第20話 戦支度
旅装の祐快が千樹寺から出てきた。
「もう発つんですか」
祐快は笑い、荷を背負い直した。
「もうとは言っても二日もいましたから。長居した方です」
「そうですか。次はどこに行くんですか」
「小柳領に行こうかと思ってます」
「今は大変な時期でしょう。気を付けてください」
「ああ、大中井が戦支度をしているという噂ですか。そんな噂もありましたね」
「その様子だと、噂はあまり信じていないんですか」
「いや、そんな事はないですよ。ただ、所詮噂ですから。信じ込めるほど確かなものではないでしょう。ああいうのは頭の片隅に置くだけで十分です。武平殿も噂に流されないよう気を付けてください。鵜呑みにしても良い事は一つもありません。酒の肴にする程度が、正しい楽しみ方というものです」
「ご助言感謝します」
武平は頭を下げた。祐快が苦笑する。
「いやいや、先程の言葉も酒の肴にしてください。では、私はここで失礼します。縁がありましたらまた会いましょう」
祐快は屋津村に歩いていく。武平は、しばらく佇んでいた。祐快の姿が見えなくなる。若衆の一人が、静かに動き出した。
武平は千樹寺に入る。本堂で円照が待っていた。
「祐快は、何かしていましたか」
「いや、不審な動きはなかった。もしかすると本当に、興田殿とは無関係だったのかもしれないな」
「この状況で、そんな事が有り得るのですか」
「さてな。偶然とは重なる時は重なるものだ。一先ずは何もしていないのだ。気にしても仕方がないだろう」
武平は頷いた。
「それで、用とは何ですか」
「馴染みの商人から大中井と小柳の情報が入った。ここ一月ほど、兵糧を始めとした軍需品の動きが活発になっていると言う。最初は大中井の領地を中心として、少し遅れて小柳でも同じような事になったらしい」
「ついに、戦が始まりますか」
「うむ。こちらは曖昧だが、足軽共も大中井、小柳に集まりつつあるという。戦はもう間もなくだろうな。もしかすると大中井はもう出陣しているかもしれない。それにその商人の予想によれば、両軍、万を超えるのは間違いないだろうとの事だ。武平よ、動向をどう見る」
「戦など終わってみなければ分からない事の方が多い。それは、和尚もご存知でしょう。特に今は情報が錯綜しています。ただ、こちらの備えはほとんど整いました。最初の一撃、二撃を防げさえすれば、数日は持つでしょう。あくまでも興田家が死の物狂いで来なければの話ですが」
円照が感心したように息を漏らした。
「もうそんなに整ったか。祐快の眼もあっただろうに」
「ほとんどは食料です。それも、村人と僧を合わせた六十人程度の量を数日分だけです。父上と俺の懐から寄進分に紛れさせました。岩厳すら気付いていないかもしれません。武器にしても、普段から身に着けている分を流用すれば何とかなります。後は石を始めとした飛び道具を備蓄して、少しの鎧でも用意できれば十分でしょう。それ以上は興田家に勘ぐられます」
「流石だな。その点については私の心配はいらないようだな」
「ですが気になる事が。大中井家が動き始めたのがいつ頃なのか分かりますか」
「それか。私も気になって聞いておいた。確実に関わっていると思われるものでも二月前からだという。それ以前はとんと動きがなかったらしい」
「そうですか。小柳家、幡南大和守は遅くても半年前には大中井家の動きを掴んでいなければおかしい。一体、どこで大中井の動きを掴んだんでしょうか」
「大中井に忍ばせた密偵か、小柳に通じている大中井の武士からだろうな」
「半年前から企んでいた侵攻を、俺たちのような怪しい者に話しますか」
「さて、それは分からないな。だが現に漏れている。凋落の兆しのある大中井を見限って小柳に鞍替えした者がいるのかもしれない。それも、大身の者だ」
「謀は、思ったよりも大きそうですね」
「そのようだな。しかし、一農村に働きかける事など高が知れている。所詮、村は駒の一つに過ぎない。深刻に考える必要はないだろう」
「村はそうでも、この寺は違う筈です」
「いや、変わらない。精々、焼かれるか奪われるかだ。村と何の違いがある。全く変わらないだろう」
「謀の中身は分かりませんが、小柳家に村をどうこうされる事はまずないでしょう。しかし、千樹寺が奪われる可能性は極めて高い」
「おそらく、そうだろうな」
円照は呑気に言った。
「良いんですか」
「無論、良くはない。武平よ、お前さんは謀の内容をどう考えている」
「事の始まりは、大中井家が兵を起こすという情報を小柳家が事前に入手した事でしょう。これは大きな好機です。一気に大中井家を追い詰める事ができる。小柳家は全軍を上げて大中井家を迎えるでしょう。しかし全軍と言っても、自らの領地を守る為に全兵力を注ぐことはできない。そこで、小柳家もしくは幡南大和守は一計を案じた。即ち、残した少数の兵を用い、同時進行で大中井家の領地を奪う。つまり、大勝後における大中井家撤退の空地を呑み込む為の、足掛かりを作る事にある。俺は、そう睨んでいます」
「私も同意見だ。そうすると小柳家が千樹寺を奪うと言うのは、興田に圧力を掛ける為の出城としてだ。出城というのは用が済めば破却するもの。仮に奪われたとしても一時的なものだ。どれだけ遅くとも、興田の赤井城さえ奪えばそこに居を移す。本当の意味で奪われる事は、そもそも有り得ないのだ。問題があるとすれば小柳が陣を張っている間の、我らの身の持ちようだろう」
円照は、武平を見据えた。
「それは、お前さんが口を出す事か」
「いや、違います」
「なら良いではないか。お前さんは他に考える事があるだろう。我らが千樹寺を守る為に動いているように、お前さんもそちらに集中するべきでないのか」
「御尤もです。出過ぎた真似をしました」
円照は穏やかに笑った。
「よろしい。惣左衛門と、減免についてでも話してくるが良い」
「ありがとうございます」
一礼して、武平は千樹寺を後にした。
惣左衛門の私室に入ると、惣左衛門は外を気にするような素振りを見せた。武平は正面に腰を下ろす。
「次郎三郎殿から、減免についての返答があったぞ。明日千樹寺で話しを聞くとの事だ」
「呼ぶのではなく、次郎三郎殿自らが訪ねてくるんですか」
「流石に供が何人かいるだろうがな」
「中々、腹の内が読めないな」
惣左衛門の表情が、少し固くなった。
「お前でもか」
「おそらく、大中井家から色々と口を出された結果、思うように動きが取れない、という状況なんでしょう。しかしそれにしても動きが鈍い」
「祐快とかいう僧はどうだったのだ。若衆に後を追わせていたのだろう」
「それなら先日帰ってきました。結論から言うと祐快は無関係でしょう。どうやら本当に旅の僧だったようです。怪しい行動もなく、他人との接触も少なかったようです」
「そうなると、興田はようやく重い腰を上げたという事か」
「そうでしょう。次郎三郎殿が少数で訪ねてくるという事は、やはり興田家も千樹寺の存在を重く見ているという事。どう転ぶにしろこれが最後の交渉になるでしょう。こちらからは誰が出向くんですか」
「儂と和尚、そして武平、お前の三人だ」
「俺もですか。名目上の頭株はまだ父上でしょう」
「三人とも、次郎三郎殿の指名だ」
武平は腕を組んだ。
「やはり最後の交渉になりそうです。表向きは減免についての話でも、その実は千樹寺を要するこの村の引き抜きにある。果たして次郎三郎殿はどう出てくるか。問題はそこですね。定妙についての当たりも気になるところです」
「それなんだかな」
惣左衛門は重い声で言い、座り直した。武平は組んだ腕を解く。
「何か言いたい事でも」
「お前と和尚が言うから、儂も退いた。しかし定妙殿は本当に信頼に足る人物なのか。幼い頃から千樹寺で育ったわけではないだろう」
「心配は御尤もです。ですが、安心してください。あいつは俺と同類です。興田に通じている事は絶対にありません。もし通じていたなら、俺も同じように通じているでしょう。ですが、俺は興田に通じていません。故に定妙も興田に通じていません」
惣左衛門は気弱に唸った。
「しかしな、眼に見える根拠はないだろう。儂は退いても良いが、儀作や半四朗たちは納得しないぞ」
「あの二人にも分別はあります。いざという時までは堪えるでしょう。そして、いざという時になれば、誰もがあの男を信用します」
惣左衛門は顎髭を撫で続ける。
「分かりました。いざという時になっても定妙が信用できない時は、俺が定妙を殺します。それで問題はないでしょう」
「いや、殺すのは駄目だ。それでは興田の逆鱗に触れることになる。捕らえる程度に抑えてくれ」
「では、定妙については何の不満もありませんか」
「ないと言えば嘘だろう。蟠りは確かにある。だが、お前がそこまで言うなら信じてみよう。優秀な男だ。人当たりも良く村の中でも慕う者は多い。悪い男でないのは儂も分かっている」
「安心してください。あの男の武勇と知略は、必ず役に立ちます。戦の中では勿論、戦の後でもです。しっかりと働いてくれるでしょう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます