第19話 晩稲の収穫

 晩稲田は黄金色に埋め尽くされていた。


 稲を刈る村人の顔には笑みが溢れている。多くの者が唄を口にしながら、収穫は賑やかに進んでいた。


「野分がほとんどなかったのが、不幸中の幸いだったな」


 惣左衛門の顔には、安堵の表情があった。


「はい。しかし減作は免れませんでした」


「例年と比べても、九つは固い。あの長梅雨を思えば十分だろう」


「総収穫量で言えば例年と比べて七つ程度です。あまり安心していけません。他の者の喜びようも、早稲や中稲の際の憂さ晴らしのようなものです。少し経てばまた気が沈むでしょう。俺たちも飢饉を恐れている。それをお忘れなく」


「それは分かっている。だがそう心配するな。興田も解死人を求めて以来、大きくは動いてはいない。心配し過ぎも良くないぞ」


「ですが、大きな損はありません。それよりも減免の願いをどうするかです」


 惣左衛門は眉を寄せた。


「どういう事だ。いや、そうか。中稲とは状況が違うのか」


「そうです。興田家も、この減免の機会を重く見ているでしょう。慎重に動かなければいけません」


「千樹寺に稲を納めるついでに、和尚と相談しなければならないな」


 惣左衛門の後に続いていくと、円照、定妙が本堂で話し合っていた。


「何かあったのですか」


 惣左衛門が問う。円照が口を開いた。


「つい先程、修行に出ていた僧の一人が帰ってきてな。どうも、大中井が兵を集めているという噂が流れているらしい。それも、相当な数だとか」


「事実でしょう」


 武平が言うと、定妙が頷いた。


「同意見だ。丁度、そいつを情報集めにやったところだった。武平、お前はこれをどう考える」


「小柳家も興田家も、これを待っていた。そう考えると大方の辻褄は合う。興田家が大きく動かなかったのは、大戦を前にして勝手な行動を控えていたからだろう。小柳家の目的は、この地を足掛かりにして後々を有利に運ぶ為か。少なくとも、半年前から大中井家の動きを掴んでいたのは間違いないだろう。想像以上に大事に巻き込まれていたようだな」


 惣左衛門が呟いた。


「この地で、大戦が起こるのか」


「いや、それはないでしょう。そこまでの大人数を展開できるほどの広い土地は、この辺りにはない。起こるとすればもっと北の平野部です」


「その通りだ」


 定妙が言う。惣左衛門が口を開いた。


「時に定妙殿、興田の内情についてはどうですか」


「俺が探るのはまず無理です。向こうも俺が付かない事は承知している。良いように理由を付けて、捕まえようとするのが落ちです」


「そうですか。なら仕方がない」


「一先ず、和尚と父上は減免についてお願いします。定妙は俺に着いて来い」


 武平は境内に下りて僧房に向かった。奥に安置した鉄砲を手に取る。


「種子島の扱い方を教える。これを扱うのはお前が適任だろう」


「それは良いが、お前は何を使うつもりだ」


「前線に立つ。種子島は邪魔なだけだ」


 定妙は、武平の腰に視線を落とした。


「まだ刀も差していない奴に、できるのか」


「差してないだけだ。懐剣は身に着けている」


「口調だけでなく獲物も手にしたか。分かってはいたが、お前、本当に戻って来たんだな。今、実感したよ」


「ああ」


「岩厳や源市辺りは眼に見えて喜んだだろう。他の奴らも似たような感じか。頼られるってのは、大変だな」


「やりたい事を、やりたいようにやっているだけだ」


「そうか」


 定妙は腰を下ろした。


「何にせよ自分で選んだことだ。不幸せではないだろう」


「ああ、そうだな。始めるぞ」


 武平は、定妙に鉄砲を手渡した。




 稲を背負い境内に入ると、見知らぬ僧衣の男がいた。


「あれは誰だ」


 武平は、剣に汗を流している岩厳に声を掛ける。


「今日の朝ここに来てな。修行で全国行脚をしているらしい。数日泊めて欲しいってことで、和尚が許可を出した」


「そうか。話しかけて悪かったな。鍛錬に励んでくれ」


 岩厳は木剣を振るいかけ、笑った。


「お前もするか。しばらくしてないだろう。躰も相当に衰えてる筈だ。一緒に汗を流さないか」


「いや、いい」


 岩厳の傍を通り過ぎていく。


「待て待て。少し打ち合うだけでもどうだ」


 武平は足を止め、振り返った。


「逸る気持ちは分かるが、暴走するなよ。今は大事な時期だ、馬鹿をされては困る。目立たないように普段通りに振る舞え」


 岩厳は溜息を吐いた。


「分かったよ」


 無言で木剣を振るい始める。直ぐに、眼が据わった。木剣が鋭く空を切っている。動作の一つ一つに激しさが溢れていた。


 武平は稲を背負ったまま、本堂に上がった。旅の僧は隅に座り、眼を閉じて筆を握っている。


 ふと、僧が眼を開けた。


「この村の人ですか」


「邪魔をしましたか」


 僧は笑みを浮かべ、手を振った。


「いやいや、大した事はしてないですから。歌を考えていただけですよ」


「歌ですか」


「歌を詠むのが趣味でして。一日に一句は詠むようにしてるんですよ」


「そうですか。良ければ一つ詠んで頂けませんか」


 僧は苦笑した。


「手遊みのようなものですから」


「これは失礼しました」


「いや、気にしないください。私が下手なのが原因ですから。それで話は変わりますが、もしかすると貴方は、武平さんですか」


「俺の名を、知っているんですか」


「朝、和尚から聞きました。ああ、そうだ。私は祐快と言います。数日程度しかいませんがよろしくお願いします」


「この寺は良いところです。ゆっくりしてください」


「もう十分に実感しました。和尚の徳の高さが成せることなのでしょう。上手く村の中に溶け込みながら仏の教えを説いている。素晴らしい場所です」


「そう言われれると嬉しい限りです。俺は仕事がありますので、この辺りで」


 本堂を下り、稲を稲架に掛ける。千樹寺を出ると定妙と鉢合わせた。


「祐快とかいう僧には、気を付けろよ」


 武平が言うと、定妙は頷いた。


「承知してる」


「なら良い。それにしても、何故この時期に泊めた」


「修行中の、それも同じ宗派の僧とくれば泊めないわけにはいかないだろう。断るのも不自然だしな」


「それもそうだが、そのせいで戦支度が止まっては元も子もないぞ」


「そっちは順調に進んでいるだろう。数日泊まったところで影響はない。祐快が興田の手の者だったとすれば丁度良いだろう。千樹寺は何もしていないと見せつけてやれば良い」


「それもそうか」


「まあ、大変な時期だ。心配し過ぎて損はない。和尚と二人でを眼を光らせていよう。邪気があれば尻尾を出すだろう」


「いや、そこまではしてなくて良い。物見が精々だろう。物見程度に神経を磨り減らす必要はない。ただ、祐快が千樹寺を発つ時、どこに行ったかだけはこっちで探っておく。馬脚を現すとすればそこだからな」


「分かった。祐快はそっちに任せよう」


 定妙と別れて晩稲田に戻る。玉が寄って来た。


「あなたの父さんと母さんの姿が見えないんだけど、どこにいるか知らない。ここ数日ぐらい見かけてないんだけど」


「用があるのか」


「ないけど、気になって」


「そう言えば言ってなかったな。二人なら数日前に村を出た。この凶作だ、村に留まっても先は見えない。それに根無し草の方が二人の性に合っている。二十年近くこの村にいたのがおかしいぐらいだった」


「なら、あなたには挨拶をして行ったのね」


「ああ、別れは済ませた」

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