第23話 戦端開く

 空が白んできた。赤井城から土煙が上がる。微かに、地が震え始めた。土煙は範囲を広げていき、先頭は山に隠れる。


「北に進路を取ったか」


 塀の傍らに立つ定妙が呟いた。


 境内は人に溢れていた。騒いでいる者はいない。武平が真実を話して銀を渡すと、誰もが顔を強張らせて武器を握りしめた。本堂に子供と円照を入れ、周りを女が固める。男と僧は塀の近くで固唾を呑んでいた。総勢は六十人もいない。


「定妙、俺から離れるなよ」


「厚意は受け取っておく」


 定妙は、赤井城に眼をやった。


「どう見る、武平」


「さてな。このままさらに北に行き、大中井勢と合流するのか。それとも単独で幡南大和守様と当たるのか。順当に行けば後者か」


「幡南は動いていないからな。おそらくそうだろう。そうすると新河の村を通る。一先ずは、そこが分かれ目だな」


 土煙は一向に晴れない。地の震えも増していくばかりだ。


「流石に気合が入っているな。この分だと優に千はいるだろう。確実に幡南を上回っている。厳しい戦いになりそうだな、武平」


「いや、大和守様は勝つ。猶予は半年もあった。負けることはないだろう」


「幡南大和守が、間抜けでなければな」


「有り得ない。まず間違いなく大和守は勝つ。おそらく興田家もそれを分かっている。だからこそ、何かがある筈だ。この村ではなく新河を通るのも、その一環だろう」


「何か、か。なんだと思う」


「興田家と大和守様の戦の根底にあるのは千樹寺の奪い合いだ。つまり、千樹寺に関係する何かだろう。例えば新河を落とし、続いて多見、屋津を落とす。そして最後にこの村に圧力を掛けて落とす。そんなところだろう」


 定妙が鼻で笑った。


「散々待った結果がその程度か。それが事実なら興醒めだな。大中井に頭を抑えつけられていたとしても、あまりにも情けない」


「一族だろう」


「一族だからこそだ」


 地の震えの増幅が、ようやく収まってきた。北の空は濁っている。上空までもが霞んでいた。


「そう来たか」


 定妙が呟いた。まだ、赤井城には多くの兵が残っている。


「ニ百、いや、三百はいるか。お前の肉親は思い切った事をするな」


「もたついているだけだろう」


 赤井城から誰かがやってきた。堂々と千樹寺に近づいてくる。体格は良く、僧衣を身に纏っていた。定妙が感心するように息を漏らす。


「知っているのか」


「あれは興田当主の息子、俺の従兄だ。今は菩提寺の住持職を務めている」


「なるほどな」


 男は、門の前で立ち止まった。


「千樹寺の和尚、円照殿に用があって来た。中に入れてもらいたい」


 定妙が口を開いた。


「和尚は手が離せない。用があるなら俺が聞こう」


「駄目だ。和尚にしか聞かせられない話だ」


「従兄の俺にすら言えない話しなど、ある筈がないだろう。見ての通り堀の木橋は落としてある。中に入れることはできない。火急の用ならその場で言え」


「和尚にしか聞かせられない話だと言った筈だ。そもそも何故木橋を落とし、門を逆茂木で塞いでいる。これは興田に対する立派な叛意ではないのか」


「直ぐ傍で戦が起ころうとしている。いつここに戦火が来るか分からないのだ。当然の備えだろう」


 男の眼光が鋭くなった。


「興田が、負けると言うのか」


「本隊から分かれた兵たちが襲ってくる恐れがある。助けを求めて集まってくる門徒を守るのも寺の務めだ。誰に避難される謂れはない」


「まあ良い。それは、儂の判断する事ではない。とにかく和尚を出してもらおうか。たとえ戦勝の祈祷中であろうと、別の者に変われば良い話だ」


「興田の菩提寺の、それも住持職の者が、戦勝の祈祷を蔑ろにするおつもりか」


 定妙を睨み、男は息を吐いた。


「良いだろう、祐快という僧は知っているな」


「どこの祐快だ」


「とぼけるな、調べは済んでいるぞ」


「確かに、その男には覚えはある。そいつがどうかしたか」


 男の口元に、微かな笑みが浮かんだ。


「その男は悪名高い男でな。当寺でも盗みを働き行方を晦ませていた。調べたところ、千樹寺に滞在しているという情報が入った。それが事実なら、今直ぐその男を引き渡してもらいたい」


「祐快という僧は確かにいた。だが、しばらく前に寺を発った。今はもういない。分かったならお引き取り願おう」


「ふざけるなっ。とうに調べはついているぞ。千樹寺に泊まって以降、祐快の目撃情報は無い。つまり、未だ千樹寺にいるのだ。即刻引き渡してもらいたい。それとも、盗みを働いた者を匿おうと言うのか」


「いないのもはいない。お前たちの調べ方が杜撰なだけだろう。もう一度、丹念に聞き込みをしてみるんだな」


 男は表情を変えず、声を張り上げた。


「白を切ろうとしてもそうはいくか。ここ以外は全て調べ尽している。それでもいなかったのだ。ならば、ここにいるのは必然ではないか」


「いないと言っている」


「では中を改めさせてもらう。それで祐快がいなければ、儂も納得して大人しく退こうではないか」


「それは許可できない」


「ならば祐快を出せ」


「祐快はいない」


 男は、頭を振った。


「拒むのなら力づくで改めるまでだ。お前の返答を予想して既に人を集めている。その数、なんと五百に届くぞ。千樹寺の僧たちは多少武勇に秀でているようだが、数が違う。とても防ぎきれまい。降参するなら今の内だぞ」


 定妙は、武平に眼を向けた。


「だとよ、どうする」


「馬鹿な事を訊くな」


 定妙は笑い、塀に片足を載せた。


「従兄殿。下らない押し問答は良い加減止めにしよう」


「何の事だ」


「策を企てたのは親父か、叔父貴か大中井か。誰の策にしろ中々悪くない。だが、茶番は終いだ。名目作りはこれで十分だろう。早く帰って戦支度をじっくりすると良い」


「それは、交戦の意思あり、ということかな」


「それ以外にどう聞こえた」


「良いんだな」


「くどいっ。語るなら矛で語れ」


「定妙よ」


 男は呟くように言い、定妙を睨み据えた。


「貴様は、どちらに属している」


「俺は興田某ではない。一介の僧、定妙だ」


「覚悟しておけ」


 男は身を翻し、歩き始めた。歩調に硬さはない。悠々と去って行く。地の震えが弱くなってきた。


 定妙は塀から足を下ろした。


「悪いな。もう少し時間を稼ぐべきだった」


「気にするな。どう転ぼうと一度は矛を交える。そこを超えれば時間なんぞいくらでも稼げる」


「何なら今ここで、あいつを射殺そうか。頭目のあいつを殺せば他の雇われ連中は逃げ出すだろう」


「それでも雇われの頭株は残る。あの男が死ねば、寺の手の物としての制限が外れる事になる。殺した方が厄介だ」


「所詮、雇われだ。交渉するのも手だぞ」


「一村一寺が、興田家より多くの報酬を払えるわけがない。交渉するだけ無駄だ。それに、お目付け役が何人かいるだろう。寝返りは考えにくい」


 武平は本堂に足を進める。視線が、一身に集まっていた。


「今の話を聞いていたなっ。これより戦が始まる。男は最前線で矢を射、石を投げろ。堀は幅も深さも一級品だ。そうそう際どい事にならない。焦らず着実に敵と向かい合え」


 男たちは野太い雄たけびを上げた。


「肝の座った女は男と共に戦い、残りは戦っている者を助けてやれ。武器を持てば男も女もない。首を斬れば誰でも死ぬ。日頃男相手に溜めこんだ鬱憤を、思う存分敵にぶつけてやれ」


 女たちは声高く返事をした。


「子供たちは雑用だ。女と和尚の指示に従え。子供だからと引け目を感じるな。お前たちも立派な戦力だ。大人たちを見返してやれ」


 子供たちは威勢良く叫んだ。


 武平は本堂の縁に立ち、境内を見渡した。


「敵は五百などと見栄を張っているが、実際はその半分以下だ。何故、敵は見栄を張ったと思う。それは、俺たちを恐れているからだ。たかが六十人、それも半数は女子供の集団を恐れるとは、情けない事よな。しかし、それも当然だ。所詮は食い詰めた馬の骨。見栄を張らねば、己を保つ事すらできない軟弱者よ。ここは一つ、我らが戦の仕方をとくと教えてやろうではないかっ」


 歓声が沸き起こった。


 眼に怯えを宿す者は誰一人としていない。眼光は爛々とし、獲物を力強く握り締めている。武平は、猛々しく笑った。


「さあ、敵が来るぞっ。格の違いを見せつけてやれ」


 また、地が震え始めた。




 二百の精兵だけが、陽指城下に整列していた。鎧を着こんだ大和守は、近づいてくる地響きに耳を澄ませる。


 近習が陣幕に入ってきた。


「北方にて本家と大中井がぶつかりました。戦況は俄然こちらに有利。一日もせずに大中井は敗北するでしょう」


 大和守は軍配を手に腰を上げる。


「これにて大中井家は大敗し、この地より去る。それにより文治派は失脚し、島尾張守率いる武断派が息を吹き返す。そして我らは再び同盟を結び、大中井が捨てた地を併呑する。これは、その第一歩だ」


 大和守は、高々と軍配を掲げた。


「奴らはまんまと千樹寺という餌に誘き寄せられ、籠城を放棄した。これにより、戦は短期にて決着する。こざかしい援軍が来る暇など与えん。我ら二百の強兵は一陣の風となりて敵勢を突き破り、一気呵成に赤井城を落とさん」


 軍配が風を切った。


「出陣せよっ」

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