第25話 付け入り
屋津村から人が飛び出してきた。一人現れるとまた数人現れる。
急ぎようが尋常ではない。遠くから悲鳴が上がった。棘のある喧噪が近づいてくる。先頭の男が千樹寺に辿り着いた。
「入れてくれっ、多見の者だ」
声は掠れ、荒い吐息混じりだった。汗に塗れた顔は憔悴しきっている。眼だけが大きく見開かれていた。
「何があった」
武平が問うと、男は声を絞り出すように言った。
「興田が攻めてきたっ。俺たちはなんとか逃げ出したが、後ろは何人もやられた。戦力にはなる、入れてくれ」
言っている間にも、続々と人が押し寄せてくる。堀を飛び越えようとする者が出てきた。複数の懇願は俄かに騒音になった。
「板を掛けろっ。中に入れてやれ」
若衆が木板を何枚も持ってきた。塀から堀に木板を渡すと、人々が雪崩れ込むように入って来る。
「急ぐなっ。時間は十分にある。ゆっくり入って来い」
武平の言葉に効果はなかった。押し合い圧し合いながら境内に転がり込んでくる。倒れたまま踏まれていく者もいた。
「そいつらを中に入れるなっ」
伊十郎の声がした。屋津村から伊十郎と数人が走り出てくる。遅れて、さらに数人が出てきた。
「追っ手が来たぞっ」
叫びが上がった。集団の騒音が膨れ上がる。何人かが堀に落ちた。それでも、勢いは増していく。
「慌てるなっ。距離はまだある」
効果はない。既に止められる勢いではなくなっている。
爆音が轟いた。
隣で、定妙が鉄砲を放っていた。途端、騒音が止んだ。
「今の内にゆっくり入って来いっ」
武平の声が静寂に響き渡る。騒めきは発していたが、集団には落ち着きが生まれていた。
伊十郎が振り返り、背後の男を斬った。伴も立ち止り、追っ手に刀を向ける。そのまま、伊十郎たちは後退してきた。
「他は追っ手だっ」
伊十郎が叫ぶ。武具の不揃いな追っ手が屋津村から溢れてきた。
また、鉄砲が火を噴いた。的中はしていない。しかし、追っ手の足は止まった。伊十郎たちが寺に入ってくる。
「何があった」
「裏切り者は新河だった。付け入りを仕掛けられた」
伊十郎たちは血だらけだった。出血なのか返り血なのかの区別もつかない。服はいたるところが破け、手にした刀は曲がっている。
「他に逃げてきた者はいないな」
「俺たちが殿だ。他は死んだか他所に逃げた」
苦しそうに言い、伊十郎は腰を下ろした。荒い呼吸を繰り返している。伴の者も同様だった。
追っ手は近づいて来ようとはしない。数は少しずつ減っている。様子を窺っていた数人が、堀に落ちた者を引き上げ始めた。
突然、後方から悲鳴が上がった。
振り返ると、中央に男が倒れていた。周りに血溜まりができている。傍らに刀を握った岩厳が立っていた。
「不審な動きをしたから殺した。問題ないな、武平」
「良くやった。他にも眼を光らせておけ」
岩厳が頷く。若衆が、しきりに辺りを窺い始める。
「ただし、僧以外は手を下すな。手を下せばその者も同罪と見なす。僧に一任しろ」
声を荒げる者がいなくなった。寺に入ってきた者は優に百を超えている。境内では、まともに身動きが取れない状況だ。
男が近づいてきた。
「堀に落ちた奴らは、全員中に入りました」
武平は頷き、若衆に木板を外させた。追っ手は数える程度に減っている。残った者も背後を気にしていた。
伊十郎が、深く気を吐いた。
「それで、何があった」
「興田軍は初めに新河の村に行った。その後、今みたいに新河の奴らが逃げてきた。見捨てるわけにも行かないからな、新河の奴らも山に入れてやった。だが、それが失敗だった。逃げてきた奴らの中に、興田の兵が混じっていたんだよ。それで中から乱されて、御覧の有様よ」
伊十郎は自嘲するように笑う。
「興田軍はどうしている」
「ほとんどは小柳の方に行った。追っ手は五十もいなかった筈だ。興田と幡南で戦が起きたかどうかは知らない」
「そうか。少し休んでいろ。見覚えのある敵が紛れていれば僧に伝えろ」
武平は源市を呼んだ。返事は直ぐにあったが、来るまでに時間が掛かった。
「兄貴、このままだと戦いにならないですよ」
「それは後で対処する。まずは逃げてきた奴らの身元を確かめろ。見覚えの無い者がいれば一か所に集めておけ」
「分かりました。他には何かありますか」
「後は、そうだな。柄の悪い奴らも同じように集めろ。他は放って置け」
間もなく、六人の男が炙り出された。武平は大声で問いかける。
「この者たちに、見覚えのある者はいるかっ」
しばらく待っても、声は上がらなかった。
「殺せ」
若衆が刀を振るう。男たちは暴れる暇もなかった。
静寂が漂っている。
「外に捨てておけ。堀には入れるなよ」
言い残し、踵を返す。本堂に上がった時には喧噪が戻っていた。
円照が、おもむろに口を開いた。
「この数では戦にならないぞ」
「女子供を寺から出します」
惣左衛門の顔色が変わった。
「本気で言っているのか」
「無論。それも篠ヶ坪の者も同様です」
集まった者たちが色めき立った。
「待て、武平」
すぐさま半四朗が言った。
「他の村人を追い出すならまだしも、この村の者まで追い出すのは行き過ぎだ。これでは道理が通らないぞ」
儀作が、声を上げて笑った。半四朗が睨みつける。
「何が可笑しい」
「いや、道理は通るだろう。それも分かりやすいぐらいにな。このままでは矢を射掛けられれば多くの者が死ぬ。ならば、ここに集まった者を守る為にも、誰かを追い出さなければならない。お前も分かっているだろう」
「分かっている。だが、説得するのにどれだけの時間が掛かる。その間を攻められればあっけなく崩れるぞ」
「そこは、武平の手腕の見せ所だな」
儀作と半四朗が、武平に視線を注いだ。
「武平っ、興田軍が動きを見せたぞ」
定妙の声が飛ぶ。武平は立ち上がった。
「議論はここまでだ。各自、配置に着け」
「待て、武平」
半四朗が近寄ってくる。源市が無言で間に入った。
「手はある。心配するな、半四朗」
武平は境内を見渡した。既に、視線が集まっている。ほとんどの者の表情に不安が現れていた。何人かは眼が血走っている。
「玉、梅、話は聞いていたなっ。お前たちが先頭になり、女子供を導け。五歳以下の子供は寺に残しておいても構わない。それ以外はどこの村の者であろうが、例外なく村を出て行ってもらう」
「死ねと言うのかっ」
女の声が聞こえた。次々に不満の声が上がり始める。
「案ずるなっ」
武平は大声を発した。途端、声が止んだ。
「お前たちが寺を出ると同時に、俺たちが突撃を仕掛ける。その隙にお前たちは逃げろ。敵の狙いは、あくまでもこの千樹寺だ。背後の山を越えて行けば追っ手は来ないだろう。それとも、この場に留まって敵の矢に射殺されるか。この混雑具合では避けることなどできないぞ。この場で死ぬか、ここより逃げて生き延びるか、好きな方を選べ」
語気の強い意見は上がってこない。騒めきが、重く漂っている。
武平は声を和らげた。
「妻子が心配な男は着いて行って構わない。逃げ出す機会は一度だけだ。それまでに準備を整えておけ」
本堂を下り、塀に歩み寄る。近づいてくる者はいない。定妙が、赤井城に眼をやったまま言った。
「自分の妻まで追い出すか」
「いや、妻子だ」
武平は塀に上がり、群衆に紛れた玉を見つけ出した。
玉は首を振り、息子を抱きしめる。そして、背を向けた。
「大した夫婦だ」
徐々に、群衆が分かれてくる。興田軍も配置が整いつつあった。
「主に突撃するのは俺と僧たちだ。あとは続きたい奴が数人だけで良い。源市と定妙は残って指示を出せ」
源市が、声を漏らした。
「千樹寺が残っているからこそ、小柳は援軍に来る。それを忘れるな」
源市はしぶしぶ頷き、直ぐに唇を引き締める。
法螺貝の音が響いた。
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