第28話 武士

 戦いは、幡南の完勝に終わった。興田は居を追われ、赤井城には幡南の手の者が入城した。そして、地面に染みた血は淡雪に隠れた。


「少し、良いかな」


 半四朗が家に入って来た。


「怪我の調子はどうだ、武平」


 半四朗が疲れたような笑みを浮かべる。武平は躰を少し動かした。


「もう大丈夫だ。俺が動けなかった間、葬儀を任せて悪かったな」


「何、気にする事はない。お前の代理を務める事が、今の私の仕事だ」


「そろそろ隠居でもするか」


「それも考えたが、惣左衛門と儀作が死んだ今、そんな事も言っていられないだろう。全く、少し前までは惣左衛門の地位を狙っていたと言うのに、今やこんな事を言う有様だ」


 半四朗は苦笑して腰を下ろした。


「ようやく、年寄の自覚が出てきたか」


「そのようだな。責任感のある惣左衛門と勇敢な儀作が死に、臆病な私が五体満足で生き残った。おそらく、私はこのまま老いて死ぬのだろう。そう思うと急に年を取ったような気がしてな。それに激戦の揺り戻しも加わり、抜け殻になったような気分だ」


「勇敢な者しかいない村は早晩滅ぶ。勇敢な者、臆病な者、どちらもいるからこそ村は自分の足で立ち、生き永らえるというのものだ」


 半四朗は白鬚に触れた。


「そう言われてみると、この村は上手く回っていたのだな。まあ、終わった事を言っても仕方がない。それよりも先の話をしようか」


「死んだ者たちの代わりか」


「興田が敗走したことで小柳領に人が逃げ込んでいる。そのお蔭で人が足りないと言う事はないのだが、いかんせん多すぎる。その上、身元も分からない連中ばかりだ。どこかの家の下人を抱える事になれば、後々面倒にもなる。今は人柄や体力で絞っているのだが、詰めの部分は手付かずだ」


「どうせ身元など確かめようがない。子持ちを優先的にとってやれ。少なくとも穀潰しにはならないだろう。その次に優秀な者だ。このぐらい選り好みしても十分集まるだろう」


「うむ。何と言っても、五年に及ぶ年貢の免除だ。人などいくらでも集まってくる」

「遅くても春までに集まれば良い。焦る必要はないぞ」


「分かっている。早速、見繕ってこよう」


 半四朗は立ち上がろうとして、声を漏らした。


「そう言えば、定妙殿はどうした。最近姿を見ないが」


「あいつにも事情があるからな」


「てっきり定妙殿が千樹寺の住持職に就くと思っていたんだがな。興田の一族と言え、反対する者は出なかっただろうに。少なくとも岩厳殿よりはな」


 武平は微笑を漏らした。


「酷い言い草だな。立派に葬儀を取り仕切っていただろう」


「いや、確かに。最初は別人かと思ったぐらいだ。ただやはり、定妙殿だと思っていたのでな。微妙な立場だったにも拘わらず千樹寺の側に着いた。その事は誰もが感謝している。もし定妙殿に会う機会があったら、そう伝えておいてくれ」


「おそらく、もうすぐ会う機会がある。その時に伝えておこう」


「頼んだぞ。それとこれから岩厳殿が経を上げる。具合が良さそうなら来てくれ」


 半四朗は立ち去った。しばらくして、武平は千樹寺に向かった。


 損傷した部分は直り、戦の面影はほとんどない。弔問者に賑わう境内だけがその名残を残していた。


 本堂から岩厳の経が上がる。喧噪が引くように収まった。岩厳の重く太い声が、一帯に満ちていく。


 すすり泣く声が、そこかしこから聞こえてきた。


「武平殿、少しよろしいですか」


 背後から、男の囁きがあった。振り返ると、大和守の館にいた男が立っていた。


「幡南大和守様がお呼びです。至急、赤井城までお願いします」


 男に連れられて赤井城に入った。幾人もの家人や武士が慌ただしく動き回っている。端の方では城の改修が行われていた。


 奥に進んでいき、広間に通される。既に大和守が待っていた。


「会うのが遅くなったな、武平」


 笑みを浮かべ、手招きをする。向かいに腰を下ろすと近習に杯を渡された。


「戦勝祝いだ。まずは一献」


 一息に呑むと、大和守が満足そうに頷いた。


「良い呑みっぷりだ。やはり豪傑とはそうでなければな。お前の戦ぶり、話には聞いたぞ。二、三十人は斬ったと言うではないか。ここまでの暴れよう、優れた武士でも中々できない事だ。やはり儂の眼に狂いはなかった。深手を負ったと言うが、躰の調子はどうだ」


「もう日常生活に支障はありません。躰を鍛え直すのに多少時間は掛かりますが、春までには完調するかと」


「生命力も常人以上か、素晴らしい。見舞いに行けなくて悪かったな」


「いえ、噂に聞くところによると大層お忙しかったようで。お気持ちだけで十分です」


「噂か。その噂とは、一体どんな噂だ」


「何でも、この度の大中井家と小柳家の戦は、全て大和守様の掌の上だとか。他にも大和守様を称えるようなものばかりです」


 大和守は笑った。


「流石に全てではない。功績が大だと言う自負はあるがな」


「やはり、遠大な策でしたか」


「そうよな。下作りも含めれば何年掛かったか。本格的に動き出したのも一年近く前の話だ。無論、成し遂げるつもりではあったが、ここまで見事な結果になるとは。しばらく笑いが止まらなかったものだ」


 思い出したように、大和守は含み笑いを漏らした。


「流石でございます」


「何を言うか。この結果はお前の働きによるところが大きいのだぞ。少なくとも策を企てている段階では、興田は落とせなくても仕方がないと思っていた。あくまでも、二の次の目標だったのだ。それが、守備に残していた数百の兵のみで興田を打ち破れた。お前と千樹寺のお蔭でな」


「千樹寺を落とそうと兵が出てきたところを、機動力に優れた精兵が叩く。そういうことですか」


「然り。決戦とは損耗が大きいもので、皆避けたがる。しかし、短時間で大きな戦果を挙げるには、これ以上の戦法はない。下手に城に籠られては厄介だからな。今まで儂が鍛え上げた精兵も多く死んだが、それを上回るものを手に入れられた。千を超える敵を二百にも満たない兵で破ったのだ。愉快痛快とは、まさにこの事。それというのも、千樹寺の存在とお前のお蔭だ」


「勿体ないお言葉です」


「謙遜か。うむ、良い良い。それもまたお前だ。文句は言うまい。それより、武功に褒美を出そう。何か希望はあるか」


「それでしたら篠ヶ坪、屋津、多見の三村に、米を支給して頂きたい。年貢を免除されたと言え、春までに多くの死者が出るでしょう。五人当たり一石もあれば幸いです。勿論、借米で構いません」


 大和守は眉をひそめた。


「あまり儂を見下げるな。二人当たり一石はくれてやる。お前個人は何が欲しい」

「俺に、欲しいものはありません」


 大和守は息を吐き、近習に酒を注がせる。呑み干してから口を開いた。


「この度の戦で情勢は大きく動いた。この地を重視していた大中井の重臣は多くが死に、大中井の内情は一変してこの地から手を引いた。そして、儂らはこの地の足ががりとして興田の地を得た」


「おめでとうございます」


「うむ。しかし足ががりを得たとは言え、周りは敵ばかりだ。切り崩しを図るにしても、長い時間と労力が必要になる。そこで儂は、この地をある男に任せる事にした。入って来い、太郎よ」


 定妙が、広間に現れた。僧衣ではなく小袖と袴を身に纏っている。音もなく歩き、大和守の隣に座った。


「儂が紹介するまでもないが、太郎も優秀でな。興田の血を残す為、此度の謀には初めから関わっていた。既にいくつかの一族衆を寝返らせる事にも成功している。この分なら数年と経たず、この地は儂らのものになるだろう。儂は太郎に赤井城を任せようかと思っているが、お前はどう思う」


「定妙なら適役だと思います。過不足なく、任を全うするでしょう」


「いや」


 定妙が声を出した。


「今は還俗して、次郎三郎を名乗っている」


「そうか、逝ったのか」


 何も答えなかった。定妙の躰には、静けさだけが漂っている。


「そこでだ、武平」


 大和守は言い、微笑を漏らした。


「これは儂が言う事ではないな。太郎」


 定妙は頷き、口を開いた。


「今はまだ、興田の当主は生きている。俺は現状、裏切り者という立場だ。いや、死んでいてもそうか」


 自嘲するように薄く笑った。


「まあ、それは良い。いくつかの一族衆はこちらに寝返ったが、ほとんどは本家に着いている。正直、何をするにも全てが足りない状況だ。そこで武平、武士にならないか」


 声は淡々としていた。表情にも一切の変化はない。


「土地は、今回の件に関わった三村だ。領主になれば、掛ける税もお前の思うがままだ。今年のような凶作であっても、お前が領主なら無事に乗り越えられるだろう。どんな大戦が起きても、お前が先頭に立てば恐れるものはないだろう。村の者たちも喜ぶ筈だ。どうだ、武平。武士にならないか」


 武平は、定妙の眼を見据えた。


「お前も戻ってきたのか」


「力を持つ者は相応の義務を負う。いつまでも逃げてはいられない。逃げようとしても、向こうから追ってくる。お前なら分かるだろう」


 赤子が蠢いている。視界は赤子に埋まっている。それ以外は、何も見えない。


「俺の手が、必要か」


「ああ、必要だ」


 言って、定妙は眼を閉じた。それ以上、言う気配はない。


 不意に、啼き続ける赤子が静かになった。武平は深々と頭を下げる。


「そのお話、謹んでお受けいたします」


 途端、赤子の啼き声が爆発した。


 もう何も聞こえない。

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血を啜る馬 @heyheyhey

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