極まって抱きついて来たんだなって思いましたので、私もそれに応えただけです。花城さんこそどうしてここへ? そこのチヒロさんと何か関係があるのですか?」


「アレとは別に、チヒロくんと付き合ってみるのも悪くないのかなって思って、それで彼を待っていただけ。アレと別れたわけじゃないし、別れるつもりも無いよ? 何か問題でもある?」


「それは私への宣戦布告ですね?」


「え? どういう意味で?」


「花城さんは高久さんのことが大好きなくせに、遠回りの成長を望んでいるみたいですけど……彼がそこまで想っていながらどうしてそんなことをするのかなって思いました。チヒロさんとそういう関係をしようとしているのなら、私も高久さんを奪いますけどそれでも構いませんか? その意味を分かってのことでしたら、ですけど」


 まるで聞こえないぞ。聞きたい! 聞いて、スーパー土下座をして口を聞いてもらいたいぞ。


「よし、高久くん。行こうか?」


「へっ? ど、どこに?」


「華乃のとこ」


「で、では、土下座の準備を……」


「うん、それはやめてね」


「ハイ……」


 柴乃さんの眼光はかつて恋を抱いた時の乙女チックなソレなどではなく、怯えまくっている獲物を狩ろうとしている、狂暴性のある動物に見えた。


「そこの妹ちゃん。や、今は彼女さんと呼ぶのが正しいのかな? 高久くんを連れて来たよ」


「――! それがどうかしたんですか? 来たから何かが変わるなんて思ってないですけど」


「そうだね、あなたのその態度は高久くんによるものだと思うんだ。だから――」


「ホワット? ちょ、柴乃さん? そ、それに華乃ちゃんまでどこへ連行するのかな?」


 俺の前を歩いていた柴乃さんはゆかりなさんに声をかけたと思いきや、すぐさま俺の腕に絡んで来た。更には、さっきまで何かの口論をしていたらしい華乃ちゃんまでもが、俺の腕に絡んで来た。


 この図はまるで、姉妹さんによってどこかに連行される図にしか見えない。肝心のゆかりなさんは、少しだけ動揺を見せているようだ。チヒロに関しては、もはや石仏のように動くことが出来ないでいる。


「な、何をしているの? 高久に何をするつもりでそんなこと」


「花城ちゃんだったよね。キミがチヒロくんにそういうことをするなら、私たちも高久くんをそうする。理解出来たかな?」


「――あぁ、そういうこと。わたしがチヒロくんに付き合うのは、意味があってのことなので高久を奪うなら、お好きにどうぞ。わたし、何もしませんから」


「え、ちょっと! ゆかりな! お前、なん――」


 反論空しく、三咲姉妹に連行される俺は、遠ざかるゆかりなとチヒロの姿を目に焼き付けることしか出来なかった。


 三咲姉妹にはがっちりと腕を掴まれた状態で、傍目にはモテ男が二人の美人姉妹をはべらせているように見えるだろうが、俺の心はどこかに連行されるヘタレ野郎としか思えなかった。


「高久さん、お話がありますのでこのままお店に」


「ハイ」


「気をしっかり持ってね?」


「ワカリマシタ」


 モテ期と同時に俺のヨメ(予定)が失われることになるなんて、それは何かの冗談に違いない。そう思いながら、素直に姉妹の言うことを聞いて歩き続けた。

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