第22話 最後と始まり

 訪れた惣左衛門の顔は、固く強張っていた。


「寝返りの噂は落ち着いた筈ですが、何かあったんですか」


 惣左衛門は何も言わず、武平の正面に座る。


「次郎三郎殿がお前を館に呼んでいる。今直ぐ来るようにだそうだ」


「年貢を持って来いとは言っていませんでしたか」


「他には、何も言っていなかった」


「分かりました。では、今から行ってきます」


「殺されるかもしれないぞ」


「既に備えは整っています。難癖を付けらない程度に開戦の準備をしておいてください。俺が殺されるとしたら、宣戦布告の時だけですから」


「死ぬ気か、武平」


「いや、死ぬ気はこれっぽちもありません。例え相手が武士の十人、二十人であろうとも、逃げるだけなら遅れは取りません。心配は無用です。では」


 武平は立ち上がる。惣左衛門は、視線を合わせなかった。


「別れの言葉は言わないぞ」


「大丈夫です。その気はありませんから」


 家を出て、次郎三郎の館のある中河村に行った。張り詰めた雰囲気はあったが、以前と顔触れに変わりはない。


 家人に案内されて一室に通される。既に、次郎三郎が座っていた。


「急に呼び出して悪かったな。まあ座れ」


 武平が腰を下ろすと、家人が部屋から遠ざかった。


「近くには誰も寄らないように言ってある。人目の心配はいらない」


「何か内密の話でも」


 次郎三郎は溜息を吐き、姿勢を崩した。


「これが最後の誘いだ。儂の下に就かないか、武平よ」


「まだ可能なのですか」


「無理だろうな」


 次郎三郎は力なく笑った。


「寝返りの噂は決定的だったな。今までは儂に一任されていたが、もう手に負えない。穏便に済ますのは、まず不可能だろう」


「それを俺に明かしても良いのですか」


「構うものか。それに稲薙ぎの時点で気付いていただろう。いまさら隠す程でもない」


「暗黙の了解と、それを明言する事には大きな開きがあるものです」


「他の者であれば言わなかっただろうな。だが、儂は言った。何故だか分かるか」

「次郎三郎殿のお人柄でしょう」


「違う。偏にお前を買っているからだ。所詮、千樹寺も数ある寺の一つに過ぎない。世話にはなったが、骨を折ってまで守るつもりはない。滅びるなら止むを得ないだろう。だが、お前は違う」


「買い被りです」


「度が過ぎる謙遜は、嫌気を呼ぶぞ」


「傲慢は人を滅ぼします」


 次郎三郎は笑った。


「まあ良い、それでこそお前だ。正直に言えば、円房を名乗っていた頃のお前には、そこまで興味は持っていなかった。良い男ではあったが、良い男止まりだった。無論、高く買ってはいたがな。しかしあの程度であれば捜せば見つかるだろう。だが、子が生まれた頃を境に、お前は変わった。そして今、見事に変貌を遂げた」


「それほど、俺は変わりましたか」


「ああ、変わった」


「どう変わりましたか。自分では、あまり自覚はないですが」


 次郎三郎は、武平の眼を覗き込んだ。


「お前には、死相が見える」


「死相が見えている男を、麾下に誘うのですか」


「だからこそ誘うのだ。生ヶ原の戦いがあったろう。あれは大戦でな、儂も参陣することになった。その時の敵方の総大将にも死相が見えていたのだ。矛を交える機会はなかったが、一目見ただけで傑物だと分かった。そして、その総大将は見事な討ち死を遂げられた。まだ十九だったという。生きていればさぞ名を馳せただろうと、今でも思う事がある。それを証明するように、その総大将の子は幼くして頭角を現していると聞く。ともあれ、あの戦から十年。儂もいい歳になったが、今までの人生で死相を見たのはあの時限りだった。躰の衰えを感じながらもう一度見れないものかと思い、無理だろうと諦める。そんな日々を送っていたところにお前が現れた。お前の見事な生き様、死に様を間近で見たい。それが、儂の最期の願いだ」


「まだ若いのですから、いくらでも機会はあるでしょう」


 次郎三郎は首を振った。


「いや、儂には分かる。戦がどうなるかは分からないが、必ず激しいものになるだろう。家中でも多くの死者が出る筈だ。そこに、年老いた儂が入らない保証が、どこにあるというのだ」


 武平は答えなかった。


「この件を納める方法は一つしか残されていない。武平、惣左衛門の首を持ってこい。そして、お前の子を質として差し出せ。そうすれば此度の件は不問に処す」


「一つ聞かせてください。その場合、年貢はどうなるのですか」


「一切の減免は罷りならない。例年通り納めよ」


「此度の件の根幹にあるのは長雨にある凶作。俺たちが求めているのただ一つ、年貢の減免です。食い扶持が確保できないなら興田家に付く理由はありません。ただ飢え死にをするよりも、死を覚悟して食い扶持を得に行きます」


「小柳が勝っても、お前たちが生き残るとは限らないぞ」


「承知しています」


「千樹寺には剛の者が多いが、それでも数の差に勝てないぞ」


「それも承知しています」


「そうか」


 呟き、次郎三郎は姿勢を正した。


「事がどう転ぶかは儂にも分からない。ただ、平時でお前と会うのは今日が最後だろう。良い話ができた」


「俺も、そう思います。次郎三郎殿のご武運を祈っております」


「儂も、お前たちの武運を祈っている。機会があれば戦場でまみえよう。和尚にもよろしく言っておいてくれ」


「必ず、伝えておきます」


 次郎三郎は笑みを浮かべ、大声で家人を呼んだ。近づいてくる足音に物々しい雰囲気はない。家人に連れられて武平は館を出た。


「お気を付けてください」


 背中に、家人の声が掛かる。振り返ると家人が頭を下げていた。




 翌日、一人の僧が走り帰って来た。


「それは間違い無いのか」


 武平が訊くと、僧は頷いた。


「確かに大中井が出陣した。様々な筋からの情報だ、まず間違いないだろう。他の奴はまだ動いているがじきに帰ってくる」


「分かった。これからの事は定妙に聞け」


 返事も待たずに武平は歩き出す。村の主だった者を千樹寺に集めた。


「先程も伝えた通り大中井家が出陣した。おそらくかなりのところにまで進軍しているだろう。これから千樹寺の防備を固める」


 惣左衛門が口を開いた。


「良いのか、もう言い訳はできないぞ」


「問題ありません。その時期はとうに過ぎました。後は、ぶつかるだけです」


「他の者にはどう伝えておく」


「屋津、多見、新河はこれから伝えます。村の奴らには事が起こってからで十分です」


 半四朗が眉を寄せた。


「後からでは内部から崩れる恐れがあるぞ。時期が過ぎたというなら、今から伝えても良いのではないか。籠ってから不穏分子を取り除くのは不都合な事が多いだろう」

「今は老若男女問わず人手が必要だ。一度籠ってしまえば外には出られない。そこに大和守様から貰った銀を支払って年貢の免除を伝えれば、文句を言う者はまず出ないだろう」


「卑怯ではあるが、妙案ではあるな」


「卑怯で結構。負けて屍を晒しては元も子もない。例え血反吐に塗れようとも、勝利こそが至上だ。年貢の免除も銀も生き延びてこそ意味がある。敵は騙してでも殺せ。味方は何が何でも守れ。そうすれば、必ず道は開ける」


 半四朗は息を飲み、頷いた。儀作が含み笑う。


「水を差すようで悪いが御託は結構だ。何がどうなれば俺たちは勝ちを得られる。それこそが、何よりも重要だろう。これが分かっているのといないのでは、皆の士気に雲泥の差が出るぞ」


「全ては幡南大和守様の動きに掛かっている。興田家の攻めを一度でも防げば大和守様の軍勢がやってくる。時間にすれば四半刻で十分だ。この地で展開できる兵など高が知れている。一度に攻めかかってくる兵など百が精々だ。それも、優秀な足軽のほとんどは、北の主戦場に行っている。この地に残った者の力量など大したことはない。十数人の興田家の武士だけに気を付けていれば恐れるものはない」


「それだけ聞くと簡単に聞こえるな」


「ここには、俺がいる。千樹寺がある。事実、簡単だろう」


「言うではないか」


 儀作は大笑いした。


「他に言いたい事があるか」


 武平は、集まった者一人一人に眼を配っていく。意見を述べようする者は誰もいない。力強い眼が、無言で見つめ返してくる。


 武平は立ち上がった。


「これよりは先は拙速を尊べ。多少騒いでも構わない。戦支度こそが何よりも肝要だ。休んでいる暇は一時もないぞ」


 日を置かず、小柳が軍を起こしたという情報が入った。それを境に辺りは俄かに慌ただしくなった。


 夜も明けぬ頃から興田の口触れが動き出す。赤井城に兵が集まっていく。


「鐘を叩けっ」


 千樹寺の釣鐘が叩き鳴らされた。遅れて屋津村の方向から鐘の音が起こる。さらに、二つ重なった。


 村人が千樹寺に集まってくる。全ての村人を収容すると入り口の木橋を落とした。鐘を叩く手を止めても、残響はしばらく尾を引いていた。

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