第27話 死に物狂い
竹丸たちが小山を駆け下りてきた。
「興田軍が山に攻めてきたっ」
木板を渡り、寺に入って来る。武平は指示を出して戦力を二つに分けた。
「良くやった。お前たちは本堂で休んでいろ」
竹丸は首を振った。
「いえ、手伝います」
「まずは休め。それから、余裕のある者は和尚の指示に従え」
敵兵は正面の方が多い。機敏さでは搦め手の方が優れている。武平は正面に立ち、弓を掲げた。
「これが最後の戦いだっ。後のことは考えるな。全てを吐き出し、死力を尽くして戦え。さすれば必ず道が開けよう。見よ、敵兵の粗末な格好を。俺たちの眼の前にいるのは悉くが弱兵だ。一突き入れれば鳴き声を上げる、軟弱な者どもだ。今まで何度なく敵を追い払った我らが、今さら何を恐れる。隣には勇敢な友がいるぞ。ここには俺がいるぞ。さあ、武器を持て。戦いの始まりだっ」
雄叫びが上げた。
山頂から鐘の音が鳴った。法螺貝が吹き鳴らされる。敵が、押し寄せてきた。
矢が飛び交い、石が放たれる。当たっても大した足止めにはならない。直ぐに、敵が迫って来た。
木板を掛けようとした男の頭部を射抜いた。板ごと堀に落ちたが、また別の者が板を掛けようとする。間もなく、千樹寺からの投擲は止んだ。堀を超えようする者に対処するだけで手一杯になっていた。
棒を払い、突き、敵を落としていく。敵の矢の飛来は収まる事がない。少しずつ味方が倒れていった。今まで板を掛けようした瞬間に倒れていた敵が、塀の手前で落ちていくようになってきた。
後方から、声が上がった。敵が一人、境内に入っている。武平は弓を捨て刀を払った。一足飛びに斬り伏せる。
搦め手は、崩れる寸前だった。
「投擲に長けた者は正面に加勢しろっ。剣しか能のない者は俺に続けっ」
駆けながら叫ぶ。弓や石を手にした者が退くと同時に、数人の敵兵が乗り込んできた。それを、僧たちが瞬時に倒した。
搦め手の敵兵は五十もいない。だが、鎧を着けた者が多かった。武平は塀に駆け上がり、眼前の敵を蹴落とした。
次々に敵兵が木板を渡ってくる。いくら殺しても勢いは衰えない。徐々に押され始める。戦場が境内に移った。
人の顔が、赤子に変わっている。怒号は赤子の啼き声になっていた。
武平は、前方の赤子の集団に斬り込んだ。
首に突きを入れ、抜き様に隣の赤子を斬り払う。右から刀が降って来た。体を入れ替える。しかし避けきれない。右腕が熱くなる。左手一本で赤子の首を落とした。
傷は確認する暇はない。右手は動く。刀を握り直して前に出た。赤子を追い越し、後ろから腿を断つ。
衝撃が、頭を襲った。
右に吹き飛ばされる。地に伏した瞬間、立ち上がった。左の視界が赤く染まっている。痛みは感じなかった。
赤子が迫ってくる。武平の手に刀はなかった。構わず、前に出た。突きが来る。屈みながら突進した。兜に刀が擦れている。敵の懐に入った。赤子の顔面を殴り、刀を奪い取る。止めを刺す時間はない。直ぐに他の集団に飛び込んだ。
一人を殺し、二人を殺す。右肩に熱を感じた。槍が刺さっている。柄を切り落とし、眼前の赤子を殺した。その時には、槍で囲まれていた。
武平は笑った。大声で笑った。
赤子の一人がたじろぐように動く。瞬間、その赤子に躍り懸かった。一撃で首を落とし、隣の赤子に斬り掛かる。
左の腿が熱かった。足が止まっている。躰がくずおれた。立ち上がろうとするが、躰の動きが鈍い。赤く染まった視界で赤子を睨みつける。
赤子は、攻めてこない。一様に同じ方向を見やっている。互いに眼を交わし、一人が刀を振り上げる。武平は咄嗟に左腕を掲げた。刀が振り下ろされる。
金属音が鳴った。左腕に、熱さはない。刀は鉄砲に止められていた。
一人の赤子が、赤子の集団に飛び込んだ。赤子たちは応戦したが直ぐに逃げていく。辺りを見ると、戦闘は止んでいた。
手が差し伸べられた。顔を見ても赤子でしかない。武平は手を掴み、立ち上がった。腿の熱が強くなる。よろけると、肩を貸された。
赤子の顔が、少しずつ変わっていく。
「武平、戦は終わったぞ。俺たちの勝ちだ」
定妙の声だった。掠れてはいたが、笑いが混じっていた。
「どうなった」
「幡南の騎馬がやって来た。興田は蹴散らされるように退いていったぞ。見る限り、かなりの精兵だな」
「終わったのか」
「俺たちはな。今度は赤井城を巡って戦いが始まる」
武平は定妙から離れて、叫んだ。
「まだだ。まだ戦いは終わっていないぞっ。無事な者は女子供を呼び戻せ。直ぐにでも人狩りが始まるぞ」
男たちが千樹寺を飛び出していった。残ったのはニ十人もいない。元気に動いている者は一人もいなかった。
武平は顔の血を拭い、近くにあった刀を手に取った。赤く染まった左の視界を閉じ、刀を杖代わりにして歩き出す。
「その躰でどこに行く気だ」
「赤井城の戦を見届ける。そこの勝敗こそが、何よりも重要だ」
「待て、手を貸す」
定妙の肩を借り、境内を進んでいく。転がった死体は二十を超えていた。過半数は味方で見知った顔も多い。風が、血臭を運び去っていく。土の香りが鼻をくすぐった。
「竹丸は、生きているのか」
「子供たちは全員無事だ。ただ、それを守ろうとして和尚が死んだ」
「そうか。何人、生き残った」
「岩厳と源市は確かに生きていた。それ以外は良く分からない」
「後を担う者たちが、生き残ったのか」
定妙が苦笑を漏らした。
「岩厳が和尚になるのか」
「他に、適任者はいないだろう」
「ほう、そう思うか」
塀に辿り着く。武平は塀に腰を下ろし、息を吐いた。道程に流した血は血溜まりに消えている。躰に熱を感じなかった。
「もう動くなよ」
定妙が手当てを始める。武平はされるがままになりながら、赤井城に眼をやった。
戦場は、赤井城ではなかった。
興田軍は城の手前で戦いを強いられている。押し寄せる幡南の兵は激しく動くが、備えに乱れはない。どの旗指物にも傾きはなく垂直に立っている。兵数は二百ほどだが、明らかに幡南が勝っていた。
「大和守様の兵は、強いな」
「ああ、見事な精兵だ。あれだけの兵を集め、鍛え上げる。時間があったとは言え、並みの者ではできない芸当だ。幡南大和守の手腕が知れる」
幡南の兵が複数に分かれた。その一つが千樹寺の前を横切っていく。瞬く間に赤井城の裏手に回った。戦いが、さらに激しさを帯びてきた。
「出血が多いな」
定妙が呟いた。
「そんなに、深手を負っていたか」
「特に肩と腿が酷い。小さい傷は無数にある」
武平は溜息を吐き、笑った。
「俺も、鈍ったものだな。以前なら、こんな怪我は負わなかった」
「激戦の、それも最前線にいたんだ。生きているのが不思議なくらいだよ。そろそろ口を閉じろ。本当に死ぬぞ」
「俺は、死なない。死ねないんだよ」
消えていた感覚は、蘇りつつあった。熱は感じないが、寒くもない。活力だけが湧き上がって来なかった。
「何でも良い。とにかく黙れ」
静寂に包まれていた境内に喧噪が満ち始めている。千樹寺の背後にある小山から、女子供が続々と姿を見せていた。
「兄貴、大丈夫ですか」
源市が走り寄って来た。髪は乱れ、乾いた血が全身に貼り付いている。手の指が数本、欠けていた。
「良い恰好になったな」
武平が笑うと、源市も笑みを浮かべた。
「様になるでしょう。それはそうと、うちの村に出た死者が大よそ分かってきました」
「何人、死んだ」
「死んだのは今のところ五人です。おそらくまだ増えると思います。それで五人ですが、内三人は若衆です。そして後の二人は、惣左衛門さんと儀作さんです」
「そうか」
倒れている死体から二人は見当たらない。武平は、天を仰いだ。
「竹丸は、無事だぞ」
源市が、短い笑い声を発した。
「女子供をもう一度探してきます」
明るく言い、走り去った。
また、足音が近づいてくる。顔を下ろすと玉が立っていた。腕に、息子がしっかり抱かれている。顔を見えないが、静かにしていた。
「無事だったか」
玉は、泣きそうな顔をしていた。
「大丈夫だったけど、その」
「俺の傷なら心配はいらない。ただのかすり傷だ。それより、父上が死んだぞ」
玉の動きが固まった。息を漏らすと表情が歪む。しかし、崩れはしない。直ぐに顔を引き締めた。
「それは、分かっていたことです」
「戦いは終わった。意地を張る必要はないぞ」
「戦いが終わったと言うなら、この子を抱いてあげてください」
強い光を宿した眼で、息子を差し出してくる。
武平は、息子を腕の内に入れた。見下ろすと眼が合う。一瞬、息子は呆けたような顔をした。無言で見ていると、息子は声を上げて笑った。
全身に纏わり付いた無数の赤子は、何か月も啼き続けている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます