第26話 激突

 敵兵がにじり寄ってくる。その手には竹束があった。


「南の戦場に通じている奴がいるのか」


 定妙が言う。武平は刀を担ぎ直した。


「竹を乾かす暇はなかった。防ぐ力はそこまででもないだろう。それより種子島が合図だ。抜かるなよ」


「任せておけ」


 定妙は不敵に笑い、鉄砲を構えた。


 矢が飛んでくる。当たりはするが刺さる事はない。全て鎧が跳ね返している。境内が騒がしくなってきた。塀に上がった者たちは一言も発さない


 堀に掛けた木板に、兵たちが走り寄ってきた。先頭は鎧を着込んだ者たちだ。いきり立った顔に微かな笑みが浮かんでいる。


 轟音が起こった。


「続けえっ」


 叫んだ。木板を駆けた。隣で岩厳が跳んでいた。眼で合図する。堀を超え、さらに足を速めた。怒号が背後から迫ってくる。敵軍に突っ込んだ。


 敵の鎧の脇に、刀を滑り込ませる。駆け抜けた。手応えはない。視界の端に血に濡れた己の刃が見えた。


 左から、刀が襲ってくる。篭手で逸らした。間髪を入れず首元を突く。


 骨を断つ感触が手に走った。腕を伝い、全身に広がる。


 母の首を断った感覚が、蘇ってきた。


 足が鈍る。前方から槍が飛んできた。刀を抜きながら身を捻る。穂先が、鎧の腹を掠めた。柄を掴み、引く。敵がたたらを踏んだ。その眼に刀を突き入れる。


 刀身を通して骨に触れた。眼窩が割れている。父の頭部を割った感触が蘇ってきた。


 叫んでいた。蹴りを入れ、刀を抜く。視界に鎧を纏った者はいない。全てが雑兵に埋まっていた。


 走り出す。直ぐに、全速力に達した。刀を振るう。首をはねた。腕を切り落とした。獲物ごと押し斬った。


 敵の顔が、母に変わってきた。


 母の胸に刀を突き入れる。そのまま走り、もう一人の母を串刺しにした。抜くと同時に、新手の母の顔に柄頭を叩き込む。


 母の顔が、父の顔に変わっていた。


 刃の向きが分からなくなってきた。寄って来た父を刀で殴る。眼の前の父に突進した。肩でぶつかり姿勢を崩す。顔面を踏み砕き、なおも前進した。


 父の顔が、赤子に変わった。


 赤子を斬り殺し、別の赤子を殴り殺した。視界は無数の赤子に埋まっている。叫び、刀を振り回した。


 赤子の数は一向に減らない。躰の感覚はとうになくなっていた。刀が、眼前の赤子を殺していく。


 ついに、刀が大きく曲がった。景色の流れは止まらない。赤子の喉笛に噛み付き、動脈を引き裂いた。足を止めた赤子が眼に入る。喉を食い千切り棍棒を奪い取った。


 走り、赤子を殺す。赤子を殺し、走る。赤子が消えることは無い。それでも、赤子を殺し続けた。


 視界が、開けた。


「まだだ、駆け抜けろっ」


 前方の林に突っ込んでいく。一時も足を緩めなかった。少しづつ音が戻ってくる。ぶつかった枝葉が折れる音がした。背後から、同じ音が聞こえてくる。


「もう大丈夫だっ」


 誰かの声がした。急停止して振り返る。


「走り続けろっ」


 赤子の集団が二つに割れ、武平を避けていく。素早く深呼吸して息を整えた。獲物を構え直し、眼前を見据える 背後の足音が前方より多くなってきた。


 最後尾の赤子が立ち止まった。


「もう安心だ。追っ手は追撃を諦めた」


 赤子は、岩厳に変わった。息を荒げながら笑っている。全身は赤く染まっていたが、表情には生気が溢れていた。手にした武器は刀か棒か分からなくなっている。


「急いで千樹寺に戻るぞ」


 武平は言い、走り出した。敵軍を迂回して千樹寺の裏手に近づいていく。


 まだ、落ちてはいない。火の手も上がっていなかった。先に行った仲間たちが渡された木板を伝っている。


「お前は先に行けっ」


 足を緩めて岩厳を先に行かせる。木板を渡り、塀に上がった。身を翻して辺りを眺める。取り残された者はいなかった。


「板を下げろ」


 指示を出して寺に入った。飛んでくる矢の数が、少なくなっている。突撃した者たちは本堂で仰向けになっていた。他にも数人の負傷者が横になっている。


 武平は弓を手に取り、前線に立った。寄せ手は随分と数を減らしている。最後方は撤退を始めていた。中央部も退こうとしている。


 矢を番え、引き絞った。兜を着けた男が、指揮を執っているのが見えた。その男に狙いを定める。一瞬、男の動きが止まる。矢を放った。


 男の躰が傾ぎ、群衆に消えた。そこから動揺が広がっていく。撤退が拙速になってきた。


「武平、お前は休んでいろ」


 定妙の声がした。確かめることなく本堂に戻る。他の者たちは息を吐き、手当てを受けていた。腰を落ち着けると、類蔵が近づいてくる。


「お見事です」


「何人生き残った」


「突撃した者は全員無事です。それどころか重傷を負った者さえいません。皆、五体満足で帰ってきました」


「そうか」


 武平は、大きく息を吐いた。


「手当てをしますので、鎧を脱いでください」


「大丈夫だ。あってもかすり傷程度だ。それより、女子供は無事に逃げられたか」


「突撃により敵の前線は一気に崩れました。そのお蔭で女子供を追う者は出てきませんでした。俺も前に立って戦っていましたから、それは間違いありません」


「なら良い。他に、俺たちが突撃している間に何かあったか」


「小柳領の方向から、鬨の声が聞こえてきました」


「ようやくか。どっちが勝ったかは分かるか」


 法螺貝の音が聞こえてきた。近くからでない。風に乗って来たような遠い音だ。微かに、鬨の声も混じっている。


「まだ、戦の途中のようだな」


「そのようです」


 休んでいた者たちが戦に加わろうとしている。武平も立ち上がった。


「待ってください」


 類蔵が言った。


「どうした、休むにはまだ早いぞ」


「興田軍は撤退を始めています。加勢はいらないでしょう。それよりも、俺はあなたに謝らないといけない」


 類蔵に動く素振りはない。眼には暗いものがあった。


「俺と両親を殴った事なら、謝る必要はないぞ」


「謝らせてください。あの時はつい感情的になり、殴ってしまった。一生の不覚です」


「弟が殺されたんだ、当然の行動だろう」


「いえ、違うんです。弟は私が守ろうと思えば守れたんです。それでも、守ろうとはしなかった。弟が解死人になった理由は、一口で言えば生活苦でした」


「今年の不作か」


「それもありますが、子が多かった事が一番の原因です。解死人を引き受ければ、残された子は様々な事が免除されますから、それを目当てに死を選んだんです。ただその生活苦は、俺が手を貸してやれば凌げない事はなかった。それでも、俺は手を貸さなかった。一つ間違えば、身を滅ぼす危険があったからです」


「仕方のない事だろう」


「そう思いながらも、やはり後悔はありました。そして、その後悔からくる苛立ちをあなたにぶつけてしまった。俺は、武平殿の戦いぶりを千樹寺の中から見ていました。その時に、強烈な思いが沸き上がってきました。あなたに謝らないといけない、何故そう思ったのかは分かりません。ただ、居ても立ってもいられなかった」


 類蔵は姿勢を正し、頭を下げた。


「武平殿、あの時は申し訳ありませんでした」


 境内から喝采が上がった。矢の飛来は収まっている。怒声も遠いものになっていた。笑い声が聞こえてくる。


 類蔵は、頭を上げようとはしなかった。


「そう思うなら、休んでいた分以上に武功を立てろ。負ければ、お前の弟の子は春を待たずに死ぬぞ。弟に詫びたいなら、その子を立派に育て上げた後にしろ」


「はい」


 類蔵が顔を上げる。眼に宿っていた暗いものは、跡形もなく消えていた。


 武平は身を翻し、前線に立つ定妙のもとに向かった。


「どうだ、調子は」


 定妙の顔の右側に、火傷が出来ていた。所々に黒い点がこびりついている。態度だけは涼しげだった。


「どう転んでも後一度だな。見てみろ、武平。相手も焦っている」


 後退した兵は赤井城に収まってはいない。千樹寺から距離を取っただけで活発に蠢いている。流れてくる喧噪にも慌ただしさがあった。


「全部で、何人倒した」


「三十ぐらいだな。それに、逃げたのが二十程度だ」


「思ったより少ないな」


 前方に広がる田畑には死体が散乱していた。地肌は荒れ果て、赤黒く染まっている。背を伸ばしていた麦はほとんどが薙ぎ倒されていた。


「三十も倒したんだ、十分だろう」


「だが、敵は残っている。あの様子ならなりふり構わないだろう。次の戦いは、さらに厳しくなる。覚悟しておけ、定妙」


「次の戦いで幡南の加勢が来れば、俺たちの勝ち。来なければ俺たちの負け。様々な策謀が巡っているようだが、分かりやすくなってきた」


「背水の陣と思えば良い」


「本当は、そこに追い込まれた時点で失策なんだけどな」


 定妙は、遠い空を眺める。


「死ぬなよ、武平」


「俺は、死ねないんだよ」 


 興田軍が二つに分かれた。一つは、千樹寺の背後にある小山の裏に向かっている。

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